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2007年10月31日 (水)

サマーソニック07に行った話

※超長文です。覚悟してお読みください。
なお、若干の記憶違いはご容赦くださいませ。

2007年8月10日 前日

 母と妹に送られて、12時前出発の新幹線に乗る。乗るとすぐに、早々と出来始めた足のマメに絆創膏を貼ってこれ以上の悪化を防ぐ努力をする。このブーツは店で履いてみたらすんなり履けたので、これなら大丈夫と買ったんだけど、それはカカト部分が妙に緩いためで、それに騙された。履いて歩くとカカト部分が靴の中で泳ぎ、必要以上にすれるのだ。最後までこのブーツには泣かされることになる。

今のところ隣の席には誰もいない。ラッキーと思っていたら、広島あたりで赤ちゃん連れの若いお母さんが乗ってくる。細くて綺麗なお母さんでホットパンツを履いたその脚も綺麗だ。最近のお母さんは若くて綺麗な人が多い。彼女は赤ちゃんがむずかるのを気にしてずっとデッキに居られた。せっかくの指定席にはずっと荷物だけが座っていた。最後の方はさすがに座っていたが、赤ちゃんが妙にこっちに興味を持っていた。可愛い、あまり人見知りをしない子だった。彼女達と入れ替わりに、すっかり汗臭くなったリーマンが横に座った。これでビールなど飲まれたら最悪やなと警戒していたら、さすがにソフトドリンクを飲んでいた。勤務中なので自粛しているんだろう。

 予定どおりに東京駅へ着く。ホテルは東京駅から歩いて13分(駅から5分は実は15分♪の法則からして、多分13分じゃ着かないと思うけど)、東京駅から一駅先の八丁堀から歩いて1分。迷わずJRで八丁堀駅まで・・・。ところが、八丁堀までは京葉線乗り換え。京葉線といえば、去年の旅行で道を間違えたためえらい目にあった線だ。乗り換えのため10分以上はたっぷり歩かねばならない。まあ、動く歩道に乗って歩けばかなり時間短縮になるがそれでも10分は歩かねばならない。それでも、慣れない上の道を歩いて迷うより何ぼもましである。
 ようやく八丁堀駅から出て、傍のコンビニでホテルの場所を聞く。ホテル法華イン東京八丁堀はそこから見える位置にあった。確かに近い。フロントの対応も良いし温泉付きで1泊8600円は悪くない。因みにホテル名に「法華」とあるが、ホテルの創業者が法華経に傾倒していたからだそうで、宗教関係のホテルではないのでご安心を。

 ホテルに着いて足を確認すると、両足に出来たマメが一回り大きくなっていた。

2007年8月11日 東京編

 朝はスッキリと目が覚めた。平時の会社に行きたくない朝とは大違いである。ホテルのカフェで朝食にするかな、と思ったがやはり高いので、近くのコンビニ(前日道を尋ねた)に朝食を買いに行った。因みに温泉に入るのはめんどくさくなってやめた。ちょっともったいなかったが。

 ホテルをチェックアウトすると東京駅で荷物を預け、京葉線改札口までの長い道のりを歩きはじめた。しかし、途中で絆創膏を貼ったはずの足のマメがかなり疼き始め、走行がかなり困難になった。それで薬局で大判の絆創膏を買い、貼りなおすことにした。ついでに靴下も薄いものを購入。張り替える為に靴下を脱いだら、絆創膏は取れかかり右足の方はすでに巨大血豆に成長していた。張り替える決断をしなかったらきっと途中で歩くことすら出来なくなったに違いない。
 なんとか危機をしのいで京葉線改札口までたどり着く。そこでYさんと合流し、一気に海浜幕張駅まで行った。駅を出ると、明らかにサマーソニック会場に向かう人たちが大勢いた。それで、迷うことなく会場に向かう。
 駅の出口から、あちこちでダフ屋たちが「チケットあるよ。余ったチケットは買うよ」と道行く人に声をかけ、券を買いそびれた人たちは『チケット売ってください』と書いた紙を高々と上げている。それを尻目に、炎天下の道を黙々と会場まで歩いた。しかし、なんて暑いのだろう。夏の薄い青空に浮かぶように点々と立ち並んだ無機質な高いビルが、時折日光を反射してますます暑苦しい。

