3.暗転 (1)ブルー・クライシス

 日曜日だが、由利子はいつもどおりに目覚めてジョギングをしていた。
 折り返してから半分くらい走っただろうか、由利子はいきなり声をかけられた。
「おはようございます、篠原さん」
驚いて声のほうを見ると、若い男が駆けてきた。
彼は由利子の前まで来ると足踏みをしながら言った。
「お久しぶりです。僕を覚えていらっしゃいますか?」
「あ、あなたは長沼間さんの部下の…」
 と、由利子も足踏みをしながら言った。
「そうです、そうです」
「たけむらさん、でしたね」
「僕があなたに顔を見せたのは一瞬だったと思いますが、あの状況で顔だけじゃなく名前まで覚えるなんてすごいです。噂は本当だったんですね」
「ウワサ?」
「ギルフォード先生のところには、人間顔探知システムがいるって、もっぱらの評判ですよ」
「ええ?」
「あ、申し遅れました。私は今日からあなたの朝のジョギング時の警備を任された、武邑です。改めてご挨拶いたします。宜しく」
「たけむらさんは、確かあの数日後に大怪我をされたんじゃなかったですか?」
「そうです。瀕死の状態でしたが数日前にようやく退院しました。実はそのリハビリを兼ねて朝あなたの護衛をするよう指令を受けました」
「それって長沼間さんから?」
「そうです。てっきり閑職に回されるとばかり思っていたのですが」
「見かけによらず人情家ですよね、あの人」
「そうです。非情に見えてどこか甘い…」
「え?」
「でも、そういうところが大好きなんですよね、僕は」 武邑は爽やかに笑って言った。「まあ、こういう所で足踏みしながら話すのも変ですから、走りましょうよ」
「でも、大丈夫なんですか?」
「もうすっかり元通りです。あなたを守るのも葛西さんには負けませんから」
 そう言うと武邑は走り出した。
「ジョギングでも負けませんよ」
「私だって」
  由利子も対抗して駆け出した。
  しばらく走っただろうか、武邑が空を見上げて言った。
「いい天気ですねぇ、梅雨も明けたかな?」
「もうちょっとかかるんじゃないですか?」
「そうですね。豪雨とか来なきゃいいけど」
「それが心配ですね。明日の朝晴れて欲しいけど…」
「明日? ああ、明日の早朝はフィナーレでしたね。僕も警備に出動しますよ」
「そうですか、大変ですね」
「今日はお休みですね。家でゆっくりですか?」
「そうしたいところですが、昼からちょっと出かけます」
「お買い物ですか?」
「まあ、そんなところです」
「女性はそういうストレス発散の場があっていいですねえ」
「買いすぎてクレジットカードの請求を見て却ってストレスになったりしますけどね」
「ははは、くれぐれもご利用は計画的に、ですよ」
「そう心がけます。あ、そろそろ着きますね。それではこの辺で…」
「あ、マンションのエントランス前までお送りしますよ」
「え? いえ、大丈夫ですよ。もう明るいし」
「周囲の様子も知りたいんで、ご遠慮なさらずに」
 警官にそう言われると由利子もそれ以上言えなくなった。
 武邑はエントランス前まで律義に送ると、由利子に言った。
「明日からは、若干距離を置いて護衛します。背後に気配がするかもしれませんが、お気になさらずに」
「はあ、ありがとうございます」
「ではっ!」
 武邑はそのまま踵を返して去っていこうとしたが、数歩走って振り向きざまに言った。
「篠原さん、あなた、今日からでも警官の奥さんになれますよ」
 彼は最後にニコッと笑って去って行った。
「何言いよぉとかね」
 由利子は首をかしげながらエントランスに入った。武邑はかなり童顔で、背丈も由利子とあまり変わらないが、けっこういい男で人好きのする笑顔は相手を油断させるに十分だった。見ただけでは彼が公安警察と見抜ける者はほぼ居るまい。由利子は武邑が別れ際に言ったことが正直かなり嬉しかった。しかし、反面、さりげない会話の中、彼に何がしか探られたような気がした。
(ちょっと気を許せないって感じかな。まっ、警察ってのはそんなもんかもしれんけど、葛西君はもっとのほほんとしてるよな)
 由利子は気を取り直してそう思ったあと、口に出してつぶやいた。
「まー、それもどーかと思うけどね」
 そして、由利子は照れくさそうに笑みを浮かべているのに気付いて苦笑いをした。
 武邑は由利子と別れてからしばらくすると、ププッと噴き出した。しかし、すぐに真面目な表情に戻った。
(何か聞き出せるか試してみたけど、思ったより用心深いな、彼女は。俺に配慮して俺が警官だとわかるような言葉は微塵も出さなかった。ただ、今日自分が外出する事を言ってしまったのは迂闊だと言えなくもないな。俺が警察官ということで油断したのかもしれないけど…)
 武邑は軽快な足取りの走りを止めて由利子のマンションの方を見た。
(まあ、仕事だからな。全力で守ってやるさ、篠原さん)
「クシュン! 」
 ドアを開けて部屋に入りざまくしゃみをした由利子は、鼻と口を抑えて呟いた。
「何か変なモノが飛んでたのかなあ。後で大気汚染情報見なくちゃ」
  しかし、お腹をすかせて玄関先にまで迎えに来てじゃれる猫たちに急かされ、先ほどの不安はすっかり消えてしまったのだった。

 振屋は怯えてベッドにうずくまっていた。早朝に病室へやって来た遥音医師からサイキウイルス反応が陽性だったことを告げられた。遥音は表情も変えず「すぐに専用の病室に移します。最善を尽くしますから」と言い残し、ろくに説明もせず無情にも立ち去っていった。
 しかし、振屋には遥音から告げられなくとも感染を確信していた。既に体のあちこちに小さい内出血が起こっていたからだ。
 しかし、待っていても一向に迎えの来る気配がない。不安に思っていると、いきなりドアが開いて医療用防護服を着た中背で瘦せぎすの男と小柄な男が入ってきた。振屋はその瘦せぎすの男の顔を見て驚いた。
「月辺参謀…」
「降屋。 その体たらくはなんだ? 貴様には大いなる碧珠の守護天使としての自覚はないのか?」
 驚く降屋に月辺は冷徹に言った。それは怒号ではなく、むしろトーンの低い冷ややかな声だった。降屋はうろたえた。
「申し訳ありません。しかし長兄さまが私を…」
「たわけたことを言うな。このウイルスに感染したら助からんということは、お前が良く知っているだろう。となれば、ガーディアンであるお前がすることは一つしかあるまい?」
「それは、長兄さまの御意向でしょうか?」
「長兄さまはな、昨日から腹心の部下である貴様を助けようと東奔西走しておられる。だが、そのために我々の碧珠浄化計画に支障をきたす恐れがある。それを考慮するなれば、貴様のすべき事は自ずから解るはずだ。城生(じょう)、持ってきたものを」
 父に促され、息子は肩に掛けていたビジネス用ショルダーバッグを振屋の足元に置いた。
「これの使い方はお前に任せよう。碧珠のお導きに従え。さらばだ、振屋」
 月辺はそれだけ言うと、息子を連れて去って行った。振屋はしばらく呆然としていたが、かがみこんでバッグの中を確認し、そのまま床にへたり込んだ。数秒の沈黙の後、振屋は涙を流しながら笑いだしていた。

 振屋の病室を後にしてから、城生は何か思いつめたような表情をしていたが、思い切ったように父に尋ねた。
「父さん、振屋はあれを使うでしょうか?」
「あれは自分の役目というものをよくわかっている」
 月辺はそれ以上言わなかった。城生は強張った表情で頷いたが、それに気づいて月辺が問うた。
「何を浮かない顔をしているのだ」
「ヒロキ兄さん、いえ、振屋には小さい頃から良く世話になっていたので、感染してしまった事が信じられないのです」
「次期幹部を目指すと豪語している割に小心だな」
 そう言われて城生はむっとした表情で言った。
「想定外なことに驚いただけです。あの、自信に満ちていた兄さ…振屋があのようになってしまうなんて」
「運命は受け入れがたいものよ。だが、振屋は碧珠に選ばれたのだ。世界浄化の為の聖なる矢として。奴は必ず実行するだろう」
「それは、振屋の意思で でしょうか」
「当然だ。おまえもその時が来たらそれに従うだろう。勿論、私もな」
「幹部であってもですか」
「当たり前ではないか。碧珠の為には己だけ安全圏におる訳にはいかん。我々は碧珠のガーディアンなのだ。おまえもその自覚を持て」
「持っているつもりですが、覚悟が足らなかったのかもしれません。」
 話している間に駐車場の車の前に着いたので、二人は乗車した。
しばらくたって、月辺が息子に言った。
「私が何故、この組織に入ったのか教えていなかったな」
「はい。まだ早いと言って話してくださいませんでした」
「そうだったな。私にはおまえにそれだけの覚悟があるかどうか計りきれなかったからだが、この機会に話しておこうか」
 と、月辺は運転のスピードを下げ、車を停車帯に止めると話し始めた。
「私は若い頃、教団の奉仕の一環として、教祖様…即ち長兄様の父上と世界中を回って環境汚染の実態を調べていた。そこで、私は見たのだ。思っていたよりはるかに上回った人類の自然破壊の現状を。牙や角、あるいは毛皮を取るためだけに大量に殺され打ち捨てられた動物たち。誤食したビニール袋を胃や腸に詰め死んだウミガメ。核実験の放射能で方向感覚を奪われ、浜で大量死したウミガメの子。悪者として目の敵にされ大量に狩られるオオカミたち…例を挙げるだけで枚挙に暇(いとま)がない。それらを見続けていく内に私の脳裏に一つの疑問が生まれ始めた。人間さえいなければ、こんなことは起こらなかった。果たして人間はこの星に必要なのかと。
 それは、アフリカのワタカ共和国の事件で確実となった。ワタカ国には最初、教祖様と私を含む幹部候補数名とで訪れた。その時、ワタカは独立したばかりだった。教祖様は、その国が争いを避け国連の仲介の下、地道に話し合いを続けた結果独立を果たしたことに非常に興味を持たれていた。独立をしたばかりのワタカは平和で活気に満ちていた。我々はこの国の安全を確信し、まだ少年だった長兄さまの訪問地の一つに決めた」
 月辺はそこで一息入れた。城生は黙ったまま続きを待った。
「その後、教祖様は長兄様とお二人で世界一周の旅に出られた。我々も付いて行こうと申し入れたが、どうしても親子二人で行きたいとおっしゃって、やんわりと拒否をされた。今思えば、強引にでもご一緒するべきだった。そして、滞在先のワタカ国のマウアという村でウイルス過に巻き込まれてしまった。そこは無医村で、医療の心得のあった教祖様はバタバタを倒れる発症者を見捨てることが出来ず、長兄さまを助手に一人看護にあたった。そして、数キロ先のチサ村というところにWHOから派遣された医師団が来ているという情報を得た教祖様は、重症患者を連れてそこに向かった。しかし、そこに留まり感染者の世話をしておられた教祖様は長兄様共々感染し、教祖様はその村で身罷(みまか)られてしまった。長兄さまは幸いにも米軍の医療チームに救出され一命を取り留められた。教祖様がお連れした患者のうち二人はチサ村に派遣されていた医師により回復した」
「教祖様がアフリカで亡くなられたことは、教わっています。ワタカ国でも感謝され、名誉国民として記念碑も作られたとか」
「その通り」
「でも、確か、ワタカ国は今…」
「そうだ。今はもう存在しない。隣国に攻め込まれ、国民の約半分が虐殺された。教祖様が命がけで守ったマウア村の人たちもな。私は教祖様の死後、1年ほどして渡航許可が下りたのでマウア村とチサ村に行った。教主様が命を懸けて守った場所を知りたくてな。そこで私が出会い、交流を持った者たちも殺されてしまった」
 話を聞きながら、城生は一言も発する事が出来なかった。
「私はあの時二つの村から大歓迎され、子供達から長兄様に感謝し回復を祈る手紙をもらった。大統領にも会い感謝され、教祖様を名誉国民として讃え記念碑を建てたいという申し出を受けた。私は誇り高かった。教祖様を失った我々に、ワタカ国の人々は希望を与えてくれたのだ。そうだ、教祖様は身罷られたが長兄様がおわすのだ。我々は教主となられた長兄様を立て、教団の再建に努めた。そして、その数年後教団が元の力を取り戻し軌道に乗り始めた頃、恐るべき知らせを受けたのだ。ワタカ国が壊滅したと…」
「言葉もありません…」
「その時の長兄様のお嘆きは大層なもので、せっかく健康を取り戻しておられたのがまたひと月ほど寝込まれてしまった。その頃から長兄様は神懸かったことを言われるようになられた。
 そしてある日、突然長兄様が言われたのだ。このままヒトという種に世界を支配されたままでいいのだろうか、と。それは、アメリカ同時多発テロからイラク戦を経て、世界が混沌としていた時だった。そしてそれは、奇しくもワタカ国壊滅以来私の脳裏から離れなかった事と同じだった。
 その後半年たっただろうか。長兄様は1人の女性を連れてきた。彼女はウイルス学者で遺伝子操作の天才ということだった。それゆえ、各国からの争奪戦に巻き込まれた挙句、某国から数度にわたり拉致されかかり、このままでは命も危ういということで、教団で保護したのだ。それがリョーコ・レーヴェンスクロフト(Ravenscroft)、遥音涼子だった。人間の愚かしさを骨身に知り、極度な人間不信に陥っていた彼女は、長兄様のプランに賛同したという。そして、長兄様は言った。彼女に最強のウイルスを作ってもらおうと。
 かつて、最も戦争を終わらせた原因は感染症だ、と長兄様は言われた。第一次世界大戦はスペイン風邪、すなわちインフルエンザの蔓延により終了した。もし、第二次世界大戦の時にもインフルエンザのような強力な感染症の世界的流行が起きていれば、日本に原子爆弾は落とされず終戦を迎えたかもしれない、とも。
 『もし今、致死性が高く感染力の強い未知の疫病が世界中に蔓延すれば、人類は争いどころではなくなりましょう。ヒトという種の支配から逃れたこの碧珠は、真のユートピアとなりましょう』。この長兄さまの言葉に私達は心酔した。冷戦終了後、平和な時代が来ると思っていたわたしは、9・11後の混沌とした世界に失望していたからだ。長兄さまはこうも預言された。『今後、憎悪の連鎖により、世界はますます混沌としていくでしょう。何れ核兵器がさく裂するか、そうでなくても重大な原発事故で碧珠は汚染されましょう。その前に、人類を碧珠の支配者から引きずり下ろすべきなのです』、と」
 月辺はそこまで言うと言葉を止めた。表情にこそ出さなかったが、蘇った感動が彼の胸中にわきあがったのだ。城生はそんな父を仰ぎ興奮して言った。
「まさに! いま、世界はそのようになっているではありませんか。人類の存亡を左右しかねない原発事故は実際に2度も起きています。しかも現在の世界情勢は、いつ核テロが起こってもおかしくありません。そうなれば、攻撃された国の指導者が報復に核弾道を使うやもしれません」
「幾人かの信頼できる碧珠の民の賛同を得、我々は教団を母体とするものの教団とはまったく別の地下組織を作り上げた。もちろん、碧珠浄化計画のための組織だ。名前もそれらしく『タナトスの大地』と命名した。そして、我々は遥音チームと共に、あるウイルスを元に『新型』ウイルスを作り上げた。それがタナトスウイルス、世間ではサイキウイルスと呼ばれるウイルスだ。お前もこの組織について知らされている数少ない信者の一人だ。そして、私は今、お前に詳しい経緯を教えた。これからはお前も組織の一員としていっそう励め。そして、万一の時の覚悟をしっかりと持つのだ。長兄さまはお前に期待しておられる」
「はい、光栄です」
「しかし、私はお前たち若い信者は、碧珠浄化後生き残った人類を導く役目を担ってほしいと思っている。降屋のようなことにならないよう、これからも用心に用心を重ねて活動しなさい。これは、父としての私の願いだ」
「はいっ! 必ずお父さんの意にかなうよう精進いたします!」
 城生は、父に一人前と認められたということを感じ、嬉しさと感動の入り混じった声で言った。

