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2.急転 【幕間】ある日の平穏な休日

 夕方、ギルフォードに送ってもらって部屋にたどり着いたのは、渋滞もあって十八時を過ぎていた。もやもやを抱えてダウン気味の気持ちを上げるために、夕食はすこし凝った料理を作った。気合の入った夕食を堪能した後、気晴らしにブログの更新をしようとPCを立ち上げたが、今日のことは当然書けないし、かといって他にネタも思いつかないので断念した。ジュリアスや黒岩の死以降、ブログは滞りがちになり、よって、アクセス数も減少していた。
 由利子は気を取り直して、昼間考えていたメモをクラウドから引っ張り出して見直し、加筆作業に入った。
 ふと気づいたら、二十四時が目前となっていた。
「ユリコ、夜更かしは良くないです。夜十二時すぎないよう気を付けてください」
 ギルフォードの注意が脳内再生され、由利子は切りをつけて作業終了し、入浴することにした。
「気遣ってくれるのは嬉しいんだけどなあ、最近過保護気味だと思うよ」
 気が付くと、独り言で文句を言っていた。

20XX年10月6日(日)

 軽い体操をしてから布団に入ると、睡魔が………襲ってこなかった。昼間のもやもやがよみがえり、記憶が再生された。

 帰りの車中で、後部席に座った由利子にギルフォードが尋ねた。
「どうしたんですか、ユリコ? ずっと喉に骨が引っかかったような顔をしてますけど」
「え? そんな顔してた?」
 由利子は横に座った紗弥に訊くと、紗弥も頷いて答えた。
「ええ、PCでメモ帳に書きながら、時折真剣な表情をした後ため息をついたりしていらっしゃいましたわ」
「ユリコはすぐに顔に出ますからね。なにか気にかかることでもあるのですか?」
 ギルフォードに言われて由利子の気持ちが少し動いたが、その疑惑の意味することの恐ろしさに、由利子は話すことが出来なかった。ギル研で講演会での出来事を話した時も、葛西は重要なことと思わなかったのか、その件に触れてさえいなかった。由利子はまさに小骨のようにずっと引っかかっていたものの、あえて言うことをしなかった。いや、言えなかった。黒岩にとってデリケートな話である上、どう説明していいかわからなかったということもあった。
「あー、実は教主サマのご尊顔がはっきりと思い出せないのが悔しくってさ、ずっと思い出そうとしていたんだ。だからじゃないかな?」
 実のところ、教主の顔のことは黒岩の件が衝撃過ぎて、それに埋もれて考えてもいなかったのだが、ギルフォードは納得したようだった。
「大丈夫ですよ。何かのはずみで不意に思い出すこともあります。それに以前、本人に会うことがあればわかる、とも言ってましたでしょう?」
「うん、そうだね。会うチャンスはもう二度とないかもだけど」

 正直、二度と会いたくないと思っていた。うっすら残る記憶では、たしかに、まれにみる綺麗な顔をした男性だったと思う。特に眼が印象的で曇りのない何か宝石を思わせるようだった。口元も所作も上品で育ちの良さを感じさせた。そして、心に染み入るような清い声。信者が彼に心酔するのは当然のことのように思えた。
 だが、由利子はその裏にある、得体のしれない不吉な影を感じ取っていた。今度会ったらきっとヤバいことになる。思い出してはいけない。
 彼の顔を思い出そうとするたびに由利子の直感が警鐘を鳴らす。そして、由利子の脳裏にある言葉が浮かんだ。

邪神

(そんな馬鹿な) 
 由利子は寝返りを打って、掛け布団をかぶりなおした。しかし、やはり寝付けない。 時計を見ると、丑三つ時をとっくに過ぎていた。
 どうせ、今日は日曜日だ、居直って酒でもかっくらって寝なおそうかと思ったが、生憎アルコール類は、料理酒と味醂くらいしか家に置いていなかった。料理酒は本物の清酒のを買っているし、味醂も飲んだら甘くておいしいと聞いたことがあるが、さすがにそれらをを飲むのはどうかと思い、あきらめた。スマートフォンでyoutubeの動画を聞き流したら寝られるかと思い、壮大な宇宙の話を聞いてみたが、宇宙の色々が気になって余計に目がさえて眠れなくなってしまった。しかも、番組をぶった切って入った広告が商品のPRかなんかで、なかなか終わらない。
「だーーーっ! CMで一番組やるなーーー!!!!」
 由利子はイラついてスマートフォンの電源をぶち切った。
 おかげでもう、イライラMAXで眠れそうになくなってしまった。
 仕方がないので、トイレに起きて、それからもう一度軽く体操をして、改めてベッドに入ってゴロンと横になった。しばらく目をつぶってじっとしていると、猫たちがそっと寄ってきて、にゃにゃ子は足元で、はるさめは布団の中に潜り込んで胸元で落ちつき、早くも眠りの体制に張入った。由利子が布団でイライラしながら、しょっちゅう寝返りを打っていたので近づけなかったのだろう。
 猫たちの心地よい重さとぬくもりを感じて安心したのか、由利子はいつの間にか眠っていた。

