3.暗転 (4)怒りと慟哭のゼロ
【注意】後半に一部残酷な描写があります。
ギルフォードは由利子のいた待合室に戻り、彼女が勝山の助手として現場に向かったと聞いて愕然とした。
「馬鹿な!! ユリコは被災現場など見たことないんですよ! ひどいショックを受けてしまいます」
「まずいですわ。きっと教授の助手だから大丈夫と思われたのでしょう」
「急いで追わなくては!」
ギルフォードはそういうとブルーシートに覆われた爆発現場の方に目をやった。
「だめです! 防護服なしでは入れませんわ!」
「わかっています! ユリコ達もまず着替えるはずです。まだ間に合うかも知れません」
ギルフォードはそういうと脱兎のごとく駈け出した。
「あっ、わたくしも参りますわ」
後を追う紗弥にギルフォードが言った。
「僕は先に現場にはいりますから、もし紗弥さんが先にカツヤマ先生を見つけたらユリコとトリアージを変わってあげてください。ユリコには速やかに現場から離れるようにと」
ギルフォードはそう言い残すとあっという間に走り去って行った。紗弥は後を追ったがギルフォードの足には到底及ばなかった。
(”足の速さは流石に男性にはかなわないわね”)
紗弥はどんどん遠くなるギルフォードの背中を追いながら思った。
真樹村極美は、今日もシェルターでの待機を余儀なくされていた。金曜の夜、サンズマガジンの編集長から記事掲載OKの電話をもらったが、極美にはそれを送った記憶がないのだ。ただ、未完成の記事を教主が見たいと言うことで送ってしまったのだが、極美にはそれ以外可能性を考えられなかった。しかし、教主がそんなことをする理由がわからない。それで極美は確認しようとしたが、降屋にも教主にも連絡が取れないでいた。
教主は今講演等で忙しいと言うことで、直通と言うことで教わった携帯番号には全くつながらず、留守録にも返事がない。教団に電話しても週明けまで待つよう言われ埒が明かない。降屋に至っては携帯電話も契約解除されており全くの音信不通となっていた。
極美は不安に押しつぶされそうになりながら、なんとか教主と連絡の取れる週明けまで待つことを余儀なくされた。極美は何をする気力もなくベッドに横になっていた。そんな時、極美に電話が入った。編集長からだった。
「はい、真樹村です」
「おい、極美、今どこだ?」
「宿泊場所ですけど」
「バカヤロー! 何でまだそんなとこにいるんだよ!」
「え?」
「おいおいおい、何寝ぼけてんだ? テレビつけてみろ! H駅が大変なことになっているぞ!!」
「えっ、うそっ!」
極美は飛び起きるとリモコンを掴みテレビをつけた。すると、いきなりH駅の尋常でない光景が画面に現れた。
「なにこれ? いったい何が起こっているの?」
極美はへたへたと床に座り込んだ。
その頃、美波も駅前に駆けつけクルーたちと合流していた。実況の準備をしていると、遠くでギルフォードらしき男が現場の方に走って行くのが見えた。
(ギルフォード教授、彼も興味深いのよね)
美波は少年たちから事件の取材をした時、ギルフォードのことについても色々聞いていた。それで、出来れば少年たちの事と合わせて彼の事も取材したいと考えていた。
(でも今はこっちが大事!)
美波はそう切りかえると、マイクを持って背筋を伸ばした。
ギルフォードは全速力で由利子の下に向かっていた。
(”まったくもう、何だってユリコがトリアージの助手をやることになったんだ! 自爆テロの現場で、しかも友人が犠牲になっているかもしれないところだ! そんな現場を目撃したら、きっとユリコは壊れてしまう!!”)
しかし、気ばかり焦っても防護服やマスク着用のせいで思ったより走れない。特にマスクの息苦しさは半端ではない。
”畜生!! くそったれの防護服が!”
つい呪いの言葉がギルフォードの口から漏れ出ていた。現場はごった返しており、ガレキと煙と異臭と爆発で負傷した人たちのうめき声で修羅場と化していた。
(”どこだ! ユリコはどこにいる!?”)