 ようやく目的地の幕張メッセにたどり着き、入場許可のリストバンドを左手首に巻いてもらい晴れて会場入りした。メッセの通路部分は冷房もさして効いておらず、外よりはマシな程度。会場はさすがに若い人たちが多く、その中で自分が浮いているように思えた。気を取り直して、さっそく我等がストラングラーズの出演する「ソニックステージ」に向かおうとするが、なにぶん始めての場所で、もらった会場案内図を見てもさっぱりわからない。さらに両手と頭部以外はきっちり黒に身を包んでいる私は、すでにすっかり全身茹で上がり、足の痛さも相まって思考力はほぼ喪失、結果、会場までの道筋を全面的にYさんに頼ると言う体たらくであった。
 各ステージに向かう階段を下りていく。かなり暗い。降りたところはまだステージではなく休憩所のようなところで、屋台のような出店がたくさん出ており、良く見ると休憩したり座り込んで食事をしている人たちが大勢いる。彼らを避けながらそこを通過し、いったん屋外に出てようやく「ソニックステージ」の位置を確認した。そこで私達は、1時にステージの前方で待ち合わせをすることにしていったん別行動をすることにした。私はこのままだと限界なので炎天下に並んでスポーツ飲料と念のため水を買う。「500円です」と売り子さんがのたまった。ななな・なんですと~~~!!! 500mlの水が1本250円となァ!? 近所のスーパーなら2リットルがらくらく買えますやん。ここは砂漠か? ぼったくりやがるぜ。
 気を取り直して「ソニックステージ」の建物内に入ると、かなり涼しくて心地よい。そのせいだろう、サマソニ終日参加組があちこちでごろごろ、異常繁殖して波打ち際に打ち上げられた大量の魚のように寝転がっている。待ち合わせまでまだ時間はあるが、ステージの前方へ行ってみる。暗いので、転がった大量の魚・・・もとい、人間を踏まないように気をつけて歩かねばならなかった。ステージに近づくと、まだ前のバンドである「ホラーズ」の演奏準備段階だったが、客はすでにひと塊を作りつつあった。舞台はまだ暗くむしろ客席の方が明るく照らされている。私は最初舞台の右手側に立っていたが、しばらくしてJJの立ち位置に近い左手に移動した。そうこうしていると、Yさんの姿が見えた。手を振ったらこちらに気がついた。彼女と一緒に男性が歩いている。無事連絡が取れたらしい。
「中年パンクさんですよ」
Yさんが紹介してくれた。掲示板等ではお馴染みだが、リアルでは初対面だ。
「始めまして~」と二人ともなんだか照れくさそうにご挨拶。と、ホラーズの演奏が始まり、客は曲に合わせて上下にはね始めた。それにあわせて床が上下に揺れる。まさか、床は抜けまいと思うが・・・。
 彼らの曲は聴くのは初めてだが、ヴォーカルの声質と曲調はバウハウスを彷彿とさせた。それ以上に、ステージを走り回る細身のヴォーカルを見ていると、なんだかポールを思い出して懐かしく思われた。元気でやっているかな? 件のヴォーカルだが、マイクスタンドを振り回したり、左手のスピーカーだか何だかに上ったり、着ていたシャツを振り回したりと大活躍していたが、演奏最後には客席まで入り込み、客たちに神輿のように担がれながら歌っていた。当然、ファン達は大喜び。いいねえ、若いねえ。
 大盛り上がりでホラーズの演奏は終わった。演奏時間はきっちりと決められているので、アンコールも何もなし。すっぱりと気持ちよく終わった。それと同時に客の移動が始まった。私達もそれに合わせてステージ前方を目指して突進する。すると、私のすぐ傍を小さい女の子がYさんの名を叫びながら走り抜け、Yさんに飛びついた。その後ろを小柄な女性が追ってくる。通称「イタリアの奥さん」ことHさんとその娘さんだった。イタリアツアーの時、一度Yさんと会ったことのあるお嬢さんはYさんにとても懐いているが、中年パンクさんと私は彼女らとは初対面である。それで、再び初対面の挨拶をした後彼女らとも合流し、ひたすらステージ中心やや左手最前線を目指した。さすがに最前列を取っている人たちはなかなかその「かぶりつき」から離れない。我々は前から2番目にとりあえず落ち着くことにした。さすがに今回は最前列で見るのは無理かな? そう思っていたら1人分空いたので、「イタリアのお嬢さん」をそのスペースに入れた。思いもよらず、目前にハーフの可愛い少女が現れ、観客監視係のお兄さん達の顔がちょっと和んだのを、私は見逃さなかった。
 あ、もう1人忘れてはならない人がいた。本国イギリスから駆けつけてくれたファンのロブさんだ。ちょうど仕事で日本に来るのにうまく重なったということだが、なかなか1万5千円という大枚をはたいてまで、1バンドのライブを見るなんて出来ないことだ。第一無理しなくても、イギリスではストラングラーズのライヴはけっこう頻繁に行われているのだから。
 さて、というわけで、私たちは、ステージ前方やや左寄りにこじんまりと固まって、演奏が始まるのをひたすら待った。

 体格のいいクルーのオッサン達が現れ、演奏準備が始まった。幾人か見たことのある顔があった。ドラムセットが運ばれてきた。ジェットのドラムだ。この春突然倒れてしばらく静養中だったジェットだが、無事来日は出来たようだ。だが、この猛暑の日本で演奏は出来るのだろうか。心配していると、なんとジェットがクルーに紛れてステージに登場した。彼はしばらく自分のドラムセットに座っていた。なにか気になることでもあるのだろうか。観客もジェットに気づいたらしく、あちこちで彼の名を呼ぶ声がした。しばらくすると、いつの間にかジェットはいなくなっていた。あれれと思っていたらふっと会場の灯りが消え、ステージをライトが照らした。始まった! 彼らのステージを見るのは11年ぶりだ。ああ、やっと、やっと・・・。

 1曲目は、最初の一音で曲名がわかった。その後に聞きなれたベースのフレーズが流れ、会場に歓声が上がった。『5ミニッツ』だ! JJは、まったく変っていない。ジェットは髪が白くなってディヴは髪が無くなり、両名とも以前よりもさらに太ってしまったが、演奏はまったく衰えていない。そして、今回初めて見るバズのプレイにも、まったくの違和感が無い。彼はもう何十年もバンドにいたんじゃないかと錯覚するくらい溶け込んでいた。想像以上に観客の受けも良かったが、最前列にいるのでどれくらいの観客が集まっているのかさっぱりわからない。せめて、さっきのホラーズくらいいればいいのだけれども(ロブさんによれば、それくらいの観客はいたようだ)。しかし、前方に集中しているのは、間違いなくコアなファンだ。”Five minutes and you're almost there, Five minutes and you're almost dead”のところで確かにみんなが合唱していた。私は泣きそうになってしまった。
Baz_2  次の曲は、いきなり新譜からの曲『スペクター・オヴ・ラヴ』だ。位置的にディヴの炎のキーボードの音が良好に聞こえ難かったのは残念だが、やはりこの曲は良い。続いて『ストレイトゥン・アウト』『ナイスン・スリージー』とおなじみの曲が続いた。JJはもうノリノリで、いつものウロウロやハイジャンプや蹴りを入れながら元気にベースを弾いている。しっかし相変わらずすごいジャンプ力だ。よく考えたらとっくに50歳過ぎてんだぜ? バズも楽しそうに歌いながらガスガスとギターを弾いている。ごつくてスキンヘッドの一見強面だが、時折すごく可愛い表情をする。そして新譜からの『アンブロークン』。このヴォーカルはJJとバズが分業しているが、やっぱりライブで聴いても実にいい。特に間奏の盛り上がりは、ストラングラーズを知らない人を惹き付けるには充分だと思う。JJは時折観客に向けて簡単な日本語を話した。何せ、のっけから「ワタシタチハthe stranglersデス! ゲンキデスカ?!」と言ったのだから、面食らった人も多いだろう。日本でプレイできるのが嬉しくてしかたがないのだ。「アツイね!」「アリガト!」「押忍!」と、まあ後はこういう簡単な言葉だったが、「アツイね!」は、今回の来日での一番の印象だろう。それでもこの国の言葉を話してくれるのは、ファンとしては嬉しいものだ。そして『ピーチズ』!!! おお、これをやってくれるか! ヒュー脱退後ヴォーカルを担当していたポールは長い間この曲を「ヒューの歌うべきもの」として封印していた。最近(ポールが辞める少し前くらい)解禁されたようだが、このサマーソニックでやってくれるとは嬉しい。まったく例年に増してクソ暑い今年の夏にピッタリの曲だ。この曲の少し前から、「イタリアのお嬢さん」が私に最前列を譲ってくれた。私が10年以上ストラングラーズのライヴを見ていないということで、気を利かせてくれたのだ。子どもから最前列を奪うような気がして気が引けたが、ありがたく移動させていただいた。それで、彼らの演奏をつぶさに見ることが出来たのだが、この「ピーチズ」の終盤でヴォーカル(バズ)が”mmmmm!”とハミングと言うかうなるところでの腰の動きがやたらとエロかった。そして、私の大好きな『オールウエィズ・ザ・サン』。前曲までとは雰囲気がちがうが、これもストラングラーズのライヴでは定番になっている名曲だ。イギリス本国では大合唱となるのだが、さすがにここで歌っているのは少数だろう。そして、'82年に大ヒットした『ゴールデンブラウン』。これまたライヴの定番だが「パンク」とは180度雰囲気の違うゴシック調のワルツ曲だ。後半のギターソロを終えた後、バズがちょっとおどけて「どんなもんだい」というポーズをした。次はいきなり閑話休題といった感じで、全アルバム中でも特に過激な新譜の『サムマット・アウタナウト』。歌うは齢50を過ぎてますます元気なJJ師範である。『ロンドン・レディ』は一緒に歌えるが、これは早すぎてとても無理だ。 そして軽快なテンポの『ダッチェス』と続く。これも比較的最近ライヴで演奏復活した曲だ。『ダッチェス』が終わるといきなり照明が暗くなった。一瞬これで終わったのかとドキドキしたが、それは照明の色が赤く変化したからだった。そして始まったのが『リレントレス』、新譜のトリを勤めた曲で、ストラングラーズ楽曲の集大成ともいえる名曲だ。これは絶対にライヴで聴きたかったので心の中でガッツポーズをした。次の演奏はJJの定番ヴォーカル曲である『ロンドン・レディ』。『ピーチズ』と同様にファーストアルバムからの曲である。次回は是非、同じ路線で「マダム・スシ」という歌を作って欲しいものだという冗談は置いといて、これはアップテンポの実に愉快な曲だ。そして、ついに最後の曲であろう『ノーモア・ヒーローズ』。ベーーーーン!というベースでもうファンには何の曲かわかり、歓声が上がる。そして曲が始まると共に、後ろから人が突進してきたらしく、体が前の柵にドンと押し付けられた。そして大合唱が始まった。やはりストラングラーズと言えば『ノーモア・ヒーローズ』なのだ。そして、この歌こそ、今の世界情勢にピッタリの歌であり、あのカウボーイ好きなアメリカの愚かな指導者に突きつけてやりたい曲ナンバーワンである。大合唱のうちにとうとうストラングラーズのライブは終わった。やはりわずか50分では短すぎる。しかし、最後まで演奏したものの、人に支えられて退場したジェットの体調を考えれば、ちょうどよい時間だったかも知れないとも思った。

