4.乱麻 (1)ある少女の死
20XX年6月24日(月)
C野市にある、ミドルクラスのマンションの入り口に、早朝から慌ただしく警察車両や救急車が乗り込み、7階建ての5階の一室に、防護服の者たちが駆けつけた。彼らは状況を確認すると、あっという間に黄色いテープで5階ごと封鎖した。
5階の住人は、しばらく部屋から出ないように言い渡され、何が何だかよくわからないまま、室内で息をひそめている。出勤のためエレベーターで1階に降りた男性は、ドアが開いたとたんに目の前に防護服の男が立っていたので、驚いて固まった。彼は3階の住人だったのでなんとか無罪放免になり、首をかしげながらエントランスから出て行った。
一際厳重に、まるで封印されたかのようにテープを張り巡らされた部屋があった。玄関先で、中年の夫婦に刑事二人が状況を聞いていたが、主に説明しているのは夫の方で、妻は半狂乱でただ泣くばかりであった。
「いつも、金曜の夜から夜遊びでおらんことが多かったんですが、昨日、昼ごろ帰って来てから部屋に閉じ籠ってしまいまして」
「いつも夜遊びって、あんた、お子さんはまだ中学生じゃないですか。なんで怒らんかったとですか」
夫の言葉にまずかみついたのは、宮田巡査だった。もう一人は中山巡査部長・・・二人はC野署の刑事で、最初に森田健二事件を担当したために、サイキウイルス対策にも関わることになったのだ。
「宮田、今、それはいいだろう。お父さん、それで?」
「はい、夜になっても出て来んので、心配して様子を見に行ったら、部屋の中から大丈夫だからあっちに行けと言われて・・・」
「そのまま引っ込んだ? 中に入らんかったのですか」
「はあ、鍵がかかっていて・・・」
夫は語尾を濁らせて答えた。そこにまた宮田が憤った様子で言った。
「あんた、それじゃいざと言う時・・・」
「いいから、黙っとれ」
中山は再び富田を静止すると、続けて言った。
「いざと言う時は、過ぎてしまったんだ」
刑事たちはひとしきり話を聞いていたが、2人を救急隊員に任せ、室内に入っていった。家の中を歩きながら、中山はやや眉を寄せながら言った。
「朝になっても起きてこんから、気になって様子を見に行ったら、ドアのスキマから血が流れていたんで、びっくりして110番した・・・か。親が鍵を壊してでも駆けつけんでどうするんだ」
「なんだ。中山さんも怒ってたんですね」
「怒っとらんよ。常識を言ったまでだ」
少しほっとしたように言う宮田の方を見ずに、中山は妙に冷静な口調で答えた。宮田は中山がいつもの調子と違うので戸惑っていた。
二人が現場に入ると、既に検死が終わった遺体が袋に入れられようとしていた。遺体は14歳の少女で、部屋のノブに制服のリボンを結び、首をくくった自殺だった。死亡推定時刻は今日の午前2時頃。昨夜、無理矢理でも部屋に入って話を聞いていれば、防げたかもしれない死だった。中山の言うとおり、「いざと言う時は過ぎてしまった」のだった。
「やりきれんな。おれの娘と同じくらいの歳だ」
中山はぼそっとつぶやいた。宮田は中山の様子が何故違うのか何となくわかったような気がした。しかし、中山はすぐに張りのある声で言った。
「自殺と言うことやったが、遺書はあっとか?」
「これです」
鑑識が、すぐに一枚の便箋を差し出した。世界一有名なネズミのイラストの便箋だった。それには、ちまちまとした字でこう書いてあった。
パパとママへ
この前テレビでやってたエイズになっちゃった。彼氏にもうつったみたい。パパママにもうつしちゃうかも。めいわくだよね? ネットで調べたの。あんなになって死ぬのはいや。だから先に行くよ。ごめんね。
「エイズ・・・? サイキウイルスではないのですか?」
宮田が怪訝そうな表情で言った。中山がすぐにフォローした。
「遺書の内容からしてサイキウイルスのことやろうな。エイズの方がなじみもインパクトもあるからな・・・。最初にこの部屋に入った警官がこれを見てすぐにサイキウイルスを疑ったために、俺たちが呼ばれたんだ。さて、それで・・・」