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3.暗転 (2)ロスト・コントロール

 黒岩るい子は、ホテルを引き上げた後H駅のロッカーに荷物を預け、身軽になると颯爽と歩き出した。

 こちらのアパートを引き払い、お墓も処分し、住民票も長野に移した。次回はいつ帰ってこれるだろう。いや、もう「帰る」ははなく、「行く」になるんだな。そして、帰るのは長野だ。そう思うと黒岩は寂しさはもちろんだがそれ以上に感慨深かった。
 夫にも両親にも死に別れ、他に身寄りのない黒岩にとって娘だけが家族と思って頑張っていたが、退職を余儀なくされてどんづまった挙句、止む無く兼ねてからあった夫の両親からの同居の申し入れを受け入れた。しかし、不安ながら実際に暮らしてみると存外上手くいきそうで、黒岩は長野で暮らしていくことを決めたのだった。
 夫の両親は、まず、息子が死んだ時黒岩に辛い言葉を浴びせたことを謝ってくれた。一人息子故にそれを失った辛さや悲しみをぶつけてしまった。ずっと後悔していたと姑が言った。長年のわだかまりが解け、黒岩も長い間疎遠だったことをわびた。最初、他人行儀全開だった娘も徐々に新しい家族である祖父母に慣れていった。長野と九州ではいろいろ習慣や文化が違うところもあるし特に方言に戸惑ったが、ギルフォードの言うとおり、住めば都なのだろう。問題は夏コミだったが、まあ、なんとかなるだろうなどど黒岩は呑気に考えていた。
(さてっと、来年は来れるかどうかわからないなら、飾り山でも見ておこうか。どうせ新幹線の時間は午後4時だし、待ち合わせ時間は3時だからお土産はその前くらいに買うことにしても、時間は十分すぎるくらいあるよね)
 黒岩が帰りの時間をギリギリ夕方にしたのは、次回いつ故郷を訪れることが出来るかどうかわからないと思ったからかもしれない。それで彼女は出発までの長い時間をつぶす計画をたて、先ずはK商店街の飾り山を見に行くことにした。
(ついでに名物のクソ甘いぜんざいを買って、甘党のお義母さんのお土産にしよう)
 黒岩はそう決めると駅を出て商店街方面に向かった。

 降屋は車でT神の街を流していた。
 気分は最悪だった。熱は一時40度近くまで上がっていた。しかし、数時間前に遥音医師が病室に現れ痛み止めを打ってくれたため、頭痛や体の節々の痛みは軽減されていた。しかしそのせいか、少し頭の芯がぼうっとしていた。その反面、妙な気分の高揚があった。遥音医師は、病状が進むと普通の鎮痛剤では効かなくなるほどの痛みが出るといい、その時に飲むようモルヒネ系の服用薬を置いて行った。ただし、これは緊急用だから、もし飲んだら必ずナースコールで誰かを呼ぶようにと言い残し去って行った。
 その後、降屋は月辺の言ったことを実現すべきかどうかまだ迷っていた。遥音の言ったことが本当なら、この後に訪れる痛みは想像を絶するものだろう。降屋は恐怖した。それならいっそ…。降屋はむくっと起き上がり、着替えると月辺から渡されたバッグを持って病室を出た。部屋を出る間際に、もらった鎮痛剤を無造作にポケットに入れた。
 拍子抜けするほど簡単に、降屋はシェルター内地下の衣装施設を出ることが出来た。受付の女性も出口の警備員もにこやかに「退院おめでとうございます」と見送ってくれた。
(行けと言う月辺参謀の指示か)
 降屋は悟り、ついに迷いを捨てたのだった。
(うん? あれは!)
 降屋は歩道側を見て驚いた。若い女が4人の中高生らしい男女を連れて歩いていたのだ。女は髪をひっつめて束ねて帽子を被り、化粧っけのない顔に太い黒縁のメガネをかけており、「営業中」とは随分雰囲気が違っているが、降屋の目はごまかされなかった。
(美波美咲だ。もう解放されていたのか。それとあのガキ共は、秋山美千代が自滅した現場にいた奴らじゃないか。美波め、とうとうそこまで嗅ぎつけたか) 降屋は思った。(あの女は危険だ。ガキ共諸共葬り去るに値する)
 降屋は彼女らの後を追おうとドアに手をかけた。 

 美波美咲はタミヤマリーグの少年たち4人とO線F駅で正午過ぎに待ち合わせ、近くの和食店に向かっていたのだった。
 美波は話の内容が内容だけに人に聞かれるリスクを最小にするために個室を予約していた。部屋に入ると、美波と彩夏が入口側の席に座り、反対側の席に少年3人が座った。涼しい室内に入って落ち着いたのか、彩夏がくすくす笑って美波に言った。
「ミナミサ、それ、変装? めっちゃダサダサじゃん。西原君に言われるまで誰かわからなかったし」
「悪かったね。メガネとキャップ以外は普段の服装。窮屈なスーツにヒールはテレビ仕様なの。取材時はもっと身軽だし、あんな窮屈なカッコでプライベートを過ごしたくないからね」
「でも、黒キャップにブスメガネでユ○クロの無地Tにストレートジーンズとスニーカーで、その上ほぼすっぴんだなんて、どこのイモ女子かと思ったわ」
 と、彩夏が意地悪そうに言うと、例によって良夫がつっかかった。
「うるさいよ。人のカッコなんてどうでもよかろーもん。君のカッコなんてほとんどゴスやん。もっと中坊らしい服着ろよな」
「なによ、アンタに指図される筋合いはないわよ。あんたこそ、何、白シャツにダメージデニムで決めてんのよ。ミナミサに会うからってお洒落してんじゃないわよ」
「あー、言ったな! それを言うなら田村君はなんだよ。思いっきりストリート系で決めとおやん」
 勝太は思いがけず自分に火の粉が飛んできて豆鉄砲を食らったような顔をしたあと、目をきょろきょろさせた。祐一はまたかと言った顔で苦笑いしている。そんな祐一をチラ見して勝太が言った。
「あの、一人だけ制服着てる西原君は…」
「西原君はそれでいいの!」
 二人が異口同音に言ったので、勝太はまた首をすくめた。ミナミサもとい美波はそんな中坊の攻防を無視して言った
「みんな、飲み物の注文決まった? 食事はおすすめランチ頼んでるから。今日は私の奢りだから遠慮しないでね!」
「ありがとうございます。オレは烏龍茶にします」
「あざっす、ぼ、ぼくはコーラで」
 祐一と勝太がすぐに答えたので、件の二人は慌ててメニューを見た。美波はそれを見ながら思った。
(3人ともそれなりに似合って可愛いやん。でも、西原君は背が高いし制服でも高校生みたいだから、私、駅で会った時一瞬高校生に引率された中学生のグループかと思った。でもこれ言ったらまたもめるだろーな。この二人、いわゆるツンデレなんだろうけど、めんどくさいけど面白いな、中坊)
 そう思ったら、自分の中学生時代を思い出して、懐かしくもほろ苦い気持ちになった。

 黒岩は、K商店街付近の飾り山を順繰りに見ながら、気ままに歩き、それが意外と楽しいことに気付いた。
(やっぱり娘と来ればよかったかなあ。追い山見られなくても走る山笠はいくらでも見ることが出来たし、あの子も見たがってたし。何よりあの子はアレク様に会いたがってたし)
 黒岩は昨日娘に電話した時のことを思い出していた。しかし、状況を考えたら連れてこない選択が最良だったんだと改めて思いなおした。
(さぁて、駅に帰るとするか。ここからだと歩いても食事してお土産買う時間は十分にあるな)
 黒岩は時計を確認し、H駅に向かって足早に歩き始めた。

 駅に着くと、さっそく数年前に新しく出来た食堂街に向かった。一時を回ったとはいえ、日曜だけあってまだまだどの店もけっこう待ち客がいた。黒岩は出来るだけ待ち客の少なそうな店を探して並んだ。若干お高いが、時間にあまり余裕がないのでそれは仕方あるまい。
 並んで待つ間、黒岩は、ふと九州新幹線全線開通時の事を思い出した。この駅で行われる筈だったオープニングセレモニーの前日、あの東日本大震災が起きたのだ。そのためにすべてのセレモニーが中止された。誰もが打ちのめされていた。あの時は、故郷を捨てて別天地に逃げようとする一部の人たちを、なんて心無い連中だろうと思っていた。しかし、今自分はその人たちと同じようなことをしているのではないか。職を失い生活の道が絶たれたとはいえ、自分は結果的に故郷から逃げようとしている。そう考えると、一緒に並んで楽しそうに会話している人たちに申し訳ないような気がした。

