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3.暗転 (3)朱(あけ)の駅

 黒岩は恐怖と闘いながら、自分が何をすべきか考えていた。
 この男が何を企んでいるかわからないものの、感染した状態でこのような人口密度の高い駅にいるということは、彼の意図に関わらず感染が広がることは必至である。そして、黒岩は降屋が大事そうにバッグを抱えていることから、最悪の展開を予想していた。電話の向こうでは由利子が必死に逃げろと叫んでいる。しかし、ここで自分が逃げたら、この男はまた姿をくらまし、さらに被害が拡大するだろう。黒岩は、ゆっくりと迫ってくる男から殺意を悟り、じわじわと後退りながら、由利子に言った。
「篠原さん、娘に! ごめんね、ずっと見守ってい…」
 しかし、言い終わらないうちに降屋は黒岩からスマートフォンを奪って力任せに床に叩きつけた。由利子との電話が途切れたのはその衝撃のせいだった。それに驚いて降屋の方を見た女性が、彼の顔を見て悲鳴を上げた。
「な、なに、あの人の顔!」
「ま、まさか?」
「サイキウイルス!? うそっ!」
「きゃああ!」
 それとともにあちこちで悲鳴が上がった。しかし、不審な表情で声の方向を見る者もいたが、多くの通行人は特に関心も示さず行き交っていった。悲鳴を上げた者たちも、徒にオロオロして黒岩たちの様子を見守っている。黒岩は、降屋が悲鳴にはじかれたように、ジャケットのポケットに手を入れるのを見ていた。彼の意図を悟った黒岩は咄嗟に叫んだ。
「みんな、ここから離れて! 急いで!」
 それと同時に先に悲鳴を上げた者たちが我に返り、出口に向かって走り出し、周囲も異変に気づきざわめきが起こった。
「え? 何?」
「サイキウイルスとか言ってなかった?」
「殺人ウイルスだ! 感染ったら血を吐いて死ぬぞ!!」
「とにかく、逃げよう!」
 人々がようやく事態に気付き逃げ始めた時、ドンという音と共に閃光が走った。

 葛西たちは、警察官詰め所で半ばぐったりして休憩していた。今日は祭りの警備で振り回されっぱなしだったからだ。スポーツ飲料を飲み終え、ペットボトルをゴミ箱に捨てながら九木が言った。
「まあ、高熱の原因がインフルエンザで良かったじゃないか」
「キットで一発でわかりましたからね」と、濡れたタオルを被ったまま葛西が言った。「しかし、あれだけ『発熱した人は自宅待機して保健所の診断を受けるということを告知して、守れない流れは出場停止になる』と念を押していたのに、無理して出ようとする者がでてくるんですよね」
「気の毒だが、あの流れは今日だけじゃなく明日の追い山にも出られないだろう」 
「まあ、仕方ないですね。そういう約束ですから」
「そろそろ時間だな。休憩終わりだ」
「はい。しかし、この蒸し暑さは辛いですねえ」
 と、葛西が立ち上がったところで無線からけたたましい声が響いた。
「H駅でサイキウイルス感染患者らしき男が自爆。サイキウイルス対策班は直ちに防護服を着用し現場に急行せよ。H駅で…」
 詰所にいた警官たち全員が騒然となった。
「馬鹿な…」
 九木がつぶやいた。
「うそだろ!」
 葛西が緊迫した表情で言った。
「九木さん、H駅って、確か今頃は富田林さんたちが巡回中です!」
「うむ、急ごう!!」
 二人は現場に向かうべく詰所を駈け出した。

