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1.禍神(5)ルビーの悪夢

 実況見分の後、葛西は由利子を自宅まで無事に送り届けた。
 由利子が玄関ドアのかぎを開けると、葛西はいつものように部屋の前に由利子を待たせ、安全を確かめてから由利子を中に入れた。由利子の猫たちもすっかり葛西に慣れて、寄ってくるようになっていた。葛西はしゃがんで二匹の頭を軽くなでると立ち上がって由利子に言った。
「今日は大変でしたね。無事に家まで送ることが出来てほっとしています」
「結局夕食食べる余裕なかったね」
「そうですね。僕はコンビニ弁当でも買って帰りますが、何ならついでに買ってきましょうか?」
「大丈夫だよ。冷蔵庫の中のものを適当に食べるから。でさ、やっぱり、水面下で何か起きとぉと?」
「いえ、それが判らないんです。古河のこととかこれまで起きた事件のいくつかは捜査が進んでいますが、ある程度まで行くと手がかりが消えてしまうんです」
 この事件に関わり始めの由利子なら、ここで文句の一つも言うところだが、内情が判って来ると捜査の難しさなどを理解してなかなかきついことも言いづらくなっていた。
「そっか……」
「悔しいですが。でも、これだけは言えます。今回のことではっきりしました。なにも終わっていません。終息宣言はするべきじゃない」
「うん。私も同感だよ。それに……」
 由利子はそこまで言うと口をつぐんだ。
「それに?」
 葛西が促すと、由利子は右手で額を抑え眉間にしわを寄せ悩んだ様子を見せたが、意を決して続きを言った。
「暗かったので自信がなかったからさっきは言えなかったけど……、うーん、あの路地で私を探していた連中の一人に……結城に似た奴がいたような気がしたんだ」
「それで急に震えだしたの? 言ってくれればよかったのに」
「ごめん、でもほんとに一瞬顔が見えただけなので確信が持てなくて。なのに、……確信がもてないのに、わからないけど、急に怖気(おぞけ)が走って……」
「そうか! 前に地下街で襲われた時の記憶がよみがえったんだ」
「すっかり忘れたつもりになっていたのに……」
 そう言うと、由利子はまた体が震えだすのが判った。
「どうしよう。あいつが帰って来た? 美葉は? 私はどうしたらいい?」
「すみません、失礼します!」
 そう言うと葛西は由利子をぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫です。僕が、僕らが守ります。美葉さんもきっと救出します。必ず。だから、大丈夫ですから……」
「うん、うん……ありがと」
 由利子はそう言うと、そっと葛西の腕からすり抜けた。
「もう大丈夫、落ち着いたから」
「そうですか、良かった。由利子さんの身辺については、改めて安全を確保できるようにします」
「ありがとうね。今日は本当に葛西君が頼もしいと思ったよ」
 葛西は由利子に初めて褒められて、照れ臭そうに笑った。
「明日は、アレクが迎えにくるでOKですね」
「うん」
「さっきは危機的状況で緊張していたのですが、このままだとなんか送りオオカミになりそうなので、早々に退散します」
 葛西はそう言うとさっと敬礼をしてそそくさと部屋を出て行った。
「もう、ばかちんが」
 由利子は施錠しながら言ったが、柄にもなくドキドキしている自分に苦笑いをしていた。路地裏で葛西に匿ってもらった時の動揺の延長でか、どうもいつもの調子が出ない。
「さぁて、嫌なことは忘れて冷凍なべ焼きうどんでも食べてお風呂入って寝よっと」
 由利子は気を取り直すように言った。しかし、足元で猫たちが「何か忘れてはいませんか?」という風情で足元にじゃれついてきた。
「あー、わかったわかった。ご飯ね。もう、1日2回が習慣になっちゃってなかなかもとの1回に戻せないなあ」
 由利子はまず猫たちの食事を作るため、キッチンに向かった。

