2.急転 (5)グレート・エクスティンクション
長沼間は武邑に車に乗せられ、一時間ほどのドライブ後に碧珠善心教会のF県支部に連れていかれた。
一見普通のビルだったが、中に入ると大理石の豪華な壁の吹抜けのエントランスがあった。その壁を一人の男が興味深そうに見つめている。武邑が男に声をかけた。
「長兄さま、そんなところにいらしたのですか」
「武邑、早かったですね」
「仰せの通り長沼間を連れてまいりました」
「ご苦労様。さて、お客様をお連れいたしましょう。では、長沼間様」
教主は長沼間に笑みを向けて言った。
「私についてきてください」
「ああ」
長沼間はそっけなく答えたが、その表情の奥に警戒心と嫌悪の感情がにじみ出ていた。
エントランスにはエレベータが二基ずつ向い合せに計四基設置されており、そのうちの一基のドアが開いた。教主はすっとその中に入り長沼間と武邑がその後に続いた。目的階に着く間、武邑が尋ねた。
「長兄さまは何を真剣にご覧になっていたのですか?」
「大理石には碧珠……この星の歴史が刻まれています。それは繁栄と絶滅の歴史です。先ほどはオルドビス紀の生物の化石を見つけました」
「オルソセラスあたりか?」
「長沼間様、正解です。今から約四億五千万年前の生物です」
教主は満足げに微笑んで言った。その時、エレベーターが止まり、ドアが開いた。
「着きました。さあ、行きましょう」
教主は振り返り様に言うと、歩き始めた。
案内された部屋の前には、黒スーツの女性二人が立っていた。彼女らは教主の姿を認めると、さっと左右に身を引いた。長沼間は彼女らの身のこなしから、かなり訓練された兵士だと直感した。
(これは迂闊に動けんな)
長沼間の心に警鐘が鳴り響いた。と、ドアが開いて中から白スーツの女性が現れた。教主はにっこりと微笑むと部屋に入って行った。女性は長沼間と武邑を招き入れ、扉が閉まった。
長沼間は武邑と共に、ソファに座り待つ事数分間、教主が再び彼らの前に姿を現した。先ほどのスーツの上に紫布に金糸で刺繍(ししゅう)が施された長衣を纏っている。彼は優雅に長衣の裾を広げ長沼間たちの前のソファに座ると、微笑んで口を開いた。
「長沼間様、……警部補殿の方がよろしいでしょうか?」
「長沼間でいい」
教主の問いに長沼間がぶっきら棒に答えた。教主はふっと笑うと話をつづけた。
「改めて自己紹介いたします。碧珠善心教会教主、白王清護と申します。信者たちの全ての兄として、長兄とお呼びください」
「信者でもないのに、俺がそんな呼び方する必要はないだろう。俺に用があるならさっさと本題に入ってくれ」
長沼間が不機嫌に答える。すると横に座った武邑が、今まで見たこともない憎悪の表情で長沼間を見て言った。
「長兄様の御前です。無礼は控えてください!」
「武邑、私は長沼間様とお話をしているのですよ」
「しかし……」
「武邑。この方と暫しお話がしたいと思います。その間席を外していただけませんか?」
「でも長兄さま……」
「わかりませんか、武邑?」
そう言うと、教主は武邑を見つめた。その声音は穏やかで表情は笑顔だが、一瞬にして武邑の表情がこわばり青ざめた。
「承知いたしました。失礼いたします」
武邑は立ち上がり深く一礼すると、部屋を出て行った。教主が微笑んでそれを見送るのを見て、長沼間が不審そうに尋ねた。
「いいのか? ボディガードを追い出しちまって」
「何をおっしゃいます。武邑があなたにかなうはずないでしょう。それに、万が一のことがあれば、扉の前に居た女性たちがすぐに駆けつけてきます。彼女らはあなたや鷹峰紗弥さんと同じくらい強いですよ」
「まあ、殺気がすごかったからな」
長沼間が相打ちを打つと、教主は満足げな笑みを浮かべながら長沼間に言った。
「さて、暫し私の話を聞いていただけますでしょうか?」
「なる早で頼むぜ」
「意外と軽薄な言葉をお使いですね」
「asapの方がよかったか?」
「存外面白いお方なのですね」
教主はくすくす笑ったが、すぐに真顔になって言った。
「では、先ほどの化石のお話の延長をいたしましょう」
「それが関係あるのか?」
「地球の歴史上、これまでに五回の大量絶滅があったのをご存知ですか? 最初は先ほどのオルソセラスがいたオルドビス紀末……」
