6.暴走 (1)心の闇
20XX年6月9日(日)
「ごめんなさい・・・」
涼子は、美千代の苦しそうな寝顔を見ながら言った。
「こんな、対症療法しか出来なくて・・・。本当はあなたを助けたい・・・。私にはそれができるはずなのに。でも、私はあの方には逆らえない・・・、私は今、自分が作ったワクチンすらも自由に出来ない・・・」
涼子は、ベッドサイドに椅子を持ってきて座ると、うなだれ、しばらくじっと動かなかった。誰も動くもののない室内で、点滴の液だけが規則正しく滴っていた。
涼子は、あれからなんとか美千代を自分の車まで運び、近くの風俗営業のホテルまで連れて行った。やはり、人目につかないという点で、これを選ばざるを得ないと判断したためである。こういうところははじめての涼子には、かなりのカルチャーショックだったが、途中ご休憩済みの男女とすれ違い、彼らから興味津々な目で見られながらも、どうにかこうにか部屋にたどり着き、美千代をベッドに寝かせたのである。
しばらくして、涼子は搾り出すような声でつぶやいた。
「あなたの息子さんが亡くなったのは、私の夫のせいなの。彼は私怨を晴らすために、私の目を盗んでウイルスを持ち出した。それがどんなものかもよく知らないで・・・」
そういうと涼子は両手で顔を覆った。誰も聞く者のいない告白であった。
翌朝、美千代が目を覚ますと、もう涼子の姿はなかったが、美千代にはうっすらと記憶があった。あの時車の中で長兄さまから紹介された、あの女医さんがずっと傍にいてくれたような気がする・・・。美千代は、教主が涼子をよこしてくれたのだと信じた。実際、涼子の治療が効いたのか、気分はかなり良くなっていた。美千代はシャワーを浴びると、きっちりと身づくろいをした。少し痩せたせいか、かつての美千代より妖艶さが増したように思えた。美千代は鏡に全身を映し、満足したように微笑んだ。
すこぶるよい天気になった日曜日、早起きして恒例のジョギングを済ませた後、由利子は張り切って掃除洗濯を午前中に終えた。午後はまったりとした時間を過ごそうと昼食の用意をしていると、チャイムが鳴った。
「ねこねこ宅配便で~す」
インターフォンから声がした。
「は~い、今行きま~す」
由利子はいそいそと玄関に向かった。荷物はもちろん美葉からだった。底の方にはジャガイモやタマネギなどの根菜が入っていて、その上に新聞紙が敷かれ、きっちりとお菓子が並べてある。しかし、野菜とお菓子の間にもう一つ何かが入っていた。
「何やろ?」
由利子はそれを手に取った。厳重に包まれた包装紙を剥がすと、中からCDかDVDらしきものが出てきた。パッケージには安い宇宙の背景に、いかがわしいコスチュームを着て銃を構える女性の写真が合成されている。
「え?『宇宙女刑事インジュー』?」由利子の手からDVDが滑り落ちた。女に『スケバン』刑事に『デカ』とルビがふってある。
「何これ、裏DVDじゃない?!」
それも、オタク向けコスプレモノである。パッケージの裏は主演女優がさまざまなコスプレをした写真で構成され、さらに、やたらと触手のある(安い造形の)怪人が裸同然のヒロインを襲っている画像が下の方に配置されていた。
「ちょっと、なんでこんなもんが野菜と一緒に入っているのよ!!」
由利子は驚いて速攻で美葉に電話をした。美葉はすぐに出た。
「美葉? 何よ、あれ?」
「由利ちゃん、落ち着いて。あれ、結城さんが送って来たと。大事なデータが入っているから私にしばらく預けるって。多分外側は偽装やけん」
「偽装? よりにも寄ってあんなもんに偽装せんでもよかろ~もん」
「だって、手に取っただけで引くやろ?」
「そりゃあ、ドン引きしたよ、ったくぅ。なにが『ハツジョーせよ!インジュー!』だぁぁ!! 謝れ! ギャ○ン・シャリ○ン・シャ○ダーに謝れ!! ついでに麻宮○キにも謝っとけ! あんなモン彼女に送ってくるなんて、トンだセクハラヤローだよ! ほんっとに、ロクでもないヤツだよ、あんたの彼氏は!!」
