震災から1年
今日で1年経った。
1年前の今日は、金曜日だった。
3時の休憩中にネットを開いて2ちゃんねるのニュース速報+を開いた。ニュースの確認。いつものことである。年度末の多忙時とはいえ、今考えたらのんびりしたものだった。だが、その時すでに東北から関東にかけて、尋常ではない災厄が襲っていたなどとは知る由もなかった。
(あれ?)
スレッド一覧を見ながらふと思った。上の方に「大津波警報」というスレッドが立っていた。
(え? ネタスレ?)
と思って無視していたが。ニュー速+は2ちゃんねるで「記者」と呼ばれる人のみが立てることができる板だ。ネタスレなど立とうはずがない。
はっとして、急いでスレッドを開く。
情報はまだ錯綜しているが、信じられないことが書いてあった。宮城沖でM8を越える地震(当時)? 大津波警報発令?
・・・目を疑った。
宮城沖地震だ! これは大災害になる!!
しかし、そう思ったものの、その実体がどういうものなのか、この時は想像すらつかなかった。ましてや、それを上回る災厄であることなど・・・。
3時半近くなると、女性たちがざわめきだした。ケータイのワンセグで津波の信じられない被害を見たのだ。
「すごい・・・」
彼女らは映像を見ながら絶句していた。遅れて夕方ごろ、専務たちお偉いさん方が、パソコンでネットニュースの映像を見ながら驚きの声を上げていた。
衝撃は大きかったが、私たちにはどうしようもないことだった。しかも、年度末で納期の迫った業務が犇めき合っている。それぞれがもどかしい気持ちを抱えながら、仕事をせざるを得なかった。
残業を終え、家に帰るとテレビは震災一色になっていた。しかも、CMというCMは全部ACのものになっていた。尋常でないことが起こってると、否が応でも実感せざるを得なかった。
繰り返され流れる地震と津波の映像。帰宅難民であふれる異様な都心の風景。燃え盛る気仙沼の街。石油タンクの爆発。津波警報と被害状況を流し続けるテレビ画面の青枠・・・。しかも、それに加えて原発事故まで起きている。
こんなところでのんびりとこんな映像を見ていていいのか・・・。申し訳ない思いでいっぱいになりながら、テレビから目を離すことが出来なかった。燃え盛る街を見ながら、どうか皆避難していてほしい、あの中に人、いや、生き物はいないでほしいと心の底から祈った。
翌日になっても津波警報は発令されたままだった。警報から注意報まで日本中津波の危険にさらされていた。その後、PCを開いてブログのアクセス解析を見た私は驚いた。このブログのアクセス数がうなぎ上りになっている。この非常時にタイノエでもあるまいと、ページアクセスを確認して納得した。JCO事故・・・正しくはその事故で亡くなられた方のドキュメンタリーの書籍について書いた記事にアクセスが集中していた。
私は戸惑った。JCOの事故は今回の原発事故とは全く異なる事象だ。下手をすると余計な不安を抱かせることになりかねない。それで、私は冒頭にその旨を注釈として書き加えた。その名残は今もその記事にある。
午後から歯科に行き、夕方治療が終って病院を出ケータイに電源を入れると、妹からメールが入っていた。福島第一原発、通称「ふくいち」の1号機の水素爆発が起こった事を知らせたメールだった。
「くそっ、とうとうやっちまった!」
私は思わずつぶやいた。原発の事故次第では、日本中が汚染されかねない。これからどうなるのだろうか・・・。行く末のまったく見えない状況に、背筋に冷たいものが走った。
家に帰ってまたブログのアクセス解析を見ると、例の記事に対するアクセス数が1000を突破していた。
あれから1年。
被災地の復興にはまだ遠く、福島に至ってはまったく先が見えない。絆、とか言いながら、ガレキの受け入れはなかなか進まない。
いっそ、被災地以外の自治体に、一定量のガレキの受け入れ義務を課すようにした方がいいのではないかと思う。たとえば一人当たり1g×人口分のガレキは受け入れないといけないとか。
それと、スマトラ島地震の時のように、ほぼ同レベルの地震がおこり再度大津波が襲う可能性はまだあるので、津波で壊滅したあたりに住むのはしばらく控えた方がいいと思う。
私も特に力がなく、わずかな義捐金を送るくらいしか援助出来ないので、もどかしい気持ちは今もある。ガレキも福島の野菜も個人的には受け入れOKなのだが。
それでも、少しでも力になれることがあれば、やっていきたいと思っている。
今日は、被災地だけでなく日本中で多くの人が地震が起きた時間に黙祷をした。多くの自治体がサイレンや鐘をならして犠牲者を悼んだ。パリでは現地が早朝にも関わらず、多くの人が祈ってくれた。おそらく他の国でも黙祷をささげてくれた方が大勢いるだろう。
こういう時、人間は本当に素晴らしいと思う。
1年経ったが、本当に大変なのはこれからだと思う。これから長期間に渡るであろう復興への道のりを、日本中が本気で力を合わせて歩んでゆかねばならない。世界中の人たちのエールに答えるためにも。
【関連記事】
「『前へ!』~東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録」
https://kuroki-rin.cocolog-nifty.com/heaven_or_hell/2011/12/post-8761.html
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