« 公安情報流出について | トップページ | 物に対して「~してあげる」って言うの、やめないか。 »

2011年1月16日 (日)

ブックレビュー『村崎百郎の本』

41gbkltjgyl__sl500_aa300__2※注意:このエントリーには「キチガイ」やそれに類する単語が多く使われますが、これは、この話には不可欠な単語であり、重要なキーワードでもあるからです。ご了承のうえお読みください。

■なんか長い前置き

2010年7月23日の夜。

「さて、ブログ(このブログね)の更新をしようかな、小説の続きを書こうかな?」
 明日は土日。休み前の解放感にひたりながら、パソコンの電源を入れた。しかし、ネットを開いた私の目に真っ先に目に飛び込んできたのは、信じられないニュースだった。

『作家の村崎百郎さん、自宅で刺される』

 うそっ。

 急いでそのニュースをクリックする。まさか・・・。そんな馬鹿な!! 間違いであってくれ・・・。

 しかし、事実は無情だった。メッタ刺しでほぼ即死状態だったという・・・。

 

 犯人は統合失調症の男で、殺害理由は村崎さんの著作に騙されたということらしい。住所を2ちゃんねるで知り、明確な殺意をもって、途中柳刃包丁を購入し、殺害に向かったという。

 そいつが真正の精神病患者だったことは、犯人の名前が伏せられたままで、その後の報道がほとんどなかったことでもうかがえる。

 しかし、ちょっと待て。

 ここや他所で何度も書いたが、住所を調べることができて、その住所にたどり着くことが出来、凶器もちゃんと選んで購入出来、刺殺完了後警察に自分で通報出来るような輩がなんで罪を問われないのか。少なくとも、心神喪失状態ではないだろう。むしろ、至って冷静だった。こんなのに計画的に殺されて、仕方ない、運が悪かったなんて自然災害のように終わらせられては、被害者・ご遺族を含め、たまったものではないと思う。

 ニュースを知ってすぐは自分でも考えられないくらい、ショックで身の置き所がない状態だった。その結果二次被害にあったのが私の妹で、入浴中にも関わらず、私から風呂の戸をドンドンと叩かれ驚いて言った。
「何かあったと?」
「村崎さんが殺された!」
「なに?」
「あのね、村崎百郎が刺し殺されたって!」
「うそやろ」
 

 ・・・何故?

 そして、先ず浮かんだのは、電波がかった陰謀説。

 実は、毎月更新されていた唐沢俊一氏との対談、『社会派くんがゆく!』の当月分が、村崎さんが刺殺される10日前アップされていたのだが、その対談で、K福の科学の中川氏(教主名なんかで書いてやんない)が出した『竜馬本(例によっての有名人を利用して都合のいいことを書きまくった本。竜馬がK福実現党をあの世から応援しているとかいう内容らしい)』が自宅に送ってきたということをネタ振りしていた。それを何の気なしに居間に放っていたら、竜馬ファンの奥さんに怒られた。だから唐沢さんにあげるわ。

 まあ、意訳するとこんな内容だった。唐沢さんも短いが鋭いツッコミを入れていたが、ほとんど村崎さんがからかい気味に本の批評をしていた。

参考:このページの最後の方
http://www.shakaihakun.com/vol102/06.html (『社会派くんがゆく!』より) 

 結局、この話題が「社会派くん」の最後のネタとなった。

 宗教には時折、常識では考えられないくらい教主に心酔した信者が、狂信するあまり侮辱した人に殺意を抱くことは珍しいことえはない。特にカルトにおいては。
 なので、この発言に怒った信者が狂人を装って(あるいは狂人ゆえの行動で)、天誅に来たのでは、と思ったのである。

 しかし、結局、犯人が総合失調症であることは間違いなかったのだろう。またその宗教との関わりはなかったようで(まあ当然だが)、この「ファンによる作家惨殺」というショッキングなニュースは、いつしか日ごと伝えられる様々なニュースに埋没し、あっという間に人々の記憶から消えていった・・・。
 

