今日であの日から61年経つ。
あの最低最悪の兵器が始めて人類の頭上で炸裂してから61年経過したのである。
いつも8時15分は丁度バスに乗っている時間で、ちゃんと黙祷できないが、今年は日曜だから時間通りに黙祷が出来た。
しかし、今日の原爆忌はなんか怖かった。8時ごろ飛行機の爆音がして、それと共に「ズンズズズズンズン」という地響きがエンドレスに鳴り始めた。なにか原爆忌のイベントがあったのか、どっかの馬鹿が大音響で何か曲をかけていたのかはわからないが、言い様のない不安に襲われた。太宰府は8時15分にはいつもサイレンが鳴るけど、今日のサイレンは何故か音が小さく、飛行機の音みたいに高い音でイイイーーーーーーンという感じだった。本当にサイレンは鳴ったのかなあ。妙な音(というか振動)と妙なサイレンのせいで、黙祷している間もとても不安で、恐怖感すらあった。その後もしばらく「ズンズズズズンズン」という音が続いていた。今はそれも止み、周囲は蝉時雨の洪水だ。今日も暑そうである(8時30分)
私が原爆というものを身近に知ったのは、少女マンガ雑誌りぼんに連載されていたもりたじゅんの「キャー!先生!」というマンガだった。
このマンガはしょっちゅうギャグ展開になり、当時の少女マンガにしては主役の先生も今で言う巨乳な肉感的な女性で鷹という(元)恋人(こいつがまたニヒルな二枚目で)がいて、生徒も中坊だし、大人向けみたいなマンガだった。おまけにこの先生、巨乳の上超ミニスカを穿いていて、コケたりしてしょっちゅうパンツ丸見えになる。それであだ名は「ピンクの花柄」。「キャー!先生!」というタイトルはその時の生徒たちの嬉しい悲鳴だ。
しかし、そんな先生も実は母親を原爆症で亡くしており、彼女も被爆2世で(胎内被爆だったかもしれない)、母の死後、原爆症への恐怖の為、恋人に一方的な別れを告げ教師に専念しようとする。結局すべてを受け入れてくれた恋人鷹とゴールインするのだが、内容が内容だけに、ヒロシマの悲しさや原爆の恐ろしさを訴える話がちりばめられていた。被爆から25年後の話だ。
その後、小学校6年の修学旅行で一泊二日で長崎へ行き、1日目に国際文化会館の原爆資料館に行かされた。そこで見たものは、今までテレビやら本やらで見たどんな資料よりも恐ろしくて、私の心に刻み付けられた。特に、無脳症の赤ん坊の写真はトラウマとなってしまった。また誰が選んだのか、卒業アルバムの修学旅行の思い出にその写真も選ばれ、おかげでしばらくそれは開けないものとなった。今はわりと平気でそういう写真は見られる。去年防災セミナーに行ったときに、何故か戦争関連の酷い写真を沢山見せられたが、酷い死体も奇形児も、全然眼を背けずに見ることが出来た。可愛くない女になったものである。
それから中学生になったある日、隣の小学校の体育館に集められ、イキナリ映画を見せられた。「ヒロシマ・ナガサキ」という、原爆の記録映画で、目を背けるようなシーンもたくさんあって、かなりキツかった。なんで登校日の平和教育でもないのにそういうものを見せられたのかは覚えていないが、太宰府というところは平和教育が盛んな地域であったらしい。
最近はそういう平和教育をしないところも増えているらしく、太宰府もどうなっているやら子どものいない私にはわからない。しかし、戦争の愚かさや平和の尊さ、そして人類に3度過ちを犯させないためにも平和教育は必要だし、原爆の恐ろしさは伝えるべきだと思う。直接脳にガツンとくる写真や映像は小学生には辛いと思うので、体験談や絵など伝える方法はいくらでもある。核兵器の恐ろしさを知り、それを伝えることが被爆国である日本国民の義務だと思う。
昔は原爆忌ともなると、各テレビ局が原爆特集を組んだものだが、最近はそこまで熱くない。唯一NHKが毎年欠かさず特集番組を制作し、アーカイブとして熱心に再放送している。こういう姿勢なので、私は今もNHK全体に対してはそこまで悪い感情は持っていない。
去年は60年目ということで民放も原爆モノに力を入れてくれた。今年はどうだろうか。
私は原爆投下は日本だけではなく人類全体への犯罪だと思っている。
日本が降伏する直前にバタバタと2発も、それもウラニウムとプルトニウムという違う種類の原子爆弾を落としたのは、戦略目的ではなく人体実験を含めた核実験である。それは、ABCCが被爆者の治療は行わず、彼らを観察し、資料を集めることを目的としていたことでもわかる。放射線の影響を調べるためのモルモットを治療しては意味ないからだ。自国の兵士すらモルモットにしてしまう米国の冷酷さから考えると、黄色人種の日本人なんて実験用のサル並みの扱いだったのかもしれない。
原爆投下が終戦を決めたというのはそれを正当化する詭弁である。また、韓国では原爆のおかげで日本からの開放されたと思っている人がかなりいるようだが、彼らは犠牲者の中に多くの同胞がいたということを忘れている。また、朝鮮戦争の際3度目の原爆の使用が検討されたのだ。マッカーサーは落とす気満々だったらしい。一歩違っていたら自分達の頭上にもヒロシマ・ナガサキの災禍が襲っていた、ということを忘れてはならない。
もうひとつ忘れてはならないのは、ヒロシマ・ナガサキが原爆についてずっと抗議しているのは、アメリカへのウラミツラミをや保障を訴えているのではない。唯一の被爆国として核兵器廃絶のために、原爆の恐ろしさ悲しさ、そして空しさを訴え続けてきているのだ。人も動植物も自然もすべて無差別に完膚なきまでに破壊する核兵器は2度と使用されてはいけない。
