ジャパニーズ・コネクション Part-2 Keith編
バンド初来日35周年記念、ストラングラーズオフイシャルサイト/SIS Japan公式サイト合同掲載企画「ジャパニーズ・コネクション」第2弾!!
第2弾は、元ARBのドラマーで、現在もGroovin’のドラマー等現役で活躍されている、JJの盟友、キースさんとのインタビューです。(本国オフィシャル版-英語版—は、こちら。日本版とは違う写真もありますので、是非ご覧ください)
《2014年10月17日収録》
Yuka :まず、ARBがいつ結成されたのか教えていただけますか?
Keith:1977年
Yuka :メンバーとはどのようにして会ったのですか?
Keith:オーディションで。俺と一郎(田中一郎)は一緒にバンドやってたから、2人だけ決まってた。
JJ :一郎はギタリストだよね?
Keith:そう。そのころBCRが流行ってて、シンコーミュージックがああいうバンドを作りたい、っていうんで集められたんだよ。
JJ :え~、ホント?(大爆笑)
Keith:それで5人集まったんだけど、俺と一郎はもうそれが嫌で嫌で。。。それで凌と3人でシンコーを出たの。それからARBという形ができたんだね。
JJ :じゃあ凌(石橋凌、シンガー)はシンコーミュージックのオーディションで決まったの?
Keith:そう。でも一緒に抜けて、ARBとしてオーディションをしてベーシストを入れた。それでセカンドアルバムを作ったんだよね。
Yuka :では、ファーストアルバムはシンコーからリリースされたのですね?
Keith:そうだね。だからファーストアルバムは、今聞いたらARBとは思えないような色んなタイプの曲が入ってるよ。ははは。
Yuka :ARBというバンド名ですが、本当にアレキサンダー・ラグタイム・バンドの略なのですか?なぜその名前に決めたのですか?
JJ :ははははは!
JJ :はっはっはっは!
Yuka :では、ノーチョイスだったのですね?
Keith:そう。だから、それを略してARBにして、独立してからもずっとARB。
Yuka ;ストラングラーズの音楽は聞いたことはあったのですか?
Keith:いや、まだ知らなかったね。ストラングラーズもまだデビューしたばかりだったし、日本でもリリースされてなかったからね。
だから、知り合って、音楽的にも影響を受けた。
JJ; じゃあキースと初めてあったのは四谷三丁目で、そこに友人も住んでいたんだよね? その人が俺を君に紹介してくれたんだっけ?どうやって知り合ったんだっけ?
Keith:JJが空手で来日するから、もし部屋が空いていたら泊めてあげてくれないか?と言われた。でもその時は”JJはすごく危険な人だから、気が合わないと大変だよ”と言われたんだよね。
JJ :そんなぁ…、
Yuka :それは何年のことですか?
JJ :1978年だ。
Keith:その時は極真の本部に来た、って言ってたからね。
JJ :本部は池袋にあった。俺の記憶が正しければ、覚えているのはキースはアパートに一人で住んでたということ。確かそこはARB全員のアパートだと思ったけど、他のメンバーは全員ガールフレンドと別の場所に住んでた。
Keith:ははは、そうそう。
JJ :それで、そこでのキースの唯一の仲間は何十本という大きな酒瓶だった、ね?
Keith:ははは、そう、一升瓶ね。
JJ :あそこで一緒に住めて俺はとてもハッピーだったよ。あれが最初だったよね。
Keith:そう、その時に初めて会ったね。
JJ :ハイ。それから俺は極真の練習で肋骨を折られて、確か折った中の一人は中村誠だった。
Keith:すっごく強い人だったよね。
JJ :世界チャンピオンだったからね。
Yuka :彼が空手で肋骨を折られた時、キースが看病して元気にしてあげた、というのは本当ですか?
Keith:まあ、できることはしたけどねえ、男だからねぇ。(笑)
JJ :男だってことは知ってるよ。(ニヤリ) いや、ホントに!?!?(大爆笑)
そのケガがあったので俺は帰国したけど、翌年には日本で初めてのコンサートをやったんだ。
JJ :そう、確かキースは一緒に遊んだよな。
Keith:確か後楽園ホールだったよね。
JJ :後楽園ホールにも来ただろ?