 美波と4人の取材は順調に進み始めていた。その内容の多くは時期が来るまでオフレコで、記事にする時にも掲載前に彼らに読ませるという約束なのだが、そのためか、話していくうちに美波と子供らとの信頼関係が徐々に出来上がっていった。
 公園での美千代とのいざこざの話から西原兄妹の隔離入院の話まで進んだ頃、遠くで消防車や救急車の通る音が聞こえてきた。
「火事かしら? けっこうな台数が行っているみたいだけど」
 美波は既に記者の表情で窓の方を気にしながら言った。4人の少年少女もそわそわし始めた。その時、彼女に電話がはいった。
「何よ、今日は完全オフだって言ってるのに…。ちょっと待ってね。もしもし、美波…」
 美波はブツブツ言いながら電話に出たが、いきなり顔色を変えて言った。
「ええっ、H駅で!?  その情報確かなの?」
 美波の応答に4人は一気に緊張して耳をそば立てた。
「うん、わかった。なんとかしてそっちに向かう‼︎」
 美波は電話を切るとすぐさま立ち上がった。
「ごめん、急用が出来た。行かなきゃいけない。続きはまた!」
「あのっ、ミナミサ…ん、H駅での感染者自爆って、ホントなんですか?」
「え? 祐一君、聞こえたの?」
「はい。ここ静かなんで、相手の声もまる聞こえで…」
 と、祐一がすまなさそうに答えたので、美波はしまったという表情で言った。
「そっか。オグちゃん興奮してたからなあ。警察に張り付いてる記者からの情報だから間違いないわ。あ、このことは情報が公開されるまでオフレコにとってよ。間違ってもSNSとかで流さないこと! 流したら私も約束を反古にするからね。じゃ、私行くから! 支払いは済ませとくね」
 美波は出入り口で靴を履くのもそこそこに部屋を出ようとしたが、ふと立ち止まり、振り返って言った。
「そうだ、君たち。いい加減『ミナミサ』って言いかけて気付いて『ん」を付け足すのはやめてよね」
「そんなことはいいから!」
「早く行ってください‼︎ 」
「特ダネ逃しますよっ!」
「でも無茶しないでよ!」
 口々に言う4人に見送られて、美波は現場に急いだ。
 美波が去って、いきなり部屋がしんとした。しかし、遠くから聞こえる消防の音が否が応でも場の空気に緊張感を与えていた。そんな中、勝太がぼそりと言った。
「あ…、あのさ、『ほごにする』ってどういうこと?」
 そんな勝太を後の3人がそれぞれの表情で見て、ため息をつき、さらに彩夏が険しい表情で言った。
「ナシにするってことよ。君さ、もし、この情報をネットとかでバラしたら殺すよ」
 彩夏の迫力に気圧されたのか、勝太だけでなく釣られて祐一まで頷いていた。

 由利子は現場の駅の前に設営されつつある特設の対策本部の前で、やきもきしていた。
 ギルフォードは現状を確認すると言って、由利子に待機を言いつけると中に入って行ったまま、10分以上経っても出てこない。消防車や救急車が続々と駆け付け、駅の周囲特に出入り口を中心にバリケードを形成する如く集まってきている。そんな状況や周囲を人が緊迫した表情で駆け回っているのを見ながら自分の存在に疎外感を感じていた。黒岩のことは当然気が気ではないが果たして自分はここに居て良いのだろうか。勿論由利子は邪魔にならないようギルフォードの指定した待機場所に居たのだが、目の前を行き交う警察官や消防隊員から迷惑そうな目で見られているような気がして居心地悪い。
(あ、そうだ。これ付けてなきゃ)
 由利子は思い出して、SVT対策チームのIDカードをバッグから取り出し首から下げた。それから数分経ったが、ギルフォードはまだ戻って来る様子はない。不安と心配が募る一方でな由利子は周囲を見回す頻度も増えて行った。そんな時、「おーい」という声がした。自分にかけられた声のような気がしてその方を見ると、K大学法医学の勝山教授が走ってきていた。
「君、確かギルフォード教授のところの助手さんだったね」
 勝山はそう言って由利子のIDカードを見た。
「やっぱりそうだ」
「あの、先生はどうしてここへ? K大からはけっこう遠いですよね」
「今日は大阪出張からの帰りでね。せっかくだからついでに今日の流舁きでも見て帰ろうかとH駅に降りたところだったんだが、その矢先さ。新幹線から降りたところで凄い音がしてね。その後の混乱に巻き込まれてようやくここにたどり着いて状況を把握したところなんだ」
「あの、ギルフォードも中にいると思うのですが」
「ああ、居たよ。中でなにか電話で話していたな。多分、高柳君とだろう」
「私、ギルフォードからここで待つように言われてて…」
「わしは、いち早く駆けつけた医者としてトリアージを任されてね。そうだ、ちょうどいい、君、一緒に来て助手をしてくれたまえ」
「え?」
「ちょっと待って。あ~、君君」
 驚く由利子を後目に勝山は待機所を警護する警官に言った。
「君、ギルフォード先生は知っているね」
「はい。署内でも有名ですから」
「じゃ、彼が出てきたら伝えてくれ。K大の勝山だが」
「カツヤマ先生…ですか」
「そうだ。勝山がギルフォード先生の助手をちょっと借りると」
「わかりました、お伝えします!」
「じゃあ、篠原君行こうか」
「あ、あの」
 由利子は自分には無理だと言おうとしたが、勝山はさっさと先を歩き出した。由利子は現場に入れるチャンスだと思い直して彼の後を追った。

