« 2016年7月 | トップページ | 2016年12月 »

3.暗転 (5)突き付けられた現実

 まだ明けきらぬ薄暗い街の通りを、締込みに水法被姿の男たちの集団が独特な掛け声を上げながら駆けて行く。その集団の中ほどに、舁き山と呼ばれる山車を担いだ男たちが一際勇壮な掛け声を上げながら太鼓の音と共に駆けて抜けて行った。それは毎年変わらぬ光景だった。
 沿道には延々と人垣が並び、周囲のビルの窓にも人が鈴なりになって見物している。一つの集団が過ぎるとまたすぐに次の集団が掛け声と共に駆けてくる。
 由利子は沿道の人垣の中に入らずに、歩道の少し高い位置に設置されている植栽帯の縁石の上に立っていた。
(良かった、今年も無事にこのお祭りが終わろうとしている)
 由利子は目の前の光景を見ながらしみじみと思った。
(あ、この位置じゃ写真にイマイチ迫力が欠けるなあ。ちょっとだけ人垣に入って行こうかな。葛西君は昨日から警備で忙しいからこっちに来れなくて残念。ところでアレクたちどこにいるのかな。確かさっきまで一緒にいたよね)
 そう思いながら、由利子は縁石の上から周囲をぐるりと見渡した。すると、人垣の後の方に見慣れた人影があった。
「あっ!」
 由利子は縁石から飛び降りると、その人に駆け寄った。
「黒岩さん! 良かった。無事やったんやねえ」
「あら、篠原さんも来てたんだー」
 と、黒岩は笑顔で振り向くと言った。
「うん、今年は来てみたの。教授が見たいって言うからさ。黒岩さん、帰らなかったんやね。興味ないみたいなこと言ってたから、てっきり…」
「まあ、見納めになるかもしれんやろ」
「何言ってんの。また来年も来たらええやん」
 そこまで言うと、由利子はあれっと思った。何か忘れているような気がした。大変なことがあったような気が…。
 ふと気が付くと、沿道にいたはずの由利子は駅のコンコースに居た。
「あれっ? そう言えば、黒岩さんを見送りに来たんだっけ?」
 そうつぶやいて周囲を見回したが、そこは何の変哲もない多くの人が行き交う駅のコンコースだった。
「そうそう、はやく待ち合わせ場所に行かなきゃ!」
 その時、周囲から悲鳴が上がった。
「え? 何? 何が起こったと?」
 由利子は何が何だかわからずオロオロした。人々が遠巻きに由利子を囲んで何か叫んでいる。黒岩がいつの間にか由利子の傍に立っていて、由利子の手元を見ながら叫んだ。
「篠原さん! 何持っとおと! それ、爆弾やないの!!」
 黒岩に指摘されて、初めて由利子は自分が黒い不審物を持っていることに気が付いた。
「なにこれ? 私、こんなもの知らない!」
 由利子は驚いて咄嗟にそれを通路に置いた。同時に爆発音と激しいショックが由利子を襲った。

 

 由利子は声にならない声を上げて飛び起きた。冷や汗が流れ心臓が信じられないほどバクバクしている。由利子は心臓のあたりを押えハアハアと短い呼吸を繰り返した。夢現(ゆめうつつ)の状態で、自分がどこにいるのかしばらくわからなかった。少なくとも自宅ではない。
「しっかりなさいませ」
 ベッドの横に座って様子を見てくれていたらしい紗弥が、由利子の背をさすりながら言った。
「ここは?」
「感対センターの仮眠室ですわ。由利子さん、事情聴取の最中に倒れてしまったのですよ」
「え? そういえば途中から記憶がない! 私、またやっちゃった?」
 由利子はなんでこうなったのか思い出そうとした。

 

