PUNKSPRING(+Loft)に行った話
【お断り】写真の転載はご遠慮ください。
2010年4月2日【名古屋】
いつもより若干早く起きて、出かける準備の仕上げをし、忘れ物がないか確認。半袖のストラTシャツを着て、念のため、薄地のスプリングジャケット(とでもいうのか)を羽織ってから、年季の入った黒のライダースジャケットを着る。外は若干寒そうだがなんといっても4月だ。これで何とかなるだろう。念のため、黒の皮手袋をポケットに。スキニーパンツに靴は厚底のエンジニアブーツ。もちろん黒。黒はストラングラーズの象徴的カラーだ。それに黒のフェイクレザーキャスケット。
立派な往年のパンクスの出来上がりだが、この黒尽くめ、実はいつものスタイル。金がねぇんだよ!
よしっとばかりに立ち上がり、猫と母に見送られていつもの時間に家を出る。
電車はいつもの通勤電車だが、今日は行き先が違うんだ。名古屋だ! 大阪だ! そして東京だぁ~!
博多駅で土産を買い込んだが、のっけから買いすぎる。今まで切り詰めていたから、反動か? 気をつけよう。そして、予定通りに新幹線に乗る。名古屋まで約3時間半の旅。
大阪に着いて、列車が動き出してから、何の気なしに通路を歩く人たちを見ていた。すると、黒ずくめの長身長髪でカッコいい女性が歩いてくる。よく見るとシャツには見覚えのある絵とロゴが。
私の運営するSIS(Stranglers Information Service) Japan会員のkiyoさんだった。軽い挨拶の後、後ほど会うことをにしてkiyoさんは自分の席へ。
名古屋駅のホームでkiyoさんと再度会ってから、改札を出て、少し待ってから同じく会員のGPZさんとも合流。会場のZEPP名古屋まで歩いて行けるというので、3人連れ立って歩く。
たぶん会場に行くであろう人たちが、ぞろぞろ歩いていく。しかし、若者率高し。まあ、えートシこいて、こんなイヴェントに行くようなオッサンオバハンは、ストラングラーズ目当ての我々くらいだろう。二コルさんは、すでに会場に着いているらしい。・・・しかし、寒い!
ZEPPにたどり着いてニコルさんと合流。彼女はストラングラーズの日本公式サイトや私が個人的にやっているストラングラーズ掲示板ではまだまだニューフェイスだが、彼女も年季の入ったストラングラーズファンだ。それにしてもピンクのパーカーっぽいジャケットで寒そうだ。
開場したら、チケットの番号順に中に入れるらしい。すでに列が出来ていた。私たちは特に一番に入ることもない。目当てはストラングラーズだけだ。ほかのバンドはまったく知らないのだから仕方がない。
列を離れて待っていると、黒のライダースの下にストラシャツを着た若い兄さん発見。みな目ざとく彼を見つけた。伊達や酔狂でストラングラーズシャツを着る筈はあるまい。すかさずkiyoさんがアタック開始した。以後、kiyoさんは斬り込み隊長として大活躍してくれた。
開場時間が過ぎ行列もだいぶ減ったので、件の若者S君(以降MIBジュニア)とkiyoさんのマイミク、アニィさんことWさんと合流した私たちは、会場に入っていった。
しばらく通路でビールやソフトドリンクを飲みながら、みんなでいろいろ話していると、電話がかかってきた。Yukaさんからだ。急いで電話に出る。
「今どこ?」
お互い場所を確認しあっていると、向こうに電話をしながらきょろきょろしているYukaさん発見。急いで手を振り駆け寄る。はるばるスコットランドから来たという熱狂的なファンのジョン君と、ストラングラーズとは古い付き合いで、昔から彼らのためにいろいろ尽力して下さっている加藤さんも一緒だ。なぜかYukaさんは加藤さんに「だいたい・・・・なんて聴きたいって誰が思う?」(・・・・部は聞きとれず)と言って憤っていた。何を熱く怒っているのかわからなかったが、普段はクールなYukaさんは、彼らのことになるといきなりホットになる。そのギャップがなんか微笑ましい。
その後、結局我々とは3日間のお付き合い(ロフトを入れたら4日だ)となった、ロンドンから来たアンドリュー君も合流。これで主要メンバーは揃ったようだ。
ストラングラーズとは、現在結成36年の英国のロックバンドで、初期はパンク・ムーヴメントに乗って頭角を現した。しかし、もともとパンクとは一線を画していた彼らは、オリジナル路線を突っ走り、数回メンバーのマイナーチェンジをしながら、現在に至っている。
現在のメンバーは、ギター兼ヴォーカルにバズ・ワーン、ベース兼ヴォーカルにジャン・ジャック・バーネル、キーボードにディヴ・グリーンフィールド、ドラムスにジェット・ブラックという構成である。(因みに初代ヴォーカル兼ギターは今もファンの間で絶大な影響力(いい意味でも悪い意味でも)を持つヒュー・コーンウェルで、このバンドの発起人でもある。)
ストラングラーズの出番が近づいたので、前のバンドの演奏中だが私たちはぞろぞろと館内に入っていった。ゆっくりとステージに近づき、演奏が終わって人の流れが出来ると、それに逆らってステージの前へ、前へと進んでいく。一番前とはいかなかったが、前から2番目くらいの位置に行くことが出来た。例のMIBジュニアはうまく最前線を確保できたようだ。クルーの皆さんが出てきて、淡々と、だが念入りに機材のチェックと調整をする。ドラムを見てkiyoさんが速攻で言った。
「ああ、ジェットやないわぁ~」
彼女曰く、ジェットのドラムセットはもっと規模が大きいそうだ。
そのとおりなのか、ドラムセットに座っているのはまだ若いイアン君だ。もっとも、クルーでもある彼が、この時調整のためセットに座るのは不思議ではないのだが。と、いきなりkiyoさんが「イア~ン!」と叫んだ。彼はよもや日本で我が名を呼ばれるとは思っていなかったのだろう。きょろきょろしていた。後で聞いたが、とても恥ずかしかったらしい。嬉し恥ずかしってところだったのだろう。よかったね、イアン君。2007年のサマソニでは調整中にドラムの点検に出てきたジェットだったが、体力を考えて英国でお留守番。残念だがもう70だもの、仕方がない。
さて、場内が暗くなり、次に明るくなった時バンドのメンバーの姿が現れた。
そして聴きなれたリズムが聞こえてきた。5ミニッツ(5 Minutes)だ。サマーソニック07の時もたしかこれから始まったような記憶がある。しかし、JJの声がなんか変だ。いつものように出ていない。そりゃ、ヒューやポールのように朗々とは歌えないが、彼には彼独特の歌い方があり、決して下手ではない。歌のイメージで声や歌い方をガラリと変える。時に荒々しく、時に甘く、時にクールに。しかもどれもセクシィ。特に5ミニッツは歌い慣れたナンバーだ。変だな。でも、長旅の後ではあるし、日本は春で暖かいと思いきや、こんな11月みたいな天気だし、そのせいかなと軽く考えていた。それで、あまり気に留めずに目の前の彼らの姿に見入った。
今回も単独は果たせずフェスでの来日だったが、3年を待たずに日本でまたストラングラーズのライヴを生で視聴出来るなんて、奇跡のように思えた。演奏時間は短いが、それでも日本で彼らの生演奏が聴けるのだから。ステージのメンバーと、客席で手を振り上げ嬉しそうに歌うSIS会員やファンのみんなを見て、ああ、良かったと思い、なんともいえない感動がこみ上げて、一緒に歌いながら視界が少しぼやけた。イカンイカンと思い、ステージに集中する。与えられた時間は僅か30分。一音たりと聞き逃してはなるものか。
次に始まったのはグリップ(Grip)。デビュー前のデモテープにも含まれる、最も古いストラングラーズの曲のひとつだ。ヴォーカルはギター担当のバズ。ヒューの鯔背(いなせ)で荒々しい歌い方も良いが、バズもしっかりと自分の歌にしている。ある友人から「メンバーが変わっていて驚いたけど、彼はもう30年くらいバンドにいるみたいに馴染んでいるね」と言われたが、まったくそのとおりで、違和感なくヒューのニッチをしっかりと埋めている。
そして次は・・・、駆け回るようなキーボードの音に、ついでダダダドダダダドダダダドダダダダという激しいベース音。なんと! 「ノーフォーク・コースト(Norfolk Coast)」だ!! 2004年リリースのアルバム「ノーフォーク・コースト」の表題曲だ。これを演るとはまったくの想定外。ポール在籍時の最高傑作のひとつで、すごくかっこいいナンバーだが、ヴォーカルは・・・これまたなんと、JJだ! が、しかし、これまた声が出ていない。最初の語り調ヴォーカルは、JJの得意とする分野なのに・・・。やっぱりなんか変だ。実はこの頃、JJの体内では既にナノサイズのパラサイトが容赦なく増殖していたのだ。
そんなこととは露知らず、若干の不安材料はあったものの、私は大好きなノーフォーク・コーストを生で、しかもJJのヴォーカルで聴けて満足していた。
次に、これまた聴きなれたギターのフレーズに、次いでキーボード。伝説の「サムシング・ベター・チェンジ(Something Better Change」だ。ヴォーカルはもちろんJJ。これは、問題なく歌っているようだ。私も安心して一緒に歌う。
「CHANGE」
バラク・オバマはこの言葉を高々と掲げ上げ、見事にアメリカ合衆国大統領に就任した。この言葉を、実に30年以上もテーゼとして歌い続けているのだ。ストラングラーズは!
