5.微光 (1)謎の転校生

20XX年6月25日(火)

 米国メリーランド州 フォートデトリック。
 デズモンド・ストークは、もう一度コンピュータの画面を見て苦虫を噛み潰したような表情で腕組みをした。
 彼は年齢40代半ば、大柄で頭髪は後退し頭頂部もかなり薄くなっている。
 その後、いきなり立ち上がって窓の外に向かって仁王立ちとなった。画面にはカルテと共にさまざまなデータが立ち上がっており、そのすべてに異常なしという記述がなされていた。ストークはしばらく執務室の中を落ち着かない様子でうろうろしていたが、深呼吸ともため息ともつかない深い息を吐き、机に戻った。そして30分ほど前に届いた極秘文書の一部をもう一度じっくりと読んだ。

カワベ・タツミ氏に特記すべき感染は認められず。

 当然のことながら、それは何度読んでも同じ文面だった。
”これは喜ぶべきなのか,恐れるべきなのか・・・”
 ストークは、厳しい表情で再度コンピュータの画面を食い入るように見つめていたが、ドアをノックする音に、ややギクッとして顔を上げた。
”誰だ?” 
 ストークが不機嫌そうに聞いたが、ノックの主は落ち着きはらった声で答えた。
”CBRIFのブルームです”
”もう少し待てと言ったはずだが”
”緊急の用件です”
”・・・入れ”
 ストークはしぶしぶ入室を許可した。ドアが開いて、金髪を短く刈り、戦闘服をまとった女性が颯爽と姿を現した。年の頃40歳過ぎ、長身でがっしりとしており、男性隊員と並んでも遜色のない体格をしている。
 彼女はつかつかと歩み寄りストークの前に立って敬礼した。ストークは不機嫌なまま言った。
”要件は何だ.手早く言え”
”我々の任務はカワベ氏を無事に日本に送り届けることです.至急,カワベ氏を我々に還してください”
”そうはいかない.まだ発症の危険性がある.そうなったら日本へ帰すより,ここで治療した方が良い”
”越権行為です.治療法がないのなら,ここでも日本でも状況はそう変わらないでしょう.日本からも早く引き取りたいと何度も言ってきているし,大統領も早く帰すよう命令をされました” 
”大統領が?”
”現在感染がないなら早急に日本に送り返せ,とのことです”
”ううむ・・・”
 ストークは唸ったまま沈黙した。ブルームはその様子に痺れを切らせたのか、畳み掛けるように言った。
”大佐,大統領はかなり怒っておられます.市民の安全を確かめるために検査は許可したが,感染が認められない以上、これ以上の拘束は許さんと”
”・・・よろしい。半時間後には引き渡そう.ブルーム隊長,君たちは搬送の準備を急げ”
 ストークは渋々答えた。
”了解.では,失礼いたします"
 ブルームは敬礼をすると、回れ右をしてドアに向かった。しかし、何を思ったか彼女はふいに振り返り言った。
”その様子では、アレは出なかったようですね”
”貴様!”
 ストークは怒鳴った。しかし、彼は怒りを抑えると落ち着きを取り戻して言った。
”あの件に関しては,君も叩けば埃が出るはずだ”
”あいにくですが,私には後ろめたいことなど微塵もありません.おかげで階級はあなたの足元にも及びませんが”
”相変わらずの減らず口だが,口を慎むがいい.貴様と俺は違う.あの時とはな”
”命令系統の違う私に脅しはききません.・・・確かに昔とは違いますね.失礼します”
 ブルームは彼の牽制に微塵の動揺も見せずに部屋を出た。戸口には部下が命令を待って控えていた。
”許可は出た.少し寄り道をしたが,作戦を続行する.急ぐぞ”
”はっ”
 ブルームは部下を従えて足早にストークの執務室を離れた。


 朝からギルフォードは疲れていた。
 如月がこっそり由利子に訊いた。
「教授、どうかしはったんですか? また美月ちゃんの横に座ってぼうっとしとられますが。しかも、体育座りでっせ」
「それがね、今朝、サイキウイルス対策会議があったんだけど、そこでいじめられたのよ」
 由利子がこっそりと答えた。
「教授をいじめる人っておるんでっか」
「特に厚生省の速馬ってバカゾーがねちっこく言いがかりをつけてきてさあ。モリッチー(森の内)のおかげでつるし上げは免れたんだけど」
 由利子がそこまで言った時、ギルフォードが立ち上がりながら言った。
「ユリコ、厚生労働省です・・・じゃなくって、蒸し返さなくてよろしいです。それより、議事録とってたの編集したらPDFにして、さっさとSV対策会議のフォルダにぶち込んでください」
「は~い」
 由利子は如月に肩をすくめてみせると、自分の席に向かった。

 
 
 昨日の園山死亡の件と河部夫妻感染の件で、早朝から合同会議が行われたのだが、園山の告白の件でまた一悶着あったのである。

 会議の半ばまでは、各部署からの報告が中心で、ギルフォードも由利子たちに向かってボソッとであるが、比較的軽口を叩く余裕があった。
 しかし、警察を代表して葛西が今までの捜査成果を発表し始めたあたりから、会議室の空気が変わり始めたのがわかた。
「・・・昨日の朝、自殺体で発見されたC野市の少女、田所かんなですが、検査の結果、インフルエンザだったということです。それなのに、何故彼女がサイキウイルスに感染したと思い込み自殺に至ったのかということは、C野所の中山・宮田両名が調査中です。次に、昨日亡くなった園山修二看護師ですが・・・」
 由利子は、ギルフォードの横で会議の記録を取るためにパソコンのキーボードを打っていたが、彼が園山看護師と聞いて、少し身じろぎしたのに気付いた。彼の死は、ギルフォードにとって想像以上に重くのしかかっているのだと、由利子は思った。
 葛西が園山の告白について説明をしている間、会議室はハチの巣をつついたようにざわざわしていた。病院内に、敵の内通者がいたのだから、無理からんことだろう。しかも、無関係の看護師まで巻き込まれた可能性があるのだ。
「残念ながら、園山看護師からそれ以上の情報を得ることはできませんでしたが・・・」
 葛西が何とかそこまで報告した時、座席から一際大きな声がそれをさえぎった。
「せっかく敵について知るチャンスを目の前にして、それはないだろう!」
 それに触発されたかのように、他の出席者たちも口々に言い始め、会議室は騒然となった。
「それ以前に、公立の、しかも、県の医療施設に敵が紛れ込んでいたなんて、シャレにならんぞ」
「まったくだ。それによって罪もない看護師が行方不明になっているとは」
「しかも、その時逃がした患者のせいで感染が広がったんじゃないか」
「ガイジンのセンセイなんか頼りにするからこういうことになるんじゃないの?」
「ご静粛に!」
 会議の混乱を収拾するべく、議長が声を張り上げて言った。
 
「発言は挙手後指名されてからお願いします」
「はい」
 議長がそう言うや、すぐに一人手を挙げた。
「はい、速馬さん」
 速馬は立ち上がると、皮肉な笑みを浮かべて言った。
「実は、私はサイキウイルスが人為的にまかれたこと自体に懐疑的なのですが・・・」
 
「しかし、実際に園山さんの証言が・・・」
 葛西が反論すると、速馬はさらに言った。
「それは、感対センターのスタッフがそれを知っていたからじゃないですか? 三原先生、スタッフの皆さんにはどの程度説明されているのですか?」
 いきなり話を振られ、三原が驚いて速馬の方を見た。
「三原先生、お答えください」
「あ、はい」
 三原は立ち上がると言った。
「テロとは明確に伝えていませんが、人為的に撒かれた物の可能性は伝えてあります」
「というとは、せん妄状態にあった園山看護師の意識障害時に作り上げたフィクションである可能性もあります」
「そりゃあ、強引すぎます!」
 葛西が反論した。
「それに、事件が顕在化する前に送られたスパムメールや、駅で死んだ感染者が持っていた声明文の存在もあります。ちゃんと資料を読まれたんですか?」
「当然です。その上で言っているのですよ。第一それだって、テロの確固たる証拠にはならないでしょう。スパムメールは秋山少年のケータイを盗んだか拾ったかした人物の悪戯の可能性もある。ましてや、意味不明の文章を書きなぐったアレは、声明文の体をなしていない」
 速馬の指摘で、会議室がどよめいた。速馬は悠々と続けて言った。
「そもそも、テロということはギルフォード先生の予測のみから浮上した仮説にすぎません。厚労省としては、早急に疫病の存在を察知てくださったことは、いくら感謝しても足りないくらいと思っています。しかし、テロと決めつけたことに関しては、専門家ゆえの先走りと言わざるを得ない」
 速馬の発言に、ギルフォードは思わず立ち上がった。
「テロと言う指摘は不要だったと・・・?」
「そうです。そのせいで犯人探しと言う、余計な作業が付加されてしまいました。いや、むしろ、テロ対策の中にウイルス対策が組み込まれたと言って良い。それ故に、ウイルスの拡散を許してしまったのではありませんか?」
「そんな・・・」
 ギルフォードは思ってもいなかった指摘に愕然としたが、速馬は構わずに続けた。
「しかも、感染者がアメリカにまで渡っていたそうじゃないですか。これは、ウイルスを水際で防げなかったということですよね。あなたはBCテロや感染症対策の専門家で、こういう事態の対策に大変自信がおありで日本政府にもかなり強気に接しておられたようですが・・・、サイキウイルスがこれ以上深刻な事態になった場合、責任はとられるのでしょうね?」
「もちろん、僕なりにけじめはつけるつもりです」
「ハラキリでもされますか?」
 その言葉に、ギルフォードは一瞬「え?」という表情をした。しかし、速馬は紗弥以上のポーカーフェイスでギルフォードを見ていた。その時、前方の席から手が上がった。
「議長。発言の許可を」
 挙手の主は森の内だった。
「知事、どうぞ」
「速馬さん。確かに我々はテロの可能性を考慮した対策を講じています、しかし、あくまでも優先しているのはウイルス対策なのです。それでも感染者の増加を防げなかったのは、我々の力が足りなかったからで、決してテロ対策にかまけて感染症対策を怠ったからではありません。けじめというならば、私はこのウイルスと知事生命をかけて戦っているつもりです」
「それでは、より一層の努力をお願いしたいですね。いいですか。政府は近隣諸国の感情を考慮して、ウイルスの拡散次第では、F県やその周辺のみならず、九州全体の封鎖も考慮しているようです」
「九州封鎖・・・? 馬鹿な。不可能でしょう、それは」
「私も現実的ではないと思います。しかし、日本政府は異常なほどこのウイルスに恐れを抱いているようなんです。でもそうなった場合、この国の経済が受けるダメージは、風評被害も含めて計り知れないものになるでしょう。震災による東北の甚大な被害に続いて、九州閉鎖となると、この国の存亡にもかかりますから」
「このウイルスの脅威は重々わかっているつもりです。一人の勇敢な刑事が身を以てそれを教えてくれたのです。我々はより一層努力し、全力を以てこの災害と闘い勝利します。ここにいるみんなが同じ気持ちなんです」
 森の内は会議室を見渡しながら、毅然として言った。先ず警察の方から拍手が上がり、会議室のあちこちからも拍手が上がった。速馬はムッとしたような表情で座り、それを見計らってから、森の内が一礼して着席、ついで、ギルフォードも着席した。
 由利子はほっとしてギルフォードと紗弥の方を見た。ギルフォードは厳しい表情のまま腕を組んでいた。何か考えているようだった。紗弥は拍手をしながら、またも速馬に鋭い目を向けていた。

 由利子は議事録を読み返しながらその情景を思い出し、額に右手を当てた。何かがひっかかる・・・。スッキリしない気分のまま由利子は周囲を見回した。しかし、ギル研はいつもと変わらぬ雰囲気を保っており、由利子は少なからず安心した。気を取り直した由利子は議事録の仕上げにかかった。

「なんか、転校生が来るらしいぞ」
 男子の一人が息急き切って駆け込んできた。
「大田君、校舎内は走らないで!」
 彩夏がやや眉を寄せながら注意した。
「ごめ~ん。でさ、今職員室に行ったら、森川先生のとこに見たことない男子がおったけん聞いたっちゃん」
「へえ、この学校に転校生って珍しいね」
「編入試験、ほぼ満点の秀才君だってよ」
「へえ~」
 いきなりクラス内が騒然となった。
「西原君、転校生だって。どんな奴なんやろうね」
 良夫も興味津々な様子で祐一に言った。祐一はまったく興味ないようで、そっけなく言った。
「さあね。それより早く席につかんと、そろそろ先生が来るよ」
「あ、ホントやばっ」
 良夫は急いで立ち上がると、椅子を持って自分の席に向かった。良夫が席についたとほぼ同時に、担任の森川が、一人の男子と共に入ってきた。転校生は長身細身で、端正だが少し険のある顔立ちで、細い黒縁のメガネをかけていた。女子が一瞬彼にくぎ付けになった。しかし、彼は泰然として森川の横に立った。祐一は見るとはなしに彼の方を向くと、彼も祐一を見ていた。目が合うと、城生はかすかにニッと笑った。祐一は、何故か心がざわつくのを感じた。
 朝の挨拶が終わると、森川は黒板に名前を書き、転校生を紹介した。
「今日からこのクラスに入ることになった、月辺城生(げつべ じょう)君です。月辺君はお父さんの仕事の関係で、東京の方から来ました。最初はいろいろ戸惑うことも多いと思うので、みんな、教えてあげてね。さ、月辺君。簡単でいいから挨拶なさい」
「月辺城生です。月の辺に城が生ると書きます。新参者ですが、よろしくお願いいたします」
 城生は、にっこりと笑うと軽く頭を下げた。
「えっと、月辺君、席は・・・、後ろの右側の席に座って。来月の席替えまであの席でがまんしてね」
「え? 真ん中の席が空いていますよね。そこじゃだめですか?」
「あ、あの、その席は・・・」
 森川は説明しようとしたが、何と言っていいかわからず戸惑った。その時、祐一が立ち上がって言った。
「その席は、今月亡くなったクラスメートの席だよ。せめて49日が終わるまで、席をそのままにしておこうって、みんなで決めたんだ。だから・・・」
「なんだ、いない人の席か」
 城生は、少し小ばかにしたような口調で言った。
「もったいないじゃない。僕、ここに座ります。先生、いいでしょ?」
「でも、みんなの気持ちが・・・」
「死んだ人は帰ってこないんですよ。いつまでも引きずってちゃあだめだ」
 城生が言うと、雅之の空席の後ろに座っている女子生徒が手を挙げて言った。
「私も・・・、そう思います。なんか、席が空いているだけで秋山君が死んじゃったのを思い知らされて、気が重くなるんです。ううん、それどころか雨で暗い日とか、もう怖くて怖くて・・・。だから、月辺君が座ってくれるなら、その方がいいと思います」
 彼女の発言で、教室内がざわつき始めた。そして、各所から「賛成」の声が上がった。
「みんな、そんなに・・・」
 祐一が愕然とするのを見て、城生が言った。
「多数決をとればいいよ。この席を死んだ秋山君のために空けていたい人、手を挙げて」
 あげたのは祐一・良夫・彩夏他、合計10人に満たなかった。城生は悠然とした笑みを浮かべて言った。
「あとは聞くまでもないようだね。じゃ、先生、僕、ここの席でいいですね」
「え? あ。いえ、はい」
 森川は若干14・5歳の少年に圧倒されたらしく、要領を得ない返事をした。城生は悠々と歩いて雅之の席に行き、一瞬の躊躇も見せずに座った。祐一は呆然としてかつての雅之の席を見ていた。

 
 

 中山と宮田の両刑事は、昨日自殺した田所かんなの友人の女生徒二人から校内の応接室で事情を聴いていた。学校側は、校内に警察が入ることを嫌がったが、中山は緊急事態ということでなんとか粘り通した。友人たちは友人の自殺というショックのただ中にいたが、彼女らは自ら言いたいことがあるということで、先生抜きで話したいと申し出た。もちろん学校側はそれを却下しようとしたが、中山の説得でついに学校側が折れたのだった。

 中山が二人に言った。
「C野署の中山だ。こっちは宮田。君たちは?」
「上村実花」
「金沢瀬里奈・・・です」
「二人とも、昨日の今日でまだまだ辛いだろうに、すまないね」
 二人はそれまでもスンスンと鼻をすすっていたが、中山の言葉にしくしくと泣き始めた。中山と宮田はどうしていいかわからずに、困ったというよりも戸惑った風情で少女二人を見ていた。しかし、しばらくすると落ち着いたのか、一人が口を開いた。
「かんちゃん、あんな奴と関わったから・・・」
「あんなやつ?」
 中山が聞き返した。
「上村さん、それはどういうこと?」
「あの、先週の日曜と月曜に、新型ウイルスの説明があったでしょ。月曜に、かんちゃん、なんか暗かったんで気になって聞いてみたら、何でもないって・・・。でも、月曜の放送の翌日、かんちゃん学校休んじゃって・・・」
 そこまで聞いて、中山は嫌な予感がした。実花は話を続けた。
「木曜には出てきたけど、なんか暗かった。それで、訳を聞こうとしたけど言ってくれないかったんです。だけど、何かに怯えたみたいな目で、時々泣いているし・・・。あたしたちどうしていいかわからなくて・・・」
 実花がそこまで言うと、瀬里奈が後に続いて言った。
「土曜の午後、気分転換しようって誘って、ようやくオーケーさせたんです。それから一緒に映画行ってファミレスでおしゃべりして・・・」
「その時は田所さんは元気になってたの?」
「むしろ、はしゃぎ過ぎなくらいでした。でも、あたしたちが近づくと、よけちゃうんです。かんちゃんが食べた物を味見しようとしても、ダメだってすごい剣幕で怒って・・・。驚いたら、風邪気味だからって言ってた」
「でも、それ以外はいつものかんなに戻ってて・・・。だけど・・・、夕方に入ったメール見て、顔色が変わったんです」
「どんな用件だったかわかる?」
「はい。かんちゃんの彼氏からで、インフルエンザで高熱を出したから、明日のデートは無しだって・・・」
「インフルエンザね」
 中山はうなづいた。その情報はすでに得ている。
「はい。その後、用が出来たからって帰っちゃったんです。で、わたしたちは、彼が心配なんやねって笑ってたんです。なのに、自殺するなんて・・・。」
 そこで二人はわあっと泣き出した。中山と冨田は彼女らが泣き止むまで質問を待たざるを得なかった。
 ふたりはたっぷり5分待たされて、ようやく質問を再開した。
「で、そのことと、さっきの『あんな奴』とどうつながるの?」
 
「はい。あの・・・」
 二人は同時に言って、その後口ごもった。
「大丈夫。僕らはこの事を調書には上げるけど、学校の誰にも絶対に言わないから」
「・・・あの、2・3週間くらい前だったか、かんちゃん、ちょっと羽振りが良かったんで聞いたんです。そしたら、繁華街で会った大学生と遊んであげたらお金くれたって。でも、その彼の家で寝てたら昼ごろ彼女らしい女の人が来てシュラバになったって、笑ってたんです。あたしたち、さすがに呆れたけど・・・」
「まさか、その大学生って・・・」
「わたしたち、詳しいことは聞かなかったけど、多分、テレビで言ってたあの人だと思う。あの、エイズで死んだっていう・・」
「せなちゃんちがうよ、エボラだって」
「いや、どっちも違うよ」
 と、宮田が二人の勘違いを訂正した。
「まあ、エボラの方がかなり近いけど。今騒がれているのは『サイキウイルス』と言って、エイズともエボラとも違う、新しいウイルスなんだよ」
 中山はその様子を見ながら苦笑いをした。
(これは、改めて正しい情報を徹底させんといかんな)
 
 その必要を痛感しながら話を戻した。
「それで、君たちは田所さんがその大学生からサイキウイルスに感染したのではないかって思ったんだね」
「はい」
「でも、かんなを悪く思わないでください。かんな、陰で遊んでいたけど、ほんとはすごい寂しがり屋だったんです。お父さんやお母さんは仕事ばかりで構ってくれないって。お小遣いを十分にもらってて、わたしたちはうらやましいって思ってたけど・・・」
「彼氏だって、先週コクられたばかりみたいだけど、もうラブラブで、彼氏一筋になるってのろけっぱなしだったのに・・・。だから、彼氏に感染させたってきっと責任を感じて・・・」
 二人はここまで言うと口をつぐみ、不安そうにお互いを見た。
「どうしたの?」
 中山が聞くと、実花がおずおずと尋ねた。
「あのぉ、刑事さん、私たちは大丈夫なんですか?」
「感染のことかい? 田所さんも彼氏も調べた結果は新型インフルエンザだった。おそらく、彼氏から田所さんに感染ったんだと思うよ。君たちもこの学校も大丈夫だよ。ただ、インフルエンザの対策は必要だね」
「じゃあ、かんなは・・・」
「かんなの馬鹿。死ぬことなかったじゃないのっ!」
 そういうと、二人はまたわあっと泣き出した。今度は二人とも抱き合ってわあわあ泣いている。
「まいった。こりゃあ、長引くなあ」
「そうですね・・・」
 二人が困っていたら、担任の女性教師が驚いて飛び込んできた。中山が立ち上がって頭を下げた。
「申し訳ありません。田所さんのことを思い出させてしまったようで・・・」 
 担任は、二人をなだめながら言った。
「ご用件がお済みでしたら、お引き取りください」
「はい。お騒がせいたしました。宮田、行くぞ」
 中山は宮田を促すと一礼し、部屋を出て行った。
「ナカさん、あとは田所かんなのケータイから、森田健二との関連が判れば、感染ルートが一つ消えますね」
「ああ。そう願いたいよ」
(まさに、虱潰しだ・・・)
 中山は、先の長さにゲンナリしながら梅雨空を見上げた。また大雨になりそうだった。

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5.微光 (2)ヴァイオレット

20XX年6月26日(水)

 早朝4時半、感対センターがいきおい騒がしくなった。
「三原副センター長、今、F空港で河部さんが米軍から自衛隊に引き渡されたそうです。すぐにこちらへ搬送されるとのことです!」
「そうか、急いで河部さんを受け入れる準備をしてくれ。私はセンター長を起こしてくる」
「はい」
 三原の命を受け駈け出した職員の後姿を見て、三原がため息をついた。
「これじゃ、センター長もゆっくり休む暇がないな」 