日本が原爆の被害を訴えると、当然のようにかえってくるのがパールハーバーや大陸での日本軍の暴挙に対する当然の報いだという意見だ。しかし、それぞれの事例は別々に裁かれねばならない。けっして相殺してはいけない。よく例えに使うのだが、AにBが娘を虐殺されたとして、仕返しにAの娘をBが虐殺してもいいという理屈は通らない。AもBも別々に裁かれるだろう。せいぜいBが情状酌量されるくらいだ。ましてやパールハーバーは軍事施設がターゲットであり、原爆のように何万人もの民間人、それも多くは女子ども老人を虐殺したのとは訳が違う。頬を叩かれた仕返しに相手の家ごとぶっ壊すくらい違うと思う。とはいえ、私は真珠湾攻撃を正当化しているわけではない。経緯はどうあれ、あれが日米開戦の引き金になったのは事実なのだ。
原爆を作るきっかけを作ったアインシュタインも原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーも、その恐ろしい破壊力におののき、そして子どもを含む無辜の市民を大量に虐殺したことを悔いて、戦後は核廃絶に奔走した。E=MC2(2は上付き文字)の公式が発見されたときから核兵器の製造はおそらく時間の問題で、彼らがいなくてもいつかは出来たと思う。時代の流れでたまたま製造に関わってしまい(その上アインシュタインは公式の発見者だ)、結果、核による大量虐殺を行ってしまった彼らの苦悩は想像もつかない。私なら罪の重さに耐え切れず自殺を選んだかもしれない。
しかしながら、あの核兵器製造合戦の中、おのが過ちを悔い、罪を償おうとした彼らがいたことに少しほっとした思いがする。
北朝鮮の核ミサイルへの脅威のために、日本も核武装しようという考えを持つ人が増えつつあるかもしれない。憲法九条の改正も現実味を帯びている。そういうことを懸念してしまうが、私は日本は核武装すべきではないし、憲法九条も若干のマイナーチェンジは必要かもしれないが、基本である戦争放棄の誓いはきっちりと変えないでおくべきだ。ただ、自衛隊のような防衛組織は現実を考えると必要だといわざるを得ない。これは家で言うとセキュリティにあたるだろう。因みに(どこかの国と違って)人工衛星が打ち上げられるということは、長距離弾道ミサイルの製作も可能だということになるらしい。弾道ミサイルなどもちろん必要ないが、牽制にはなるかもしれない。
核武装については、現実的に出来るかどうか考察した横井設計さんのページが下にリンクしあるので、参考にして欲しい。
冷戦が終わり、少しはマシな世界になると誰しもが思っただろう。しかし、現実はさらに複雑化し収拾の付かない状態になってしまった。中東での火種は広がり、多くの国が核を持ちたがり始めた。しかし、本当に核は必要か。核兵器を持たねば防御にはならないのか。しかし、核兵器は使ったほうが負けである。もし使用した場合、世界中の気がふれて全面核戦争にならない限りその国は全世界から非難を浴び、特に某国のような独裁国家は致命的な制裁を受けるだろう。まあ、かの国の元首はアレな人だから、絶対に無いとはいえないが、テポドンのショボさからしてとても日本を攻撃出来るとは思えない。
アメリカを考えてみよう。あの国は銃社会で、普通の家庭にも普通に銃が置いてある。しかし、それで銃関係の事件や事故の抑制になっているかというと、否であろう。それどころか銃さえなければおきなかった事故や凶悪事件が頻発している。これで、銃によって平和が保たれているといえるだろうか?服部君だって、あの家に銃さえなければ死ななかったのだ。
日本は2度と戦争をすべきではない。
日本はこれまでどおり非核三原則を遵守し、ヒロシマ・ナガサキの悲劇を繰り返さないように、核拡散の抑止力となるように努力するべきだ。大地や川を埋め尽くす遺体の山を、幽鬼のような焼けた人の群れを作ってはいけない。平和になったあとも死の影に怯える人々を作ってはいけない。二度と。これは核の恐ろしさを身を以って知る日本だからこそ出来ることなのである。そして、国自体はああいうこととなってイラク戦争に加担してしまったが、国民レベルででもいい、平和を訴え続けていく姿勢を崩さないことが大事だと思う。
改めて、ヒロシマ・ナガサキの原爆犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
第61回原爆忌に思う(2)
■参考資料■
きっこの日記:原爆の日(俳句)
だびだびだびちゃんより:忘れちゃいけない夏(イラストポエム)
原爆にまつわる怖い話20より
8月5日12:37 天候観測機3機離陸
8月6日01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食
【参考サイト】
ビッグ・アップル(クリック注意:刺激の強い写真が出ます)
http://www.mctv.ne.jp/~bigapple/
長崎ジャーニィー(クリック注意:刺激の強い写真があります)
http://www.exploratorium.edu/nagasaki/mainn.html
アニメ ピカドン(クリック注意:刺激の強い画像があります)
http://briefcase.yahoo.co.jp/p_i_c_a_d_o_n
広島平和祈念資料館
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
平和博物館
http://www.peace-museum.org/
youtube「はだしのゲン」他
http://www.youtube.com/watch?v=zJUksMX8qmc
日本は核武装できるか(横井調査設計さんのHPより)
http://www.geo-yokoi.co.jp/Seiron_Kokunai/KakuBuso.htm
2005年10月11日の原爆ドームと大田川。
あの日は周囲は焼け野原となり其処此処に死体が散らばり、
川には膨らんだ死体がびっしりと浮かんでいた。
原爆ドームは今、美しい川と緑に囲まれている・・・。
最近のコメント