あれから2か月が過ぎた。
H駅感染者自爆事件は、捜査の結果、古河勇(ふるかわいさみ)の単独犯とされた。
このことはF県警SV対策班、ことに深くかかわっている葛西や相方をこの事件で失った富田林にとっては受け入れがたい結果となった。しかし、古河は園山看護師と同じ典型的宗教ジプシーであり、事件当時信仰していたと思われる大地母神正教やその前に傾倒していた碧珠善心教会、さらに捜査はそれ以前信仰していた宗教にまで及んだが爆破事件に関わる証拠が見つかることはなかった。さらに、彼が借りていた貸倉庫、スモールオフィスとしても使えるという窓のない小部屋タイプだが、そこから自爆に使われた爆弾のプロトタイプや材料さらに小型3Dプリンターなどが見つかり、もともと爆弾マニアだった古河が感染しヤケになったためにしでかした犯行と言うことに落ち着いた。ことに過去にSV感染者が2人出た大地母神正教に関しては徹底的に調べられたが、何分教祖の突然死によって教団は混乱を極めており、とても組織的テロ事件を画策できる状況ではないのは明白であった。その絶望感も古河の犯行の引き金とされたのだ。
そうして、葛西たちの不満を他所に日本中を震撼とさせた感染者による自爆テロ事件はあっさりと幕を下ろした。SV感染者に対する、潜在的恐怖を遺しながら。
しかし、不思議なことに、あのH駅自爆事件による感染者発生のあと、ぱったりと感染が途絶えた。
今、感対センターにいるのは、発症後唯一生き延びた療養中の河部千夏のみで、SV感染症対策業務は縮小され通常診療の再開を検討されていた。SV合同対策室も縮小に向かい、警視庁から出向していた九木は8月の旧盆明けには東京に戻っていった。
森の内はH駅爆破事件を阻止できなかった責任を問われ、8月初旬に知事を辞任、その後8月下旬に行われた知事選には森の内などが押した候補が敗れ、与党推薦の古賀耕太郎知事が誕生した。それにより、さらなるSV対策縮小が検討されていた。
20XX年9月14日(土)
開催が危ぶまれていたH宮の9月の祭りは、SV感染が下火になったことから念のため感染対策を怠らないことを前提に開催されていた。由利子はギル研のメンバーと一緒にお参りするために夕方からH宮に来ていた。
待ち合わせ場所の地下鉄H宮駅前で由利子が待っていると、階段からギルフォードと紗弥が、そしてその後を如月と女性研究生ふたりが上ってきた。由利子は彼等の姿を見つけると手を振って小走りに駆け寄った。
「わあ、みんなも浴衣着てきたんだね。如月クン以外は」
「僕、浴衣持ってませんよって。それに窮屈やし開(はだ)けるし」
「如月クンらしいね。わあ、紗弥さん、黒緋に曼殊沙華カッコイイ! 髪も珍しくアップにしちゃって似合ってるよ」
「由利子さんも濃藍に百合の花、とてもお似合いですわ」
「百合の花とかベタだと思ったけどね。春梅(チュンメイ)ちゃんの蘭の花も颯希(さつき)ちゃんのウサギ柄も可愛いねえ」
「浴衣、初めて着たから嬉しいです」
春梅が少しはにかんだ笑顔で言った。
「紗弥さんが着付けしてくれたんだよ」
と颯希が軽くターンしながら言った。
「へえ、紗弥さんすごい。私は髪切るついでに行きつけの美容院で着せてもらったんだ。アレクは秋山さんにもらった着物だね」
「はい」
ギルフォードが笑顔で答えた。
「この前、補正してもらったんで、だいぶ良くなりました」
「もとの持ち主が大柄な方で良かったね。アレクも紗弥さんに着せてもらったの?」
「そりゃあ、僕が自分で着られるわけないじゃん」
「もともと教授には恥じらいがないので、見慣れてますから」
「確かに」
百合子は今泉で緊急避難した時のことを思い出して納得した。
その後、一行は参拝の列に合流し神社に向かって歩いた。
「けっこうな人混みだねえ」
由利子が団扇で仰ぎながら言った。
「ウイルス騒ぎの影響で例年ほどではありませんが。普通に歩けますからネ。でも、みんなはぐれないように気を付けてくださいよ」
と、ギルフォードがみんなに注意を促した。しばらく歩くと、由利子は反対側を歩く浴衣女子集団の先頭を歩く見覚えのある顔に気が付いた。黒地に牡丹柄の浴衣でなんとなくドスが効いている。
「早瀬隊長!」