「それで、秋山君のお母さんからあなたたちを守ったのが、亡くなられた多美山刑事だったのね」
 美波は祐一の話が終わると、納得したように言った。
「ある程度のことは調べてたけど、当事者から聞くとまた印象がずいぶんと違うねえ。それで、君たちの作ったリーグ名がタミヤマリーグなわけね。命名者は西原君?」
「わたしです!」
 と、彩夏が間髪入れずに言った。すると例によって良夫が口を挟んだ。
「相変わらず自己主張の強い女だな、君は」
「なによ。女が自己主張しちゃいけないっていうの」
「はいはい、君たち、いちいち突っかからないの。その度に話が止まるでしょ」
 とうとう美波が注意した。しかし、二人が同時にしおらしく「すみません」と言ったので、美波はとうとう笑い出した。 
「君たち、もっと素直になりなよ。ほんとは嫌いじゃないんでしょ、お互いに」
「ちがいます、こんなやつ!」
 二人はまた同時に否定し、「ふん!」と言って顔を逸らした。美波はまだクスクス笑いながら言った。
「まあいいわ。わかったから、あまり話の邪魔はしないでちょーだい」
「はい」
「気をつけます」
 二人が妙に神妙な様子で言った。その時、部屋の外でガチャーンという大きな音がした。
「な、何?」
 5人は驚いて音のする方向を見た。
「あーびっくりした」
「なんなのよ、騒々しい」
「なにかあったっちゃないと?」
 他の部屋もざわつき始めた。美波は戸を開けて通路を見、近くにいた仲居に訊いた。
「何事です?」
「いえね」
 仲居の女性は申し訳なさそうな笑顔で言った。
「バイトの子が食器を下げる途中に手を滑らせて落っことしちゃったんですよ。お騒がせして申し訳ありません。ちょっとおっちょこちょいな子でして」
 彼女はそう言うと、おほほと笑って去って行った。
「だってさ。じゃ、続きを始めよっか。あ、その前に休憩でデザートにしようか」
「ありがとうございまーす」
 こんどは4人が異口同音に答えた。

 その頃、降屋はH駅にいた。いったん美波たちの後を追おうと考えたが、道路のど真ん中にいることに気付き駐車場所を考えていたら、彼らの姿を見逃してしまったのだった。それで、場所を考え直し、人の出入りの多い玄関口の一つ、H駅を選んだ。あちこちにサーモグラフィのある空港を避けての判断だった。その頃には降屋は赤視も始まっていた。遥音医師の言った痛みに襲われる前に、降屋は手洗いに入り鎮痛剤を飲んだ。
 食事を終えた黒岩は、土産も買い終えつつあった。あと、娘の欲しがっていた新発売のスイーツを買うだけだ。
(えっと、めんたいチーズクリームパイを売ってるお店はっと)
 黒岩がお目当ての店を探していると、不審な男の姿が目に付いた。この暑いのに長そでのジャケットを着て、ミリタリーキャップを目深にかぶった上に濃いサングラスをかけ、大きなマスクで顔半分を覆っており、じっと飾り山を見ていた。黒岩は変な人だなとと思ったが気にも留めずにデパートの方に向かった。

 由利子はギルフォードに迎えられて、彼の車で紗弥と共にH駅に向かっていた。
「気になってたんですが、午後4時の新幹線って、行き先は長野でしょ、間に合うんですか?」
 と、ギルフォードが心配そうに言った。由利子は彼の疑問に答えた。
「大丈夫みたいよ。名古屋まで新幹線に乗って、そこから長野行の特急が出るみたいなの。6時間半くらいかかるらしいけど、それが一番安くて乗り換えも少ないルートみたいよ」
「そうなんですの。やっぱりそれなりにかかるのですわね」
「まあね。飛行機に乗っても乗り換えで最短5時間はかかるみたい」
 そんな他愛もない話をしていると、黒岩から電話が入った。
「もしもし、由利子です。今噂してたんですよ。そっちに向かって…」
 呑気な由利子の声に反して、黒岩の声はいつになく緊張していた。
「篠原さん、H駅にあの似顔絵の男らしい奴がいる」
「え?」
「怪しい男がいるって思っとったらさっき、うっかりそいつとぶつかりかけて避けたら、そいつのかけていたグラサンが外れたんだ。その時見てしまったとよ。しかもそいつ、間違いなく、発症しとお」
「そんな。ありえない。あっちゃだめだ、そんなこと」
 由利子は黒岩が何を言い出したか咄嗟に理解出来なかった。
「篠原さん、しっかりして。間違いないのよ!」
「大丈夫よ。黒岩さん、そいつに気付かれなかった?」
「何食わぬ顔で、スミマセンって言って自然に歩いて離れたつもり」
「ごめん。疑う訳じゃないけど、発症は確実なの?」
「そう言われると、自信なくなった。一瞬だったし。何ならもう一度確認して…」
「だめ! 危険だから、出来るだけそこから離れて」
 由利子の緊迫した話しぶりに、ギルフォードが心配げに聞いてきた。
「ユリコ、どうしました?」
「黒岩さんが、H駅に似顔絵の男がいるって」
「それって、ともろうとかいうのにウイルスを感染させた男ですの?」
 運転中の紗弥も聞いてきた。
「そうみたい。しかも、発症してるって」
 由利子たちの脳裏に、F駅で発症者が放血して死んだ事件が浮かんだ。
「アレク、どうしたらいい? 場所が場所だけに、下手したらパニックになるよ! ましてや間違いだったとしたら」
「それでも、そういう情報があれば、通報して対処せねばならないでしょう。クロイワさんにそいつに気付かれないよう警察に電話するように言ってください。僕も今すぐキョウ…マツキ警視正に電話します」
「わかった。黒岩さん、聞こえる?」
「し、篠原さん」
 黒岩の声は震えていた。
「気付かれてたみたい。こっちに近づいてきた」
「逃げて! 逃げて、黒岩さん」
「だめ! 私が逃げたら他の人に被害が広がる! どうしたら…」
「黒岩さん!」
 電話の向こうで、黒岩の荒い息遣いと、周囲のざわめきが聞こえた。うきうきとした、未来を疑わない声に満ち溢れている。その向こうで、由利子は彼女を心底震え上がらせるような声を聞いた。
「しのはら? 確か、アンタ、しのはらとかいってたよな。しのはらゆりこか?電話の先はそいつか?」
「え?」
「おれ、唇読めるんだ。発症とかも言ってただろ? あんた、警察の犬か?」
「ち、ちがいます」
 黒岩の声は上ずり、恐怖で今にも息が止まりそうになっていた。降屋は既にサングラスとマスクをむしり取っており、発症した顔を目の当たりにしていたのだ。
「逃げて、黒岩さん」
 由利子は泣きそうになりながら叫んだ。
「ユリコ、キョウに連絡付きました。今すぐに部隊を向かわせるそうです!」
「とにかく今はそいつから逃げて! 黒岩さん、お願い!!」
「篠原さん、娘に! ごめんね、愛しているよ。ずっと見守って…」
 その声を最後に一瞬衝撃音がして電話が途絶えた。
「黒岩さん? 黒岩さん! 黒岩さん!!」
 由利子は切れた電話に呼びかけ、通じないのを理解すると、再度電話をかけた。
「もしもし、黒岩さん、何が…」
「この電話は電波の届かないところに…」
 由利子はすぐに切ってからもう一度電話かけたが応答は同じだった。由利子が三度(みたび)電話しようとをしようとした時、ギルフォードがその手を押え首を横に振った。
「いやっ! 黒岩さんが、黒岩さんが…」
「ユリコ、落ち着きなさい! 紗弥さん、急いでください」
「急いでますわ!」
 紗弥が言った。
「でも、どんどん渋滞していくみたいで、これが限界ですの!」
「黒岩さ…」
 由利子は呆然として電話を手から落とした。そして頭を両手で押さえ否定するように頭を振った。
「うそだ。悪い夢だよ、こんなの。黒岩さん、そうだよ、タチの悪い冗談だよね。ねえ、アレク…」
「ユリコ…」
「うそだよね、嘘だって言ってよ、アレク!! お願い!!」
「ユリコ、落ち着いて、落ち着いて」
「降りるっ、急いで駅に行かなきゃ!」
 由利子は車のドアに手をかけた。ギルフォードは由利子の両肩を掴んでそれを阻止した。
「こんなとこで降りちゃダメです!」
「黒岩さん、黒岩さんッ!」
(”まずいな,かなり取り乱している.無理もないか,相当嫌な音を聞いたのだろうからな.仕方がない”)
 ギルフォードは半狂乱になった由利子の頬を軽く叩き抱きしめて言った。
「ユリコ、君のせいじゃありません。少し落ち着きましょう。君は覚悟してチームに加わったのでしょう。さあ、落ち着きましょう、ユリコ」
 由利子の目から涙があふれた。自分の意思に反して体が歯の根が合わないくらいガタガタ震えており、自分がコントロール不能になっていることを理解した。

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3.暗転 (3)朱(あけ)の駅

 黒岩は恐怖と闘いながら、自分が何をすべきか考えていた。
 この男が何を企んでいるかわからないものの、感染した状態でこのような人口密度の高い駅にいるということは、彼の意図に関わらず感染が広がることは必至である。そして、黒岩は降屋が大事そうにバッグを抱えていることから、最悪の展開を予想していた。電話の向こうでは由利子が必死に逃げろと叫んでいる。しかし、ここで自分が逃げたら、この男はまた姿をくらまし、さらに被害が拡大するだろう。黒岩は、ゆっくりと迫ってくる男から殺意を悟り、じわじわと後退りながら、由利子に言った。
「篠原さん、娘に! ごめんね、ずっと見守ってい…」
 しかし、言い終わらないうちに降屋は黒岩からスマートフォンを奪って力任せに床に叩きつけた。由利子との電話が途切れたのはその衝撃のせいだった。それに驚いて降屋の方を見た女性が、彼の顔を見て悲鳴を上げた。
「な、なに、あの人の顔!」
「ま、まさか?」
「サイキウイルス!? うそっ!」
「きゃああ!」
 それとともにあちこちで悲鳴が上がった。しかし、不審な表情で声の方向を見る者もいたが、多くの通行人は特に関心も示さず行き交っていった。悲鳴を上げた者たちも、徒にオロオロして黒岩たちの様子を見守っている。黒岩は、降屋が悲鳴にはじかれたように、ジャケットのポケットに手を入れるのを見ていた。彼の意図を悟った黒岩は咄嗟に叫んだ。
「みんな、ここから離れて! 急いで!」
 それと同時に先に悲鳴を上げた者たちが我に返り、出口に向かって走り出し、周囲も異変に気づきざわめきが起こった。
「え? 何?」
「サイキウイルスとか言ってなかった?」
「殺人ウイルスだ! 感染ったら血を吐いて死ぬぞ!!」
「とにかく、逃げよう!」
 人々がようやく事態に気付き逃げ始めた時、ドンという音と共に閃光が走った。

 葛西たちは、警察官詰め所で半ばぐったりして休憩していた。今日は祭りの警備で振り回されっぱなしだったからだ。スポーツ飲料を飲み終え、ペットボトルをゴミ箱に捨てながら九木が言った。
「まあ、高熱の原因がインフルエンザで良かったじゃないか」
「キットで一発でわかりましたからね」と、濡れたタオルを被ったまま葛西が言った。「しかし、あれだけ『発熱した人は自宅待機して保健所の診断を受けるということを告知して、守れない流れは出場停止になる』と念を押していたのに、無理して出ようとする者がでてくるんですよね」
「気の毒だが、あの流れは今日だけじゃなく明日の追い山にも出られないだろう」 
「まあ、仕方ないですね。そういう約束ですから」
「そろそろ時間だな。休憩終わりだ」
「はい。しかし、この蒸し暑さは辛いですねえ」
 と、葛西が立ち上がったところで無線からけたたましい声が響いた。
「H駅でサイキウイルス感染患者らしき男が自爆。サイキウイルス対策班は直ちに防護服を着用し現場に急行せよ。H駅で…」
 詰所にいた警官たち全員が騒然となった。
「馬鹿な…」
 九木がつぶやいた。
「うそだろ!」
 葛西が緊迫した表情で言った。
「九木さん、H駅って、確か今頃は富田林さんたちが巡回中です!」
「うむ、急ごう!!」
 二人は現場に向かうべく詰所を駈け出した。