 話は数時間前に戻る。
 由利子は被害現場の駅から、ギルフォードと共に感対センターに向かった。駅を出る途中、自衛隊の車両が集まってくるのを確認した。現場が汚染されている可能性があり、生化学部隊が除染のために派遣されたと説明された。その車両から降りてきた自衛隊員たちの隊長らしき男が、一瞬由利子の方を見たような気がした。
 感対センターでは、由利子は駅での失態を挽回するかのごとく働いた。搬送されてくる人たちがあまりにも多かったために、スタッフの絶対数が足りず、由利子は自らボランティアを申し出たのだ。実のところ、何かをして気を紛らわせなければ、悲しみと恐怖に押しつぶされそうになりそうだったのだ。
 駅の構内での自爆は感染者がコアに居たために、爆弾は小型だったものの爆風は各通路を抜けて広がり汚染は広範囲に及んだ可能性があった。ウイルス自体は熱や衝撃に弱いと考えられるものの、エアロゾル化し飛び散った体液等に含まれたウイルスが生き残って感染を広げる可能性はゼロではないと考えられた。それで、無傷であっても一定の区間に居た人たちはみな隔離対象になり感対センターに搬送されることとなったのだ。
 想定外の人員が運ばれてきた感対センターは大混乱になった。爆発の規模が小さかったために、重体や重傷の患者は爆心付近で生き埋めになった数人にとどまりそうだった。そのうちの一人は未だレスキューの途中で搬送はまだ先になりそうだが容態は安定しているということだった。死者は黒岩と自爆犯の2人で、後は軽傷者か感染の恐れがあるグレーゾーンにいた無傷の人たちだった。しかし、その数が半端ではない。
 以前、F駅の人ごみの中で感染者が「炸裂」した時も相当数の人たちが運ばれてきたが今回はその比ではなかった。それで、センター側は危険感染症患者収容のために現在運営を停止している一般病棟を解放し、そこにグレーゾーンの人たちを一時的に収容することにした。
 感染の可能性を考え隔離対象になった人たちの多くは、未だ爆発のショックと感染したかもしれないという恐怖から立ち直っておらず、大人しくスタッフの指示に従っていたが、中には人権問題だと詰め寄る者もいた。そうなると周囲の人たちも同調して抗議を始める。由利子やスタッフたちは何度も丁寧に説明するのだが、納得してくれる時はいいが、特にある年代の男性になるとまったく取りつく島もない状態になってしまう。そんな時は必ず責任者を呼べと怒鳴られることになり、センター長である高柳の出番となる。由利子は他のスタッフと共に黙々と隔離者一人一人の名前・住所・連絡先を聞き、一時待機所に送っていった。
 窓の向こうの病室でも、医師と看護師が負傷者の治療で大忙しだった。中でも副センター長として先週末から配属された、中野と言う医師は、初の大仕事とあって張り切っていた。
 由利子はそんなスタッフたちの奮闘を見ながらふと気が付いた。甲斐看護師の姿が見えないのだ。
(あんなに責任感の強い人がこんな時にいないなんて、どうしたんだろう。 疲労で倒れたりしたんやろか)
 由利子は不安に思ったが、すぐに忙しさに忙殺されていった。

 

 ようやくセンター内に落ち着きが戻り始めた頃にはすでに夜9時を過ぎていた。
 由利子はギルフォードと共に事情聴取のために来客室に呼ばれた。そこはかなり前から県警の出張所のようになっており、事情聴取もそこで行われていた。由利子たちが部屋に入ると、九木と葛西、そして記録係の警官が座って待っていた。
 由利子は黒岩を見送るために乗った車の中での電話のやりとりや、爆発現場に入った時の状況を、淡々と話した。信じられないくらいに冷静に話す由利子に、駅で取り乱した由利子の姿をみていたギルフォードだけでなく、葛西も不安を感じたのか心配そうに由利子を見守っていた。
「以上です」由利子は静かに言った。「もう、行ってよろしいでしょうか?」
「お疲れの事とは思いますが、少し質問をさせてください」
 立ち上がろうとする由利子を九木が引き留めた。由利子は硬い表情で言った。
「なんでしょう?」
「黒岩さんが駅に向かう時間をあなた方以外に知っている人はいますか?」
「それはわかりません。それに…そういうことは黒岩さんのプライベートだし…」
「ココノギさん」と、ギルフォードが見兼ねて言った。「ユリコはもう限界だと思います。今日はもう解放していただけませんか?」
「わかりました。篠原さん、もう少しだけお付き合い願いたい」
「はい」
「私たちは自爆現場にいた何人かから状況を聞くことが出来ました。爆発が起きる前に『急いでここから離れて』という女性の叫び声が聞こえたそうです。それに触発されて逃げたために直撃を免れた方が大勢いたんです。おそらくその声の主は黒岩さんでしょう。彼女が気付き叫ばなかったら、もっと大勢の人が犠牲になっていたでしょう」
「黒岩さんが…」
「それから」
 と、今度は葛西が言った。
「彼女のバッグに入っていたコンパクトデジタルカメラに、駅コンコースの風景が数枚あったんですが、その一枚に自爆犯と思われるあの似顔絵に似た男が写っていたのです。カメラが無事だったのは、黒岩さんがバッグを抱きかかえていたからだと思います。電話中だったということですが、スマートフォンの方はまだ見つかっていません」
「写真に犯人が写っていたのは偶然か、黒岩さんが男に気付いて風景を撮るふりをして撮ったものかはわかりませんが、黒岩さんのおかげで捜査が進展するのではないかと思います。篠原さん、黒岩さんの命がけの英雄的行為は絶対に無駄にはしません」
 と、九木が力強く言った。
「英雄…? …でも、私、は……」
 由利子は呻くようにして言った。
「そんなことせずに、なんとか逃げて欲しかった…。まだ中学生の娘さんのためにも…」
「由利子さん?」
「私は、犯人が憎い…。犯人に自爆を命じた誰かも憎い…! 憎い!憎い!憎い!!! この手で八つ裂きにしてやりたいくらいに!!」
 由利子は叫ぶと両手で机をダンダンダンッ!と叩いて立ち上がった。両手をそのまま机に置き、うつむいたまま、今度はつぶやくように言った。
「だけど、黒岩さん、私なんかに関わらなかったら…。私に関わった…か、ら…」
 そこまで言うと、由利子の身体から力が抜け、後方に倒れていった。
「ユリコ!」
「由利ちゃん!」
 葛西は咄嗟に立ち上がって由利子に駆け寄ろうとしたが、由利子は横にいたギルフォードが素早く抱き留めていた。葛西は一瞬恨めしそうにギルフォードを見たがすぐに由利子の心配をして言った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「疲れていたところに極度の緊張と興奮が重なってオーバーヒートしたのでしょう。とりあえずどこかで寝かせましょう」
 ギルフォードは由利子を抱きかかえるとドアの方に向かった。