 昨夜、寝付けなかったため、由利子が起きたのは八時を過ぎていた。慌てて起きると、猫たちもまだ寝ていたらしく、驚いて飛び起きた二匹はそのままベッドの下に飛び降りた。
「ごめんごめん。すぐにご飯にしようね」
 由利子は急いで着替え始めた。

 ジョギングから帰った由利子が朝食を食べていると、携帯電話にショートメールが入った。最近周囲に、不便だからいい加減ガラケーから脱皮しろと再三言われ、先日ようやく買い替えたのだった。
 急いで確認すると、葛西からだった。せっかくの休みに申し訳ないが、今日午後に会えないかということだった。ギルフォードから、由利子が葛西に聞き込みをしてほしいことを考えていると聞いて電話したらしい。
 午後、迎えに来た葛西に連れられて行ったのは、県警のSV対の会議室だった。
 由利子が入室すると、すでに松樹と早瀬、そして青木が待っていた。青木だけではなく、幹部クラスが来ていたことに、由利子は恐縮して挨拶をした。
「松樹対策本部長、早瀬隊長、ご無沙汰しております! それから青木さん、こんにちは。病院以来かな?」
「まあ、堅苦しい挨拶は置いといて、こっち来て座って」
 松樹が笑顔で前列の席を指し示した。由利子が座ると、松樹が横の列の椅子を引っ張り出して、由利子の方に向かって座ると言った。
「篠原さん、葛西部長たちと一緒に聞き込みをやってみないか?」
 突然の提案に、由利子は驚いた。
「え? でも私、警察官じゃあ……」
「だけど、SV対タスクフォースの一員でしょ?」
「はい。確かに末席に置かせていただいていますが」
「謙遜しなくていいよ。意味なく民間人を一員にするような甘いものじゃあない。君はよくやってくれている。昨日も葛西君と例のカルト教団にかちこんだそうじゃないか」
「カチコミじゃないです。たまたま講演会の情報を得て、たまたま教主に会うことが出来て……」
「たまたま、ね」
 松樹が意味深につぶやいた」
「?」
「ああ、気にしなくていい。とにかく、君は捜査に加わることが可能だ。すでに許可も取ってある。身分証も作っておいたから、これだけは忘れずにつけて行ってね。はいこれ」
 松樹は、身分証の首掛け紐をもって、ぶらぶらさせながら由利子の手に渡した。
「あ、あの、まだ気持ちの用意が……」
「大丈夫、君ならやれる。じゃあ、僕はこれで。早瀬君、後は頼んだよ」
 そう言い残すと、松樹はさっさと会議室から出て行った。
「相変わらず、忙しい人だ」
 早瀬が苦笑しながら、松樹の出て行った方を見て言った。
「まあ、そういうわけだから」
 早瀬は由利子に向き直りながら言った。
「明日から早速任務についてほしい。打ち合わせをするので、明日朝九時に、ここ来てくれ。捜査したいという内容を書いた紙はもってきているか?」
「はい」
 そう答えると、由利子はバッグからファイルを取り出して早瀬に渡した。
「ありがとう。目を通しておくので、明日、優先順位などを話し合おう。休みの日に呼び出して悪かったな。あとはゆっくりしてくれ。そうだ、君たち、昼食は食べたか?」
「はい」
 三人が異口同音に答えたので、早瀬はすこし表情を緩ませた。
「じゃあ、私とお茶でもしないか?」
「いいんですか?」
 由利子が驚いて言った。ほかの二人も顔を見合わせている。
「生憎、ここ(県警本部)のカフェでだが、あそこなら、あまり周りを気にせず話せるからね。篠原さんとは以前、一度会ったきりなので、少しフランクに話をしてみたくてね。葛西君たちとも話したいし」
「ありがとうございます」
 由利子が即答すると、若干戸惑っていた二人も頷いて、代表して葛西が答えた。
「お言葉に甘えて、僕らもご一緒させていただきます」
「はは、これからはプライベートな時間だ。そんなに堅苦しくしなくてもいいから。篠原さんも、敬語はいいよ。部下じゃないし、なにより同い年だし」
「ええっ、ってことは同学年? 早生まれ?」
「同学年だよ。なのでこれからは、ため口でよろしく」
「今更って気がするけど、がんばってみる」
「まあ、無理にがんばらなくていいけどね。さあ、みんな、行こうか」
 早瀬はそういうとさっさと歩き始めた。
「はい」
 青木は答え、由利子は早速「行きましょう!」と言って、早瀬の横に並んだ。
「お二人とも、気が合いそうですね」
 青木は嬉しそうに言ったので、葛西も「そうだね」と答えたが、以前九木が言った『彼女が警察官になっていたら、今頃は君の上官だぞ』ということを思い出して複雑な気分だった。