 ヘリポートに自衛隊ヘリが降り立ち、中から防護服の兵士が二人、感染防護措置のされた担架に河部巽を乗せて降りてきた。
 高柳はモニターを見、眉を寄せながら言った。
「さすがに『軍隊』となると物々しいな・・・。また余計な詮索をされねば良いが・・・」
 その頃、センター傍の藪で美波たちが興奮してそれを見ていた。
「来たっ!予想通りだぜ」
「オグ、すげえな」
「赤間ちゃん、それよりちゃんと撮ってよ」
「撮ってますよっ!」
 感染者が渡米してたということから、小倉は彼が強制送還され早急にセンターに隔離されると予想、昨夜から近くで待機していたのである。しかし、美波は赤間に念を押しながら自分はきょろきょろと周囲をうかがっている。小倉が不審に思って訊ねた。
「どうしたの、ミナちゃん。落ち着かないね」
「他局は来てないのかな?」
「え?」
「オグちゃんが気付いたことやけん、他局だって同じこと考えると思ったんやけど。撮るならここが一番良いロケーションのばずなのに・・・」
「ひっどいなあ、ミナちゃん」
 小倉がぼやいていると、美波が「あっ」と小さく叫んで言った。
「居た! オグちゃん、あそこ」
 小倉は美波が指さした方向を見た。目を凝らすと、木陰に人影が見える。
「あ、あいつは・・・」
「何よ、もったいぶらないで言って」
「KIWAMIだ、元グラドルの」
「まだ薄暗いのにこの距離でよくわかるわね」
「俺の目は野獣並みだぜ。たしか、タブロイド紙の記者になったって聞いたけど、こんなところで何ばしよっとやろか」
「決まっとろ-もん。タブロイド紙の記者でここにいるなら、十中八九あの胸糞悪い憶測記事を書いたヤツでしょーが」
 美波はそう言いながら極美の方に躊躇なく近づいた。極美はと言うと、ヘリの音と撮影に夢中なのとで美波に気が付かない。
「ちょっとあんた、そこで何してんのッ!? また変なデッチアゲ記事書こうとしてんじゃないでしょうね」
 美波に怒鳴られて、極美は驚いて彼女の方を見た。しかし、彼女はすぐにデジカメを構えなおして撮影を続けた。
「こ、このおっ!」
 美波は極美の横着な態度にむかついて彼女の肩を掴もうとした。しかし、極美は一瞬振り向いたものの脱兎のごとく駈け出して、路肩に止めてあった車に飛び込んだ。その後間髪を入れず、その車は無灯火で発進し、瞬く間に姿を消した。
「なによ、あれ!!」
 呆れながら、車の去って行った方向を見ている美波に、小倉が駆け寄って言った。
「どうした、逃げられたとか?」
「どうやら仲間がいたみたいやね」
「あらら」
「それにしても・・・、くっそぉ~~~!」
 いきなり美波が怒りだした。
「腹ん立つ~っ! あいつ、逃げる前に一瞬こっち見て、馬鹿にしたように笑った~~~!!」
「へ?」
「ちょっとばかり背が高くて胸が大きくて美人だと思ってぇ――!! どーせわたしはちんちくりんの田舎記者よ! くやしい~~~!」
「そんなことないって、ミナちゃんはちっこいけど十分可愛いって。ミナミサってめんたい放送じゃダントツ人気じゃん」
「そんなデス○キャラみたいな愛称イヤぁ~~~」
「もう、いったんへそ曲げたらこうなんだから、・・・ったくぅ」
 小倉は困って赤間の方を見た。当の赤間はそんな状況を知ってか知らずか、カメラを抱えてひたすら映像を撮り続けていた。

 河部巽は、無事にセンターの隔離病室に収容されていた。そこでしばらく待たされていたが、間もなく防護服を着た医師と看護師が入って来た。
「河部巽さんですね」
「はい」
「私はここのセンター長で、高柳と言います。この度は大変でしたね」
「それより、妻の容体はっ!?」
「残念ですが、お腹のお子さんは亡くなられていました。奥さんも発症されていて、病状もだいぶ進んでいます」
「子供が・・・そんな・・・」
「残念ですが」
「で、妻は・・・妻の方は助かるんでしょうか」
「奥さんについては、まだ何とも言えませんが、ただ・・・」
 高柳は、巽にすがるような目で訊かれ、少し辛そうな表情で答えた。
「この病気を発症されて生き延びた方は今のところ・・・。覚悟はなさっておいてください」
「そんな・・・」
 巽は一瞬呆然としながらも立ち上がった。
「妻に会います。会って謝らねばならない。妻のところに連れて行ってください」
「だめです。あなたはまだここから出られませんし、出られたとしても、既に発症されている奥さんの傍には行けません」
「何故です?」
「防護服越しでの感染が確認されたからです」
「どうせ、僕も感染しているんでしょう? 妻と一緒にいさせてください」
「だめです。あなたに未感染の可能性がある限り、それは出来ません」
「行きます。傍にいてやりたいんです」
 巽はそういうや否や、病室から飛び出そうとした。高柳と看護師の春野は止めようとしたが間に合わず、高柳は大声で助けを呼んだ。
「誰か、河部さんを止めてくれ!」
 すぐさま待機していた男性看護師が巽を抑えて病室に連れ戻した。巽はその間妻の名を呼びながら抵抗していたが、数分後なんとか落ち着きを取り戻した。
「すみませんでした。もう大丈夫です」
 巽は春野からもらった水を飲みながら言った。
「僕のせいで妻が辛い思いをしていると思ったら、居ても立っても居られなくなってしまって・・・」
「奥さんは、あなたがまだ発症していないのを知って、喜んでおられましたよ」
「おお・・・」
 巽はそれを聞いてとうとう泣き出した。
「千夏、千夏・・・すまない。僕のせいで・・・。本当なら僕が・・・」
 高柳と春野は、彼が完全に落ち着くまでさらに数分間説明を待つことになった。
 
「何度もすみません。ほんと、すみません」
「あなたの置かれた異常な状況で、取り乱すなと言う方が無理だと思いますよ」
 高柳は平身低頭しながら言う巽に対して優しく言った。
「では、説明を始めて良いですか?」
「はい。よろしくお願いいたします」
 高柳は、巽にこれからについて淡々と説明を始めた。
「では、僕はあと3日ほどここに入っていなければならないのですね」
「そうです。その間発症の兆候が見られなければ、退院できます。その後1か月間様子を見て、何もなければおそらく大丈夫でしょう。隔離は一週間ですが、あなたのように確実に感染者の血液を浴びた方の場合は、念のためウイルスに曝されてから10日ほど様子を見ることになっています。10日後に発症された方がおられるからです。あなたの場合は、事件が先週の月曜でしたから、少なくとも明日一杯は隔離ということになりますね。ユーサムリッドの検査では、今のところウイルス感染はないという結果が出たようですが、奥さんが発症された限り楽観は出来ません」
「あそこに隔離された時は、もう日本に帰れないと諦めかけましたが、シーバーフの小隊長さんが絶対に日本に帰すと約束してくれて・・・」
「まだ発症の兆候もないあなたを彼らが拘束することは出来ませんよ。あの隊長もそれを見越していたのでしょう。実は、先ほど挨拶に来られましてね」
「挨拶に?」
「ええ。事態が深刻になった場合、協力は惜しまないと。彼ら・・・あなたを運んでくれた部隊ですが、彼らはその時に改めて派遣されるということです。あの国の真意は測りかねますが」
「でも、僕はあの隊長さんは信用出来ると思いました。根拠はありませんけど・・・」
「私もそういう印象は受けました。少し面白い日本語を話されるようですが」
「面白い日本語・・・、そうですね」
 そういうと巽は思い出したのか、くすっと笑った。春野がそれを見てほっとしたように言った。
「ようやく笑いましたね」
「ご心配をおかけします」
「状況はあまりよくありません。しかし、諦めたら先に進みません。河部さん、いっしょにがんばってくれますね?」
「はい」
 河部は不安な表情が消えないながら、しっかりと頷いて答えた。

 午後、葛西がギルフォード研究室にやってきた。これまで警察が調査した内容の報告をするためである。
 教授室の応接セットに座った葛西に、ギルフォードが言った。
「わざわざ来てくれたんですね。電話やメールでも良かったのに」
「いえ、補足で説明することがあるかもしれないし、電話やメールは情報が漏れる可能性もありますから」
「ナガヌマさんもこの前そんなことを言ってましたが、この国ではそんなに情報がダダ漏れするんですか?」
「まあ、たまに・・・いえ、その、まあ念のために」
「ホントはユリコに会いたかったからでしょ?」
 ギルフォードが葛西にからかうように言い、葛西が「いやぁ、そんな・・・」と言いかけたのをさえぎって由利子が強く言った。
「アレク、余計なことを言わない!」
「おっと、スミマセン」
 首をすくめてそう言うと、ギルフォードは葛西の方を見ながらこっそりと言った。
「相変わらず怖いです」
「怖い女性が二人に増えて、アレクも大変ですね」
「そーなんですよ、カサイさん」
「聞こえてますわよ」
「ってゆーか、そのネタ古いし」
 男性二人のこそこそ話に女性二人がすかさず突っ込んだ。

「それではですね・・・」
 女性二人も加わったところで、葛西が説明を始めようとしてふと気が付いて言った。
「なんか、遠くでヘリコプターの音がしますね」
「ジュン、ヘリの音なんて珍しくもないでしょう?」
「あはは、そうですよね。どうも、あの時C川でジュリーと一緒にヘリに追いかけられてから、過剰反応するようになってしまって」
 と、葛西が頭を掻きながら言うと、ギルフォードが笑って言った。
「そういえば、ジュリーも似たようなことを言ってましたよ」
「そうでしょ、あれ、意外と怖いもんですよねえ」
 そういうと、葛西は気を取り直して説明を始めたが、ヘリコプターの音は確実に近づいてきていた。それどころか、周囲まで騒がしくなってきた。葛西は説明を中断し、4人は少し不安そうにお互いの顔を見た。ギル研の学生たちが急いで窓に駆け寄り外を確認した。学生の一人が体を乗り出して興奮気味に言った。
「うわあ、ブラックホークだ! すげえ、ホンモノを生で初めて見たぞ!」
「ブラックホークって、なんでそんなもんが大学に飛んで来るんでっか?」
 それを聞いて、ギルフォードが頭を抱えて言った。
「なんか、嫌な予感がします・・・」
「屋上に行ってみましょう」
 紗弥がすぐに立ち上がって駆け出し、教授室から飛び出した。
「紗弥さん、待ってよ!」
 と言いながら、由利子も紗弥の後を追った。葛西も同時に立ち上がった。
「僕も行きます!」
 その後に続いて研究生たちまで野次馬に出かけたので、研究室にはギルフォードだけが残された。
「僕は行きませんからね」
 ギルフォードは少しすねたようにして、葛西の持ってきた資料を手に取ると読み始めた。

 由利子たちが屋上に出ると、既に近くまでヘリが飛んできており、それから下がった縄梯子を女性が降りつつあった。赤い髪を後ろに束ね、黒のタンクトップにカーキ色のカーゴパンツ、足にはレースアップのゴツいミリタリーブーツを履いている。更に顔には黒いサングラスをかけ、風で飛ばないよう黒のキャップは脱いで左手の指に引っかけていた。女性は由利子たちが屋上に姿を現すと、敬礼をしながらにこっと笑った。
 彼女はヘリコプターが屋上に差し掛かるとひらりと降りて、去って行くヘリに向かって敬礼をして見送った。その後彼女は由利子たちの方を向くと、笑顔で「Hi!」と言った。ヘリから降り立った彼女はかなりの偉丈夫で、身長は180センチを超え体格も筋肉質でがっしりとしている。だが、それ以上に、彼女の盛り上がった胸が圧巻であった。
「うわあ、永井豪の描く女性みたいだ・・・」
 葛西が半ば呆気にとられながらもぼそりと言った。由利子たちが圧倒されて遠巻きに様子を見ていると、由利子の横に立っていた紗弥がついと前に出て女の方に静かに歩み寄った。しかし、女は鋭い目で紗弥を一瞥すると、いきなり紗弥に襲いかかった。だが、紗弥はそれにまったく動じず身をかわすと顔色も変えずに女の首に向けて正確に蹴りを入れた。しかし、女は紗弥の蹴りを難なくを受けると同時に喉元に突きを入れた。紗弥はすかさずそれを受け、二人は一旦身を引いた。二人はお互い隙を伺いながら身構え数秒間けん制し合っていたが、いきなりミリタリー女が笑い出し、二人は戦闘状態を解いた。
”あっははは.海兵隊員のアタシと互角にやりあえる女はあんたくらいだよ,サヤ.おぼっちゃんのお守りをしている割に腕は落ちちゃいないようだ”
”ヴァイオレット,久しぶりね.あんたも元気そうでなによりだわ”
 二人はお互いに抱き合って久々の再会を確認した。しかし、英語の判らない由利子と葛西には何が何やらさっぱりわからない。
「結局、あの人と紗弥さんは知り合いだったってこと?」
「しかも、かなり親しそうですね」
 由利子と葛西は、キツネにつままれたような表情で二人を見ながら言った。女はそんな二人につかつかと近づいた。近くで見ると、日に焼けた浅黒い肌に名前通りの菫色の虹彩が対照的だ。彼女は由利子に向かって言った。
「君が篠原由利子だね」
「え? は、はい。そうですけど、あなたは?」
「私はアレグザンダーの古い知り合いで、ヴァイオレット・ブルームと申す者。由利子殿、話に聞いておるとおり、少年のようだのお。そして横の秀才風優男の君が葛西純平君だね。うむ。二人とも気に入ったぞ」
 ブルームは、そう言うなり二人をまとめて抱きしめた。当然二人は驚いて仲良く「ひゃあ」という間の抜けた声をあげた。紗弥が少し厳しい声でブルームをたしなめた。
「ヴァイオレット、ここは日本ですから、程度をわきまえてくださいませね」
「あっはっは。すまんな、つい」
「まったくもう、教授と言いジュリーと言い、どうしてこう・・・」
「いや、すまん。悪かった。さっさとあやつに会いに行こう。紗弥、案内せい」
「では、ついていらっしゃいませ」
 紗弥はそういうとさっさと歩き出し、その後をブルームが悠々とついて行った。野次馬たちも、それに倣うように歩き出した。
 皆が帰った後、屋上に由利子と葛西が残された。由利子がぼそりと言った。
「また変な外人が増えたよ」
その横で葛西もぼそりと言った。
「でも、なんで日本語が頑固爺・・っていうか武士・・・」
 

 ヴァイオレット・ブルームは、紗弥に案内されてギルフォード研究室の教授室へ通された。しかし、部屋の主のギルフォードは至って機嫌が悪い。ブルームはソファに腰かけて応接台に頬杖をついてギルフォードを見ながら言った。
「せっかくお主の顔を拝みにきてやったのだ。何をぶすくれておる」
「あのね、ヴァイ。来るなら来るで、なんでもっと目立たない方法を選ばなかったんですか。よりによって最大限に目立つ登場のしかたをすることはないでしょう。また米軍とつながっているなんて言われたらどうするんです」
「細かいことを言うでない。休暇をもらったついでに、ちょっと部下に寄り道してもらったのだ」
「何職権乱用しているんですか」
「職権乱用ではないぞ。これも立派な任務だ。改めて言う。サイキウイルスの被害が拡大した場合、我々も封じ込めに協力することとなった。今日はその挨拶に伺ったのだ」
「だからってわざわざヘリで来なくても・・・。っていうか、また、首を突っ込んでくるつもりなんですね、あんたの国は」
「他国の善意は素直に受けたほうが良いぞ」
「善意だかなんだか」
「まあいい。それと、もうひとつ。実はな、SASのコーンウェル大佐からも、お主の様子を見て来いと頼まれたのだ。お主の置かれている状況を知って、ずいぶんと心配をしておられたぞ」
「叔父貴から? もう、心配性なんだから。・・・って、なんで米兵のあんたがイギリス陸軍大佐の依頼を受けているんですか」
「電話して日本のF市に行くぞと言ったら、頼まれたのだ。友人の頼みは聞くものであろう」
「・・・もういいです。僕の顔を見たら安心したでしょ。とっとと帰ってください」
「そんなに追い出そうとしなくてもいいではないか。それよりせっかく遠くから来たんだ。茶くらい出さんか」
「ずうずうしい客ですね。今、サヤがやってますよ。あ、サヤさん、一番安い番茶でいいですからね」
 ギルフォードに声をかけられて、紗弥が振り向いて言った。
「教授、彼女について少しは説明なさらないと。由利子さんたちが、途方に暮れていらっしゃいますわ」
「そうでした。ユリコ、ジュン。改めて紹介します。アメリカ海兵隊、シーバーフ所属のヴァイオレット・ブルーム少尉です。亡くなった僕の親友エーメ・・・、エメラルダの姉ですよ」
「あ、エメラルダさんの」
 と、由利子が言うと、ブルームは嬉しそうに笑って言った。
「おお、エメラルダのことを知っておられるのか」
「ええ、ジュリーからちょとだけお聞きしました」
「そうか。あやつは・・・、妹は私などとは比べ物にならぬほど出来た奴だったでな。ほんに惜しい人間を亡くしたものよ」
 とブルームがしみじみと言った時、紗弥がお茶を運んできた。ブルームは出されたお茶を手に取ろうとしたが、湯呑の中を見てガッツポーズをしながら言った。
「これは幸先良いぞ。茶柱が立っておる。ほら、由利子、純平、縁起物だ。見てごらん」
「あ、ほんとだ。しかも3本立ってますよ」
「すごい。写メ撮っていいですか」
「もちろんだ。私も撮るぞ」
 3人は湯呑の中を見てはしゃいでいたが、それとは対照的に、ギルフォードが恨めしそうな表情で言った。
「番茶にしたら却って喜ばれてしまいました」
「せこいことを仰るからですわ」
 紗弥はギルフォードを軽くいなしてお盆を下げに行った。ブルームは、お茶を一口飲むと言った。
「うん、旨い。紗弥の淹れたお茶は最高だな。それはそうと、お二人さん」
 ブルームはもう一口お茶を飲んでから、湯呑を置いて由利子と葛西に向かって言った。
「これから私のことは、すみれちゃんと呼んでおくれ」
 ギルフォードがそれを聞いて、横を向き小声で言った。
「何がスミレチャンですか。ムシトリスミレのくせに」
「何か異議がありそうだな、アレグザンダー君」
「いえ、何もないです」
「さてと、どうやら大事な話の途中にお邪魔したようだの。こやつの顔も見たし、そろそろ退散してやろう」
 ブルームはそういうとおもむろに立ち上がった。紗弥が見送ろうと立ち上がったが、ブルームは彼女を静止して言った。
「見送りは良いぞ、紗弥。ゆっくりしておれ。由利子、純平。機会があらば一杯やろうぞ」
 ブルームは挨拶をすると、ドアに向かった。しかし、何か思い出したように振り向いて言った。
「アレグザンダー。デスストーカーのやつが、性懲りもなく河部さんを拘束しようとしおったので、阻止してやったぞ。彼奴め、まだあきらめておらんようだが、まあ、任せよ」
 ブルームはサムアップするとまた踵を返し、カツカツを靴音をさせながら研究室を出て言った。

※すみれちゃんの登場の仕方はあり得んとは思いましたが、ちょっとエンタメに走ってしまいました。
 なお、彼女の髪の謎については(4)で触れるつもりですが、ちょっとアップが遅れているので、気になる方は登場人物紹介を参照ください。 
 
 

続きを読む "5.微光 (2)ヴァイオレット"

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5.微光 (3)アップステージ

 ブルームが去った後、4人はややぼうっとして座っていた。ヘリの音と闖入者に怯えて隠れていた美月が、様子を伺いつつ出てきて所定の場所に座った。
「まるで旋風のようだったなあ」
 と、由利子が真っ先に口を開いた。ギルフォードはまだ不機嫌気味に言った。
「あのバカはもう、まったく何を考えているんでしょう。最近はツイッターとかですぐに情報がアップされてしまう世の中なのに、よりによってあんな目立つ登場の仕方をしなくても」
「多分、彼女には何か考えがあったのだと思いますわ」
「そうですよ、アレク。指揮官クラスの軍人さんが考えなしに動くとは思えないですよ」
 そう紗弥と葛西がフォローをしていたが、由利子は心の中でつぶやいた。
(あれ、単なる目立ちたがりだと思うなあ)
 そのうち、窓から外を見ていた如月たちが騒ぎ出した。
「あれ、さっきの将校さんやないですか? 下で学生たちに囲まれて記念写メ撮られてまっせ」
「あ、ほんとだ。なんか楽しそう! 将校さん嬉しそうにピースサインしてるし」
「しまった、あたしたちも一緒に撮っておけば良かったわねえ」
 それを聞いたギルフォードは恨めしそうに紗弥の方を見た。釣られて由利子と葛西も紗弥の方を見ると、彼女にしては珍しく頭を抱えていた。
「でもまあ、軍服を着ているわけじゃないし、きっと大丈夫ですよ」
 と、葛西が少し気の毒そうに言った。