Keith:行ったよ。
JJ :何回かギグがあったけど、京都大学でも一度やった。
Keith:京大西部講堂だね。
JJ :そうだね、それでその年の後半にもまたバンドで日本に来たんだよな。その次にいつキースと会ったのか覚えてないのだけど、俺の記憶はいきなり1984年くらいに飛んでるんだ。なぜかと言うと、その年にARBにヘルプを頼まれたから。ARBはかなり人気が出てたよね。
Yuka :1984年にARBのツアーにJJを呼ぶことになったのはなぜですか?
Keith:ベーシストが脱退したから。
JJ :ああ、ベーシストが抜けたのか。。。どうして?
Keith:まあ色々なことがあったんだけど、素行問題だね。だから辞めてもらった。
JJ :そう。で、ARBが、一緒にツアーやらないか?、と聞いてきたんだよね。
Keith:そうそう。その時ちょうどストラングラーズは休暇中だったんだよね。それでJJはドイツかどこかに勉強しに行く予定だったのに、それを取りやめて日本に来てくれたんだよ。
JJ :そうそう!こっちの方がずっとおもしろいからね!
Yuka :その依頼をJJが受けてくれて驚きましたか?
Keith:それはびっくりしたね。俺たちもびっくりしたけど、日本の音楽関係の人が皆びっくりしたよ。だって、いわゆる本場のバリバリのパンクの人が来るわけだもの、時代を作ってる人だからね。あの頃JJはベーシストの神様みたいだったし。
JJ :そう、現在形だよ。ははは!
Keith:そう、今でもそうだけどね!
JJ :ツアーに先立って練習する時間は4,5日しかなかったんだよね。
Keith:何十曲ってあったよ。
JJ :そうだね、それを全部覚えないとならなかった。
Yuka :そのステージで、観客はJJをみてびっくりしていましたか?
Keith:そりゃあもちろん驚いてたよ!
JJ ;あの時は烏山のキースのうちに泊まってたと思うけど。
Keith:その時は烏山じゃなかったなあ、どこか忘れたけど。
Yuka :烏山ではないけれど、キースのうちには泊まっていたんですね?
Keith:そう、小さな部屋に泊まって、リハーサルが終わったら歩いて帰ってきて熱燗飲んだんだよ。曲だけじゃなくて熱燗も覚えたんだよね。
JJ :ああ、そうだ、熱燗!その時君は結婚してたっけ?
Keith:いや、シングルだった。
JJ :そうか。リハーサルが終わると毎日2人で赤ちょうちんに行って、15本くらい酒を飲んだよな。それで帰り道を間違えたり、、確かいつも歩いて帰らなかったっけ?
Keith:うん、スタジオから近かったんだよ。あ、思い出した、住んでたのは中野坂上か!
JJ :そうか、、、赤ちょうちんの後はかなり長い道のりに感じたよな!(笑)
Keith:ははは、近いとは言っても、実際に結構歩いたんだよ。特に酔っぱらって道を間違えたから長かったよね。(笑)
JJ :それからツアーをやった。そのツアーがどのくらいの長さか覚えてないけど、結構長かったよね。
Keith:うん、全国ツアーだから何十か所も回ったからね。結構長いツアーだった。
JJ :そうだよね、福岡にいって、凌のお母さんに会った。それから、みんなは俺が淋しいだろうと思って、知り合いの女の子を紹介してくれたんだ。彼女はエキゾチックはダンサーか何かだったっけ?
Keith:えっと、確かダンスやったりポルノ女優をやってた。
JJ :えっ、そうだったの!?
Keith:それこそ、俺の住んでた中野坂上の近くに彼女の実家があったんだよ。
JJ :だから東京にいた時に何度か彼女と会ったよ。すごく小さな子だったけど、バランスは完璧だったね!楽しい子だった。そう、俺もすごく若かったからね。
その頃にパーソンズの女性にも会ったな。
Keith:ジルだね。
JJ :そうだ。それからそのツアー中、凌は新宿のアパートに住んでたと思う。とても高い建物だった。
Keith:新宿の公園の近くだった?
JJ :覚えてないけれど、とても高層だった。ある晩、俺はそこで一人でいて、いろいろな物が落ちてきて目が覚めた、そして布団から転げ出た。あれが初めての地震体験だったんだ!
ツアーの後にはスタジオでレコーディングしなかったっけ?アルバムのレコーディングがあったような、、、”イエローブラッド”だったかな?
Keith:そう、”イエローブラッド”のレコーディングをした。
JJ :俺も2,3曲レコーディングしたよね。
Keith:2曲だったかな。
JJ :あれって同じ時期だった?
Keith:ツアーが終わったすぐ後だね。
JJ :じゃあ他のベースパートは誰が弾いたの?