 演奏がすっぱりと終わったため、速やかに次のバンド目当ての人たちと交代する。せっかくだからとソニックステージの後方に行き、記念にロブさんを囲んで記念撮影をする。その後、私たちは階段を上り、冷房のあまり効いていない通路の椅子に腰掛けてしばし休んだ。みんな興奮まだ冷めやらずという感じだった。しばらく雑談した後、解散、私はしばらく会場に残ったが、翌日の会場である大阪に新幹線で移動するため、飛行機で移動するYさんとも分かれ一人東京駅に向かった。
 海浜幕張駅までの道すがら、リストバンド目当てのダフ屋に何度も声をかけられた。せからしい(うるさい)ので外して隠そう思ったが外れない。で、むかついた私はリストバンドをブチ切ってしまった。せっかくの記念なのに・・・。ああ、悲しき1500wの電子レンジ(すぐ熱くなる)。
 ようやく東京駅に着いたが、京葉線から新幹線口の八重洲側に行くまでがまた10分以上歩かねばならない。途中荷物を忘れずにロッカーから出し、疲れてよろよろしながら目的地までひたすら歩いた。そして窓口で指定席を取り、ようやく新幹線に乗り込んだ。
 大阪駅に着くと、ホテルのある難波まで地下鉄で行き、フロントに電話をかけ場所を聞く。地下鉄よりもJRで行ったほうが近かったことに気づき、がっくり。JRだったら降りずにそのまま行けたやんけ~。地下鉄代がもったいない上に余計歩いたことになる。
 ホテルのおっちゃんに言われたとおりの道に入ると、いきなりソープやらイメクラやらラブホの立ち並ぶ怪しい路地に・・・。気まずい気分でそこをうろつきながら、ようやくホテルに到着。いわゆるバックパッカー向けの安ホテルという感じだが、一泊約5000円なので文句は言えない。さらに言うと、昔はきっと連れ込み宿だったんじゃないかと思う。
 フロントの味のあるじいちゃんからカギを貰って部屋の前にいく。これでやっとシャワーを浴びてゆっくり休める、と、思ったらカギが開かない。カギがきっちり差し込めず回らないのだ。カギと部屋の番号を良く確認するが、間違っていない。単にドアがボロイだけだ。「カンベンしてくれ~」とつぶやきながら、数分間ドアノブとカギ相手に大格闘してようやく室内に入った。以前、トイレに閉じ込められて以来の鍵との格闘であった。すでに足はもう限界である。中に入るとまだクーラーが入っていない。窓がない部屋なので、クーラー無しだとかなり辛いが、リモコンが見つからない。探し回るとサイドテーブルのど真ん中に鎮座ましましていた。なんでこれが見えなかったんだ~、と疲れた自分が情けなくなった。やっとクーラーををつけブーツを脱いだら、血豆になった右足の絆創膏が取れかかっており、血豆がますます巨大化していた。で、絆創膏をはがしてほっとしてベッドに寝転がったら、そのまま意識を失ってしまった。

◆サマーソニック07 公式ページ ライブ写真→東京編

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2007年8月12日 大阪編

 午前4時過ぎ、ガバッと飛び起きる。コンタクトレンズを入れたまま寝ていたのに気が付いたからだ。クーラーで汗は引いていたがシャワーも浴びずに寝ていたので、あせってバスルームに駆け込んだ。その後改めて朝まで眠った。

 朝起きると、朝食のサービスがあるというので下の食堂に行く。トーストとコーヒーとゆで卵の簡単な食事。食パンはセルフサービスで自分でオーブントースターで焼くのだが、私がパンを入れたトースターはボロくてなかなか焼けない。仕方が無いので狐色に焼くのは断念する。まあ、朝食つきなのは嬉しい。足らない野菜は後で野菜ジュースで補おう。