由利子はマジギレしてまくし立てた。
「ごめんね~」
美葉が電話の向こうで言った。
「だいたい、女性の部屋にこんなモンがあったら余計に目立とーもん。特にあんたの部屋は」
「ほんとにそうやね」
美葉はクスクス笑いながら言った。
「だからって、AVの煽り文句まで言わんでもいいと思う。由利ちゃん、相変わらずやねえ」
「あ・・・、つい勢いで・・・」由利子は冷静さを取り戻すと続けた。「そもそも普通の人が使わない小難しい計算ソフトに偽装するほうが、人に敬遠されそうだからよっぽど偽装の価値があるやろ」
「う~~~~ん、多分そーゆーパッケージしか手に入らんかったんやろ~ね」
「日ごろの暮らしが偲ばれますなあ・・・」
「なんか私じゃ不安だから、由利ちゃんに持っとって欲しいと。ほら、私、監視されてたりするやろ?」
「じゃあ、せめて送る前に了解させて欲しかったよ」
「ごめんごめん、荷造りの時に急に思い立ったんで・・・」
「まあ、いいや。預かってやろう。まあ、パッケージは変えさせてもらうけど」
「ありがとう、由利ちゃん。やっぱ頼りになるわぁ。パッケージについてはお任せします」
「でさ、話は変わるけど・・・」
由利子は、テロやスパムの件を上手く外して、昨日のギル研訪問について話した。
「え~っ! やっぱそうやったんやね、アレクってば。実はね、会った時そんな感じがしたっちゃん」
「ええ? わかったと、美葉?」
「なんか雰囲気がなんとなく。でも、残念やねえ、せっかくイイ男なのに」
「そうよ、女性にとっては多大なる損失だわ。まあ、そのぶん妙なことにならんやろうから、安心やけど」
「あはは、何よぉ、妙なことって」
二人はその後、雑多な話で盛り上がった。電話を切った後、由利子は例のパッケージを見ながらため息をついた。
「これ、どーしよ。捨てることすら恥ずかしいなあ・・・」
とりあえず由利子は、昼食の支度の再開を優先し、CDRの『偽装』については後で考えることにした。
少し日が落ちて若干過ごしやすくなった3時過ぎ、祐一は気分転換にベランダに出て行った。あれ以来祐一は引きこもりがちになっていた。なんに対してもヤル気が起きない。家族は心配していたが、様子を見ながらしばらくそっとしておくことにした。しかし、ベランダの祐一を見ながら両親が心配そうに会話を始めた。
「ひょっとしたら、カウンセリングを受けさせんとイカンかもしれんなあ」
父親は言った。
「友人に医者がおるけん、だれかいい人を知らんか聞いてみとこうか」
「そうね・・・、お願いしておきますね。でも、私は祐一ならこれを、なんとか乗り越えられるような気がするとですよ」
と母親が言った。
「相変わらず親馬鹿やな」
父は、笑いながら言った。
祐一がベランダに出ると、愛犬が尻尾を振って出迎えた。ジョンと言う名の、5年ほど前に保健所から子犬の時に引き取った雑種のオス犬である。もらってきた時小さかった彼も、今では小ぶりのシェパードほどのサイズに成長した。
「足の太かったけん、身体もでかくなるやろうとは思うとったばってんなあ」
父はどんどん大きくなるジョンを見るたびにしみじみと言った。毛は長いが毛色や模様もシェパードっぽいので、多分親か先祖にシェパードは入っているだろうねと家族で結論した。彼は、自分が一家に命を救われたことを知っているのか、家族の言うことを良く聞いた。しつけも良かったのだろう、彼は身体はでかいが優しい犬に育ったのである。
「ジョン、おいで」
祐一はベランダに座ると愛犬を呼んだ。ジョンは祐一の前に来るとお座りをして尻尾を振った。
「フリスビーをして遊ぼうね。鎖、外してやるけんね」
鎖から開放されたジョンは、喜んで庭をぐるぐると走り回ったが、祐一がフリスビーを投げるとすぐにそれを追って見事にキャッチした。数回それを繰り返していると、友だちと買い物に行っていた妹が帰って来た。
「おにいちゃん、ただいま~」
「香菜、お帰り。早かったね」
「うん。みさきちゃん、これからピアノのおけいこだって・・・あ、ジョンにもただいまぁ」