 4人は気を取り直して、葛西の調査報告を聞くという本来の目的に戻ることにした。
「それでは、さっきはほとんど先に進まなかったので、改めて」
「で、どれだけ調査出来たんですか?」
 ギルフォードが少し体を乗り出して訊ねたので、葛西は急いで資料のページをめくり説明を始めた。
「えっとですね。先ず、森田健二の交友についてと一昨日亡くなった女子中学生、田所かんなの件ですが、C野署の中山・宮田両名の捜査により、やはり両者が接触した事実がわかりました。双方のケータイの方にはまったく記録が残っておらず、その時だけの関係だったようですが、宮田刑事らが地道に聞き込みをした結果、それが判明しました」
「ということは、紅美さんが言ってた健二が『お持ち帰り』した女性って・・・」
 と、由利子が半ば呆れたような表情で聞いた。
「はい、自殺した田所かんなだったということです」
「30代女性から女子中学生までとは、けっこう広いストライクゾーンですね」
「教授!」
「アレク!」
 つい口に出たオヤジギャグを女性二人からほぼ同時に怒られて、ギルフォードは首をすくめた。
「ドウモスミマセン」
 それを見た葛西は苦笑いをしながら言った。
「まだ14歳だったそうですから、まあ・・・」
「森田健二クンがご存命だったなら、発覚後の逮捕もあり得たということね」
 由利子が、葛西の濁した言葉の後を続けるように言った。
「まあ、そうなりますね。で、感染の方は幸いと言っていいかわかりませんが、彼女に関してはなかったようで、彼女からの新たな感染ルートはこれで消えました」
「彼女が感染を免れたのは、ケンジがまだ感染初期だったからでしょう」
 と、ギルフォードが推測した。紗弥がポーカーフェイスに若干の影を落として言った。
「それなのに、インフルエンザをサイキウイルス感染と早とちりしたということですの?」
「残念ですが、そういうことです。かわいそうに・・・」
「子供らしい短絡さなんでしょうケド」
 と、ギルフォードは科学者らしく感情をクールダウンさせていたが、葛西は少し憤って言った。
「しかも、先にインフルエンザに罹ったのは彼氏の方なんです。初期症状が同じ様なものとはいえ、ちょっと冷静に考えれば彼氏からインフルエンザに感染したってわかりそうなものですが」
「ひょっとして、サイキウイルスに関して間違った情報が飛び交っているんじゃない?」
 由利子の質問に、ギルフォードが答えた。
「まだ全容はつかめてませんが、カナリ誤情報が流布されていると見ていいでしょう。確かに罹り始めはインフルエンザなどのウイルス感染と区別はつきにくいですから」
「そのあたり、何か対策しなくていいの?」
「ハイ、近々、政府広報でCMを流す予定です。それから県のサイトの中にサイキウイルス専用情報掲示板を立ち上げて一般からの情報収集を行い、重要な、あるいは数の多い質問に対してはQ&Aでお答えするというコトです」
「Q&Aって、今もあるじゃない」
「発表当時から一週間以上経ちましたから、あのQ&Aでは対応できていないコトもあります。今もカナリの質問のメールや電話が入っているそうですし」
「確かに、自殺者が出てしまったし」
「それと、新たな対策マニュアルを作ってネット上で公開した上で、リーフレットを交付します。年配の方はネットを見ない人も多いし、紙媒体ならデータのように消えたりしないし、停電や電池切れとも無縁ですからね。あと、駅などにも同じものをを置くようにしています」
「そんなで効果はあるかなあ」
「一部の人たちにはないかもしれませんが、そういう啓蒙活動は必要です。多くの人たちは、ちゃんとした情報処理能力は持っていると思いますから」
「あの、続きを良いでしょうか」
 説明の途中で腰を折られた形となった葛西が、ようやく割って入った。
「あ、ごめん」
「スミマセン。続けてください」
「え~と、森田健二関連については以上です。
 次に、アレクが依頼された自殺未遂された秋山信之さんの件です。秋山さんが自殺行為をする前にかかってきたらしい電話について調べて欲しいと言うことでしたが、電話の着信履歴を調べた結果、14時45分頃ですが不審な電話が入っていました」
「どこからですか?」
「それが、海外の公衆電話からでした」
「公衆電話?  しかも、海外からですの?」
「はい」
「どこよ、それ。まさか、謎の国から来た挑戦・・・」
「残念ながら違います、由利子さん。なんと、イタリアのローマからでした。ナヴォーナ広場の近くにある公衆電話です」
 予想外の調査結果に、皆一様に驚いた。
「って、観光地もいいところじゃないですか。時差からして朝の8時くらいですね。いずれにしても、誰がかけたかわかる可能性はあまりナイですねえ」
「電話の内容とかも判らないのよね」
「はい。信之さんの意識がまだ戻っていませんので」
「でも、その電話が引き金になった可能性は高い、と思います。サトコさんの証言では、ノブユキさんの様子がおかしくなったのはその後だと言うことですから」
「僕も信之さんのお見舞いに行った時、ちょうど聡子さんにお会いしたので、その時のことをお聞きすることが出来ました。それにしても、皆さんすごい状況に遭遇したんですねえ」
「むしろタイミングが良すぎでした。ですからフシンに思ったのです」
「海外から電話は良く入るのかと言うこともお聞きしたんですが、あまり心当たりがないというお答えでした。でも、残念ながらそれだけで、その電話と信之さんの自殺未遂を結びつけるのは難しいでしょう。あ、そうそう」
 葛西は話の途中で思い出したように言い、バッグの中から和紙に包まれた物を出した。
「これ、聡子さんから預かって来ました。『秘書の方のお忘れ物』だと言っておられましたが」
「まあ」
 紗弥がそれを受け取って包んでいた和紙を広げた。
「頃合いを見計らってお引き取りに行こうと思っていましたの。律儀に持ち歩いておられたのですね」
「おや、あの時ノブユキさんの紐を切ったネックナイフですね」
「ええ、壁に刺さったまま忘れて帰った」
「何? ネックナイフって」
「ユリコはあの時救急車呼んでたりしたので、それを使った現場は見てないんでしたね」
「首にかけられる小型のナイフですわ。護身用ですの。まあ、ほとんどペーパーナイフ替わりにくらいしか使ってませんけど、あの時は咄嗟にこれで紐を切ったのです」
「それ、ちょっと見たかったかも」
 由利子が残念そうに言うと、葛西も相槌を打った。
「僕も見たかったです。でですね、電話つながりでもう一つ。斉藤孝治の立てこもり事件の時、正確には事件を起こす前、彼のケータイに電話が入っていたことがわかりました」
「今度も『その前』ですか」
「そうです。もちろん、それが孝治の犯行の原因とすることは出来ませんが、通話時間も10分近くで結構長く話していたのが気になります」
「それで、発信場所は?」
「まさか、また海外?」
 ギルフォードと由利子が矢継ぎ早に聞いた。
「いえ、今度は国内・・・、しかもT神のど真ん中、地下街の電話ボックス内からでした」
「また公衆電話からですのね」
「はい。しかも、監視カメラが付いていないため、手掛かりは全くなしです」
「どういうこと?」
 と、由利子が眉をひそめて言った。
「同一人物ではナイと言う可能性が高いですね」と、ギルフォードが答えた。「それと、ユウキも除外していいと思います。昼間から街中に出るとは思えないし、海外ならなおさらです」
「ってことは、かなり大きい組織って考えていいってことね」
「国際的な組織・・・と結論付けるのは乱暴ですが、海外にも仲間がいるという可能性はあります」
「いずれにしても、電話と秋山さんあるいは斉藤孝治の行為について関わりがあるとしての話ですわね」
「秋山さんは意識不明で斉藤孝治は自殺してしまいましたから、内容に関してもまったく不明ということになります。えっと、以上ですが・・・」
「ということは・・・」
 と、由利子が言った。
「森田健二について以外は、結局ほとんど進展していないということね」
「どうもすみません」
 と、葛西が条件反射的に謝った。そこで、ギルフォードは
「そんなことはありませんよ。心配されたルートが一つ消えたことで、そちらにかかっていた手を他に回せます。それに、二つの事件の直前に何者かが電話をかけていたことがわかり、その一つが海外からだったということから、海外にもテロ組織の勢力が及んでいる可能性も見えてきました」
「進展したというより、消えた問題の代わりに他の問題が浮き上がっただけって感じがするのだけど・・・。しかも、あくまで可能性だし」
 ギルフォードのフォローにも関わらず由利子がつぶやき、葛西がまた少し肩を落とした。それを見たギルフォードと紗弥が、若干非難気味に由利子の方を見た。
「あ、ごめん」
 今度は由利子が謝った。

 松川の病室に、男が姿を現せた。ダークグレーのスーツで背は高い方ではなく、さらりとした髪をラフなショートカットにしている。その髪型のせいで年齢よりかなり若く見えた。
「やあ、松川、だいぶ良いみたいだね」
「その童顔は、武邑さん」
 松川が言った。
「もう歩き回って大丈夫なんですか?」
「ああ。って、先輩に向かって童顔はないだろ」
 そういうと、武邑はベッド脇に椅子を持ってきて座った。
「あ、すみません」
「まあ、冗談を言えるくらいなら大丈夫だね。僕はもう4人部屋に移っているんだ」
「へえ、話し相手が出来ていいなあ」
「いや、相部屋も善し悪しだよ。僕も個室の時は人恋しかったけどさ。向かいの兄ちゃんは見舞いのカノジョといちゃついているか喧嘩しているかだし、その隣はボケ老人で、何度も看護師を呼びつけるわ、男の看護師だったら機嫌悪いわだし、隣の中年男性は紳士かと思ったら、夜中に歯ぎしりするわ、口の悪い寝言を言うわで、なかなか落ち着かなくてさ」
「それは大変ですね」
「でもまあ、来週あたり退院出来そうなんで、それももう少しの我慢さ」
「私も早く退院してリベンジしたいです」
「まあ、焦るな。特に君はまだ脳に損傷が残っているんだろ。ちゃんと治さなきゃあ」
「はい。でも・・」
「まだ歩けないんだろ? 酸素マスクは取れたようだけど、依然チューブだらけじゃないか」
「はい。まだ手術が必要だそうで・・・」
「その状態じゃ、変な物は持って来れないと思って、見舞い品なしで来たよ」
「見舞いって、武邑さんだって、まだ入院患者じゃありませんか」
「それがさ、あの長沼間さんが、多忙の合間に何度か見舞いに来てくれてさ、そのたびにお見舞い品持ってくるんで、病室が果物やらなんたらフラワーのアレンジメントやら雑誌やら増える一方でさ~。それで、その中の一つでも持って来てあげたかったんだけど」
「へえ、あの長沼間さんが?」
「君の所へは?」
「ええ、何度か来られましたが、看護師長さんから長居を止められているらしくて、私の様子だけ見てすぐに帰られるそうで」
「そうでって、君は知らないのかい?」
「いえ、その時は覚えているのですが・・・」
「え?」
「あの時以来、最近の記憶が曖昧になるんです。だから、この頃必ずメモを取ることにしているんです」
 そういうと、松川は枕元のメモ帳を手に取って言った。
「脳内にたまった血のせいらしいのですが」
「じゃあ、手術で治るんだね」
「まあ、どの程度かわかりませんが」
「きっと大丈夫さ。じゃあ、長沼間さんは来ても長居出来ないんだ」
「はい。忙しいこともあると思いますが」
「そうか。それなら安心・・・」
「え?」
「いや、僕の所に来た時も顔を見たらすぐに帰るからさ~」
「やだなあ、武邑さん」
「ところで、君、あの時のこと、何か少しは思い出したかい」
「それが、長沼間さんにも何度も聞かれているらしいのですが、記憶が断片的で、しかもぼやけているんで何が何やら。これも手術してたまった血を除去すれば、治る可能性が高いそうですが」
「そうか。しかし、大変だなあ、君も」
「ただ、ひとつ、何か違和感があるんです。私の襲われた前後があやふやなせいだと思うのですが・・・」
「まあ、焦らないことだな」
「でも、何か引っかかる・・・。あの、武邑さん、あなたもひょっとして何か気になることが?」
「あ? ・・・ああ、いや、そっそんなことはないよ。だって僕は長沼間さんを信頼しているからね」
「長沼間さんが何か?」
「あ、いや、その・・・。ごめん。忘れてくれ。じゃ、長居したな。また来るよ」
 武邑はそういうと、そそくさと病室を出ていった。
「?」
 松川は少し不審そうな表情をすると、メモを書き始めた。
「6月26日たけむら・・・あれ、漢字どうだっけ。変わった字だったよね。・・・まあいいや。タケムラ先ぱい来る、と。おっと、時間は・・・」
 と言いながら、時計を見た。その時、何かが頭をよぎった。
(長沼間さん? あの時確か結城が現れる前に電話があって、先輩がいないのをすごく怒ってて・・・。でも、長沼間さんはほんとにその時事務所に・・・? まさか結城と・・・)
「うわっ、いた、いたたたた、うう~~~っ」
 松川は激しい頭痛に襲われて考えることを断念した。その直後、看護師が彼のうめき声を心配して飛び込んできた。 

「以上で、事件関連の報告は終わりですが、もう一つ、ご報告があります」
 葛西はそういうとため息をついた。表情も若干憂鬱そうなので、皆の表情が緊張気味になった。
「実は僕、1階級特進しまして」
 と言いながら、もう一度ためいきをついた。
「え? スゴイじゃないですか。朗報じゃん。何で暗いんです?」
「まあ、おめでとうございます」
「で、何になったの?」
「巡査部長です。とは言っても下から2番目なんですけど」
 それを聞いて、由利子が少し驚いて言った。
「部長なのに?」
「そういう階級名なんです。それで、僕は警官になるのが遅かったので・・・」
「・・・けど、何で急に? 多美山さんの代わり?」
 由利子から言われて、葛西が情けない表情で言った。
「代わりでなれるもんじゃないんですけど・・・。本来は試験に合格しないとなれないものなんです」
「じゃあ、なんで?」
「美千代の事件の時、少年二人を身を挺して守ったのと、美千代からの拡散を防いだからということなのですが、その実、警察内の士気を上げるのが目的のようです。多美さんの殉職は警察内でもかなり衝撃だったようで、一部ですが、怖がる者も出てきているのが現状なんです。今はまだ顕在化してませんが、何れ表だって来るだろうと。それから、この前のように現場で指揮するのにヒラの警官ではまずいということもあるようです。まあ、あれが試験みたいなものだったようですけど」
「ってか、どうして葛西君が?」
「僕がSV対策室に配属されたのは、K署でいち早くウイルス事件に関わっていたこともありますが、大学で微生物学専攻だったことも大きいのです。普通の警官よりウイルスに詳しいだろうと」
「へえ」
「でも、微生物と言っても僕の専攻は発酵なんです。酒とか味噌とか醤油とかですよ。そりゃあ、基礎的なことは習ってますが」
「実は肉眼で微生物が見える特技があるとか?」
「由利子さんってば、それじゃマンガですよ」
「でも、ある程度微生物にお詳しいのでしょう? そういう方を抜擢することは間違ってないと思いますわよ」 
「ジュン、上の思惑はともかく、あまり考えすぎないことです。大丈夫、君ならやれますよ。キョウも君には期待しているようですし」
「だから嫌なんです。僕にはそんな器ないですよ」
「しっかりしろって。確かに私も少し不安だと思うよ。でも、多美山さんのリヴェンジするんでしょ」
「はい」
「じゃあ、願ったりじゃない」
「はい。それは感謝しています。でも・・・」
「でも?」
 由利子の眉間に皺が寄り始めたので、葛西は慌てて言った。
「いえ、がんばります」
「それでは、カサイ巡査部長の誕生を祝って、こんど祝賀会をやりましょう」
「賛成!」
「私、場所探してみますわ。葛西さん、あとで良い日を教えてくださいな」
「はい。ありがとうございます」
「やった、飲み会だ!」
「最近気の滅入ることばかりでしたものね。由利子さん、十分憂さを晴らして下さいな」
「節度は守ってくださいよ」
 周囲が盛り上がる中、当の葛西は一人で盛り下がっていた。
「あのぉ、盛り上がっている時に申し訳ないですが・・・」
「何よ、アンタがその元ネタやろーもん」
「すみません、あの、由利子さんに警察からの依頼があるんです」
「え? 私に? ・・・ひょっとして、また首実検?」
「そうです。美千代や園山の残した言葉から、いくつかの宗教団体等を絞り込みつつありますので、明日あたり、鑑定してほしいと言うことです。アレク、いいでしょうか?」
「もちろんOKです。明日朝、直接向かわせましょう。ユリコ、いいですね?」
「はい。わかりました。死体じゃなくて良かった」
「申し訳ないです。僕、迎えに行きますから」
「いいよお、朝は公共機関で大丈夫だって」
「いえ、危険をはらむようなことを民間の方に依頼しているのですから、送迎くらい当然です」
「ユリコ、お言葉に甘えたらいいですよ。僕もその方が安心するし」
「わかった。お願いする」
 と、由利子が渋々了承した。
「じゃあ、用件も終わりましたし、僕、そろそろ帰らないといけません」
 と言うと、葛西は立ち上がった。
「おや、残念ですねえ」
「じゃ、私、トイレに行くついでに送ってあげるわ」
 そういうと、由利子も立ち上がった。
「ついでですか」
 葛西はそれでも少し嬉しそうに言った。

 二人が出て行った後、ギルフォードがすこしつまらなそうに言った。
「なんだかんだ言ってもジュンはユリコと一緒だと嬉しそうですね」
「彼はストレートですもの。それに、お似合いだと思いますわ」
「そうでしょうかねえ」
 その時、どこからか聞きなれた声が聞こえた。
「浮気はあかんでかんよ」
「うわ」
 突然聞こえたパートナーの声に、ギルフォードは驚いて椅子からずり落ちかかった。
「ま、殿方って、みなさん似たような反応をなさいますのね」
 と、紗弥がヴォイスレコーダーを片手にして、呆れて言った。
「ジュリーが浮気防止にって預けて行きましたの」
「脅かさないで下さいよ、もう」
 ギルフォードは椅子に座りなおしながら、口をとがらせて言った。

 由利子と並んで歩きながら、葛西が言った。
「美月ちゃん、僕に全然寄ってこなかったですね」
「ごめんね。あの子、もともと臆病だったのが、事件以来さらに臆病になってしまって・・・」
「そうですか。美月ちゃん、美葉さんを守ろうとして、すごく頑張って結城に立ち向かったんですね。彼女こそ、本当のヒーローです」
「そうね。表彰ものだよね」
 由利子が相槌を打った。すると、葛西がまたため息をついた。
「どうしたん?」
「僕・・・、さっき言えなかったことがあるんです」
 葛西は由利子と並んで歩きながら、ぼそりと言った。
「僕はいいんです。だって、僕は多美さんに誓ったから。何があってもこの事件の犯人を捕らえてテロの進行を阻止するって。だけど、もし、巧を焦ったり血気に逸ったりして命を落とす警官が出てきたりしたら・・・」
「葛西君?」
「現場にいる者からすれば、士気を上げればいいってものじゃないんです。下手すれば犬死することになりかねないんですよ。今はまだ、世の中は穏やかですが、これからどういうことになるかわからないのに」
 すると由利子は葛西の前についと出て立ち止まり、彼の顔をじっと見て言った。
「葛西君はあの時、功名心から子供たちを守ったの?」
「いいえ。あの時はただ、祐一君たちを危険から守りたくて・・・。警官ってのはそういう職業なんです」
「他の警官だってそうでしょ。そんなこと、葛西君が気に病むことじゃないって思うよ。それより、葛西君自身が気を付けてほしいの。あんた、見かけによらず無茶するんだから」
 由利子はそういうと、心配そうに葛西の顔を見た。それで、葛西は嬉しそうに言った。
「由利ちゃん、心配してくれてるんだ。嬉しいなあ」
「誰が由利ちゃんだっ」
「どうもすみません」
「もう、油断できないんだから・・・」
 そういう由利子の目は少し笑っていた。
「あ、もう棟の出入り口まで来ちゃったね。じゃ、お見送りはここまでだ」
「はい。では、後日お会いしましょう」
「遅くても、お祝い会には会えるよね」
「はい」
 そう返事をしながらも今いち覇気のない葛西に、由利子は業を煮やして言った。
「ほらあ、しっかりしなさい。警視総監目指すつもりで頑張って」
「僕はノンキャリですから、それは無理だと思います」
「じゃ、警部目指して頑張って」
 由利子は励ますつもりだったのだが、葛西は少し引き気味に言った。
「あの、不吉なこと言わないでくださいよ」
「え?」
 階級に詳しくない由利子は葛西の言った意味が分からずに一瞬きょとんとした。それを見て、葛西が少し笑って言った。
「それに、目標が下がりすぎです。目指すなら警視長ですよ」
「そうなんだ。マンガなんかで出てくるエライ警官がたいがい警部なんで、つい」
「そうですよね。銭型警部とか剣持警部とか田鷲警部とか」
「タワシ警部? って、(鉄腕)アトムの? あんたいくつよ」
「あはは、古すぎましたね。F県警の半■健人とお呼びください」
 葛西は笑いながら言ったが、すぐに真面目な表情に戻りビシッと敬礼をした。
「では葛西巡査改め、葛西巡査部長、これから持ち場に戻ります」
「うむ、がんばりたまえ」
 と、由利子が両手を腰に当てて威張ったポーズで答えた。
「じゃっ。実は予定時間より若干オーバーしてるんです」
 葛西はそういうと、もう一度敬礼して踵を返し、駈け出した。途中、道幅いっぱいに並んだ学生の一団にぶつかりそうになり、「ごめん」と頭を下げてまた駈け出した。どんど小さくなる葛西の姿を見て、由利子は言いようのない不安を覚えた。
(やっぱ、警官の家族って半端なく覚悟が要るよなあ・・・)
 由利子はすでに葛西の姿の見えなくなった道を見つめながら、つくづくと思った。

 その頃、感対センターの高柳らは戸惑っていた。河部千夏の症状が、今までと少し違うように思えるのだ。三原が高柳に戸惑いのまなざしを向けて言った。
「どうしたんでしょう。全身に発疹だなんて初めてです。今まで部分的にポックス様疱疹が出ていたことはありますが・・・」
「いや、実は、駅で死んだ男や冷蔵庫で見つかった男の遺体にも、その形跡があった。あくまでも仮定だが、ひょっとしたら、これはさらに進化したウイルスの可能性があるぞ」
「ええ? そんな・・・。今までのウイルスに対してすら対抗で来ていないのに、進化系だなんて」
 三原はそう言いながら不安そうに千夏の方を見た。
 

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5.微光 (4)インフォーマー

 放課後、タミヤマ・リーグの4人は例によって連れ立って下校していた。相も変わらず彩夏と良夫は半分口げんか状態で議論を交わしている。祐一は時折口を挟みながら、二人がヒートアップしないようコントロールしていた。勝太はその中にいまいち入り込めず、やや遅れて歩いていた。話が高度な上に二人が早口すぎてついていけなかったのだ。
 そんな勝太に声をかける者がいた。勝太が振り返ると、そこには例の転校生がいた。
「やあ!」
 と、転校生、月辺城生は親しげに手をあげて言った。対して勝太は不審げに答えた。
「? 月辺君、何か用?」
「いや、何か面白くなさそうに歩いていたからさ」
「そんな風に見えたかなあ」
 と、勝太は心外だと言う表情で言った。しかし、城生はそれに構わず続けた。
「そりゃ、面白くないだろ。だってさ、錦織さんみたいなかわいい子が、西原君ならともかく、よりによって佐々木みたいな冴えないチビと仲よさそうにしててさ」
「おれ、そんなこと気にしてないよ」
 勝太はそう言いながら、立ち止まった自分に気付かずどんどん先に行ってしまう友人たちの後ろ姿を少しさびしそうに見た。
「だってほら、現に置いてけぼりにされてるじゃない」
「そんなことないっ! ちゃんと気が付いて待っててくれるから」
 勝太は強い口調でもう一度否定した。しかし、自分が敢えて気付かないようにしていたことを、昨日転校してきたばかりの級友に指摘されて、内心うろたえていた。
「何でそんなこと言うのさ」
 勝太は、東京から来たばかりの級友に馬鹿にされないよう、勤めて標準語を使って言った。城生はふっと笑って答えた。
「僕は君たちに興味があるんだ。だって、なんかチグハグでさ、共通点がなさそうじゃない? どうして君たちが釣るんでいるのか知りたくてさ」
「そんなこと、君に言う必要ないよ。じゃっ」
 勝太はそうつっけんどんに言うと、城生に背を向けようとした。しかし、城生は勝太の肩を掴んで引き戻し、じっと目を見て言った。
「君、ムリしない方がいいよ」
「月辺君・・・」
 勝太は城生に心を見透かされているような気がして、うろたえて目をそらした。確かに、美少女の彩夏が良夫と腹蔵なく言いあっているのを見て、羨ましいと言うより妬ましいような気持ちになっている自分に気が付いていた。勝太はやや目を泳がせて、3人の方を見た。その時、彩夏が振り返り勝太に気が付いた。彼女は眉をひそめるとツカツカと城生に近づいて言った。
「田村君に何か用?」
「いや、なんかつまらなさそうにしてたからさ」
「そんなことない! 行こ、田村君。じゃ、ね、月辺君。ごきげんよう」
 彩夏は城生に向かって挑戦的な微笑みを投げかけながら言うと、勝太の手を引っ張って行った。
 城生から去って行く二人に残りの仲間が駆け寄っていくのを見ながら、城生はシニカルな笑みを浮かべていた。その横に、すうっと一台の車が止まり、後部座席の窓が開いた。下校中の生徒たちが少しざわめいて言った。
「うわ、ハイブリット・カーやん」
「びっくりした。ほんっと静かやねえ」
「エコカーやもん」
「あれ? あの車の中の人、テレビで見たことある」
 城生はその声を耳にしながら誇らしそうに言った。
「長兄さま。どうしてここへ?」
「講演でこの街に来ていたので、せっかくだから様子を見に来たのです。どうぞお乗りなさい。いろいろお話をお聞きしたいと思います」
 すかさず運転手が降りてきて、ドアを開け、城生は悠々と車に乗った。周囲の生徒のみならず、一般の通行人も羨ましそうにそれを見ていた。

