カテゴリー「ストラングラーズ・エトセトラ」の16件の記事

2024年9月11日 (水)

2010年パンクスプリング第一日目のサプライズ

 スタラングラーズ50周年記念で公式サイトより転載。

 これは、2010年のパンクスプリングの時に起きた、ある意味奇跡ともいえる出来事です。
 Covid-19感染症でDaveが亡くなってしまった今、読み返すと本当に懐かしく切なく感慨深い出来事でした。


 そして、そこにはワクワクする事件が待っていた。

 事の発端は、せっかくファンのみんなが集まるのだから、お食事会かお茶会をして交流を深めましょう、というYukaさんの提案からだった。それで、いいアイディアだと賛同し、SIS限定にしたほうがいいよねと言ったら、バンドのメンバーが来るとかいうなら、そうした方がいいかもれないけど、そんなことありえないから、ファンなら誰でもいいんじゃない? という返事。それなら、臨機応変に会場で声をかけてもいいねと考えていた。
 しかし、名古屋の前日、Yukaさんから「ダメ元で誘ってみるね」というメールが来た。それでも、私は夢の夢だな、と思っていた。もっとも若干の期待は・・・いえ、すみません、一瞬の間、相当期待しました。でも、ダメだったことを考えたら、期待するとダメージが大きい。それで、私はすぐさま期待を押さえ込んだ。
「あり得んやろ」
 そして、当日。ZEPPに入ってドリンクを注文していたら、携帯にメールが入ったので急いで出た。すると……。
(なになに『メンバー全員行きます!』ぅ?

 (……なぁに~~~!!!) 

 私は電話を取り落としそうになった。
(全員ってことは、あの人もあの人もあの人も? うっひゃあ~。えっと、『みなさん誠実なファンだからと、言ってくれて、行くことに合意してくれました』。うおぉぉ~! 超弩級サプライズだぁ~~~!!)
 私は今すぐにでも、みんなにそれを伝えたいと思ったが、もし、結局だめでしたってことになった場合、期待以上の失望をさせることになる。それならサプライズにしたほうが喜びもひとしおだろうと思った。で、急遽、SISのみのお食事会に変更した。
 しかし、ストラングラーズの出番が終わって、残った人数を見て、Yukaさんが言った。
「ねえ。この人数なら、みんな来ていいんじゃない?」
 急遽、アニイさんとジュニア(会場で出会った若いファン。マジ若いのであっという間に呼び名が『ジュニア』となった)を誘ってみる。もちろんサプライズのことは内緒だったが。しかし、ジュニアは、最終バスが6時半だからと、残念そうに言った。アニイさんも用があるという。しかし、彼は少しだけなら良いか、と、予定を変更して来ることとなった。気の毒だったがジュニアは仕方がない。まあ、彼以外はファン歴30年以上のベテランキャリア組だ。ある意味、メンバーに会うには10年早かったということなのだろう。

 そして、お食事会会場の『世界の山ちゃん』。

 予定時間の7時半より早く、彼らは姿を現した。
 その時のみなの表情が忘れられない。一回、メンバーのほうを見、再度確認して「うそっ!」と立ち上がった。これぞ、サプライズ。
 さらに、こういうことは本国イギリスでもないことらしい。ほとんど奇跡に近いことだったのだ。『馬鹿の一念岩をも通す』というが、まさにストラングラーズ馬鹿たちの引き起こした奇跡といえるかもしれない。
 参加者は、まず、ストラングラーズの3人、マネージャーのギャリーさん(この人がまたバンドのメンバーより良い体格で)、はるばる英国組のジョン君とアンドリュー君、加藤さん、アニイさんそしてSIS Japanが5人で、計13人。おおっ。狭い席でみなぎうぎう。おかげで妙な遠慮がなくなって、早くも和気藹々。これは、ストラングラーズの面々の人柄もあるだろう。もちろん、節度は保ちました。みなさんいい大人だからね。

 ほかのお客さんはもちろん驚いていたけど、単にでかい外人が現れたからだけ。よもや英国では有名なロックスターとは誰も思わなかっただろう。プロレスラーあたりだと思われたかもしれない。

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 さて、最初は狭いスペースでの席決めで皆が譲り合って大混乱。緊張で固まっていた私たちだが、先に書いたように時間がたつにつれて慣れてきたらしく会話が成立し始めた。しまいには緊張感などどこへやら。しかし、kiyoさんだけは最後まで緊張して固まっていたのだった。
 楽しいひと時はすぐに終わる。最初は1時間くらいといっていた彼らだが、結局2時間くらい居てくれた。それでもタイムアウトはやってくる。別れ際がまた大団円。そうして彼らは嵐のように去っていった。
 メンバーとギャリーさん、そしてYukaさんが去った後、彼らと一緒に来た中では加藤さんだけが残った。しばらく加藤さんとお話をする。彼の話は面白くて飽きない。加藤さんは、昔Kレコードに勤めておられて、ストラングラーズを日本で売り出そうと努力されたのがほかならぬ加藤さんだった。彼こそ、日本人で一番先に彼らと接触した人物なのである。彼からは、某所からメンバーの一人にオファーがあっているという、ちょっと面白い企画についても聞いたが、それは、ファンとしてはぜひ通って欲しい企画だった。私も少しアドヴァイスをしたが、役に立ったらいいな(結局それは日本では叶わず、去年フランスで出版されたJJの自伝本の企画だった。私の提案は、出版する前にWEB新聞などで連載後出版したらどうかというやつだったと記憶している。今年英語版が出る。日本版は無理だろうか。いやもう、いっそWEBで漫画化してくれんかな? 無理やな)

 

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 時間がたち、私たちも帰る時間となった。しかし、ニコルさんがビアジョッキを持ったまま離さない。聞くとバズが飲んだジョッキだという。ニコルさんはバズの熱狂的ファンだった。JJファンが多数を占めるストラングラーズファンの中では貴重である。それはともかく、そのジョッキどーする気? と、彼女はそれをバッグに・・・。おい! すると、GPZさんもJJの飲んだグラスをキープして、持って帰るという。
 清算時にジョッキの値段を聞くと400円だという。で、持って帰りたいから買いたいのだが、というとOKらしい。店員の女性が新しいジョッキを出そうとしたのであせって止めた。
「これがいいんです!」

 

 店員にあきれられながら、私たちは店を後にした。ジョッキ事件は加藤さんにはウケたらしい。私たちはジョッキ組二人に、くれぐれも戦利品を洗わないように釘を刺した。
 その後、それぞれの宿泊場所を目指して解散。第1日目が終わったのだった。