香菜はお帰りのポーズで待つジョンにも声をかけ、頭を撫でる。ジョンは祐一以外には決して飛びつかなかった。他の人に飛びつくと倒れることがあって危険なことを知っているからだ。
「香菜は何かお稽古事には行かんでもいいと?」
祐一が聞くと香奈が答えた。
「うん。ピアノはお母さんが教えてくれるし、お勉強はおにいちゃんが教えてくれるからいいっちゃん。あ、香菜もジョンと遊ぶけん着替えてくる~。ちょっと待っとってね」
しばらくすると、香菜が着替えてやってきた。ジョンは香菜に良いところを見せようと思ったのか、張り切ってフリスビーを追いかけキャッチした。祐一と香菜の笑い声が響いた。西原夫妻は居間でテレビを見ていたが、笑い声に気がついた。母が、嬉しそうにいった。
「あら、祐一が笑っとお。久しぶりやねえ。良かったぁ」
「やっぱりペットは癒しになるんやなあ」
父もすこしほっとした表情で言った。
「このまま、元気になってくれたらいいとですけど」
「大丈夫、あん子のことやけん、きっと元気になるばい」
しかし、夫婦の会話とは裏腹に、その光景を凄まじい目で見ている人物がいた。ジョンがそれに気づいてけたたましく吼えた。祐一と香菜は、ジョンの吼えた方角に反射的に振り向いた。それと共に、近くに止まっていた自動車が走り去っていった。
「いいわ、出してちょうだい」
犬が吼えるのを聞いて、美千代は運転席の男に言った。
「いいんですか? でも、会ってお話とかは・・・」
「いいから出して。あの子達と話すことはないわ」
男は、不審そうな表情をしながらも、車を発進させた。彼は今までの男達と違って年齢も高く、礼儀正しい紳士だった。
「ヘンな美夜さん。どうしてもここに来たいって言うから来たのですよ」
「顔が見れただけで充分だわ」
美千代は膝の上で両手を握り締めながら言った。
(笑っていたわ)美千代は思った。(私のまあちゃんは死んだのに、あの子は幸せそうに笑っている・・・)
美千代の心の中で、黒い染みがまた広がっていった。
「美夜さん、どうしたの? すごいを顔していますよ」
男が心配そうに声をかける。
「あ、ごめんなさい。少し疲れているんだわ。どこか静かなところに行ってお茶にしません?」
美千代は取り繕うように言った。
「了解。おいしいコーヒーを出すお店を知ってますから、そこにお連れしましょう。静かだし、お店の趣味もなかなか良いんですよ」
「ありがとう、都築さん。楽しみだわ」
美千代は言った。
「少し、眠っていいかしら?」
「どうぞ! 着いたらお起こししますから、安心して眠ってください」
都築の言葉に甘えて、美千代はシートに身体をうずめた。眠りは美千代をさらに深い闇に誘っていった。
「ジョン、どうしたと? ほえちゃダメやろ? おにいちゃん、ジョンがほえるってめずらしいけど、さっきの車のせいかなあ」
香菜はジョンをなだめながら、祐一の方を見た。しかし、祐一の様子がおかしい。
「あの車・・・雅之のお母さんが乗ってたような気がする・・・」
「おにいちゃん?」
「雅之・・・」
祐一はよろめきながら言った。
「おにいちゃん、どうしたん? しっかりしてぇ!!」
「雅之・・・オレが追い詰めたけん死んだとや? ひょっとしてオレが殺したとか?」
そう言いながら、祐一は頭をかかえ座り込んでしまった。ジョンが吼えるのを止めて祐一に駆け寄り、心配そうに彼の手を舐め始めた。
「お父さん! お母さん! おにいちゃんが、おにいちゃんが・・・!」
香菜の叫び声に驚いて両親が家から飛び出してきた。
「いかん、フラッシュバックや!!」
父が言った。
「とにかく家の中に入れよう。母さん、病院の薬、用意しとって」
「はい!」
母はすぐに家の中にとって返した。父は、すでに自分より背の高い息子を軽々と抱えあげると、早足で玄関に向かった。香菜とジョンが後を追った。
祐一が自室で目覚めると、家族が心配そうに覗き込んでいた。ジョンまで部屋の中にいる。