「次がデボン紀後期で三回目がペルム紀末。これは史上最大の大量絶滅と言われている。四回目は三畳紀末、五回目が恐竜絶滅で有名な六千六百万年前の白亜紀末だ」
「正解ですが、一気にまくしたてましたね」
「戯言はいい。さっさと本題を話してくれ」
「もう本題に入っていますよ。長沼間様は、今が六回目の大量絶滅のさなかだということはご存知ですか?」
「ああ、野生動物の絶滅が加速している。ニンゲンによる環境破壊でな。だが、そんなことは半世紀以上前から言われていたことだ。代表が『沈黙の春』だ」
「このままだと未来の教科書には第六の大絶滅だと記載されるでしょうね。果たしてそれが人類の教科書かどうかはわかりませんが」
「ヒトも元より自然発生した『野生動物』だからな」
「人類はとっくにそれがわかっているのです。だから二酸化炭素削減やSDGs等の対策を始めました。だけど、人類が今のまま生息しているだけで、環境破壊は止まりません。そもそも二酸化炭素による温暖化問題が大きく取り上げられるようになったのは1985年のフィラハ会議からです。それから四半世紀超えても深刻さは増すばかりです」
「そりゃあ、いままで環境汚染しまくってた先進国がいくら『世界中のみなさん二酸化炭素排出を抑えましょう』と言ったところで、不公平だろ」
「そうなるのは判りきっていたことです」
「で、おまえさんはヒトが絶滅すべきって考えなんだな」
教主はクスクス笑うと言った。
「おまえさんと呼ばれたのは初めてすが、新鮮ですね。でも武邑を下げててよかったです」
「俺もああいう武邑をみたのは初めてで新鮮だったがね。で、俺の質問に答えていただきたいんだが? 長兄さま?」
「あなたのおっしゃる通りです。碧珠のためにはヒトという種は必要ないと。でも、絶滅してもらうと原発や遺体の処理など後々困ることもありますから、産業革命以前の人口に戻るのが最適解だと思っております」
「それで、人間だけが罹る致命的な病原体を撒く計画を進めているわけだ」
教主はそれを聞くと一瞬目に動揺が走ったが、すぐに微笑みを浮かべて言った。
「おやおや、そんな絵空事をおっしゃるとは。そもそも私共のようささやかな宗教団体にそんな大それたことができるでしょうか?」
「O教団が何をやらかしたか知ってるだろ?」
「彼等とは規模が違いますよ。私共は信徒の方々から頂いた浄財をもとに、さまざまな施設をつくり社会に貢献しているだけです。たしかにその中には医療施設もございます。でもそれだけで、あらぬ疑いをかけるのはやめていただきとうございます」
「公安なめんな、と言いたいところだが、確信を持ったのはキング先生が殺されて渡米した時だ。実は、ある人物から色々情報をうけてな」
「はて。あなたはアメリカから情報は得られなかったとおっしゃってらしたそうですが」
「やはり筒抜けか。そのとおりさ」
長沼間は芝居がかった様子で両手を広げて言うと、続けた。
「情報は受けたがその証拠はない。全て|極秘事項《EYES ONLY》だったからな。馬鹿正直に報告したって信じてもらえねえよ」
「賢明ですね。そのとある人物とは、デスストーカーさん……ですよね」
「その仇名は本人に直接言わない方がいいぞ。気にしてるようだからな」
「しかし妙ですね。あの方はギルフォード先生の天敵とお伺いしていますが」
「まあ、いろいろあるんだろうが、あいつらにとっては|アメリカ合衆国《USA》の国益が優先されるからな。とばっちりが来る前に抑え込みたいんだろうが、やったら黒塗りされた書類を見せられたよ」
「それで、あなたはそんな米国の言うことを真に受けるのですか? あまつさえ、ギルフォード先生の天敵からの情報を?」
「さっき言ったとおり、連中の考えは至極シビアだ。それに、俺の調査に照らし合わせても矛盾はなかった。あんたの所に潜入して連絡を絶っている同僚、彼等からの情報もな」
教主は長沼間の言うことに頷くと、笑顔で言った。
「そろそろ、腹蔵ないお話し合いをいたしましょうか」
「それは助かる。このままだと夜明けまでかかっちまうからな」
「長沼間様は、妹さんを先ほど話題の教団が起こしたサリン事件で亡くされていますね」
「そんなことはちょっと調べればわかることだ」