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2024年5月 6日 (月)

ディヴ・グリーンフィールド四周忌

 ディヴ・グリーンフィールドが旅立って、四年が経ちました。パンデミックは終息に向かっていますが、まだ悲しみは癒えません。心境は去年と殆どかわりません。
 ストラングラーズは今年九月十一日で50周年を迎えます。私も、前を向いて歩いています。

天国なのかそれとも地獄なのか、人は時々わからなくなる。だから僕らは歩き続ける……。
(ザ・ストラングラーズ "Heaven or Hell"より)

ディヴ・グリーンフィールドが旅立って三年経ち、今の心境などを徒然に……。: Heaven or Hell? (cocolog-nifty.com)

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2023年5月 3日 (水)

ディヴ・グリーンフィールドが旅立って三年経ち、今の心境などを徒然に……。

 ストラングラーズのディヴ・グリーンフィールドがCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)で亡くなって、早いものでもう三年になります。

 2020年秋に予定されたファイナルツアーの前に心臓の手術をするために入院してた時のことでした。詳しい事情はわかりませんが入院中に発症したということは、院内感染の可能性はあるでしょう。手術後に感染発症したのであれば、ひとたまりもなかったでしょう。

127_1105_hnishioka_20230504133801  心はストラングラーズが来日した2019年に置いたままになりました。2019年をずっとループ出来たらいいのにと思ってしまいます。
 でもそれは叶いません。地球は太陽系ごとそれよりずっとずっと移動し続け過去に戻るなんて不可能だから。

 パンデミック発生から三年以上経ち、ワクチンも行きわたり世界はだいぶ落ち着いて日常を取り戻して行きました。日本でも5類になりマスクの着用も任意になりました。マスクや消毒薬が店頭から消え、なせかトイレットペーパーまで無くなるという異常事態がまるで夢だったみたいです。
 でも私たちストラングラーズファンは、いえ、私は未だ悪夢の中にいるような気がします。目を覚ましたら元の世界に戻ったらいいのにと思うけど、何度試しても目は覚めません。
 って、そもそもこんな理路整然としたリアルな夢なんてフィクションの中にしか存在しません。わかってます後ろ向きなだけです。はあ、当のストラングラーズは新しいキーボード奏者を迎え、前を向いているというのに、情けない。

 ヒューが辞めた時も、かなりのダメージだったけど死んだわけじゃなかったので、別れた彼の新たな活躍を見る希望がありました。それにまだ若かったから、ダメージからの回復も早かったなあ。
 もう、ステージのキーボードの後ろにディヴが立つことはないんです。あの炎のようなキーボード演奏を聴くことが出来ないんです。

 なんかねえ、辛さが骨身に染みるのですよ。

 志村けんが亡くなった時も相当ショックだったけど、もうね、最愛のバンドのメンバーが亡くなったとか、目の前が真っ暗になりましたよ。亡くなったのは5月3日だったけど知ったのは5日の早朝だった。日本とは8時間遅れの時差があるから、亡くなってから翌日くらいに発表があったのでしょう。本国のイギリスではもう既にファンが大パニックになってた。

 それにしても、世の中にいる「コロナは茶番」「ワクチンは毒」「製薬会社が儲けるため」「マスク拒否」とか世迷言を言ってる人たちは、大事な人が感染して重症化し苦しんだり亡くなったりした経験がないのだろうなって思う。じゃなかったらマジでクソだわ。なんでディヴが死んであんな連中がのうのうと生きてるんだよ。反ワクチンビジネス(だれとは言わんが)の養分になってることが判らないのかな。本音全開で言うと「タヒね!」って思う。ディヴみたいに苦しんだらわかるんだろう(ディヴ、ごめん)。

 幸い、私の周りで重症化して入院したり亡くなった人は居なかった。今のところは。
 ひと月前に、母が風邪?をもらってきて、家族全員移った。いや~、実に3年ぶりに風邪をひいた。熱はたいして上がらなかった(ピークで38度)が、やたら喉が痛い風邪だったのでCOVID感染を疑ったけど、陰性だった。まあ偽陰性の可能性もあったけど、もしそうならワクチンのおかげで悪化しなかったのかも知れない。mRNAワクチンを突貫で作ってくれた人たち、そしてその生みの親ともいうべきカリコー博士には感謝しかありません。これがなければ日常を取り戻すのはもっと後になり、流石の日本でも死者がアメリカのように百万人レベルになったかもしれません。

 ワクチンが普及してから会社でも感染や濃厚接触で休む人がぼちぼち出て来て、ウイルスが蔓延しつつあり身近にいるかもしれないんだと実感し始めた。ワクチン接種済みだったから、罹っても重症化(人工呼吸器につながるレベル)しにくいとは思うけど、出来たら罹りたくないんで感染対策は怠らなかったよ(まあ、インフルエンザみたいにいずれは人類の殆どが罹ると思うけどね)。職業柄会社でも反ワクチン思想にハマる人は居なかった。
 母の友人にちょっと反ワクがいて、母が感化されそうになったので全力で止めた。母がネット見る人でなくて良かったわ。

 あれ? いつの間にか文章が敬体から常体になってた。まあいいや。いつものことだし。

 それで、パンデミックとディヴ死去で全然やる気なくなっちゃって、このブログの更新も進まず。小説なんてさらにバイオテロネタでウイルスパンデミック扱ってるんで、もう、ほんまもんには勝てず撃沈寸前までいっちゃった。マジで書くのやめようかとすら思った。
 でも、バンド(ストラングラーズ)は失意の中、『ダークマターズ』という名盤を捻りだしてくれて、さらに11月5日の来日音源を使ってライブアルバム『メニンブラックイント-キョー』を出してくれた。彼らは決してへこたれてはいなかった。今はツアーも再開しており頼もしい限りだ。

 そう思うと心強く、今はなんとか浮上しつつあるので、これから両方とも、少しづつペースを上げながら書いていきます。
 これからもよろしくお願いいたします。

 ディヴ・グリーンフィールド追悼写真集~ IN MEMORY OF DAVE GREENFIELD   DAVE PHOTO COLLECTION

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2022年11月 5日 (土)