Keith:誰だったかなあ。新しいベースプレーヤーだったと思うけど…。
Yuka :覚えていないんですか~???
Keith:次のベーシストって結構印象の薄い人だったんだよ。期間も短かったし。。。それに俺はそのころジャンと一緒にできるから面白くて仕方なかったし、それが強烈だったからその人の記憶は飛んじゃったんだよね。
JJ :ははは、確かに楽しかったよな!
Keith:東京で裕也さん(内田裕也)の野音のイベントにも出たりしたし。
JJ :ああ、そうそう!アナーキーも出てた。ああ、そうだ、思い出した。あれはどこだっけ?どこかの公園?
Keith:そうそう、日比谷公園。
JJ :かなり大きなフェスティバルだったと思うけど。
Keith:Japan Rock Festivalだね。その時はたくさんの人、優作さん(松田優作)とかも来てステージのソデで見てた。
JJ :そうか、忘れてたよ。日比谷公園?それも同じ時期だったよね?
Keith:そうだと思うけど、何年だったかな。。。
Keith:光浩(斉藤光浩)がいたからその頃かな。一緒にレコーディングした曲も実際にプレイしたもの。
JJ :その後はちょっと覚えていなくて、少し期間が空いてて。次に覚えているのは代々木ホールでの君たちのフェアウェルツアー。
Keith:代々木第一体育館だ。
JJ :そうだ、あれはオリンピックで使ったもの?
Keith:オリンピック用に1964年に建てられたんだよ。
JJ :何年だったっけ?86?
Keith:うーん、、、
JJ :あれがARBの最後だったよね。
Keith:一回目のね。
JJ :何回かあったんだね。。。あの頃俺は将来の妻と付き合い始めたんだけど、それが86年か87年か、、、定かではないんだよな。
Keith:90年かな。。。彼女を連れてきてたよね。
JJ :そう、週末の一回のコンサートの為だけにお金を払って俺をロンドンから東京に呼んでくれたんだ。しかも、確か2,3曲しかプレイしなくて良かったと思う。
Keith:そうだね。
JJ :1曲はフランス語だった。
Keith:”葉隠れ”の間奏の時にフランス語でやったね。あと”ユニオン”だったかな。多分その2曲だったよ。
JJ :そうだったな、それだけやったら俺たちは解放されて、長い週末をもらえた。藤井さん(ARBのマネージャー)がアレンジしてくれて、最高だったね。あと覚えているのは、代々木の会場は人であふれてた、ということ。
Keith:そう、12,000人くらいで、あそこの動員最高記録だったんだよ。
JJ :すごかったよな。超満員だった。コンサートは1回、それとも2夜やった?
Keith:1晩だけだった。
JJ :終わった後で、君と凌が泣いてたのを覚えてるよ。
Keith:ははは、そうだったね。
JJ :次に覚えているのは、突如3年くらい後のことなんだ。ヒューはすでにストラングラーズを脱退していて、俺たちはアメリカツアーが予定されていたんだけどジェットが病気だったんだ。そこで俺が提案したのは、キースをイギリスに呼んでリハーサルし、その後俺たちと一緒にアメリカに行く、ということ。だから少しの間、君は俺のうちに住んでたよね。
Keith:そう、住んでた。
JJ :君は息子に会いたくて、ちょと弱ってたと思う。
Keith:はははー。
JJ :もう結婚してたね。
Keith:そうだね。でも、子供に会いたいというか、周りに日本語を話せる人が誰もいなかったから、、、曲を覚えるのも大変だったし。痩せて口内炎ができてね。
JJ :ああ、ホント、、、
Keith:初めての経験だったからね、ちょっと辛かったね。
JJ :そうだよね、君にとってハジメテだったものね。きっとすごくホームシックだったろうね。
Keith:あと、日本だと2日プレイして1日休みとかだったんだよね。でもストラングラーズは5日間連続でやったりとかして、ああいうキツいスケジュールのツアーも初めてだったから。
JJ :そうだな、俺たちはいつも自分たちに厳しかったから。あれはキツいツアーだったのを覚えてるよ。
Keith:だから、あのツアーをやったおかげで日本に帰ってきてからは何でも大丈夫だった。それまではバスじゃなくて新幹線を使ったりとか、贅沢をしてたんだよね。
JJ :じゃあ、それが君を強くしたんだね。
Keith:そうだね、肉体的にも精神的にも鍛えられた。
JJ :そうだ、あれはかなり長いツアーだった。
Keith:そう、一か月で確か25本くらいやったよ。ツアー中ちゃんとノートを書いていたから、それは覚えてるんだよ。
JJ :おお、そうか。
Keith:それで、日本だと夜7時くらいから始まって9時頃には終わるけど、アメリカでは日本で終わる時間に始まるからね。
JJ :そうそう、時にはもっと遅いこともあるよ。
Keith:それに日本だとコンサートが終わったら打ち上げに行くでしょ。だから、それに比べたら日本はやはり甘いな、って思った。
JJ :しかもアメリカ全土を横断して周ったからね。
Keith:そうそう、だって、朝起きて外を見てもまだ同じような景色だったもんね。(笑)それで日本語の本や雑誌とか何もないから、持っていた同じものを毎日、来る日も来る日も見てるわけよ。(笑)
Yuka :それほど長かった、ということですね?