伝説。それは、初来日東京公演の最終日、1979年2月19日「サムシング・ベター・チェンジ」3回連続演奏。当時、パンクムーヴメントに乗り彼らは日本で熱狂的に支持されていた。そんな中、彼らはこの曲を3回連続して演った。しかし、それでも何の疑問を持たずに喜んでいる日本の聴衆にJJは怒った。おまえら、この歌の意味がわかっているのか? 俺たちは”Change”と言いながら同じ曲を3度も演奏したんだ。怒れよ! 何で怒らない?
"Don't smile so much, It can make you blind ! (あまりへらへらするなよ、見えるものも見えなくなっちまうぜ!)”
”Change!!”
最後にJJが叫び、あわせてファンたちも手を振り上げて叫ぶ。なんか、ひとつ役目が終わったような気分だ。
伝説の次に演奏されたのは、なんと、「ロスト・コントロール(Lost Control)」。横に居たGPZさんが私をつっついた。「何だっけ?」「ロスト・コントロール!」私は答えたが、大音響に声が消えそうだ。幸い、彼女には通じたようだ。
これもまた「ノーフォーク・コースト」からの曲で、さらに想定外だった。しかし、タイトルどおり過激な曲で、ストラングラーズ特有の長めの間奏はなく、曲調をガラリと変えて歌が続く、「I feel lile a wog」形式で、珍しく効果音としてコントロールを失ったらしい車の激しいブレーキ音がギャンギャン入っていて、かなりエキサイトする。歌詞の前半は変速的なのでついて歌いづらいが、I hear voices everywhere, Voices in my head”のところは歌詞を見なくても聞き取りやすくしたがって歌いやすい。さらに”Dollars and Cents!”と一緒に叫ぶことが出来る。しかし、何でこの曲なのか。
お次は長瀬君がかわいい、もとい、日立WoooのCMにも使われた、原曲キンクスの「オール・デイ・アンド・オール・オヴ・ザ・ナイト(All day and all of the night)」。この曲は、もうすっかりストラングラーズのものとして消化され、血肉となっている。さすが、ベテランの貫禄である。そして、この頃にはもうJJの声の不調に関しては、私の頭から消えていた。
そして次はのっけからJJのベースソロが・・・。そう、これはストラングラーズの代名詞にもなっているこの曲、「ノー・モア・ヒーローズ(No more heroes)」・・・!! 単独ライブであれば、アンコールの最後の最後に演奏される曲だ。この曲を演るということは、もう最後の曲なんだ・・・。早い、早すぎる!! 演奏時間30分。実際はもっと短いだろう。覚悟はしていたが、なんて酷い!
それでも、一緒に歌う。これでもかとばかりに歌う。
「ノー・モア・ヒーローズ」。 だけどストラングラーズ、私たちにとって、あなたたちは紛れもなくヒーローだった。そして、これからも。クライマックスにはこぶしを振り上げた。
演奏を終えると、彼らは速やかに去っていった。ファンたちが手を伸ばす。JJがその一人にピックを手渡した。JJからそれを受け取った幸運な男、それはあのMIBジュニアだった。良かったね。家宝にするんだよ。
(あとで、私はGPZさんに聞いて爆笑したが、彼女はジュニアのそばに居て、もらったピックを「ちょっと見せて」よ受け取って、両手でスリスリしたらしい。鬼の所業じゃ~。まあ、鑑識が調べたらJJのDNAは多分残っていると思うけどね)
第一日目が終わった。演奏曲は計7曲。はあ、サマソニでも13曲くらいはやってたのになあ。半分かよ。
名古屋は平日だったこともあり、かなり人が少なかったようだ。まあガキ共は春休みで、名古屋では平日に開催されたのも、これがお子様向けのフェスだったためだろう。私たちは前列にいたからあまり実感できなかったが、ステージ上の彼らにはスカスカな客席が一目瞭然だっただろう。それなのにテンションを下げることなくいつもどおり全力で演奏した。JJは惜しげもなく脚を蹴り上げ、バズは観客を煽る。ディヴは終始クールに演奏する。イアンは控えめだがジェットの穴をよくカバーしていた。サービス精神も旺盛で、バズとJJが汗を拭きっこするパフォーマンスまで披露してくれた。
客はというと・・・。ファン以外の人たちも、それなりにノッて聴いてくれる人も多かったが、最前列に陣取った連中は、つまらなそうに柵に寄りかかっている者が目立った(目立っただけで、皆ではない。念のため)ひどいのになると、演奏中にも関わらず、一度もバンドのほうを向くことなく横の彼氏にべたべた抱きつく馬鹿女すらいた。別に最前列は譲る必要はない。君たちは早くから並んでがんばってそこにいるのだから。しかし、その位置にいるなら、せめて演奏中はちゃんと聴け! それが礼儀というものだ。どのバンドも演奏を聴いてもらおうと来ているのだ。機材を抱えて遠路はるばると。それならそれに答えてやれ、クソガキ共! ついでに、サカるなら後に行け!!
ストラングラーズの出番が終わったので、後ほど会うことを約束してYukaさんと別れ、私たちSISとアニィさん、そしてMIBジュニアは、食事会までの時間をつぶすために、喫茶店に入った。GPZさんが、夕方まで名古屋名物モーニングを出しているという喫茶店に案内してくれた。モーニングセットを頼んだのに、ほんとに飲み物代ポッキリだった。
そして、神戸までの最終バスの時間が迫っているというジュニアと別れ、私たちは予約していた居酒屋『Yちゃん』へ向かった。
そして、そこにはワクワクする事件が待っていた。
事の発端は、せっかくファンのみんなが集まるのだから、お食事会かお茶会をして交流を深めましょう、というYukaさんの提案からだった。それで、いいアイディアだと賛同し、SIS限定にしたほうがいいよねと言ったら、バンドのメンバーが来るとかいうなら、そうした方がいいかもれないけど、そんなことありえないから、ファンなら誰でもいいんじゃない? という返事。それなら、臨機応変に会場で声をかけてもいいねと考えていた。
しかし、名古屋の前日、Yukaさんから「ダメ元で誘ってみるね」というメールが来た。それでも、私は夢の夢だな、と思っていた。もっとも若干の期待は・・・いえ、すみません、一瞬の間、相当期待しました。でも、ダメだったことを考えたら、期待するとダメージが大きい。それで、私はすぐさま期待を押さえ込んだ。
「あり得んやろ」
そして、当日。ZEPPに入ってドリンクを注文していたら、携帯にメールが入ったので急いで出た。すると・・・。
(なになに『メンバー全員行きます!』ぅ?
・・・・なっに~~~!!!)
私は電話を取り落としそうになった。
(全員ってことは、あの人もあの人もあの人も? うっひゃあ~。えっと、『みなさん誠実なファンだからと、言ってくれて、行くことに合意してくれました』。うおぉぉ~! 超弩級サプライズだぁ~~~!!)
