2012年5月 8日 (火)

Some big shoes to fill...~イアン・バーナード インタビュー

Ian★これは、SIS公式サイトでのインタビュー記事の転載です。 

ジェットのドラムテック(※)であるイアン バーナードは、ストラングラーズのドラムの後ろに座わり、なんと100回ものギグを経験しました。これを機に彼にインタビューをするのがいいのでは?とのJJからの提案がありました。

ヨーロッパツアー中のある日、バンドとの経験や、偉大なジェット ブラックの代わりを務めることについてどのように感じているのか、イアンに聞くことができました。

 

ラムを始めたのはいつ?

 14歳の時に学校で始めた。 1年間くらいは週に一度、10分のレッスンを受けていたけれど、そのあとは自分で練習したんだ。

ドラムを始めるきっかけとなったドラマーは誰? 

 僕の父がThe Who、The Police、初期のChicago、Small Facesをいつも聞いていたから、彼ら全部だね。そのもっと後、実際に僕がドラムを練習するようになってからはTaylor Hawkins(Foo Fighters)、Dave Grohl (Nirvana)、そしてSupergrassのドラマーに影響を受けた。

以前に他のバンドとステージでライブ演奏したことはあったの?

 ああ、かなり沢山あったよ。ティーンエイジャーのころは2つのバンドを持っていて、 The BluetonesとThe Musicのサポートツアーをした。何度もやったよ、ただ、ストラングラーズのギグのような大きいものではなかったけど。

どのような経緯でジェットの担当となったの?

 僕がプレイしていたバンドの1つのクルーにジョン ハスケットがいて、バンドの解散後も僕たちは連絡をとっていたんだ。僕はまだ学生だったんだけど、ある日彼が電話してきて言った、’興味あるなら君に仕事があるんだけど。ストラングラーズのドラムテックだよ。’
 ストラングラーズについてはあまり知らなかった。Golden BrownとPeachesは聞いたことがあったけれど、彼らの曲だとは知らなかったんだ。それで2週間くらいのツアーに参加した。とてもいい経験だったけれど、1度きりだと思っていた。すごくおもしろかったしルイーや他のクルーとも親しくなった。けれどもバンドやジェット本人とはあまり近しくはならなかったね、なぜなら彼らはサウンドチェックやギグに来て、それが終わるとすぐに帰ってしまったから。
 翌夏、最初のギグはFalkirkかどこかのスコットランドでのフェスティバルだったのだけど、ジェットがそれに先立ちもう一度担当してくれ、と依頼してきた。

 

この仕事を得るまえはストラングラーズの音楽は知っていたの?

 知ってた、と言ってもは2曲くらいだけど。。。

では初めてストラングラーズとプレイしたのはいつのギグ?

 初めてのギグはIsle Of Skye (2005年6月19日)のギグの翌日で、デイヴのパブでのチャリティーギグだった。フライトの問題等々でジェットが来られなかけれど、デイヴはそれでもやりたくて僕がジェットの代わりを頼まれた。(シルの)スタジオで2,3回リハーサルをやってギグはうまくいったけれど、その年はそれ以降は僕はなにもやらなかった。その翌年、フランスツアーの前にジェットが体調を崩し、彼らは、イアンなら前回の経験からドラムのことはわかる、と思ったんだ。それがツアーのたった1週間前だったから、リハーサルするとかなにも選択肢はなかったよ。とにかくやる以外なかった、さもないとツアーを全てキャンセルしなければならなかったから。

それはプレッシャーだったでしょう?

 ええ、でもプレッシャーも何もなかったとも言えるよ、だって僕にはなにも期待されていなかったから。うまくやってギグを終えることができればそれで上等だった。

初めてジェットの代わりに演奏した時はどんな気持ちでした? 

 かなり緊張したよ。最初の正式なギグはベルギーでの10,000万人のキャパがあるアリーナで、‘Best of 80′s’というイベントだった。3曲しか演らなかったけど、とにかくものすごい観客の数だった。ものすごい緊張から僕はドラムを目いっぱいの力で叩いてた。 ベースドラムペダル、そして金属シャフトを壊してしまったよ。その後アイスランドで1度ギグがあり、それから3週間のツアーだった。最初のギグの後からは少し楽になった。

演奏するのが特に好きな曲はある?