 さて、今日は大阪会場である。昨日の東京会場でだいたい要領はわかったので大阪は楽勝だなと思ってたが、とんでもなく甘かった。
 さて、今日は、SIS JapanのIさんと一緒である。今日は彼女のところへお泊りするのだ♪ 途中で京都方面から出てきた彼女と合流。サマソニ大阪会場はUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)とも近いので、電車は満員である。Iさんと仲良くつり革にぶら下がりながら雑談に興じる。途中何故か帽子を夏用に変えた話をしていて、「合皮のキャスケットじゃあ蒸れて禿げそうやもんね」と思い切り言った後ふと下を見るとまん前にてっぺん禿のおじさんが居心地悪そうに座っていた。  

 満員率は高かったが、桜島駅で下車するまではまずまず順調だった。しかしそれからが大変だった。まず、駅が小さすぎてロッカーがない。仕方がないので大荷物のままシャトルバスを目指す。その前に、昨日馬鹿高い水を買わされたので、駅で飲み物を買って行くことにした。
 普通、シャトルバスが出るっていったら、駅のすぐそばか、せいぜい2・3分歩くところにあるって思うよね。ところがサマーソニックに向かう人の列に加わり、延々と行進させられる。この炎天下に、大行列でこれがまたちょっと歩くと止まり、また歩いて止まりの繰り返し。暑さでどれくらい時間がかかったか全く覚えていないが、相当長い間をかけて歩いたのは確かだ。で、ようやくシャトルバス乗り場が見えてきた・・・。うそだろう・・・・・・。乗り場は道路の向こうにあり、あの止ったり歩いたりは横断歩道を渡るためだったのだが、乗り場の駐車場にさらにまた大量の人間がひしめいているのが見えた。バスは途切れることなく何台も来ているが、人の多さに履けきれないでいるのだ。さらに強烈な暑さで乾燥した地面から時折大量の土埃が舞っている・・・。ようやくその駐車場にたどり着いたら、順番待ちの行列がまるで小腸のようにくねくねと出来上がっていた。ここは本当に日本か? 昨日の東京会場が、せいぜい5~10分歩く程度だったことを考えると雲泥の差であった。
 例によって水とスポーツ飲料を1本ずつ買っていてよかった。それがなければ間違いなく熱中症で倒れていただろう。アフリカの難民の気持ちを堪能した頃、ようやくバスの前までたどり着いた。中に入ると冷房が効いていて地獄から天国の気分である。

 やっとの思いで会場に着く。新たに12日用のリストバンドをつけて会場へ。荷物を預けるのにまたあちこち駆け回り、ようやくソニックステージの通路でYukaさん・Hさん(今日は単品)と合流した。今日は4人である。Yukaさんが「ストラングラーズのTシャツを着て、ずいぶんと気合いの入った男の人がいたよ」と、面白そうに言った。他の3人も興味津々だったが、そいつが実はちょっぴり困ったちゃんだったことに後で気がつくことになる。

 前のバンド「ホラーズ」の演奏時間になったので、ソニックステージまで降りていく。要領は昨日と一緒でいいだろうということで人垣の外で待っていると、例の「気合の入った」兄さんが我々の横を通り過ぎてさっさと人垣に入り込んでいった。私たちは全員彼に気がついて目で少し追跡したが、まだ群れの中に入るのは早いと思い場所は動かなかった。ホラーズの最終曲だが、今回ヴォーカルは観客の中に入らずステージ前方にガムテープを張り巡らす意味不明のパフォーマンスを始めた。ひょっとしたら昨日厳重注意をされたのかもしれないが、歌詞を知っていれば納得のいくパフォーマンスなのかもしれない。しかし、前のバンドがホラーズで良かった。バウハウスが好きなので、曲をすんなり受け入れられて退屈しなかったからだ。
 ホラーズの演奏が終わるちょっと前からじわじわと前方に進み、終わると足早に中央やや左より最前列を目指して突き進んだ。しかし、最前列は動く様子はない。ふと右側を見ると、例の兄さん(とはいえ、多分3・40代)がしっかりと最前列を押さえていた。彼の傍には彼を「アニキ」と呼ぶ「弟分」が数人、いっしょに子どものようにはしゃいでいた。きっとこの「アニキ」はものすごいストラングラーズのファンなのだろう。このようなテンションの高い団体が傍にいることに一抹の不安を感じたが、反面、こんなに盛り上がったファンがいることが予想外で、ちょっと嬉しかった。
 演奏を待っている間に、ストラングラーズの後に演奏する「インターポール」目当てで最前列にいた女性たちが、「インターポールの時にちゃんと交代してくれるなら」ということで、最前列を譲ってくれた。彼女らを抱きしめてキスしたいくらい(あくまでも例えです)嬉しかった。こういう見ず知らずの人との交流も、こういうイベントならではのことだろう。これで私たちSISは晴れて全員が最前列でストラングラーズのライヴを見ることが出来たのだった。(譲ってくれたお姉さんたち、改めて感謝をいたします。ほんとうにありがとう)

 そして、客席のライトダウンと共に、ステージが明るくなりバンドのメンバーが登場した。横の「アニキ」たちものっけからハイテンションで跳ね回っている。野郎ってのはいつまで経ってもガキなのかね。早速監視役の眼光鋭く体格のいいお兄さんが彼をピンポイントでマークしていた。 
 曲目はもちろん昨日と同じ。そのせいか、昨日より少し時間が短く感じられた。
 1曲目の『5ミニッツ』が始まった。隣の「アニキ」たちのテンションが今までの最高値になった。前の柵を掴みはね回る「アニキ」。ポゴダンスというより動物園のお猿さんを連想し、やはり人間も霊長類なんだなと妙に納得した。でもまあ、こういう盛り上げ役の人はきっと居たほうがいいんだろう。彼はイギリス本国でライヴを見ているような雰囲気にしてくれた。あっちには必ずいるんだ。こういう風にトランス状態になりやすいファンが。それにしても、時折激しく柵を揺さぶられ、ライヴに集中できなくなるのには閉口した。
 JJは今日も日本語でご挨拶。演奏の合間にタオルで汗を拭きながら、横を向いて「アリガト!」と言ってしまったのはご愛敬。ひょっとして「あついネ!」を言い間違えたのかも知れない。その後JJは、演奏の合間にそのタオルをカメラマンのお兄さんの頭とカメラにかぶせていた。JJはイタズラっ子っぽい顔で嬉しそうだったが、お兄さん迷惑やっただろうな。オヤジの汗まみれタオルなんか出来たら被りたくなかっただろう。ファンだったら凄く嬉しいことだろうけど。
 しかし、昨日で少しバテたのか、ちょっぴり演奏が荒れる時があった。『ナイスン・スリージィ』他数曲で、若干のミスがあった。ほとんどが、曲を聞き込んでいないと判らない程度だったけれど、ちょっともったいなかった。しかしそれ以外は文句なしの演奏で、たった50分間しかないのが本当に残念だった。しかし、本当になれない酷暑の中をよく熱演してくれた。JJやバズから何度も汗がしたたり落ちるのが見えたもの。ジェットもディヴも、楽器や基材でよく見えない場所にいるけど相当汗をかいているだろう。ジェットはちゃんと水分を補給しているだろうか。
 曲はどんどん進んだ。昨日は明日もあるという思いがあったが、今日が終わると後はいつ彼等のライヴを見れるかどうかわからない。1曲1曲を噛みしめながら聴いていたい。聴いていたいのに・・・こら、クソアニキ! 無駄に柵を揺らすんじゃねーよ! 気が散るだろーが!!
 歌えるところはとにかく一緒に歌った歌った。楽しかった。
 と、また照明が暗くなって『リレントレス』が始まった。昨日は斜め後ろにいたから伝えられなかったけど、今日は横に並んでいるYさんに、(やったね!)と親指を立てて合図を送ると彼女も(うんやったね!)と親指を立てる。彼女もこの曲は絶対にやるべきだと言っていたのだ。アルバム収録曲もいいけど、ライヴもすごく良い。
 『ロンドンレディ』そして、ついに最後の1曲『ノーモア・ヒーローズ』に突入した。またまた大合唱。と、私の右側に若干の衝撃が・・・件の暴走アニキが興奮して、弾みで隣の「イタリアの奥さん」に激しくぶつかったらしい(後で「イタリアの奥さん」に聞いたら、蹴飛ばされたらしい。もちろん勢い余ってのことで彼には悪気はないと思う)。彼はとうとう監視のお兄さんから注意されてしまった。ご苦労様。あなたのおかげで盛り上がったヨ。