「私は霊視ごっこをするつもりで言ったのではありませんよ。事実を言ったまでです」
「おまえさんは、アフリカでアレクサンダー……ギルフォード教授と共に生き残ったサバイバーだったな」
「そのとおりです」
「それを教授にカミングアウトした時(第3部第2章11話)は、都築M&L商会の都築翔悟と名乗っていたそうだな。なぜ、宗教団体の代表だと言わなかったんだ?」
「よくご存じですね」
「H駅爆破事件の時、感対センターの防犯カメラも精査したからな。まさか、あれがおまえさんとは、ここに来るまでわからなかったがね」
「そう……でしたか。迂闊でしたね。一目でもお会いしたいと思ったのが仇になりましたか」
そう言いながら教主の表情が柔和になり、やや控えめな口調に変化した。
「前もってお断りしておきますが、あれは兄の会社で、そのつながりで私は取締役で共同経営者をさせていただいております。ですが、それだけで、我が教会が携わっているわけではありません。我が教会とはまったく関係ありません。兄の会社はそっとしておいてください」
「それはこちらで判断する。で、正体を明かさなかったのは何故だ?」
すると、教主の表情がまた変化したのを長沼間は見逃さなかった。
「正体とは人聞きの悪い。私は信徒以外に教主として姿をみせることが出来ませんから、一般人としてもう一つの顔が必要なのです。それに、教授は宗教アレルギーでいらっしゃるようですから、私が教主だと知れば警戒されてしまうでしょう?」
「まあ、多分そうなるだろうな。あいつは良くも悪くもおぼっちゃまだ」
「ご理解いただけましたか?」
「腹の探り合いはもういいだろう。何故俺をここに呼んだのか教えてくれ。前もっていうが、取り込もうとしても、俺は結城や武邑と違って手ごわいぜ」
「承知しております。それでも私はあなたとお話がしたかった。あなたも教授も、私と同じ思いをされたと思うから」
「同じ思いか……。実はな、お前さんの話を聞いていてふと思ったんだが、ひょっとしてお前さん、世界を道連れにするつもりなんじゃないのか?」
長沼間は静かに教主の目を見ながら問うた。とたんに教主の顔から優しい笑みが消え冷やかな微笑に変わった。彼は長沼間の視線から目をそらさず、むしろ見据えて言った。
「では、お聞きしましょう。長沼間様は妹さんを亡くされた時何を思いましたか? たった一人の肉親を奪われてた時の耐え難い喪失感の中、この世など滅びてしまえばいいと思ったことはありませんか?」
「そりゃあ思ったさ。しかも、あんなとんでもない事件だったのに、あっという間に時に流され埋もれていく。教団は分裂したものの無くならず、信者を増やしていく。妹は何のために死んだんだ。ささやかだが幸せな人生を歩むはずだった。俺の足元は崩れかけ深淵をのぞかせていた。苦しかったし、この世も呪ったよ。こんな世界など滅びてしまえってね。いや、今だって思っているかもしれん」
思い通りの答えが返ってきたせいか、教主はにっこりと微笑んで言った。
「私とギルフォード教授は、共に地獄を見ました。それでも、多くの方たちが手を差し伸べて下さり、何とか生き永らえました。一緒に疫病と戦った村人たちも救われました。それなのに、くだらない理由で彼等は国ごと消されてしまいました。しかも、宗教の名のもとに……。愚かなことに、今も神の名のやイデオロギーの下で争いが絶えません。そんなくだらないことで大地は穢され疲弊し、ヒトだけでななく、それ以外の生物たちが巻き込まれ絶滅あるいはその危機に瀕しています。要らないんですよ。ヒトの支配する世界は」
「おいおい、それを笑顔で言うか? おまえさんこそ一端(いっぱし)の宗教家だろう? クソどもと同じところに堕ちてどうするよ。以前は志があったのかもしれんが、今のおまえさんは、俺を地獄に叩き落したやつらと同類なんだよ」
長沼間が揶揄したが、教主はそれに答えずに続けた。
「このままだと近いうちに核兵器がさく裂しますよ。そうなると報復合戦が起き、碧珠の環境は激変しましょう。そうなる前になんとかしなければなりません。時間がないのです」
「おいおいおいおい、いつのSF小説だよ」