 彩夏は勝太の手を引きながら、足早にずんずんと歩いていた。勝太は半ば引っ張られたように歩いている。他の2人も早足で後を追った。勝太は不安げに彩夏に聞いた。
「錦織さん、どうしたの? 怒ってるの?」
 ひょっとして、話の内容がわかったのかな・・・。勝太は思った。しかし、彩夏は違うことに怒っていた。
「田村君、あんな奴と話をしないで! あいつ、転校したてであんなことを言ったのよ。ろくでもないヤツだわよ」
 彩夏は、城生が死んだクラスメートの存在を事実上無いものにしたことに腹を立てていた。あれから彼は雅之の席に座り、その上教室に残った雅之の名前をすべて消し、そこに自分の名前を書いてしまったのだ。しかも、彼の行動に同調する生徒たちが少なからずいたことも気に食わなかった。
「確かに、秋山君ってちょっとやな奴だったと思うわよ。でも、死んだりしなかったら、ひょっとしたらいつか仲良くなれたかもしれないのよ。それを、あいつは・・・。しかも、みんなもそれに賛同するなんて、友達甲斐なさすぎるわよ。月辺君と違って、みんな秋山君を知っているのよ」
「確かに、それは僕も思うよ。雅之、本当はすごいさびしがり屋だったし、みんなに溶け込めなくて悩んでいたんだと思う」
 と、祐一が言った。その後ろで良夫が少し息を切らせながら言った。
「ボ・・・、ボクは正直、秋山君なんてどうでもいい・・・けどさ、あいつがあんなこと言うことないと思う・・・」
「でしょ。佐々木ですらそう思うのよ! あいつ、絶対に冷酷な奴に違いないわ」
「ボクですらって、あのね!」
「あらぁ、気に障った? ごめんなさ~い」
「このお、せっかく見直したって思ったとに」
「だって、佐々木じゃん」
「呼び捨てにすンな!」
 再び言い合いをする二人を見て、祐一と勝太はお互い顔を見合わせて肩をすくめた。

 長兄こと碧珠善心教会教主、白王清護(すめらぎしょうご)は、F県支部に戻り教会参謀であり腹心である月辺洋三の息子、月辺城生を自室に迎えて、彼の話を優しい笑みを浮かべて聞いていた。
「・・・と言うことですが長兄さま、あの西原祐一という少年、思った以上に愚かな俗人ですね。彼と同調する者たちも、勘違いした友情に惑わされて真実が見えていません。秋山雅之は罪を犯した故に死んだのです。それを、未だに愚図愚図と引きずっているのですから」
 城生は、年の割にかなり大人びた口調で言った。清護は微笑むのを止め、真摯な表情で訊ねた。
「そうですか? でも、彼らと接触したいと言って、監視役に名乗りを上げたのは君ですよ」
「それは、長兄さまが監視したいとおっしゃった連中に興味を持ったからです。しかし、あんな奴ら、恐るるに足り得ません」
「それでも、例の件について気付いている数少ない民間人です。大事の前には微小な不安因子も警戒せねばなりません」
「大丈夫ですよ。僕は違う意味で彼らに興味を持ちましたから、監視は怠りません。お任せください」
「君は父親以上に自信家のようですね。行く末が楽しみです」
「成人する頃には父を追い越して、参謀の地位に成り代わって御覧に入れますよ」
「それは頼もしい。その時を楽しみにしていますよ」
 そういうと清護は立ち上がって言った。
「今日は引き留めて申し訳ありませんでした。おかげで興味深いお話を聞くことが出来ました」
 城生は、恐縮しながら立ち上がって恭しく礼をした。
「もったいないお言葉を賜り、嬉しく思います」
「お父様がエントランスまでお迎えにいらしています。あまりお待たせするのも申し訳ないですから、早く行って差し上げなさい」
「はい、それでは失礼いたします。
 城生は再び丁寧に礼をすると、ドアに向かって進み、部屋を出る時に三度目の礼をして清護の部屋から去って行った。右掌を手刀にし掌を下にして左胸に充てながら深く礼をする、教団独特の作法だった。これは、心臓をも碧珠(地球)とその憑代の教主に捧げると言うことを意味していた。
 清護は応接セットから自分の机に戻り、腰かけると軽くため息をついてつぶやいた。
「君は少年時代の僕によく似ている・・・。自信家で野心家で不遜で・・・。母や取り巻きに囲まれて、時期教主と祀り上げられ、父にせがんで半ば強引に視察について行った。そこで僕は打ちのめされたんだよ。君もいつかそういう思いをするかもしれないね」
 清護は机の引き出しを開けて、紙切れを手に取った。昔の教会リーフレットの切り抜きで、まだ少年の清護が教祖であり前教主の父親とアフリカ現地の少年たちと共に笑顔で写っている写真がカラーで載っていた。
「僕だけ・・・」
 彼は苦悩と笑みの入り混じった表情でつぶやいた。その時、モニターフォンから声がした。画面を見ると、遥音涼子が立っていた。
「遥音です。緊急にお伝えしたいことが・・・」
「どうぞ、お入りください」
 清護はすぐに平静に戻り応答すると、すぐさま遥音涼子が部屋に入って来た。表情が心持固い。彼女はしかし、無表情を保ったまま言った。
「IMC(感染症対策センター)にいる手のものから連絡が入りました。瀬高亜由美が亡くなったと」
「瀬高亜由美・・・。ああ、C川の浮浪者から感染したお嬢さんでしたね」
「はい。少し症状が特異でしたので、気になって追跡調査させていたのですが、2日前くらいから容態が悪化しており・・・」
「特異な症状?」
「特に呼吸器における症状が激しく、連日喀血を繰り返していたそうです。おそらく大量のウイルスを吸い込んだ結果だと思われます」
「それは面白い。ウイルスを空中散布することによって、より脅威が増す可能性があるということですね」
「はい。それと、夫から感染した河部千夏ですが、全身に発疹が現れた模様です。これは我々も予想していたことですが」
「改良型のウイルスを使っていたからでしたね」
「はい。ただ、あれはまだ安定していませんでしたから、今後感染者が続けて出るとは考えにくいと思います」 
「強すぎる故に長持ちしないと言う訳ですね。まるで加速する文明の進歩に振り回されている人類のようです」
「それから、これは別件ですが・・・」
 と、涼子は少し言いにくそうにして言った。
「神祖さまが、朝からずっと長兄さまをお呼びです。しばらくお顔を見せていらっしゃらないから・・・」
「わかりました。後で顔を出しますので、ご安心ください」
「それでは、これにて失礼いたします」
 涼子は、清護の温和な表情の中に不機嫌さを認め、そそくさとその場を去って行った。
「母・・・か。あんなになっても、まだ僕を支配しようとする・・・」
 清護はそういうと、くっくっと嗤った。

 ギルフォードたち3人は高柳から緊急に呼ばれ、美月をギルフォードのマンションに置いてから感対センターに向かった。そして、着いてから新たな死者のことを知った。しかも、病院内が妙にざわついていた。
 ギルフォードは首をかしげながら紗弥と由利子に言った。
「何があったんでしょう。今まで死者が出てもここまで混乱したことなどなかったのに・・・」
 混乱・・・。まさに混乱と言うにふさわしい状況だった。
(”まさか、ウイルスが漏れ出したんじゃねぇだろうな”)
 しかし、ギルフォードは一瞬浮かんだその不安を一蹴した。その場合、すぐさまこの病院は封鎖され、自衛隊第4化学防護隊の監視下に置かれるだろう。それよりも、3人は病院に広がる異様な空気を感じ取っていた。ちょうどそこに通りかかった春野看護師を、ギルフォードが呼び止めた。彼女は何かに夢中になっているようで、まったくギルフォードたちに気付かなかったので、声をかけられたあと、飛び上がらんばかりに驚いた。
「あ、アレク先生」
 春野は声の主を確認すると、ほっとしたように言った。
「瀬高亜由美さんが亡くなられたのですが、どうやらウチの看護師が見かねて生命維持装置を切ってしまったかららしいんです。今、センター長と山口先生がその看護師から事情を聴いているところなんです」
「え? それはマズイです。殺人罪で逮捕されてしまいます」
「教授、今回のような事例に関しては、容認される場合がありますわ」
 と、紗弥が付け加えた。由利子が間を置かず質問した。
「で、その看護師さんって誰ですか?」
「あの、多分みなさんご存知かと思いますが、甲斐・・・甲斐いず美です」
「え? 甲斐さんが?」
 由利子と紗弥はほぼ同時に声を上げた。彼女とは先週親しく話をし、二人が親近感を持った看護師である。
「いったい、なんで・・・」
「わかりませんが、気持ちは想像つきます。特に、甲斐さんは瀬高さんと仲良くなっていたみたいですから、見兼ねてというのはよくわかります。もともと患者さんに対して、感情移入するタイプでしたから。咳は異常に激しいし、呼吸すること自体が苦痛だなんて・・・。あ、そろそろ行かないと・・・。みなさんすみません」
 そういうと、春野はパタパタと駈け出した。
「看護師が死なせることを選ぶなんて、どんなに・・・」
 由利子はそこまで言うと、言葉を詰まらせた。
「僕はどちらも経験しましたから、どちらの気持ちもわかります。どうせ死ぬならいっそ殺してくれと。それに、感染末期の断末魔の中、それでもなかなか死にきれない患者の苦しみを目の当たりにすると、自分の中でドクター・キリコの言い分が正当化されてしまうこともあります。僕はそこでナントカ踏みとどまりました」
 ギルフォードはそこまで言うと、困った顔をした。
「それはそれとして、高柳先生が僕を呼んだのはこの件なのでしょうが、呼んだ本人の手が離せないんじゃ、こっちも動きようがありませんね」
 そう言って肩を竦めた時、山口医師がギルフォードを見つけて足早によってきた。
「アレク先生。高柳先生が助手の方たちと一緒に至急センター長室に来てほしいと・・・」
「わかりました。すぐに行きます」
 そう答えると、ギルフォードは紗弥と由利子に「いきましょう」と合図して歩き始めた。

 途中、中年の夫婦らしき二人が何やら騒いでいる現場に遭遇した。話の内容から、瀬高亜由美の両親らしいことが判った。母親は泣き崩れ、それを支えながら父親が三原医師に怒鳴り散らしていた。担当の看護師を出せと言っているようだった。3人は顔を曇らせながら黙ってその傍を通りすぎた。 

 3人がセンター長室に入ると、高柳が彼らを迎えながら言った。
「呼びつけてすまなかったね。ちょっと不測の事態が起こったもので・・・。いや、十分想定できたことかもしれないが・・・」
 そう言ったあと、高柳は次に甲斐の方を見て言った。
「君の気持ちは十分にわかるよ。しかし、医療に携わる者としてはやはり越えてはいけない一線と言うものがあるんだ。わかるね?」
 甲斐は無言で頷いた。存外取り乱している様子も泣いたような形跡もない。むしろ、精も根も尽き果てて果てて無気力になってしまっているのだろう。
「君は今日はもう持ち場に戻らなくてもいい。休憩室で休んでいなさい。後で警察の・・・」
 高柳はここで少し言葉を選ぶように間を開けた。取り調べという言葉を使うのを憚ったのだろう。
「事情聴取がある。その時はしっかりとありのままを話すんだ。いいね?」
 甲斐看護師は、無言で立ちあがり一礼した。そのまま部屋から出ようとする甲斐を、高柳が引き留めて言った。
「ちょっと待ちたまえ。すまないが、お嬢さん方」
 と、高柳は次に由利子たちを見て言った。
「休憩室で甲斐くんに付き添っていてはくれまいか? ごらんのように、ここは手いっぱいでね。かと言って彼女を一人にするのは心もとない」
「センター長、私はだいじょうぶ・・・」
 と、甲斐が言いかけたが、二人は快く答え立ち上がったた。
「承知いたしましたわ」
「さ、甲斐さん、一緒に行こか」
 3人は連れだって部屋を出て行った。

「実は、困ったことになっている」
 3人が去った後、高柳はため息交じりに言った。
「それは、看護師が患者の生命維持装置を切ったとなると・・・」
「いや、そうじゃない。それに関しては、この感染症については症状に改善がなければ患者が望まない限り延命すべきではないという方向に転換しつつあったんだ。それよりも困った事と言うのは、君が危惧していたようなことさ」
「ひょっとして、病院スタッフの間に不信感が?」
「その通りだ。お互いに疑心暗鬼になっている。もとよりこの病院のスタッフにはこのウイルスの特異性について多少は説明しているだろう? それが仇になって、内通者探しにまで発展しそうな勢いなんだ。そんな時に甲斐くんがああいうことをしたものだから、彼女に疑いがかかってね」
「でも、ユリコだけじゃなくサヤも彼女には好意を持っているみたいですし、そんな怪しいカンジはしませんですが・・・」
「僕にもそういう印象があるのだが、園山君だって微塵も怪しい様子は見せなかったんだ。厄介な話だがね」
「では、高柳先生も彼女を・・・?」
「いや、僕はまだ冷静だよ。それに、園山君だって患者には誠心誠意尽くしてくれたんだ。僕はスタッフを信じるよ。今まで通りにやっていくさ。しかしな、スタッフの間がぎくしゃくしてしまっては・・・」
「大丈夫ですよ。高柳先生にそういう気持ちがあれば、スタッフはそう簡単にバラバラになったりしないと思いますよ。・・・それで、用件はそのことだったのですか?」
「いや。実は、今度の患者の様子がなんか今までと違うのでね。君の感想も聞きたいと思ったんだ。ちょっとついてきてくれたまえ」
 そういうと高柳は立ち上がった。

 由利子と紗弥は甲斐看護師と共に休憩室に向かって歩いていた。二人はすれ違うスタッフたちが甲斐を見てなにかこそこそ話していることに気が付いていた。やはり気のせいじゃない。いつもと雰囲気が違う、と二人ともがセンターに漂う嫌な空気を再び感じとっていた。途中、どこかから怒鳴り声が聞こえ、甲斐がびくっとした。皆、それが亜由美の父親の声だとわかっていた。
 休憩室に着いてから、ソファに腰かけても3人とも無言だった。テレビはあったがそれを点けるのもはばかられるような雰囲気が続いた。甲斐はそれほど思いつめたような表情をしていたのだ。
 とうとう由利子がいたたまれなくなって言った。
「そうそう、今日ね、茶柱が3本立ったんだ。 ここ、ケータイつけて大丈夫かな」
「はい、ここは携帯電話可能なエリアです。院内全部で使えなかったら大変でしょ? 私も防護服の時以外はケータイをポケットに入れてますよ。もちろん禁止エリアでは電源を切っていますが・・・」
 と、甲斐は少し笑顔で言った。力ない笑顔だった。
 由利子は携帯電話の電源を入れると、写真データから例の茶柱画像を画面に出して見せた。
「スマホじゃないし、機種も古いんでちょっと小さいけど・・・」
「あ、ほんとだ。すごいですね。茶柱なんてなかなか3本も立ちませんよ」
「紗弥さんが入れたお茶よ」
「へえ、さすが紗弥さん、職人技ですね」
「そんな。立てようと思って立てられるものじゃありませんわ」
 紗弥が珍しく照れくさそうに言った。
「あら?」
 と、甲斐は何かに気付いて言った。
「これにちょっとだけ写っているのは外人さんですよね? でも教授じゃないみたいな・・・。あ、女性?」
「彼女ね、教授と紗弥さんの知り合いの人よ。米軍の将校さんですって。何故か教授は不機嫌だったけど」
「まあ・・・。素敵な赤い髪ですねえ。顔は写ってないけど、きっとお綺麗な方なんでしょうね」
「すごいの。赤い髪をポニーテールにしてて・・・」
「あれ、ウィッグですわよ」
「へ? ヅラ? あれが?」
「はい。もともと彼女は金髪でほぼ角刈りに近い短髪なんですが、それでは普段着で男性と間違われて公衆トイレに入るのも一苦労らしくて」
「なんで赤毛なの?」
「単なる趣味ですわ」
「赤毛のアンの愛読者とか?」
「いえ、昔のアメコミに『ローズ&ソーン(薔薇とイバラ)』というのがあったそうなんです。何でもヒロインが赤いウイッグを被って悪と戦う話で、彼女はそれが大好きで、赤のウィッグを被るのがあこがれだったそうなんです」
「へえ、面白そうだね。読んでみたいな」
「日本語版は出てないと思いますわ。本国でも多分絶版なんじゃないでしょうか」
「ちぇっ、残念。絵だけでも見たかったなあ」
 話が盛り上がってきたように思えたが、その後の会話がさっぱり続かなくなってしまった。甲斐が、また思いつめた表情に戻り、黙り込んでしまったのに気が付いたからだ。
(仕方ないか。あんなことのあったすぐ後だもんなあ)
 そう納得すると、由利子は無理に会話を続けるのをあきらめた。3人とも黙って、まるでお通夜のような雰囲気だった。スタッフの二人連れが休憩室のドアを開けたが、室内の重い空気を感じ取ったのか、慌ててドアを閉めた。由利子と紗弥はふっと顔を見合わせた。その後紗弥がつと立ち上がって、テレビ横に置いてあるマガジンラックから週刊誌を一冊抜き出しソファに戻ると読み始めた。紗弥さんも間が持たないんだなと思いながら、彼女が親父向けの週刊誌を手に取ったことに少なからず驚いてしまった。
 しかし、間が持たない。由利子は週刊誌にあまり興味がなく、かといってここには由利子の読みたいようなものが置いていなかった。やっぱりテレビつけようかな、と思った時、甲斐が言った。
「私、やっぱり亜由美さんのご両親と会います。会ってありのままをお話しします」
「ちょっと待ってよ」
 由利子は焦って止めた。
「聞いたでしょ、あの怒号。今行ったらあなた、確実に責められるわよ。先方が少し冷静になるまで待った方が・・・」
「それでもお会いしたいんです。そして、亜由美さんのことをお伝えしたいんです」
 甲斐は、覚悟を決めたようだった。
「わかった。それじゃ、私も付き添うからね」
「私も行きますわ」
 そう言うと二人は甲斐とほぼ同時に立ち上がった。
  


 

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5.微光 (5)コントラディクション~矛盾~

「あんたが亜由美を殺した看護師か!?」
 霊安室の続き部屋で、男性の怒号が飛んだ。

 ここは、遺族がSV(サイキウイルス)感染で死亡した患者と最後の対面をする場所で、霊安室とは分厚いガラス窓で仕切られている。

「返して! 娘を返してちょうだい!」
 男性の声に続いて女性の悲痛な声が響いた。
「やっと亜由美に会う心の準備が出来たというのに・・・、まだ生きていたかもしれないのに・・・」
「すみません、すみません・・・」
 甲斐いず美は、ずっと頭を下げたまま謝り続けていた。由利子と紗弥は、その状況を見ながら何も出来ないでした。下手に口を出すと、余計に話がこじれかねないことが判っていたからだ。由利子は甲斐を責める両親の後ろで泣いている、亜由美の妹と思われる中学生くらいの少女に目をやった。彼女はガラス窓の向こうの姉に向かい、用意された椅子に座ってがっくりとうなだれていた。何故か彼女は一度も両親の方を見なかった。しかし、父親の怒号にびくっと肩を震わせたので、心非ずといった状態ではないようだった。むしろ、敢えて両親の方を見ないようにしているような風情があった。

 霊安室の亜由美の遺体は感染防止の遺体袋に入ってストレッチャーに寝かされていた。ブルーの遺体袋の頭部分のジッパーが開かれ、もう一枚透明の袋に入った亜由美の顔が確認できた。綺麗に清拭されているものの、顔のあちこちに内出血のシミが広がり、表情にも苦悶の跡が残っている。

 亜由美の両親は甲斐を責め続けたが、甲斐は一言の反論もせずにただじっと頭を下げていた。今何を言っても聞く耳を持ってくれないのは明らかで、甲斐は両親の落ち着くのをじっと待つつもりなのだと由利子は思った。
 しかし、由利子は亜由美の両親と妹との温度差に違和感を覚えていた。両親は一度も亜由美の遺体の方に目をやらなかったからだ。

 亜由美の父親の怒りは収まるどころかヒートアップしていった。ついには、自分は弁護士だから必ず訴えて有罪にしてやるとか、二度と看護師は出来ないようにしてやるとか脅しめいたものになっていた。
 由利子は紗弥をこっそりと突っついて小声で言った。
「訴訟って、甲斐さん大丈夫なのかしら」
「刑事事件で告訴されても仕方ない事例ですが、なんかあの父親の態度は釈然としませんわね」
「釈然としない、そうそれよ。娘さんが亡くなったんだし、甲斐さんがそれに関わったのは事実なんだけど・・・」
 二人が心配そうに話していると、言い訳もせずにただただ謝る甲斐に対して余計に怒りを募らせた父親が更に声を荒げて怒鳴った。
「土下座しろ、人殺しめ!!」
 その怒号を聞いて、大柄な男性が駆け込んできた。甲斐を心配して様子を見に来ていた三原医師だった。
「どうかされましたか?」
 そう言ったものの、三原は部屋の状況を見て何が起こっているのか瞬時に理解し困惑しながら甲斐の方を見た。甲斐は一瞬戸惑ったが、すぐに意を決してかがもうとした。由利子が見兼ねて出ていこうとしたのを紗弥が止めた。と、同時に悲鳴に近い叫び声が響いた。
「やめて~~~ッ! もうやめて!!」
 叫んだのは亜由美の妹だった。