その声を聞くや否や、早瀬は電光石火で走り寄って由利子の肩をガッと掴んで言った。
「篠原さぁん、隊長って何のことかしらぁ?」
「わっ、すみません。早瀬さん、お久しぶりです」由利子はそう言うと、それから今度は小声で言った。「パトロールですか?」
「そうよ」
早瀬も小声で答える。
「だから、邪魔しないでちょうだい」
「この浴衣軍団全員?」
「そうよ。これがF県警が誇る『乙姫隊』よ」
「はあ。ひょっとして中に火星人刑事(デカ)とかは」
「は? 何それ? いないわよ、そんなの」
「一人走って逃げましたが」
「トイレにでも行ったんでしょ。そうそう、葛西君もいるわよ」
「乙姫隊になんで葛西君が?」
「さっき、偶然会ったんで合流してもらったの。なんせみんな浴衣でしょ」
よく見ると後ろの方で大柄な男性に隠れるようにして葛西が立っていた。浴衣ではなくラフなTシャツGパンにジャケットを着ている。
「葛西君、そんなところに隠れてないでいらっしゃいな。ついでに青山君も」
早瀬は葛西とその連れを呼んだ。
「この子は葛西君のペアッ子の青木君よ。青木君、こちらはギルフォード研究室の皆さんよ。あの大きい人がギルフォード教授。まあ、わかると思うけど」
「はじめまして! 青木っす!」
青木は大柄だが控えめそうな青年だ。ギルフォードを始め、ギル研の面々も会釈をしながら各々口々に挨拶を返した。由利子は感心して言った。
「へえ、葛西君も部下を持つようになったんだね」
「そりゃあ、もう、部長さんだからね」
と、早瀬が腕組をしながら自慢そうに言うと、葛西が慌てて言った。
「ウチの’会社’では部長と言ってもそんな偉くない方(ほう)が多いですから。それに僕は……」
「馬鹿ね、認められての特進よ。もっと自信持ちなさい。そうそう、青木君。この人は篠原さんと言って葛西部長が……」
「余計なことを言わないでください!」
葛西は赤くなりながら早瀬を止めた。
「あはは、まあ、いいわ。私たちはもう行くから、楽しんでね。葛西君たちはもう少しお話してていいわ。後から詰め所で会いましょう」
そう言い残すと早瀬は後ろに控えていた女性警察官たちを従えて去っていった。
「却って目立ってますねぇ」
それを見ながらギルフォードが言った。由利子をはじめ他の面子が心の中で(おまえもなー)と思ったのは言うまでもない。その時横の方で彼を呼ぶ声がした。
「あの、ギルフォード先生」
声の方を見ると、青木が右手を差し出し笑顔でギルフォードの横に立っていた。
「お噂はかねてから伺っています。お会いできて光栄です。よろしくお願いいたします!」
「えっと、アオキさん、こちらこそよろしくです。とは言っても、近々顧問じゃなくなるからどこまで協力できるか……」
ギルフォードは握手をしながら自嘲的に言った。
「え? そうなんですか?」
「そうなんだ、青木君」
と、青木の横で葛西が言った。
「知事が変わったんで、まあ、色々と」
「正式発表はまだなんですけどね」
と、ギルフォードが肩をすくめた。
「それって変だよね」由利子が憤慨気味に言った。「そりゃあ、最近ウイルス感染は収まっているけど、H駅自爆事件からたったの2か月だよ。テロの可能性を否定するのは早すぎだろ?」
「僕が必要でなくなったならそれでいいです。引き受けたのも、元々モリノウチ元知事から頼まれたからなので」
「悔しくないの? だって……」
「いいんですよ、ユリコ」
ギルフォードは寂しそうな笑みを浮かべて言った。
「さあ、いつまでもこんなところに立ってちゃジャマです。そろそろお参りに行きましょうか」
とギルフォードはさっさと歩き始めた。その後ろを紗弥とギル研の三人がついて行った。由利子はその後に続く前に葛西たちに向かって言った。
「だって。君たちはどうする?」
「僕たちも途中にある詰め所までご一緒します。行こう、青木君」
「はい!」
葛西ペアが由利子の後に続いた。
少し歩くと葛西が由利子の横に並んで言った。
「アレクは本当にこれでいいと思っているのでしょうか?」
「タスクフォースから外されるってこと?」
「そうです。僕には信じられません。だって、ジュリーまで殺されてしまったんですよ。多美さんだってその犠牲になったんです。他にも増ぉ……」