私は今すぐにでも、みんなにそれを伝えたいと思ったが、もし、結局だめでしたってことになった場合、期待以上の失望をさせることになる。それならサプライズにしたほうが喜びもひとしおだろうと思った。で、急遽、SISのみのお食事会に変更した。
しかし、ストラングラーズの出番が終わって、残った人数を見て、Yukaさんが言った。
「ねえ。この人数なら、みんな来ていいんじゃない?」
急遽、アニイさんとジュニアを誘ってみる。もちろんサプライズのことは内緒だったが。しかし、ジュニアは、最終バスが6時半だからと、残念そうに言った。アニイさんも用があるという。しかし、彼は少しだけなら良いか、と、予定を変更して来ることとなった。気の毒だったがジュニアは仕方がない。まあ、彼以外はファン歴30年以上のベテランキャリア組だ。ある意味、メンバーに会うには10年早かったということなのだろう。
予定時間の7時半より早く、彼らは姿を現した。
その時のみなの表情が忘れられない。一回、メンバーのほうを見、再度確認して「うそっ!」と立ち上がった。これぞ、サプライズ。
さらに、こういうことは本国イギリスでもないことらしい。ほとんど奇跡に近いことだったのだ。『馬鹿の一念岩をも通す』というが、まさにストラングラーズ馬鹿たちの引き起こした奇跡といえるかもしれない。
参加者は、まず、ストラングラーズの3人、マネージャーのギャリーさん(この人がまたバンドのメンバーより良い体格で)、はるばる英国組のジョン君とアンドリュー君、加藤さん、アニイさんそしてSIS Japanが5人で、計13人。おおっ。狭い席でみなぎうぎう。おかげで妙な遠慮がなくなって、早くも和気藹々。これは、ストラングラーズの面々の人柄もあるだろう。もちろん、節度は保ちました。みなさんいい大人だからね。
ほかのお客さんはもちろん驚いていたけど、単にでかい外人が現れたからだけ。よもや英国では有名なロックスターとは誰も思わなかっただろう。プロレスラーあたりだと思われたかもしれない。
さて、最初は狭いスペースでの席決めで皆が譲り合って大混乱。緊張で固まっていた私たちだが、先に書いたように時間がたつにつれて慣れてきたらしく会話が成立し始めた。しまいには緊張感などどこへやら。しかし、kiyoさんだけは最後まで緊張して固まっていたのだった。
楽しいひと時はすぐに終わる。最初は1時間くらいといっていた彼らだが、結局2時間くらい居てくれた。それでもタイムアウトはやってくる。別れ際がまた大団円。そうして彼らは嵐のように去っていった。
メンバーとギャリーさん、そしてYukaさんが去った後、彼らと一緒に来た中では加藤さんだけが残った。しばらく加藤さんとお話をする。彼の話は面白くて飽きない。加藤さんは、昔Kレコードに勤めておられて、ストラングラーズを日本で売り出そうと努力されたのがほかならぬ加藤さんだった。彼こそ、日本人で一番先に彼らと接触した人物なのである。彼からは、某所からメンバーの一人にオファーがあっているという、ちょっと面白い企画についても聞いたが、それは、ファンとしてはぜひ通って欲しい企画だった。私も少しアドヴァイスをしたが、役に立ったらいいな。
時間がたち、私たちも帰る時間となった。しかし、ニコルさんがビアジョッキを持ったまま離さない。聞くとバズが飲んだジョッキだという。ニコルさんはバズの熱狂的ファンだった。JJファンが多数を占めるストラングラーズファンの中では貴重である。それはともかく、そのジョッキどーする気? と、彼女はそれをバッグに・・・。おい! すると、GPZさんもJJの飲んだグラスをキープして、持って帰るという。
清算時にジョッキの値段を聞くと400円だという。で、持って帰りたいから買いたいのだが、というとOKらしい。店員の女性が新しいジョッキを出そうとしたのであせって止めた。
「これがいいんです!」
店員にあきれられながら、私たちは店を後にした。ジョッキ事件は加藤さんにはウケたらしい。私たちはジョッキ組二人に、くれぐれも戦利品を洗わないように釘を刺した。
その後、それぞれの宿泊場所を目指して解散。第1日目が終わった。
2010年4月3日【大阪】
昨晩はGPZさんちでお世話になったので、二人で大阪に向かった。大阪駅で今日から参戦のMM21さんと出会いその後kiyoさんと合流。ZEPP大阪へ向かった。しかし、開発途上みたいな場所にあって、道がよーわからん。なんとか会場に着く。そこでニコルさんと出会ってZEPP上のレストランで腹ごしらえをする。道がわかりにくいので、携帯メールの苦手な私は、GPZさんに頼んでYukaさん宛てに駅からの道順をメールしてもらう。Yukaさんも無事に到着。
Yukaさんを待つ間ガラス窓から外を見ていたら、今日だけ参戦のSISのAちゃんが、妹さんとやってきたのを発見。すかさず電話して上から手を振る。
その後、昨日のMIBジュニアが奥さんと友人と共に到着。見かけはコゾーだけど、20歳代後半でアダルトなジュニアだった。奥さんはふくよかでかわいい人。うむ、人は自分とは似た者か対照的な者をパートナーに選ぶものなのねと、妙に感心する。
そろそろ時間がせまってきたので、みなで会場に入る。アンドリュー君も無事合流。そのほかに金髪ロンゲのイギリス人ファンも現れた。ジョン君は大阪は不参加。その代わりロフトのリザードに行くらしい。そして、SIS会員のまっどはっつぁんも静岡からやって来た。ほかにもちらほらストラT発見。すかさず切込み隊長が向かう。kiyoさん大活躍。昨日の居酒屋では、JJを前に借りてきた猫だったけどね(笑)。
ライブ会場に入る前に、ノートの切れ端とボールペンを用意。曲目をメモするためだ。名古屋では1曲度忘れしてしまって悔しい思いをした。アンドリュー君は携帯電話のメモ機能を使っていたが、私にはそんな器用な真似は出来ん。
で、例のごとく、前のバンドの時にじわじわと前進。終了と共に入れ替わり前のほうへ。また2列目。サマソニではTシャツを見て代わってくれたのだけど、客層の違いか。まあ、ファンかもしれないし、そうじゃなくても昨日と違ってちゃんとしてくれるならいいけど。
それからまた、待ち長い機材調整。昨日で見慣れて聞きなれたけど、やっぱり出来たらすっ飛ばして演奏してほしいと思った。まあ、それで演奏がハチャになっても困るか。
ようやく明かりが消えて、バンド登場。照明がライブ用に変わって点灯。さあ、来たぞ。それにあわせて前方にいた人たちがシャキンとする。それによって目の前に壁が出来たが、昨日の体たらくよりよっぽどいい。隙間を縫って鑑賞。こういう時は背の低い自分が少しうとましい(余談だが、Yukaさんによれば、ヨーロッパでは背の低い女性は観客が好意で前列にやってくれるらしい。それで、中途半端な身長のほうが不便らしい。さすがヨーロッパというか。そういえば、ロンドンであったコンベンションでも、人に埋もれた私を誰かが最前列に引っ張り出してくれたっけ)。
最初は、やはり「5ミニッツ」。これは、JJが若い頃におきた悲惨な事件を歌ったものだ。彼の身辺で起こったことだけに、何度聞いても緊張感がある。結局犯人たちは見つかったのだろうか・・・。これを歌うたびにあの事件を思い出すのだろうな、と、時折考える。いったい、どんな気持ちになるのだろう。しかし、曲自体もだが、間奏が相変わらずカッコイイ。
ストラングラーズの曲は、前奏-A-B-間奏-AあるいはA’-エンディングというパターンを持つことが多いが、これもそのセオリーに従っている。
次は、やっぱり「グリップ」。ああ、やっぱ昨日と同じだな、と思って、メモをポケットにしまう。軽快なリズムに自戒的な歌詞。「Money's no good. You get a grip on yourself(自分を見失うな).」。歌の合間のウ~ウ~ウ~というハミングが特徴的だ。初期の頃は、そこにクラリネットが入っていた。
で、次は「ノーフォーク」かと思いきや、なんとキーボードのコミカルなメロが。おおっ、「ヌクレア(ニュークリア)・ディヴァイス(Nuclear Device. 邦題『核計画』)だ。あせって紙とボールペンをポケットから引っ張り出しメモる。