 ギルフォードは、高柳と共に河部千夏の部屋のガラス窓の前に立っていた。窓の向こうにはベッドに座った千夏の姿があった。
「これは・・・」
 ギルフォードは一瞬絶句した。
「カワサキさんと同じポックス様発疹・・・、いや、それ以上に広がってますね・・・」
「ああ」
 と、高柳が厳しい表情で言った。
「この様子では、体の方にも?」
「そういうことだ。今までも発疹が全身に出た患者がいたが、ここまで痘瘡に似たものが出たのは初めてだよ。ただ、痘瘡の場合は、体躯の方の発疹は少ないものだが、彼女の場合、体の方にもかなり発疹が出ているんだ」
「サイキウイルスの新種なのでしょうか・・・」
「わからん。念のため調べたが既存の病原体は発見されなかった。もちろん痘瘡でないことは確かだ。発疹の出方も若干違う。判ったのは厄介なことが増えたということだけだな。これも検体を送って調べてもらわんといかんだろう」
「クリス・・・ジュリーの兄が泣いて喜びますよ」
 ギルフォードはため息をついて言った。その時、千夏がか細い声で言った。
「もう、見ないでください。・・・こんな、こんな醜い・・・」
「ああ、すみません。どうぞお休みください」
 ギルフォードは恐縮して言った。こんな姿を人に見せるなんて、若い女性には死ぬほど辛いことだろう。ましてや、外国人の自分に・・・、とギルフォードは思った。
 千夏は、ベッドに横になると、布団をかぶって丸まった。布団の山がかすかに震えていた。
「チナツさん?」
 ギルフォードが優しく名を呼んだ。
「ダイジョウブです。病気が治ったら、顔もきっと元に戻りますよ」
 ギルフォードは気休めにしかならないと思ったが、言わずにはおられなかった。その時、千夏がふとんをがばっと脱いでベッドに体を起こして言った。
「気休め言わないで! この病気の致死率くらい知っているわ! しかもこんな顔になっちゃって、万一治ったってひどい痕が残るに違いないわ。そんなら死んだ方がましよ!!」
 千夏はそう言うなりわあっと泣きだした。看護師が驚いて千夏に駆け寄った。
「河部さん、落ち着いて。ほら、横になって安静にしなきゃ・・・」
 看護師は千夏を再び寝かせると、ギルフォードの方を見て言った。
「ギルフォード先生、患者さんを興奮させるようなことは・・・」
「スミマセン、そんなつもりはなかったんですケド・・・」
 ギルフォードは少し困惑して答えた。
「チナツさん、ゴメンナサイね。でも、もう少し僕の話を聞いてください」
 千夏の反応はなかったが、否定もなかったのでギルフォードは続けた。
「実はね、僕も20年以上前にですが、アフリカで出血熱に感染したことがあるんです。その時、同じ病気で恋人を失いました」
 千夏が驚いて顔を上げ、ギルフォードを見た。
「その病気は、あなたのものとは違いましたが、致死率も高く、感染者にひどい仕打ちをするところも同じでした。僕は、高い熱が続いた後、全身に紅い発疹が広がり、皮膚がぶよぶよになってほとんど全身の皮膚が剥がれました。髪の毛も全部抜けちゃいました。本当にもう、ひどい有様でしたよ。なんせ、ナースたちが誰も鏡を見せてくれなかったくらいですから」
 気が付くと千夏は真剣にギルフォードの話を聞いていた。
「でもね、ガラス窓に写ってた自分の姿を見ちゃったんですよ。文字通り腰を抜かしましたよ。ホント、死にたいと思いました」
「うそ・・・。だって顔も髪も全然何ともないじゃないですか」
「ホントですよ。ほら見てクダサイ」
 ギルフォードはTシャツをめくって自分の腹を見せた。
「ちょっ…何を」
 千夏は一瞬どぎまぎしたが、ギルフォードの示した場所を見て驚いた。そこには左横腹から背中の一部にかけて軽いケロイド状の痕が残っていた。更に彼は前髪を上げて見せた。
「顔にも額の左側に薄く痕が残っています。生え際もちょっと変でしょ。これは、ヤケドではないです。一部が二次感染して壊疽を起こしてしまい、皮膚深く損傷したせいだろうということでした。でも、この病院はいろいろ設備が整っていますから、そのようなことはまず起こらないです」
 ギルフォードは千夏を安心させるために、出来るだけ笑顔で話しかけていた。千夏はギルフォードに対する警戒を徐々に緩めていった。
「僕は、一生こんな姿なんだって落ち込んで、病室からも一歩も出なかったんです。カーテンを閉め切ってね。でも、ある時かさぶたが落ちて、下から元どおりの皮膚がのぞいていることに気付きました。髪も徐々に生えてきました。皮膚を作る組織や毛根まで死んでいなかったんです。半年かかったけど、僕はほとんど元の姿に戻ることが出来ました。実は、髪の方にもちょっとだけ十円ハゲが残ってしまいましたが・・・。いや、一円くらいかな。僕の長髪は、それを隠すためです。これは、誰にもナイショですよ」
 ギルフォードは唇に人差し指をあてながら、千夏とそばの看護師に軽くウインクをして言った。それを見た高柳が言った。
「ところで、私も聞いているんだが」
「じゃあ、センター長には秘密のキッス・・・」
「うわぁ、いらん!!」
 高柳が本気で断った。その様子があまりにも意外で可笑しかったのか、千夏がぷっとふきだして笑った。
「あ、笑顔になりましたね。その方がいいですよ。ミリョクテキです」
 と、ギルフォードも一層の笑顔で言ったが、すぐに真面目な顔になって続けた。
「チナツさん、あなたと僕の病気は原因ウイルスが違うし個人差もあるから、僕と同じにあてはめることは出来ないでしょう。でも、万一多少痕が残ったとしても、今はお化粧で十分にカバーできます。大事なのは、先ず生きることです。意気消沈しているあなたのダンナさんのためにも」
「あの人、そんなに・・・?」
「ええ、とても。ご自分のせいだと言ってすごく責任を感じていらっしゃいます。ですから、もう死にたいなんて言わないで・・・」
「はい・・・」
 千夏はこっくりと頷いて言った。ギルフォードは再び微笑むと言った。
「ありがとう、チナツさん」
「やだ、先生、感謝するのは私の方です」
 千夏は少し困ったような笑顔で言った。その表情には以前の明るさが戻っていた。ギルフォードの横では、高柳が心成しかほっとしたような表情で立っていた。

 落ち着くどころか逆上する一方の父親にたまりかねたのか、とうとう亜由美の妹が悲鳴に近い声で言った。「悪いのはあたしなの。あたしが、もう楽にさせてあげてって・・・。おねえちゃんのこと・・・、もう、見ていられなかっ・・・」
 彼女はようやくそこまで言うと、わあっと堰を切ったように泣きながら床にうずくまった。
「依純美(いずみ)さん!」
 甲斐は彼女に駆け寄ると、優しく背中を撫でて言った。
「違うわ。あなたのせいじゃないの。私ももう限界だったの・・・」
(同じ名前・・・)
 由利子は少し驚いて二人を見た。偶然とはいえ、同じ名前のために共感してしまったのかもしれないと、由利子は思った。
「いずみちゃん!?」
 と、母親が驚いて娘の方を見た。父親は怒り冷めやらぬまま怒鳴った。
「依純美、馬鹿なことを言うんじゃない」
 依純美は一瞬びくっとしたが、意を決したように続けた。
 
「パパもママも、お姉ちゃんが入院した日以来、忙しいからって1日もお見舞いに来なかったじゃない。私ね、学校が終わってから毎日来てたの」
「部活じゃなかったのか? 感染るかもしれないから行くなとあれほど言っていたはずだろう!」
「こんな時に部活なんて出来るわけないよ!」
 依純美は、今度はしっかりと父親の方を向いて言った。その眼には非難の色が見えた。
「お姉ちゃん、最初すごく不安がってて、病気の症状が出てからは、すごく苦しそうだった。それでもあたしが来たら精一杯の笑顔で迎えてくれたんだよ。でも、すごく苦しい時には、死んだ方がましだって言っちゃうこともあったの。そんな時、甲斐さんは何度も励ましてくれた。きっと治るから、頑張ろうって・・・」
 依純美はそこで再び感情が高まったのか、言葉が途切れ涙があふれた。しかし、彼女は涙を流しながら話を続けた。
「だけど、今日はいつもと違った・・・。お姉ちゃん、苦しんで、苦しんで・・・。もう、話せなくなってたけど、目を見てわかったの、おねがい、殺してって・・・。だから、あたし・・・」
「あんた、それを真に受けて殺したって言うのか? 依純美は子供だからまだしも、分別のあるはずのあんたが手をかけるとはどういうことだ!? そんなのは免罪符にはならん!!」
「パパもママも、お姉ちゃんがどんなに苦しんだか知らないから、そんなことが言えるんだ!! 最後には喉が・・・喉が、裂け・・・て・・・」
「依純美ちゃん、もう、いい! もう思い出しちゃダメ!!」
 甲斐は、依純美を抱きしめながら言った。三原医師が、とうとう我慢できずに言った。
「申し訳ありません。その時私もそばにいたのですが、あっという間の出来事だったので・・・。でも、今思えば、私も無意識の内に甲斐看護師の行動を見逃していたのかもしれません。おそらくあの状態ではもって数時間・・・、徒(いたずら)に苦痛を伸ばすだけだったでしょうから」
「きっ、君は、医者のくせに・・・」
「おっしゃる通りです・・・。少なくとも、医療関係者として正しいこととは思っていません。しかし・・・」
「それなら、キサマも同罪だ!」
 父親は、怒りを三原の方にシフトしつつあった。依純美は甲斐の手を離れ、父親にすがりついて言った。
「もうやめてって言っているのに、パパのバカッ!」
「いいから、おまえはもう黙っていなさい」
「いい加減にしてよ! お姉ちゃん、どんなにパパやママに会いたがっていたと思うの? あたし、何度も言ったよね、お姉ちゃんの意識のはっきりしているうちにお見舞いに行ってあげてって。なのに、やっと二人とも来てくれたと思ったらお姉ちゃんの方を見もしないで・・・。お願い、二人ともお姉ちゃんにちゃんと会ってあげてよ。よくがんばったねって、褒めてあげてよぉ」
 依純美は父母に交互にすがりながら懇願した。時折涙を流しながらも、ほとんど口を利かなかった母親の口から嗚咽が漏れた。
「ごめんね、いずみちゃん。ママ、怖かったの。亜由美がどんなになっているか考えたら、怖くて・・・。パパからは危険だから行くなと言われてたけど、ほんとは何度もこの近くまで来てたの。でも、怖くて、どうしても怖くて引き返してしまったの」
「ママ・・・」
「そうよね。まず亜由美にちゃんと会わないとね」
「ママぁ・・・」
 
「さあ、あなたも」
 母親は、覚悟を決めたように父親の方を見た。由利子と紗弥は、その様子を息を潜めて見守った。

 ギルフォードたちが千夏との対面を終え、センター長室に戻った頃、事情聴取のため警察官が来たという連絡が入った。高柳は対談室に入ってもらうよう言い、甲斐をそこに向かわせるよう指示した。
「さてと、私も甲斐君と同席せねばならん。すまないが・・・」
「わかりました。カイさんの事情聴取が始まったんなら、ユリコたちもお役御免でしょうから、そろそろお暇します」
 ギルフォードが立ち上がると、高柳も立ち上がって手を差し伸べた。
「今日はわざわざすまなかったね。いろいろ助かったよ」
 ギルフォードは高柳の手を取って握手すると、ニヤッと笑って言った。
「タカヤナギ先生、ホントは僕にチナツさんを説得させることが目的だったんでしょ?」
「目的は河部千夏さんの病状を診てもらうためだ。でもまあ、多少期待はしていたな」
 と、高柳は片眉を上げながら言った。
("・・・ったく,マジ食えねぇオヤジだ")
 ギルフォードは心の中で苦笑いをして言った。
 ギルフォードと高柳がセンター長室を出ると、向こうから葛西と九木が歩いてきた。
「あ、アレク、来てたんですか」
「ジュン、事情聴取の警官って、君だったんですね」
「ええ、何故か僕が適任だろうと言われて・・・」
("と,言うことは,やはり甲斐看護師とテロ組織とのつながりが疑われているということだな")
 ギルフォードはそう判断した。
「あの、アレクが来てるってことは、ひょっとして由利ちゃんも?」
「ええ、今、カイさんといるんじゃないでしょうか」
「え? そうなんですか」
 と、葛西が一瞬嬉しそうな表情をしたが、ギルフォードは無情にも言った。
「でも、事情聴取が始まるということだし、そろそろ帰ろうかと」
「由利ちゃんも・・・ですよね」
「もちろんです」
 それを聞いて、葛西は目に見えて落胆した。
「ジュンってば、何落ち込んでいるんですか。ホンの数時間前会ったばかりじゃないですか。しかも、明日県警で会えるでしょう」
「あ、そうでした」
 と、葛西は頭を掻きながら照れくさそうに言った。

 
 
 帰り道の車中、ギルフォードは運転をしながら由利子たちの報告を聞いていた。
「それからどうなったんですか? そのパパさん、どうされました?」
「それがね、亜由美ちゃんの遺体の前に立った途端に、おいおい泣き始めたんだ」
「そうですか。やはりパパさんもママさんと同じで怖かったのかもしれませんねえ」
「なによ、急にオバQみたいな言い方して」
「なんですか、オバキューって?」
「知らないんならいいわよ。そうね、きっと現実と向き合うのが怖かったんやろうね」
「ようやく会う決心をして行ったのに間に合わなかった、しかも、ひょっとしたらまだ生きていたかもしれない、では、あのようになるのも止む無しかもしれませんわね」
「でも、甲斐さんも依純美さんも亜由美さんのことを思った上でやったことなんだから、気の毒だったなあ」
「何が正しかったか、間違っていたか、という答えは出ないと思いますが、亜由美さんにとっては、多分・・・」
 ギルフォードはそこで言葉を濁した。先ほど千夏に頑張って生きることを諭したばかりだかりだったからだ。
 
「お父さんも、そう思い直したのか、甲斐さんについてはもう少し冷静になってから考えるって」
「そうですか。それがいいでしょうね」
「で、アレクの方はどうだったの?」
「あの後、タカヤナギ先生とカワベチナツさんの病状を見に行ったのですが・・・」
「河部千夏さんって、あのダンナに付着したウイルスから感染した方でしたわね」
「そうです」
 ギルフォードは簡単に先ほどのことを説明した。しかし、自分の経験を話して千夏を励ましたことは伏せておいた。やはり、自分の悲惨な病体験を彼女らには知られたくなかったのかもしれない。
 話が終わると、由利子が真っ先に言った。
「新たな症状・・・。新種ってこと?」
「ええ、多分変異体だと思います。さらに、感染元がテロリスト側の男でしたから、故意に変異させたウイルスを使った可能性もあります」
「じわじわと陰湿な攻撃をしてきますわね」
 紗弥も、珍しく眉をひそめて言った。
「他にそいつから感染したって人は出てきてないの?」
「はい。現在隔離されている方々からも、今のところ発症者は出ていません、ユリコ」
「じゃあ、千夏さんのみ現れた症状なのか、ウイルス特異の症状なのかわからないのね」
「そうです。しかし、ユリコもけっこう僕の助手らしくなりましたね」
「え? そ、そうかな?」
 由利子はそう言われて照れくさそうに頭を掻いた。
(そういえばさっき、似たような動作を見たな)
 ギルフォードはミラー越しにその様子を見てくすっと笑った。
「あれ、アレク、なんか可笑しい?」
「いえ、何でもありません」
「何よ、怪しいわねえ。ねえ、紗弥さん」
「ホントですわ」
「だから、何でもないって」
 ギルフォードは、二人に突かれながら、笑って言った。

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5.微光 (6)カルト・ア・ラ・カルト

20XX年6月27日(木)