 主にアップビートの曲だけど、Tank、 Duchess、Five Minutesは本当に好きだね。他の多くの曲はジェットと全く同じことをやるけれど、これらの曲は少し自分の味を足すことができる気がする。つまり、これらのテンポの早い曲でもジェットと同じことはやっているのだけど、自分なりの演奏スタイルを加えられる。バンドもそれで特に問題ないみたいだよ、彼らがそのことに気づいてるかどうかは知らないけどね!!!

では、特にやりにくいと思う曲は?

 Curfewはタイムシグナチャーがあるからちょっとやりづらい。それから、Golden Brownは数えきれないほどやったけれど、たまに自分の世界にはいってしまうと不意打ちをくらうことがある。Genetixはトライしたことがない。特に理由があるわけではないけれど、僕がプレイした時のセットにはいっていたことがないんだ。もちろんやればプレイできると思うけど、変わったビートだよね。

今年のGiantsツアー中のオックスフォードギグのサウンドチェック後にジェットが病気で抜けたね。あの時のように急に代理で入ることになるのは余計に大変?

 そうだね、あの日はひどい日だったよ。ひどい、というのはドラムを叩くことではなく、ただ皆がジェットのことを心配していた。 僕は緊張する場面もあった。
 予定では、ロンドンギグのあとからはヨーロッパツアーの準備として、僕はサウンドチェックの度に3曲バンドと練習することになっていた。あの日は彼らとリハーサルした最初の日だった。あの晩は僕がプレイしたことがない曲がセットに含まれていた。全ったく落ち着かなかったね。ギグのあとは気分も戻ったけれど、なんだか奇妙な1日だった、少しショックだったんだね。

つまり、ギグに先立ち精神的な準備もあるわけだね?

 そうだね、ドラムを叩くのとドラムテックでは考え方も違う。なぜなら、通常、夏の間はギグごとに頻繁に入れ替えしなければならない。ドラムテックではギグの前にちょっとアドレナリンがでて、すべてをチェックして、すべてが滞りなくいって問題が起こらないようにする。それがギグでは違う快感と緊張があり、最終的にはそれがいつもいい結果となる。ギグでは技術的なことは考えないようにして、とにかくギグを成功させるようにやるだけだ。

ドラムテックの仕事とライブでドラムを叩くのとどちらが好き?

 ストラングラーズで、ということ?それは難しい質問だね。ファンがどれほどジェットを愛しているか知ってるから、そこでプレイしなければならない状況は好きではないね。時により、特にUKツアーではステージに上がるのがきついことがある。ジェットではないあのひと、にはなりたくないんだ。僕の言いたいことは伝わるかな。ギグで最前列の人々を見た時にみんなが、‘ああ、ジェットがいない!’となっているのを見ることより辛いことはないよ。 彼の仕事が欲しいなんて全然思っていない、これは僕自身、やるとは思ってもいなかったことなんだよ。楽しいし、経験したことは素晴らしいことだ。バンドも皆いい人だし、とてもいい関係でいる。もう何年もの付き合いだよ。最高の状況ではないけれど、その中でも最善を尽くしている。僕は‘ストラングラーズでドラム叩いてるんだぜ‘なんて言いふらしたりすることはしない。そういうものではないんだ。僕は彼らの技術サポートをし、時々ジェットができない場合にドラムを叩く。実際ステージに上がれば、それはそれで楽しめるからいいよ。

ジェットが不調ならば代わりに君が叩く、それでなければギグはナシになる、ということを今ではファンも理解している。

 そうだね、そして人々がそれに気づいていることは嬉しい。僕がジェットの代理を務めることに誰も苦情を言ってきたことはないようだし、実際ファンはとてもよくて僕を受け入れてくれている。僕はただ、あの人、になりたくないんだ。これはファンとは関係ないことだけどね。ストラングラーズは素晴らしいファンを持っているよ。とても忠誠心が高い。僕が仕事をしたどのバンドにも、こんなにどこにでも出かけていくファン、そして1つのバンドにあれほど献身的なファンはいなかった、しかもこれほど長い期間を経ても、だ。驚くべきことだよ。

ライブでやってみたい曲は他にある?