この曲は、自分の国を汚さずにオーストラリアで核実験をしまくったイギリスを皮肉ったもので、作った核兵器を日本に売りつけようという、アメリカの核の傘で守られた日本に対しての大皮肉もかましてある。途中の「ダダンダダンダダン!・ドン!ダダンダダンダダンダダン!・ドン!ドン!」という特徴のある箇所では、皆が合いの手を入れていた。輸入盤のライブアルバム等で知っているのだろう。最後の早口言葉的ラップ(?)が圧巻。バズはこの難しい部分をトチらずにちゃんと言えたようだが、こっちが緊張(笑)。これまた余談だが、イギリスは、化学兵器実験もオーストラリアで行っていた。
さて、次は昨日どおりに「サムシング・ベター・チェンジ」。例によって一緒に歌っていた。間奏でバズがギターの出だしを半音間違ったらしく、なんか変。しかしバズはそのまま強行突破。まあ、それはそれでご愛嬌。ちょっとズッコケたけど。ハプニングはそれくらいで、後は問題なく終わった。
そして・・・なんと、「ピーチズ(Peaches)」! レゲエのリズムが特徴のこの曲だが、ラップ曲でもある。昨今のラップとはかなり趣が異なるが。’70年代にこういう曲を作っていたストラングラーズは、やっぱり只者ではない。
この曲はヒューのものだからと、2代目ヴォーカルのポールがずっと封印しており、彼がその封印をといたのは何年も経ってのことだった。ポールの「ピーチズ」も悪くなかったが、バズが歌うと本来この曲が持つダーティさが滲み出てとてもよろしい。歌詞どおりに公然と「栗とリ~ス?」英語ならではのスルーだが、万一地上波で放映されると間違いなくこれと”Oh,shit!”には「ピー」が入るな。ただし、この栗&リスは、性徴のことでエロい意味で使われているのではない。しかし、途中の「mmmmm~」のところ、バズがやるとかなりワイルド。さらにセクシィというよりエッチぃ感じがする。
で、次が「スペクター・オヴ・ラヴ(Spectre of love)」、直訳すると「愛の亡霊」というなんともレトロなタイトル。曲調も懐かしい感じがするメロディアスで哀愁を帯びた曲だが、反面激しさを秘めた曲でもある。最近のストラングラーズのライブでは、まず必ず演奏される定番となった。原則前奏なしでいきなりヴォーカルに入るという、少しだけセオリーに外れた曲でもある。
お次はまた、定番の「オールディ」。会場の皆も楽しそうに歌っていた。もはやこれはストラングラーズの曲だなあと、改めて思う。
そして、ラストの「ノー・モア・ヒーローズ」。相変わらず激しくて気分が高揚し凶暴になる。JJがいつもにも増して荒々しくベースを拳槌(けんつい)で叩きつける。ファンはみんなエキサイト。
しかし、演奏時間は無情に終わる。去っていく彼らに、くもの糸に群がる亡者のようにファンの皆が集まった。JJが誰かにピックを渡して行ったがそれでもまだステージ下に群がっている。バスがすぐにピックを差し出した。それを誰かが受け取る。そしてバンドが去って、次のバンドの準備が始まった。
演奏会場から出て、しばらく歓談。アンドリューが今回1曲多くて8曲だったねと言ったので急いでメモ紙で確認。確かに8曲だった。多分1曲でも多く演奏出来るように調整してくれたんだな。時間オーバーすると、何分かにつき10万の罰金がくるらしいし。しかし、なんとせこいフェスだい。と、せっかくストラングラーズを呼んでもらってからこういうのも何ですが、もうすこし1バンドの演奏時間はどうにかならんとですかねえ。せめてサマソニの50分くらいは欲しいところ。
今回、途中からJJの様子がおかしくなったような気がした。どの曲あたりだったか失念したが、妙に遠くを見ている。よもや、後方にハーケンクロイツをつけた大莫迦者('79年来日時、これでJJを怒らせた馬鹿野郎がいた)みたいなのがいるのじゃなかろうか。あるいはとても無礼な連中がいるとか。まさか誰か地雷踏んだ? そういえば、途中で歌うのを中断して観客の歌を確かめる風だったりしてたな。まあ、これはパフォーマンスだったんだろうけど。とにかく何か様子が違う。心配だった。後で聞いたらただ疲れていたらしいということ。杞憂だったらしい。しかし、まさかそれが風邪のせいだとは思ってもいなかった。
立ち話もほかの人の邪魔になるだろうってんで、最初に入ったレストランに戻って、会場で出会ったファンの方たちといっしょにお茶会。ストラングラーズ談義で大いに盛り上がった。皆、日ごろこの話題をする人が身近にいないので、この時とばかり話が弾む。
その後のお食事会にはSIS、今回はYukaさんは参加せず、MM21さんとまっどはっつあんが加わって6人と、名古屋のSさん、イギリス組のアンドリューとロンゲの二人、計9人でお好み焼きを食べに行く。アンドリュー(以下アンさん)は、店員さんがお好み焼きを焼くのを興味深そうにヴィデオに撮っていた。ひょっとして、すごくいい奴かもしれない。それにしても、二人とも器用に箸を使うなあ。そういえば、昨日の居酒屋でもメンバー箸で食べてたな。やっぱり箸が使えるのはステイタスなのかも。
と、感心していたらロンゲがいきなり大笑いを始めた。何かと思ったら、斜め前に座った家族を見て笑っている。何故かと思ったら、お好み焼き用のヘラを使って食べていたかららしい。調理用具で食べていると思って笑っているようだ。文化の違いだが、かように露骨に笑うとは、無礼者め。幕末なら即刻手打ちにしてくれたわ、などと思いながら、にこやかに説明。これは調理用、こっちは食べる用。箸は使えても、所詮は異文化の紅毛人だな、と、つくづく思った。しかし、これは自分も他国の風習を見て、彼のように表に出さずとも、心で馬鹿にして笑ってしまうかもしれない。人の振り見て我が振りなおせ、だ。
店を出た後、皆で記念撮影。すると、通りすがりのお父さんが写真を撮ってくれた。お父さんの連れていた坊やも参加。スーパー戦隊のどれかのポーズで決めていた。物怖じしないかわいい子で、皆すっかり和んでしまった。
ここで、名古屋大阪のみ参戦のニコルさんが退場。ニコルさんもうウルルン状態。名残惜しいながらも、別れた。私たちもそれそれの家または宿泊場所に行くため、大阪駅でお別れ。私は大好きな夜行列車で東京に行くつもりだったが、深夜まで待たねばならず、寒さでそれを断念、またもやGPZさん宅にお世話になることになった。しかし、4月にこの寒さは異常だ。
2010年4月4日【幕張メッセ(Tokyo)】
早めに起きるつもりが7時半。さすがに疲れが出たか。
東京駅でkiyoさんと会い、昼ごはんどころを探しまわってやっと空席のある店を見つけて腹ごしらえ。その後コインロッカーを探して3千里、はオーバーだが、さすが日曜の東京駅、どこのロッカーもすべて使用中。さらに手荷物預け場所も長蛇の列。京葉線まで行ってようやく開いたロッカーに荷物を入れる。こんなことなら、ホテルを八丁堀のほうにしてれば良かった・・・。そのまま京葉線に乗って海浜幕張駅へ。そこでMM21さんと合流。GPZさんが、ステージに投げる花を買いたいというので花屋に行く。
花屋の中をうろうろしていると、桜の小枝があった。売り物かと聞くと、そうだというので、三枝ほど買うことにした。260円の買い物なのに、店員さんが可愛らしい花束にしてくれた。お礼を言って店を出る。
幕張メッセは07年のサマソニ以来だが、天気が悪く寒いせいかかなり印象が違った。しかし、中に入ってみると、あの暑かった記憶がよみがえった。それにしても、さすが東京(正確には千葉だが)、規模が違う。人の入りが違う。さらにまた、音が馬鹿馬鹿しいほどバカでかい。
会場の入り口付近でYukaさんを待っていると、元ARB、現リザードのキースさんが入ってきた。すかさず呼び止める。もう少ししたら、Yukaさんが来るからと言って一緒に待つことにした。待っている間、会話しようにもうるさくてまともに会話にならない。そうこうするうちにアンさんとジョン君もやってきた。アンさんはあの騒音の中一人涼しい顔をしていると思ったら、耳栓をしていた。ある意味すげぇよ、アンタ。Yukaさんとも合流できたものの、クリスがまだ見つからないと、右往左往していた。クリスは英国人ながら宣教師として日本在住している、ストラングラーズファンでSIS Japanにも在籍している。結局、彼は少し足が悪いので、とりあえず会場の後ろのほうで座っているということだった。
東京の会場は、ステージがレッド・ブルー・グリーンとあって、演奏はレッドとブルーでやっていた。片方の演奏中にもう片方が機材調整すれば、間断なく演奏が聴けるという寸法だ。我等がストラングラーズは、レッドステージのほうだった。