「ドモ、アリガト!!」
熱い演奏を残して彼らはステージから去っていった。こちらこそ、このクソ暑い中を来てくれてありがとう。すばらしい演奏をありがとう、ザ・ストラングラーズ! 必ずまた来いよ~~~! 待っているからね!!!

 彼らの演奏が終わって帰ろうとステージに背を向けると、席を代わってくれたお姉さん達が待っていた。再度丁寧にお礼を言って場所を交代。ほんとうにありがとう。おかげで一番前で見ることが出来ました。

 例によって、観客の大交代で人の波が交錯した中、私たちの横を例のアニキたち一行が通り越して行った。通りすがりに「ね、彼ら良かったやろ?」「は~い、言われたとおり残って良かったですう」という微笑ましい会話が聞こえた。どうやら、ホラーズを見ていたファンの子たちに次も聴くように進めたらしい。さすがアニキ、新たなファン獲得に余念がない。私たちも見習わないといかんなあ。

 その後、みんなと別れ私とIさんは少し会場に残った。しかし、頭の中がストラングラーズモードになっているので、どうも他のバンドを見ても気が向かない。名残惜しいが結局、会場を後にすることにした。

 会場の外に出ると、またリストバンド目当てに声をかけてくる連中が数人。今日は「あのォ、そのリストバンド・・・」と言い終わるまでにソッコーで「ダメ!」と断った。それから、シャトルバスに乗って朝大行列だった駐車場で降りる。そこは、朝の混み具合が想像できないほど閑散としていた。それから朝来た道を逆に歩いたが。だいぶ日も傾いていたし人も少ないので、歩くことは歩いたが思ったより短時間で駅にたどりついた。それからJRを乗り継ぎ、Iさん宅に向かった。

 祭りは終わった・・・。車窓から夕空を見ながらしみじみと思った。

 ◆サマーソニック07 公式ページ ライブ写真→大阪編

■演奏曲目■
5 Minutes, Spectre Of Love, Nice'n Sleazy, Straighten Out, Unbroken, Peaches, Always The Sun, Golden Brown, Summat Outanawt, Duchess, Relentless, London Lady, No More Heroes

All

2007年8月13日 タワーレコード新宿店 JJインストアライヴ

 さて、今日は夕方からJJのインストアライヴである。祭りの後夜祭みたいなものであろうか。

 Iさんが仕事なので、一緒に出ることにする。駅まで送ってもらい、彼女と別れて一人東京に向かう。今日の宿泊は初日に泊まった「ホテル法華イン東京八丁堀」である。今日は翌日が月曜日ということで宿泊代は7500円である。
 ホテルのチェックインは3時からなので、1時ごろ着いた私はホテルに荷物だけを預けて時間つぶしに出かけた。この炎天下に出かけるのもどうかと思うが、特にどこも観光していないので1箇所くらいは行って見ようと思ったのだ。それで少しでも涼しいかなと上野公園に向かった。確かに公園の木陰は若干涼しかったので、上野公園を選んだのは正解だと思う。弁天池まで行って帰るとちょうどよい時間にホテルに戻ることが出来た。

 ホテルでしばらく休んで足のマメを養生し、夕方、ライヴ会場のタワーレコードを目指して新宿駅へ。地下鉄線で向かったが、電話で場所を聞くと、JR東南口方面だという。東南口というと、去年待ち合わせをした場所である。しかし、お上りさんである私に地理感はない。JR新宿駅にはたどり着いたが、それからどう行っていいのかさっぱりわからず、人に聞きまくってやっとタワーレコードまでたどり着いた。
 予定より大幅に遅れて会場に着くと、思ったより人が並んでいた。私も行列に加わって並ぶ。係りの人が「整理券100番以降の方はこちらにお並びください」と言っているのを聴いて、百人以上は集まっているようだと一安心。さすがに年齢層は高いが、意外と若い人も並んでいたのでびっくり。
 時間が来て、整理券番号の若い順から呼ばれ、ライヴのある一角に並ばされた。私は70番台だったので中ほどよりさらに後ろだったが、背が低いのでほとんど前が見えない。まあ、小さい利点を生かして前にもぐりこめないこともなかったが、どれだけ人が集まるか、またお客さんの反応も見たかったので良しとした。周りを見回すと、後ろの方にARBのキースさんが居られた。見ようと思えば前の方に行けただろうに、本当に謙虚な方だ。Yさんは、仕事でこっちにはこれないらしい。一緒に見たかったので残念だがしかたがない。
 まもなく会場(と言ってもタワーレコードの一角だったが)は、「Suite XVI」を買って整理券を持って集まった人でいっぱいになった。その後整理券無しで集まった人が「入場」を許され後方にならんだ。整理券を持った人だけで100人を越えていたので、予想以上に人が集まったようだ。最初、新たにCDを買ってまで人が集まるのだろうかと心配したが、杞憂であった。