 美波と4人の取材は順調に進み始めていた。その内容の多くは時期が来るまでオフレコで、記事にする時にも掲載前に彼らに読ませるという約束なのだが、そのためか、話していくうちに美波と子供らとの信頼関係が徐々に出来上がっていった。
 公園での美千代とのいざこざの話から西原兄妹の隔離入院の話まで進んだ頃、遠くで消防車や救急車の通る音が聞こえてきた。
「火事かしら? けっこうな台数が行っているみたいだけど」
 美波は既に記者の表情で窓の方を気にしながら言った。4人の少年少女もそわそわし始めた。その時、彼女に電話がはいった。
「何よ、今日は完全オフだって言ってるのに…。ちょっと待ってね。もしもし、美波…」
 美波はブツブツ言いながら電話に出たが、いきなり顔色を変えて言った。
「ええっ、H駅で!?  その情報確かなの?」
 美波の応答に4人は一気に緊張して耳をそば立てた。
「うん、わかった。なんとかしてそっちに向かう‼︎」
 美波は電話を切るとすぐさま立ち上がった。
「ごめん、急用が出来た。行かなきゃいけない。続きはまた!」
「あのっ、ミナミサ…ん、H駅での感染者自爆って、ホントなんですか?」
「え? 祐一君、聞こえたの?」
「はい。ここ静かなんで、相手の声もまる聞こえで…」
 と、祐一がすまなさそうに答えたので、美波はしまったという表情で言った。
「そっか。オグちゃん興奮してたからなあ。警察に張り付いてる記者からの情報だから間違いないわ。あ、このことは情報が公開されるまでオフレコにとってよ。間違ってもSNSとかで流さないこと! 流したら私も約束を反古にするからね。じゃ、私行くから! 支払いは済ませとくね」
 美波は出入り口で靴を履くのもそこそこに部屋を出ようとしたが、ふと立ち止まり、振り返って言った。
「そうだ、君たち。いい加減『ミナミサ』って言いかけて気付いて『ん」を付け足すのはやめてよね」
「そんなことはいいから!」
「早く行ってください‼︎ 」
「特ダネ逃しますよっ!」
「でも無茶しないでよ!」
 口々に言う4人に見送られて、美波は現場に急いだ。
 美波が去って、いきなり部屋がしんとした。しかし、遠くから聞こえる消防の音が否が応でも場の空気に緊張感を与えていた。そんな中、勝太がぼそりと言った。
「あ…、あのさ、『ほごにする』ってどういうこと?」
 そんな勝太を後の3人がそれぞれの表情で見て、ため息をつき、さらに彩夏が険しい表情で言った。
「ナシにするってことよ。君さ、もし、この情報をネットとかでバラしたら殺すよ」
 彩夏の迫力に気圧されたのか、勝太だけでなく釣られて祐一まで頷いていた。

 由利子は現場の駅の前に設営されつつある特設の対策本部の前で、やきもきしていた。
 ギルフォードは現状を確認すると言って、由利子に待機を言いつけると中に入って行ったまま、10分以上経っても出てこない。消防車や救急車が続々と駆け付け、駅の周囲特に出入り口を中心にバリケードを形成する如く集まってきている。そんな状況や周囲を人が緊迫した表情で駆け回っているのを見ながら自分の存在に疎外感を感じていた。黒岩のことは当然気が気ではないが果たして自分はここに居て良いのだろうか。勿論由利子は邪魔にならないようギルフォードの指定した待機場所に居たのだが、目の前を行き交う警察官や消防隊員から迷惑そうな目で見られているような気がして居心地悪い。
(あ、そうだ。これ付けてなきゃ)
 由利子は思い出して、SVT対策チームのIDカードをバッグから取り出し首から下げた。それから数分経ったが、ギルフォードはまだ戻って来る様子はない。不安と心配が募る一方でな由利子は周囲を見回す頻度も増えて行った。そんな時、「おーい」という声がした。自分にかけられた声のような気がしてその方を見ると、K大学法医学の勝山教授が走ってきていた。
「君、確かギルフォード教授のところの助手さんだったね」
 勝山はそう言って由利子のIDカードを見た。
「やっぱりそうだ」
「あの、先生はどうしてここへ? K大からはけっこう遠いですよね」
「今日は大阪出張からの帰りでね。せっかくだからついでに今日の流舁きでも見て帰ろうかとH駅に降りたところだったんだが、その矢先さ。新幹線から降りたところで凄い音がしてね。その後の混乱に巻き込まれてようやくここにたどり着いて状況を把握したところなんだ」
「あの、ギルフォードも中にいると思うのですが」
「ああ、居たよ。中でなにか電話で話していたな。多分、高柳君とだろう」
「私、ギルフォードからここで待つように言われてて…」
「わしは、いち早く駆けつけた医者としてトリアージを任されてね。そうだ、ちょうどいい、君、一緒に来て助手をしてくれたまえ」
「え?」
「ちょっと待って。あ~、君君」
 驚く由利子を後目に勝山は待機所を警護する警官に言った。
「君、ギルフォード先生は知っているね」
「はい。署内でも有名ですから」
「じゃ、彼が出てきたら伝えてくれ。K大の勝山だが」
「カツヤマ先生…ですか」
「そうだ。勝山がギルフォード先生の助手をちょっと借りると」
「わかりました、お伝えします!」
「じゃあ、篠原君行こうか」
「あ、あの」
 由利子は自分には無理だと言おうとしたが、勝山はさっさと先を歩き出した。由利子は現場に入れるチャンスだと思い直して彼の後を追った。

 その頃祐一たちはN鉄のF駅に向かっていた。
 美波が去った後、4人は興奮を抑えることが出来ず、いろいろな憶測をしながら話していたが、ニュース(おそらく緊急速報だろう)を見て子供らが心配になった親から各人に一斉に電話がかかってきたのだ。それぞれが一様に心配だから急いで帰れと言われ、仕方がないのでお開きにして店を出たのだった。
 駅について階段を上ると、コンコース内にナレーションが響きわたっていた。
「先ほど14時45分ごろに起きた、H駅の爆発事件についてお知らせします。自爆した男にサイキウイルス感染の疑いがあることが判明いたしました。H駅爆発当時H駅の現場付近に居た方は申し出をされるようお願いいたします。繰り返します。先ほど14時45分頃……」
「これで申告するバカ正直っているのかしら?」
 彩夏がいつものつんとした表情で言った。
「多分おらんやろうね。下手に申告すれば隔離されるに決まっとぉし。僕だって申し出る自信ないね」
と、祐一が答えた。
「私もしらんふりして帰るだろうなあ」
「君はね」と良夫が口をはさんだ。「でもきっと西原君は申告するやろ」
「そういえばそうよね。バカ正直だもんねえ」
 いつもは良夫の意見と対立する彩夏が珍しく同調して言った。祐一は
「あのね君たち、何でこういう時だけ意見が合うんだ」
「まあ、みんな同意見ってことやね」
 勝太まで言い出したので、祐一はため息をついて言った。
「勝太、おまえもかよ」
「それはいいから、とにかくさっさと帰るわよ。どこかであったみたいな連続テロだったら恐いもの」
 そう言うと、彩夏は足早に歩きだした。良夫がその後ろ姿に向かって言った。
「あのなあ、嫌なこというなよ」
「まて、ヨシオ。錦織さんのいうことも一理あるぞ」
 祐一が言うと、勝太も同意した。
「うん、確かに」
 3人は顔を見合わせてから彩夏の方を見ると、そそくさと歩き始めた。

 葛西たちSV対策チームは車内で防護服に身を包み駅の現場に駆けつけたものの、その惨状に愕然とした。 駅は封鎖されており、駆けつけてきた警官や消防隊員が現場周辺にいた通行人たちを足止めして1カ所に集めていた。そして再び惨状に目をやり目の前のことが本当に起こっているのか夢じゃないかと一瞬現実逃避するような状態に陥ったが、九木の声で我に返った。
「葛西君、呆然とするんじゃない。見なさい、早瀬隊長だけでなく松樹対策本部長も来られている」
「あっ」
「これは今までとは段違いな事件だからな。行くぞ。指示を仰ごう」
 二人が緊急に作られた指揮所に向かおうとした時、聞き慣れた声がした。
「おう、葛西」
 振り向くと、富田林と増岡が立っていた。しかし、彼らは防護服をつけておらず、感対センターと書かれた白い防護服の職員二人と共に居た。
「富田林さん、増岡さん!!」
「すまん、俺たちが駆け付けた時には、もう…」
「って、防護服は!?」
「俺たちは爆発音を聞いて駆け付けたんだ。自爆者が感染しとったやら知ったとは防護服の消防隊が駆けつけてからだ」
「そんな…」
「しかたないさ。何かあった時駆けつけるのは警官の勤めだ」
 富田林が言うと、増岡も続けて言った。
「まあ、仕方ないですね。しばらくはセンパイと一緒に隔離ですよ」
「おい、俺と一緒じゃ不服か?」
「仕方ないですねえ」
 増岡は繰り返して言った。職員の一人がせかすように促した。
「そろそろ行きましょう」
「富田林さん!!、増岡さん!!」
「じゃあな、葛西。俺たちはしばらくは休みだ。俺たちのいない間を頼む」
「大丈夫です。ちゃんと戻ってきますよ」
 二人は葛西に笑顔で言うと、職員に誘導されて歩いて行った。
「あの、すみません!」
 葛西が後ろを歩く職員を呼び止めた。
「本当に隔離されるんですか?」
「防護服なしで現場で長時間活動してましたし、けが人にも触っておられたということですから」
「けが人に…?」
 葛西は一瞬めまいがしたように思えた。多美山の事を思い出したからだ。
「まさか、素手で?」
「いちおうマスクと手袋だけはなさっていたようですが…」
「そうですか」
 葛西は少しほっとして言うと、職員に深く礼をした。
「二人の事、よろしくお願いします」
「はい。きっと大丈夫ですよ」
 職員は笑顔で言うと、3人の後を追った。葛西が彼らの行先を見守っていると、誰かが肩にポンと手を置いた。九木だった。
「大丈夫さ、葛西君。二人ともタフだからな」
「はい…」
「感傷に浸る暇はない。行くぞ」
「はいっ」
 葛西は九木に促されて松樹の下に向かった。

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3.暗転 (4)怒りと慟哭のゼロ

【注意】後半に一部残酷な描写があります。

 ギルフォードは由利子のいた待合室に戻り、彼女が勝山の助手として現場に向かったと聞いて愕然とした。
「馬鹿な!! ユリコは被災現場など見たことないんですよ! ひどいショックを受けてしまいます」
「まずいですわ。きっと教授の助手だから大丈夫と思われたのでしょう」
「急いで追わなくては!」
 ギルフォードはそういうとブルーシートに覆われた爆発現場の方に目をやった。
「だめです! 防護服なしでは入れませんわ!」
「わかっています! ユリコ達もまず着替えるはずです。まだ間に合うかも知れません」
 ギルフォードはそういうと脱兎のごとく駈け出した。
「あっ、わたくしも参りますわ」
 後を追う紗弥にギルフォードが言った。
「僕は先に現場にはいりますから、もし紗弥さんが先にカツヤマ先生を見つけたらユリコとトリアージを変わってあげてください。ユリコには速やかに現場から離れるようにと」
 ギルフォードはそう言い残すとあっという間に走り去って行った。紗弥は後を追ったがギルフォードの足には到底及ばなかった。
(”足の速さは流石に男性にはかなわないわね”)
 紗弥はどんどん遠くなるギルフォードの背中を追いながら思った。

 真樹村極美は、今日もシェルターでの待機を余儀なくされていた。金曜の夜、サンズマガジンの編集長から記事掲載OKの電話をもらったが、極美にはそれを送った記憶がないのだ。ただ、未完成の記事を教主が見たいと言うことで送ってしまったのだが、極美にはそれ以外可能性を考えられなかった。しかし、教主がそんなことをする理由がわからない。それで極美は確認しようとしたが、降屋にも教主にも連絡が取れないでいた。
 教主は今講演等で忙しいと言うことで、直通と言うことで教わった携帯番号には全くつながらず、留守録にも返事がない。教団に電話しても週明けまで待つよう言われ埒が明かない。降屋に至っては携帯電話も契約解除されており全くの音信不通となっていた。
 極美は不安に押しつぶされそうになりながら、なんとか教主と連絡の取れる週明けまで待つことを余儀なくされた。極美は何をする気力もなくベッドに横になっていた。そんな時、極美に電話が入った。編集長からだった。
「はい、真樹村です」
「おい、極美、今どこだ?」
「宿泊場所ですけど」
「バカヤロー! 何でまだそんなとこにいるんだよ!」
「え?」
「おいおいおい、何寝ぼけてんだ? テレビつけてみろ! H駅が大変なことになっているぞ!!」
「えっ、うそっ!」
 極美は飛び起きるとリモコンを掴みテレビをつけた。すると、いきなりH駅の尋常でない光景が画面に現れた。
「なにこれ? いったい何が起こっているの?」
 極美はへたへたと床に座り込んだ。

 その頃、美波も駅前に駆けつけクルーたちと合流していた。実況の準備をしていると、遠くでギルフォードらしき男が現場の方に走って行くのが見えた。
(ギルフォード教授、彼も興味深いのよね)
 美波は少年たちから事件の取材をした時、ギルフォードのことについても色々聞いていた。それで、出来れば少年たちの事と合わせて彼の事も取材したいと考えていた。
(でも今はこっちが大事!)
 美波はそう切りかえると、マイクを持って背筋を伸ばした。