例のごとく、前のバンドが終わるの見計らってレッドステージに向かう。そろそろと前に歩いていて、ふと振り返るとキースさんの姿が見えなくなっていた。きょろきょろして見たが、やはりわからない。仕方がないので先に進んだ。すでに、隣のブルーステージでは、ギャンギャンと演奏が始まっている。こちらでは例の機材調整が始まった。しかし、この騒音の中で満足な調整が出来るのだろうか。まあ、バンドがベテランならクルーもベテラン。素人が心配しても始まらない。お隣の様子を見ると、派手にやらかしておられる。ほとんど筥崎宮の玉せせり(玉取祭)状態だ。脚の悪いクリス君は、無事に最前列を譲ってもらったようだ。これで、もし押されても柵につかまることが出来そうだ。それにしても、ステージの上まで遠い。これじゃあ花を投げても、絶対に届かないぞ。特に私は、体力測定のソフトボール投げで10m以上投げたことがないときた。
それでもなんとか2列目に入り込むことが出来た。しかし、前の兄さんが妙に背が高くて壁になっていた。それで、ダメ元で変わってもらえるか尋ねてみた。あの長身なら私が前に行っても問題なく見えるだろうし。しかし、返ってきた答えは「僕もこのバンドを見に来たんです」。
おお、なんと言う嬉しい答え。確かに黒のライダースジャケット。多分、Tシャツもストラングラーズだろう。それじゃあ、代わってもらうのは悪いな。それで、花だけでも代わりに投げてもらえないかと交渉しようとしたが、隣の爆音で声が届かず。気がついたらすっかり変なおばさんと化した自分がイタ。orz
気を取り直して彼らの登場を待つ。クリスの立っている場所の下に、柵を背もたれにして座ってしきりに携帯電話をいじくっているロンゲの男がいた。こいつも次のバンド待ちのクチだろうな思っていた。そうこうするうちに隣の演奏終了。センターのスクリーンに文字が浮かんだ。
THE STRANGLERS
来たーーーー! 会場が沸いた。と、さっきまでへたり込んでいたロンゲが立ち上がった。そして、嬉々としてステージのほうを向いた。多分、携帯電話をいじってたのは、ネットに何か書き込んでいたのだろう。クリスが身を乗り出して柵につかまった。みんな戦闘体勢に入った。
ストラングラーズの面々が姿現すと、歓声が上がった。
"Konnichiwa! We are the Stranglers!"
そしてキーボードの前奏。なんと、のっけからいきなり「グリップ」だ。なんと3日とも違うセットリストでやってくれるらしい。私の前の件のライダースが音にあわせて体をゆすりながら、時折となりのツレらしき女性になにか言っていて、微笑ましい。
「グリップ」の次は「スペクター・オヴ・ラヴ」「ヌクレア・ディヴァイス」「ピーチズ」。Where? There! の「where?」を叫んだが、生憎届かず。次回はもっと腹から声が出るように訓練しておこうか。そして、最初の音から一瞬「ダッチェス」かと思いきや、まさかの「ロスト・コントロール」復活。ユーストン通りを「東京のど真ん中」と歌い替え。こんなさりげないサービスが。多分ほかにもあちこちそういうところがあるのだろうが、ヒアリングがもっとも苦手な私は残念ながらこれくらいしかわからない。この時とばかり「ダーラザンセーンツ!(Dollars and Cents)×3」と叫ぶ。
そして、こんどこそ「ダッチェス(Dutches)」。これは今フェスで初めての演奏だ。軽快でそれでいて盛り上がるドラムの音が心地よい。因みにプロモーションヴィデオでは、彼らが聖歌隊の格好をして大袈裟なポーズで歌っている。そして定番の「オールディ」。間奏部でバズが例のごとく"Come,Come"というジェスチャーで両手を大きく広げ煽る。ヒジョーにイヤらしくてよろしい。
そして、その後は・・・。JJがいきなりベースを掌槌でガァン! ガァン! と殴る。この時ばかりはベースに同情してしまう。そしてラフにベースを弾いた後一気にベースの弾き下ろし。「ノー・モア・ヒーローズ」だ! 待ちに待った3日間だが、泣いても笑ってもこれが最後の曲だ。
音は若干割れ気味、会場は二つのステージに仕切っているので、客席のスペースも妙。客の動員数も、前に演ったバンドに比べてかなり少ない。それでも、観客数は3箇所の中で一番多い。多分、集ったファンの数も。
本国でドでかい会場を満席にする彼らにしては、決して満足する状況ではないだろう。しかし、彼らはどんな状況であれ全力投球でプレイする。そこに彼らを待つファンがいる限り。
バズはごつい図体そのままの骨太の歌と演奏、それでいて時折驚くほどの繊細さを魅せる。JJは独特の動きでベースを弾き時折脚を蹴り上げる。ディヴは自然体で飄々とキーボードに指を走らせ、イアンはジェット・ブラックの暖簾を守って懸命にドラムを叩く。
みんな、聴け! 見ろ! これがストラングラーズだ!!
結成から36年の重みだ! 総体重も倍くらい重くなったけどな。
このフェスに集まった大勢の若い奴ら、お前たちには30年以上も支持し愛し続けられるようなバンドがあるか? そして、実際にそれが出来るという自信はあるか? 私たちはそれがある。ずっと聴き続け愛し守ってきた。時にワクワクしながら、時に怒りに燃え、悲しみに涙しながら、あるいはのたうつような苦しい思いの中、聴いて励まされ力をもらってきた。しかも、バンドのほうも私たちの誠意にしっかりと応えてくれるんだぜ!
真に力強い音には地から湧き上がるようなパワーがある。力強く大胆、時に過激。反面繊細で肌理細やかに心の襞に溶け込んで癒してくれる。近寄る者をしっかりと包み込んでくれるので、安心して身を委ねることが出来る。彼らの音はそういう音だ。
彼らの音はいつも私の傍に在った。そして、これからも。
激しく、そしてクールな歌と旋律の中、そこに集まったファンとバンドが一体となった。誰もが熱狂していた。跳ね、踊り、一緒に歌った。
と、鋲打ちライダースで鶏頭をしたパンク青年が、興奮のあまりとうとう柵の中に入り込んで警備員に取り押さえられる。いや、火事と喧嘩は江戸の華ってやつだな。しかし、ずいぶんと勘違いしたコゾーがいたもんだ。
そして、とうとう曲は最後のクライマックスを迎えた。最後のキメの部分は、何度も拳を振り上げた。そして、最後の一音で、ヤァッ!とばかりに高々と拳を振り上げた。
―――。
・・・終わった。
待ちに待った3日間だったが、いざその時となるとあっという間に過ぎ去ってしまった。
「Stranglers! They are real Punx!!」
先ほどの暴走コゾーが半泣きで叫んでいるのを、友人らしき男がなだめながら連れ去った。
満足な演奏だったが、ひとつ気になることがあった。あの「サムシング・ベター・チェンジ」を演っていなかったからだ。やっぱり変だ。
その後、今回のフェスではバンドの通訳を任されていて、今日は急いで行かねばならないというYukaさんと別れ、ついで、仕事で急いで帰らねばならないというクリス君と一緒に記念撮影をして、英国組とも別れた。と、アンさんが残っている。どうやら3日とも夕食会に来るらしい。あまり英語の得意でない私たちと一緒にいて楽しいのかな、と思いつつ、一緒に幕張メッセを出る。今回の参加者は、会場で出会ったファンの女性、そしてアンさんそして我々SISの4人(GPZ・kiyo・MM21・私)の計6人。
どこにするか迷った末、結局月島へ。昨日と似ているが、今回もんじゃ焼きにすることにした。数あるもんじゃ焼きの店の中の1件に入った。基本ベジタリアンのアンさんは、肉のないの豆腐とイカのもんじゃ、ほかのみんなは適当に数種類選んで注文。いっぺんに焼けないので2回に分けて焼く。最初は店の人が焼いてくれたが、二度目は自分らで焼くことになった。GPZさんが、こっちの鉄板にももんじゃの材料を持ってきて、鉄板に流し込んだ。ばたばたと二人でもんじゃ焼きに取り掛かったら、アンさんが嬉しそうにヴィデオをまわし始めた。自分で実況を入れながら撮っている。見栄えがいまいちよろしくないので心配したが、アンさんはもんじゃ焼きを気に入ったようだった。その後、アンさんはデザートに抹茶アイスを注文した。ラブリーな奴。私たちが理解するまで、何度も根気良くゆっくりと英語で話し、私たちのブロークンすぎる英語もちゃんと聞き取ろうとしてくれる。アンさんのおかげで、皆かつて多少はあった英語力が若干戻ってきたようだった。ある意味只で英会話教室に通ったようなものだ。アンさんに感謝。
彼は、携帯電話にメモったセットリストを見ながら言った。
”今日は、JJがまったく歌わなかっただろう?”
