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4.翻弄 (8)仲間と相棒と

20XX年7月22日(月)

 紗弥と長沼間は無事にアメリカから戻って来たが、結局ジュリアスの葬儀に出ただけで特に地元警察の正式発表以上の成果は得ることが出来なかったようだった。もっとも長沼間の場合、日本警察の代表として葬儀に参列という名目で行ったのではあるが。
 紗弥は、帰ってギルフォードに報告するのが辛かった。重い気持ちで病室のドアを開けると、思いがけず笑顔のギルフォードがいた。ギルフォードは紗弥の報告を冷静に聞いていた。
「サヤさん、辛い役目をありがとう。御苦労様でした。今日は帰ってゆっくりと休んでください」
「教授?」
 その静かな声に、紗弥は不安になってギルフォードを見た。ギルフォードは伏目勝ちではあったが静かに微笑んで言った。
「サヤさん、心配しないで。大丈夫です、僕は前を向きます。いつかまた彼らにあった時、胸を張って報告できるように」
 それを聞いて紗弥は何も言えなくなり、一礼すると、バッグを手に静かに病室を出た。
 センターのエントランスで丁度見舞いに来た由利子と出会った。
「あら、紗弥さん、帰ってたんだね。お疲……」由利子は言いかけると紗弥の顔を見るなり驚いて言った。
「紗弥さん、どうした? 大丈夫?」
「え? なんですの?」
 由利子は自分の右頬を指さして言った。
「紗弥さん、ほっぺ」
「え?」
 紗弥は自分では泣いていることに気が付いていなかったらしく、自らの頬に触れて驚いていた。急いでバッグからハンカチを取り出して涙を拭いた。
「すみません。教授の顔を見たらなんだか胸が苦しくなってしまって」
「辛いよね、今のアレクは」
 由利子はため息を付きながら言った。
「帰るの?」
「ええ。教授が今日はゆっくり休めと」
「そうだね。強行軍だったもんね。でも、良かったらお話を聞かせてくれないかなあ? 話せる範囲でいいから」
「そうですわね。由利子さんには知る権利がありますね。では、ここのレストランでお茶にしましょうか」
「よっしゃあ、行こう!」
 由利子が小さいガッツポーズをし、二人は感対センターの『れすとらん フローラ』に向かった。

「ここも従業員さんが減りましたわね」
 待つ間に紗弥が言った。
「そうだね。でも、患者さんが感染者に限られてしまったので、お見舞い客もほとんど来なくなって利用者がほぼスタッフと関係者のみになってしまったから、丁度いいのかもね」
「怖がって辞めていったのでしょうか」
「う~ん、やっぱりね、風評被害みたいなこともあるみたいだからね。それに万一最悪な事態が起こったら、ここから出られなくなるかもしれない可能性も考えて、小さい子供を持ったお母さんとか辞めてしまったり」
「それは仕方がないですね」
「だれも責められないよね」
 二人はため息をついた。
「ところで、あっち(米国)はどうだった? ジュリーの……」
「お葬式に行ってまいりました。ずっと悪い冗談であってほしいと思っていましたが……」
 紗弥はうつむきながら答えた。
「私も思っていたよ。あいつ、本当に逝ってしまったんだ。でも、まだ全然ピンとこないよ」
「お葬式に行ったわたくしでさえ未だ信じられませんもの」
 そしてしばしの沈黙。
「で、さ……、その、どんなだった?」
「え?」
「ジュリー…さ……」
「まるで眠っているようでしたわ。検死の結果、彼の身体からヘムロックというドクニンジンからとれる毒素が検出されたそうです」
「ドクニンジンって、あの、ソクラテスの処刑に使われた?」
「そうです。おそらく眠るように逝っただろうと……」
「そうか……、苦しまなかったんだね」
「ええ……」
「そっか、苦しまなかった、それだけが救い、だね……」
「ええ……」
「……」
 突然由利子が顔を覆った。
「由利子さん?」
「ごめん、なんか急に……」
「由利子さん……」紗弥は、由利子の手の奥に見える左ほおに一筋涙が流れるのを見て言った。
「涙、戻ってきたのですね」
「うん。きっとジュリーが取り戻してくれた……」
 由利子は答えたが、依然顔を覆ったままだった。
「ごめんね。ちょっとだけ、ちょっとだけ……」
「ええ、わかっていますわ」
 紗弥が答えた。その時、二人の席の前で声がした。
「あのう、お客様、よろしいでしょうか?」
 見ると、ウエイトレスがミルクティーを二つお盆に乗せて途方にくれていた。
「ああ、ごめんなさい、置いてくださいな」
 紗弥が答えると、ウエイトレスはささっとグラスを置き、ばつの悪そうに去っていった。
「ごめん」
 由利子が涙を拭きながら言った。
「さ、飲もうか」
 ミルクティーを飲んで少し落ち着いてから、深呼吸して由利子が訊いた。
「ところで、ジュリーの事件で他に何かわかったことは?」
「残念ながら、使われた毒物が判った以上のことは何も……」
「え? レーヴェンスクロフトの所を家宅捜索したら何か出てくるんじゃあ……」
「それが、当日の明け方レーヴェンスクロフトの屋敷から出火して、外観は保っているものの、内部が全焼してしまったそうなのです」
「ええっ、そんなことが? 放火なの?」
「今のところ原因不明ということでした」
「全焼って、証拠隠滅以外にないじゃないか」
「焼け方がすごすぎて捜査が難航しているみたいなんです。まるでテルミットやナパームを使ったみたいだと。消火に手いっぱいで山火事にならなかったのが奇跡だということでした」
「兵器やん、それ。日本の古い木造家屋ならまだしも、西洋の建造物は簡単に全焼しないイメージがあるけど」
「気持ちの悪い事件です。このウイルス事件に関わっているテロ集団は海外にもシンパがいる可能性が濃厚になってきました」
「まあ、日本のカルト宗教の信者も海外にけっこうな数いるから、あり得なくもないよね。実際O教団もそうだったし」
「武器や兵器をロシアから調達していたのでしたね」
「ジュリーを運び出せていたのが、せめてもの救いか……。他になにかわかったことは?」
「それだけです」
 紗弥はそういうと、悔しそうに唇を噛んだ。由利子は紗弥がテーブルの上に置いた手にそっと自分の手を置いて言った。
「ごめんね、それだけで十分だよ。ジュリーが安らかだったことを紗弥さんが確認してくれただけで十分だよ」
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうね」
 そういうと、二人はお互いの顔を見た。双方が涙を流しているのを見て苦笑した。店員たちは場所柄、客が泣くのに慣れているのだろう。彼女らに気まずい思いをさせないように思慮して客席から遠ざかっていた。