ギルフォードは周囲を見渡した。
タミヤマリーグの4人は、とりあえず一番近い祐一の家に集まった。そこなら既に現場からもかなり離れていたし、閑静な住宅街なので後の3人の親も安心するだろう。なにより今4人は不安で、それを共有出来る仲間たちと離れたくなかったからだ。
祐一の母真理子は、思いがけない可愛いお客様を迎え、少し慌てていたが何となく嬉しそうだった。あの事件で孤立しかねなかった息子にたのもしい仲間が3人もいてくれたのだ。実は、真理子は祐一が仲間がいると言っているのは本当は両親を安心させるためで、実のところ学校では辛い思いをしているのではないかと心配していたのだった。
真理子が居間にジュースとお菓子を持っていくと、息子たちは既にテレビに釘付けになっていたが、真理子がジュースをテーブルに置くと、それぞれがお行儀よく頭を下げてお礼を言った。
「あなたたちは爆発現場の近くにはいなかったの?」
と真理子が訊ねると、祐一が答えた。
「うん。オレたちが居たのはF駅の近くやったからね。みんなでお昼食べとったら遠くで救急車の音が聞こえ始めたんだ。そしたらミナミサの電話が鳴ってH駅で爆発があったってわかったんだよ」
「そうなの。それなら良かったけど、心配したんよ。ニュース速報が入った時、ひょっとして現場にいるんじゃないかって思って気が気じゃなくなったんだからね」
真理子はそういうと、今度は3人の友人たちに向かって言った。
「君たちもちゃんと家の人に連絡した?」
「はいっ」
と、3人はほぼ同時に答えた。
「あらあら、仲がいいこと。じゃ、ごゆっくりね」
と、真理子は笑いながら居間から出て行った。応接セットから少し離れた作り置きの机で、居心地悪そうにして新聞を読んでいた父親の慎也も、後を追うように立ち上がった。
「祐一、お父さん今から部屋で調べものするからな。4人ゆっくりしていなさい」
慎也はそれだけ言うとそそくさと部屋を出て行った。
「なんか、悪かったかなあ」
勝太が申し訳なさそうに言うと、彩夏と良夫も頷いて言った。
「気を遣わせちゃったかな」
「そうねえ。別にお父様一緒にテレビ見てくださっても良かったのに」
「ウチのオヤジ、ああ見えてけっこうシャイなんだよね。まあ、1時間もしたら母さんと一緒に様子見に来ると思うよ」
祐一そう言いながらテレビの方に目をやると、ちょうどミナミサが中継を始めるところだった。
「あ、ミナミサだ」
と勝太が言うと、良夫と彩夏も続けて言った。
「さっきまで会ってたなんて、信じられないな」
「ホント緊急で行ったって感じね。髪ハネまくってるわ」
「風があるんだと思うよ」
と、これは祐一。
「え? ウイルスがまき散らされたりしないかしら?」
「まさか!」
「シートで覆ってあるし野次馬も遠ざけてあるようだし、文字通りの自爆と言う情報が事実なら、ウイルスが熱に耐えられるか疑問だし、そもそも空気感染しないタイプのウイルスだから大丈夫とは思うけど…」
祐一はそう答えたが自信はなかった。
話しは少し前後する。
由利子は勝山の後についてヴィニールシートの内側にたどり着いた。
「篠原君、トリアージの経験は?」
「ありません」
「ないのか。まあいい、説明しよう」
勝山はカードの束を手にして言った。
「これはトリアージタグだ。3枚重ねになっていて文字は下のカードに複写される。これに名前等の個人情報や負傷の具合を書きこんでトリアージ区分を決める。最後にトリアージ区分の色を残して不要な色部分をもぎって負傷者の右手首にタグをゴム輪で2重に巻き付ける。右手がダメなら左手首、右足首、左足首、首の順だ」
「はい!」
「トリアージ区分の識別色はわかるかな」
「はい。赤が直ちに治療が必要な最優先で、黄色が重症だけど容態が安定していて治療が少し遅れても大丈夫な人で、緑が軽傷者。黒は蘇生の可能性が…ない人です」
「よろしい。次のトリアージのために文字は真ん中に書かずに上に詰めて書くこと。書き間違いが出た場合は二重線で消す」
「はい!」
「今回は感染の可能性があるので搬送先はすべて感対センターだ。軽傷者も専用の救急車で運ぶことになる。現場に入ったら君はまず、意識があって自分で文字が書けそうな負傷者にタグを渡して名前や性別、年齢、住所電話番号を書いてもらってくれ。名前は片仮名だ。意識がなくてもそばに家族や知人がいたら、彼らに確認してくれたまえ」
「はい、わかりました」
「これから先は地獄かもしれん。覚悟して入りたまえ」
「は、はい!」
由利子はここまで来てしまったことを少し後悔していた。しかし、それ以上に黒岩の安否を知りたいと言う思いが強かった。それにしても、初めて身に着けた防護服は話に聞いた以上に暑い。
(こんなの夏に着るようなものじゃないな)
既にかなり流れ始めた汗に、由利子は心が折れそうになったが、一旦現場に入ると想像以上の壮絶さに声を失った。
「篠原君、行くぞ」
「は、はい」
由利子は勝山に言われるままに足早に彼の後を追った。勝山は救急隊員たちに言った。
「K大の勝山です。これからは私がトリアージを指示します。あなた方は救急活動に専念してください」
「ああ、先生が来られたぞ」
隊員たちに安堵の色が広がった。
「さあ、篠原君、始めるぞ」