 Down In The Sewerは大好きだ。彼らとプレイしたこともある。Toiler On The Seaも最高。Peasant In The Big Shittyは変わったやつだけどプレイしたことはない。SwedenとShut Upは演奏していて本当に楽しいよ。他にプレイしたい曲があるかはわからないな、なぜならもう何年も彼らとやっていて結構な曲数をプレイしたからね。

あなたがストラングラーズのステージでドラムを叩いた100回目のギグは今年のParis Olympiaでしたね。今までで特に記憶に残るギグは? 

 2008年のIsle Of Wightフェスティバル。彼らとやって最高だったのはあのギグだ。10,000のキャパのテントだったのだけど、入れない人もいた。あの年、ジェットが調子を崩していた。IOWが夏の最初の、そして新しいツアーエージェントとの初めてのギグだった。大きなギグが予定されていて、最初のがIOWだったんだ。すごく良かったのは、あの時はKaiser Chiefsと同じ時間のステージだったこともあり、一体どのくらいの人数がストラングラーズを見に来るか、彼ら自身はまったく予想がついていなかったということ。自分たちの前の出演バンドの時に、そのテントにどのくらいの人が集まっているか僕がチェックしに行ったら、ほとんど人がいなくてとてもがっかりしたよ。それからバックステージに戻って着替え、自分たちがステージにあがってみたら、なんとそのテントは人で埋め尽くされていたんだ。僕の家族や友達もみんないて、バンドはハッピーだしエージェントもハッピーだった。こういったことから、あのギグが突出していると思う。

それがバンドをとりまく状況にも変化を起こしたね、すごく大規模なギグも増えたし。。。

 そうだね、彼らはいい待遇をうけていたよ。全てのギグごとに状況は良くなっていった。ステージのサイズ、ケータリング、ホテル等々、全てのレベルが上がったよ。

あなたのニックネームは‘ヤーニー’ですよね。その由来は?

それはちっとも面白くない話だよ。ギリシャかどこかでそこに似合う名前、ということでイアンが‘ヤーン’になって、それが‘ヤーニー’になった。数年の間JJがあまりに‘ヤーニー’を多用するから、彼は僕の本名がイアンだということを実際に忘れてしまったんじゃないかと思ったよ。他の人がイアンと言うとJJは困惑した様子だった。。。


  
 

 イアン、インタビューのために時間をとってくれてありがとう。 

 

元記事 
http://www.thestranglers.net/?p=5929

(※)ドラムテック:ドラムや打楽器の調整師

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2012年5月 1日 (火)

Rattus Norvegicus-track by track

Rattus_norvegicus_2 デビューアルバム、Rattus Norvegicusのリリースから35年を経た今、JJがこのアルバムに収録された全曲をふりかえる。

SOMETIMES
 ベースリフは俺が作ったもの。オープニングの歌詞は、ヒューの当時のガールフレンドであるキャロラインに対して彼が感情をコントロールできないことを歌っている。あの曲は確か、ドアーズのアルバム、LA Womanからの'Love Her Madly'が土台となっていたと思う。この曲と似たような感覚の歌だ。 

GOODBYE TOULOUSE
 歌詞はほとんど俺が書き、コードはヒュー。8分の6拍子の風変りなダブルワルツだ。トゥールーズ近くに原子力発電所があり、当時はノストラダムスの本をみんなで交換して読んでいた。彼はトゥールーズで爆発が起こると言っていたんだ。そのことをトゥールーズに住み、バルコニーに出ている美しい女の子の話に作り替えた。  

LONDON LADY
 これもヒューのリフと俺の歌詞。当時会っていた数人の女性達について歌った曲で、そのうちの一人はキャロライン クーン。彼女はメロディーメーカーのジャーナリストでピストルズとクラッシュがひいきだったのだけど、ある時から俺に言い寄ってきた。この曲は特定の一人ではなく、多くの女性について歌ったもの。 

PRINCESS OF THE STREETS
 これは俺が一人でかいたもの。ヒューのギターフレーズは最高だと思ったね。当時の俺とChoosey Susieの関係についてのブルージーな感じ。彼女は俺を捨てたんだ、もう一回ね!