私ははたと思いついた。「サムシング・ベター・チェンジ」がなかったから妙だとは思ってたけど、そういえば、JJヴォーカルの歌がまったくなかった! って、気づけよ、私!
”理由は、彼がひどく喉を痛めているからだよ。明日にはリザードのライブへのゲスト出演もあるからね”
あのJJが「サムシング・ベター・チェンジ」を封印するくらいひどい状態なのか。明日のリザードは大丈夫なのだろうか・・・。
食事後帰路についたが、途中でニューフェイスの女性は自宅へ、アンさんはジョン君が行くといっていたスポーツバーに行くので電車で別れ、GPZさんとMM21さんは自宅へ私はホテルへ向かうため、東京駅でお別れだ。
翌日のロフトにはMM21さんと私、そして英国組のみの参戦となる。
私は地下鉄でホテルまで行こうと思ったが、寒さで冷えたせいか急におなかの具合が悪くなったので、急遽タクシーでホテルに向かった。
2010年4月5日(ロフト)
ずっと寒くてはっきりしない天気だったが、とうとう朝から雨になった。だが、連泊なのでまったり出来る。ホテルでノートPCを借りれたので、ブログの更新を始めた。しかし、旅先でパソコンが借りれるなんて、なんて便利な世の中になったんだろう。
10時を過ぎたので、清掃に入るだろうからと外出して本屋に寄り、帰りにおいしそうな弁当屋を見つけたので、買って帰った。しかし、結構な雨が降っていたので、濡れて寒い。とっとと部屋に帰る。
食事が済んでから、またPCに向かったが、急に眠気が襲ってきた。仕方ないのでベッドに横になったら、目覚めた時は5時を過ぎていた。驚いて飛び起きる。開場がたしか午後6時だった。時間ないじゃん。場所はネットで確認した。この前JJのソロで行った時は、みんなと一緒だったからまったく場所を覚えていなかったからだ。目印があってわりとわかりやすいので多分大丈夫だろう。急いで準備をしてからホテルを飛び出した。雨は小降りで駅までならなんとか傘なしで行けそうだ。
地下鉄で新宿駅へ。それからJR駅まで行くのにホームの駅員さんに道を尋ねた。すごく丁寧に教えてくれた。東京の駅員はけっこう冷たいと思っていたが、そうでもないんだな。
で、JR新宿駅近くまで来たが、ふとブーケを買って行こうと考えた。SISJapanとしてカードもつける。自分で書かねばならないのが残念だった。私の字は金釘流・・・はっきり書こう。かなり汚い。
で、とりあえず地上に出る。すると、第一目標のアルタがない。違う出口から出たらしい。駅の周囲をしばらく歩くとやっと見覚えのある場所になった。アルタも見える。ああ、良かった。
しかし、相変わらず人が多い。人だらけだ。
数分後、無事に新宿ロフトにたどり着いた。良かった。一人で着けた。
地下2階の会場に入ると、BGMにストラングラーズの曲が流れていた。おおっと思いながらYukaさんに電話しようとしてはたと気がついた。・・・・電波が届いていない。あちゃー。でもまあ、この辺にいれば捕まえることが出来るだろう。そう思っていたらアンさん発見。知らない日本人男性とお話している。うっかりと彼のお名前を拝聴しなかったが、リザードのファンの方で、リザードからストラングラーズも聴くようになったと言っておられた。彼は言った。
「この方とお知り合いですか?」
「ええ、まあ」
「この人ね、さっきから、ドリンク券を別に買うのはおかしいってさっきからうるさいんですよ」
どうやら、彼は木戸銭口でかなりごねたらしい。一応、そういう決まりだからってことで払ったらしいけど、まだ納得はしないらしい。まあ、それは、私でも理不尽と思うけど、多分ライブハウスの借り賃とバーの料金は独立採算制になっているのだろう。これは、居酒屋の突き出しと同じく、日本のおかしな暗黙のルールのひとつである。しばらく3人で話していたが、ジョンやクリスなどイギリス組も勢ぞろいした。因みにクリスは、松葉杖はついていなかった。あれは、転ばぬ先の杖だったのか?
そして、Yukaさんの姿も見つけた。
「ごめん、ついてから電話しようと思ってたけど、電波が・・・」
「そうなのよね。私もクリスと電話が通じないので場所を知らせるのに苦労したのよ」
携帯電話は便利だが、必ずどこでも使えるとは限らない。便利さに慣れると、こういう落とし穴があることすら忘れがちだ。楽屋に行ってみるか、と言われたので二つ返事で楽屋に向かった。
楽屋に入ると、見覚えのある落書きだらけの壁がまず目に入った。入ると士道間のマコトさんと奥の席にJJが居た。後のメンバーは、キースさんしか顔がわからない。後で知ったが、ドアの対面に立っておられたのがモモヨさんだった。挨拶もなしで申し訳なかった。写真では何度かお顔を拝見していたのだけど、人の顔オンチにも程がある。
さて、JJは私の姿を見つけると立ち上がっていつもの挨拶。しかし、何度会っても挨拶のキスごときに慣れずに照れまくっている私に、Yukaさんがあきれて言った。
「まだ慣れないの?」
「う~ん、一生慣れないと思う。日本には挨拶でするキスの習慣はないもん」
でもあの、決してイヤなんじゃないから、って、何を書いとる。と、またJJが迫ってきた。きゃ~、何? て、何か言ってる。Yukaさんがすかさず説明。
「今日の僕の声はセクシー、だって。風邪でのどを痛めているから・・・」
見ると、彼が座っていた席の前にはリコラのハーブキャンディがあった。ああ。これで一連の謎がすべて解けた。JJの不調の原因は風邪だったのだ。アンさんの推理は正しかったわけだ。でもまあ、変なのどの病気じゃなくて良かった。ああ、それなら、蓮根のど飴でも差し入れに買ってくればよかったなあ。けっこう効くんだ、これが。
「今までで、こんなにセットリストを変えたのは初めてだって」
後で知ったが、クルーのひいた風邪がJJに移り、最終的にはJJから加藤さんさらにモモヨにまで移ったらしい。ウイルス、恐るべし。まさに鬼の霍乱! やはり、この悪天候・・・4月なのに晩秋の天気のせいだろう。モモヨのエッセイによれば、JJの長いロック人生の中でも、ライブ中に声が出なくなったのも初めてのことだったらしい。特に最終日はほとんど声の出ない状態だったそうだ。
「JJはフランス語がセクシーだと思います」
と言ったら、今日のソロライブでもフランス語で1曲やるということ。楽しみだ。
その後、様子を見ていたら、JJは楽屋に新しい人が訪れるたびに、
”今日の僕の声はセクシィ”
とやっていた。まあ、これなら大丈夫そうだな。
しばらくして、志茂田 景樹みたいな派手な男性が入ってきた。モモヨが彼を迎え入れJJを呼んだ。
「JJ、紹介しよう。えっと、もと『アレルギー』・・・『デラックス』だっけ? ・・・『ループス』の宙也君。バックボーカルで助っ人に来てくれたの」
JJがまだ高音が歌い辛いからと、今回「サムシング・ベター・チェンジ」は、キーを少し落としてやるらしい。それはそれで楽しみだ。
なんとなく居心地がいいので根が生えたらしい。私はのんびり、この壁に落書き描き加えて良いかな、などと思っていたら、JJがなにか言いながら立ち上がった。
「行かなくていいの?って言ってるよ」
「へ?」
「もうすぐ始まるよ」
「わーっ!」
Yukaさんに言われてあせって立ち上がる。
急いでライヴ会場に行くと、かなり人が集まっていた。スクリーンにはリザードvsジャン・ジャック・バーネルと書いてあった。「with」じゃなくて「vs(バーサス)」?