 ギルフォードは全速力で由利子の下に向かっていた。
(”まったくもう、何だってユリコがトリアージの助手をやることになったんだ! 自爆テロの現場で、しかも友人が犠牲になっているかもしれないところだ! そんな現場を目撃したら、きっとユリコは壊れてしまう!!”)
 しかし、気ばかり焦っても防護服やマスク着用のせいで思ったより走れない。特にマスクの息苦しさは半端ではない。
”畜生!! くそったれの防護服が!”
 つい呪いの言葉がギルフォードの口から漏れ出ていた。現場はごった返しており、ガレキと煙と異臭と爆発で負傷した人たちのうめき声で修羅場と化していた。
(”どこだ! ユリコはどこにいる!?”)
 ギルフォードは周囲を見渡した。

 タミヤマリーグの4人は、とりあえず一番近い祐一の家に集まった。そこなら既に現場からもかなり離れていたし、閑静な住宅街なので後の3人の親も安心するだろう。なにより今4人は不安で、それを共有出来る仲間たちと離れたくなかったからだ。
 祐一の母真理子は、思いがけない可愛いお客様を迎え、少し慌てていたが何となく嬉しそうだった。あの事件で孤立しかねなかった息子にたのもしい仲間が3人もいてくれたのだ。実は、真理子は祐一が仲間がいると言っているのは本当は両親を安心させるためで、実のところ学校では辛い思いをしているのではないかと心配していたのだった。
 真理子が居間にジュースとお菓子を持っていくと、息子たちは既にテレビに釘付けになっていたが、真理子がジュースをテーブルに置くと、それぞれがお行儀よく頭を下げてお礼を言った。
「あなたたちは爆発現場の近くにはいなかったの?」
 と真理子が訊ねると、祐一が答えた。
「うん。オレたちが居たのはF駅の近くやったからね。みんなでお昼食べとったら遠くで救急車の音が聞こえ始めたんだ。そしたらミナミサの電話が鳴ってH駅で爆発があったってわかったんだよ」
「そうなの。それなら良かったけど、心配したんよ。ニュース速報が入った時、ひょっとして現場にいるんじゃないかって思って気が気じゃなくなったんだからね」
 真理子はそういうと、今度は3人の友人たちに向かって言った。
「君たちもちゃんと家の人に連絡した?」
「はいっ」
 と、3人はほぼ同時に答えた。
「あらあら、仲がいいこと。じゃ、ごゆっくりね」
 と、真理子は笑いながら居間から出て行った。応接セットから少し離れた作り置きの机で、居心地悪そうにして新聞を読んでいた父親の慎也も、後を追うように立ち上がった。
「祐一、お父さん今から部屋で調べものするからな。4人ゆっくりしていなさい」
 慎也はそれだけ言うとそそくさと部屋を出て行った。
「なんか、悪かったかなあ」
 勝太が申し訳なさそうに言うと、彩夏と良夫も頷いて言った。
「気を遣わせちゃったかな」
「そうねえ。別にお父様一緒にテレビ見てくださっても良かったのに」
「ウチのオヤジ、ああ見えてけっこうシャイなんだよね。まあ、1時間もしたら母さんと一緒に様子見に来ると思うよ」
 祐一そう言いながらテレビの方に目をやると、ちょうどミナミサが中継を始めるところだった。
「あ、ミナミサだ」
 と勝太が言うと、良夫と彩夏も続けて言った。
「さっきまで会ってたなんて、信じられないな」
「ホント緊急で行ったって感じね。髪ハネまくってるわ」
「風があるんだと思うよ」
 と、これは祐一。
「え? ウイルスがまき散らされたりしないかしら?」
「まさか!」
「シートで覆ってあるし野次馬も遠ざけてあるようだし、文字通りの自爆と言う情報が事実なら、ウイルスが熱に耐えられるか疑問だし、そもそも空気感染しないタイプのウイルスだから大丈夫とは思うけど…」
 祐一はそう答えたが自信はなかった。

 話しは少し前後する。
 由利子は勝山の後についてヴィニールシートの内側にたどり着いた。
「篠原君、トリアージの経験は?」
「ありません」
「ないのか。まあいい、説明しよう」
 勝山はカードの束を手にして言った。
「これはトリアージタグだ。3枚重ねになっていて文字は下のカードに複写される。これに名前等の個人情報や負傷の具合を書きこんでトリアージ区分を決める。最後にトリアージ区分の色を残して不要な色部分をもぎって負傷者の右手首にタグをゴム輪で2重に巻き付ける。右手がダメなら左手首、右足首、左足首、首の順だ」
「はい!」
「トリアージ区分の識別色はわかるかな」
「はい。赤が直ちに治療が必要な最優先で、黄色が重症だけど容態が安定していて治療が少し遅れても大丈夫な人で、緑が軽傷者。黒は蘇生の可能性が…ない人です」
「よろしい。次のトリアージのために文字は真ん中に書かずに上に詰めて書くこと。書き間違いが出た場合は二重線で消す」
「はい!」
「今回は感染の可能性があるので搬送先はすべて感対センターだ。軽傷者も専用の救急車で運ぶことになる。現場に入ったら君はまず、意識があって自分で文字が書けそうな負傷者にタグを渡して名前や性別、年齢、住所電話番号を書いてもらってくれ。名前は片仮名だ。意識がなくてもそばに家族や知人がいたら、彼らに確認してくれたまえ」
「はい、わかりました」
「これから先は地獄かもしれん。覚悟して入りたまえ」
「は、はい!」
 由利子はここまで来てしまったことを少し後悔していた。しかし、それ以上に黒岩の安否を知りたいと言う思いが強かった。それにしても、初めて身に着けた防護服は話に聞いた以上に暑い。
(こんなの夏に着るようなものじゃないな)
 既にかなり流れ始めた汗に、由利子は心が折れそうになったが、一旦現場に入ると想像以上の壮絶さに声を失った。
「篠原君、行くぞ」
「は、はい」
 由利子は勝山に言われるままに足早に彼の後を追った。勝山は救急隊員たちに言った。
「K大の勝山です。これからは私がトリアージを指示します。あなた方は救急活動に専念してください」
「ああ、先生が来られたぞ」
 隊員たちに安堵の色が広がった。
「さあ、篠原君、始めるぞ」
 しかし、由利子は勝山の後方をじっと見つめると、顔色を変え弾けるようにその方向に駈け出した。
「篠原君! どこへ行く!?」
 勝山は驚いて由利子を呼び止めようとした。
「今の彼女には無理です。助手は私が代わりますわ」
「えっと、君はギルフォード君のところの…」
 勝山はいきなり現れた女性に戸惑いながら聞いた。
「ええ、秘書の鷹峰です」
「やり方はわかるのかね」
「はい。何度かやったことがありますので」
「よし、では鷹峰君、君にトリアージ実施補助をやってもらおう。早速始めるぞ」
「はい」
 紗弥はタグを持って軽傷者が数人うずくまっている柱の方へ、勝山は近くで血を流し横たわって唸っている締め込み姿の男性の方へ向かった。

 由利子は十数メートル先のがれきの中に見覚えのあるバッグを見つけて反射的に駈け出していたのだった。しかし、手前まできたところで足がすくんだ。バッグの向こうに男とおもわれる欠損した体が、半ばガレキに埋もれていた。爆発力があまりなかったために駅ビルの広範囲を壊すに至らなかったものの、爆心付近の天井の一部が落ち、ふっとばされた土産店のブースの土産物や弁当がガレキの中に散乱していた。その近くには負傷や心的なショックで立てなくなったらしい人たちがうずくまっていた。壊れた店に生き埋めになったらしい店員をレスキューが懸命に救出しており、運よく生き埋めを免れた店員たちが、埋もれた仲間の名を必死に呼んでいた。
 由利子は持ち主を確認しようと意を決して目を再度バッグの方に向けた。バッグの近くに血にまみれた手と頭髪のようなものが確認できた。由利子は首を左右に振りながらバッグに近づいていった。それにつれてはっきり目に映ってきた衣服にも見覚えがあった。さらに近づくと、頭髪の下に顔が見えてきた。しかし、不自然に首が曲がっているために、顔が確認出来なかった。由利子はさらにゆっくりともう一歩踏み出した。
「黒岩さん…?」
 そうつぶやいて由利子は顔をよく見ようとしたが、そこにあるはずの顔がないことに気付いた。
「あ…」
 由利子はその体の顔の左側の一部が肩あたりからごっそりと無くなっているということを理解した。一瞬目の前が真っ暗になりよろけた。それでも何とか踏ん張り態勢を整えると、髪に隠れた顔を確認しようと屈みながら震える手を伸ばした。
 その時、”Don't look!! という声と共に由利子の目を何者かが覆った。
「間に合ってよかった」
「アレク?」
「見てはダメです、ユリコ! 君は鮮明に記憶してしまう」
 ギルフォードは由利子を支えて立たせると、自分の方に向かせて彼女の目を見ながら言った。
「それに、彼女も君に見て欲しくないと思います」
 由利子は震える声でギルフォードに聞いた。
「あのひと、黒岩さんなの?」
 ギルフォードは何も言わずに由利子を抱きしめた。
「黒岩さんやね。やっぱり黒岩さんなんやね」
 しかし、ギルフォードは何も答えなかった。そのかわりもう一度さらに強く彼女を抱きしめた。
「いや、離してアレク! 黒岩さん早く病院に運ばなきゃ」
「もう遅いんです、ユリコ。救急隊員が救助していないということは…」
「心肺停止でも蘇生することだってあるじゃない。私、救急隊員の人呼んでくる」
「だから、彼女はもう…」
「黒岩さん、まだ中学生の子供がいるのよ。死なせるわけにはいかない」
「ユリコ、しっかりしなさい」
「だって」
「ユリコ! もう遅いんです」
 ギルフォードは由利子の両肩を掴むと彼女の目を見て言った。
「君だってもうわかっているのでしょう」
 由利子は不意に力が抜けてへなへなと座り込んだ。何故か涙は出なかった。周囲の音が遠のき、自分が自分じゃないような不思議な感覚に襲われた。
「ギルフォード君、この女性は君たちの知り合いかね」
 不意に声をかけられその方向を見ると、勝山がいつの間にか黒岩の横にしゃがんでいた。
「そうです」
「残念だが、もうどうしようもないな。あっちに埋まっているのは損傷の具合から自爆犯らしいな」
「ええ、そうだと思います」
「まったく、とんでもないことをしでかしたものだよ。どれだけの量、どれだけの範囲に生きたウイルスを乗せた細胞が飛び散ったか皆目見当がつかん。ところでこの女性の名前などを聞きたいんだが」
「ハイ、彼女はルイコ。クロイワ…」
 と、ギルフォードが言いかけると、由利子がそれを遮るようにして言った。
「黒岩るい子さん。私が以前勤めていた会社の同僚でした。現住所は長野県長野市○○X丁目XX番X号。電話番号は026-2XX-XXXX。年齢46歳。中学2年生の娘さんがいます」
 由利子は座り込んだ状態でうつむいたまま、抑揚のない声で淡々と言った。
「ご主人は娘さんが産まれる前に事故死して、その後女手一つで育てていましたが、所属する会社でサイキウイルス患者が出たせいで…」
「ユリコ、もうそれくらいでいいですよ」
「…そこに居辛くなって退社。実の両親も他界していたためご主人の両親のいる長野に引っ越してて…」
 まるで音声ソフトが読み上げるように黒岩の事を話し続ける由利子に、ギルフォードは不吉なものを感じながら言った。
「ユリコ、そのくらいにしましょう」
 しかし、由利子はそれに気づかない様子で言い続けた。
「でも、移転の手続きのためにこっちに戻ってきていて、夕方の新幹線で帰る予定で、お土産いっぱい買って、本当なら新幹線で、新幹線に乗って娘さんのところにっ…」
「ユリコ、もういい、もういいんです」
「黒岩さん、黒岩さん、ごめんなさいっ。私のせいだ、私のせいで、こんな、こんなっ」
「ちがいます、ユリコ。君のせいじゃありません。しっかりしてください」
「だめだ。パニックを起しとる。ギルフォード君、彼女はこの場から離れた方がいい」
「すみません、カツヤマ先生」
「無理もないことだよ」
「さあ、ユリコ、行きましょう。さあ、立って。君はここに居てはいけません。さあ!」
 ギルフォードはなおも黒岩の名を呼び続ける由利子を立ち上がらせ、両肩を掴んで強く言った。
「ユリコ! いい加減にしなさい!」
 由利子はびくっとしてギルフォードを見た。
「気持ちはわかります。痛いほど! でも、君がここで泣き叫んでもルイコさんは戻って来ません。それどころか、ハッキリ言って今の君は救護活動の邪魔でしかないのです」
 ギルフォードはこんなことを言うのは酷だとは承知しながら敢えて言った。
「君は今、タスクフォースの一員でもあるのですよ。ここで降りて一般市民に戻りますか、それとも、ここで踏ん張ってルイコさんの仇を取りますか?」
「仇…取りたい。取りたい…!」
 絞り出すような声で由利子が答えた。
「よろしい。ではとにかくここを出て落ち着きましょう」
 ギルフォードは由利子を促すと、出口に向かって歩き出した。救護所近くに来た時、葛西が二人を見つけて駆けつけてきた。
「アレク、どうしたんですか。由利子さんがこんなになるなんて、一体何が?」
「ああ、ジュン、ちょうど良かったです。ユリコは犠牲者の中に友人が居たのでショックを受けているのです」
「なんですって、友だちが?」
「僕はユリコを連れて外に出ます。今、カツヤマ先生がいるところにユリコの友人が、その近くに犯人らしき遺体がありました」
「え? 自爆犯が見つかった?」
「はい。ガレキにほとんど埋もれていました。見つかったのはユリコが友人に気付いたおかげです」
「了解しました。至急そこに向かいます。後で事情聴取しますので、帰らないで!」
 葛西はそういうと勝山のいる方向に駈け出した。ギルフォードはため息をつくと、由利子の背に手を置いて再び出口を目指した。