 由利子は朝からF県警本部のSVテロ対策本部で、PCモニターとにらめっこをしていた。由利子の横に座った葛西は、何やらブツブツ言いながらモニターを凝視する由利子に、ややためらいがちに訊いた。
「あの、休まなくていいですか? そろそろ2時間経ちますけど・・・」
「あ、もう2時間たった?」
 由利子はそういうと、モニターから目を離して、ぐうっと背伸びをした。
「今のところ見た顔に該当するものなしだな。ああ疲れる~。でも、なんか面白いからつい内容まで読んでしまうんだよね」
「コーヒーでも持ってきましょう」
 葛西がそういうと後ろで声がした。
「あ、僕はコーヒーは苦手なので・・・」
「って、アンタまだいたの」
 と、由利子が振り向きながら言った。ギルフォードは少し不満そうに答えた。
「まだいたのはないでしょう。僕がここまで送って来たんでしょーが」
「早くガッコ(大学)に行かないと、また紗弥さんに叱られるよ」
「だって、今日は講義ないし帰りも君を送らないと心配だし」
「一人で帰れます!」
「だから危険なんだってば」
例によって両者共譲らない。
「こんな明るいうちから襲ってくるわけないでしょ」
「O教団がKさんを拉致したのは、まだ明るい夕方の、しかも人通りの多い路上でしたよ」
「大丈夫だって。いざとなったらまた美葉から習った護身術で・・・」
「また、そんなことを言って。そのミハがどうなったか、君が一番よく知っているでしょう?」
「あ、あのお・・・」
 二人の会話に入り込もうとして葛西が言いかけると、ギルフォードが恨めしそうな目で、由利子が胡散臭そうな目で同時に見たので、彼は続きの『僕がお送りしますけど・・・』と言うのをぐっとこらえて、立ち上がりながら言った。
「自販機に紅茶もあったと思います。確かリプ○ン・・・」
 葛西はそのまま足早に部屋を出て行った。二人は黙って葛西の後姿を見ていたが、彼の姿がドアの向こうに消えると先ず由利子が先制した。
「んなこと言って、教主の顔に興味があるんでしょ。言っとくけど、イケメンは期待できないからね」
「そんなことはわかってますよ。さっき言った教団の教祖が良い例です。でも、マンソンのような例もありますし・・・、って、だから僕は教主の顔ではなく、カルト自体に興味があるんだってば」
「マンソンって?」
「マンソンテープワーム(条虫※)じゃありませんよ。チャールズ・マンソンっていう、カルト教祖です」
「最初に何かマニアックなこと言ったようだけど、まあいいわ」
「彼は、その容姿・・・まあ、当時の話ですが、と薬物を使い女性信者たちを巧に操りました。有名なのは『シャロン・テート事件』ですが、内容は・・・」
「なんか、陰惨そうだからいいわ。帰って調べる。当面の問題はこっちのカルト連中よ」
 由利子はそう言いながらモニター画面を軽く叩いた。
「教主や主要メンバーの顔や名前を中心に、教団の概要もざっと確認しているけどなかなか面白いわよ。えっと、不思議教団フーマ、ミネルヴァ騎士団、海神(わたつみ)真教、神聖御統(みすまる)礼拝教団、聖宇宙神軍、大地母神正教・・・」
 由利子が宗教名を連ねるのを聞きながらギルフォードが嫌そうに言った。
「うわあスゴイ」
 すると、その後ろから相槌を打つ声がした。
「名前を聞いただけで頭が痛くなりますね」
 葛西が紙コップのコーヒーと紅茶を持って帰ってきたのだ。由利子とギルフォードは葛西に軽く礼を言いながらそれぞれ好みの飲料を受けとった。
 由利子がコーヒーを一口飲むと、画面をスクロールしながら言った。
「イケメンだったらこういうのがあるわよ。不思議教団フーマ。信仰対象は古代神琥火雷(クビライ)。クビライ様ね。代表者は神官ポオ・・・」
「派手なカッコしてますね。冠とかほとんどミラーボールじゃないですか。それにこれ、男性ですか?」
「どう見ても男よね」
「いい男なのに、もったいないですねえ」
と、ギルフォードが惜しそうに言った。本気である。面倒くさくなった由利子は、適当に対応して本題に戻ることにした
「はいはい、それには同意するけどね。さて、特記事項に彼に関する記述がある。『いわゆる女装男子であり、その妖しい魅力で信者を集めている。特に女性に絶大な人気がある。時折、所謂『おネエ』の出るバラエティに出て人気を取り、信者集めにいそしんでいる。』」
「僕、一回深夜番組で見たことありますけど・・・・」
 と、葛西が言った。
「けっこう場の空気も読めて面白いことを言うかと思ったら、かなり辛辣なことも言うし、かと思えば、的確な助言で視聴者やゲストを喜ばせるし、司会の芸人さんを食うくらいの勢いでしたよ」
「でも、活動内容はけっこう物騒よ。『古(いにしえ)の神「クビライ」を崇め、世界を再びクビライのものとする。古の世はユートピアであり、その世界を甦らせようと説く』『カルトではあるけれども新興宗教ではなく、クビライ信仰は古来からあって、ポオという名前は代々の神官が引き継ぐ由緒ある名前である』」
「まあ、僕は女装男子にあまり興味は・・・」
「あんたの趣味は聞いとらんわ!」
「あのっ、特に問題がないなら次行きましょう、次」
 また脱線しそうになったので、葛西が先を促した。
「あ、ごめんごめん。次のこれもぶっ飛んでいるわよ。ミネルヴァ騎士団。教主はアテナイと名乗る若い女性ね」
「アテナイ様ですか」
「ギリシャ・ローマ神話の神というのも整合しますね。混ざってますが」
と、葛西が言うと、ギルフォードが名前にダメ出しした。
「っていうか、アテナイは地名なんですケド・・・」
「聖地を名前にもらったって書いてあるわよ」
「で、なんで教団名がローマ風で教主名がギリシア風なんですか」
ギルフォードは納得いかないらしく、妙にこだわっている。
「そんなの知らんわよ。単なる雰囲気でしょ。ゲームキャラ感覚よ。それよりぶっ飛んでるのは内容ね。脱力しないで聞いてね。いい?」
 由利子はそういうと一息ついてから読み始めた。
「『教祖のアテナイはミネルヴァの生まれ変わりで、前世の光の戦士を集め覚醒させて、来るべく高次元の敵との戦いに備えている。現在300人ほどの戦士が集まっているという。戦士は主にインターネットを媒体として集め、時折オフ会として、前世の衣装を着て集まっている。教祖とその戦士たちは、今まで3度にわたり高次元の敵と戦って勝利し、地球を守って来た。3度目の戦いは熾烈を極め、その影響で図らずも東北大震災が起こった・・・・』ですと」
「なんですか、それ?」
 と、葛西がすでに脱力気味に言った。対してギルフォードは眉をひそめながら言った。
「脱力しましたが、最後の記述ではもはや怒りを覚えました。有名な事件や災害を我田引水するのは、カルトの常套手段ではありますが・・・」
「まあ、このあたりは今のところ脳内ウォーズなだけだし、リアルでは単に濃いいだけのオフ会をやる程度だし、とてもウイルス培養とかするのは無理だよね。
 それからこの『聖宇宙神軍』。これも似たようなものだけど、何年か前に教主のご託宣を信じ込んで暴走した信者が、武装蜂起をネットで煽って数人が賛同し実行計画を立てようとして逮捕されているわ。これは教主自らが通報して事なきを得たけど、けっこう大形の刃物類を集めていたとかで、それ以来公安から危険なカルト教団としてマークされているみたいね。現在も、スマトラや東北の震災は異次元からの敵勢力が超兵器を使って起こしたもので、総攻撃の前触れだとか言って危機感をあおっているらしい」
「反吐が出そうです。唾棄すべき行為です」
 ギルフォードが吐き捨てるように言った。
「唾棄とかよく知っているよねえ」
 と、由利子が違う方面で感心していると、葛西が質問した。
「ところで教祖の名前は?」
「ウラヌス元帥」
「天王星ですか? ウランの語源ですね」
 葛西が言うと、ギルフォードが追加説明をした。
「それもですが、そもそもはギリシャ神話の天空神ウーラノスのラテン語読みです。ウーラノスはガイアの息子であり夫でもあります」
「うわぁ、神様ってえぐいわ~」
 と、由利子が本当に嫌そうな表情で言った。ギルフォードが少し苦笑しながら続きの説明をした。
「特にギリシア-ローマ神話は妙に生臭いところがありますからね。まあ近親婚の記述は色んな宗教・・・たとえば古事記なんかにもありますし、日本でも昔は異母妹との結婚は容認されていたようですし・・・」 
「それにしても、母親と息子ってのは引くわ~」
「『母なる大地』とは整合しますね」
 と、葛西。
「で、ウラヌスのどこに『イ』の字が・・・?」
「元帥(ゲンスイ)様」
「あ、そっか」
「元帥にはあまり『様』はつけないような気が・・・」
「つけるなら『閣下』でしょうか。どこかの国では『将軍』に様つけてマスが」
 と、これはギルフォード。それに葛西が乗っかった。
「しかし、ウラヌス元帥って、マジ○ガーZの悪役にでも居そうな名前ですねえ」
「私はウラヌスって言うとセー○ームーンを連想するわ」
 PC画面を見ながら類推している3人の後で、葛西にさらに乗っかった女性の声がした。振り向くと早瀬警部がコーヒーを片手に立っていた。葛西が驚いて立ち上がり敬礼をした。
「早瀬隊長、お帰りなさい!」
 それに続くようにギルフォードと由利子も立ち上がり一礼する。
「あ~、堅苦しい挨拶はいいわ。上層部との話が長引いちゃったので遅くなった。すまないわね」
 早瀬はそう言いながら近くの椅子を引き、3人の後に持ってきて座った。それに合わせて葛西も席につく。早瀬が興味津々と言った目をして言った。
「さ、話を続けて」
「あの、その前にお断りしておきたいのですが・・・」
 由利子が少し困惑しながら言った。
「松樹さんにはお伝えしてますが、私は確かにテロリストらしき人たちのデータを見ましたが、首謀者らしき者の顔は一瞬だった上になんかつかみどころのない顔だったので・・・」
「写真ではわからないかもしれない・・・だったわね。首謀者の顔データを開いた瞬間にブラクラにやられたんでしょ。聞いているわ。それでも私たちはわずかな可能性にもかけてみたいの」
「わずか・・・?」
「あ、悪く思わないで。竜洞蘭子捕獲、もとい、保護の時に、あなたの眼にある程度の信憑性はもたらされているわ。ただ、今回このデータからあなたの見知った顔を見つけたとしても、すぐにどうこう出来るわけじゃないということよ。現状ではあまりにも手掛かりが無さすぎるのよ。慎重に外堀を埋めっていくしかないってこと。さ、時間がもったいないわ。続けて」
「あ、はい」
 由利子は早瀬に促されてモニター画面に戻った。
「この教団は、そもそも宇宙神軍グッズを販売するのが目的で、どっちかというと心霊商法のほうで、まあそれはそれで問題ではあるけど、バイオテロなどの騒ぎを起こしてもあまり得にはならないように思えます。それより気になるのは・・・」
 由利子は画面をスクロールしてまた違う教団名をクリックした。
「この『神聖御統礼拝教団』ってやつ。この御統(みすまる)っていうのはプレアデス星団のことで、御統が転じて昴(すばる)になった・・・」
「へえ、スバルって日本語だったんですね」
 と、葛西が感心して言った。
「そうよ。古事記では美須麻流之珠(みすまるのたま)あるいは多麻能美須麻流(たまのみすまる)」
「壁にめり込んだ美形のメンインブラックな宇宙人が『下着を洗わせてクダサ~イ』って言うアレですか(※2)?」
「アレクってばちょっとそれ、あまりにもマイナー過ぎない? なんでそんなネタ知ってるのよ」
「実は僕、あのアーティストさんが大好きでして、けっこうコレクションしてるんです」
「確かに綺麗な絵を描かれる漫画家さんだけど・・・。ってまた脱線したじゃない。早瀬さんが呆れてるから先に進みます。この教団の概要をちょっと読みますね。『温暖化が続き、大災害と深刻な原発事故の後まもなく、隕石衝突で地球は滅びると予言、さらに信者であればプレアデスから迎えに来たUFOに乗って地球脱出が出来ると吹聴している。ただし、過去2回地球滅亡の予言をしているが、今のところあたっていない。しかし、東北の震災を予言して的中させたと主張、同時に起こった原発事故についても予言と合致し、信者は滅亡が近いと信じている』。 と言っても、まあ実際は3月から5月に、でなければ8月から秋にかけて大きな災害が起きるかもしれないと言っただけで、以前から同様の予言は数多く行っているものの、その多くを外しているということなので、これも当然外れると思いますが・・・」
「すみません。聞いててめまいがしてきたんですけど・・・」
「葛西君ってばまだ早いわよ。めまいがするのはこの先からだからね。早瀬警部、この教団がこのリストに選ばれたポイントは次ですね」
「警部はオヤジむさいからやめて。早瀬でいいわよ」
「では、早瀬さん、これですね。『信者が3度目の予言を的中させようとして、都心の数か所で液体をまいていたところ、市民から不審人物と通報され逮捕されている』」
「ああ、この事件は・・・」
 と、ギルフォードが口を挟む。
「僕のファイルにもありますよ。たしか、ミレニアム問題が騒がれていた1999年末のことでしたので、それに紛れてかあまり注目は浴びなかったようですが、地下鉄サリン事件からまだ年数が経ってなかった分、一部ではカナリ問題視されていたようですが」
「へえ、そんなことがあったんだ。で、何を撒いたの?」
「確か、ハトやカラスのフンを収集して水で溶いたものを保温庫で一晩寝かせたモノだそうです」
「一晩寝かせたってパン生地じゃあるまいし・・・」
「幸い、それには危険な病原体は含まれていなかったようで、特に目立った健康被害等はなかったようですが・・・」
「被害がなくっても、そんなもんひっかけられた日にゃあしばらく気分が悪いわよね」
「動物の排泄物には病原性大腸菌をはじめ、色んな病原体が含まれてるから、ある意味幸運だったと言えますね。たとえばハトのフンにはクリプトコッカスという真菌・・・所謂カビの一種が含まれていることが多いですし・・・」
「それって危険なの?」
「健康な人にはそれほど悪さをしないのでまず大丈夫なんですけど、免疫力の落ちた人には良くないですね。全身の倦怠感と発熱・・・最悪の場合、髄膜炎を起こして死亡します」
「けっこう怖いなあ」
「乾燥すると微粒子になって舞い上がりますよ」
「やだ、もうハトのフンの傍は気持ち悪くて通れないじゃん」
「ひょっとしたら、発熱した人くらいは居たかもしれませんね。時節柄風邪と診断されていたかも。Oの炭疽菌散布も事実上は失敗しましたが、軽い症状を訴えた人は何人かいたみたいですし。やはり風邪と診断されたようですけどね」
「いずれにしても・・・」
 と、今度は早瀬がつけくわえる。
「この教団の場合は、信者のスタンドプレイと言うことで教団や教主自体の関与は認められず、厳重注意で終わったの。それでも公安の方では要注意教団として未だにマークされているのだけど」
「代表者は教祖の山岡星明(せいめい)。セイメイ様・・・。某陰陽師と読みは同じね。ここはかなり怪しいけど、でもこの教団にも見知った顔はない・・・」
 「それに、今起こっていることに比べるとあまりにもショボすぎますね」
 と、これはギルフォード。
「次は・・・えっと、海神(わたつみ)真教、信仰対象はオオワタツミ、代表は豊玉愛。アイ様か。ずいぶんと年配の方・・・、えっ、102歳って、生きてるの? 凄い。でも、ここはかなり小規模で、ほとんど拝み屋さんみたいなものだし、女性教主だから可能性は低いわね。・・・それから、大地母神正教。信仰対象は大地母神眞供納眞輝(マグナ・マテル)、大いなる母。代表は教主の小早川大聖・・・、タイセイ様ね。・・・あら、これってこの前、サイキウイルス感染で亡くなった信者の遺体を何故か掘り返そうとして、事故で教祖が亡くなったっていう、あのカルト宗教じゃん」
「サワムラ・アンナの家族が信仰していた宗教ですね」
 と言うギルフォードに続いて、早瀬がポンと手を叩いて言った。
「ああ、アレね。あそこはほとんど教主が実権を握っていたので、今は息子たちの覇権争いで早くも分裂状態らしいわよ。ここは教主がボケて妄言を吐くようになってから逆に信者が急増して、悪魔祓いとか医療拒否とか過失致死事件とかチラホラ起こし始めていたから、一時期はかなり問題視されていたのだけど、これでは近いうちに弱体化しそうだわね」
「それにしても、震災をちゃっかりと利用しているところって結構ありますね。今上げただけでも3教団がそうでしたけど」
「ジュン、あれは宗教だけでなく、いろんな胡散臭い連中が利用してますよ。
 たとえば予言者の場合ですが、下手な鉄砲的予言の一部がたまたま当たったのをそこだけ強調して当たったと言い張ったり、他の予言をウルトラC的な技で結びつけたり、後出しジャンケンのくせに何年も前に日本へ知らせていたとか言って偽造文書をサイトに公開したりして、自分の権威づけに利用しています。
 それから陰謀論者はあれをアメリカの地震兵器による人工地震テロだと言って譲りません。それによって一番とばっちりを受けたのが地球深部探査船『ちきゅう』です。彼らが深い穴を掘って核爆弾を仕掛けて地震をおこしたという、いわれのない非難を受け、抗議の電話がバンバンかかって大変だったらしいですよ」
「うわ、災難!」
「ひとりひとりに丁寧に説明したら、ほとんどの人がわかってくれたようですが」
「それにしても作業妨害もいいとこだよ」
「でも、『ちきゅう』側の対応は真摯ですね。感心します」
 と、これは葛西。ギルフォードは若干仏頂面で言った。
「ちょっと考えたら、それがどれだけ非現実なことか判りそうなものですが」
「それが判ったら陰謀論なんかにハマらないって」
「他には自分等の薬が放射能対策に有効だとか、ある食品が放射能除去に有効だとか・・・」
「震災直後は特に混乱してたからねえ・・・」
「今だってひどいもんじゃないですか」
「まあ、過剰に怖がったりヒステリックに反応する人たちがいる限り、宗教家も陰謀論者も安泰なわけよね」
 そう言いながらも由利子はモニター画面とにらめっこ状態で人探しを続けていた。しかし、急にその手を止めてつぶやいた。
「あれ?」
それを聞いて3人がほぼ同時に聞いた。
「どうしました?」
「いた?」
「ありましたか?」 
「見たような顔があったような気が・・・。ここってどこよ、っていうか、なんて読むの? あ、括弧書きしてあった。へきじゅ・・・? 碧珠善心教会・・・?」
 由利子の今までとは打って変わった反応に、傍観していた3人は色めきだった。

 

 【注意】
 伏字になっている教団以外(マンソン・フーマ除く)は、起こした事件を含め、作者の創作によるものです(フーマはネタです)。
 また、何回か注記していますが、O教団の正しいイニシャルはAですが、便宜上Oで表記しています。 

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5.微光 (7)天国を売る男

「碧珠善心教会。信仰対象は碧珠で地球の意味だそうです。ああ、これ、最近、教主がすごいイケメンらしいというので、でちょっと話題になったトコですよ」
「あら、データベースに教主の顔は?」
  と、早瀬がせかすように訊いた。由利子は画面をスクロールして該当箇所を表示しながら言った。
「『データなし』です」
「何よ、それ?」
「ここ、基本的に信者にならないと教主の顔は見れないそうなんです。一般人は教主の講演に行く以外、ご尊顔は拝めないらしいです。以前この教団のCM見たけど、イケメン教主らしき姿はなかったです」
「何? ケチね、出し惜しみ? それともホントはブサメンとか? もぉ、ますます見たいじゃないの」
「でも、データのところに思い切り『データ無し』って書いてありますよ。で、データベースに貼ってあったリンク先に飛んでみたけど、教団公式サイトにも教主どころか教会関係者のプロフィールがなくて、名前だけが列記してあるんです。しかも、本名かどうかすらわからない。教主の写真はあるにはあるのですが、信者らしき女性や子供たちに囲まれたスナップ写真みたいなのしかなくて・・・。恰好も普通のリーマンみたいなスーツ姿ですよ。これだけ見たら、小学校の先生と言われても納得できます。サイト中を流してみたけど、そういう写真ばかりで、この手のサイトには必ずあるような、『私が教主です』って感じの自己主張丸出しの写真がないんです。でも・・・」
「でも?」
「私、この程度の写真だったら一度見た顔なら特定できるんです。だけど、今回は気にはなるけど断定は出来ない・・・。悔しいけど」
 と、言いながら由利子はふと横に立っているギルフォードを見た。すると、彼もなんか困ったような表情で画面を見ていた。
「アレク、何便秘したような顔してんの」
「便秘って・・・」
 ギルフォードは苦笑しながら答えた。
「僕にも、なんか会ったことあるような顔に見えるんです。どこで会ったか思い出せないんですけど・・・」
「ええ~? じゃあ、やっぱ気のせいかなあ・・・」
「どーゆーイミですか」
「だって、顔音痴のアレクに見たことあるって言われたらさ、自信なくしちゃうよ」
「僕は某クイズ番組のおバカタレントですか」
「ほんとにもう、何でそんなことばっか知ってるかな」
 由利子はぶつぶつ言いながら、またデータベースの方に画面を戻した。
「教団概要を読みます。
 『”人は碧珠(地球)と共存すべきだ”という教義をもとに自然保護を訴える。信者からの浄財は、自然保護のための活動に充てられており、途上国への援助や戦争や災害の被災地への救援施設等、にも力を入れているため、宗教としてはかなり質素である。教主は自らを全信者の兄という意味で’長兄’と呼ばせ、真の自然保護を啓蒙するための講演活動に熱心である』」
「長兄? う~ん、『長兄さま』ねえ・・・。なんかぱっとしない呼び名よね」
 早瀬が何となく不満そうに言い、由利子が鸚鵡返しに聞いた。
「ぱっとしない?」
「だって、こういうトコってさあ、なんかちょっとエキセントリックというか、独特の呼び方させたりするじゃない? 妙にエラそうだったり」
「そういえば、さっき上げただけでも、大聖とか元帥とか星明とか色々ありましたね。ですが、ここは『もともと土地神を祀っていた土着の宗教を現教主の父親がリニューアルさせた』、とあります。もともと由緒ある教団というところはフーマや海神真教と同じですね。ですから、フーマの『神官ポオ』みたいに古来からそういう呼び名だったとも考えられます」
「まあ、いいわ。篠原さんが唯一気になった教団であり、信仰対象も地球イコール大地で呼び名も符合するということなんだから、改めて調査する価値はあるわ」
「でも、サイトを見ても、宗教団体と言うよりユニ○フとみたいというか、全然嫌な感じがしないですね」
「特記事項に『慈善事業の一環として医療施設やラボ(研究所)も持っているが、教団とは切り離している。また、教主等が講演で得た収益等も、収益事業として毎年申告している』ってあるわ。なんか妙にちゃんとしてるところね」
「というか、これが特記事項に記入って、そんな珍しいことなのかしら?」
 由利子の疑問にギルフォードが答えた。
「まあ、そのあたりの公益事業と収益事業がかなり曖昧っていうのが現状なんですよ。出来たら税金なんて払いたくないでしょうからね。これはどの国でも似たようなものですが」
「まさに坊主ぼろ儲ね」
 と早瀬が言うと、由利子がポンと手を叩いて言った。
「そういえば、以前、ラブホに仏像と賽銭箱置いて、宗教施設だと言い張っていた・・・」
「話が危ない方向に行きそうなので、これぐらいにしときましょう」
 と、ギルフォードが肩をすくめながら言った。
「でも」
 葛西がぼそりと言った。
「あまりキレイなのも、逆に痛くもない腹を探られたくないって感じがしますよね」
「え?」
 と、3人が同時に葛西を見たので、葛西はすこしきょとんとした曖昧な笑顔を浮かべた。由利子が若干驚いた口調で言った。
「葛西君って意外と穿った見方をするのねえ」
「刑事らしくていいじゃない」
 と、早瀬がいうと、由利子とギルフォードが若干不満げに言った。
「そうかなあ。私は刑事らしくない葛西君が好きだなあ」
「僕もですよ」
「みんな、勝手なことを言わないでくださいよ。ていうか、なんか複雑・・・」
 葛西が不満と戸惑いの混ざった様子でぼそぼそと言った。そんな中、由利子がいきなり「うひゃあ」と言った。皆が驚いて由利子を見ると、彼女は照れくさそうに電話をジーパンのポケットから出した。
「電話です。ちょっと出ますね」
 由利子はそういうと携帯電話を耳にあてた。
「はい。あ、うんうん、居る居る。ちょっとまってね。アレクちょっとこれ貸してあげる」
 由利子は有無を言わせず電話をギルフォードに渡した。彼がそれを耳に当てるかどうかの時、電話から声がした。
「教授! いい加減に研究室に戻ってくださいませ。依頼されたマニュアルの最終チェックが進まないじゃありませんか!!」
「すみません。もうすぐ帰ります」
 ギルフォードはかなり説教を食らっているらしく、平身低頭して電話を構えている。それを見ながら由利子が言った。
「また、電話の電源を切ったままだったみたいね」
「電話、秘書の紗弥さんからでしたか。そういえば、ジュリーも電話で言ってました。それでしょっちゅう喧嘩になるんだって。お互い様みたいですけどね」
「って、葛西君、ジュリーと電話連絡取ってるんだ」
「まあ、一緒にヘリに追いかけられた仲ですからね」
「そういや、そんなことがあったね」
 その会話に早瀬が嬉々として割って入って来た。
「ジュリー君って、例の、教授の美しすぎる彼氏?」
 由利子は、早瀬のノリに若干戸惑いながら答えた。
「え? ええ、まあそうですけど」
 
「噂の美青年にお会いしたかったのに、残念だったわ」
「来月には帰って来ますよ。っていうか、ひょっとして、早瀬さんも腐・・・」
「人聞きわるいわね。違うわよ、キレイなコが好きなの。ボーイッシュな篠原さんも、お人形さんのような紗弥さんも好きよ」
 それを聞いた由利子は、えっ? と思いながら横を見た。すると葛西が案の定フリーズしていた。
「あの、早瀬さん、葛西君が固まってますけど・・・」
「あらら、困ったわね。シャレのわからない人ねえ」
「あはは」
(冗談だったのか)
 由利子は笑って誤魔化しながら、内心ほっとしていた。
 

 

 
 放課後、西原祐一の妹香菜が、一人小学校近くの川土手を、不安そうな表情で何かを探しながらうろついていた。
「西原さん!」
 香菜は自分を呼ぶ声に驚いて振り向いた。そこにはクラスメートの女子が立っていた。彼女の髪はショートカットで、某海賊漫画のTシャツにバギータイプのブルージーンズと黒いスニーカーを履いており、一見少年のように見えた。彼女は香菜に白い布で出来た体操服の袋を差し出して、ぶっきらぼうに言った。
「探しとおと、これやろ?」
「うん」
 香菜はそれを受け取りながら訊いた。
「・・・どこにあったと?」
「あそこの柳の木に引っ掛けてあったよ」
「探してくれたん?」
「わ、悪いか?」
 少女は少しバツの悪そうな表情で言った
「ううん」
 香菜は首を横に振ると訊いた。
「あたしが怖くないと?」
「なんで? オレのオヤジもね、あのウイルスの担当してるんだ。でも、オレはオヤジのことは怖くない。だから、西原さんのことも怖くない」
 香菜はそれを聞いて一瞬泣きそうな顔になった。しかし、彼女はそれをぐっとこらえてから言った。
「ありがとう」
「おまえ、強いな」
 少女は感心しながら言った。香菜は首を再び横に振った。今度はそれに力がない。
「あたしを守ってくれた刑事さんがいるの。おにいちゃんもお父さんもお母さんも教えてくれなかったけど・・・、深浦君が週刊誌見せて言ったの。これ、おまえのことじゃないかって」
「あの、金曜日に出たあれ、読んだと?」
「うん。読めない字も多かったけど、内容はだいたいわかった。その中にあの時のことが書いてあったの。ちょっとだけだし名前とか書いてなかったけど、すぐわかった。あの事件だって・・・。あの刑事さん、おばちゃんの病気がうつって亡くなったって。あたしのせいなの。だから、いじめられるのはあたしの罰やけん・・・」
「バカ。そんなこと言ったら多美山のおじちゃんが悲しむやろ」
「富田林さん?」
「オレのオヤジは刑事でね、それで、あのウイルスの担当をしてるんだ」
「なんで刑事さんが? 伝染病なのに?」
「あの病気にかかった人が、金曜日に事件を起こしたとは知っとおやろ?」
「うん。ニュースでやってたから」
 香菜は、そのせいでいじめがひどくなったのだと思っていたが、口には出さなかった。
「オヤジさ、あの事件の担当なんだって。詳しいことは教えてくれんけど・・・、まあ、シュヒギムがあるっちゃけん当たり前やね」
「お父さんが刑事さんだから、たみやま刑事さんのこと知っとおと?」
「うん。何度か会ったこともあるよ。厳しいけど優しいおじちゃんやった。大好きやったよ」
「じゃあ、富田林さんも、あたしが嫌い?」
「あんた、本当にバカやね。あんたは被害者なんやろ。そんで、おじちゃんはあんたを守った。違う?」
「うん、そうだけど・・・。」
「だったら、オレがあんたを嫌う意味なんてなかろーもん」
「でも・・・」
「あ~~~、もう、しっかりせんね~。多美山のおじちゃんが生きとって、その前で罰だとか言ったら、怒り飛ばされるところだよ」
「怒る?」
「怒るに決まっとろーもん。それから、おれがついとおけん、負けるなって言うよ」
「負けるな・・・・」
 香菜はそう復唱すると、いきなり涙をぽろぽろこぼし始めた。富田林の娘は、それを見て焦った。
「どうしたん。オレ、変なこと言った?」
「たみやまさん、怒ってないんやね。香菜のこと、ウラんでないんやね」
「当たり前やろ。それよりはらはらして心配しとおと思うよ」
「そうかな」
「そうに決まっとおやろ」
「香菜、お墓参りに行ける?」
「行けるよ。このウイルス騒ぎが終わったら、一緒に行こう。オヤジに連れてってもらおう」
「うん・・・、うん・・・」
 香菜は泣きながら何度も頷いた。
「もう、泣かんどき。体操服見つかったっちゃけん、さっさと帰ろ。お母さんが心配しするやろ」
「これ持っとおけん、大丈夫」
 と言いながら、香菜がGPS機能付きの子供用ケータイを見せた。あの事件のため、退院してからすぐに持たされたのだ。富田林の娘は、それを見るとニヤッと笑ってジーンズのポケットからケータイを出した。
「オレも持っとっちゃん。オヤジが刑事の娘やけん、何かあったらいかんって持たせてくれたんだ」
「そうなんだ」
 と、香菜がハンカチで涙を拭きながら言った。富田林の娘はにっと笑って付け加えた。
「これを持たせるとき、オヤジが言ったんだ。世の中、安全になったのか物騒になったのかわからんなって」
「ホントやね」
 香菜がくすっと笑って言った。それを見て富田林の娘は安心したように言った。
「やっと笑ったね」
「うんありがと。でも、トンちゃん、オレとかオヤジとか、ヘンだよ、女の子なのに」
「オマエだって、『あたし』から『香菜』になっとおやん」
「いいじゃん。親しい人と一緒の時はそうなるんだもん。女の子なのにオレって言う方がへんだもん」
 親しい人と言われて、富田林の娘は少し顔を赤くしながら香菜に同じように返した。
「いいじゃん。オヤジだって何とも言わないよ。ママには怒られるけど」
「ママ?」
「いや、だっ、だから・・・」
「トンちゃん、ヘン」
「トンちゃん言うのやめろ。それでなくてもトンダバヤシとか変な名前なのに」
「じゃあ、瑠璃花ちゃん」
「やめてよ、名前負けっていつも言われよっとに」
「負けてないよ。ルリカちゃん可愛いじゃん」
「やだ!」
「じゃあ、ルー君だね」
「カレーじゃねえし」
「いいじゃん、ルー君てのもカワイイじゃん」
「九州モンなら、じゃんじゃんゆーな」
「ルー君、ツンデレ」
「うるさい」
 二人は言い合いながらも、仲良く川土手を歩いていた。