ストラングラーズ来日から3年、そしてディヴがソロツアーに旅立ってから2年半経ったので、当時のライブ報告を転載

 以下のレビューは、来日後に公式サイトに書いたものに加筆したものです。

単独来日公演だよ、全員集合!! ~ストラングラーズ日本公演レビュー

報告者:R.I.B
(文内敬称略さず)
 ※文末に収録アルバムを明記したセットリスト(と、私の下手な写真)があります。

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【蛇足の長いプロローグ】

 去年(2019年11月当時)の6月のことだった。ブログ用のセカンドメールチェックをしていると、「ストラングラーズ来日の可能性について」という件名が目に飛び込んできた。日付は4日前だ。ちょっと油断していた時に限ってこういう大事なメールが来ている。いかんいかん。急いで開けてみると、以前、ヒュー来日公演のライブレビューを書いてくださったハンドルネームRICOCHETこと、吉田さんからだった。

 待てど暮らせどストラングラーズが単独で来日する気配がないので、いっそ自分が呼ぼうと意を決してアバンダムという会社を立ち上げたということだった。なんというパンク魂! なんというファンの鑑! それで、他のプロモーターに動きがないなら、招聘企画をたてたいと考えているとのこと。
 それで、いきなり本国に問い合わせるよりも、日本のインフォメーションに問い合わせる方が良いと判断され、メールをくださったということだった。もちろん、渡りに船である。すぐにYUKAさんにメールを転送して、無事に吉田さんはストラングラーズの日本でのマネージメントをしている加藤さんと連絡がとれることとなった。
 しかし、長い間SIS JAPANを温めていてよかったと、つくづく思った。
 そして数か月後、来日が決定。3月20日正午(日本時間)に一斉情報解禁ということになった。万歳万歳と部屋の中を踊りまわりたかったが、深夜だし通報されそうなんでやめた。それに、それまでは親弟妹といえども言うことはできない。
 ヒュー脱退後に私がSIS Japanを引き受けてから少し経った1992年12月、当時5人編成だったストラングラーズが来日したが、それから21世に入ってから2007年にサマーソニック・2010年にパンクスプリングと2度の音楽フェスに出演したものの、単独公演は長きに渡って行われることはなかった。音楽フェスで来てくれたことは本当にうれしく、サイドアウトレコードさんには感謝しかないが、いかんせんフェスでは演奏時間が短く不完全燃焼は否めなかった。今回の公演決定で、ストラングラーズは実に27年ぶりの単独来日公演となる。

Stranglers_admat_sample_20200129034101  そして、3月20日木曜日。その日は半休を取って公式サイトに「来日決定!」というお知らせを書いて12時ちょうどにアップしてから出勤する予定だった。ところがである。公式サイトに使っているニフティのココログがちょうど大幅リニューアルをしていて、それがうまくいかないらしく、ログインできない。本来ならとっくに終わっていたはずだが、以前似たような事があったんで、嫌な予感はしてたんだ。
 泣く泣く断念して出社。電車の中でフェイスブック(この後FBと表記)やツイッターなどで次々と拡散される来日情報を見ながら、日本公式サイトなのに波に乗れなかったことで口惜しさにハンカチを咬む(嘘。でもそういう気分だったのは本当)。当日の深夜、ようやく来日情報をアップする。ココログのバカヤローーー!! 余談だが、この大改装の後とっても使いにくくなった。特に画像挿入はめっちゃやりにくくて、今回のライブ報告の掲載は写真アップで四苦八苦している。

 来日情報で色めきだったのが英国をはじめ海外のファンの皆さん。チケットどうしたら買えるの? 誰かチケット取りおいてくれる人いませんか? 等々、必死な書き込みが続々書き込まれた。その件は後に英語版チケット販売ページが開設されてなんとか解決した。かくして無事に公演に来ることができた海外ファン数十名。彼らはライブを実に盛り上げてくれた。
 チケットはスタンディングで9500円。それにオプションでバンドと会って話して一緒に写真が撮れるミートアンドグリート(この後ミーグリと表記)とサウンドチェック参加権がついたVIPSSが15000円、サウンドチェック参加権のみのVIPSが6000円。高いと思うかもしれないけど、他のバンドはもっと高いぞ。後述するが、次回があるならサウンドチェックだけでも1度は参加した方がいい。これはお勧め。パンクファンの皆さんから「ミーグリw」等色々批判もあり、その気持ちも理解できるが、彼らの音楽性はもともとパンクというジャンルじゃなかったし(とはいえ、当時は並みのパンク以上にパンクしていたけど)、もとよりVIPチケットの販売はここでは書かないが実は切実な思いと気遣いが込められていたのである。とりあえず、これだ。みんなで幸せになろうよ(CV:後藤喜一)。

 それから先が長かった。講演日まで約半年もあるのだ。
 その間、災害があったり(特にここ数年異様に多い)高齢の両親に何かあったらどうしようという漠然とした不安もある。
 そうしていたら案の定というか、日本列島は初夏から10月までの間に豪雨や猛烈な台風の洗礼を受け続けた。特に今年は関東方面の被害が著しく、関東地方を中心に東日本の広範囲が水に浸かるという未曾有の広域災害が起きてしまった。
 もし、このまま災害が止まらず公演が中止になったらどうしよう。チケットを買ってくれた人の中で被災された方はいないだろうか。被災地の惨状に胸を痛めながら、そういう不安も襲ってくる。それにしても最近の災害の多さ過酷さはどうだ。明日は我が身かもしれないと肝に銘じる。
 しかし、無事にその時は訪れた。両親も今のところ(当時)大丈夫そうだ。Facebookやツイッターにストラングラーズメンバーの到着が伝えられた。ああ、夢じゃないんだ、と、じわじわと実感が湧いてくる。
 そして11月3日当日。私は福岡から都心に向けて飛び立った。