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3.暗転 (5)突き付けられた現実

 まだ明けきらぬ薄暗い街の通りを、締込みに水法被姿の男たちの集団が独特な掛け声を上げながら駆けて行く。その集団の中ほどに、舁き山と呼ばれる山車を担いだ男たちが一際勇壮な掛け声を上げながら太鼓の音と共に駆けて抜けて行った。それは毎年変わらぬ光景だった。
 沿道には延々と人垣が並び、周囲のビルの窓にも人が鈴なりになって見物している。一つの集団が過ぎるとまたすぐに次の集団が掛け声と共に駆けてくる。
 由利子は沿道の人垣の中に入らずに、歩道の少し高い位置に設置されている植栽帯の縁石の上に立っていた。
(良かった、今年も無事にこのお祭りが終わろうとしている)
 由利子は目の前の光景を見ながらしみじみと思った。
(あ、この位置じゃ写真にイマイチ迫力が欠けるなあ。ちょっとだけ人垣に入って行こうかな。葛西君は昨日から警備で忙しいからこっちに来れなくて残念。ところでアレクたちどこにいるのかな。確かさっきまで一緒にいたよね)
 そう思いながら、由利子は縁石の上から周囲をぐるりと見渡した。すると、人垣の後の方に見慣れた人影があった。
「あっ!」
 由利子は縁石から飛び降りると、その人に駆け寄った。
「黒岩さん! 良かった。無事やったんやねえ」
「あら、篠原さんも来てたんだー」
 と、黒岩は笑顔で振り向くと言った。
「うん、今年は来てみたの。教授が見たいって言うからさ。黒岩さん、帰らなかったんやね。興味ないみたいなこと言ってたから、てっきり…」
「まあ、見納めになるかもしれんやろ」
「何言ってんの。また来年も来たらええやん」
 そこまで言うと、由利子はあれっと思った。何か忘れているような気がした。大変なことがあったような気が…。
 ふと気が付くと、沿道にいたはずの由利子は駅のコンコースに居た。
「あれっ? そう言えば、黒岩さんを見送りに来たんだっけ?」
 そうつぶやいて周囲を見回したが、そこは何の変哲もない多くの人が行き交う駅のコンコースだった。
「そうそう、はやく待ち合わせ場所に行かなきゃ!」
 その時、周囲から悲鳴が上がった。
「え? 何? 何が起こったと?」
 由利子は何が何だかわからずオロオロした。人々が遠巻きに由利子を囲んで何か叫んでいる。黒岩がいつの間にか由利子の傍に立っていて、由利子の手元を見ながら叫んだ。
「篠原さん! 何持っとおと! それ、爆弾やないの!!」
 黒岩に指摘されて、初めて由利子は自分が黒い不審物を持っていることに気が付いた。
「なにこれ? 私、こんなもの知らない!」
 由利子は驚いて咄嗟にそれを通路に置いた。同時に爆発音と激しいショックが由利子を襲った。

 由利子は声にならない声を上げて飛び起きた。冷や汗が流れ心臓が信じられないほどバクバクしている。由利子は心臓のあたりを押えハアハアと短い呼吸を繰り返した。夢現(ゆめうつつ)の状態で、自分がどこにいるのかしばらくわからなかった。少なくとも自宅ではない。
「しっかりなさいませ」
 ベッドの横に座って様子を見てくれていたらしい紗弥が、由利子の背をさすりながら言った。
「ここは?」
「感対センターの仮眠室ですわ。由利子さん、事情聴取の最中に倒れてしまったのですよ」
「え? そういえば途中から記憶がない! 私、またやっちゃった?」
 由利子はなんでこうなったのか思い出そうとした。

 話は数時間前に戻る。
 由利子は被害現場の駅から、ギルフォードと共に感対センターに向かった。駅を出る途中、自衛隊の車両が集まってくるのを確認した。現場が汚染されている可能性があり、生化学部隊が除染のために派遣されたと説明された。その車両から降りてきた自衛隊員たちの隊長らしき男が、一瞬由利子の方を見たような気がした。
 感対センターでは、由利子は駅での失態を挽回するかのごとく働いた。搬送されてくる人たちがあまりにも多かったために、スタッフの絶対数が足りず、由利子は自らボランティアを申し出たのだ。実のところ、何かをして気を紛らわせなければ、悲しみと恐怖に押しつぶされそうになりそうだったのだ。
 駅の構内での自爆は感染者がコアに居たために、爆弾は小型だったものの爆風は各通路を抜けて広がり汚染は広範囲に及んだ可能性があった。ウイルス自体は熱や衝撃に弱いと考えられるものの、エアロゾル化し飛び散った体液等に含まれたウイルスが生き残って感染を広げる可能性はゼロではないと考えられた。それで、無傷であっても一定の区間に居た人たちはみな隔離対象になり感対センターに搬送されることとなったのだ。
 想定外の人員が運ばれてきた感対センターは大混乱になった。爆発の規模が小さかったために、重体や重傷の患者は爆心付近で生き埋めになった数人にとどまりそうだった。そのうちの一人は未だレスキューの途中で搬送はまだ先になりそうだが容態は安定しているということだった。死者は黒岩と自爆犯の2人で、後は軽傷者か感染の恐れがあるグレーゾーンにいた無傷の人たちだった。しかし、その数が半端ではない。
 以前、F駅の人ごみの中で感染者が「炸裂」した時も相当数の人たちが運ばれてきたが今回はその比ではなかった。それで、センター側は危険感染症患者収容のために現在運営を停止している一般病棟を解放し、そこにグレーゾーンの人たちを一時的に収容することにした。
 感染の可能性を考え隔離対象になった人たちの多くは、未だ爆発のショックと感染したかもしれないという恐怖から立ち直っておらず、大人しくスタッフの指示に従っていたが、中には人権問題だと詰め寄る者もいた。そうなると周囲の人たちも同調して抗議を始める。由利子やスタッフたちは何度も丁寧に説明するのだが、納得してくれる時はいいが、特にある年代の男性になるとまったく取りつく島もない状態になってしまう。そんな時は必ず責任者を呼べと怒鳴られることになり、センター長である高柳の出番となる。由利子は他のスタッフと共に黙々と隔離者一人一人の名前・住所・連絡先を聞き、一時待機所に送っていった。
 窓の向こうの病室でも、医師と看護師が負傷者の治療で大忙しだった。中でも副センター長として先週末から配属された、中野と言う医師は、初の大仕事とあって張り切っていた。
 由利子はそんなスタッフたちの奮闘を見ながらふと気が付いた。甲斐看護師の姿が見えないのだ。
(あんなに責任感の強い人がこんな時にいないなんて、どうしたんだろう。 疲労で倒れたりしたんやろか)
 由利子は不安に思ったが、すぐに忙しさに忙殺されていった。

 ようやくセンター内に落ち着きが戻り始めた頃にはすでに夜9時を過ぎていた。
 由利子はギルフォードと共に事情聴取のために来客室に呼ばれた。そこはかなり前から県警の出張所のようになっており、事情聴取もそこで行われていた。由利子たちが部屋に入ると、九木と葛西、そして記録係の警官が座って待っていた。
 由利子は黒岩を見送るために乗った車の中での電話のやりとりや、爆発現場に入った時の状況を、淡々と話した。信じられないくらいに冷静に話す由利子に、駅で取り乱した由利子の姿をみていたギルフォードだけでなく、葛西も不安を感じたのか心配そうに由利子を見守っていた。
「以上です」由利子は静かに言った。「もう、行ってよろしいでしょうか?」
「お疲れの事とは思いますが、少し質問をさせてください」
 立ち上がろうとする由利子を九木が引き留めた。由利子は硬い表情で言った。
「なんでしょう?」
「黒岩さんが駅に向かう時間をあなた方以外に知っている人はいますか?」
「それはわかりません。それに…そういうことは黒岩さんのプライベートだし…」
「ココノギさん」と、ギルフォードが見兼ねて言った。「ユリコはもう限界だと思います。今日はもう解放していただけませんか?」
「わかりました。篠原さん、もう少しだけお付き合い願いたい」
「はい」
「私たちは自爆現場にいた何人かから状況を聞くことが出来ました。爆発が起きる前に『急いでここから離れて』という女性の叫び声が聞こえたそうです。それに触発されて逃げたために直撃を免れた方が大勢いたんです。おそらくその声の主は黒岩さんでしょう。彼女が気付き叫ばなかったら、もっと大勢の人が犠牲になっていたでしょう」
「黒岩さんが…」
「それから」
 と、今度は葛西が言った。
「彼女のバッグに入っていたコンパクトデジタルカメラに、駅コンコースの風景が数枚あったんですが、その一枚に自爆犯と思われるあの似顔絵に似た男が写っていたのです。カメラが無事だったのは、黒岩さんがバッグを抱きかかえていたからだと思います。電話中だったということですが、スマートフォンの方はまだ見つかっていません」
「写真に犯人が写っていたのは偶然か、黒岩さんが男に気付いて風景を撮るふりをして撮ったものかはわかりませんが、黒岩さんのおかげで捜査が進展するのではないかと思います。篠原さん、黒岩さんの命がけの英雄的行為は絶対に無駄にはしません」
 と、九木が力強く言った。
「英雄…? …でも、私、は……」
 由利子は呻くようにして言った。
「そんなことせずに、なんとか逃げて欲しかった…。まだ中学生の娘さんのためにも…」
「由利子さん?」
「私は、犯人が憎い…。犯人に自爆を命じた誰かも憎い…! 憎い!憎い!憎い!!! この手で八つ裂きにしてやりたいくらいに!!」
 由利子は叫ぶと両手で机をダンダンダンッ!と叩いて立ち上がった。両手をそのまま机に置き、うつむいたまま、今度はつぶやくように言った。
「だけど、黒岩さん、私なんかに関わらなかったら…。私に関わった…か、ら…」
 そこまで言うと、由利子の身体から力が抜け、後方に倒れていった。
「ユリコ!」
「由利ちゃん!」
 葛西は咄嗟に立ち上がって由利子に駆け寄ろうとしたが、由利子は横にいたギルフォードが素早く抱き留めていた。葛西は一瞬恨めしそうにギルフォードを見たがすぐに由利子の心配をして言った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「疲れていたところに極度の緊張と興奮が重なってオーバーヒートしたのでしょう。とりあえずどこかで寝かせましょう」
 ギルフォードは由利子を抱きかかえるとドアの方に向かった。