中山は、これから運び出されようとしている少女の遺体のそばに立つ女性医師に尋ねた。
「先生、この子がサイキウイルスに感染していた可能性はありそうですか?」
中山に聞かれ、その医師が答えた。
「見た限り、出血等の症状はないようですが、体内の熱がまだ若干高いですから、高熱は出ていたようですね。ただ、他の感染症の可能性もあるから、センターに運んでウイルス感染の有無を詳しく調べてみます」
医師は、サイキウイルス感染者発生の通報を受けた感対センターから、検死のため派遣された山口だった。彼女は、少し厳しい表情で部屋を見回して言った。
「年齢にそぐわないブランド物がずいぶんとありますね。それに、あのミ○ーのぬいぐるみ。プレミアもので、かなり高価なものですよ。甘やかしすぎだわ」
「そんな高価なものをポンポン買ってやれるほどほどの金持ちには見えないですがね。この高そうなマンションのローンもあるだろうし」
「え?」
「『自力』で買ったってことですよ。褒められた方法じゃなくて。でなきゃ、14歳の子が『エイズ』に罹ったなんて思わんでしょう」
「あれは、発症するまでに何年もかかりますけど・・・」
「エイズとエボラを混同しとるのかもしれません。実際、サイキウイルスをエボラだと思っている人が多いのでしょう?」
「まあ、出血熱ではエボラが有名ですから。でも、親は気付かなかったんですか? こんな高価なものが沢山あるのに不審に思わなかったなんて、信じられない」
もっともな山口の質問に、中山がため息交じりに言った。
「親は入れなかったようですよ。ここは彼女の城だったんでしょう」
「こげなもんを付けとるからでしょうがっ!」
宮田が腹立たしそうに言いながら、鍵のついたドアを蹴った。中山はそれに何も言わず、机の上の写真に目をやった。彼氏らしい少年と一緒に写った写真で、見た目も仕草も普通のそこら辺の女子中学生だった。
「遺体は見る影もありませんが、可愛い子だったんですね。これでも化粧をすれば、3歳くらいはごまかせたかもしれないが・・・」
中山は眉間に皺を寄せながら言った。
「おそらく買った連中もうすうす気づいていたでしょう。証拠があるなら全員しょっぴいてやりたいくらいだ。だが、俺たちの仕事は、この彼氏君が感染しているかどうかと、彼女がなぜエイズ・・・いや、サイキウイルスに感染した、あるいはそう思った経路を調べることだな」
「私たちも、そろそろ行かなくては。それでは・・・」
山口が会釈して行こうとしたので、宮田が焦って聞いた。
「あ、結果は・・・」
「わかり次第お知らせします。それでは失礼します。さ、行きましょう。ご両親も同行させてちょうだい」
山口たちが行ったあと、宮田が中山に向かって言った。
「ナカさん、僕らも急いで捜査を始めないと・・・。彼女が感染者だったら、また被害が拡散してしまいますよ」
「そうやな」
中山が答えた。
「まずは、彼女の携帯電話の履歴から交友関係を調べることからやな。許可を急ごう」
「はい」
二人は後を残った警官たちに任せると、急いで部屋を出ていった。
春風動物病院の前に黒い軽のワゴン車が止まり、後ろのドアが開くと女性が飛び出すように出て来て病院内に駆け込んだ。その後に降りた男女の背の高い白人の男が頭に手を置きながら笑って言った。
「おやおや、元気ですね、ユリコは」
「ずっと回復を待っておられましたもの」
紗弥が由利子の背を目で追いながら、微笑んで言った。
「美月!」
由利子が、病院の奥から姿を見せた中型の犬を呼んだ。犬は、既に由利子の存在に気付いていて嬉しそうにワンワンと鳴いている。美月は小石川獣医師の手を離れると、駆け出し由利子に飛びつくようにじゃれた。しかし、その後、きょろきょろと誰かを探したが、見つけられずにしょんぼりした。
「ごめんね。まだ、美葉は見つけられないの。ごめんね、ごめんね」
