今年の広島の原爆忌、平日だったので、私は去年と同じように会社に行く途中のバス停で、8時15分のサイレンが鳴るのを合図に黙祷しようと思っていた。しかし、ちょうどその時他の路線のバスが2台も目の前で停車、エンジン音が五月蝿くて、うわあ、聞こえね~と思っていたら、16分を過ぎていた。焦って黙祷。まあ、実際の炸裂時間は8時16分ごろらしいので、大目に見てくださいねと思いつつ、暑い中、わざわざ日傘を閉じて約一分間犠牲者の冥福を祈った。あの日、突然現れた人工の太陽に焼かれ、苦しんで亡くなった方の熱さを万分の一でも感じられるように。
結局、今年の久留米はサイレンが鳴らなかったのだろうか。いや、去年鳴らして今年は無いとは思えないので、きっとバスのエンジン音と相殺されて聞こえなかったんだろう。
長崎の原爆忌は、ちょうど土曜だったので、家で投下時間を迎えた。さすが太宰府、平和授業に力を入れているだけあって、きっちり11時2分には1分間盛大にサイレンが鳴った。私が転勤前に通っていた下関の小学校でもたしか、平和授業があったと思うが、登校日はどちらの原爆記念日でもなく、たしか毎年10日頃だったような記憶がある。
太宰府は、ずっと8月6日と9日と15日には必ずサイレンを鳴らす。これにはいつも感動する。8月15日に鳴らす自治体はほとんどだと思うけど、原爆忌に鳴らす自治体はどれくらいあるのだろう。しかし、いつまでこれが続けられるのだろうと思ったら、少し不安になった。うるさいからやめろとか、興味のない人が何で11時2分なんて中途半端な時間に鳴らすんだ、とか文句を言い出して、そういう意見が増えたら中止になる可能性はありえないことではない。70回忌100回忌と、いつまで続くだろうか。しかし、これが続くということは、日本が平和であることの証明でもある。
残念なことに、長崎原爆忌の前日、8月8日にロシアとグルジアが開戦した。すでにグルジアでは民間を含む千人単位の死者が出ているらしい。ロシアとの武力の差が歴然としているのだろう。
日本は現在平和である。年金問題とか格差の拡大とか色々あるが、やっぱり世界の中では恵まれた国であることに変わりは無い。好きなものを着られる。言いたいことを言っても、ネットでどんな発言をしても、犯罪に関わらない限り、当局が来てどこかに連れて行かれるようなことは滅多に、無い。
だが、平和ゆえに、人はそれを当然と受け止め、ぬるい平和にどっぷり浸かっているうちに、感覚が鈍り生きることに対する意欲が減っているように思われる。そのひずみから、一部の人間は、簡単に自殺に向かい、或いは大量殺戮に走る。最近よく効く言葉。「誰でも良かった。」そう、殺すのは自分でも他人でも良いのだ。日本人は、生きることに対しての執着が弱くなっている。
それでも、そんな今の日本でも、紛争地域や厳しい環境におかれた人たちにとっては夢の国だろう。たとえ、それが多くの血の上に立つ、腐りかけた平和であっても。
日本人は、今の平和な状態にもっと感謝し、この国が世界では特別に平和な国であることをもっと認識せねばならないと思う。そして、その土台には、あの戦争で亡くなった数多の方々が居られることを忘れてはならない。
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