 由利子があの時見たのは、見間違いではなく紛れもない結城本人だった。

 公安のガサ入れから逃れたものの、結城は美葉を連れ、再び宿無しになってしまった。資金もすでに残り少なくなっている。仕方がないので、当面まだ足のついていないであろう車で生活することを余儀なくされた。
 しかし、暦の上では秋だが残暑はまだまだ厳しかった。幸い夜の熱帯夜はなくなったものの、ミニバンタイプとはいえ車内に長く留まることはかなり苦痛を伴った。それに潜伏していたアパートが公安に知られてしまったということは、その車もどうなるかわからない。結城は当面県外に出る決心をした。日本警察が横の連携に弱いことに賭けたのである。
 その後、なんとか隣県に逃れてお決まりのホテルや車内で暮らしていたが、閉塞感は免れない。そんな結城のもとに一本の電話が入った。結城はしばらく悩んでいたが、大きくため息をつくと言った。
「美葉、F市内に戻るぞ」
 結城は警察の盲点をかいくぐり、再びF市内に潜伏していたのである。
 

 20XX年9月20日(金)

 翌朝、いつものジョギングをしていると、ウイッグで変装した三之丸が後ろからついてきた。
(今日の護衛はコウさんなのか。昨日は遅かっただろうに大変だな)
 由利子がそう思っていると、三之丸が走るピッチを上げて由利子に並んできた。
「おはようございま~す」
 三の丸が明るく挨拶をしてきたので由利子も「おはようございます」と返した。はてさて会話していいものかと考えていると、三之丸が声量を落として言った。
「今日から私がメインで護衛することになりました。今まで通り顔見知りではないようふるまってください」
 三之丸はそれだけ言うと、今度はピッチを落として由利子の数メートルあとに下がった。
(了解です、コウさん)
 由利子は心なしかほっとするのがわかった。なんとなく武邑が信用できなくなっていたからだ。まあ、公安警察である限り、三之丸もどこまで信用してよいかわからない。なにせ民間人を平気で囮にしようとする連中だ。最も今の自分が果たして『民間人』を名乗って良いものか由利子には自信がなかった。

 その頃、葛西・青木ペアは早朝から変死現場に呼び出されていた。
「また、Vシードの犠牲者ですか」
 葛西が遺体を検分しながら言った。横で青木が口にハンカチをあてて青い顔をしている。先に臨場した中山が赤い結晶の入った子袋を見せて言った。
「そのようだな。遺体の周囲にこいつが散らばっていたよ」
「これで僕らだけでも3件目ですよ」と宮田が少し憤慨した口調で言った。「なんでこんなヤバいものに手を出すかな」
「彼らはこの辺りの大学生ですか?」
 葛西の問いに中山が即答した。
「ああ、学生証からすぐわかったよ。A大工学部一年の内藤克己と厚木翔也だ」
「A大ですか。結構難関大ですよね。受かるのは大変だっただろうになんでこんなことで……」
「受験から解放された気のゆるみからかもしれんが、親御さんの気持ちを思うとやりきれんな」
「SV感染の可能性は?」
「見た目からはその可能性はなさそうだが」
「そうですか。K市のタワマンの事件はたまたまだったのでしょうか」
「あの大学生ら6人が死んだ事件だな。とにかく、このドラッグは『ルビー』という隠語でF県下だけでなく日本中の大学高校に広がっているらしい。だが、その出所もまだはっきりしないからな。ただわかっているのは闇フリマサイトで隠語をつかって売買されているという程度だ」
「スマホからの追跡も海外のサーバを経由しているために足取りが途絶えると聞きました」
「ああ、まったく最近の犯罪はどんどん複雑になってくるな。正直俺みたいなIT音痴にはついて行けんよ」
 中山がため息交じりに言った。