【11月3日 渋谷WWW】

 十分余裕をもって上京の計画をしていたつもりが、迷いに迷ってホテルにたどり着いたのは午後3時半をかなり過ぎていた。スマホが古くなってバッテリーの消耗が早く、マップアプリを使用しているとあっという間に充電が切れそうになる。早く買い替えておけばよかったと後悔するも後の祭りである。渋谷の街で同じところをぐるぐるぐるぐる。渋谷リングワンデリングである。既にホテルの近くまでたどり着いてるだろうとは思ったものの、トコイトコイという声が聞こえて来そうになったので、とうとう音を上げてタクシーに乗ってしまった。渋谷、いや、東京ややこしい。
Photo_20200129034101  部屋についてとりあえずホッとして、吉田さんから送られていた設営されたステージの写真をゆっくりと見る。来日の実感がじわじわと押し寄せてくる。
 時間がない上に、また迷って時間を食ってしまう恐れがあるので、また会場までタクシーを使うというお大尽ぶりをやらかしたものの、特に混む時間帯であるために、歩いた方が早いくらい動かない。這う這うの体(ほうほうのてい)で会場の渋谷WWWにたどり着く。すでにかなりのお客さんが並んでいた。驚くとともに安堵する。ようやく会場内に入るとステージの後に黒字に白でストラングラーズのロゴを染め抜いた横断幕が目に飛び込んできた。(当然だが)吉田さんが送ってくれた写真と同じだ! やっと夢に見ていたこの場所に来れたのだという実感を噛みしめる。会場を見回すと、『撮影禁止』という旨の張り紙が目についた。撮影しようと張り切ってカメラを新調してきたが、残念だ。
 しばらくすると、続々と人が入ってきた。SIS Japanの常連さんたちや吉田さん、そしてYUKAさんや加藤さんとも無事に会うことが出来た。JJ側であるステージに向かって左側のスピーカー近くに陣取っていると、続々と観客が集まってくる。とうとう通路まで埋まってしまった。キャパ400人ほどの会場だったがどれだけ人が入るか心配だった(3日4日共500人近い人数が入ったらしい)。ストラングラーズはヨーロッパではもっと大きな会場を埋める実力のあるバンドだが、日本では昨今いまいち知名度が少ないからだ。しかし、Vipチケットは全日、入場券は3日と4日分がソールドアウト、5日もあとわずかだという情報を得てほっとした。そして、今日の満員御礼である。ここで既にじわじわくる。ステージが暗くなり、登場曲の「Walzs in black」がかかった。いよいよストラングラーズの登場だ。

 記念すべき第1曲は「Toiler on the sea」! サマーソニックでもパンクスプリングでもやらなかったので、正直嬉しい。本当に日本でストラングラーズの単独公演の場にいるんだ!! やっと、やっと……。そう思うと目の前がぼやける。前奏のインスト部分はみんなで合唱するのが本場のお約束だ。テンポが速く、メロディラインも奇麗なので掴みにはバッチリだ。次はアルバムNorfolk Coastより、バズがJJのことを書いたという「I've been wild」。タイトル通り荒々しい曲だ。それに「(Get a) Grip (on yourself)」と、初期の所謂パンク時代の曲が続く。これは1stアルバム Rattus Noruvegicus(ドブネズミの学名)A面の最後の曲(レコード時代の曲はどうしてもA面B面という感覚があるのだ)。しかし、1stから最新アルバムまでの曲をランダムに並べて何の遜色もないところがすごい。そして次の「time to die」はヒュー脱退後初めて出したアルバムStranglers In The Nightの1曲目に収録された曲で出典はブレードランナーから。JJの語りがカッコイイぞ。後ろの方で海外組がインストのパートをハミングする声がして、私も負けじとハミングした。そして、「Nice 'N' Sleazy」。演奏前にJJが「アツイネー」と言いながら脱ぐマネをする(このネタは3日共披露wされた)。この曲は昔ロンドンのバタシーパークでストリッパーのねーちゃんたちを引き連れて演奏してひと悶着あったこともある。続く「Norfolk coast」はアルバムタイトルにも使われた自信作で、何かが駆けまわっているような前奏が特徴だ。緊張感ある曲もすごくカッコイイ。なんせ、あまりの素晴らしさに前ヴォーカリストのポールが満足してしてとうとう脱退してしまったくらいだ。冗談はともかく外れではないと思う。この曲はやっぱりポールが歌ってこそだと思うが、もし、あの5ピースの状態で来日公演を行ったとして、果たしてこれだけの入場者数を得られただろうか(無理やろな)。名曲中の名曲だと思うし、ライブでも盛り上がる曲だけど、ちょっと複雑な思いを抱かせる曲である。そして、ノーフォークコーストは、JJがバンドを辞めようかとすら思っていた自暴自棄な状態からの復帰を果たした地でもある。
 そしてまたパンク時代に戻って「5 Minutes」。これは昔JJの身辺で起きた痛ましい事件について歌ったものだ。さらにまた21世紀の曲に飛び「Unbroken」、これは、前アルバムSuiteXVIの1曲目である。間奏のメロディがそれまでの曲調とガラリと変わるのがいかにもストラングラーズだなと思う。そして、チェンバロ風の前奏から珠玉の銘曲「Golden Brown」が始まった。
11_1103_hnishioka  実は、来日公演前にYukaさん(そして英国SISのOwenさん)や吉田さんなどの協力によって「ストラングラーズの来日公演を2倍楽しむための合いの手など」という予習ページを作っていた。それに、「ゴールデンブラウンの間奏でのバズのギターソロのあとバズが待っているので拍手してあげる」というのがあった。それを待つ間、ちょっとワクワクした。だれか他にあれを参考にしてくれている人いるかなあ。すわ、と拍手したら、後方でも海外組が盛り上がっていた。さすが本場モンは違うねえ。
 それにしても音がすごい。特にスピーカーの近くに陣取ったせいか、キャスケット(帽子)がブンブン振動して困った。明日はもう少し場所を考えよう。
 続くは「Always the Sun」。もう会場がAlways the Sun♪の合唱に包まれる。この曲でのもう一つの合いの手は、歌詞の合間にジムがカ・コンと音をいれた後、観客がみんなで「ウェ~イ」と叫ぶというもの。これはもともとポールが小さな打楽器で鳴らしていた時からのもので、おそらくポールを応援するために始まったのではないかと思う。そして今はジムに対してのエールだろう。もちろん海外組が元気にウェ~イ! こちらも負けじとウェ~イ!。しかし、なんと奏者と観客が一体化したライブなのだろう。そう思っていると、聞きなれたリズムが。これは私の記憶だと「Let me introduce you to the  family」で毎回騙されるのだが、始まったのは「Skin deep」。「皮膚の皮の厚さだけ」ってことで ”Watch out for the skin deep" で上っ面に気をつけろって意味だな。歌詞はシビアだけど、曲はキラキラしてすごくきれいだ。そして、出た!「Peaches」!! レゲエ調のリズムでずんずん迫ってくるぞ。最後の方で「NNNNN……」と唸るようにハミング(?)するところがあるが、バズがそれをやるとなんだかものすご~くエロい。そのイヤらしさ(褒めてます)はヒュー以上だろう。それからワルツのリズムで「Outside Tokyo」が始まった。レトロな雰囲気で暗く平坦な曲だが、不思議な魅力で何故か惹きつけられる。その後、ステージの照明が青く変わり波音が聞こえ始めた。現時点で最新のアルバムGiantsから「Freedom is insane」だ。最初はゆったりだが、すぐに軽快なテンポに変わる。6分を超える長さの曲で間奏も長めだが、全然飽きさせない。JJの半分語りのようなヴォーカルもよい。この曲は「Relentless」とともに私にとって、ストラングラーズだけでなくそれ以外の曲も合わせた知り得る限りの曲の中でも大好きな曲の一つだ。そして次の「Walk on by」と長い曲が続く。次はいよいよ日本では3回連続演奏で伝説となった「Something better change」だ。そして、やった! 今回もやってくれた「Relentless」。私のイチオシで、ストラングラーズ史のなかでもベスト10に入ると個人的に思っている名曲だ。内容は時間の無情さを歌ったものだが、すべてがカッコイイ、いや、クールというべきか。さらに世界一コミカルでカッコイイ間奏も最高に盛り上がるし、最後もビシッと終わる。いや、もうサイコー!! そしてその次は「Hanging around」と初期のクールな曲が続く。さらに「Tank」と続き、「Drive, Drive!」の2回目をみんなでシャウトだ。私事だが、これが私が初めて聴いたストラングラーズの曲である(GPzさんが聴いたのと同じ番組かもしれない)。ライブのクライマックスともいえるこの曲を最後の「Maim(メイム)!」をみんなでシャウトする。そして演奏を終え、バンドメンバーが退場する。もちろんみんなはアンコール待ちで、バンド名を呼びながら待機する。舞台の袖からギターのネックが覗いておおっと思ったらクルーだったりと、なかなか気を持たせてくれる。
 しばらくして、バンドが戻ってきた。アンコールの1曲目は「Duchess」。プロモーションビデオでは、バンド4人が聖歌隊の格好をしてめっちゃ大仰に歌っていた。聖歌隊パロディは日本ではドリフターズの番組でおなじみだったが、彼らがそれをヒントにしたかどうかは定かではない(多分していない)。 そして、ストラングラーズと言えばこの曲「 No More  heroes」。デヴィッド・ボウイの「Heroes」に対抗して作られたということだが、「No more Hiroshimas」をもじったタイトルでもあると思う。会場は最初から大合唱である。もう完全にバンドと観客が一体化している。大層盛り上がって第一日目が終わった。あと二日。因みにこの日のライブはヤフーニュースでも大絶賛されていた。