「あれ? オレどうしたんだっけ。香菜いっしょにジョンと遊んどって・・・?」
祐一は倒れた時のことをすっかり忘れていた。
「なんでジョンまでおると? こら、ジョン、ちゃんと足を洗ってきたか?」
祐一はそういうと手を差し伸べた。ジョンはクゥ~ンと鳴くと、祐一に近寄ってその手をペロペロと舐めた。
「お前はジョンと遊んどって急に倒れたったい。いろいろあったけん疲れとるんやろ。しばらく寝ときなさい」
父が言った。母は無言で祐一の頭を撫でている。
「おにいちゃん、ごはんの時間になったら起こしたげるけん、いっしょにアニメ見ながら食べよ。今日はテレビ見ながら食べていいって!」
香菜は努めて明るく言った。幼いながら、兄の力になろうと必死だった。
「うん、ありがと」
祐一は言った。
「ジョン、お前しばらく祐一の傍にいなさい。心配なんやろ?」
ジョンは嬉しそうに立ち上がって祐一のベッドの真横に行き、まるで張り番をするように床に座った。
「じゃ、ゆっくり寝てなさい」
「おにいちゃん、後でね」
「みんな居間におるけん何かあったら呼ぶとよ。枕元にあんたの電話置いとるけんね」
母は心配そうにしながら最後に部屋を出て行った。薄暗くなった部屋で祐一は目を閉じた。
「香菜、なんで祐一があげんなったかわかるか?」
しばらくして、父は香菜に聞いた。
「えっとね・・・、ジョンがほえて・・・」
「ああ、吼えよったな。珍しいと思うとった」
「で、香菜とおにいちゃんがいっしょにふり向いたら、車が出て行ったと」
「車が?」
「うん。そしたら、急におにいちゃんが変になったと。香菜びっくりしちゃって」
「祐一はその時なんか言うとらんかったか?」
「あのね、え~と、よぉ聞こえんかったけど、この前死んだ友達のお母さんが乗っとったって・・・」
「それでフラッシュバックを起こしたんやな。で、香菜、ほんとにそのおばちゃんが乗っとったとか?」
「わかんない。香菜、その人知らないもん」
「そうか、秋山さんとことウチが親しかった頃、香菜はまだ赤ちゃんやったもんな、覚えとらんよな」
「そうやね、子供同士の付き合いがなくなったら、自然と疎遠になってしもうたけんね」夕食の支度をしながら母が言った。「中学で同じクラスになったって祐一、喜んどったけど、まさかこんなことに・・・」
「そういや秋山さんの奥さん、行方不明ってウワサやけど、ほんとか?」
「ようわからんけど、秋山さん宅は立ち入り禁止になっとぉみたいですよ。雅之君のお葬式、いったいどうなるんやろ、かわいそうに・・・」
「そうやな。本来ならもうとっくに終わっとかんといかんのになあ」
「おばあちゃんも亡くなられたみたいで、やっぱり家が立ち入り禁止になっとって、何か変な病気じゃないかってうわさになっとるようですよ」
「らしいな。祐一は大丈夫やろか」
「いやですよ、あなた。ウワサに踊らされちゃいかんでしょ」
母は笑いながら言った。
「そうやな。そんな病気が流行っとるんなら、保健所からなんか通知があるやろうけどな・・・。でもな、国が正確な情報を流すとは限らんからな、意図的であれ、不手際であれ。気をつけとかんとな」
と、言いながら、最近は不手際のほうが多いがな、と父は思った。
「ばってん秋山さんの奥さんが行方不明というのが本当なら、見かけたということを警察に知らせた方がいいっちゃないや?」
それを聞いた母は夕食の準備をする手を止め、父の方を向いて真剣にいった。
「あなた、もうこれ以上このことに足を突っ込みたくはなかですよ。祐一が可哀想でしょう」
「そうやな・・・」その場合は『足』ではなく『首』だろう、と思いながら父は言った。「ところで祐一はちゃんと寝とるやろうか」
「鎮静剤を飲ませてますから、大丈夫とは思いますよ」
「そうか・・・」
そんな家族の心配の中、祐一はあれから寝付けずにいた。時間が経つにつれ、頭の中がだんだんはっきりしてきて、何故自分が倒れたかも思い出した。彼は、ベッドに上半身を起こし、枕元の携帯電話を手に取ると、雅之の最後のメッセージとなったメールを開いた。