 しかし、葛西たちの知らないところで、事態は悪化しつつあった。
 川島達人(たつと)は高校をサボってたまり場にしている空き家に向かっていた。ここ数日妙に怠く、学校に行く気にはなれなかった。最も調子が良くてもサボることは多かったが。
 最近、高齢化が進む影響で空き家が増えつつあった。彼らのたまり場は住宅地からやや離れた山の中にあり、多少騒いでも通報される恐れは殆どなかった。
(ほんと、良い場所提供してくれたよな。紀(きの)さんの死んだばあちゃん家(ち)だそうやけど)
「しっかし、だりぃなあ」
 後半部分はいつの間にか声に出していた。空き家に入ると既に先客がいた。居間のソファに背の高い男がもたれかかるようにして座っている。よく見ると男の膝を枕に小柄な女性も寝ている。
「紀さん、それに美冠も。もう来てたんですか。ひょっとして、泊まった?」
 美冠は怠そうに起き上がりながらうざったそうに言った。
「ふん、そんなことどうでもいいじゃん。ひょっとして焼きもち?」
「ばーか、てめーみたいな脳タピオカ興味ねーよ」
「はあ?」
「おまえたち、会って早々なんだよ。それにタツジン、おまえ単位大丈夫なのか?」
「ストレートでA大受かった紀さんとちがって、俺は落ちこぼれの底辺高校なんで、そこそこ行ってりゃあ大丈夫なんですよ」
 達人はやや投げやりに言うと、周囲に目を泳がせた。
「紀さん、アレ……ある?」
「ルビーか? あるけど、朝っぱらからキメるつもりかよ」
「昨日くらいからなんかダルくってさ、景気づけにやりてぇんですよ」
「飲みすぎだろ、未成年(ガキ)のくせに。まあ、そこそこにしとかんと30代で良くて肝硬変悪くて認知症だぞ」
「紀さんに言われたくないっす。とにかくルビー下さい」
「アレは効きすぎるから昼間はヤバイって。俺は単位ヤバいんで今から大学(ガッコ)行ってくっから、帰るまで待ってろ。ほら、可愛いオレンジちゃんと遊んでな」
 紀はそう言うと笑いながら達人の背中を強く押した。油断していた達人はバランスを崩して美冠の上に倒れた。達人は急いで上半身を起こしながら抗議した。
「何するんスか、紀さんッ!」
 その達人の首に細い手が絡みついてきた。紀はそれを横目で見るとさっさと用意して居間から出て行きかかったが、思い出したように振り向いて言った。
「あー、飯はあるもの適当に食っていいからな。それと、夕方にはマキさんやユーゾーたちが来るからほどほどにな」
 そう言い残すとハハハと笑いながら出て行ってしまった。美冠がクスクス笑いながら達人に絡みつきながら言った。
「不本意だけど、遊んであげる♡」
「やめろ、ミカ。俺、今日はダルいって言っただろ。ルビーないなら俺は家に帰って寝とくワ」
「だめよ、離したげない」
 美冠は達人の下からぬるりと抜け出すと彼の身体の上にぴったりと乗り両手を彼の顔の横に置いて上半身を起こした。
「か・え・さ・な・い♡」
 美冠はく怪しい声で言うとすくす笑い舌なめずりをした。彼女の目はV-シードの影響が残っているのか、瞳孔が異様に開き白目がうっすら赤みががっていた。その異様さに達人は蛇ににらまれた蛙そのままに身動きできなくなってしまった。


 由利子たちが3時のティータイムをしていると、葛西たちがやってきた。
「こんにちは、みなさん。ブレイク中すみません。お茶菓子持ってきました」紗弥に案内され入って来るなり青木が陽気に言った。「今日は『テツおじさんのマドレーヌ』でーす」
「あらあらすみません。そんなにしょっちゅう手土産なくてもよろしいのに」
 と、紗弥が受け取りながら言うと、後ろから由利子が「ありがとー」といいながらあっけらかんとして迎えた。
「あ、昨日はどうも」
 葛西が少々照れ臭そうに言った。
「うん、ありがとう。おかげで今日もいつもの毎日だよ」
 そう言いながらも由利子が少々顔をあからめた。二人の様子に気づいたギルフォードだが、軽く肩をすくめただけでいつもの経口はひかえた。
 紗弥はふたりを案内して応接セットに座らせて、コーヒーを淹れに行った。
「ところで、ジュン」
 ギルフォードがあらたまって質問した。
「公務員である警察官がお土産持ってきて大丈夫なんですか?」
「これは捜査協力費というものから出ているので大丈夫です。贈収賄にはなりませんから安心して召し上がってください」
「そうですか、では、あり難くいただきましょう」
「ひょとしてずっと気になってたの?」由利子がクスッと笑って言った。「長沼間さんもたまにお土産くれてたじゃん」
「まあそうですけど、長沼間さんは特殊な知り合いですし。ああ、サヤさんがジュンたちのコーヒーを持ってきました。さっそくマドレーヌを頂きましょう」
「わーい♡」
 と言うと、由利子はもらったマドレーヌの箱を開けた。