 さて、私のような遠方上京組は、いっそ場所の移動がない方が宿を連泊出来て移動などの余計なお金を使わないで済むので、むしろ助かる。ホテルに帰ったが、パソコンを立ち上げてメールやブログのチェックをしたあと、BGMにハリウッドゴジラKOMのサントラをかけ、ベッドに体を投げ出すように横になった。ストラングラーズを敢えて聴かなかったのは、なんかライブの余韻を消したくなかったからだ。しかし、1人でホテルの部屋に居ると、キングギドラのテーマに挿入されている般若心経が地味に怖い。そう思いながら、強行軍がたたったのか、いつの間にかそのまま朝まで爆睡してしまった。

【11月4日 渋谷WWW】
 2日目は、念のためPCの大きい画面でグーグルマップを開き位置をしっかりと確認し、スマホもフル充電して地図を見ながら向かったので、なんとか迷わずに会場までたどり着いた。4時前だがすでに外にはVIP以外の一般客でも結構な列が出来ていた。
 サウンドチェックに間に合い、Time was once on my side, Lastman on the Moon, Midnight summer dreamの3曲を堪能する。Time was once on my side は、アルバムGiantsからの特徴あるリズムのコミカルな曲で、Lastman on the Moonは新曲披露だ。Midnight summer dream はアルバムFelineの1曲目で、初めてこれを聴いた時一瞬で魅了されたことを覚えている。
 サウンドチェックの時は写真も動画も撮影OKだということで、私も撮らせてもらったが、カメラを新調したのが仇となって使いこなせない。おかげでピンボケ写真を量産する羽目になった。しかも、何故かJJがやたらにボケてしまう。髪がグレーになったせいだろうか?
 撮影出来て、しかも特別な曲が聴けるかもしれないサウンドチェック。普段ライブには殆ど行かないので一般的なサウンドチェック参加というものがどうなのかわからないが、先にサウンドチェックには参加した方がいいと書いたのは、こういうことなのだ。追加料金を払うのはキツいけどね。
 そのあとミーグリを経て開場し、どんどん人が入ってきた。昨日殆どステージが見えなかったので、2階の一番後ろの中央当たりに陣取った。若干遠かったし、ミキサー担当クルーさんのいる場所の後ろだったんで、邪魔にならないように気を遣う必要があったがステージの様子はよく見える。ただ、やはり場所柄どうしても客観的になりライブ会場の只中にいるという気がしない。最終日の明日はなんとか最前列に陣取りたいなと思った。しかし、今考えたらそれは無謀だったかもしれない。気が付いたら2階も1回も観客でみっちりになっていた。
 ワルツインブラックが流れ、バンド入場。1曲目はToiler on th seaから代わってThe Ravenが演奏された。4枚目のアルバム「The Raven」の同名曲だ。Raven はオオガラス(ワタリガラス)のことで、日本にいるカラス(Crow)より一回り程大きい。日本では北海道に渡り鳥として訪れるということだ。だから和名はワタリガラスなわけだ。その後は昨日と同じく「I've been wild」「(Get a)Grip(on yourself)」「time to die」「Nice 'N' Sleazy」「Norfolk coast」「5 Minutes」「Unbroken」「Golden Brown」「Always the Sun」「Skin deep」「Peaches」と昨日と同じ曲が続く。しかし、JJは相変わらず元気に動き回り、時折ハイキックなどを披露する。爆音ベースギターも健在である。バズは相変わらずの安定感で存在の大きさを鼓舞し、70歳を超えたディヴの華麗なキーボード裁きも健在である。そして、ジェット・ブラック公認のドラマーであるジムは、ほとんどジェットが乗り移ったように(このような書き方はジムに失礼かもしれないが、敢えて書かせていただく)ドラムスティック裁きも力強くドラムをたたいている。
 次はOutside Tokyoに変わって「Death and night and blood」が演奏された。言うまでもなく、三島由紀夫に捧げられた楽曲である。death and night and blood!!, death and night and blood!! と、みんなで元気に復唱する。このステージと会場の一体感になんとなくオタ芸に似たものを感じてしまった。実に楽しい。
022_1105_hnishioka  その後はまた「Freedom is insane」「Walk on by」「Something better change」「Relentless」「Hanging around」「Tank」と昨日と同じ曲が続き演奏がいったん終わった。拍手の鳴りやまぬ中、アンコールを受けてバンドメンバーが戻ってきた。
 アンコール1曲目は昨日のDachesに変わって「Go buddy go」。この曲はJJが15歳の時に作ったというのをインタビューで読んだ覚えがある。そして、トリはやっぱり「No more heroes」。2日目も大盛り上がりで終わったのだった。