由利子はミツキを抱きしめると何度も謝った。美月はそれがわかったのか、クウンと鼻を鳴らすと由利子の顔をぺろぺろと舐めた。
「いい子ね、美月」
由利子はまた美月を抱きしめた。少し遅れて入ってきたギルフォードが言った。
「ミツキは知っているんですよ。ユリコが命の恩人だということを」
ギルフォードの声で彼に気が付いた美月が、喜んで「ウォン!」と吠えた。
「私が命の恩人?」
「ユリコが異変を察知してミハのところに行かなかったら、おそらくミツキの命はなかったでしょうからね」
「そっかあ・・・。でも、この子はアレクが病院に連れて行ってくれたのもちゃんと覚えているよ。えらいね、美月」
由利子がそう言いながらまた美月の頭を撫でると、美月はまたワンと吠えて尻尾を振った。由利子は改めてギルフォードに聞いた。
「アレク、この子を預けて、ほんとにいいの?」
「はい。ミハが帰ってくるまで僕が預かると決めました。僕のマンションはペット可だし、昼間は出来るだけ研究室に連れていきますから、ユリコも会うことが出来ます」
「ホントは私が預かるのが順当なんだけど、ごめんね」
「犬に慣れていない猫と同居は無理です。僕も動物は大好きですから、預かる分はまったく問題ありません」
「教授はジュリーが帰ってからしょげ気味でしたから、ちょうどいいと思いますわ」
紗弥が、アレクのやや後ろですまし顔をして言った。ギルフォードが少し恥ずかしそうにして言った。
「サヤさん、も~、イラナイコト言わないでくださいよぉ。・・・あ、電話です」
ギルフォードは、急いでジーパンの後ろポケットから電話を出すと、送信元を確認した。
「オー、ジュンからです。ハル先生、ここ、電話OKですか」
「いいですよ。それに、大事な要件なんでしょ?]
小石川が快諾したので、ギルフォードはすぐに電話に出た。
「もしもし、ジュン? おはようございます。何かあったのですか? ・・・え? それで?」
ギルフォードの口調から、また事件らしき予感がして、由利子と紗弥が緊張した表情で彼を見た。美月も心配そうに見上げた。
「わかりました。詳しいことがわかったら、知らせてください」
ギルフォードは電話を切ると言った。
「感染者らしい女子中学生が自殺したそうです。今センターに搬送中ということらしいですが、まだ詳しいことはわかりません」
「え?」
「まあ」
女性二人が同時に言い、小石川が不安そうにギルフォードを見ていった。
「それは何処でしょう?」
「おや、ハル先生でも気になりますか?」
「そりゃそうですよ。当然知る権利もあるし」
「そうですね。愚問でした。C野市のマンションですから、ここからはかなり遠いです」
「そうですか」
小石川は少し安堵の表情を見せて言った。
「病気の出たコミュニティには、少なからず差別が起きていると聞きますから、やはり遠いとなるとほっとしますよ。うちもまだ小さい子を抱えてますし」
「感染がはっきりしたら、公表すると思いますが、そういうことになっているのはショックです」
「でも、新型ウイルスの存在を公式発表したんだから、発生地の公表はしてもらわないと・・・。正直複雑な気持ちですよ」
実直な小石川は、素直に自分の心の内を口にした。その時、今度は病院の電話が鳴った。
「あ、急患かな? ちょっと失礼」
小石川は、電話をとって先方と話し始めた。小石川の受け答えから、先方の愛犬の容体が悪いらしい。
「これは、すぐに患畜さんが来ますね。邪魔になりそうですし、そろそろ研究室に戻りましょうか」
ギルフォードが二人に小声で言った。
車中、当然話は自殺した中学生の話に集中した。後部座席で美月と一緒に座っている由利子が窮屈そうに言った。
「自殺って、やっぱり感染後の異常行動が起きたのかな」
「感染が本当なら、その可能性が大きいでしょうけど、そうだとしたら、その子はいったいどういう経路で感染したんでしょう。また新たな経路でしょうか」
「C野市なら、森田健二関係の可能性もありますわよ」