 長沼間はアメリカから帰ってきてからいつにもまして機嫌が悪かった。ジュリアスの葬儀には出たものの、テロ組織に関する情報を全く手にすることが出来なかったからだ。

 葬儀の時、長沼間はジュリアスの兄クリスに会った。ジュリアスと違って、筋肉質のスキンヘッドな偉丈夫だった。彼は、長沼間と紗弥に笑顔で近づいてきた。
”ミスター・ナガヌマ,サヤ,遠いところからわざわざありがとう”
”ミスター・キング,この度のことは日本警察にも驚愕が走りました.私たちはみな,とても優秀でありながら気さくなジュリアス先生を,とても愛していました.未だ信じられません.本当に残念です”
 長沼間は、日本なまりではあるものの、しっかりとした英語で答えた。
”ありがとう.私も未だ信じられません.両親が早く亡くなったので,たった二人の兄弟でした”
 クリスはそういうと長沼間に手を差し出した。長沼間との握手を済ませると、クリスは俯き加減の紗弥に向かって言った。
”サヤ,大丈夫かい?”
”ええ”
”大変だったね.遠いところから来てくれて本当にありがとう”
”ごめんなさい、私が……”
 紗弥が言いかけたのを遮って、クリスは紗弥を抱きしめた。
”いいんだ、サヤ.君のせいじゃない.いいかい,君のせいじゃないんだよ”
 二人はハグとキスを交わしたが、紗弥の顔色を見て、クリスが言った。
”無理しなくていいから,座っていなさい.もうじき式が始まる.ナガヌマ・サンもどうぞお座りください”
”ナガヌマでいいです”
”では、私のことはクリスとお呼びください.キングというのもおこがましいですからな”
 クリスはそういうと笑みを浮かべた。長沼間はそれに少し自虐的な影を見たような気がした。クリスは二人を座らせると、去っていった。長沼間は紗弥と並んで座っていたが、紗弥の様子に声をかけれず、二人して会話もなくどんよりとしていた。