「私は大真面目です。実際、滅亡時計はその頃よりさらに零時に近づいています。……私はあの時死に損ねた。生死をさまよったせいで、私の中のシャーマンの血が目覚めたのでしょう。その頃から繰り返し夢をみるようになりました。荒れ果てた大地に私がただ一人立ち尽くしている夢を。不気味な空、燃える大地、焼けた肉や炭化した木々の匂いや腐臭が漂い、時折吹く強風がそれらを舞い上げる。熱、におい、体に当たる風の痛み……、すべてがリアルで……。私は理解しました。それは碧珠が私に見せている、そう遠くないこの世界のビジョンだと。碧珠が、その覡(みこ)である私に送るSOSなんだ、と」
「それで、ヒトだけに致死的な病原体を作って、人口削減をもくろんでいるということか? この国を起点として?」
「おや、病原体とおっしゃった。ウイルスでなく?」
「だからどうした?」
「あなたはどこまでご存じなのでしょう。もう、すんなりとお帰しすることはできなくなりました」
「端(はな)っから一ミリも帰す気はなかっただろうが」
「あなたは今から私のダークマターとして動いてもらいます」
教主はそう言うと腰を上げ、テーブルから体を乗り出すと長沼間に顔を近づけじっと目を見据えた。
「だから、俺はそう簡単には落ちないと言っただろう。催眠術も薬物も俺には効かん」
長沼間は教主と目を合わせたまま泰然と言った。
「それに、俺だって無策で敵陣にきたわけじゃない。俺が一定時間たっても戻らなかった時は突入するよう、そろそろこの建物を部下たちが囲んでいるところだ」
「そうですか」
教主はふっと笑って何事もなかったようにソファに座りなおした。
「では、これはどうでしょう?」
教主は余裕の笑みを浮かべて言った。
「遥音先生、ここへ」
すると、すぐに隣室の扉から白衣の女性が姿を現した。長沼間はそれを一瞥すると、軽口をたたいた。
「なんだ? 拷問の名人でも連れてきたのか? 女医と警察官の拷問プレイとか性癖が陳腐すぎるぜ」
「何をおっしゃいますやら。彼女は優秀なお医者様ですよ。もっとも、今は人間ではなく碧珠の治療に専念していただいておりますが。では、遥音先生、この方にあなたの研究成果をみせておあげなさい」
「はい」
遥音は頷くと、教主の机からリモコンを取り、スイッチをいれた。壁に飾ってあった大型の額縁の絵が消え、モニター画面になった。そこに二つのウインドウが開き、それぞれに男性が解剖台に寝かされている映像が映った。二人の顔がアップになると、長沼間の表情が固まった。
「前崎! 川村!」
「彼らは田中と鈴木を名乗り、最後まで口を割りませんでしたが、やはりあなたの手の者(潜入捜査官)でしたか」
「きさま、こいつらに何をした? どうやったらこんな……、いや、まさか……」
「あの病院(感対センター)で似たようなものを見たことがあるかと」
「連絡が断たれたんで、生きてはいまいと諦めていたが……、あんたら、こいつらをモルモット代わりに……」
「碧珠を守るための尊い犠牲ですよ。貴重な資料を遺してくださいました」
「きさま……!」
「ようやく本気になってくださいましたね。それではこちらはいかがでしょうか?」
教主は手を挙げてパチンと指をならした。その後、遥音医師が入って来た扉の方が騒がしくなり、それがだんだん近づいてきた。そして扉が開くと椅子に拘束された男がスーツ姿の大柄な女性たちに囲まれて姿を現した。その顔を見て長沼間は驚いた。
「結城!?」
長沼間の様子を見て、教主は満足そうな笑みを浮かべて言った。
「そうです。結城俊、本名は東堂誠一、あなたの後輩ですね」
「今はあんたの手駒だろう。ようやく長旅から帰って来たんだろうに、なんでこんなことになっているんだ?」
さすがの長沼間も動揺を隠せず、ソファから立ち上がりかけて言った。
「そうです、長兄様! 私は仰せの通りにウイルスをばら撒き、その後も捜査を攪乱していきました。それなのになぜ……?」
「結城、あなたはウイルスを私怨を晴らすために利用しました。さらに、計画にない多田美葉を誘拐してしまった。あなたの無計画な行動のために私の計画が少しずつ狂っていきました。あなたはその負債を払わねばなりません」
「そんな……。お許し下さい、長兄様。せめて、せめてもう一度チャンスを……!!」