運転席の紗弥が言ったが、ミラー越しにギルフォードに向かって眉を寄せた。
「教授、美月ちゃんが退院して嬉しいのはわかりますが、その図体で後部席に居るのですから、少し考えてくださいませ。由利子さんが気を遣ってぎゅうぎゅうじゃありませんか」
「あ、ゴメンナサイ」
ギルフォーがそう言いながら、こそこそと身を縮めたので、由利子が笑って言った。
「アレクってば、そこまで縮こまらなくてもいいから。・・・で、話は戻るけど、もし森田健二経由なら、美千代つながりよね」
「そうなりますね。クボタ→カレン→コウジの一連も、接点はモリタケンジでミチヨつながりですから、マサユキ君→ミチヨルートでは、モリタケンジルートが一番拡大を広げていることになります」
と、ギルフォード。
「その中学生からは?」
「彼氏に感染させたと遺書にあったそうですから、ひょっとしたらまだ拡大を続けているかもしれません」
「問題よね。健二以外に美千代から感染した例は見つかったの?」
「いえ、そっちの方は今のところ全く情報がありません」
「そっか。土日はちょっと落ち着いていたけど、またいろいろありそうやね」
「そうですね。サイトウコウジの事件も、思ったほど騒ぎにならなかったようですし」
「それが、そうでもないのよ」
と、由利子が言った。
「事件を起こしたのが病人で、人質も身内だし、責任能力のあるなしとかいう関係もあって、マスコミの報道は控えめだったけど、ネットの掲示板とかツイッターとかすごかったわよ。特にめんたい放送の映像は全国版ニュースで流れたし。ボカシ入ってたけど」
「めんたい放送ですか・・・。あの女性記者はクセモノですね。2度にわたってスクープをとっているから、これからも躍起になって付きまとうかもしれませんね。サンズマガジンだけでもウットウシイのに、頭がイタイです。女性記者は鬼門ですよ」
ギルフォードは憂鬱そうに言ったが、それを察した美月に頬を舐められて相好を崩し、美月を抱きしめた。
「抱きしめる相手が出来てよかったわねえ」
由利子が呆れて言いながら運転席の方を見ると、同じように呆れた表情をしている紗弥の顔がミラーに映っていた。そんな中、ギルフォードの電話がまた着信を告げた。
「おや、今度はタカヤナギ先生からですよ。また電話に追われる生活が続くんでしょうかねえ・・・」
ぶつぶつ言いながら電話に出たギルフォードだったが、話しながら、だんだん表情が厳しくなっていった。園山看護師の容態が良くないということらしい。
「わかりました。出来るだけ早く行きますから」
と、電話を切って言った。
「ソノヤマさんがセンター長と僕だけに話たいことがあるというのです」
「え? どういうこと?」
と、由利子が訊いた。
「ワカリマセン。ただ、容態があまり良くないということなので・・・」
「え? じゃあ・・・」
言いかけて、由利子は言葉を飲み込んだ。
「それにしても、センター長にならわかりますが、なぜ僕なんでしょう・・・」
ギルフォードは困惑した表情を隠せないようだった。
「とりあえず、研究室に戻りましょう。ミツキが退院したばかりなので、ユリコとサヤさんは、今回は研究室でお留守番をしておいてください。僕だけと言う希望なので、バイクでダダッと行って来ます。早い方がいいような気がしますから」
「了解しましたわ、教授。では、急ぎます」
紗弥は言うや否や、いきなりアクセルを入れた。
「うひゃあっ」
由利子が驚いて反射的に美月を抱きしめた。
「い、いや、サヤさん、そんな急がなくてイイから。アウトバーンじゃないんですよ、オネガイ」
ギルフォードが運転席の背を掴んで懇願した。
さて、先ほど話題に上っためんたい放送の美波美咲だが、出勤予定だった土日に休暇をもらい、今日月曜も会社には2時間程度遅刻して出勤した。金曜の事件のせいで、妙に気分が晴れない。
実は、あの後暴行犯人に逃走されてしまったのだ。