Keith:うん。だから、もしかすると、あの経験がなければ今までこうして音楽を続けていなかったかもしれない。
JJ :ホント?ナゼデスカ?
Keith:だって腕を痛めて手術したり、バンドが解散したりと色々あったしね。でもその時にアメリカツアーの経験を思い出せば、まだ頑張れる、って思った。
やっぱり、そういう経験てすごく大事だと思う。誰でもストラングラーズに入って一緒にできるわけじゃないじゃない。
JJ :まあね、、、
Keith:一緒にやったのは日本で一人だけだしね。
JJ :そのとおり。素晴らしいことだよ。ストラングラーズの公式ドラマーの一人だからね。
あの時はとても奇妙だったよ、なぜならストラングラーズの違う形態をとっていたからね。キース、ポール・ロバーツ、ジョン・エリス、俺とデイブ、というラインナップだった。
Keith:そう、5ピースだったね。
JJ :そのあと、確か俺のマネージャーが、君に支払うべき額を全額払わなかったと思う。
Keith:はっはっは、でもちゃんと話してくれて、後で払ってくれたけどね。
JJ :かなり後だったよ、だって何年も経った後に、キースに全額払っていない、ということを俺が発見した。どうやって発見したのかはわからないけど。でも、それはシルとは違うマネージャーだったから、シルに話して借りを支払ったんだ。メンツにも関わるし、誠実であるべきと思った。
Keith:そうだね、何年も経ってたね。でも俺は一緒にやれただけでも嬉しかった、お金以上のものを得られたからね。お金では買えない経験、というものだよね。
JJ :そうか、、、そうなんだね。アメリカツアーの後は、何年も会わなかったよね。
Keith:うん、空手で来るまで…、だね。
Yuka :それはいつ頃ですか?
Keith:いつかなぁ、、、士道館の空手だったよね。
JJ :そうだ!士道館の用事で戻ってきて、君が新所沢の士道館本部道場に連れて行ってくれたんだ。あれは1991年、ころかな?
Keith:そう、連れて行ったねぇ。
JJ :じゃあ、アメリカツアーの後それほど経ってなかった?
Keith:いや、経ってたんじゃない?
JJ :アメリカツアーは何年だっけ?1990?1991?俺が士道館に入ったのは1992年、だから、そう、あれは1992年だよ。ってことは、アメリカツアーのたった1,2年後だよな。
その時に君は烏山に住んでたんだね?
Keith:そうだね。
JJ :この地名はイギリスの視聴者、というか読者にはおもしろいと思うけど、”カラス、つまりレイヴンの山”という意味なんだ。
Keith:そうなんだよね!あと、士道館がどこかに支部道場を新たに開く時も招待されて、一緒に行ったね。
JJ :そうそう!そうだった!
Keith:村上竜司さんのバット割りとか見たよ。
JJ :見たね。あれはどこか上の階だった、、、士道館の黒帯が何人も道路にいたけど、どこだったかは思い出せない、、、
Keith:そう、そう!黒帯がいっぱいいた!なんか下町みたいな所だったな。
Yuka :都内ですか?
Keith:うん、東京だったけど、どこか覚えてないなぁ。
JJ :ワタシモ、、、
それ以来、ずっと連絡とってるね!
Keith:そうだね、日本に来ると必ず連絡くれるから嬉しいね。
JJ :ああ、俺たちは長年の友達だからね。共に苦難を乗り越えてきた戦友だよ!