 

 ギルフォード達の姿がドアの向こうに消えてから、葛西が訊ねた。
「九木さん、なんであんな質問をされたのですか? まさか、自爆犯が黒岩さんを狙ったと思っておられるのですか?」
「巻き込まれて死んだのは篠原由利子の友人だ。単なる偶然では済まされないだろう。篠原の話では、黒岩るい子が電話中に彼女の名前を口にしたために目をつけられたらしいと言っていたが、混雑した駅でたまたまそういうことが起きるのは不自然だ。予め犯人が黒岩の顔を知っていて近づいたと考えたほうがしっくりいく」
「そうですが、篠原さんが狙われるならともかく、なんで無関係の黒岩さんが?」
「もし、篠原にテロリスト側がなんらかの恨みを持っていたとしたら、篠原の友人というだけで無関係とは思わないかもしれない」
「そんなことが…」
「テロリストの思考に一般論は通じんよ。昨今海外で起きているテロ事件を見ればわかるだろう」
「僕にはわかりません。あんなことをする意味は、自分を殺してまで破壊する気持ちは…!」
 葛西は下を向いて机の上で両こぶしを握り締めながら言った。数滴の涙がその上に落ちた。九木は葛西の肩に手を置いて諭すように言った。
「私にだってそれはわからんよ。葛西君、犯罪に怒りを持つのは当然だ。だが我々は警察官だ。犠牲になった黒岩さんのためにも、この一連の事件の解決を急がねばならない。二度とこんなことをさせないためにも。さあ、行くぞ葛西君」
 と言うと、九木は立ち上がりスタスタと部屋から出て行った。
「は、はい」
 葛西はてっきり怒られるか皮肉を言われると思っていたが、むしろ励まされた形になり拍子抜けして慌ててハンカチで目をぬぐうと、メガネを拭きながら九木の後を追った。

 

 由利子は目を覚ましてから、改めて昼間に起きたことが現実だったと認識して呆然とした。もう、黒岩はこの世にいないのだと思うと悲しみと怒りが渦巻いて体が震えた。しかし何故か涙は出なかった。紗弥はそんな由利子にどう声をかけていいかわからず、半眼でじっと座っている。
「紗弥さん、アレクは?」
 と、由利子はようやく絞り出した声で訊いた。
「知事が来られ、呼ばれたので、少し待っててほしいと」
「そっか」
 そしてまたしばしの沈黙。
 ふと見ると戸棚の上に小型テレビが1台置いてあるのが目に留まった。
「紗弥さん、テレビつけていいかな?」
「ええ。今日はテレビはあれからあの事件一色ですわ。まだ、事件の実態は明らかではないので同じようなVTRの繰り返しみたいなものですが。希望チャンネルはあります?」
「こういう時はどこも似たようなものでしょ。つけた時のチャンネルでいいよ」
「そうですわね」
 紗弥は合槌を打ちながらリモコンを手にするとスイッチを入れた。ぱっと画面が開いたが、なぜか映ったのはゆるゆるの学園アニメだった。紗弥は一瞬ぽやっとした表情をしたが、すぐにチャンネルを切り替えた。
(紗弥さんもあんな表情するんだ)
 由利子は紗弥の意外な表情に驚きながら、あのテレビ局のゆるぎないポジションに妙に感心し、さらに自分にまだそういうことを思える余裕があることに気が付いて不思議に思った。