 その後、昨日行けなかったヘッドロックカフェに行く。ここはライブ3ヶ日の間ストラングラーズの曲だけ流すということで、昨日は海外からの遠征ファンでいっぱいだったという。店内に入ると、やはり海外ファンが沢山いたが昨日はこの比ではなかったという。BGMはストラングラーズの曲新旧ばかりではなく、ソロアルバムやパープルヘルメッツ(JJのオールディズ好きが高じて結成されたオールディズの曲を演奏するバンドでディヴやジョンエリス、ホーンセクションの面子も参加していた)の曲まで流してくれている。モニターにはストラングラーズのMVがミュートで映像だけ流れていた。こういう状況は1992年のSISコンヴェンション以来だ。そこで、SIS JAPANのメンバーたちとストラングラーズ話で盛り上がって、深夜にホテルに戻った。

 因みにヘッドロックカフェさんは、2020年2月1日のヒュー・コーンウェルソロライブでもヒューのソロを含むストラングラーズディをするらしい。ソロライブに行かれた方は是非、ライブ後にヘッドロックカフェへお寄りください。場所もライブ会場と同じ渋谷です。

 ヘッドロックカフェホームページはこちら

【11月5日 TSUTAYA O-WEST】

 泣いても笑っても、今日が最後である。
 昨夜から、最後のノーモアヒーローズで号泣するのではないかと思い、思ったらほんとに悲しくなって視界がかすむこと数回。情緒不安定の極みである。
 最終日の今日は同じ渋谷だけど、会場が変わってTSUTAYA O-WEST。今日も昨日と同じくPCでグーグルマップ確認の上、スマホの地図で道順も万全で会場まで無事に着いた。開場に近づくにつれ行列が出来ているが、あれ? 客層のテイストがずいぶん違うな? なんでゴスばかりいるんだ? と思って反対側を見たら、そっちに馴染みのある列が出来ていた。だよね。
 階段まで続く列を見上げ、どうしたもんじゃろかいと思っていたら、吉田さんに「こっちこっち」と声をかけられた。その後、ソニーミュージックのKさんを紹介される。ソニーミュージックさんはエピック時代のアルバム5枚を発売当時の仕様で限定版をリリースしてくださったのだ(→公式ページ(amazonでも買えます)。Kさんが頑張ってくれてエピック発売当時よりグレードアップしており、1枚2000円+税で発売中です。お買い得ですので、未購入の方は是非ご一考ください! (ステマ)

 会場では『浪速のJJ』ことSaigenさんとお会いできた。
 サウンドチェック「Time Was Once on My Side」、新曲披露で「Water」、そして、「Duchess」。写真は弊サイト『狂人館』にも写真を提供してくださっているカメラマンの西岡さんが2階に連れて行って下さったので、昨日よりマトモな写真が撮れたが、やはり半分くらいピンボケ。 相変わらずJJはピンボケだらけ。
 余談だが、最初、サウンドチェックで前列の方で並んで待っていると、メンバー登場。すると、JJがこっちを見て「やあ!」と手を挙げたので、つい私も笑顔で手を振ったら、それはSaigenさんに向けたものだったので、こっ恥ずかしかったがそれも甘酸っぱい良い思い出。

 そして、ミーグリを終えてとうとう最終公演である。
 実は、前日のヘッドロックカフェで「明日は最前列で参戦したい」と言ったらKiyoさんが「じゃあ場所取っとったる。後ろで潰されんようにガードしとったる」と言ってくれたのだが、果たして、彼女は最前列を確保して手招きしてくれた。「すみません」と人垣をかいくぐって一番前にひょっこりはん。今日で見納めと、待つ間に時折バンド名の横断幕がぼやけたが、後に号泣どころではないことを身をもって知ることになる。
 曲目はThe ravenに始まってAiways the sunまで昨日と同じだったが、特筆すべきはGolden brownの時である。バズのギターソロの後拍手しようと身構えていたら、いつもと様子が違う。バズはゆっくりJJに近付くと向かい合う形となり、おもむろにJJの右頬にChu♡ 会場おぉ~~~!?
 おいおい、誰が腐女子サービスをしろとw。 バズはしてやったりとした表情で演奏を続け、JJはなんとなく照れていたような。キステロだったのか? てか、拍手の準備していたこの手をどうしてくれる(笑)。
 Sunの後は、Skin deepに変わってNucler device、核装置(核爆弾)。
 かつてイギリスがオーストラリアで核実験を重ねていたことをコミカルに皮肉った曲だ。我々日本人としては複雑なナンバーではあるが、すこぶるストラングラーズらしい。この曲がある限り、オーストラリアの一部が大国のエゴによって核汚染され、また、未だに苦しんでいる人々(主に故意か結果か人体実験材料にされた先住民の方たちや兵士たち)がいることを忘れないだろう。興味のある方は「核実験 オーストラリア」で検索してほしい。
 この曲の合いの手は、途中ドラムのダン!の後に「ブルース!」、 ダンダン!の後に「シーラ!」と叫ぶというもの。ずいぶん前から何と言っているのだろうと思っていたが、ようやく謎が解けた。因みにブルースもシーラもオーストラリアではよくある名前らしい。日本で言えば今は昔の太郎に花子、スペインのホセとカルメンみたいなものだろうか。
(これを書いている頃、2019年の夏ごろからのオーストラリアの森林火災が治まらず、それどころか拡大の一途をたどっている。2020年の1月19日現在、日本国土の半分ほどの面積が消失しているという。一刻も早い鎮火を願う。ヒトのためにも他の生物のためにも)

 閑話休題。

 その次に「Peaches」「Death and night and blood」と昨日通り続き、さらに「Toiler on the sea」を追加投入。その後は「Freedom is insane」「Walk on by」「Something better change」「Relentless」「Hanging around」「Tank」と昨日と同じ曲目が続いた。私はFreedomとRelentlessを3日共聴けて大満足だった。
 そしていったんバンドが引きあげ、暗くなったステージに観客が熱くアンコールを叫ぶ。泣いても笑っても逆立ちしても駄々をこねても今回の公演はこれが最後である。そして、バンド登場。曲目は昨日と同じ
「Go buddy go」からの「 No more heroes」。もう会場は力の限りの大合唱である。そしてノーモアヒーローズがいつも通りビシッと終わると4人が肩を組んで挨拶をした。
 127_1105_hnishioka これは3日共同じだったが最終日は4人ともやり切ったという大満足な表情だった。JJにしてあの顔にあのポーズである。大歓声と共に3日間のストラングラーズ日本公演が終わった。 ステージも会場も暗くなって終了の「Meninblack」の曲がかかったが、会場には名残惜し気なファンたちが残り海外から来たファンたちは記念撮影などをして、スタッフから退出を言い渡されるまでいつまでも去る気配がなかった。