Keith:日本のミュージシャンでもこんなに長い付き合いしている人はいないんだよね。結構みんな離れて行ったりするからね。
JJ :そうなんだね。それから最も直近の重要なイベントはキースの還暦ギグだ。(動画 https://kuroki-rin.cocolog-nifty.com/stranglers_live/2012/11/keith-kanreki-k.html)あの時の君のバンドはキーボードなしでNo More HeroesとSomething Better Changeをリハーサルしていて、ギタリストの一人がキーボードパートを弾いてた。それがすごくいいアイデアだと思ったよ。あのギグは楽しかったな、ほんの2年前だよね。
Keith:あのバンドのメンバーも皆、またやりたい!やりたい!って言ってたよ。
JJ :やりたいよね。キースの次の還暦はいつ?(ニヤリ)
Keith:ははは!今度は65歳くらいでやるか。
JJ :あのギグでいいアイデアを思いついたよ。キーボードなしでギタリストの一人がキーボードパートを弾く、その日本人バンドと俺が一緒にストラングラーズの曲をやって日本をツアーする。あのバンドは本当にロックなバンドだった.
Keith:できたらいいよね!
JJ :今でもいいアイデアだと思ってるよ。
そういえば!ARBとリハーサしていた時にビリーアイドルがスティーブスティーブンスと来たのを覚えてる?
Keith:ああ、そうそう!来た!(笑)
JJ :奴らはヒルトンに泊まってた。
Keith:呼び出して赤ちょうちんに連れて行ったよね。
JJ :一度、新宿ロフトにも連れて行かなかった?
Keith:うん、行ったね。
JJ :凌がいたよ、、、それは覚えてる、あれは80年代でビリーがすごく売れてた。そうだ、みんなで当時の新宿ロフトに行ったよ。
Keith:そうだったね。
JJ :それから覚えてるかな、ある晩2人で新宿ロフトから出てきて、俺たち少し酔ってたんだよ、2人とも黒の革ジャケット着てて。そこに突然大きな黒塗りの車が来て減速して、止まった。そうしたら車の窓が開いて中から低い声で”おいお前、お前どこから来たんだ?”って。
Keith:それは、ちょっと覚えてないなぁ。。。
JJ :ヤクザだったよね。
Keith:あの辺は昔やくざの事務所があったからね。
JJ :え、ホント?
Yuka :それで、質問には答えた?
JJ :”イギリス”って言った。
Yuka :そうしたら?
JJ :窓が閉まって、車はスーッと行っちゃったよ。
Keith:そうか…。ビリー アイドルとスティーブ スティーブンスを2人で赤ちょうちんや炉端焼きに連れていったのもロフトの近くだったね。
あの頃ビリー アイドルがすごく売れてて、moreなんとか、っていうヒットした歌があったでしょ?”もっと、もっと”っていうやつ。。。
JJ :Rebel Yell?
Yuka :♪ In the midnight hour she cried more, more, more ♪
Keith:そうそう、その歌!あれを文字って、ビリーが誰かに手に”もっと、もっと、もっと”って日本語で書いてもらってて、それを店で見せてたんだよ、飲み物とか追加で欲しい時に”もっとください”ってね。(笑)
JJ :モット、モット、モット、、、笑っちゃうね。
Keith:でも、彼らはジャンの前だと借りてきた猫みたいにおとなしかったよ。
JJ :そんなもんだ。
あー、いい思い出だね。
Keith:ロフトではいろんな人に会ったよね。ちょうどイギリスから来てる、ってことで呼んでくれて。
JJ :そう、そう。ロフトはいい店だったよな。伝説のライブハウスだろ、でも今はかなり変わったよな。
Keith:うん、そうだね。
JJ :第一、場所が違うよね。
Keith:そう、違う。
JJ :それだけでも大きく変わったよな。
Keith:俺はもうあそこの名誉顧問だから。(笑)
JJ :…、って、どういう意味?
Keith:いつでも入れるの。
JJ :えー、ホント?一生?!
Keith:そう。ふふふ。
JJ :そりゃすごい!
Keith:だから、支店みたいなのがいっぱいできるでしょ、そうすると必ず一番最初に挨拶とかトークショーとかに呼ばれるの。
JJ :わー、そうなんだ。どんな話をするの?
Keith:ロフトの歴史とか色々だけど、俺は話すのが苦手だから、司会者に質問されて答える、という感じ。
JJ :いいねぇ。
Yuka :話す、と言えば、イギリスから一つ質問が来てるのですが、”JJの日本語はどうですか?”って。
Keith:俺の英語よりずっとうまい!(笑)
JJ :ビールはオーダーできるよ。ははは。
Yuka :お勘定ももらえますよね。
JJ :ハイ!