 ジュリアスの葬式は厳かに行われた。ジュリアスらしい明るい装飾がなされ、響き渡る鐘の音と差し込む太陽光が却って悲しさを際立たせた。

 その後、長沼間は地元警察などを訪ねたが、レーヴェンスクロフトとテロ組織との関係など有力な情報を得ることが出来ず、ほとんど組織訪問で終わってしまった。クリスの在籍するCDCにも警備や国家機密等の関係上入ることが許されず、レーヴェンスクロフトの研究していたウイルスについてもクリスからの厚意で簡単な説明を受けることで済まされてしまった。
「くっそー、こんなことならわざわざ俺が行かなくても良かっただろーが! 俺の5日間を返せ」
 久しぶりに部署にもどった長沼間は、自分の席でメールチェックをしながらぶつぶつ言っていると、武邑が慰めるように言った。
「でも、あの美人の秘書さんと一緒に行動できたのでしょう? 良かったじゃないですか」
「あいつと一緒だったのは往復の飛行機とキング先生の葬儀だけだったよ。って、任務に関係ないことを言うんじゃない」
「それにしても、長沼間さんって英語出来たんですねえ。すごいです」
「まあ、両親が死んだあと面倒見てくれたのが牧師でアメリカ人だったのでね」
「長沼間さんって、実は『沼さん』だったんですか?」
「訳の分からないことを言ってないで、さっさと任務につかんか!!」
 長沼間の怒号が飛んで、武邑は反射的に「すみません!」といって部屋から飛び出した。
「ふん、相変わらず緊張感のない奴だ」
 長沼間はそう言いながら立ち上がった。それを見て、松岡の代りに配属された河井が言った。
「あら、もうお出かけですか?」
「ああ、ギルフォード先生とS対の葛西に会ってくる。丁度今葛西が感対センターに来ているらしいんでな。まあ、大した情報は得られなかったが」
「わかりました。いってらっしゃい」
「そうだ、これ、CDC土産だ。3時にでもみんなで食ってくれ」
 長沼間は手提げ袋を河井に渡すと、部署を出て行った。紙袋から土産を出した河井は少し戸惑って言った。
「って、これ、博多ぶらぶらじゃん」

 長沼間は、車で感対センターに向かいながら憂鬱になっていた。国家機密の壁は厚く大した『土産話』を得ることが出来なかったうえに、あの二人にジュリアスの葬儀の様子を話すことが重荷だったからだ。
 案の定、葛西は進展のなかったことを聞いてあからざまに落胆しているのが判った。しかし、ギルフォードには予想通りだったようで落胆の様子は見て取れなかった。紗弥からある程度の報告を受けたためだろう。ジュリアスについてもギルフォードは紗弥に聞いたからと言って長沼間が話そうとしたのを遮った。その様子を葛西は黙って見ていた。ジュリアスの死が皆に落とした影の大きさを、長沼間は改めて悟った。
 葛西と長沼間は、その後増岡の病室に行った。一時危なかったが持ち直したと聞いていたからだ。
 増岡は別人のようにやつれており、葛西は多美山を思い出して不安になっていた。増岡は二人を見ると力ない笑顔を浮かべて言った。
「わざわざありがとうございます。こんな状態になってしまって申し訳ないです」
「あ、増岡さん、無理しないで寝ていてください」
 葛西は起き上がろうとする増岡を止めると言った。
「増岡さん、そんなこと気にしないでください。それよりあなたや富田林さんが急いで駆けつけて引っ張り出してくれたおかげで、二次的に起きた天井落下に巻き込まれずに済んだ方たちがいます。迅速な行動、すごいです」
「そうですか……。よかった……」
「でも、そのために……」
「それが仕事ですから。でも、昨日まではほんとキツかったです。この前罹ったインフルエンザも辛かったけど、これはそれとは比べ物になりませんね」
 インフルエンザと聞いて、長沼間の表情が一瞬こわばったが、葛西がそれに気づくことはなかった。二人は三原医師から経過を聞いた後、増岡にまた来るからと声をかけて病室を後にし、そのまま富田林の部屋へ向かった。
 富田林は発症した増岡と長時間過ごしたことから1類の病室に移されていたが、窓越しに予想通りのカラ元気で二人を迎えた。
「増岡の病状が一時悪化していたことは聞いとります」
 富田林は葛西が長沼間を連れていることで、いつもより丁寧な物言いで言った。
「でも、今回は河部千夏で得た治療を試してみて病状が改善されたということで、自分は希望を捨ててはいません。あいつは必ず復活します」
「そうですよ。だってまだ赤視の症状も出ていなかったですから!」
 葛西はがんばれのポーズをしながら富田林に答えた。
「ねっ! 長沼間さん!」
「あ……? ああ」
 長沼間は答えたが、なにか煮え切らない様子だった。