 
 村崎百郎という人の『鬼畜』な部分をよく知らない私がこの本について、つまり、『村崎百郎』についておこがましく語っていいのだろうかという気持ちもあるが、とにかく書いてみよう。バロウズ(ターザン作者のバローズとは別人)やアルトー等は私が通っていない作家なので、本当は村崎さんを語るうえで重要なのだが、このレビューでは触れないと思う。

 さて、前置きが長くなったが、レビューに入ろう。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

影に殺された男

 この本は、村崎さんへの手向けであり、餞であり、同時に編集者や参加した知人たちの事件に対するリヴェンジだ。
 

 『村崎百郎の本』。

 これがこの本のタイトルである。

 彼が凶刃に倒れてから4か月後に発行されたこの本は、実質追悼本だ。しかし鬼畜を名乗っていた本人の意志(敢えて「意志」と書く)とそれ故に「まっとうな追悼めいた文は寄せたくない」という関係者の意向、そして、村崎さん本人が嫌がるだろうということを考慮した上でこうなったのである。

 参加者は、京極夏彦 根本敬 今野裕一 柳下毅一郎 宇川直宏 木村重樹 切通理作 須川善行 唐沢俊一 雨宮処凛 磯部涼 吉田アミ (敬称略)という異色の顔ぶれ。
 

 鬼畜系ライター、村崎百郎。1961年シベリア生まれ。中卒。職業:工員。趣味:ごみ漁り(実益を兼ねる)。

 これが、彼のプロフィールである。
 だが、その実体は黒田一郎という、ペヨトル工房の元編集者で大卒のかなりのインテリジェンスを持った人だということは、知る人ぞ知る事実であった。ペヨトル工房の主宰者である今野裕一氏に惚れ込んで入社したということだった。
 ペヨトル工房の本は、『夜想』と『銀星倶楽部』を数冊持っている。中でも夜想の『怪物・畸形』は、未だに時折読み返している(ただし、これは1983年発行なので、村崎さんはまだ入社していない頃と思われる)。

 因みに彼と同じ高校の出身者にはこの本にもインタビューで参加された作家の京極夏彦さん、そして漫画家のゆうきまさみさんがいる。

 だが、彼には電波(さまざまな声など)を受信する・見えざるものを見る・暴力衝動に駆られるという、自分でも持て余す部分があった。
 しかし、普通ならこのような場合、神(あるいは悪魔、あるいは宇宙人)の声に従ったり、霊や「UFO」が見える霊能者だと信じ込んだりして周囲から驚嘆されたりウザがられたり教祖に祭り上げられたりするものだが、彼の理性はそれをことごとく否定した。そして、そんな現象が起きる自分をキチガイだと判断した。
 彼はそういうモノと折り合いをつけるために、シールドとして紫の覆面頭巾(何となくケムール人っぽい)とマントをつけた。そうして生まれたのが村崎百郎という鬼畜系ライターだ。

「すかした奴は許せねえ。この日本を下品のどん底に突き落としてやるぜ~!」

 知られざる村崎/黒田の逸話がこの本で次々と明かされ、村崎百郎という人物のマスクに隠された素顔が、だんだん明確になっていった。

 厳しい両親に育てられた。親の仕事の関係で各地を転々とし、田舎のガキンチョにいじめられていた。その対策のため空手を習い始めた。高校の頃は空手部の主将を務めていた。当時は背が高かったが痩せていて、けっこう美少年だったらしい。

 ここら辺(20代にかなり狂暴だったあたりも含めて)、ストラングラーズのJJ・バーネルを彷彿とさせられるので、親近感が持てる。

 村崎百郎の登場は、1990年代半ばに於いてサブカルチャー界にセンセーションを巻き起こした。

 残念ながら、私は当時のそれを知らない。
 そのころの私は、仕事が忙しく残業や休日出勤が重なって、読書量がめっきり減っていたが、それ以前にサブカルチャー界は私には毒気が強すぎた。
 少し、個人的なことを書かせてもらうと、そのころ手にしたと学会の『トンデモ超常現象99の真相』は、私の目から大量のウロコを落とすことになった。そして、と学会に興味を持ち彼らの本を読み、唐沢俊一という作家繋がりで『社会派くんがゆく!』を読むようになり、村崎百郎という人を知ったわけだ。