 しかし、最前列とはかくも壮絶なものなのか。フェスなど目ではなかった。ストラングラーズファンではあるが普段は中山うりのこぢんまりまったりとしたライブしか行かないので、わかっていても面食らう。最初Kiyoさんが壁になってガードするからと言われた時、大丈夫だろうと思っていたが、バンドメンバーが入ってきてThe Ravenが始まったとたんに人が雪崩れてきた。私の左後ろにいたオッサン(失礼、私もオバサンです)が興奮して私の肩の方まで顔が迫って来たので、真顔で「落ち着け!」と言ったら引っ込んでくれたようだ(多分)。ありがとう。この辺が大人である。
 音も大きすぎて曲やリズムから歌詞までが前2日ほど捉える音ができない。会場の音響のせいかどうかは判らないが、後方にいた人が今日の音は良かったと言っていたので、前列に限ってのことだろう。帽子はブンブン振動しっぱなしである。そのせいで疲れたのか、アンコールのGo buddy goで(ああ、もうすぐ終わるんだな)と思いながら一瞬ぼうっとして、合いの手の「1・2・3・4」を言うのに出遅れてしまい、悔しい思いをした。最前列に居たのに、アホである。
 とにかく、パンク時代の曲になると大雪崩が起きる。ステージに置いてあるセットリストを書いた紙が見えるので、大体次の曲がわかるので、(次、来るぞ)と身構えることが出来た(後で聞くとKiyoさんもそうだったらしく、その度に構えてくれたそうだ)。後半になるともうわやくちゃで、最後のノーモアヒーローズでは興奮の坩堝(るつぼ)と化して、感動に浸って号泣するどころの騒ぎではなかったのであった。
 改めてKiyoさんどうもありがとう。日本でこれでは、本場イギリスで最前列に居たらマジで潰されるわな。

 終わって、楽屋でメンバーや英国SISのOwenさんたちに挨拶をしてから、遅れてヘッドロックカフェに向かう。スマホのナビを見ながら行くも、またシブヤ・リングワンデリングにハマり一向に目的地に着かない。再びトコイが聞こえそうに(充電が切れそうに)なったので、とうとう観念して電話し、迎えに来てもらった。
 そこで、またみんなとストラングラーズで話が弾んだ。日本でストラングラーズの話をするなんて、こういう時でしか出来ない。一生に何回あることだろう。こういう場を設けてくださった、ヘッドロックカフェさんには感謝しかない。映像で流れている「ベアケイジ」のプロモーションビデオを見ながらGPZさんがしみじみと言った。
「これ、本当に意味深な内容だねえ」
 それを聞いて、初めて気が付いた。なんで気が付かなかったのだろう。このビデオは、ヒューだけがベアケイジから追い出され、熊のぬいぐるみをぶら下げて寂しく去っていくというシーンで終わるのだ。ヒューは10枚目のアルバム「10」をリリース後、1990年に脱退しソロの道に進んだのだった。まさにこのビデオの映像のままである。シャレにならないが事実なのだ。

 時間が経ち、ぼちぼちとそれぞれが自分のホテルに帰っていく。名残惜しいが仕方がない。私も日付が変わったので帰ることにした。GPZさんと店を出ると風が冷たかった。寂しい風だと思ったのは気のせいじゃなかっただろう。

 この公演のおかげでいろんな人と会えた。Yukaさん吉田さんそして加藤さんはもちろんのこと、覚えているだけでSIS Japan常連のKiyoさん、MM21さん、GPZさん、それからクリス・ディクソンさん、Saigenさん、SIS Japan 前会長の笠井さん、石田さん、生田さん、ベレー帽がBF団みたいだったAbeさん、前田真宏さん、士道館の瀬〆誠さん、オーウェン(Owen)さんとジャッキー(Jacquie)さん、わすれちゃなんねぇキースさん、蘭子さんとナンシーちゃんたち、そうそう、カメラマンの西岡さん、ライブ写真どうもありがとうございました。 

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 最高のライブだった。是非また来日してほしい。JJも最後に「マタ、ノチホド!」と言い、バズも“また、戻ってくるぜ!” と言ってステージから下がったので、バンドは再来日の意思があると思う。今回かなり好評だったと思うので、同じ規模なら絶対にイケるはずだ。その時は是非、Down in the Sewerや、Ice Queenをやって欲しい。Sewerは絶対にライブで聴きたい曲だし、Ice Queenはライブで演奏するとスタジオ録音に比較的忠実ながらさらにぞくぞくさせられる。あと、Duch MoonやSpecter of loveのようなBaz加入後の曲ももう少しやって欲しいところだ。あと、日本つながりというにはちと複雑だが、La Folieも生で聴きたいなあ。次回は新譜の曲も聴けるだろうし、本当にもう一度だけでいいから来てほしい。
 今回ライブに来てくれた皆さんはきっとまた来てくれると思うし、諸事情で来られなかった人もいるから、絶対来てほしい。いえ、来てください、呼んでください、是非!

 (これを書くのにもたもたしていたら、今年秋のUKツアーがファイナルだということが発表された。残念だ。ただ、ツアーはやらないがライブは続けると思うので、再来日の可能性が断たれた訳ではない。)

 最後に……、
 アバンダムの吉田さん、リスクを被る覚悟で(武士で言えば腹を切る覚悟で)ストラングラーズを呼んでくださり、ありがとうございます。吉田さんには今思っている感謝に相当する感謝の言葉が見つかりません。ありがとうを百万回言いたいです。本当にありがとうございます。
 Owenさん及び海外ファンの皆さん、海の向こうから駆けつけてくれてありがとうございます。皆さんがライブをリードして下さったおかげでものすごく盛り上がりました。
 日本のファンのみなさん、ストラングラーズのことを忘れずにいてくれてありがとうございます。次回があれば、またみんなで盛り上がりましょう。一緒に歌いましょう。
 前会長の笠井さん、SIS JAPANを復活させてくれてありがとう。あなたが居なければSIS JAPANは消滅していたかもしれません。したがって今回のライブも実現しなかったかもしれません。
 それからYukaさん、SIS JAPANを創設してくださって本当にありがとう。それから、いろいろサポートをしていただき感謝しています。Yukaさんの力添えがなければ、せっかく笠井さんが浮上させてくれたSIS JAPANは形ばかりで役に立たないものになっていたでしょう。
 そして! 加藤正文さん。ストラングラーズを見出してくださってありがとうございます!!