 美波と件の子供たちは午後から美波の部屋に集まって、14日に中断した取材の続きをしていた。ほぼ話を聞き終え時計を見た美波が言った。
「あら、もうすぐ夕方の5時ね。日が長いからうっかりしてた。みんな、そろそろ帰らなきゃ、お家の方が心配されるわね」
「あ、ほんとだ。早く帰れってメールも入ってた」
 スマートフォンを見て祐一が言った。
「やばっ、私、門限6時!」
「へえ、門限なんてあるんだー」
「佐々木うるさい。あんたの門限たしか5時じゃん」
「早ッ!」
「おまえら、いちいち突っかからんと気が済まんのか? 勝太も乗っからない!」
「あらら、ヨシオ君はアウトじゃん。さあさ、みんな帰りの用意をして! 親御さんたちから私と会うのを禁止されちゃあかなわないわ」
「はーい」
 4人は仲良く口をそろえて返事をしたが、その後良夫と彩夏がフン! と言ってそっぽを向いた。
(はいはい、お約束、乙)
 美波はそう思いながら、仲良し4人組を微笑ましく眺めていた。 

 美葉は、意外にも街中の古い賃貸マンションに居た。どのようにして見つけたのかはわからないが、結城はここの2階の部屋を『山下修と娘の美香子』という名目で借りていた。灯台下暗しだよと結城はうそぶいていた。結城はしばらくの間、ここをアジトにして潜伏するつもりのようだった。
 美葉は窓を開けて夕焼けをぼんやりと眺めていた。空と雲の色は、黄色とオレンジ色から朱色、赤、紫と変化し最後は深いブルーに包まれた。ブルーモーメントだ。
 結城は午後から出かけていた。美葉は実質軟禁状態だったが、結城のウイルスを撒くという脅しに縛られて逃げ出すことが出来ない状況は変わらなかった。それでも美葉は希望を失っていなかった。夕暮れの空に金星が輝きを増し始め周囲が暗くなってきたが、美葉は灯りを付けることなく空を眺め続けていた。しかし、結城が帰って来ると、乱暴に窓を閉められ遮光カーテンを引かれてしまった。しかし、美葉は結城を無視して黙ってその場に座っていた。結城はそれに慣れてしまったのか、座卓の上に買ってきたものを置いて言った。
「夕飯に弁当を買ってきたから、お茶をいれてくれ」
 美葉は何も言わず立ち上がると、キッチンの方に向かった。

20XX年7月23日(火)

 深夜、目を覚ました富田林は病院内の様子がなんとなく騒がしいことに気付いた。嫌な予感がしてなかなか寝付けなかった。まんじりとも出来ずに夜明けを迎えた富田林は、我慢できずにナースコールをして看護師に聞いた。看護師に少し待つように言われ、ベッドに座ったまま貧乏ゆすりをしながら待っていたが、5分ほどで窓が「開いて」目の前に高柳とその後ろに立つ葛西が現れた。葛西は辛そうにうつむいていた。富田林はその様子に愕然とした。
「富田林さん、落ち着いてきいてください。昨夜から増岡さんの容体がまた悪化し、深夜から急激に深刻な容体に陥りました。何度か蘇生を試みましたが……」
「うそだ。嘘でしょう、先生」
「残念ですが」
「だって、容体は落ち着いていたっておっしゃっていたじゃないですか! なあ、葛西、嘘だろ? 嘘だと言ってくれよぉ……」
 富田林に懇願され、葛西はうつむいたまま首を横に振った。ゆっくりと。
「ますおかぁ……」
「増岡さんから伝言があります。僕のことで絶対に無茶をしないでくださいと。いままでありがとうと。富田林さんとコンビを組めて……良かった……って……」
 葛西は精一杯伝えたが、最後の方はほとんど嗚咽まじりで言葉尻がかすれた。
「すまん、葛西、先生。しばらく独りにしとってください」
 富田林はがっくりと肩を落としたまま、うつむいて静かに言った。高柳は深く礼をした。歯を食いしばって泣きそうなのこらえる葛西の姿が目の端に移ったが、一瞬にして窓が曇りブラインドが閉まった。富田林は病室にのベッドに一人ぽつんと残された。呆然とした富田林の脳裏に増岡とコンビを組んでからの様々な出来事が渦巻いた。増岡が笑顔で「トンさん」と呼ぶ声が聞こえた。あせってこんな呼び方をした時もあったなあ。「トトトンさんトトンさん」って。
 富田林は思い出して、くっくっと笑った。そして数分の沈黙の後、富田林は「なんでだ? なんでだよぉ、ますおかぁ……」と相棒の名を呼び「うおおおおおお~~~……」という哭き声を病室に響かせた。

(「第4部 第4章 翻弄」 終わり)

    第4部:終わり

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