Jjb_s_3 そして、ほぼ予定通りの7時にライヴが始まった。司会はブライアン・バートンルイスさん。日本語がかなり達者なかたで、話の進行も盛り上げ方も上手い。良い方に司会をしていただいたとほっとする。トークの内容は、メモを取っていなかったので万全ではないが、いくつか書いてみよう。

 後ろの大きいモニターに、かつてのパンク時代の映像が流れており、ちょうどJJの演奏している場面でブライアンから感想を聞かれて、「細いね~」。で、会場がまず爆笑。確かに昔はかなりスリムだった。ただし、昨今の日本のアイドルみたいに細いだけじゃなく、必要な筋肉はしっかりついていたぞ。話はジェットの体調にも及んだ。JJ曰く、ライヴの度に毎回ジェットの生死を賭けているんだという。「今回は暑い中の演奏だったので期待したけど、彼は無事に完奏してしまった」と言う。イギリスらしいブラックジョークだが(JJはフランス人だが)、反面、バンドのメンバーの腹蔵のなさが良くわかるエピソードだ。逆を言えば、それだけジェットの体調に気を遣っているということだもんね。もちろん会場は大笑いだ。あと、順番は良く覚えていないけど、クラッシュのポール・シムノンと大喧嘩した話やかつてマスコミから総スカンを食らっていた話等、昔からのファンには馴染み深い話や、新譜の「Suite XVI」の意味についてのような公式サイトの読者にはお馴染みの話がけっこうあった。ファンからの質問にもいくつか答えていた。「女性に関して今はどうだ?」という質問には「お母さんが大好きだよ!」と答えた。これも古いファンには堪えられない回答だ(3rdアルバム「ブラックアンドホワイト」の中の「Threatened」という曲で”Bring me a piece of my mummy, She was quite close to me”という近親相姦を連想させる歌詞がある)。彼によれば、いつまでも母親を大好き(Love)でいられるからこそ、、他の女性に対してもいつまでも優しく接することが出来るということらしい。「どの曲が一番好きか」という質問に対しては「どんなに子どもがいても、その中で誰が一番好きかと決められるものではないので、ノーコメントとさせてください」と答えていた。「『I Hate You』で歌っているのは誰のことか」という質問に対して、今までのインタビューでははっきりと明言しなかった人物名を公言した。やはり、ジョージ・W・ブッシュと彼の「プードル」についてのことだった。JJは大義なきイラク戦争に関して、かなり怒りを持っていた。さらに自分の住む国がそれに最も関与していることに怒りと悲しみを持っていた。さらに彼は日本がその戦争に深く関与していることについても憂いていた。自衛隊は人殺しこそしていないが、日本人は自分の国が人殺しの手伝いをしているということは自覚するべきであると、言葉は荒げていないがかつてない真面目な顔をしてかなり手厳しく言った。確かに日本はイギリスの次にイラク戦争に「貢献」している。イギリスで政権が代われば下手すればお鉢が全部こっちに回って来るだろう。しかし、未だに日本ではイラクへの自衛隊派遣は正しかったと考える人が多数を占めているのが現実である。
 そして、もうひとつ特筆すべきは、「空手で好きな型を教えてください」という質問に対して、型を実演してくれたことだ。もっとも私の位置からはまったく見えず、呼吸の音しか聞こえなかった。同じものは多分1992年に参加したコンヴェンションで拝見していると思うが、あれからもっと完成された形になっているだろう。これに関しては非常に残念だった。
 そして、待望のソロライヴが始まった。ここでも、演奏する曲に関してたっぷりと説明をしてくださった。話が面白いので長くても飽きが来ない。「曲を作るに当たって、他の曲からインスピレーションを受けたり、フレーズをちょっとパクッたりすることは多分誰でもあることだけど・・・、この曲ははっきり言って盗作です」と、いきなりJJは言い始めた。「これは150年前の曲を盗作して作ったものです」。これで何の曲かすぐにわかった。確かにあれは盗作かも知れないが、原曲と同じくらい良い出来だと思うので、オマージュと言っても十分通用すると思うが、はっきり盗作と言ってしまうのが、あっけらかんとしてJJらしい。これは、もともと『フレッド アンド ジョージ』という曲で、ショパンと作家のジョルジュ・サンドのために作ったもので、ストラングラーズとしては甘すぎて使えなかったけど曲調や雰囲気がアニメの『巌窟王』にピッタリだったので、それ用に作り直したのが『We Were Lovers』という曲であるということだ(これも このインタビューで語ってくれたので、未読の方は読んでね)。『フレッド&ジョージ(ジョルジュ)』と男同士みたいなタイトルだけど、それは当時のフランスはかなり保守的で女性が小説なんて書けなかった。だからサンドは男性名をペン・ネームにしていたんだよ、という豆知識つきだった。
 日本の気温と湿気で上手くチューニングが出来ないんだ、とか言いながらギターの調整に若干手間取りながら、演奏が始まった。おお、この曲が生で聴けるとは思わなかったよ~~~と感涙しかけたら、途中で演奏が途切れた。失敗したらしい。これもご愛嬌ということで、気を取り直して失敗したあたりから演奏続行。私も目をつぶって曲に集中する。サビの部分はやはり感動もので、さっき止まった涙がまた復活してきた。いや、名曲だ。アコースティックギターの弾き語りでもジーンとする。ショパンとJJ・バーネルのコラボだね。これなら天国のショパンも許してくれるよと、勝手に納得する。(因みに元ネタは日本では「別れの曲」というタイトルで有名なピアノ曲だ)
「1曲だけのつもりだったけど、もう1曲やってくれるということです!」ブライアンが言った。
「これは、昔ストラングラーズのファンだった青年について歌った曲です。彼は僕たちがまだ有名でなかった頃からのファンでした。しかし、彼は僕たちが有名になるにつれ、ギャング達(注:「フィンチェリー・ボーイズ」というストラングラーズファンのワカゾーのおっかけ集団)と親しくなっていくのを快く思っていませんでした。ある夜、彼はとうとうギャング達に喧嘩を吹っかけてしまいました。当然ボコボコにされたのですが、それにショックを受けた彼は、その夜、テムズ川に投身自殺してしまったのです・・・。これは明るい曲調ですが、実はこういう悲しい歌なのです」
『ディゲナム・ディヴ』・・・! まさか、これこそまさかアコギ(アコースティック・ギター)のJJソロライブで聴けるとは夢にも思わなかった曲だった。彼はストラングラーズのディヴ・グリーンフィルドと区別するためにディゲナム・ディヴと呼ばれていた。彼は読書家で、サドからマルクスまで読みこなしていた。前歯が2本ない顔で、屈託のない笑みを浮かべた彼の写真は見たことがある。彼は黒人で、写真ではそんなに若いとは思えなかった。彼はほんとうにストラングラーズが好きだったんだろう。自分らがもっと気をつけていたら、彼を死なせることはなかっただろうと、きっとJJもずいぶん嘆きそして苦しんだに違いない。しかし、JJはその悲しみを昇華させて彼の歌を作った。そして彼の死から30余年経った今もこうして演奏されている。彼は歌の中に今も生きている。そしてその歌を聴きながら、私たちは会ったことすらない青年について思いをはせる。これもある意味の供養だろう。キリスト教にそういう考えがあるかどうかは知らないが。
 JJはこの曲を切々として歌った。明るい曲調が余計に悲しい。途中で客席から手拍子が聞こえ始めた。それは自然な流れなのか、JJが指示したのかは私の位置からは判らなかった。最後のキーボードで演奏される部分をJJは口笛で演奏したが、これがまた哀愁があってよかった。もう、この2曲が聴けただけで、大阪から東京にまた向かい1泊予定を延ばした価値があると思った。
 大盛況のうちに、インストア・ライブが終わった。あとはCDを買った人へのサイン会だ。またまた階段までの列がずらりと出来た。わたしも「イタリアの奥さん」とともに列に加わる。彼女は前列で見れたらしい。JJが一人ひとりに話しかけながらサインをしていた。さすがに100人以上は疲れただろう。私の前にいた男性が一所懸命JJに話していたのが微笑ましかった。私の番になった。さすがに私の名前は覚えていたので、名前を提示せずにサインをもらえた。Iさんからメッセージカードを預かっていたのも無事に渡すことが出来た。