 
 夕刻、とあるタワーマンションの一室のモニターに来客のアラームが鳴った。
「は~い」
 若い女性が出て返事をした。モニターから、もったりとした男の声が響いた。
「メールいただいた、笑顔のセールスマンでございます」
「あ~、はいはい。すぐにロック解除しますんで、上がってきてください」
 女はそう答えると、いそいそと寝間代わりの紳士物のXLサイズのTシャツを脱ぎ、着替え始めた。部屋のベッドでだるそうに寝ていた男が怪訝そうに訊いた。
「なんだよ、笑顔のセールスマンって。喪●福造か」
「違うよ。何アホなこと言ってんの。今、裏ネットで拡散中のハーブ屋だって。ガッコでリア友からチラシもらったんで興味半分でメールしたら来ちゃった」
「来ちゃったって美優(みゅう)。オメエ、高校で何やってるんだよ」
「うるさい、トモロー。ろくに大学行かんでうだうだしているあんたに言われたくねーよ」
 美優がやや不機嫌に言った時、玄関のブザーが鳴った。
「こんにちは。笑顔薬品でございますよ。お薬の交換に参りました」
「あ、来た来た。は~い、すぐ開けま~す」
「ふん。アホ女。そこで言っても聞こえるわけないだろ」
 トモローと呼ばれた男は、だるそうに寝返りを打ちながら毛布をかぶった。
 彼は、本名を嶽下友朗(たけしたともろう)と言った。実は、彼は金曜に美波を襲った男だった。あの後隙を見て逃げ出したものの、2・3日は警察が捕まえに来るのではないかと冷や冷やしながら過ごしたが、特に何もなく、あのことも事件としてニュースになるようなことは無かった。それで、警戒心もやや薄れたが、その気の緩みか夏だと言うのに風邪を引いたらしく、昨夜から微熱と倦怠感でベッドから出るのが億劫で、1日寝たままだらだらしていた。もっとも、普段から似たような生活をしているので、いつも学校帰りに押しかける美優は別段気にも留めなかった。

「へえ」
「これなんかも、ようございますよ」
「うわあ。効きそう!」
「そうでございましょ?」
「おもしろーい」
 彼女とセールスマンが、親しげに話しているのを見て、胡散臭さが気になったのと若干の嫉妬で友朗はとうとうベッドから起きだした。起き掛け、頭にズキンと痛みが走ったが、その後若干フラフラする以外何ともなかったので、彼はゆっくりと二人のいる玄関先に行った。
 友朗は、男の姿を見るなり吹きだしそうになった。
(喪●福造というより、スーツを着たハ●ション大魔王・・・)
 男は友朗に気付くと言った。
「おやおや、お連れさんですか。私、笑顔のセールスマン、中目黒大吉と申します」
 男はそう言いながら友朗に名刺を差し出した。友朗は名詞を受け取りながらその手を見て胡散臭そうに相手を見た。この暑いのに、薄いベージュの皮手袋をしている。
「ああ、すみません。この手ね、ちょっと手荒れがひどいもので・・・」
「そんなことはどうでもいからさ、オッサン。早く用を済ませて帰ってくれよ。オレ、昨日から具合悪かってさ」
「おや、それは悪うございますねえ」
 中目黒はさも気の毒そうに言ったが、美優はどうでも良さげに言った。
「ああ、そうやったと。いつもと変わらんけんわからんかった」
「美優、おまえな。ちったぁ心配してくれよ」
「具合悪くてもやることはやるんだ」
「あのなあ、あれはお前が・・・!」
「まあまあ、旦那さん」
「旦那じゃねえよ。こんなバカとツレになりたくねーからな」
「ポン大ダブったあんたにバカって言われたくねーよ」
「火に油を注いでしまいましたねえ。まあ、お二人とも穏便に。私は、皆さまにてぇ~んごく(天国)をお届けする、笑顔のセェルスマンでございますよ」
「わかったから、テキトーになんか売ってさっさと帰ってくれ」
「あなた、具合がよくないんだったら、これが良おございますよ。ヴァンピレラ・シードと言って、これを使えば元気いっぱい、ファイト一発」
「パクリじゃねーか」
 と、友朗が突っ込んだが美優はそれを無視して中目黒に尋ねた。
「ね、どうやって使うの?」
「タバコやストローで吸うのもいいですが、水で溶いたものを静脈注射が一番効果がありますよ」
 それを聞いて、友朗が怪訝そうに訊いた。
「って、それ、Sじゃねーのか?」
「とんでもありません。その場限りで一切後遺症も依存性もございませんよ。なにせ、合法な植物の種から出来た、ただのハーブですから」
「おじさん、試してみた?」
「はい。私はこのとおりの歳で役立たずでしたが、自分でも驚くほどで、相手の女性も死ぬかと思ったとおっしゃいました」
「あ~、おじさん、フーゾク行ったんだ」
「恥ずかしながら・・・」
「あ~、わ~った(わかった)」
 友朗は、臆面もなくそういう話をする男に呆れながら、反面、そのハーブに興味を持った。
「それでいいよ。いくらだ?」
「今回は試供品としてお代はいただきません。気に入ったら、メールしてくだされば、すぐに持ってまいります。お買い上げはその時からでけっこうですので」
「話がうますぎないか?」
「使っていただくとわかりますよ。それでは・・・」
 仲目黒はそう言いながら、赤い結晶の粉の入ったビニールの小袋をふたつと注射器を1本友朗に手渡した。
「注射器もサービスしておきました」
「って、持ってるけど」
「針は新しい方がようございますよ。それでは、私はこれで・・・」
 中目黒は立ち上がると、恭しく一礼して付け加えた。
「それでは、存分に天上の快楽をご享受なさってください。皆さまに天国をお届けする、笑顔のセールスマンでございました」
 中目黒は胸に手を当て西洋風に挨拶すると、去って行った。美優は赤い結晶の入った袋を手に取って、ライトにかざした。
「キレイ。ヴァンピレラって、ヴァンパイヤのことかなあ。まるで血みたい。ねえ、トモロー、もしあのおじさんが言ったみたいに効いたら、早速、友達も呼んでパーティーしよ!」
「ああ。でもな、オレ、今日ほんとに気分悪いから・・・」
「いいじゃん、おじさん言ってたじゃん。病気でも元気になるって」
「俺、寝ときたいっちゃけど・・・」
「だから、一緒に寝よ!」
「だからぁ~、ああ、もうどうにでもしてくれ。あ、腕とかバレるからダメだぞ」
 友朗はそういうと、ベッドに倒れこむようにして横になった。

 笑顔のセールスマンと名乗る男は、友朗の部屋から出ると再びドアに向かって一礼した。
「天国のお買い上げありがとうございます。まあ、あなた方が行くのは、天国か地獄かわかりませんけどね」
 中目黒はそう言うと、すたすたと歩きエレベーターに向かった。
「あんな危ないもの、私が使う訳ないじゃありませんか。どうしてああいう連中(れんじゅう)はああいうものを使いたがるんですかねえ。解せませんねえ。まあ、私は稼がせてもらえるんで、長兄さまさまでございますけどねえ」
 中目黒はそうつぶやくと、「ほっほっほ・・・」と笑った。その福々しい笑顔の奥には、なにか禍々しいモノが潜んでいた。
 そんなことは露ほども思わず、美優は床に転がって楽しそうに何度も赤い結晶を灯りに透かして見ていた。
 
 

 
 

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5.微光 (8)小さな幸せ

20XX年6月28日(金)

 河部巽(たつみ)は現実を目の当たりにして呆然としていた。

 ようやく隔離病室から出ることが出来、説明もそこそこに妻、千夏の病室の前に駆けつけたのだが、そこで見たのは病状が悪化し、苦しそうにあえぐ変わり果てた姿の妻と、必死に治療をしている医者と看護師の姿だった。
「河部さん」
 後を追いかけてきた高柳に呼ばれて巽は振り返った。
「センター長、妻は・・・」
「詳しくご説明をしようとしていたのですが、あなたがあまりにもすごい勢いで飛び出して行かれたので、機を逸してしまいました」
「すみません。隔離中もずっと気になっていて、妻の病状を思うと夜も寝られなくて・・・」
「無理からんことです」
「ですが、急いで来たものの、あの、想像以上で、私はどうしたらいいのか・・・」
「河部さん、まず、奥さんの今までの経過についてご説明させてください」
 高柳はそういうと、巽に説明を始めた。
「では、あの発疹は妻にだけ現れた症状だと・・・」
「はい、あのように広範囲に現れたのは、奥さんだけです。ただ、他にも特異な症状の出られた方がおられますので、奥さんだけが特殊な感染というわけではありません。赤視の症状があっても自傷や他傷行為がなかった方や、際立って呼吸器の症状が重かった方もおられました」
「過去形と言うことは、その方たちは・・・」
「そうです。すでに亡くなられています」
 と、高柳は静かに答えたが、その表情は厳しかった。
「では、妻も、もう・・・」
「まだあきらめるのは早いですよ、河部さん。奥さんにはまだ赤視の症状は現れていません。希望は捨てないでください。それにまだ数名闘病中の方がおられるんです。私たちは最後まであきらめません」
「僕だってあきらめたくありません。妻を励ましたいのですが、中に入ることはやはり出来ませんか?」
「はい。以前ご説明しました通り、あなたは感染を免れたようですので、病室には入れません。申し訳ありませんが、その窓越しでお願いします」
「はい・・・」
 巽は、そう答えると意を決したように病室の方を向いた。

 高柳が去った後、巽は一人窓越しに妻、千夏の姿を見守っていた。看護師たちは、かいがいしく千夏の看護をしていたが、巽は彼らの間に妙な空気が流れていることに気付いた。どうも、一人の女性看護師にそっけないような気がしたのだ。
 治療の功あってか、千夏の状態がだいぶ落ち着いてきた。彼女は窓の方を見、そこに最愛の人がいることに気が付いた。
「たっちゃん・・・」
「千夏、大丈夫か?」
「ごめんなさい、赤ちゃん・・・」
「いいんだ。君が生きていただけで、僕は・・・。それに、謝るのは僕の方だ。僕のせいで君が・・・」
「ううん」
 千夏は首を振った。
「たっちゃんのせいじゃないわ。だって、たっちゃんは、たまたまそこを通りがかっただけだもの」
「千夏ぅ・・・」
 病に倒れてもなお夫を思いやる妻を見て、巽は男泣きに泣いた。

 巽が病室で感じた違和感は間違いなかった。
 園山のまいた種は、看護師たちの間に急激に根を張り、疑心暗鬼を植え付けていった。特に甲斐にたいしてそれは強く、園山が思慕を持っていたと思われる山口医師にさえ、憶測が飛んだ。都築 翔悟こと、長兄、白王清護(すめらぎしょうご)の思惑通り、園山の投げかけた波紋はスタッフの間に着実に広がっていた。

 知事に呼ばれて知事室に向かうギルフォードは、知事室方向からやってくる60代から4・50代の男3人とすれ違った。3人は若干胡散臭そうな目でギルフォードの方を見たが、彼が笑顔で会釈をすると軽く会釈を返して去って行った。
 知事室に入ると、森の内は立ちあがってギルフォードを迎えた。
「ギルフォード教授、お待ちしていましたよ。首がフタバスズキリュウになるくらいに」
「首を長くしてということですか」
「エラスモサウルスとまではいきませんでしたが」
「あの、クビナガリュウの知識自慢で僕を呼んだのですか?」
 ギルフォードは、早々とゲンナリして言った。
「おっと、失敬。とりあえずかけてください」
 森の内はそういうと、ギルフォードをソファに座らせ、その後自分も座ると言った」
「ぶっちゃけ、用件から言います。政府から要請があったとですよ。はぁあ~、困った」
「何のです?」
「7月に入ったら、すぐに恒例のお祭りがあるでしょ?」
「ああ、あのY祭りですね」
「その全国的にも有名な祭りをですね、今年は控えてほしいと・・・」
「控える・・・。中止しろってことですか?」
「ええ、そういうことです」
「オー、それは・・・。男衆の、あの締め込み姿が見られないとはモッタイナイです」
「はぁ?」
「あ、いや、失礼シマシタ。続けてクダサイ」
「期間中3百万人の人出を誇る祭りです。相当な経済効果もある祭りなんで、中止となると・・・」
「それだけ人が集まるとなると、当然感染リスクが高まります。ましてや、県外からも相当の観光客が来るでしょうから、ウイルスが拡散するリスクもかなり上がるはずです。国が中止を求めるのも、決して理不尽な要求ではないと思いますが」
「しかしですね、話はそんな単純なことじゃないとです。中止しろと言われて、はい、わかりましたと答えられるものじゃありません。祭りというものは元来神事ですからね。特に700年の歴史がありますし当然、反発も出てくる。さっきも祭りの振興会の方々が来られて、中止はまかりならんと言う強い要請をして帰られたばかりなんです」
「ああ、さっきすれ違った人たちですね」
「おや、会われましたか」
「見たと言うのが近いですが。で、上手く説明していただけました?」
「リスクについてはちゃんとご説明しました。こんな状況だから、集客も望めないと言うことも告げました。でも、祭りは金儲けや集客のためにやるのではないと、お叱りを受けました。そもそも、この祭りの起源は疫病払いなんです。なので、こういう時だからこそ、やらなければならないとおっしゃって」
「疫病退散祈願の祭りが疫病を広めることになったら、シャレになりませんケド」
「しかし、今の感染状況は、死者は徐々に増えていますが、それは今のところ交通事故の死者数に比べても少ない数です。ガンや心臓疾患での死亡者数と比べると、もう桁が違う程少ない。しかも、病原体は未だ見つかっていない状態です。中止を納得させるには不十分でした」
「知事権限で中止させることも出来るでしょう? それに、M県の口蹄疫禍の時は、かなりの夏祭りが中止されたと聞きますし」
「あの時は、病原体もわかっていましたし、かなり深刻な状況でした。しかし、今のF市を見てください。平和そのものじゃないですか。この祭りは戦争末期に市内が大空襲にやられ、2年ほど中止されたのを例外に、何百年も続けられてきたんです。僕としても、中止するに忍びないとです。僕も今年こそは山を舁(か)きたかったとです。市民と一緒に『おっしょいおっしょい』と掛け声をあげたかとですッ」
 森の内のテンションがだんだん上がってきた。それとともにギルフォードにだんだん嫌な予感がつのってきた。
「あの、僕、依頼されたサイキウイルス対策マニュアルを完成間近なのを置いてきたんで、もう帰らなきゃ」
 ギルフォードはそう言いながら立ち上がり、そそくさと帰ろうとした。しかし、森の内はほぼ同時に立ち上がり、がばとばかりにギルフォードにしがみついた。
「教授~、お願いしますよお~。なんとかウイルス拡散を防いで祭りが出来るよう、お知恵を御貸しくださいよ~」
「離してクダサイ。僕は学者として祭の安全を確約することは出来ません。中止は妥当なセンだと思います。公衆衛生の面からも推奨出来ません。無理です、無理、ムリ」
「教授だって、締め込み姿が見れないのが残念とかさっき言ってたじゃありませんか~。一緒に締め込み姿で山を舁きましょうッ」
「嫌です。それに、僕自身は締め込み姿になりたくはないし、知事のも見たくないです」
「そんなこと言わないでくださいよお~。お願いです。お願いしますっ。一生のお願いですッ」
「だから、フンドシは恥ずかしいからしたくありません」
「褌とか言わんでください。締め込みと、いや、そのことじゃなくて、祭りをですね、祭りをッ・・・」
 森の内の声が上ずってきたので、彼の方をちゃんと見ると、目と鼻の先に彼の顔があった。
「うわぁ、近い近いッ! 近いです、知事!!」
 ギルフォードは知事の両肩に手を当てて、彼を遠くに押し戻すと言った。
「わかりましたから知事、落ち着いて」
 ギルフォードはどうどうとばかりに森の内をなだめると、ソファに座りなおした。森の内も安心したように座った。ギルフォードはもう一度深いため息をつきながら言った。
「祭り自体は中止しなくてもいいでしょう。飾り山を飾って、出店なんかも大丈夫でしょう。 他の行事も、怪我をしたり必要以上に人が群れたりするようなものじゃない限り大丈夫でしょう」
「と、いうと・・・?」
「残念ながら、12日以降の行事、特にフィナーレを飾る追い山は中止された方が良いかなと・・・」
「教授ぅ~、そりゃあなかつですよ。追い山ばやらんで何がY祭りですかぁ。追い山が終わらんと鎮め能もできまっしぇん」
「沿道を見物人が埋め尽くして、周囲のビルにも人が鈴なりになるんですよ。そんな中、もしテロリストにウイルスを撒かれたらどうするんです? 誰も何も気づかないまま数日後には日本中で発症者が大発生するかもしれないんですよ。そうじゃなくても舁き手や見物人の中に感染者がいたとしたら・・・」
「それやけんギルフォードしぇんしぇえにお願いしとおとです。頼みますけん知恵ば貸してやらんでしょうか」
 お国言葉全開である。困ったギルフォードは腕組みをして黙り込んでしまった。この祭りが土地の者にとってどんなに大切かよくわかっているからだ。すると、森の内はいきなり応接セットから飛び出すと、床に頭をこすりつけるように土下座して言った。
「お願いしますけん、どうかうったち(私たち)に力ば貸してください」
「知事、そんなことなさらないで・・・」
 ギルフォードは困り果てて言った。

「それで、引き受けてきたんですの?」
 紗弥は、ギルフォードにミルクティーをサーブするとため息をつきながら言った。ギルフォードは若干仏頂面気味に言った。
「土下座までされて、僕にどうやって断れというんですか? しかも、もうちょっとで市長まで出てきて土下座大会になるところだったんですよ」
「私なら、断固としてお断りしますわ。拡散のリスクが高すぎますもの」
「そうねえ、紗弥さんならきっぱりと断れそうだけど、私はモリッチーにそんな風に泣きつかれたら気持ちがゆらぐなあ」
 と、由利子がマニュアルの校正をする手を止めて言った。
「そうでしょそうでしょ。あれを断ることが出来るのは鬼と紗弥さんくらいですよ」
「まあ、私は鬼と同次元ですのね」
「あ、いや今のは言葉のアヤです。スミマセン、サヤさんは天女のように優しいデ~ス」
「今更遅いですわよ」
 と言うと、紗弥はギルフォードの頭を持っていたお盆で軽くはたいた。
「それに、私は大事な羽衣を盗られて結婚を迫られるような間抜けじゃありませんわ」
 紗弥はそう言い捨てると、お盆を返しに行った。
「しまった、羽衣伝説で返されるとは、不覚でした」
 と、ギルフォードは叩かれた頭をさすりながら、若干悔しそうな表情で言ったが、すぐに笑顔で言った。
「それにしても、サヤさんは変わりましたね。いいコトです」
「そうなの?」
「はい。ちょっと前なら、さっきみたいな冗談を言ってもガン無視でしたよ。最近、よくサヤさんは僕をはたいてくれます。嬉しいです」
「そこだけ聞いたら、変態発言だな」
 と、由利子は苦笑い気味で言った。
「教授、要らないことは言わないでくださいませ」
 紗弥は相変わらずのポーカーフェイスだったが、少しだけ照れくさそうに見えた。
「それよりお祭りのこと、安請け合いしてどうされるおつもりですの?」
「ああ、そうでした。それがそもそもの問題なのでした。でもまあ、当事者の方々を含め、みなさんの協力をいただいて無事にお祭りを終えられるよう努力するしかないでしょう。お祭りに乗じて、テロリストたちがなにか仕掛けて来るかもしれません。ジュンたちもがんばってもらわないと」
 ギルフォードは足を組みなおし両手で右ひざを抱えながら、半ば居直ったように言った。しかし、
「じゃあ、アレクの締め込み姿、楽しみにしているね」
 と、由利子が楽しそうに言ったので、すっかりそのことを頭から切り離していたギルフォードは、再び憂鬱そうにして首をゆっくりと左右に振ってから言った。
「締め込みは謹んで辞退します!」

 初音は動物保護センターのケージの中で、少し戸惑っていた。
 今日は朝から職員の態度が少し違っていた。いつもより朝ごはんが豪華で、職員たちが何か言いながら、かわるがわる頭を撫でてくれた。涙ぐんでいる者もいた。
 初音は、いつもと違った空気を感じながら、ケージの中で寝そべっていた。
 昼過ぎに、初音はケージから出された。いつものお散歩とは違う時間に出されて、初音は喜んで職員に飛びついた。
「初音ちゃん、ここに来た時は唸ってばかりでどうしようかと思ってたけど、こんな良い子になってくれて嬉しいよ。でも、これでお別れなんだよ」
 彼女はそういうと、初音の頭を撫でた。笑顔だが少し涙ぐんでいた。
「さあ、行こうね」 
 彼女は初音を連れて待合室の方に向かった。途中、春風動物病院の獣医師の妻、小石川舞衣がかけつけた。初音が嬉しそうに尻尾を振ってワンと吠えた。
「初音ちゃん」
 舞衣は初音に駆け寄ると、ぐっと抱きしめた。
「舞衣さんは、毎日来てくれて初音ちゃんのケアをしてくれてたんですもん。お別れは辛いでしょう?」
「ええ。でも、これは仕方のないことだから・・・。さ、ここでうだうだしていても仕方ないわ。初音ちゃん、途中まで一緒に行こうね」
 初音は舞衣と職員の間で、双方に軽くじゃれながら歩いた。少しはしゃいでいるようで、いつもとは違うことを察しているように思えた。
 待合室のドアを開けると、ソファに座っていた女性がさっと立ち上がり、一礼して言った。
「こんにちは、窪田と申します。今日は初音ちゃんの里親になるため参りました」
 それから初音を見て優しそうな笑顔で言った。
「初音ちゃん! あなたが初音ちゃんね!」
 彼女は初音に駆け寄ると、しゃがんで彼女の頭を優しくなでた。初音はお行儀よくお座りをしていたが、満面の笑みで目を細めながら撫でられている。舞衣が少し驚いて言った。
「あら、初音ちゃん。全然怖がらなかったわね」
「元飼い主の五十鈴さんの臭いが、かすかに残っているのかもしれませんね」
 と、華恵が言うと、職員の女性が納得して言った。
「ああ、それで・・・。そうかもしれませんね。窪田さん、ギルフォード先生と感対センターの方からの紹介でしたね」
「はい」
 華恵は立ち上がりながら言った。
「そこで、この子の飼い主さんとたまたま同室になりまして・・・」
「飼い主の方はお気の毒でしたね」
「はい。私も未だに信じられません。でも、事実なんですよね・・・。私は幸い感染してなかったようで、水曜には病院から解放されたんですが、あの家にはもう住みたくないので、亡くなった主人の身内に家を任せて、しばらくは実家に身を寄せて家業を手伝おうかと・・・」
「それで、初音ちゃんを引き取るご決心を?」
「はい。何かの縁だと思いまして。主人が動物をあまり好きではなかったので、ずっと生き物を飼うことはなかったんですが、いつか犬か猫を飼いたいなと思っていたんです」
「動物の飼育の御経験は?」
「子供のころからずっと犬を飼っていましたし、結婚前には猫もいました。私の実家はみんな動物好きなので・・・」
「この子を飼う環境はどうですか?」
「はい。実家がH村でペンションを営んでいますので、自然もいっぱいで、広い柵のある庭もあって、きっと、初音ちゃんものびのび出来ると思います。実家で飼っていた犬が1年ほど前に老衰で亡くなっているので、両親も心待ちにしているようで・・・」
「判りました。特に問題ないようですね。では、誓約書とか、いろいろ手続きがありますので、こちらにどうぞ」
 華恵は待合室のカウンターに案内された。舞衣はソファに座って初音をあやしながら、華恵の手続き終了を待った。