葛西がヒートアップしてきたので由利子が慌てて葛西の前に手を差し出して言った。
「ストップ! 声が大きくなってるよ」
「あ、すみません」葛西は右手で口を押えた。「でも、僕は、僕は…犯人たちを許せません」
由利子は前を歩くギルフォードの様子を見ると、少し歩調を落として若干の間を取ると言った。
「君の憤りは判るよ。だけどね、アレクだってああ見えてかなり腹に据えかねているんだよ。せっかくジュリーのことを心の中に封印して新たにテロリストと対峙しようとしていた矢先に、森の内知事が失墜するなんて」
由利子は落選した数日後に研究室に訪れた森の内の憔悴した様子を思い出して言った。
その日はギル研で、森の内落選からこの先どうなるか誰とはなしに話していた時だった。研究室のドアをノックする音がして、紗弥が応対に出ると森の内が菓子折りを持って立っていた。
「こんにちは。知事の時にお世話になった方々のところへお礼に回っています。この度は私の……」
「森の内先生、そんなことはいいですから、どうぞ中にお入りになって」
紗弥は森の内の言葉を遮って言うと、教授室に通し応接セットのソファに座らせると言った。
「すぐにとっておきのコーヒーを淹れてきますわね。由利子さんも教授室にいらして」
紗弥が去ると、ギルフォードが自席から立ち上がり、森の内の向かいのソファに座った。森の内は立ち上がって礼をしようとしたが、ギルフォードはそれを止めて言った。
「堅苦しいことは言いっこなしにしましょう。正直、完敗です。正体不明のテロリストに」
「私も知事を継続して戦いを続行したいと思っていました。しかし、世論は逆風の嵐でした。本当に悔しいです」
森の内は下を向き、両こぶしを膝の上で握って肩を震わせて言った。由利子は教授室に入ってよいものか迷っていたが、紗弥に呼ばれて急いで中に入ったところで森の内を見て、初めて見る彼の打ちひしがれた様子に胸がいっぱいになった。
ドアの前に立っている由利子を見て森の内が言った。
「ああ、篠原さん。あなたにも多大な迷惑をかけてしまいました。今までのご協力には心から感謝しています」
「いえ、そんなことは。一番悔しいのは知事じゃありませんか」
「ああ、もう知事じゃないですよ。今は無職のただのおじさんです」
「あ、すみません、つい今までの癖で……」
由利子は焦って三度ほど頭を下げてしまった。
「そんなところで一人水飲み鳥をしていないで、こっちに座って」
ギルフォードは自分の横に座るように指図した。
「それで、これからのことですが」
と、森の内が言いにくそうに切り出した。
「ご存知のように、新知事はウイルステロに懐疑的です。それで、タスクフォース縮小さらには解体を目指しウイルス対策のみに集中すると思われます。それに伴って、教授も顧問から外そうという動きが出ています」
「え? そんなッ!?」
由利子は驚いて言ったが、ギルフォードは意外なほど冷静に答えた。
「まあ、そんなことだろうと予想していました。なので、ご心配なさらずに」
「そ、そうなんですか? パートナーさんの仇を打ちたいとかそういう……」
「パートナー? 誰のことですか?」
「えっ!?」
森の内は驚いてまじまじとギルフォードの顔を見た。由利子はギルフォードの横でこっそり口元で両人差し指で罰点(×)を作って見せた。森の内は察したようで、すぐに続けて言った。
「私としても、民間人を守るために犠牲になった多美山刑事や増岡刑事、そして感染して亡くなった無辜の人々の無念に報いたいと思っていたのですが」
「モリノウチ元知事」
ギルフォードはかつてないほどの真摯な表情で言った。
「憤りで無理をしてはダメです。いつか必ずあなたが正しかったことが証明されます。その時必ず知事に返り咲くことが、いえ、国政に打って出ることも出来るでしょう。今はじっと耐えてください。抜けないトンネルはありません」
「トンネル過ぎたらまたトンネルってこともありますけどね」
森の内が返すとギルフォードは苦笑した。その後はもうその件には触れずに世間話に花が咲いた。
その後、森の内は少し元気と自信を取り戻した様子で「ま、しばらくは庭の手入れや自伝の執筆に励むようにしますよ。妻に粗大ごみ扱いされないように」と冗談とも本気ともいえない言葉を残して帰って行った。