 話をもどそう。

 しかし、90年代の終わりごろから急激に広がり始めたインターネットと、巨大匿名掲示板の出現。それにより、その気になれば誰もが匿名で毒を吐けるようになったことで、『鬼畜』としての『村崎百郎』というものの存在理由がかすみ始めた。それは、携帯電話の普及により、より顕著となっていった。匿名性に味をしめた普通の人々の一部が暴走し、リアル世界では憚られることを平気で書き込む。目もあてられないような画像をアップする。それは、現実がゲスな妄想を凌駕する世界(P16)だった。さらにそれらの媒体の普及に伴い、本の売り上げが激減した(P16)。出版界に冬の時代が到来したのだ。 

 だが、漫画家の森園みるくさんとの出会いが、彼の人生を変えた。彼女は最良の伴侶であり、創作に於いても最高のパートナーとなった。
 原作:村崎百郎、漫画:森園みるくという黄金のコンビは、レディスコミックという女性向けのエロマンガ雑誌という枠を超えて、多くの名作漫画を残した。 
 新聞には内縁と書かれていたように公では未入籍としていたが、事実、二人は正式に結婚していた。「鬼畜が正式な結婚をするなんて変だろ」。というのが、入籍を隠す理由だった。しかし、それなのに何故きっちりと結婚していたのか。その理由はこうだった。
「オレは親に自分がキチガイだって隠している。でも、結婚だけは親が喜ぶから知らせてやりたい」(P32)

 ・・・。

 この結婚生活が黒田/村崎にとって、穏やかで充実したものであったことは間違いない。それは、「森園宅に原稿を取りに行くと、長髪の巨漢が掃除機をかけながら物腰柔らかに挨拶してくる」そういう噂がたった(P17)らしいことからもうかがえる。

 私は、この人を『社会派くんがゆく!』でしか知らないので、彼の『文章』をこの本で初めて読んだ。

 感想は、文章が詩的で完成されており、また、情動の背後に妙に冷静な目が控え、アレな人に特有な支離滅裂さは一切なく、一見めちゃくちゃのように思える文章でも、実は書きなぐったのではなくちゃんと計算されて書かれたもののように思えた。
 私は、実際に精神的に壊れた人の文章を何度か読む機会があったが、あれは本当に支離滅裂というしかない代物だ。浮かんだ言葉をそのまま書いたとしか思えない。時に、句読点のろくにないまま、ハガキいっぱいに細かい字で書かれ、しまいにはどんづまった文章が溢れ、ハガキのわずかな余白にまで漏れ出し、文字がぐるりと半周してやっと終わったというスサマジイものもあった。
 村崎さんの文章は、それとは一線を画していた。(プロの作家なのだから当然なのだが、昨今のベストセラーと言われるものの一部を見ると、こんなんでいいのかとマジで憂えてしまう。それを思うと、この前の水嶋ヒロの小説についても、彼が存命であったら何と言っただろうか。つくづく残念だ)

 『スターリン』が好きで、『頭脳警察』が好き。RCサクセションも好きだった。一度『頭脳警察』のパンタさんに会う機会があったにも関わらず、恐れ多いとその機会を自ら回避してしまった。かなりシャイな人だったようだ。あっちでは、ちゃんと(忌野)清志郎さんに会えたかな?