 

 テレビ画面はガイアTVの報道番組「NS10(エヌエスイチマル)」の特別番組に切り替わっており、メインキャスターの新谷統子を中心に中年男性と若い女性のキャスターのいつもの面子にゲストの御意見番の大物タレントに若い男性アイドルが並んでいた。さらに専門家の学者が呼ばれ意見を述べ、それにVTRとインタビューを交えながら進行すると言う、典型的な形で番組が進んでいた。
「それでは、爆発から数時間後までのダイジェストを爆発後の緊急特番の映像を元にVTRで説明いたします」
 新谷キャスターが言うと、画面が切り替わって衝撃的なBGMとタイトルと共に、駅周辺の映像が映った。その直後、爆発音がして駅ビルの出入り口から風と埃とゴミのようなものが噴き出しあちこちで悲鳴が上がった。画面が変わって駅近くで追い山ならしの準備をしている風景になった。そこでも爆音が聞こえ、皆がざわつき始めた。救急車や消防車警察車両が駅に次々と駆け付け、警官たちが混乱した現場で通行人や野次馬の整理をしていた。駅周辺には素早くビニールシートが張られ、緊急の対策所が作られた。これらの映像は視聴者提供らしく、下の方に注釈が記してある。すると、テレビ局のスタッフがあわただしく駆けつけるシーンに場面が変わった。駅ビルを背に、マイクを持った美波美咲が緊迫した表情で立った。
『H駅ビル爆発事件の現場の前に来ています。中にはまだ危険物があるということで、防護服を着用した者以外は入れず、今のところ中の状況は全くわかっておりません』
 美波が説明すると緊急特番の地元キャスターが質問した。
『危険物? まだ爆弾が残っていると言うことですか?』
『まだかなり混乱しているということで、詳しい情報はまだ何も…』
『F市と言えばこの前O線のF駅でサイキウイルス感染者が人ごみで倒れた事件がありましたね』
『はい。あの時は放血した感染者が倒れたために「自爆」と表現されましたが、今回は本当に自爆の可能性があるようです』
『爆発物なのは確かなのですね』
『はい。駅ビルの近くにいた人数人にお聞きしましたが、一様にすごい爆発音がしたとおっしゃってました』
『現場がウイルス汚染されている可能性はあるのですか?』
『それは何ともいえません。もし、自爆者が感染者としても、ウイルスが爆発の熱に耐えられるかどうか…」
『被害状況などもわからないのですか?」
『はい。とにかくすごく混乱してるんですが、死傷者もすでに出ていると言う情報もあります』
 死傷者と言う言葉を聞いて、由利子の身体がびくっとした。今まではこういう緊急ニュースもほとんど興味だけで見ていた。被害者に同情し涙し時に事件そのものに憤ることもあるが、それでも自分とはまったく無関係の出来事であり、どこか他人事という意識があった。だが、当事者になってみて、初めてその辛さがわかった。由利子は画面を直視出来ず、このままニュース番組を見ることが困難ではないかと判断した紗弥がテレビを消そうとリモコンに手を伸ばした時、入り口のドアがドンドンとノックされ、大き目のよく通った声が言った。
「しのはらっ、篠原だろ。大丈夫か!?」
「だ、だれ?」
 由利子は驚いて体をこわばらせながら尋ねた。紗弥がすっと由利子から離れ、ドアの横の壁に立った。

 

 ギルフォードは、森の内知事に呼ばれ、センター長室にいた。
 部屋に入ると応接セットに森の内と高柳が座っていた。森の内は見るからに憔悴した表情でギルフォードを見ると立ち上がった。数日前追い山ならしで見た生き生きとした森の内とはまるで別人のようだった。
「ギルフォード先生、やられました。僕が甘かった。明日のフィナーレは中止です。僕はこの事件の責任をとらねばならんでしょう」
 森の内はそこまで言うと、どさっとまたソファに座って頭を抱えた。

続きを読む "3.暗転 (5)突き付けられた現実"

|

« 2016年7月 | トップページ | 2016年12月 »