 初音は、華恵と舞衣と共にしばらく周辺を散歩した後、華恵の乗用車に乗せられた。車にはきちんと旅行用ドッグバッグが備え付けられていた。華恵は丁寧にお礼を言うと、車に乗りゆっくりと発進させた。
 初音の乗った車の車影が見えなくなると、舞衣はその場に座り込んだ。
「初音ちゃん、良かったよお・・・。幸せになるんだよ」
 舞衣は座り込んだまま、わ~んと子供のように泣きだした。

「ハツネちゃんが、無事、クボタ・ハナエさんに引き取られていったそうです」
 舞衣から報せを受けたギルフォードが皆に伝えた。
「ああ良かったぁ。保護した甲斐があったねえ。でも、里親になってくれた窪田華恵さんって、あの亡くなられた窪田さんの奥さんよね。ずいぶんとキツそうな方ってイメージがあったけど、意外だねえ」
「僕はちょっとだけお会いしましたが、そんなキツそうな方には見えませんでしたよ。そもそも、動物好きに悪い人はいません」
 ギルフォードはきっぱりと言った。紗弥がそれに真顔で答えた。
「そうとは限りませんけど。動物が好きで人をないがしろにする人は沢山いましてよ」
「まあ、そんな人もいるのは事実ですが、僕は人も動物と思ってますから、人を大事に出来ない人は動物好きを名乗る資格はないと思いますよ」
「教授らしい考え方ですわね」
「ましてや、特定の動物を人のものさしで神聖視するに至っては、何をかいわんやですよ。神聖視された方も迷惑千万だと思います」
「まあ、極端な話は置いといて・・・」
 由利子は話が過激な方向に向かいそうになったので、急いで話題を逸らした。
「初音ちゃん、どこへ? 窪田さんが住んでいた場所には住みにくいと思うけど・・・」
 由利子は川崎家の惨状を思い出しながら言った。窪田家もそうなる可能性があるように思えたからだ。
「はい、ハナエさんの実家がH村でペンションをしているので・・・」
 と、ギルフォードは舞衣から聞いた通りのことを伝えた。
「そっか。いいところにもらわれたんだ。この事件が片付いたら、みんなでそこに泊まりに行こうか」
 由利子の提案に、ギルフォードはノリノリで答えた。
「そうですね。ジュリーやジュンも一緒に、もちろん、ミハもね」
「美葉・・・」
 由利子は未だ行方不明の親友のことを思い、また心が重くなった。
「今、どうしているのかなあ・・・。ひどい目に遭ってなければいいけど・・・」
「ユリコ、大丈夫です。ミハはユウキにとっても切り札です。誘拐事件から立ち直れた彼女は強い精神力を持った人です。きっと無事で戻ってきます」
「私もそう思いますわ。一度だけしかお会いしていませんが、見かけと違って根性のありそうな方だと思いましたもの。きっと困難を切り抜けて戻って来られますわ」
「ありがとう、二人とも」
 二人に力づけられて、由利子は何とか笑顔で答えた。しかし、親友のために何もできない自分に対してのわだかまりは、美葉誘拐以来、消えることはなかった。何かのはずみでふっと思い出し、いたたまれなくなる。
(人の顔が覚えられたって、結局何の役にも立ってないじゃないか)
 由利子はそう思って窓の外を見た。空には梅雨特有の憂鬱そうな鉛色の空が広がっていた。そんな由利子の気持ちを察してか、あるいは美葉の名前に反応したのか、寝そべっていた美月が起き上がって「ワン!」と鳴いた。ギルフォードは笑いながら美月の頭を撫でて言った。
「もちろんミツキも一緒ですよ。きっと君はハツネちゃんと仲良しになれると思います」
 それを聞いて安心したのか、美月は満足そうに横になって毛づくろいを始めた。その一連の動作が妙に人間臭かったので、由利子はつい笑ってしまった。笑ったら少しだけ気持ちが楽になったような気がした。 

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5.微光 (9)Dead or Arive

20XX年6月29日(土)

 ギルフォードは紗弥も由利子も連れず、一人感対センターにやってきた。何故か千夏の病状が気になったからだ。
 千夏の病室の前に行くと、既に夫の巽が来ていた。
「おはようございます、カワベ・タツミさんですね」
 いきなり西洋人に話しかけられ、巽は少し戸惑いながら言った。
「はい。えっとあなたは・・・、ひょっとしてギルフォード先生ですか」
「はい、そうです。はじめまして」
「妻を力づけてくださったそうで、ありがとうございました」
「奥さんの様子はいかがですか?」
「まだ子宮からの出血が止まらなくて定期的に輸血しているそうですが、今日は朝から容態は安定しているようです。実はさっきまで気分もよさそうで、しばらく話をしていたんですが、疲れたのかまた眠ってしまいました」
「赤視のほうは・・・?」
「幸い、未だその症状は出ていません。でも、妻の病状は、特に変わっているみたいですが、ひょっとしてウイルス変異の可能性があるのでは?」
「他の患者さんも人によっては病状が違っていましたから、一概には言えないと思いますが・・・」
 変異についてはまだ推測の域を出ていないため、ギルフォードは歯切れの悪い返事をするしかなかった。変異があろうが無かろうが、治療法がない限りは対して違いはない。しかし、変異のあった場合、いずれ厄介なことになるだろうことの予測はついた。巽はそれがわかってか、不安そうに妻の方を見た。

 由利子は土日休みで、今日は久々に日が差しているので、すかさず洗濯にいそしんでいた。この際と思い、夏用の毛布を洗濯機にぶち込み、さて一息してコーヒーでも飲もうかと思った時、電話が鳴った。送信者を見ると黒岩だった。おや、どうしたのかなと思い、電話に出た。
「はい、篠原です」
「黒岩です。あの・・・」
 何となく声が暗いように思えた。なんとなく何か起きたなと直感した由利子はやや慎重に訊いた。
「黒岩さん、ご無沙汰しています。えっと、どうかされたんですか?」
「うん・・・。あのね、昨日辞表出してきたと」
「えっ?」
「ごめんね。せっかく篠原さんが・・・。悪いなと思って黙っておこうと思ったやだけど、やっぱりちゃんと伝えた方がいいと思ってさ」
「どうして?」
「この前、篠原さんに古賀課長が亡くなったって電話したやろ? 新型ウイルス感染かもしれんって。で、篠原さんが知り合いの教授に伝えてくれた・・・」
「うん。先週の月曜だっけ・・・。そうそう、駅で感染者が死んだ日でしたね」
「あの翌日ね、保健所の方が来て、社員全員に問診してね、その後課長の家にも立ち入り検査があったらしいけど、結局様子を見るということになって・・・。でも、どこからか、ウチの会社からサイキウイルス患者が出たってっていう噂が広がってしまってから・・・。それでね、何でか私が篠原さんに言ったから保健所が来たって言うことがバレて・・・」
「え? 私、教授には会社の人から聞いたとしかいってないよ!」
「うん。多分私とあなたが親しかったから立った推測でしかないと思うけど・・・」
「でも、やっぱり変でしょ。私、会社には今どこに勤めているかなんて言ってないし」
「この前、週刊誌でサイキウイルス特集しとったやろ。あれ買った人が、写真に篠原さんらしい人が写っているって言って、ちょっとした騒ぎになったっちゃん。多分、そのせいやと思う」
「う~ん、私、テレビなんかで人権保護の目線とか入ってるのを見て、いつも『こんなん、知り合いや身内が見たらわかるやん』とか言ってたけど、やっぱりねえ」
「なん、妙なところに納得しとぉと」
「ああ、すみません。私もあれ読んだけど、ひどい記事でしたねえ」
「ほんとやね。・・・それで、その推測が的を射ているだけになんか会社に居づらくなって・・・」
「ええ? そんな馬鹿な・・・」
「私もそう思う。でもね、篠原さんが思っている以上に、サイキウイルスについては過剰反応する人が少なからずいるってことよ。営業に影響が出たのは事実なんやし」
「ごめんなさい。私、考えなしだったかも・・・」
「いいとよ。私もあの時、そのつもりで電話したっちゃけん」
「で、これからどうされるんです?」
「どうしようもなくなって、とうとう長野にいる夫の両親に相談したと。そしたらウイルスのこともあるし、親子でこっちに疎開して来なさいって言ってくれたと。それで、踏ん切りがついて辞表を出すことに決めたっちゃん」
 由利子はそれを聞いて、そんなことなら急いだ方がいいと思った。ウイルス禍が深刻になれば、転校先で肩身の狭い思いをするかもしれない。
「それなら早くした方がいいと思います」
「うん。とりあえず、娘の転校手続きをして先に長野に行かそうと思っとるんやけど」
「黒岩さんは?」
「残務が残っとるし、課長が亡くなってから2週間経って、保健所から多分大丈夫だろうと言われたけど、もう少し様子見ようと思うから、少し遅れて行くことになるやろうね」
「そっか。でも、娘さんが不安だと思うから、出来るだけ早く行ってあげてください」
「うん。そうするつもり」
「長野なら、気楽に会えなくなりますね。寂しくなるなあ・・・」
「こんど、遊びにおいで。長野、いっぱいいいとこあるから」
「うん、そうするね」
 由利子はその後黒岩と少し世間話をして電話を切った。意外と長話をしていたらしく、毛布の洗濯はすでに終わっていた。
 

 感対センターのエントランスの前に、強面の男たちが並んでおり、異様な雰囲気を醸していた。

 すでにセンターは一般診療を中止し、サイキウイルス対応に特化しており、訪れる者も隔離されている人たちの関係者くらいなのだが、それでも数人の見舞客が怖ろしそうに、あるいは胡散臭そうにして傍を通って行った。当然、センターのスタッフたちも戦々恐々としていた。
 しばらくすると、中から若い女性が後ろに医師や看護師を従えたような形で出てきた。それを認めると、男たちはいっせいに姿勢を正した。女性は竜洞蘭子だった。友人二人が発症したために、森田健二との接触から一週間過ぎていたが念のために今日まで隔離されていたのである。
「お世話になったわね」
 彼女はスタッフたちにそういうと、高柳の横に立っていた山口に向かって言った。
「あなたには本当にお世話になったわ。それに免じて、この病院には手出ししないように言っておくから安心して。では、センター長、みなさん、ごきげんよう」
「ああ、二度と戻って来るんじゃない、ですよ」
 高柳が飄々として答えた。蘭子は一瞬眉を寄せたがくすっと笑って言った。
「あのね、刑務所から出ていくんじゃないんだから。まあ、2度会いたくないけどね」
 そういうと、彼女は踵を返しドアの外に出た。
「お嬢さん、お帰りなさいませ!!」
 男たちはそう言うと一斉に頭を下げた。
「もう、いいから。ほんとにもう、まるで出所したみたいだねえ。行くよッ」
 竜子はバツの悪そうにしながら男たちを引き連れて去って行った。彼女の姿が見えなくなると、スタッフたちは緊張がほぐれて言った。
「はあ、やっと行った~」
「まったく、あのわがまま娘は~」
「高柳先生、よくあの状況であんなこと言えましたね」
 高柳は看護師の疑問にふふっと不敵な笑みを浮かべて持ち場に戻って行った。
「さ、私たちも戻るわよ」
 山口はそう言った後、ちらと竜子が去って行った方をみると、病棟の方に向かった。

 
 
 山口が持ち場に戻るために廊下を急ぎ足で歩いていると、院内アナウンスがセンター内に響いた。
「山口先生、至急スタッフステーションまでお戻りください。繰り返します・・・」
「何かあったのかしら?」
 山口はつぶやくと、駈け出した。すると前方に看護師が一人走ってくるのが見えた。
「先生っ、居たっ!」
「どうしたの? 何かあったの?」
「はい、河部千夏さんの容体が急変して・・・」
「え? 今日は朝からわりと安定していたのよ。それに赤視もまだ始まっていないのに?」
「私たちもそう思っていましたが、先ほど急に苦しみ始めて・・・。今、三原先生や敏江先生も他の患者さんの容体が悪化して手が離せないので急いでください」
「わかった。急ぎましょう」
 山口は全力で廊下を駆けて行った。山口が千夏の病室の前に駆けつけると、巽が何かに祈るように手を合わせて何かブツブツと言っており、病室ではギルフォードが必死で心臓マッサージをしていた。

 千夏の容体が安定しているので、ギルフォードはとりあえず大学に戻ることにした。病室には甲斐をはじめ3人のスタッフがいたので、彼らにも戻ることを告げドアの方に向かおうとしたその時、巽が彼を呼び止めた。
「ギルフォード先生、待ってください。千夏の様子が何か変です」
「変?」
 ギルフォードは首をかしげながら振り返り病室の様子を見た。すると、さっきまで落ち着いて眠っていた千夏が、かすかに痙攣している。ギルフォードの脳裏に多美山の最後の発作が起きた時の状況がよぎった。
「まさか・・・」
 と、ギルフォードがつぶやいた次の瞬間、千夏が全身を引きつけた。口から血があふれ、ベッドの腰のあたりからも血がにじんで床にしたたり落ちた。ギルフォードが愕然としてつぶやいた。
「放血? 馬鹿な! 早すぎる!!」
 その時、千夏に駆け寄ろうとした甲斐が、他の看護師に突き飛ばされた。
「寄らないで! あんた、何する気よ!!」
 突き飛ばされた甲斐は、床にそのまま座り込んでしまった。突き飛ばされたことより、仲間の言動が数倍のショックを与えたのだ。ギルフォードはそれを見た途端、駈け出していた。夢中で防護服を身に着け千夏の病室に入ると、生体モニターの心拍数の線形がすでに平坦になって、血圧計の数字がどんどん下がっていた。巽は、窓にすがりつくようにして千夏の名を何度も叫んでいた。
”くそっ、心肺停止だって? 馬鹿な!!”
 ギルフォードは思わず自国語で叫んだ。看護師たちが動揺してざわめいている。
「この子よ! この子がまた何かやったんだわ!」
「そうだよ、さっきまで全然落ち着いてたんだ!」
「違います! 私、何も変なことしていません!!」
 甲斐は、蒼白になりながらも必死で否定した。ギルフォードは千夏の傍に駆けつけ、脈拍や呼吸の確認をしていたが、顔を上げるなり怒鳴った。
「そんなことより、今はすることがあるでしょう!! 心肺停止状態ですが、まだ間に合います!」
 彼は言うや否や、心臓マッサージを始めた。

 山口は、千夏の病室に飛び込んだ。
「気道送管します!」
 山口は千夏の傍に駆けつけると看護師から器具を受け取り、慎重にチューブを千夏の口に送管した。その後聴診器で確認すると、ギルフォードの方を見て言った。
 
「ギルフォード先生、すみません。替わります」
「お願いします」
 担当医師が帰って来たので、ギルフォードは山口に後を頼んだ。
「除細動器お願い! 千夏さん、聞こえる? がんばって」
 山口はそう叫びながら心臓マッサージを始めた。自由になったギルフォードは少し余裕が出て、窓にへばりついている夫の巽の方を見た。このままでは彼の方まで死んでしまうのではないかという程蒼白な顔で、ガタガタと震えている。ギルフォードは内線のマイクを取ると言った。
「誰か、カワベ・タツミさんのケアをお願いします!」
「僕はいいですから、千夏を、千夏を助けて・・・」
 河部は懇願するように言った。その巽の横に高柳の姿が見えた。千夏の容体の変化を聞いて駆けつけてきたのだ。
「河部さん、しっかりしてください。今は、ウチのスタッフにすべてを任せて!」
「は、はい、僕は大丈夫です」
 高柳は巽を励ますと、スタッフの方を見て言った。
「どんな状況だ?」
 それに対して、ギルフォードが答えた。
「つい、10分くらい前まで静かに眠っておられたのですが、急に発作が起こっていきなり痙攣を始めたと思った矢先に放血が始まりました。僕がかけつけた時にはすでに心停止の状態でしたので、すぐに心臓マッサージを行いました。おそらく心停止直後だと思います」
「それまでの病状は?」
 これに対しては、山口が心臓マッサージを続けながら報告した。
「昨日の容体悪化を脱してからずっと落ち着いていて、会話も可能な程度には持ち直していました。赤視も朝の診察時ではまだ起きていませんでした。申し訳ありません。私が油断したばかりに・・・」
「私もおそらくそう判断しただろう。だが、今それを気に病んでも仕方が無い。とにか蘇生のく可能性に賭けるんだ」
「はい!」
 山口は力強く答えた。
「先生、除細動器のパッドを・・・」
 と、甲斐が言いかけると、横の看護師が言った。先ほど甲斐を突き飛ばした女性だ。
「あなたは傍に寄らないで。何かあった時に疑われるわよ」
「山本さん、今、そんなことは気にしないでいいから。甲斐さん、パッドをお願い」
「あ・・・ありがとうございます」
 甲斐は、少し声を震わせて言った。
「通電するわ、みんな離れて!」
 バン! という音がして、千夏の身体がはねた。しかし、ベッドサイドモニターの波形に変化はない。2分後に2度目を行ったが、やはりフラットなラインは乱れもしなかい。ギルフォードと山口は交代で心臓マッサージを行い、除細動器での蘇生を繰り返した。しかし、20分以上経過しても千夏の生体情報モニターの心電図波形はピクリとも動かなかった。
 時間の経つにつれ、スタッフの間に無力感が広がっていった。既に何人もの発症者を看護したにも関わらず一人たりとも救うことが出来ず、疲れ切った彼らがそういった反応をするのは無理からぬことかもしれない。そうして遂に看護師の一人が弱音を口に出した。
「こんなの無駄だよ。この病気を発症したら助からないんだろ・・・。それならもうこのまま・・・」
「バカなことを言わないでください!!」
 そう怒鳴ったのは、山口やギルフォードでなく甲斐看護師だった。彼女は他の看護師たちが無気力に動く中、一人でてきぱきと山口の指示に従っていた。
「私は自分に負けて亜由美さんを死なせてしまったけど、千夏さんには亜由美さんの時より何倍も生還出来る希望があるわっ。体力だってまだあるし、赤視だってはじまっていないもの! 私はあきらめない!」
「甲斐さんの言うとおりよ。このままCPRを続けるわ。せめてあと30分、みんな、力を貸してちょうだい」
 山口は心臓マッサージを続けながら言った。
「千夏さん、頑張って! 旦那さんが泣いているわ、お願い、戻って! 戻れッ!!」
 それが聞こえたかのように、千夏の心電図波形が一瞬動いた。しかし、それはすぐにフラットに戻った。
「くそっ、ボスミン追加投与!」
「トモさん、代わります。今からは僕に任せて」
 と、ギルフォードが言った。
「大丈夫よ!」
「いえ、ムリしないで。それより、トモさんは的確な指示に集中してください」
 ギルフォードの後押しするように高柳も言った。
「ギルフォード君の言うとおりにしたまえ。ここで体力を使い切ってはいけない。」
「わかりました」
 高柳の一声に、山口はしぶしぶギルフォードと交代した。
 感対センタースタッフとギルフォードは、千夏の蘇生を続けた。まだ赤視が起こっていないという事実だけが、彼らの一筋の望みだった。
 しかし、時が経つにつれ、彼らの頭の中でじわじわと不安が頭をもたげていった。ひょっとしたら、赤視の症状が出ないタイプなのではないだろうか、いや、そもそも本当に赤視は起こっていなかったのか、いや、あるいはインフルとの感染で起きた劇症化なのではないか・・・。病室にあきらめの空気が漂い始めてきた時、千夏の心電図に弱いながら波形が現れた。それは数秒でフラットに戻ったが、皆の気持ちに微かな希望を与えた。
「もう一回電気ショックを与えます」
 と、山口が言った。
「離れて!」 
 山口の合図で皆が千夏から離れると、すぐにバンと言う音と共に千夏が跳ねた。しかし、相変わらず変化はない。やはりだめかと思い、ギルフォードが心臓マッサージを再開しようとした時、心電図に波形が現れた。看護師たちが歓声を上げた。お互い肩を叩きあって喜びを分かち合っている。その中には甲斐看護師の姿もあった。
「トモさん!!」
「ええ、ええ!」
 ギルフォードと山口の顔にもようやく笑顔が浮かんだ。戻った心電図の波形はかなり力強く感じられた。それと共に血圧が戻りつつあった。窓の向こうで巽が高柳におずおずと尋ねた。
「あの、千夏は・・・?」
「意識は戻りませんがh、何とか蘇生には成功したようです。まだしばらくは予断を許せない状態ではありますが・・・」
 高柳の説明を聞いて、巽はへなへなとその場に座り込んだ。
「はああ・・・。千夏、千夏、良かったなあ・・・」
「さあ、河部さん。奥さんに声をかけてあげてください」
 と、高柳が巽に促した。巽は高柳に支えられながら立ち上がり、再び病室に向かった。
「あの、何て言ったらいいのか・・・」
「何でもいいです。話しかけてあげてください。旦那さんの声になら反応するかもしれません」」
「はい」
 巽は少し緊張した面持ちで、マイクに向かって言った。
「千夏、千夏、僕だ、聞こえるかい?」
 呼びかけに返事はなかったが、巽には顔を少し自分に向けたような気がした。
「頑張ったね、千夏。戻ってくれてありがとう・・・。ごめんな、オレのせいでこんな、こんな・・・」
 それ以上、続かなかった。涙で何も言えなくなったからだ。彼はとうとう声を上げて泣き始めた。その声がマイクを通じて病室にも届いた。
「先生、千夏さんが!」
 甲斐が千夏の方を見ながら言った。ギルフォードと山口も千夏の顔を見て驚いた。まだ意識の戻っていない筈の千夏の左目から一筋の透明な涙が流れていた。
「ただの反射かもしれないけど、ひょっとしたら聞こえているのかもしれないわ」
「とりあえずは危機を脱したみたいですね。このまま持ちこたえてくれたら・・・」
「ええ。千夏さんは私たちの希望ね」
 山口はそういうと、巽に向かって告げた。
「千夏さんが、今、涙を流されました。あなたの呼びかけが聞こえたのかも知れません」
「千夏が涙を・・・」
 巽は答えたが、涙腺が崩壊したのか再び語尾が涙に詰まった。ギルフォードが少し悪戯っぽい表情で言った。
 
「チナツさんが心配します。もう泣いちゃダメですよ。
「は、はいっ。あのっ、先生方看護師さん方、ありがとうございますっ! お礼が遅くなって申し訳ありませんでした!」
 巽は生真面目な営業職らしく、ほぼ90度の角度で礼をしながら言った。彼はその姿勢を、高柳がもういいからと促すまで続けた。

(「第3部 第5章 微光」 終わり)   
第三部:終わり

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