HANGING AROUND
 誰が歌ったにしろ、多くの人はこの曲を歌った人が歌詞を書いたと思ったけれど実はそうではない。Rattusで歌った人は間違いなく書いていない。Hanging Aroundの歌詞とコードはほとんど俺が書いた。'Hanging around'という歌詞をつけたのはヒューだけれど、ほとんどの詩は俺が書いたものだ。
 この曲は俺がChoosey SusieとEarl's CourtのFinborough Roadに住んでいた時に書いたもので、彼女は看護師の勉強をしていた。
 すぐ近くのBrompton RoadにColeherne Pubがあり、通りの反対側にはBoltonsがあった。Coleherneはどちらかというと革を好むゲイが集まり、Boltonsはいかにも、という感じのゲイ達の場所だった。Coleherneの外にはバス停があり、バイクのヘルメットと革ジャンの男たちがバスから降りるのが見えるんだよ。
 ある日Susieと俺が店に入って行ったら、そのあとに革ジャンに革キャップをかぶった巨大な男がドアの鍵を閉めてしまい、俺たちはもう戻れなくなってしまったんだ!俺たちはジロジロ見られながらハーフパイントを飲んだよ。間違えて初めて店に入ってしまったのだけど、なかなか強烈な印象だったし少しビビったね。

PEACHES
 俺たちは小さな500ワットのPAを持っていて、少しでも収入の足しにと、あるレゲエナイトにそれを貸し出した。確かActon Town Hallでのイベントだ。
 俺たちはChoosey Susieと一緒にそこへ土曜の午後にセットアップに行った。そこにはベーススピーカーが山ほどあるPAがあった。すごく鮮明に覚えているのは、そこには俺たち以外に白人がいなかった、ということ。そこでセットアップしている時に、黒人が大勢集まってマリファナを回しのみしていた。俺たちも一緒にそこにいたんだけど、まるで俺たちの姿は見えないかのように、マリファナは素通りしていったよ。彼らはベースとドラムのリズムにかぶせて話すダブとトースティングで、スネアが遅れて入ってくる、という印象だった。 
 Chiddingfoldに戻って、ベースがあれほどまでに前面に出てリードしているのは今まで聞いたことがない、と思ったのを覚えている。すごいと思ったし、驚かされたよ。多くのバンドが早く弾くことばかりをやっていたのに、彼らはのは”間”だった。あれと似たようなことをやって翌日にこのリフが浮かんだ。それから数週間で曲を作り上げ、ヒューが自分の好みで詩をつけた。。。

(GET A) GRIP (ON YOURSELF)
 Get A Grip On Yourselfはすべてヒューが作った。。。これについて知りたければ’バイブル’  (Song By Songのこと)を読むのがいいよ。 

UGLY
 これはリフも歌詞も俺が書いたと思う。当時はDr Feelgoodみたいな音にしたかった。もちろん、毎回何かを真似しようとやってみても、結局はストラングラーズ風になるんだけどね!俺たちはいつもちょとズレてしまうんだ。Peachesもしかり。本当はレゲエみたいにしたかったのだけど、スネアがレゲエのビートではなかった。いつも思ったようにできなかったけれど、それでも結果的にうまくいった。
 Uglyは単なる文句。金と貧困、そして世界で最も醜い男が、金さえたくさん持っていれば魅力的な女性を得られることについてのね。なぜそんな風になるのかわからないよ! 

DOWN IN THE SEWER
 Down In The Sewerは長い時間をかけて出来上がった。オリジナルのリフを俺が作ってあって、それはもっとBeefheartっぽかった。これを書いたのはクリスマスに祖父母を尋ねてChoosey Susieとノルマンディに行った時だったね。ジェットが俺の為に作ってくれた、すごく重い木製ケースにベースを入れていた。それを持って行っていて、Sewerのオリジナルベースリフを作ったよ。Rockette Mortonがやったように、もっとBeefheart風にしたかった。それから1年くらいかけて少しずつ足していき、俺がメロディーをつけた。ヒューが書いた歌詞はすごくいいと思ったよ。

GO BUDDY GO
 これは古い話だ。俺が15歳の時に書いた。その時に大ヒットしたHendrixの 'Hey Joe'とBeach Boysを合わせた。これはある悲しいスクールダンスについての物語。女性に近づこうとトライしても、フンと鼻であしらわれる、というお話だよ! 