 ギルフォード達の姿がドアの向こうに消えてから、葛西が訊ねた。
「九木さん、なんであんな質問をされたのですか? まさか、自爆犯が黒岩さんを狙ったと思っておられるのですか?」
「巻き込まれて死んだのは篠原由利子の友人だ。単なる偶然では済まされないだろう。篠原の話では、黒岩るい子が電話中に彼女の名前を口にしたために目をつけられたらしいと言っていたが、混雑した駅でたまたまそういうことが起きるのは不自然だ。予め犯人が黒岩の顔を知っていて近づいたと考えたほうがしっくりいく」
「そうですが、篠原さんが狙われるならともかく、なんで無関係の黒岩さんが?」
「もし、篠原にテロリスト側がなんらかの恨みを持っていたとしたら、篠原の友人というだけで無関係とは思わないかもしれない」
「そんなことが…」
「テロリストの思考に一般論は通じんよ。昨今海外で起きているテロ事件を見ればわかるだろう」
「僕にはわかりません。あんなことをする意味は、自分を殺してまで破壊する気持ちは…!」
 葛西は下を向いて机の上で両こぶしを握り締めながら言った。数滴の涙がその上に落ちた。九木は葛西の肩に手を置いて諭すように言った。
「私にだってそれはわからんよ。葛西君、犯罪に怒りを持つのは当然だ。だが我々は警官だ。犠牲になった黒岩さんのためにも、この一連の事件の解決を急がねばならない。二度とこんなことをさせないためにも。さあ、行くぞ葛西君」
 と言うと、九木は立ち上がりスタスタと部屋から出て行った。
「は、はい」
 葛西はてっきり怒られるか皮肉を言われると思っていたが、むしろ励まされた形になり拍子抜けして慌ててハンカチで目をぬぐうと、メガネを拭きながら九木の後を追った。

 由利子は目を覚ましてから、改めて昼間に起きたことが現実だったと認識して呆然とした。もう、黒岩はこの世にいないのだと思うと悲しみと怒りが渦巻いて体が震えた。しかし何故か涙は出なかった。紗弥はそんな由利子にどう声をかけていいかわからず、半眼でじっと座っている。
「紗弥さん、アレクは?」
 と、由利子はようやく絞り出した声で訊いた。
「知事が来られ、呼ばれたので、少し待っててほしいと」
「そっか」
 そしてまたしばしの沈黙。
 ふと見ると戸棚の上に小型テレビが1台置いてあるのが目に留まった。
「紗弥さん、テレビつけていいかな?」
「ええ。今日はテレビはあれからあの事件一色ですわ。まだ、事件の実態は明らかではないので同じようなVTRの繰り返しみたいなものですが。希望チャンネルはあります?」
「こういう時はどこも似たようなものでしょ。つけた時のチャンネルでいいよ」
「そうですわね」
 紗弥は合槌を打ちながらリモコンを手にするとスイッチを入れた。ぱっと画面が開いたが、なぜか映ったのはゆるゆるの学園アニメだった。紗弥は一瞬ぽやっとした表情をしたが、すぐにチャンネルを切り替えた。
(紗弥さんもあんな表情するんだ)
 由利子は紗弥の意外な表情に驚きながら、あのテレビ局のゆるぎないポジションに妙に感心し、さらに自分にまだそういうことを思える余裕があることに気が付いて不思議に思った。

 テレビ画面はガイアTVの報道番組「NS10(エヌエスイチマル)」の特別番組に切り替わっており、メインキャスターの新谷統子を中心に中年男性と若い女性のキャスターのいつもの面子にゲストの御意見番の大物タレントに若い男性アイドルが並んでいた。さらに専門家の学者が呼ばれ意見を述べ、それにVTRとインタビューを交えながら進行すると言う、典型的な形で番組が進んでいた。
「それでは、爆発から数時間後までのダイジェストを爆発後の緊急特番の映像を元にVTRで説明いたします」
 新谷キャスターが言うと、画面が切り替わって衝撃的なBGMとタイトルと共に、駅周辺の映像が映った。その直後、爆発音がして駅ビルの出入り口から風と埃とゴミのようなものが噴き出しあちこちで悲鳴が上がった。画面が変わって駅近くで追い山ならしの準備をしている風景になった。そこでも爆音が聞こえ、皆がざわつき始めた。救急車や消防車警察車両が駅に次々と駆け付け、警官たちが混乱した現場で通行人や野次馬の整理をしていた。駅周辺には素早くビニールシートが張られ、緊急の対策所が作られた。これらの映像は視聴者提供らしく、下の方に注釈が記してある。すると、テレビ局のスタッフがあわただしく駆けつけるシーンに場面が変わった。駅ビルを背に、マイクを持った美波美咲が緊迫した表情で立った。
『H駅ビル爆発事件の現場の前に来ています。中にはまだ危険物があるということで、防護服を着用した者以外は入れず、今のところ中の状況は全くわかっておりません』
 美波が説明すると緊急特番の地元キャスターが質問した。
『危険物? まだ爆弾が残っていると言うことですか?』
『まだかなり混乱しているということで、詳しい情報はまだ何も…』
『F市と言えばこの前O線のF駅でサイキウイルス感染者が人ごみで倒れた事件がありましたね』
『はい。あの時は放血した感染者が倒れたために「自爆」と表現されましたが、今回は本当に自爆の可能性があるようです』
『爆発物なのは確かなのですね』
『はい。駅ビルの近くにいた人数人にお聞きしましたが、一様にすごい爆発音がしたとおっしゃってました』
『現場がウイルス汚染されている可能性はあるのですか?』
『それは何ともいえません。もし、自爆者が感染者としても、ウイルスが爆発の熱に耐えられるかどうか…」
『被害状況などもわからないのですか?」
『はい。とにかくすごく混乱してるんですが、死傷者もすでに出ていると言う情報もあります』
 死傷者と言う言葉を聞いて、由利子の身体がびくっとした。今まではこういう緊急ニュースもほとんど興味だけで見ていた。被害者に同情し涙し時に事件そのものに憤ることもあるが、それでも自分とはまったく無関係の出来事であり、どこか他人事という意識があった。だが、当事者になってみて、初めてその辛さがわかった。由利子は画面を直視出来ず、このままニュース番組を見ることが困難ではないかと判断した紗弥がテレビを消そうとリモコンに手を伸ばした時、入り口のドアがドンドンとノックされ、大き目のよく通った声が言った。
「しのはらっ、篠原だろ。大丈夫か!?」
「だ、だれ?」
 由利子は驚いて体をこわばらせながら尋ねた。紗弥がすっと由利子から離れ、ドアの横の壁に立った。

 ギルフォードは、森の内知事に呼ばれ、センター長室にいた。
 部屋に入ると応接セットに森の内と高柳が座っていた。森の内は見るからに憔悴した表情でギルフォードを見ると立ち上がった。数日前追い山ならしで見た生き生きとした森の内とはまるで別人のようだった。
「ギルフォード先生、やられました。僕が甘かった。明日のフィナーレは中止です。僕はこの事件の責任をとらねばならんでしょう」
 森の内はそこまで言うと、どさっとまたソファに座って頭を抱えた。

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3.暗転 (6)沈黙の行進

「起きてるか、篠原っ! 俺だ、紫藤だ!!」
「シドウ? ひょっとして、逸美ちゃん?」
「そうだよ、紫藤逸美だよ」
 それを聞いて由利子は一気に緊張感が抜けていくのが判った。
「紗弥さん、大丈夫よ。古い知り合い…幼馴染なんだ」
 由利子の許可を得て、紗弥はすうっとドアから離れ由利子の傍に立った。ドアの向こうからまた声がした。
「入ってもいいか、篠原?」
「うん、いいよ」
 由利子が答えるや否や、ドアが開いて大柄な男性が駆け込んできた。制服から自衛隊隊員だとわかる。
「しのはら、大丈夫か?」
「逸美ちゃん、どうしてここへ…?」
「俺が除染の任務をうけて駅に駆けつけた時、おまえの姿を見たんだ。民間人のいる場所じゃなかったし外国人と一緒だったんで気になってな、任務終了後に問い合わせたら犠牲者の友人という身元確認者がお前の名前じゃないか。これは偶然じゃないと思うと、もう、居ても立ってもいられなくなってな」 
「いつみちゃ…」
「大変だったな、篠原」
 いきなり現れた幼馴染に緊張の糸が切れたのか、由利子の目から涙があふれて子供に戻ったように泣きだした。紫藤は紗弥がベッドサイドに用意した椅子に座ると、何も言わずに由利子の肩を抱いて、彼女が落ち着くのを待った。テレビでは森の内知事が山川市長や警察署長らの会見のVTRが流れ、一同が深くお詫びの礼をするシーンが映っていた。紗弥は出番がなさそうなので、取り敢えずテレビを見ることにしてドアの傍の壁に寄り掛かった。会見の途中で新たな犠牲者の報告があった。ガレキに生き埋めになり救出が長引いた土産売り場の女性店員だった。容態の安定を伝えられていたが、救出後容態が急変したということだった。死因は長時間圧迫されたための挫滅症候群と発表された。これで、自爆容疑者を含め死者が3人となった。画面を見つめる紗弥の表情は無表情だったが、眉間にかすかな皺があった。

 しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した由利子が少し困ったような笑顔で言った。
「取り乱してごめん。久しぶりやね、逸美ちゃん。20年ぶりかなあ」
「また、昔の『泣き虫ゆりちゃん』に戻ったのかと思ったぞ」
 と、紫藤は安心したように微笑んで言った。一見強面だが存外優しい眼をして笑う。
「やめてよ。そんな昔の事」
 由利子は紗弥がいるところで幼馴染に黒歴史を言われ、焦って言った。
「ああ、わるい、わるい」紫藤が笑いながら言った。「多田が誘拐された事件の後、強くなるんだって頑張ったもんな。おかげで戻ってきた犯人を逮捕できた」
「あの時逸美ちゃんも一緒に犯人に立ち向かったじゃない」
「俺は良いトコなしだったよ。結局トドメの一撃を食らわしたのは多田やったし」
「その美葉なんだけど…」
 と、由利子は表情を曇らせながら言った。
「実は…」
 由利子が美葉の事件のことをかいつまんで話すと、紫藤は表情を曇らせながら言った。
「参考のために一連の調書に目を通してきたが、そうか、指名手配中の男に誘拐された女性と言うのは多田だったのか」
「うん…」
「何の因果かなあ…。で、何か進展はあったのか?」 
 由利子は返事をする代わりにうつむき加減で首を横に振った。
「そうか…。でも俺はあいつならなんとかするような気がするんだ。大丈夫、きっと戻って来る」
「うん」
「今日の事は俺も何と言って励ましていいかわからん。わからんが、あまり自分を追い込むな」
「でも、私と関わらなかったら…」
「そんなことは神さんにしかわからん。けど、そう思うのは仕方がない。仕方がないがそれは何にもならん。亡くなった人にもおまえにもな。泣いて泣いて涙が枯れたら前を向け。俺は東北では前へ進むしかなかったがな」
「逸美ちゃん、東北で…」
「福島の除染でな。ひでえもんだったよ。未だに夢に見る」
「……」
「篠原」
 紫藤は由利子の手を握って言った。
「俺は自衛隊員だ。覚悟は出来ている。しかし、おまえは民間人だ。俺たちと同じような覚悟をしろとは言わん。だけどな、おまえは今、テロ対策チームの一員でもあるんだろう? ならば足を引っ張るのだけはやめろ。もし、そんなことになりそうであれば、チームから退くんだ。その程度の覚悟はしてほしい」
「うん。判ってる。教授にも言われた。ここで辞めるか踏ん張るか決めろって」
「そうか」
「だから、踏ん張るって決めた。だから、大丈夫…」
「そうか」
 そう言うと、紫藤はさらに力強く由利子の手を握りしめた。
 そこに葛西が「由利子さん、大丈夫ですか?」と言いながら勢い込んで入ってきたが、思わぬシーンを見て「だ、誰?」と言うと固まった。いつの間にか入って来て紗弥の傍に立っていたギルフォードが、「おやおや」と言って肩をすくめた。由利子がそれに気づいてバツの悪そうに眼のふちに残った涙をぬぐいながら言った。
「あ、この人は私の幼馴染で小学校と中学が同じだった、紫藤逸美さんです。今は自衛隊に…」
 由利子が言うと紫藤はがばと立ち上がって直立不動になると、ビシッと敬礼をしながらよく通る声で言った。
「陸上自衛隊第4化学防護隊より除染のため派遣されました、紫藤逸美であります」
「聞いていますよ」
 と、ギルフォードが言った。
「サイキウイルス対策特殊部隊の隊長さんですね」
「はい。あなたが篠原の上司であるギルフォード教授ですね」
「上司っていう感じでもありませんが、ボスと言えばボス…かな」
「お噂は我々もお聞きしております」
「あそこで固まっているのは、対策チームで県警刑事部所属のカサイ巡査部長です。で、彼女は僕の秘書のタカミネです」
 と、ギルフォードは残る二人を紹介した。紗弥はにっこりと笑って会釈し、葛西も我に返って言った。
「葛西です。よろしくお願いいたしますッ」
「声が裏返っていますネ」
 ギルフォードは葛西を見て微笑ましそうに言うと、紫藤に向かって言った。
「僕のことはアレクと呼んでください。あなたのことはシドってお呼びしていいですか?」
「仲間からもそう呼ばれてますから、シドで構いませんよ。アレク、これも何かのご縁でしょうから、これからよろしくお願いいたします。それでは、私は戻らねばなりませんのでそろそろ失礼いたします」
 紫藤はギルフォード達にそういうと、由利子に向かって言った。
「じゃあな。お互い頑張って乗り切ろうぜ!」
「うん、ありがとう。逸美ちゃんも気を付けてね」
「応ッ!」
「今日はお疲れさまでした」
「駅の除染ありがとうゴザイマシタ!」
 紗弥とギルフォードも労いの言葉をかけた。しかし、葛西はまだ固まったままだった。その後紫藤はドアに向かったが、途中葛西の傍で立ち止まると耳打ちした。
「大丈夫、俺にはもう嫁さんと娘がいるんだ。篠原をよろしく頼むな、葛西刑事!」
「えっ? えっ? あ、いえ、僕はっっ」
 うろたえる葛西をよそに、紫藤は「それでは失礼します」と言うとドアの向こうに消えた。
「ユリコ、具合はどうですか?」
 紫藤が去ったのを見届けると、ギルフォードは由利子に向かって聞いた。由利子は恐縮しながら答えた。
「もう大丈夫です。みなさんご心配おかけしました」
「では、そろそろ帰りましょうか。もう11時近いですよ」
「11時…。追い山はもう中止でしょうね…」
「はい、市長から正式発表がありました」
「そうですか…」
 由利子は暗い表情で言った。心底やるせない気持ちだった。
「さあ、帰りましょう。用意してください」
「はい」
 由利子は答えるとベッドから出て立ち上がった。
 葛西は由利子の無事を確認した後持ち場に戻っていったので、由利子は行きと同じくギルフォードの車に紗弥と3人で乗っていた。駅に向かっていた時にはまさかこんな事態になるなんて想像も出来なかった。笑顔で黒岩を送るはずだった。なのに何でこんなことに…。
 車の中の空気は重かった。誰も一言もしゃべらなかった。いつもはかかっている軽快な音楽もなく、ラジオも由利子を配慮してか、かけようとしなかった。代わりにショパンのピアノ曲が静かに流れていた。そんな中で由利子がぼそりと聞いた。
「あの、黒岩さんのご家族はこちらへ向かって…?」
「ええ。ただ、時間的に今日中に来られる便がないそうで、明日早朝になるということでした」
 ギルフォードが答えると、由利子はそっとため息をついて「そっか…」というと、また黙って窓の外を見た。