 みなさんのおかげで、今回のストラングラーズ来日公演は大成功したと思います。規模は他の海外ロックバンドには及ばなかったけれど、内容では決して引けを取らなかったと思います。むしろ、理想的なライブになったのではないでしょうか?

 しかし、まったく記録していなかったので、時間と共に記憶が遠のいてライブの内容はざっと流してしまった。メモは必要だった。反省。
 それでは、いろいろ長々と書きましたが、以上で終わります。みんな、また盛り上がりましょうね!

    2020年1月 SIS JAPAN  黒木 燐(R.I.B.)
 

 ↓ストラングラーズの登場を待つファンの皆さん。11月3日撮影。あなたは写っているかな? 私は相変わらず人に埋もれて見えないぞ。
 (クリックして拡大)

Photo_20200205055701
 
  

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2013年3月20日 (水)

バーネル師範がプロデュースしたあるいは参加した曲特集

ポリフォニック・サイズ「ウォーキングクラス・ヒーロー」
 ~PolyphonicSize "Walking Class Hero"~ 

 JJがプロデュース・参加したベルギーのバンド。この曲はヴォーカルもJJです。プロモの気球おじさんもJJ本人です。一瞬別人に見えますが。

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2012年9月 8日 (土)

とりあえず、ストラングラーズ三昧

ようつべ ザ・ストラングラーズ100曲ぶっ通し。

http://www.youtube.com/watch?v=JKW2rb1o5VU&playnext=1&list=PL31CB6D65A33CF3A8&feature=results_main

http://www.youtube.com/watch?v=CHnK7m2PNVI&feature=bf_prev&list=AL94UKMTqg-9AOt6J--g_4EyUkI94ZYYCP

新旧取り混ぜ、ライブ・プロモ・ユーザーオリジナルの映像付き、曲だけ等色々取り揃え!
バリバリのパンク、ジャズ風、プログレ、ブルース、バラード、ワルツ、タンゴ、インスト、彼らの曲の幅広さ!

激しいの、静かなの、美しいの、優しいの、カッコイイの、ちょっと怖いの、少しエッチなの(たまにyoutubeタイアップのCMも入るけど有難く聴いてあげよう。スキップもOK)etc。

JJの爆音ベースと7色のヴォーカル。ディヴの炎のキーボードとクールなヴォーカル(彼の数少ないメインヴォーカル曲は、何気に名作だぞ)。ジェット・ブラックのタイトで正確なドラム。バズの大胆且つ時折見せる見かけによらない繊細なギターとヴォーカル。そして、未だ色あせないヒューのニヒルでシャープなヴォーカルとドライなギター。ポールの熱血ヴォーカル。

かけっぱなしでストラングラーズを堪能しよう!

【追記】

時々「表示できません」と出ることがありますので、その時は下のサムネイル画像からその次の曲を選んでください。

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2012年7月 1日 (日)

SWIM

 実は、私は泳げない。

 水自体は怖くないと思う。水恐怖症じゃない程度は。

 何度か泳ぐ練習はした。何とか体は浮くものの、手足をばたつかせるごとに潜水し、一向に前進まない。しかも、息継ぎもまともに出来ない。ひょっとしたら、比重が普通の人間に比べて重いのかもしれないと、本気で思った時もありました。

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2012年3月24日 (土)

キース還暦ライブパーティーへ行った話

 これは、ストラングラーズの日本公式サイトにアップしたレビューを加筆したものです。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;: 

 2012年2月5日。

 日曜だけど、いつもより早起きして家を出る。ライブは夕方からだけど、念のために早めに行くことにしたのだ。あと、ちょっとくらいは観光したいしね。
 それでも、ちょっと早かったかな? 10時の飛行機にしても良かったよなと、少し後悔したのは秘密だ。

 さて、今回も飛行機を利用することにした。早めの出発にしたのは、気圧の関係でいつも耳の調子が悪くなるので、その養生を兼ねてもあった。それなのに何故飛行機かと言うと、やはり時短出来るし安いのだ。今回、JALのバーゲンセールでハイアットに泊まって朝食付きで4万を切る安さだ。
 しかし、飛行機に乗り飛び立って間もなく後悔しはじめた。どうも地に足がついていないと言うのは落ち着かない。しかも、その地と足との距離は何千メートルも離れている。万一墜落したら、先ず命はないのだ。犬神明ではないが、無意識にシートベルトの金具を握りしめる自分がいた(もちろん、握りつぶすほどの力はない)。しかし、さすがはJALというか、機内サービスは万全だ。
 羽田着陸態勢に入った頃には完全に後悔していた。両耳の中がビチビチ鳴り始めたからだ。
(早く着陸してくれ・・・)
 私は耳を抑えてじっと我慢の子であった・・・。

 この年度末の多忙時に、そこまでして何で上京したかと言うと、ARBのドラムス、キースさんの還暦ライブパーティーというイベントに我らがJ.J.バーネルが友情出演するからだ。

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2010年5月 9日 (日)

PUNKSPRING(+Loft)に行った話

【お断り】写真の転載はご遠慮ください。

 2010年4月2日【名古屋】

 いつもより若干早く起きて、出かける準備の仕上げをし、忘れ物がないか確認。半袖のストラTシャツを着て、念のため、薄地のスプリングジャケット(とでもいうのか)を羽織ってから、年季の入った黒のライダースジャケットを着る。外は若干寒そうだがなんといっても4月だ。これで何とかなるだろう。念のため、黒の皮手袋をポケットに。スキニーパンツに靴は厚底のエンジニアブーツ。もちろん黒。黒はストラングラーズの象徴的カラーだ。それに黒のフェイクレザーキャスケット。
 立派な往年のパンクスの出来上がりだが、この黒尽くめ、実はいつものスタイル。金がねぇんだよ!

 よしっとばかりに立ち上がり、猫と母に見送られていつもの時間に家を出る。

 電車はいつもの通勤電車だが、今日は行き先が違うんだ。名古屋だ! 大阪だ! そして東京だぁ~!

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2009年10月18日 (日)

『狂人館殺人事件』(CM作成サイト

簡単CM作成サイト、コマーシャライザーで作ってみました。

簡単な操作ですぐに出来ます(画像のアップロードと、挿入する文章を考えるのにちょっと時間がかかりますが)。もちろん無料。

皆さんも挑戦してみましょう。

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