 ・・・終わった――――――。

 これで、ほんとうに祭りが終わった。明日は福岡に帰るだけだ。振り返ると今日まで怒涛の4日間だったが、実に有意義で凝縮された4日間だった。

 疲れてホテルに帰ると9時を過ぎていた。足の痛みはすでに慢性化していた。何度もブーツを買い替えようと思いながら靴屋に寄る暇も余裕も無く、結局このブーツで通してしまった。もう2度と履きたくないが、もう1日の辛抱である。コンビニで買った簡単な夕食を食べ、少し休息し、ようやくホテルにある温泉に浸かった。これで4日間の疲れが落ちているのかさっぱり判らないが、気持ちは良い。

 床に就くと、今までのことが色々頭に浮かんだ。楽しかったな。やっぱストラングラーズは演奏している時が一番カッコイイや。また来てくれたらいいな・・・。そう思いながら、私はいつしか深い眠りに落ちていた。

 

 

 

■サマソニ前夜のおまけ話■
 ※最初これは本文に含んでいましたが、ちょいと内容が外れると思い別稿ににしました。

 ホテルについてゆっくりしていると、Yさんからメールがあり、ジェットはまだ体調が万全ではないが、他のメンバーと夕食を食べましょうという、夢の様なお知らせ。ほっぺたをツネッたら痛かったから夢ではない。指定されたホテルを目指すも、ホテルの名前で降車駅を早とちりして例によって遠いほうの駅で降りてしまい、ワケが判らなくなって結局タクシーを使う。いつものことだが情けない。指定のホテルに着くとYさんが待っていた。メンバーを呼んでくるからといわれロビーで待つ。妙に若い~中年あたりの女性がロビーに多いなと思ったら、そこに泊まっているミュージシャン目当ての皆さんだった。待っている間に、見たことのある外国人の姿が目に留まった。2dave 一瞬(あ!ディヴだ!)と思って立ち上がったが、彼もずいぶんと様変わりしている(そもそも、あのバサ髪がまったく無くなっている!!)ので、声をかけて別人だったら恥ずかしいなと、また座る。しかし、気になって仕方がないし、あっちもこちらを気にしている。何度かあったことがあるからか、私の行動が不審だったからかは定かではない。それで、気にしながらもまた座っていたら彼の姿は消えていた。しばらくするとYさんとメンバー達が現れた。近づくとさっきの人がJJたちと話していた。やっぱりディヴであった。

 ジェットを除いた3人とマネージャーのクリスさんと連れだってホテルの外に出て頃合いの店を探していると、まだあまり進まないうちにJJが赤提灯を見つけてここが良いと言った。見ると焼鳥屋であった。他の人たちの了解も得、皆でそこに入る。いきなり大柄のガイジンたちが入ってきたのでお客さん達も驚いていた。うち一人はスキンヘッドの強面である。ビビらないほうがおかしい。

 お店は小さいお店で、美人というより可愛い感じの、和服の似合う女将さんが真ん中の長テーブルに通してくれた。
Samasonizenya001s Yさんがメニューを見ながら何がいいかと聞くと、JJが相変わらず「スシ・テンプラ」とガイジン御用達メニューをリクエスト。いや、フツー焼鳥屋にはテンプラもスシもありませんから。メニューがバラエティに富んだ福岡の焼鳥屋ですら、刺身(時に天ぷら)はあっても寿司はない。代わりに今日のオススメのアジのタタキを3皿注文。あと、天ぷらを聞いたら、そば用の天ぷらがあるというので、それをいくばくかいただくことになった。JJは後で「味噌汁はないかなあ」とまたメニューにないものを言い出したので、他のメンバーにもいるかどうか聞いて、数人分特別に作ってもらっていた。味噌汁好きなんだとおもったら、汁だけ吸って具は残していた。う~~~みゅ、彼はいつもどーゆー味噌汁を飲んでいるんだろう?(お店の皆さん、無理ばかり言ってご迷惑をおかけしました。お料理美味しかったです)
 それ以外の注文は、他の皆さんはJJほど日本に詳しくないので、料理の内容を説明して食べれそうなものをお願いした。焼き鳥は砂肝はアウトだったがレバーはOKだったので、砂肝以外お店にお任せで注文。福岡なら豚バラは定番なのだが、もちろんない。
 早速アジのタタキが来たと思ったら、JJがゴキゲンで一皿占領した。ディヴは刺身のつまばかり食べていた。さらにディヴは途中漬物の盛りを頼んだら、その中のらっきょうの甘酢漬けがいたく気に入ったらしく、そればかり食べていた。あと、特筆すべきは酒類の消費のスピード。特に日本酒はおまいらおちょこではなくコップ酒にせれというペースでなくなった。だけど、JJは酒は燗がついてなけらばならないらしい。バズは明るい人で、楽しそうに喋りまくっていた。
 しばらくすると、Kさんが現れた。このKさんは、彼がおられたからこそ、かつてストラングラーズが日本でブレイクすることができたというすごい人で、バンドと私達の恩人だ。彼を加えて、さらに場は盛り上がった。
 私は酒が飲めないからウーロン茶。飲めないと言うと、みんな不思議な顔をする。世の中にはアルコールを分解できない種類の人間がいるということが理解できないらしい。まあ、百薬の長とか「酒無くて、なんで浮世が楽しかろ♪」てなことも申しますし、飲めないということは人生の損失かもしれないが、端から好きではないので「オレそんなの関係ねー」である。それで思い出したが、件のKさん、JJに「どんだけ~!」というネタを教えたらしい(その時は小島よしおはまだそこまでブレイクしていなかった。流行っていたらそっちを教えていたかもしれないね)。ステージでは絶対使うなと釘を刺したということで、幸いライブではその言葉を使うことはなかったが、本人が忘れている可能性が高いだろう。そんな余裕が無いほど殺人的な暑さの夏であった。(まあ、個人的にJJの「どんだけ~」は聞いてみたかったが、おそらく観客からはドン引きされるだろうことは目に見えている)