倒れたまま目を覚まさない犯人を、頭を強打しているのだろうということで、病院に連れて行って検査するために、救急車を待っていたのだが、男は警察の一瞬の隙をついて、脱兎のごとく駈け出したのだ。途中意識を取り戻した男は、そのまま気絶したふりをして逃げる機会をうかがっていたのだ。男は闇に紛れて姿を消した。でかい図体に似合わず、チーターのように俊足だったという。
犯人も、助けてくれた男も姿をくらまし、事情聴取は美波一人に集中した。
(まったく、セカンドレイプとはよく言ったものね。性犯罪被害者が被害届を出さない気持ちがよくわかるわ。私なんかレイプされなかっただけまだマシよね)
美波は机に突っ伏していた。なんだかヤル気がおこらない。そんな美波をデスクの藤森が呼んだ。
「美波ィ」
美波は仕方なく席を立ち、藤森の方に向かった。
「金曜の帰りは大変だったそうだね。もう、大丈夫か?」
「はい・・・、と言いたいところですが、あれから寝付けないので今日病院に行って睡眠導入剤を・・・」
「そうか。きついようなら一週間くらい休暇をやってもいいぞ。ただし、サイキウイルスの取材は他の班にやってもらうことになるが」
「いえ、大丈夫です。それに、家にいると却って落ち込みそうですから、仕事に没頭したほうがましです」
せっかく体を張った取材だ。こんなことで降りてなるものかと美波は思った。
「よろしい。じゃあ、取材を続けてくれ。今朝がた、C野町でひと騒動あったようだ。例の防護服連中がやってきたんだと」
「では、また感染者が?」
「多分ね。それと、もうひとつ動きがある。人権派の連中が動き出しているようだ。不当隔離による人権侵害だと、国と県、そして感染症対策センターを相手取って訴訟を起こすそうだ。隔離された連中の中に、その眷属がいたんだろうな。まあ、取材については君に任せるよ」
「ありがとうございます」
美波は藤森に一礼すると、その場を離れた。自分の席に戻ると、そこには出先から帰った赤間と小倉が待っており、彼らは美波の顔を見るなり同時に言った。
「ミナちゃん、大丈夫か?」
「あら、二人とも。もう帰ってたの?」
「心配してたんだよ。ほんとに何もされなかったんだね」
「ええ。通りがかりの人が助けてくれたの」
「はぁぁ~、よかった。・・・で、その恩人はいい男だった?」
赤間は安心したら、今度はそれが少し気になったらしく尋ねた。
「何か変なこと訊くなあ。そうね。悪くないとは思うけど、昼間アタシを庇ってくれた刑事さんの方がずっと素敵だったわよ」
「君を庇った? そんなことがあったのかい?」
「って、その刑事、どんな男だよ」
小倉が横から口を挟んできた。赤間が胡散臭そうに横目で彼を見た。
「そうねえ。防護服で顔は目元しかわからなかったし、背もあまり高くないけど、つぶらな眼ときりっとした眉の、素敵な人よ。とっさに全身でアタシを庇ってくれたの。サイキウイルス対策本部の人みたいだから、この取材をしてたらまた会えるかな~って、あは、不純な動機が混じっちゃまずいよね」
と、美波は若干にやけ気味に言ったが、不意にその表情が真面目になった。
「まあ、たわごとはそれくらいにしといて、これからの取材について会議しましょ。サイキウイルス事件については、今のところうちが他局より抜きんでているんだから、出し抜かれないようにしないとね。それと、ローカルとはいっても、由緒正しい放送局なんだから、タブロイドとの違いを見せつけてやんなきゃ。さ、下のカフェテリアに行こ」
美波はそういうとすたすたと歩きだした。小倉が驚いて言った。
「え? 会議室じゃないのかよ」
「バカ」
と、赤間が小声で言った。
「あいつは先週あんな目にあったんだぞ。ちったあ気を遣え」
と言うと、赤間はさっさと美波の後に続いたので、小倉は腑に落ちないまま彼らの後を追った。
ギルフォードが感対センターに着いてセンター長室に向かっていると、3人組の男たちとすれ違った。彼らは、胡散臭そうな目つきで場違いな様相のギルフォードを一瞥すると、挨拶もせずに通り過ぎていった。ギルフォードは、通りすがりに彼らがつけているものを目の端で確認して、若干眉を寄せた。