「残念ですが……。では、遥音先生、お願いします」
教主はそう言いながら、遥音医師にテーブルの上においてあったケースを目で指示した。遥音医師はそのふたを開けると注射器が二本入っていた。その中から一本を取り出し、結城にゆっくりと近づいて行った。
「りょ、涼子……」
結城は能面のような無表情で近づいて来る妻を見て恐れおののいた。
「何をするつもりだ? 僕がだれか判らないのか? 結城だ、結城俊だよ、君の夫じゃないかッ!!」
「なんだって?」
それを聞いて長沼間も驚いた。
「この女医さんと結城、いや、東堂が夫婦だって?」
「そう、彼は我が教団に入心する時に遥音先生と結婚されたのです。その後、碧珠を守るという誓いと共に、私の結成した組織『タナトス』に入っていただきました」
「タナトス……。やはりそれがテロ組織の名前か」
「テロ組織とは人聞きの悪い。碧珠を人類から守るガーディアンですよ」
「中二病かよ」
「なんとでも。さあ、遥音先生」
教主は躊躇なく遥音医師を促した。
「招致致しました」
遥音医師は無表情で結城に近づいて行く。
「やめろ、やめてくれ!!」
結城は必死にもがいたが、拘束されている上に女たちから押さえつけられ、身動きが出来ずシャツの前をはだけた状態になった。
「いいかげんにしねえか? 俺にはそんなもん鑑賞する趣味はねえと……」
長沼間がげんなりしながら言いかけて、ふっと嫌なことが頭をよぎった。
「おい、その注射器の中、ひょっとして……」
「そうですよ。お察しの通り、サイキウイルスの最新株です」
「まて、多少命令違反があったかもしれんが、何年もあんたのために単独で働いて来た信徒だろう? あんまりじゃないか?」
「彼は最後に身をもって碧珠に尽くすのです。これは光栄な事なのですよ」
「んなわけあるか」
「多くの信徒は進んで受け入れてくださいました。私と同じ苦しみを経験したいと」
この言葉で長沼間の脳裏に、院内感染後、死に赴きつつあった時の園山看護師を思い出した。
「園山修二ってヤツを覚えてるか?」
園山看護師の名を聞いた教主は、一瞬邪悪な表情になったがすぐに悲しそうな表情に変化し言った。
「先生、少しだけ待ってください。……ええ、覚えておりますとも。ずいぶんと役に立ってくれましたが、最後の最後に裏切られてしまいました」
「あいつはな、最後まであんたらをかばっていた。あいつは俺たちにとっても裏切者だったが、事実、献身的な看護師だった」
「可愛そうに、彼は奈落の底に落ちてしまいました」
「生憎、やつは救われたよ。アレクサンダー君のおせっかいでね。あんたなんかに引っかからなきゃ、看護師としてまっとうな人生を送られただろうに」
「残念ですが、碧珠を裏切った者には救済などありませんし、私の信徒たちには今の会話は響いていませんから」
教主は冷たく言い放つと、勢いよく立ち上がって言った。
「遥音先生、続けてください」
鶴の一声で遥音医師はまたゆっくりと動き始めた」
「涼子! 頼む、やめてくれ!!」
「おい、先生、旦那だろ? 許してやれ!!」
長沼間も不本意ながら一緒に許しを乞うたが、遥音医師をとめることは出来なかった。止めようと長沼間が立ち上がった時、結城の右肩に注射針が刺さり、結城の悲鳴が響いた。
「貴様ァ!!」
仲間の映像が重なり、一瞬理性が飛んだ長沼間が立ち上がって叫んだ。女性二人が鋭い目で長沼間を見た。教主は長沼間の方を向き、にっこりと微笑んで言った。
「もうひとつお教えしましょう。蛾にあなたの部下を襲わせたのは私の指示です」
「貴様!!!!」
その一言で長沼間の理性が完全にふっ飛び、教主に掴みかかろうとした。しかし、あっという間に女性二人に取り押さえられ床に押さえつけられた状態になった。普段ならあり得ない大失態である。
それを見下すように教主が近づいてきて長沼間の目の前に片膝を立て座った。
「あなたが理性を失うのを待っていました」
教主は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、長沼間の目を見据えた。
長沼間さんが、錦織さんにっ!
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