 その後、バンドのクルー達がすでに行っているというバーに連れて行ってもらった。酒の飲めないわたしはここでもジュースと注文。そこで、メンバーは外のテーブルで2次会開始。しかし、2次会は比較的穏やかで、KさんがJJと静かにお話していた。バスは早速先客の女性たちと盛り上がっていた。その後彼女らとカラオケで大盛り上がりだったらしい。まだ若いのですごく元気だ。うらやましい。
 私たちはKさんから30数年前の秘話をいくつか聞いて大笑いした。特に、ファーストアルバム「Rattus Norvegicus(ドブネズミの学名。邦題は『夜獣の館』これもレトロだが)でKさんが考えたという邦題は死ぬほど笑った。その邦題は伏せるが「怪傑なんたら」という、パンクというより昭和レトロなタイトルだった。その妙なタイトルは、もちろんKさんのストラングラーズを売らんがための戦略であった。

 そうこうするうちに、夜も12時を過ぎて日が変わってしまったので、明日のこともあるし、私とYさんは帰宅することにした。
 帰り際にJJに挨拶しにいったら「ハッピー・バースディ、リン」と言ってくれた。そうなのだ。サマーソニック東京公演と私の誕生日は見事にバッティングしていたのだ。わたしが、誕生日と一緒で嬉しいとはしゃいでいたのでYさんが伝えてくれたのだろう。さらに感謝。しかし、これで今生での運を使い果たしたかもしれない(笑)。そのあと、「明日またライブで会おうね」とハグしてくれた・・・いや、ハグではない。普通これは「ヘッドロック」というシロモノだ。テキの体格がレスラー並みなだけに洒落にならない。嬉しいけれど命がけである。ヘッドロックからようよう逃れ、手を振りながら彼等と別れた。
 公共機関がもうないので、タクシーで帰ることにし、タクシーを拾った。タクシーの運転手さんはいい人で、最短距離で帰ってくれたので思ったよりタクシー代がかからなくて助かった。帰りが遅くなったので、温泉に入る時間も残り少なくなっており、かなり疲れたので内湯で済ませることにした。温泉は朝入ればいいだろう。サマーソニックの本番に備えてさっさと寝ることにした。シャワーを浴びてベッドに寝っ転がると、すぐに睡魔が襲ってきた。

 こういうことは、おそらく二度とないだろう。貴重な体験であった。場を設けてくれたYさんや快く同席してくれたメンバーに心から感謝する。

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コメント

一気に読みました。ストラングラーズに対する愛情が溢れていて、ちょっと羨ましかったですね。このエントリーを書く為に、パワーをセーブしていたのでは、と思ってしまうほどの力作、お疲れ様でした。

僕も久しぶりに好きなミュージシャンのことを書こうかな、って、オレのブログは音楽ブログだったんじゃないか!!

投稿: drac-ob | 2007年11月 3日 (土) 01:19

ドラちゃん、こんにちは。

こんな長い文章を全部読んでくれたんですね。ありがとうございます。
これはもともと公式に書いたサマソニレポートを自分用に書き足したもので、そのもともとが長いのにさらに長くなってしまいました。

ドラちゃんも早速好きなミュージシャンのエントリーを書かれてますね。あとでゆっくりコメントいたします。

心底惚れたミュージシャンがいるって、本当に幸せですよね。

投稿: 黒木 燐 | 2007年11月 5日 (月) 12:57

私は、サマソニ大阪のみ観ました。
あの灼熱のサマソニをまるで昨日の事のように思い出しました。個人的には、持病が悪化している中 炎天下の野外フェスに参戦できた事自体 奇跡のようであり、我ながら気力ってスゴイな~って思いました(笑)
だって、中学生の時から好きだった(現在44歳)ストラングラーズですもん 東京へ行けなかったのは断腸の思いでしたが・・・他のバンドとは「愛」が違うんです。(これは暴走アニキの言葉をパクッてます・・・爆)


ニューアルバムを聴いてから また今回ステージを観て、自分の中でヒューの存在は完全に吹っ切れました。
赤提灯での3ショット(ジェットは体調不良で残念でしたね)見てても、これ以上のメンバーはいませんよ。


私は外国では、ストラングラーズを観れません。
服用している薬のせいもあるんですが・・・
でも こうやってSIS Japan ならびに狂人館の運営に
ご尽力されている方々には心から感謝しています。


昔「ミュージックライフ」だったか、JJのインタビューの中で言ってた『Living is the best prize』生きていることが最高の勲章・・・を見てからずっと彼らから離れる事はなかった。もちろん これからもです o(^-^)o


靴擦れには泣かされましたね(笑)
まるで私も その場にご一緒していたかのように楽しく
読ませていただきました。ありがとう o(^▽^)o


これからもストラングラーズとファンとの取り次ぎ、宜しくお願いします。応援しています♪

投稿: キヨ | 2007年11月 7日 (水) 20:32

キヨさん、こんばんは。

この長~~~いエントリーを楽しく読んでいただいて、とても嬉しいです。

持病を押しての参戦、お疲れ様でした。健康でも堪えたあの暑さです、相当大変だったでしょう。それでも行こうと思わせるのがこのバンドのすごいところですよね。

私は海外へは単なる金欠病で行けないのですが、持病となると海外旅行はかなり厳しいですね。単独ライブが決まればいいのですけれども。

>『Living is the best prize』生きていることが最高の勲章

いい言葉ですよね。こういう風に思えたら、苦しくても耐えて生きることが出来ると思います。JJも、自分が言った言葉で力づけられた人がいると知ったら、とても喜ぶでしょうね。

>これからもストラングラーズとファンとの取り次ぎ、宜しくお願いします。応援しています♪

ありがとうございます。がんばります。

投稿: 黒木 燐 | 2007年11月 9日 (金) 02:44

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