 ああ見えて、赤ちゃんが大好きだった。木村茂樹さんと共著の『電波兄弟の赤ちゃん泥棒』は、二人がクリエィターさんの家に押しかけ覆面の巨漢が赤ちゃんをアバアバとあやす(P16)という『スタジオボイス』の連載企画をまとめたものだ。この『村崎百郎の本』に、その本に掲載されていたらしい怪しい覆面男がにこにこ笑っている赤ちゃんを抱っこしている奇妙な写真が掲載されている。(奥付裏)

 そんな村崎さんだったから、社会派くんがゆく!で、子供の虐待死事件に関しては、本当に嫌がっていた(P224)らしい。

 それに対して「何のひねりもなく」ストレートに怒りをぶつけた件(くだり)がある。(『社会派くんがゆく!』怒涛編P351 福岡の子殺し事件に対して)

 オレは「可哀相だから排除したり殺したりしてもいい」って発想がいちばん嫌いだな。”美しくて素晴らしいものしか存在が許されない世界”なんて、考えるだけで反吐が出そうだぜ! 別にいいじゃねえかよ、この世に生まれた以上、人はみんなそれぞれ自分なりに自分の幸福を追及する権利があるんだし、それを他人が「可哀相だから」と言って殺していい道理があるもんかよ。平等なんてありえないけど、人はみんな与えられた状況と条件の中で、最大級の努力をして自分なりの幸福を掴める可能性があるんだから、親だろうとなんだろうと、それを勝手に悲観して「可哀相だから」と子供を殺しちゃうのは違うだろ? 完璧な人間に生まれたって幸福に生きられるとは限らないんだし、そんなに簡単にあきらめるなって話だよ。

 この村崎本を読んだ後これを読むと、改めて、彼がこれを上っ面な正義感で言っているのではないことがわかる。

 もちろん、編集された文章であるから、実際言った言葉とは多少違ってはいるだろうが、自らを異端と自覚した・・・ずっと昔から自分の狂気を認識していた人間として、ついて出た言葉のように思えてならない。

 私も、親の判断で可哀相だからと言って子供を殺すことには同意できない。ましてや自分の都合で故意に餓死させるなんてもっての外ではないか。
 そういえば、あの幼い姉弟がネグレクトで餓死させられた事件は、村崎さんが亡くなられたすぐ後だったと思うが、きっと生きておられたらまた、こうして怒ったことだろう。救えた可能性の高い事件だけに、怒りもひとしおだったと思うが、おそらくその母親にもある程度の理解は示したかもしれないとも思う。

 この、『社会派くんがゆく!』は、唐沢俊一+村崎百郎が、前の月に起こった事件について歯に衣着せずに語り合うというアスペクトの企画で、毎月欠かさずアップされていた。足かけ10年になる連載で、去年の暮には10冊目が出るはずだった。しかし、村崎さんが殺害されてしまったために、代わりのように出たのがこの『村崎百郎の本』だった。
 村崎さんの著作や、鬼畜対談と銘打ったこの対談のために、自業自得とか、殺されても仕方がないとかいう人々も少なからず居た。だが、彼の書いたものや対談の内容をちゃんと読んでいれば、単なる悪意の垂れ流しではなかったことがわかるはずだ。
 最近、空気は読めても行間を読めない人が増えてきたんじゃないか。

 自分の内なる狂気を理解して、どうにか飼いならしていたであろう村崎百郎は、犯罪者側の立場に立って考えることが出来る人間だった。それ故に、いつか自分が人を殺してしまうのではないかと自分を恐れていた(P230)。その彼が、精神障碍者に殺されてしまった。
 いささか出来すぎとも言えるくらい、因果な事件だったと思わされる。

 犯人の男は、「村崎さんの著作に騙され殺意を持った」という。

 彼が殺したのは、村崎百郎という作家だった。しかし、それとともに黒田一郎という人物を、その才能や無限の可能性とともに抹殺してしまったのだ。
 だが、その男は知っていたのだろうか。自分が殺したのは、数少ない自分等の理解者だったということを。村崎百郎が、殺意を持ったこの男を家に招き入れたのも、自分と同じモノであることを感じ取っていたからではなかったか。