 ギルフォードは、紗弥に車の番を任せて由利子を部屋まで送った。部屋の前でギルフォードはそっと由利子に聞いた。
「大丈夫ですか?」
「はい。もう大丈夫です」
「遅くなったんで、猫さんたちもお待ちでしょう。はやく安心させてあげてください」
「今日は本当にご迷惑をおかけしました。ありがとう。みんながいてくれて心強かった…」
「当然です。仲間でしょ? 明日は海の日で祝日ですが、対策チームは緊急事態で出勤です。でも、辛いようでしたらお休みしても構いません」
「いえ、行きます。家に居たってきっと辛いだけだから…」
「そうですか。では、明日は定時にお願いします。早く帰って体を休めてください。それでは、また明日」
「はい。よろしくお願いします」
 ギルフォードはにっこり笑うと由利子に背を向けた。しかし、数歩歩いて振り返り言った。
「ユリコ。君が言っていたこと…、『自分と関わらなかったら死ななかったのではないか』。それは、僕にとっても永遠の命題です。サヤにとってもね」
 ギルフォードが初めて紗弥を呼び捨てにしたので由利子は少し驚いた。
「でもそれに心を奪われるのは、シドが言っていたとおり、誰のためにもなりません。冷たいようですが、明日には復活してください。ルイコさんの無念をはらすためにも」
 由利子は無言でこくりと頷いた。何度もそのような思いをしてきたギルフォードの言葉は重かった。由利子はそんなギルフォードの心に今にも緊張で切れそうな1本の糸があるように思えた。
「では、サヤさんが待っていますので、また明日」
 ギルフォードはそう言ってもう一度微笑みウインクすると、今度は振り向かずに去って行った。
 由利子が玄関に入ると、声に反応していた猫たちが玄関マットに座って待っており、由利子の顔を見て同時に「にゃあ」と鳴いた。
「ごめんごめん、おなかすいたね、最近ずっと2食だもんね」
 由利子はそういうと急いで靴を脱いで、部屋に入った。しかし、机の上にバッグを置くと、猫たちに向かって「ごめん、ちょっと待ってね」と言うと、そのまま横のベッドにうつぶせに倒れ込んだ。その肩は小刻みに震えており、猫たちは彼女の横に並んで座ると首をかしげながら、時折彼女の髪の毛の先をちょいちょいと撫でていた。

 美波美咲たちは、疲れ果てていた。実況中継と取材に追われ、さらに夜の全国版特番にも中継で出演させられ、何とか解放された時はすでに丑三つ時を過ぎていた。美波は自分の机に突っ伏して、赤間は椅子を三つ並べてイナバウアー状態で、小倉に至っては床に直接大の字に寝転がって爆睡していた。その彼らに向かって誰かが声をかけた。
「おまえら、寝ている場合じゃないぞ」
「…ん? んぁ?」
 美波が寝ぼけ眼で顔を上げた。声の主は藤森デスクだった。
「んあ?じゃないぞ。起きろッ!」
「え? あ、デスクね…」
 そう言いながら美波はもう一度机に突っ伏したが、0.3秒でガバと起き上がり立ち上がった。
「デスク! すみません。赤間ちゃん、オグちゃん起きて、ほら」
 美波に起こされて目を覚ました二人も驚いて立ち上がった。
「な、何事ですか?」
「まさか、また爆発…」
「馬鹿たれ、縁起でもないことを言うんじゃないよ」
 藤森は二人の頭を軽くぽんぽんと叩いて言った。
「追い山は中止になったが、山は動くらしいという情報が入った」
「ええっ?」
「走らないが動くということで各流れに人が続々集まってきているらしい。お前ら今から行って中継してきてくれ」
「わかりました! 行くよ、おまえたち!」
「アラホラサッサー!」
 と、妙なテンションで3人は出て行った。
「あいつら大丈夫かね」
 彼らの姿を見送りながら藤森は肩をすくめて言った。

 由利子はギルフォードに言われたとおり、シャワーを浴びて早めに寝たが、案の定、なかなか寝付けなかった。今日の出来事が振り切っても振り切っても頭をよぎる。黒岩の娘が今どんな気持ちでいるか、舅や姑がどんな気持ちで孫を連れてこちらに向かっているのかなどを思うと辛くてたまらなかった。せっかく長野での生活に光が差し、新たな生活を送る希望が見え始めた頃だった。これから母子は安泰に暮らせるはずだった。それを思うと辛くて悲しくて涙が流れた。それでもなんとかうつらうつらすると、今度は悪夢にさいなまれた。昼間の自爆テロ現場に何度も立ち、爆発音と爆風に曝された。黒岩が目の前で何度も爆風で吹き飛ばされた。由利子はその度に黒岩の手を掴もうとするが、彼女の手は常に空を掴んだ。
 由利子は寝ることに疲れて起き上がりしばらくぼーっとしていた。外では雨が降りはじめたのだろう、ぱらぱらという雨音が聞こえてきた。
 ふと時計を見ると、明け方の5時を少し過ぎたところだった。本来なら既に追い山のレースが始まっている頃で、今年は自分等も見物しに現場にいるはずだった。由利子はため息をついたが、もう眠る気も失せてしまったのでニュースを見ようとテレビのリモコンを手にし、スィッチをいれチャンネルをぱっぱっと替えていった。すると、ザッピングしている間に一瞬画面に美波の姿が見えた。急いでチャンネルをめんたい放送に切り替えた。
「…ぅの美波です。今私は○○通りにいます。本来ならこの時間は山を担いだ男たちがタイムを競ってこの通りを駆け抜けていくはずでした。しかし、ご覧ください」
 美波が言うと、カメラが沿道に切り替わった。そこには山を担いだ男たちが雨に打たれながら無言でゆっくりと歩いていた。その行列は途切れることなく、各流れが走る順に並んであるいているようだった。男たちの姿はいつも通りの水法被と締込姿だが、各々腕などに喪章として黒い布を巻いていた。山もきらびやかな装飾は出来るだけ排除し、代わりに白い花を飾っている。
「市長より中止の発表がありましたが、犠牲者を追悼したいという気持ちから人が集まって来たということです。それを受けて、沿道には鎮魂のキャンドルやライトを持った人々が続々と並び、光の帯が出来始めました。なんという異様で美しく悲しい光景でしょう」
 由利子はテレビ画面を呆然として見つめていた。目からは無意識に涙があふれている。そんな時、由利子の携帯電話がに着信が入った。見るとジュリアスからだった。由利子は両目をぬぐうと電話を取った。
「もしもし」
「由利子、アレックスから聞いたよ。大丈夫きゃ?」
「正直あまり大丈夫やない」
「そのようだがやあ。そっちはまんだ朝早ぁかと思ったんだが、多分おみゃあさんが眠れていねぇだろうと思ったんで、思い切って電話してみたんだがよ」
「うん。ジュリーの声を聞いたら少し落ち着いたよ」
「ほうかね? …本当なら今頃は追い山の最中だがよね」
「それが、今、あっとおとよ」
「え? 走っとるのか?」
「ううん、走っとらんの。みんな喪章つけとって…」
 由利子は声が涙で上ずりそうなのをこらえ、咳払いして続けた。
「黙々と歩いとって、まるで…」
「葬列のような?」
「うん」
「ほうか…。しんどいな」
「まるで祭り自体が葬られとるようで…」
「おれも隔離さえされとらんかったら間に合ったのだろうが、そんな辛ゃあもんを見ゃーのだったら、却って良かったかもしれねぇな」
「ああ、そうやった。ジュリー、あんた隔離されとったんやったね。解放されたんだよね」
「あたりまえだがよ。発症でもせん限りそんなに長く隔離できるものじゃねぇよ。そもそも感染しておらんかったし」
「そっか。ほっとしたよ。じゃあやっとこっちに帰ってこれるんやね」
「それが、その前にちょこっと恩師に会うてから帰ろうと思うとるんだがや」
「え?」
「心配せんでええよ。ほんのちょこっとだで、まあひゃあ(もうすぐ)帰ってくるがや」
「で、恩師って誰?」
「ああ、おれの行っていた大学のもと教授でラヴェンクラフという人だがよ」
「らべん…? まあ、聞いてもわからんか」
「ウイルス学の権威だった人だがよ。いろいろあって今は隠遁生活をしとるらしいんだ。高齢なんで心配しとったが、ようやっと住所がわかったんだ。せっかくだで挨拶ついでに今回のウイルス事件についてアドバイスをもらってくるからよ」
「ああ、そういうことね。じゃ、その後帰って来れるんだね」
「おお。たりめーだがや。そん時は俺の胸かしてやるからよ、でーら泣いてえーからな」
「バカ」
「冗談じゃあねえだがや。アレックスは甘やかせてくれねえだろ?」
「ありがと。でも、アレクがやきもち焼いたら可哀相やから止めとくわ」
「あはは。そりゃあ心配せんでもえーて。ほんなら電話代がめちゃんこ高ぇんで切るでよ。由利子、無理こくなよ」
「うん、ありがとうね」
「じゃあな。See ya soon, Yuriko!」
「うん、See you! 待っとおけんね」
 電話が終わると由利子は電話を両手で握りしめた。
「ジュリー、心配してわざわざ電話くれたんだ」
 由利子はそうつぶやくと、テレビに背を向けごろんとベッドに横たわった。ジュリアスの落ち着いた声と方言に少し癒されたのか、しばらくするとかすかな寝息が聞こえてきた。しかし、その頬には真新しい涙の痕があった。猫のじゃにゃ子がそれを舐めて不思議そうな顔をしたが、傍に寄ってきたはるさめとともに由利子に寄り添って横になった。

「ほとんどの『流れ』がK神社に集結しました。しかし、境内は人いきれこそあるものの異様に静かです。沿道を縁取っていた蝋燭の帯は、そのまま自爆現場のH駅に向かって流れていくようです。我々もこれから二手に分かれます。私はH駅の方に向かいます。いったん中継からスタジオに戻します!」
「美波さん、気を付けてくださいね!」
「はい!」
「それでは、昨日のH駅自爆事件についてもう一度…」
 由利子の部屋で、見る者が寝静まった中テレビの音が地道に報道を続けていた。

【第4部 第3章暗転 終わり】

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