ところで、日本では刺青はヤクザ以外には良く思われていないだろ?だから、まずどうしてそんなにたくさんの刺青を入れようと思ったの?
Keith:俺は29歳で胆石をやって手術して、昔だから医療も今ほどよくなかったし、もうドラムを叩けないかと思ったんだよ。手術のあと半年くらい叩けなかったしね。その時に色々考えた。それで30歳の時に、このままじゃダメだと思って、やっぱり一生ドラムをやっていきたいと思って、心を決めるために雷神、つまりドラムを入れた。
JJ :そうなんだね!では、当時はもっぱらヤクザばかりが入れてたから、当然日本では一般的ではなかったよね。面倒なことにはならなかった?
Keith:いや、普段プールとか、人に見せるような場所に行かないからね。でも、そういう人がいる所に行くと、小さいの入れて見せびらかして強がってる人たちが、俺を見て出ていくんだよ。
JJ :そうか。
Keith:痛さとかがわかるんだよね。
JJ :伝統的な、竹を使って彫ってるの?
Keith:そう。だから、ああいう人達は、見ればそれがどんな入れ方でどれだけの痛みかわかるんだよ。その苦痛に耐えた奴だ、と理解する。
JJ :うん、うん。
あと、今まで一度も尋ねたことがなかたけど、君の本名はキースじゃないよね。なぜ自分でキースと名のることにしたの?
Keith:ストーンズのキース リチャーズが好きでね。ストーンズではミックが一番で彼は二番手でしょ、俺はそういうスタイルが好きでね。(笑)
JJ :ああ、そうだったんだ!
Yuka :理由がわかってスッキリしましたね。
キースさん、今日はどうもありがとうございました。仕事も遊びも、2人で色々なことをしてきて、素晴らしい思い出がたくさんありますね。JJとの還暦バンド、実現することを楽しみにしています。
Keith:どういたしまして。本当にできるといいな。
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キースは見た目はちょっと近寄りがたいですが、やさしい感じでとても穏やかに話す方で、辛かったアメリカツアーのことも楽しそうに笑いながら話してくださいました。キースとJJ、どうもありがとうございました。
なお、”イエローブラッド”のポスターは鹿志村茂臣さん(JJのロフトでのソロライブ、”I Hate You”でハーモニカを担当された”カシピー/カッシー”)に、古い雑誌からのコピーはいくつかAbeさんに提供していただきました。鹿志村さん、Abeさん、ご協力ありがとうございました。
それからキース、わざわざ雷神の刺青の写真を送って下さり、本当にありがとうございました。
(Yuka Takahashi)
【編集注】
以下に掲載する「This is ARB」という本は現在絶版のようですが、アマゾンやヤフオク等で中古本が売られているみたいですので、入手は可能ではないかと思います。興味ある方は検索してみてください。
【巻末資料】
■This is ARB(1984年に発行)より
資料提供:Abeさん:Images from books/magazines provided by Abe
■イエローブラッドポスター
提供 鹿志村茂臣さん:Yellow Blood poster provided by Kasshi
■キース、背中の刺青:Keith's back, Oct.2014
■キース還暦パーティーライブ:Keith Kanreki party gig
パス:pass
タイムテーブル:timetable
■キースとJJ : Keith & JJ
○1984年
○2008年JJソロライブat新宿ロフト:JJ acoustic show at Shinjuku Loft, 2008
○2012年キース還暦:Keith Kanreki party, 2012
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★おまけ★(1992年来日時。多分初公開です。前会長Macoさんよりいただきました)
a couple of nice old photos from 1992, provided by Maco
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コメント
楽しく懐かしいインタビューをありがとうございました。
とっても面白かったです。懐かしの JJ in ARB やKeith in Stranglers の話も、知らなかったこと満載で二人の親密さがわかって羨ましくなりました。このあともコラボのライブ、楽しみです。
投稿: onchan | 2015年4月14日 (火) 13時05分
JJとキースさんが若い頃を一生懸命思い出しながらのインタビュー楽しいです!「還暦ライヴ」の続編(?)の話には激しく反応してしまいました。是非とも実現させてほしいです。
投稿: kiyo | 2015年4月18日 (土) 21時06分
本当に深い友情でつながった二人の話に
ついつい、引き込まれてしまいました。
投稿: MM21 | 2015年4月25日 (土) 22時50分