と、会場が暗くなった。始まるらしい。なんと、登場曲はあの「ワルツ・イン・ブラック(Waltz in black)」だ。これは、いつもストラングラーズが登場する時にかかるおのだ。今回のPUMK SPRINGでは、生憎時間の関係で流れなかったが。そして、リザードの面々が姿を現した。
モモヨは挨拶の後、今日はストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルを迎えている。こうやってスタンディングでライブを楽しめるのも、彼が’79年のストラングラーズ初公演の時に、観客を立たせて前例を作ったからだ、というような説明をした。
当時、まだライブ(というよりコンサートか)はロックであっても座席について大人しく聴くものだという風潮があった。それで、大人しく座っている観客に、立て!と煽動したのがJJだった。それを静止しようとしたガードマンを、彼はボコボコにしたらしい。
そして、演奏が始まった。MM21さんもなんとか神奈川から駆けつけた。これで、こちらの今回の面子も揃った。
1曲目は、フレーズに聞き覚えがあったがそれ以上は思い出せず。結局わかった曲は「ガイアナ」のみだった。残念! 新譜をちゃんと聞いてくるべきだったと後悔する。1stはちゃんと聴いてるのだけどな・・・。「変易の書(Book of changes)」や「岩石庭園」あたりの曲をやってくれたらわかったのだけどな。両方とも気に入っているアルバムだから。演奏した曲の多くがアップテンポでストレートなものが多かったので、変化球的なそのあたりのアルバムからはやらないのかもしれない。しかし、さすがリザードというか、曲がとても良い。「月光価千金」は・・・聴きたかったが流石にそれはない。
集まったリザードファンは、熱狂的に歌い踊っていた。私も脚でリズムを取る。知らない曲でもなんとなくセオリーのようなものがあり、けっこう予測したリズムに合うのが面白い。しかし、この花束・・・早くあげないとつぶれてしまうかも・・・。
と、演奏が終わり、普通の照明に戻った。
「ちょっと休憩。この間友人のジャンのソロライブがあるから」
そういうと、リザードの面々が去っていった。去り際に、モモヨが付け加えた。
「ジャンが風邪気味でのどを痛めてるけど、実は僕も風邪でのどが痛いんだ」
私は今がチャンスと舞台すそまで行って、モモヨを呼び止めた。
「モモヨさん!」
モモヨはいぶかしげな顔をして、振り向いた。
「あの、ストラングラーズのサイトをやってるR.I.B(実際は本名を言ったが)です」
そう言いながら花束を差し出した。
「これは、どうもありがとう」
モモヨは笑顔でそれを受け取ってくれた。彼は、私があまり背伸びをしなくていいように、舞台の床に跪いて出来るだけ低い位置まで手を伸ばしてくれた。私は恐縮しながら花束を渡した。
初めてお会いしたが、さりげない優しさを見せる人だ。こういうときに人柄ってでるものなんだなあ。しかし、会場からは何故かあちこちから笑いが起きていた。誰かが言った。
「あの、まだ終わってないんですけど」
心外だった。そんなこたぁわかっている。別に幕間で花束を渡したってよかろーもん。私は少しむっとしてMM21さんの近くに戻って言った。
「幕間だってわかって持っていったのに」
でもまあ、次はJJのソロだ。「vs」とあったのは、そういうわけだったのだ。単なるゲスト出演ではなかったのだ。ああ、リザードのみなさん、素敵な企画をありがとう。あなた方の演奏に加えてJJのソロまで聴けるなんて夢のようです。なんてお得!
その後舞台の袖から出てきたJJは、アコースティック・ギターを抱えて普通にすわった。挨拶、そして、言った・・・。
”今日の僕の声はセクシィ”
おい!
気を取り直して・・・。1曲めは、「Where I live」。アルバム「10」からの爽やかな曲調の歌だ。これは、私もほとんど歌えるので、小さい声で一緒に歌う。ソロライブなので、大声が出せないのがちょっと寂しいが、お前の歌を聴きに来たんじゃないって怒られたくないし。「Thank you, JJ!」のところだけ手を上げながら大声で言った。
その次は美しくも悲しい旋律の「Sorrow」を短めに。これはアニメ『巌窟王』から。そして、お待ちかね、カッシイさんがハープ(ハーモニカ)演奏で助っ人の「I hate you」。相変わらず良いノリだ。JJ、かつてない最悪のコンディションの中、若干声がかすれているもののしっかりと演奏をこなしていく。流石、この道30年以上のプロである。そしてショパンの「別れの曲」をモティーフとした「We were lovers」。これも『巌窟王』から。オープニングに使われた曲だ。jこの時、最初のほうでちょっとだけハウリングが入ってしまった。おっしいなァ。そして、最後は「Dagenham Dave(ディゲナム・ディヴ)」。かつて自殺した、友人にして最初のストラングラーズファンだった男に捧げた歌だ。30年以上経ってもこうやって歌われる彼は、ある意味幸せなのかもしれない。少なくとも、ディゲナム・ディヴと呼ばれていた男がかつて存在したことを、多くの人が知るのだから。JJが、ストラングラーズがこの曲を演奏する限り。
5曲演ってJJはソロを終えた。
(あれ、フランス語の曲は?)
ちょっとがっかり。「Outside Tokyo」も演る予定だったようだが、声の調子を考えて控えたようだ(風邪でぼうっとしていて忘れたといううわさもある(笑))。
JJがソデに引っ込むと、交代でまたリザードのみなさんが出てきた。そして、再びリザードのライブが始まった。スタティック(静)から再びダイナミック(動)へ・・・。皆それなりに歳をとって、立派なオッサンに・・・人によってはおじいさんといっていいほど老け顔になってしまったが、演奏している姿は、みな、若々しくてカッコイイ。1名、キースだけは、約20年前とほとんど変わっていない。まあ、あの姿はコスプレみたいなものだけど。
新譜からの曲を含め、数曲やったあと、彼らは去っていった。照明が消え、スクリーンが下りてきた。
「あれ? あれ?」
MM21さんが、戸惑ったように言った。大丈夫、また出てくるよ。
皆の声に応えて、リザードのメンバーがステージに現れた。キースはなんと上半身裸だ。しかも、その背には見事な紋々が! いや、知りませんでした。
そしてJJが呼ばれ、ベースを持って颯爽と登場。それから助っ人として宙也さんが紹介された。宙也さんはJJを指して「彼が僕に道を誤らせた張本人です」と言った。
そして始まった「サムシング・ベター・チェンジ」は、圧巻だった。JJののどに配慮してキーを下げたことが、却ってリザード with J.J.バーネルの「Something Better Change」として新鮮だった。しかも、ワカさんとJJのツィン・ベースである。迫力も倍層するというものだ。宙也さんも、バックヴォーカルをとりながら、ノリノリで踊っている。会場も大合唱となった。
大盛り上がりのうちに、前代未聞の「サムシング・ベター・チェンジ」が終わった。感謝の挨拶と共に、ヒーローたちはステージから姿を消した。そしてまたスクリーンが下りてきた。それでも、観客は帰ろうとしない。
すると、またスクリーンが上がり、モモヨとJJが姿を現した。こんどは楽器を持っていない。カーテンコールだ。
二人の挨拶が終わると、またスクリーンが下がった。そして、もうスクリーンが上がることはなかった。
終わった。私たちはしばらく突っ立っていたが、仕方がないのでそこを離れ、さっきのリザードファンの男性とアンさんが話していたので、そこに行った。そこで、しばらくその方とJJ繋がりの三島談義で盛り上がった。
しばらくしたら、Yukaさんが一人の男性を連れてきて紹介してくれた。それが、このPUNKSPRINGレビューのステージ写真を厚意で提出してくださった、プロカメラマンの西岡 浩記さんだった。彼は、このライブのことを前日知ったという。出来るだけ早く、出来たらメールで情報がほしいということで、彼も晴れてSISの会員となった。
その後、清掃に入るということで、残った観客はバーのほうへ追いやられた。バーならば、なにか注文しないと悪いってんで、カウンターへ行ってメニューを見た。そこにはなんと今日のみのスペシャルカクテルが! なんとそれはJJ考案の「ピンク・リザード」なる代物だった。私は下戸なので、MM21さんが注文したものを、少しだけ味見させてもらったが、甘くておいしかった。苦いお酒だって味は大丈夫なのに、アルコール分解酵素を持ってないために、酒が飲めない。ましてや、これは美味しかっただけに、ちょっと悲しい。
その後、私たちはイギリス組のそばの席でしばらく話していた。彼らはずっと話し込んでいたが、英語が聞き取れたらきっと面白い話が聞けただろう。残念だ。しかし、イギリス組も流石に時間がなくなったのか解散、私たちもMM21さんの電車の都合があるので、どこかで遅い夕食をとることにした。ロフトを出てしばらく歩くと沖縄料理屋があったのでそこに入った。
その後新宿駅で、またの再会を約束して、MM21さんはJR私は地下鉄へと別れた。
これで、すべてが終わった。私はもう1泊するが、明後日からは、またつまらない日常が続くのだ。しかし、平凡な日常の積み重ねがあるからこそ、非凡なるひと時が一際輝くのだ。そう思いながら、一人、真夜中の雨の日本橋を歩いた。
4月6日(火)
翌日は、なんとピーカン。暑いくらいだ。あの4日間の寒さはなんだったのか。ずっと今日みたいだったら、JJも風邪をこじらせなくてもすんだのに・・・。
10時チェックアウトだが、またおなかの調子が悪くなったので、延長料金を払えば12時までOKというので、フロントに電話。ゆっくり昼前までホテルでパソコン作業。って、いつもと変わらん!