「来たか、ギルフォード君」
ギルフォードがセンター長室の扉をノックして入ると、高柳がほっとしたような表情で立ち上がった。
「さっき、3人組の男たちとすれ違いましたが、なんで弁護士が?」
「ほお、良くわかったね」
と、高柳は着席しながら感心して言った。
「そりゃ、Sunflower・・・えっと、ヒマワリのバッジをつけてましたからね。で、何て言って来たのですか?」
「国と県、そしてこの病院を人権侵害で訴える準備をしているんだそうだ」
「え? どうしてですか? ここは、ちゃんとした感染症法の基準に則って運営されているんでしょう?」
「ああ、もちろんそうだし、念のために隔離されている方々の多くには、ちゃんと理解をしてもらっている。だがね、中には厄介な連中が居てね。まあ、外国から来た君には良くわからないと思うが・・・」
「いえ、どこの国にも厄介な人たちはいるものですよ」
「うむ。で、発症者に接触して隔離された人たちの多くは、幸い発症せずにほぼ1週間で退院、あるいは退院予定とされているんだが、その中にその手の人間がいたようなんだ」
「マジで厄介ですね」
「ああ、頭が痛いよ。俺た・・・私たちだって、やりたくてやってる訳じゃない。ここだって、これ以上増えたらパンクしかねない状態なんだ。スタッフだって疲れ始めている。確かに、いきなり一週間隔離されたら、仕事や人間関係に対する支障も馬鹿にならないと思うが・・・」
「でも、非常事態ですから」
「しかし、世間的にはほとんど影響ない状態だからな」
「それは、ここやタスクフォース(対策本部)のみなさんが頑張っているからです。でなければ今頃は日本中に感染者が出ているはずです」
「そうかもしれないが、人はそんなことより今の現実を見るものだよ。それにね、言わないでおこうと思っていたが、実は土曜にあの竜洞蘭子の父親が来て、さんざっぱら脅しをかけてきやがった」
「あの、タカヤナギ先生、口調がいつもと違いますが・・・」
「おっと・・・。まあ、言うだけ言わせてお帰り願ったのだが・・・」
「物騒ですね。ヤクザはシャレにならないです」
「まったくだ。だが、これからはもっとややこしいことが起きるだろうね。本気で頭が痛くなりそうだよ。おっといけない。早く園山君のところに行こう。ギルフォード君、久しぶりに防護服を付けることになるぞ」
高柳は立ち上がると、さっさとドアに向かって歩き出した。ギルフォードが急いでその後に続いた。
園山は、既に瀕死の状態だった。しかし彼は人工呼吸器をつけていなかった。
「お話したいことがあるって、拒否されたんです」
看護師の甲斐が説明した。二人が来たことを察して、園山が目を開けた。ギルフォードは園山を気遣って言った。
「ソノヤマさん、無理しないで。眠いなら出直してきますから」
「いえ、お待ち・・・しておりました」
園山は起き上がろうとしたが、その場の全員に止められた。園山は再びベッドに横たわると、深呼吸をしてから言った。
「すみません、山口先生は・・・」
「彼女は今別件で忙しいんだ」
「では、高柳先生とギルフォード先生以外は、申し訳ありませんが席を外していただきたいのですが・・・」
「わかった。すまんがみんな、いいかね?」
高柳が指示すると、スタッフたちは静かに病室を出て行った。みんな、今まで一緒にウイルスと闘ってきた仲間の命が消えつつあることを予感して、ショックを受けていた。しかしそれ以上に、その仲間が自分等に言えない隠し事を持っていたことのショックが大きいようだった。
「すみません。仲間たちにはとても言えないことなんです。だけど、僕は懺悔をしなければいけない。どうか聞いてください・・・」
園山はもう一度深呼吸をしたあと、目を閉じてから淡々と話し始めた。
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