プロローグ
20XX年5月23日(木)
それは、春も終わり頃とはいえ異様に蒸し暑い朝のことだった。
空には厚ぼったい雲が広がり始め、昇ったばかりの真っ赤な朝日が周りの雲とその下に広がる街を不吉な赤い色に染めていた。
古来より朝焼けの時は天気が下り坂に向かうといわれてきた。実際は必ずしもそうではないが、雲の様子やこの異様な蒸し暑さは雨が降る前兆であろう。
その朝焼けに染まった、まだ早朝の人通りのない歩道を、1人のホームレスがとぼとぼ歩いていた。
彼は、この界隈のホームレスの中でも特に古参であった。彼が何故人生をドロップアウトして、このような境遇に墜ちてしまったのかは誰も知らない。
その隠者のような風貌には深い皺が刻まれており、何かを諦めたような顔にはむしろ達観したような風情すら感じられる。
彼は、日課のように早朝から歩き回るのだが、今日もそれは変わらないはずだった。
ふと、彼は道路の路肩よりにペットボトルが落ちているのを見つけた。
中にはベージュ色の液体が入っており、フランス語とカタカナで「カフェ・オ・レ」と書いてあった。彼はそれを拾おうと、ゆっくりのそのそと近づいた。ところがさっきまで路肩駐車していたトラックが急に走り出し、ペットボトルを踏みつぶして去っていった。
ベージュ色の液体があたりに飛び散り、彼にも大量にかかってしまった。
彼は恨めしそうにトラックの後ろ姿と潰れたペットボトルを一瞥すると、ふうとため息をつき、またとぼとぼと朝焼けの中を歩き始めた。
場所は、九州はF県K市の繁華街近く。
日が昇るにつれ、日差しが街を照らしたがそれもつかの間のこと、8時頃になると、もう空は雲で覆われ、大粒の雨が降り始めた。雨は飛び散ったペットボトルの液体を綺麗さっぱり側溝へ流してしまった。
しばらくすると、あまりの大雨に雨水が充分捌けず路肩脇に溜まってきた。
その水溜りに件の潰れたペットボトルが、誰にも気に留められず、ぷかぷかと浮いていた。
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