「よかった。いつものモリッチーだ」
由利子は紗弥と一緒に森の内をエレベーター前まで見送りつぶやいた。その後、教授室に戻った由利子は、ソファに座ったままのギルフォードに気が付いた。うつむいた彼は繰り返しつぶやいていた。
「Why did I try to forget him deeply, for what?...what...what...」
由利子と紗弥はかける言葉もなく見守っていた。
「由利子さん、どうしたの?」
葛西の声に由利子が我に返った。
「あ、ごめん、ちょっとね」
「ジュリーのこと封印しているってアレクが? どうして?」
「ああ、えっとつまり……」
由利子は『生きるために』と言いかけて口ごもった。理解してもらうのは難しいと思ったからだ。
「これだけはわかってほしい、弔い合戦は忘れてないって。アレクももちろん私もね。ただ、今はどうしようもないってこと。悔しいけど」
由利子は説明すると長くなりそうだし、理解してもらえる自信もないと思い、はぐらかして答えた。それに、事情が分かっていたとはいえ、森の内がジュリアスのことに触れた時、ギルフォードが「誰のことですか」と言ったことにいささかショックを受けてしまったせいもあるだろう。青木はまだ事情をよくわかっていないせいか、由利子たちの後を腑に落ちない表情で歩いていた。
ギルフォード一行が拝殿に向かっているころ、もう一組SVテロ事件に縁のある者たちが拝殿にいた。めんたいテレビの美波といつもの凸凹コンビである。彼らは参拝を終えると、展示を見学しながら拝殿内を一周していた。
「ここの神様は厄除けと勝運の神様だからね。モリッチーは負けちゃったけど、私たちは負けないで頑張るよ!」
美波は同僚二人にというより自分に対して言った。
帰りの参道で美波は遠くからも目立つ集団を見つけた。ギルフォードたちである。
「み、みんな、おなかすいたろ? たこ焼きでも食べない?」
美波は焦って言うと急いで近くの屋台に設置されたイートインに走った。二人はその後を追った。小倉が不思議に思いながらものんきに言った。
「僕は広島風お好み焼きが……」
「バカオグ!」
赤間は小倉の頭をはたくと言った。
「どうしたの、ミナちゃん。さっきラーメン食べたばっかじゃない」
「いいんだ。たこ焼きが食べたいんだ」
「太るよ?」
「う……」
そう言っている間にギルフォード御一行は美波たちのいる横を通り過ぎて行った。赤間はニヤリと笑うと言った。
「ははあ~ん、原因はあれか」
「うはぁ、相変わらず目立ってるなあ。ロー〇ンドとどっちが目立つか対決してほしい……」
「ちがうもん。たこ焼き食べたいだけだもん」
美波は否定したが、団扇で顔を隠しながらチラ見して言ったので信憑性がない。赤間は少しあきれながら言った。
「何幼児化してんだよ。そういやこの前取材を試みて、けんもほろろに断られたもんなあ」
「ああそうだ。機嫌が悪かったのか、すごい目をして断られたっけ」
「うるさい。攻略法考えてもう一度挑戦するんだもん」
「あの多美山リーグの中学生たちはギル教授と仲いいんだろ? 彼らに仲買を頼んだら?」
「あのな、オグ、それ言って怒られたの忘れたのかよ? 子供たちを巻き込むなってさ」
「もうそれはいいから。おじさん、たこ焼き3パックくださーい」
美波は二人をいなすと、胡散臭そうな顔をしてこちらを見ていたたこ焼き屋台の主人に声をかけた。遠くで「アツいですね。ポニーテールにしていいですか?」「これ以上目立つのは止めてくださいまし」という会話が聞こえていた。
そのころ、件の中学生たちは各自宅の部屋でSNSを使い明日祭りに行く相談で盛り上がっていた。
碧珠善心教会のF支部は、いつものように信者たちがおだやかに過ごしていた。教主は天界の間で瞑想していたが、白スーツの女「黒岩伊都江」が静かに室内に入ってきた。彼女の入室に気付いて教主はゆっくりと振り返った。
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※乙姫隊・火星人刑事:重ねて書きますが、この話はフィクションです。
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