CHOOSEY SUSIE
 Choosey Susieは当時の俺のガールフレンドのSusieについての曲。  'All Day And All Of The Night'前に使ったリフが基になっている。また、それはDoorsが'Hello I Love You'に使うのにKinksから拝借したものでもある。彼らはそれで訴えられたけどね。Choosey Susieも同じだ。。。  JJB/23rd April 2012

 Posted by ratter at 10:17 PM   

 

日本語訳:Yuka Takahashi

原文:http://stranglers-ratter.blogspot.jp/2012/04/rattus-norvegicus-track-by-track.html

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2012年2月23日 (木)

BBC1 The One Show - JJ Interview

JJ appearing on prime time TV-date changed

The20one20show  それは1977年、イギリスは不安定に揺れていてストなども多発していた中で、ヒットチャートに全く新しい音楽が入ってきてそれまでのものがつぶされた。
 パンクの時代が始まり、その先頭に立っていたのがストラングラーズだ。
 彼らのファーストそしてセカンドアルバムはトップ10に入り、全世界で2000万枚以上ものレコードを売りあげている。1977年のNo More Heroesという彼らのテーマ曲は、パンクが何たるかをよく表している。それはファッション、ポップ、政治、過去への拒絶。

JJ:曲のタイトルはちょっとしたスローガンだ。当時の新しいバンドは皆アンチ・ヒーローみたいなものだという感覚があったと思う。だから、何かをするならば全て自分でやる。誰かを頼るのではなくてね。そしてそこには、本当のプロのミュージシャンではなくても世の中にノイズを起こすチャンスがあった。
Q:パンクの典型的な音、というものはどんなものですか?
JJ:思うに、典型的な音、というものは存在しなかった。キーボードがあるものもあれば、メタルっぽいギターのものもあり、言ってみれば無秩序だった。同時にニューウェーブとかパンクとかいう言葉も使い始め、国全体で自然発生したものを表わした。刺激的、挑発的なものだったんだ。
Q:あなた達 バンドに? 
JJ:常にそうだね。イギリスのロンドン、当時のグレイターロンドンカウンシルから出たバンドで、挑発的なTシャツを着ていたりした。
Q:攻撃的で人々を怒らせるようなバンドとして、なぜあなた達が目立っていたのでしょう?
JJ:さあね、知ってるなら教えてほしいよ。考えられることは、我々は自由と当時の体制に対する疑問を表現していて、それは安全な音楽ではなかった、ということだ。

 No More HeroesはJJBと前ギタリストのヒュー=コーンウェルによって書かれた曲だ。

JJ:歌詞はほとんどヒューが書いた。リフは私が考えたもの。当時は2人共競争心があったので、出だしのベースリフは、まあ、見せびらかしてるんだよ。

 ストラングラーズは、全ての面においてステレオタイプなパンクにはまることを拒絶した。No More Heroesという曲はドン=キホーテの物語のような、彼らの大好きな映画や文学のキャストを取り上げるという非常に稀なことをしている。

Q:ここで書かれている人物達は、あなたにとってどんな意味を持つのですか?
JJ:ドン=キホーテではサンチョ=パンザは本当のヒーローでドン=キホーテは霊能者。エルミラは偉大なる絵画偽造者で、多分今でも世界中の美術館にその偽絵画が飾ってあるかもしれないね。つまり、彼らは全員、そしてトロツキーもアンチヒーローなんだ。彼らはれっきとしたヒーローではなくて、全てのことに知的な疑問をなげかける。それが民主主義で重要なことだよ。
Q:今この曲を聞いてどう思いますか?
JJ:プレイするのは楽しいよ、なぜならこの曲に対するリアクションが好きだから。音楽の素晴らしいところは、それが自分を表現する媒体であり、つまらない平面的なものではないんだ。第一、この世界には書く題材が山ほどあるよ。

  【和訳:Yuka Takahashi】

 参考:http://www.youtube.com/watch?v=W5jB0EPMv20

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