 人は多かれ少なかれ、狂気な部分を持ち合わせ、それと折り合いをつけて生きている。
 どんな人だって犯罪者になる可能性がある。ヒトゴロシになる可能性だってある。

 ・・・だってあなた。あなただって今までに一度くらいは激しい殺意をいだいた覚えがあるだろう。しかして、その反対に被害者として殺される可能性もある。誰もが被害者になる可能性も加害者になる可能性も持っている。そしてそれは、いつ私たちの身に降りかかるかわからないのだ。誰の未来も平等に一寸先いや、一秒先は霧の中なのだから。

 彼は、常にそれを警告していた作家だった。そして、皮肉にもそれを体現するかのように、突然の襲撃者に惨殺された。まるで、今まで自分が語ってきた殺人者たちの一切の罪を背負ったように、大きなガタイをメッタ刺しにされて彼は散った。彼を知る人々の心に様々なひっかき傷を残して―――。

 ・・・。

 黒田一郎=村崎百郎。

 彼は自らのシャドウに殺されたのかもしれない。

 

 

 ___________________

 犯人は精神異常を認められて、刑法39条により不起訴となった。  

【刑法39条】 
1 心神薄弱者ノ行為ハコレヲ罰セズ   
2 心神耗弱者ノ行為ハソノ刑ヲ減刑ス

 これにより、いったい何人の被害者が血を吐くような悔しい思いをしただろう。この悪法が一日も早く廃止されることを願う。

■お礼とあとがき

 私がなかなかこれを書き上げることが出来ないのを心配して、参考になるだろうとズートホンロロさんの「四国霊場国分寺~黒田一郎(村崎百郎)を想う。」という文章を紹介してくれた、drac-obさん、それを快諾してくれたズートホンロロさん、どうもありがとうございます。
 直接は文章に反映されませんでしたが、また新しい村崎百郎の表情がわかり大変参考になりました。
 また、多くの人が村崎さんの死に納得いかず、それぞれが村崎さんの死を自分なりに解釈し、なんとかその死を受け止めようと、もがいていることを改めて思いました。そして、村崎(黒田)さんの人柄が、実は多くの人に好かれていたことも。

 このような理不尽な事件は、多くの人の心に傷跡や影を残すのだということを今一度痛感いたしました。

 結局、十分に納得できるものは書けなかったけど、気持ちだけは込めました。

 年は明け、あの事件から半年が経とうとしています。それで、そろそろ村崎さんに対してストレートな追悼の言葉を贈っても良い頃ではないかと思うのです。やっぱり本人は嫌がるかもしれないけれども。

|

« 公安情報流出について | トップページ | 物に対して「~してあげる」って言うの、やめないか。 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

書いても書いても、口惜しさは消えないことと思います。
世の中理不尽なことが多すぎます。

投稿: MM21 | 2011年1月17日 (月) 23:14

一気に読ませて頂きました。
燐さんらしいな、と思うと同時に
らしくないな、と思うところもありました。

整理できてないんだな、って思った時に
本当に好きだった人が亡くなった後、
気持ちの整理なんて絶対出来ないよな、と
一人納得しました。今日はちょっと疲れてるので
また明日ゆっくり読み直します。
乙でした。

投稿: drac-ob | 2011年1月17日 (月) 23:18

MM21さん
そうですね。
書いても書いても・・・。
人がコントロールできない、ある程度の理不尽は仕方がないかもしれませんが、あまりにもそういった事件が多すぎます。

投稿: 黒木 燐 | 2011年1月23日 (日) 11:35

drac-obさん
タイプミスの訂正どうもありがとう。

>整理できてないんだな、って思った時に

ビンゴです。
ただ、整理できてないってのは、この本の内容自体を租借しきれていないということもあります。

気になっている箇所は、後に加筆修正するかもしれません。

投稿: 黒木 燐 | 2011年1月23日 (日) 11:42

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ブックレビュー『村崎百郎の本』:

« 公安情報流出について | トップページ | 物に対して「~してあげる」って言うの、やめないか。 »