「お茶会、楽しかったねえ。早瀬さんって、あんな気さくな人だったんだ」
 帰りの車の中で由利子が言った。
「そうですね。でも、僕にはまだ怖い人です。でも、すごく尊敬できる人です」 
「そっか、いい上司なんだね」
「ええ、素晴らしい上官だと思います」
 そう答えながら、葛西は紀の別荘での出来事を思い出していた。
私はこれ以上、警察官の犠牲を出したくない。職務上、そうも言っていられないことも起きるだろう。だが、無茶はするな。……頼む』
 そして、一緒に玄関から外に出て見上げた空の美しさ、そして、早瀬の厳しいような切ないような横顔……。それは、早瀬の言葉とともに葛西の心に染み入っていた。
(それなのに、そのすぐ後にジャンキー相手に負傷してしまって、お見舞いに来た隊長に青木共々大目玉くらったっけ)
 葛西は思い出してクスッと笑った。
「こーら、葛西。何一人で笑ってんのよ」
 由利子に左頬を人差し指でぐりぐり突かれて、葛西は焦った。
「もう、運転に支障をきたしますって」
「白状しろ、葛西」
「わかりました。わかったから突っつくのをやめてください」
 観念した葛西は、簡単にその時のことを話す羽目になった。

 その後、由利子のマンションに着いた二人は、まだ少し早いので葛西の車を近所の百円パーキングに止め、近所を散策することにした。
「せっかくだから、私のジョギングコースを歩いてみない?」
「いいですね」
 葛西は同意し、二人はマンション前の歩道を歩き始めた。

 川沿いの道まで来ると、川辺の並木が風に揺らぎ、小鳥の声と餌を狙う水鳥の姿が川の中に点在していた。
「緑が多くて良いところですね。川もよく整備されているし」
「まあ、梅雨時とかの集中豪雨でしょっちゅう決壊してたからね。ウチはすこし川から離れているし部屋も五階だから、洪水は大丈夫だけど、停電したらもう大変で」
「そうですね。最近の気候はかなり変だし」
「そうだね。十月になったのに、全然秋の気配はないし」
「あの教主が言ってたように、気候変動は始まっているのかもしれませんね」
「そうだね。彼の言っていることは正しいと思う。でもなあ」
 由利子がそう言った時、さあっと風が吹き抜けて行った。
「まあ、川っ風のせいか、今日はちょっと肌寒いけど」
 そういうと、由利子はすこしぶるっと震えた。
「昼間の軽装のままですからね}
 葛西は上着を脱いで由利子の肩にかけた。
「うわぁ、アレクみたい。ありがとう」
 照れ隠しだろうか、由利子はすこし茶化し気味に礼を言った。
「でも、葛西君は寒くないの?」
「僕はこれでも鍛えてますからね。多少の寒さは大丈夫です」
「確かに、細マッチョ」
 と言いながら、由利子は葛西の二の腕を両手で掴んだ。
「そ、そろそろ帰りましょうか」
 顔を赤らめて葛西が言った。由利子も、ついぶしつけなことをしてしまったと真っ赤になって答えた。
「そうだね」
 二人はゆっくりと歩いて、来た道を引き返して行った。

 その頃、ギルフォードは久しぶりに自宅での休日を満喫していた。
 早めに起きて、軽い英国式朝食を済ませ、ジムでひと汗をかいてプールで軽く泳いだ。その後、部屋を掃除して、午後は新しく通販で買ったミステリーを読んだ。仕事とはかけ離れた完全に趣味の本を読むのはどれくらいぶりだろう。
 読書に没頭していたら、いつの間にか夕方になっていた。
 ギルフォードは背伸びをすると、久しぶりに夕食は自分で料理しようと冷蔵庫の中を確認した。ーーーあまり大したものは残っていなかった。しかし、今更買い物に出るのもおっくうで、冷凍した牛の塊肉があったので、ありあわせの野菜でシチューを作ることにした。本格的なシチューを作りたかったが、材料は乏しかったし、時間もかかる。それで、市販のルーをストックしていたので、祖母直伝のビーフシチューはあきらめ、それを使うことにした。
〝これはこれで旨いんだ”
 彼はつぶやくと、いつもの黒のストレートジーンズと白い半そでTシャツの上に黒地に赤く「the men in black」というロゴが斜めに入ったエプロンを身に着け、調理作業に入った。
 切った野菜や肉を炒めていると、携帯電話(スマートフォン)に着信があった。見ると、ショートメールで名前はShogo Tsuzukiとなっていた。
〝ショーゴ?”
 ギルフォードはしばらく考えていたが、誰だか思い出すと、嬉しそうに画面を開いた。 

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