『祐ちゃんゴメン。オレ寝込んでて。今からそっちへいくけん待ってて。』
祐一の目から大粒の涙がこぼれた。
「雅之、オレ、どうしたらいいかわからんようになった・・・」
ふと、祐一はギルフォードに会ったとき、彼が言った言葉を思い出した。
「君たちは強い子です。これからいろいろあるでしょうけど、何があっても君たちなら乗越えていけるでしょう」
「色々あるってこういうことやったんやね」
祐一はつぶやいた。あの人もそんな色々のことを切り抜けてきたのだろうか・・・。祐一は思った。
「やけど、オレはギルフォードさんが言うほど強くない・・・」
祐一は足を曲げると、右手で電話を握り締めたまま、膝をかかえた体育座りの状態で両腕に顔を埋めた。彼はしばらくじっとして動かなかった。だが肩が小さく震えている。ジョンがそれに気づき、クゥ~ンと小さく鳴くと起き上がって祐一の左手の甲を舐めた。
「ジョン、ありがと・・・」
祐一はジョンの方を見ると、電話を左手に待ち替え、右手を伸ばしてジョンの頭をなでた。愛犬の暖かい頭を撫でていると、だんだん心が和らいでくる。祐一は徐々に冷静さを取り戻した。冷静になると、今まで忘れていた、いや、ここ数日考えまいとしていた疑問が大きく頭をもたげてきた。
安田さんを、そして雅之を死に追いやったモノは何だ?
(そうだ、雅之は「待ってて」とメールに記していた)祐一は考えを巡らせた。(あいつは本気で自首するつもりだったはずだ)
あのメールから祐一はそれを確信していた。
(それなのに何故あいつは電車に飛び込んだ・・・?)
その時、いきなり祐一の脳裏にあの公園での出来事がフラッシュバックした。彼は両手で頭を抱え込んだ。だがそれは、祐一に新たな考察を与えた。頭をかかえた状態で祐一は考えた。
公園の男、安田は最初、比較的理性的に助けを求めてきた。ところがだんだんろれつが回らなくなり、言葉に理性が全く失われた。さらに一旦雅之に蹴り上げられ、地べたに転がったあと、急に凶暴化して雅之に襲い掛かった。凶暴化する前に彼が言った言葉「ミンナ・アカイ」そして「オレに近づくな!!」。そういえば、ギルフォードさんもそこら辺が特に気になっていたようだ・・・。
「安田さんはあの時なんらかの脳障害をおこしていた・・・?」
祐一は、ハッとして頭を上げた。『インフルエンザ脳症』という言葉が急に思い出された。一時期インフルエンザに罹った子どもが異常行動をおこし、死亡する事件が世間を騒がせた。インフルエンザの特効薬タミフルとの因果関係もささやかれているが、それは証明されていない。それはさておき、再び祐一は思考を巡らせた。
雅之も病気のせいで脳症をおこしていたとしたら・・・。そして、周り中が赤く見え、パニックを起こしたとしたら・・・?
祐一は、ガバッと起き上がった。
(安田さんは、『オレに近づくな!』と言った。彼は自分の病気が感染ることを知っていた・・・。いや、むしろ自分の行動を恐れていた!?)
祐一は空恐ろしいものを感じ、肌が粟立っていくのがわかった。
(ひょっとしたら、オレたちはとんでもないことに巻き込まれたのかもしれない)
祐一はもう一度ギルフォードの言葉の一部を思い出した。
「でも、結果的に現実から逃げないで真っ向から向き合いました」
(そうだ、逃げちゃいけない!)祐一の目に光が戻った。(雅之、おまえの死の原因をつきとめてやる・・・!)
祐一はベッドから降り机の前に座ると、カバンの中から定期入れを出し、ギルフォードの名刺を取り出した。
しばらくして祐一が居間に姿を現した。
「おにいちゃん!」
最初に香菜が気付いた。
「祐一! 起きてよかとね?」
「大丈夫や?」
両親が驚いて祐一に聞く。
「父さん、母さん、香菜、心配かけてごめん。もう大丈夫やけん」
祐一が家族に向けて力強く言うと、彼の後ろでジョンが「ワン!」と吠えた。
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