 食べ終わってしばらく他愛ない世間話をしていたが、葛西がソファに座ったまま姿勢を正して言った。
「アレク、例によってドアに聞き耳を立てている学生さんたちをなんとかしてください」
「はあ、好奇心が強いのは悪いことじゃないんですけどねえ」
 ギルフォードはため息を付くと、立ち上がってドアを開け、言った。
「君たち、ちゃんと自分の席に戻って。単位あげませんよ」
「わー先生脅迫~」
「アカハラ、アカハラ!」
「イモリですか。如月クン、お願いしますよ」
「また僕でっか」
「頼りにしています」
「しょうがないでんなあ」
 如月はメガネを軽く持ち上げると、手を叩いて言った。
「みんな、定位置に戻って」
 学生たちはぶつぶつ言いながらそれぞれの定位置に戻って行った。
「もう、写真室みたいに二重扉にしますよ」
 ギルフォードはそう言いながらドアを閉めた。

「そういうわけで、例の合成麻薬V-シードが大学生を中心に出回っています。今のところ大量摂取が原因で死亡したものがほとんどで、依然SV感染者は出ていないようですが……」
「でも、ジュン、まだ見つかっていないだけかもしれませんよ」
「しかし、最近は例の蟲の集団発生もありませんし」
 例の蟲と聞いてギルフォードはあからざまに嫌な顔をした。
「あ、すみません、嫌な事思い出させましたね」
「ギルフォード教授はゴ……」
 青木が言いかけたので葛西が慌てて止めた。
「青木君、物言いには気を付けて」
「あっ、申し訳ありません!」
 青木が恐縮して言った。
「まあ、いいです。それよりアオキさん、食欲がないようですが」
「ほんとだ。マドレーヌ半分も食べていないじゃない!」
 ギルフォードに言われて由利子が言った。
「どうしたん?」
「ああ、今日、V-シードがらみの変死体の現場に行ったからでしょう」
 葛西が言うと、青木は申し訳なさそうに言った。
「情けないです、ほんっとに。ご遺体は交番時代にも数回見ましたが、今回のような状況は初めてでして」
「僕も最初の方そうだった。でも、感染死されたご遺体はもっとむごいからね、覚悟しておいた方がいい」
「えっ、そうなんですか?」
 青木が素っ頓狂な声を出して言ったが、誰も笑わなかった。皆、葛西の言うことに異論がなかったからである。
「ジュンも、まだ感染者が出てくると思っているのですね」
 と、ギルフォードが膝を正して言った。
「ええ。あれだけ周到に準備している組織が諦める筈がないと。むしろ、僕はここ二か月あまり何もなかったことにも意味があると考えています」
「僕もそれを考えていました。ウイルスの特性もあるかもしれませんが、それも考慮した上でモリノウチ知事の失脚を狙ったのではないかと」
「そうです。僕もその可能性を考えていました。邪魔な森の内元知事を退けて、扱いやすい知事に挿げ替えたかったのでしょう」
「事実、モリノウチさんは失脚しましたから」
「なので、僕たちSV対策班は誰もこのシーバーン災害が終わったとは考えていません」
 葛西はきっぱりと言った。由利子はこの2か月に於いての葛西の成長ぶりに驚きと頼もしさを感じたが、もとの葛西がどこかに行ってしまったような寂しさを感じていた。

 

※Vシード:ヴァンピレラシード。強い副作用を伴う合成麻薬。赤く美しい結晶。そのためルビーという隠語で流通しつつある。(なろう版以降はSシード(シャンブロウシード)に名前を変更。ヴァンピレラはダークではあるがヒーローであることと、作用からシャンブロウの方がふさわしいと考えたからである。)

※シーバーン(CBRNE)
 Chemical(化学) Bioligifal(生物) Radiolojikal(放射性物質) Nuclear(核物質) Expiosive(爆発物) 

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