 その頃祐一たちはN鉄のF駅に向かっていた。
 美波が去った後、4人は興奮を抑えることが出来ず、いろいろな憶測をしながら話していたが、ニュース(おそらく緊急速報だろう)を見て子供らが心配になった親から各人に一斉に電話がかかってきたのだ。それぞれが一様に心配だから急いで帰れと言われ、仕方がないのでお開きにして店を出たのだった。
 駅について階段を上ると、コンコース内にナレーションが響きわたっていた。
「先ほど14時45分ごろに起きた、H駅の爆発事件についてお知らせします。自爆した男にサイキウイルス感染の疑いがあることが判明いたしました。H駅爆発当時H駅の現場付近に居た方は申し出をされるようお願いいたします。繰り返します。先ほど14時45分頃……」
「これで申告するバカ正直っているのかしら?」
 彩夏がいつものつんとした表情で言った。
「多分おらんやろうね。下手に申告すれば隔離されるに決まっとぉし。僕だって申し出る自信ないね」
と、祐一が答えた。
「私もしらんふりして帰るだろうなあ」
「君はね」と良夫が口をはさんだ。「でもきっと西原君は申告するやろ」
「そういえばそうよね。バカ正直だもんねえ」
 いつもは良夫の意見と対立する彩夏が珍しく同調して言った。祐一は
「あのね君たち、何でこういう時だけ意見が合うんだ」
「まあ、みんな同意見ってことやね」
 勝太まで言い出したので、祐一はため息をついて言った。
「勝太、おまえもかよ」
「それはいいから、とにかくさっさと帰るわよ。どこかであったみたいな連続テロだったら恐いもの」
 そう言うと、彩夏は足早に歩きだした。良夫がその後ろ姿に向かって言った。
「あのなあ、嫌なこというなよ」
「まて、ヨシオ。錦織さんのいうことも一理あるぞ」
 祐一が言うと、勝太も同意した。
「うん、確かに」
 3人は顔を見合わせてから彩夏の方を見ると、そそくさと歩き始めた。

 葛西たちSV対策チームは車内で防護服に身を包み駅の現場に駆けつけたものの、その惨状に愕然とした。 駅は封鎖されており、駆けつけてきた警官や消防隊員が現場周辺にいた通行人たちを足止めして1カ所に集めていた。そして再び惨状に目をやり目の前のことが本当に起こっているのか夢じゃないかと一瞬現実逃避するような状態に陥ったが、九木の声で我に返った。
「葛西君、呆然とするんじゃない。見なさい、早瀬隊長だけでなく松樹対策本部長も来られている」
「あっ」
「これは今までとは段違いな事件だからな。行くぞ。指示を仰ごう」
 二人が緊急に作られた指揮所に向かおうとした時、聞き慣れた声がした。
「おう、葛西」
 振り向くと、富田林と増岡が立っていた。しかし、彼らは防護服をつけておらず、感対センターと書かれた白い防護服の職員二人と共に居た。
「富田林さん、増岡さん!!」
「すまん、俺たちが駆け付けた時には、もう…」
「って、防護服は!?」
「俺たちは爆発音を聞いて駆け付けたんだ。自爆者が感染しとったやら知ったとは防護服の消防隊が駆けつけてからだ」
「そんな…」
「しかたないさ。何かあった時駆けつけるのは警官の勤めだ」
 富田林が言うと、増岡も続けて言った。
「まあ、仕方ないですね。しばらくはセンパイと一緒に隔離ですよ」
「おい、俺と一緒じゃ不服か?」
「仕方ないですねえ」
 増岡は繰り返して言った。職員の一人がせかすように促した。
「そろそろ行きましょう」
「富田林さん!!、増岡さん!!」
「じゃあな、葛西。俺たちはしばらくは休みだ。俺たちのいない間を頼む」
「大丈夫です。ちゃんと戻ってきますよ」
 二人は葛西に笑顔で言うと、職員に誘導されて歩いて行った。
「あの、すみません!」
 葛西が後ろを歩く職員を呼び止めた。
「本当に隔離されるんですか?」
「防護服なしで現場で長時間活動してましたし、けが人にも触っておられたということですから」
「けが人に…?」
 葛西は一瞬めまいがしたように思えた。多美山の事を思い出したからだ。
「まさか、素手で?」
「いちおうマスクと手袋だけはなさっていたようですが…」
「そうですか」
 葛西は少しほっとして言うと、職員に深く礼をした。
「二人の事、よろしくお願いします」
「はい。きっと大丈夫ですよ」
 職員は笑顔で言うと、3人の後を追った。葛西が彼らの行先を見守っていると、誰かが肩にポンと手を置いた。九木だった。
「大丈夫さ、葛西君。二人ともタフだからな」
「はい…」
「感傷に浸る暇はない。行くぞ」
「はいっ」
 葛西は九木に促されて松樹の下に向かった。

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