ホテルを出て宅急便でいらない荷物を一足先に送り出して電話とメールに気がついた。Yukaさんからだった。お昼を一緒に食べようと言うことだった。もちろん異議はないので、すぐにOKの連絡をする。とりあえず東京駅に行かねば。天気がいいので、日本橋から丸の内まで歩いて行った。流石に汗ばんだ。この寒暖の差はなんなんだ?
JR品川駅でYukaさんと会って、近くのレストランでお昼を食べ、それから夕方まで話し込んだ。内容は、今回のライヴの話から、世間話から、怖い話まで多岐にわたった。YukaさんがSISを手伝ってくれてから何年も経つが、こんなに話したのは初めてだった。彼女が私と同じ妖怪好きということもわかった。以前妖怪茶屋に行ったとか言っていたので、そんな気はしてたのだけど。
話は尽きなかったが、もう帰らなければならない。
品川駅で、Yukaさんがお土産スポットから新幹線の乗り場まで教えてくれた。そして、名残惜しいけどそこで別れた。
これで祭りは完全に終了。次はいつだろう。なんとなく、また1・2年後には彼らの雄姿を拝むことが出来るのではないかと淡い期待を持ちつつ、土産と荷物を抱えて新幹線に乗り込んだ。 (了)
追記
翌朝、のどの調子が悪く、すわ、JJの風邪が移ったかと喜んだもとい心配したが、単に朝のどが乾燥していただけだった。因みにYukaさんとGPZさんは、しっかりと移されたようである。
*******
この記事はストラングラーズ公式サイト用に書いたレビューに加筆したものです。写真もすべて公式から転載いたしました。
PUNKSPRING(とLoftの一部)のステージ写真はプロカメラマン西岡 浩記氏のご厚意により公式サイトに掲載したもので、ここに掲載するのも許可をいただいております。なお、PUNKSPRINGの写真はすべて幕張メッセの時のものです。
追記
drac-obさんへ
気がついた分だけ訂正しますた。
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コメント
一気に読ませて頂きました。ストラングラーズに対する熱い情熱と愛情で溢れていますね。文中に今の若者に対して30年間変わらない愛情を注げるバンドがあるかという問題提起をしていますが、今の時代の不幸はそういうバンドの不在(いや、見つけきれないだけかな)と、それ以上に商品として消耗されていく音楽の多さではないかと思いました。って、ちょっとらしくないこと書きましたが。
で、最後のほうになるとタイプミスと日付の入力ミスがあるのですが、そのあたりがまさしくイベントの終わりというか力尽きたという感じでなかなかに良かったです。最後に僕にもスペシャルなお土産頂いたことを改めて感謝致します。
投稿: drac-ob | 2010年5月 9日 (日) 22:57
終わってしまえば、まことに春の嵐のような日々でしたね。
今度は、メンバーと、そしてSIS Japanのメンバーと、
何時お会いできるでしょうか。
その時は近いと思って、日々を過ごしていきます。
そうそう、燐さんには大変お世話になった上、おみやげまでいただき、有難うございました。
次回はもう少し綿密に計画を立てて、皆さんをお迎えします。
それでは。
投稿: MM21 | 2010年5月 9日 (日) 23:33
燐が話するの?
投稿: BlogPetのぽち子 | 2010年5月10日 (月) 15:41
公式に少し書き足すとまた面白いものですねえ。
加藤さんの企画ってなんだろう、楽しみにしていよう。
燐さんのアイデアが使ってもらえると良いですね。
私の風邪は潜伏期間からすると、怒鳴りすぎて荒れた喉に地元の土着菌が着いた物と思われます。JJ菌なんて高尚なもんじゃ無いと思うよ。
MIBジュニアには悪いことしちゃったな
手元に有ればいつでも触れるから、今だけ私にも触らせて、って思ったんだけど、アニイさんにもその場で言われました。すぐ謝りましたけど、遅いわね。あの後、ビアジョッキをゲットしたからね、今度会う時に持って行ってすりすりさせてあげよう。
しかし、公式の本人のレポと燐さんのレポ見るとGPZってかなりのアホ&変態ですね。困ったもんだ。
投稿: GPZ | 2010年5月11日 (火) 14:23
本当に楽しかった♪
家族をかえりみず3日間参戦して、
我が人生に悔いはなし・・・
へいっ!
次回もストラ馬鹿全開で再会やな、ラジャー
投稿: kiyo | 2010年5月12日 (水) 03:09
drac-obさん
一気読みお疲れ様でした。
こんな長文を一気読みしてくださるのは、drac-obさんくらいでしょう。
確かに、最近のミュージックシーンは使い捨てというか、ちょいと前はデータ打ちこみ同工相似形曲増産の小室とか、最近では牛娘とかアケビ娘とか、おにゃんこの進化系大量増産タイプ、あるいは韓流とか、消費型が主流ですね。
タイプミスのご指摘ありがとうございました。気付いた限りは直しました。
疲れているだけではなく、長文と写真のせいで重く、家のパソコンでは編集画面が激重でよく動かないというせいもあります。
そろそろ替え時かな。
投稿: 黒木 燐 | 2010年5月12日 (水) 13:00
MM21さん
ホントに嵐のようでしたね。天気も悪かったし。
次は、私も近いんじゃないかなと、淡い期待をしております。10曲以上やってくれたらフェスでも文句は言わんけん。
こちらもお世話になりました。
次回もガンバロー。
投稿: 黒木 燐 | 2010年5月13日 (木) 00:36
>ぽち子
誰に?
投稿: 黒木 燐 | 2010年5月13日 (木) 07:18
GPZさん
まだ書き足したいことがあるんですが、編集画面が重くてどうしようかと(笑)。
例の企画は加藤さんのではなくて、某所からメンバーのの一人に依頼があったものです。紛らわしい書き方ですみません。わかりやすく訂正しました。
タイミングからして、JJウイルス(笑)の可能性大ではないかと。けっこうJJにおさわりしていたでしょ?(って、また誤解されるような書き方wwwww)
風邪やインフルエンザは飛沫でも感染しますが、多くは接触によるものですし。
JJもピックですが、多分汗やら(ミクロレベルの)手あかやらなんやら半端なくついていると思うので、GPZさんが多少触ったくらいは大丈夫と思いますよ。風邪のウイルスだけGPZさんが持って行ってたりして。
投稿: 黒木 燐 | 2010年5月13日 (木) 12:58
kiyoさん
我が人生に一片の悔いなし!
最後の最後にこう言い放ちたいですね。
私もギリギリの状態で再就職出来たので、きっと、なにかのお導きがあったにちがいないと
(笑)。
近いうちに、また、ストラ馬鹿が集える日が来ることを激しく期待していましょう。
馬鹿の一念岩をも通す。一念が集まれば、壁も壊せる、と。
投稿: 黒木 燐 | 2010年5月14日 (金) 01:12