しかし、由利子は勝山の後方をじっと見つめると、顔色を変え弾けるようにその方向に駈け出した。
「篠原君! どこへ行く!?」
勝山は驚いて由利子を呼び止めようとした。
「今の彼女には無理です。助手は私が代わりますわ」
「えっと、君はギルフォード君のところの…」
勝山はいきなり現れた女性に戸惑いながら聞いた。
「ええ、秘書の鷹峰です」
「やり方はわかるのかね」
「はい。何度かやったことがありますので」
「よし、では鷹峰君、君にトリアージ実施補助をやってもらおう。早速始めるぞ」
「はい」
紗弥はタグを持って軽傷者が数人うずくまっている柱の方へ、勝山は近くで血を流し横たわって唸っている締め込み姿の男性の方へ向かった。
由利子は十数メートル先のがれきの中に見覚えのあるバッグを見つけて反射的に駈け出していたのだった。しかし、手前まできたところで足がすくんだ。バッグの向こうに男とおもわれる欠損した体が、半ばガレキに埋もれていた。爆発力があまりなかったために駅ビルの広範囲を壊すに至らなかったものの、爆心付近の天井の一部が落ち、ふっとばされた土産店のブースの土産物や弁当がガレキの中に散乱していた。その近くには負傷や心的なショックで立てなくなったらしい人たちがうずくまっていた。壊れた店に生き埋めになったらしい店員をレスキューが懸命に救出しており、運よく生き埋めを免れた店員たちが、埋もれた仲間の名を必死に呼んでいた。
由利子は持ち主を確認しようと意を決して目を再度バッグの方に向けた。バッグの近くに血にまみれた手と頭髪のようなものが確認できた。由利子は首を左右に振りながらバッグに近づいていった。それにつれてはっきり目に映ってきた衣服にも見覚えがあった。さらに近づくと、頭髪の下に顔が見えてきた。しかし、不自然に首が曲がっているために、顔が確認出来なかった。由利子はさらにゆっくりともう一歩踏み出した。
「黒岩さん…?」
そうつぶやいて由利子は顔をよく見ようとしたが、そこにあるはずの顔がないことに気付いた。
「あ…」
由利子はその体の顔の左側の一部が肩あたりからごっそりと無くなっているということを理解した。一瞬目の前が真っ暗になりよろけた。それでも何とか踏ん張り態勢を整えると、髪に隠れた顔を確認しようと屈みながら震える手を伸ばした。
その時、”Don't look!! という声と共に由利子の目を何者かが覆った。
「間に合ってよかった」
「アレク?」
「見てはダメです、ユリコ! 君は鮮明に記憶してしまう」
ギルフォードは由利子を支えて立たせると、自分の方に向かせて彼女の目を見ながら言った。
「それに、彼女も君に見て欲しくないと思います」
由利子は震える声でギルフォードに聞いた。
「あのひと、黒岩さんなの?」
ギルフォードは何も言わずに由利子を抱きしめた。
「黒岩さんやね。やっぱり黒岩さんなんやね」
しかし、ギルフォードは何も答えなかった。そのかわりもう一度さらに強く彼女を抱きしめた。
「いや、離してアレク! 黒岩さん早く病院に運ばなきゃ」
「もう遅いんです、ユリコ。救急隊員が救助していないということは…」
「心肺停止でも蘇生することだってあるじゃない。私、救急隊員の人呼んでくる」
「だから、彼女はもう…」
「黒岩さん、まだ中学生の子供がいるのよ。死なせるわけにはいかない」
「ユリコ、しっかりしなさい」
「だって」
「ユリコ! もう遅いんです」
ギルフォードは由利子の両肩を掴むと彼女の目を見て言った。
「君だってもうわかっているのでしょう」
由利子は不意に力が抜けてへなへなと座り込んだ。何故か涙は出なかった。周囲の音が遠のき、自分が自分じゃないような不思議な感覚に襲われた。
「ギルフォード君、この女性は君たちの知り合いかね」
不意に声をかけられその方向を見ると、勝山がいつの間にか黒岩の横にしゃがんでいた。
「そうです」
「残念だが、もうどうしようもないな。あっちに埋まっているのは損傷の具合から自爆犯らしいな」
「ええ、そうだと思います」
「まったく、とんでもないことをしでかしたものだよ。どれだけの量、どれだけの範囲に生きたウイルスを乗せた細胞が飛び散ったか皆目見当がつかん。ところでこの女性の名前などを聞きたいんだが」
「ハイ、彼女はルイコ。クロイワ…」
と、ギルフォードが言いかけると、由利子がそれを遮るようにして言った。
「黒岩るい子さん。私が以前勤めていた会社の同僚でした。現住所は長野県長野市○○X丁目XX番X号。電話番号は026-2XX-XXXX。年齢46歳。中学2年生の娘さんがいます」
由利子は座り込んだ状態でうつむいたまま、抑揚のない声で淡々と言った。
「ご主人は娘さんが産まれる前に事故死して、その後女手一つで育てていましたが、所属する会社でサイキウイルス患者が出たせいで…」
「ユリコ、もうそれくらいでいいですよ」
「…そこに居辛くなって退社。実の両親も他界していたためご主人の両親のいる長野に引っ越してて…」
まるで音声ソフトが読み上げるように黒岩の事を話し続ける由利子に、ギルフォードは不吉なものを感じながら言った。
「ユリコ、そのくらいにしましょう」
しかし、由利子はそれに気づかない様子で言い続けた。
「でも、移転の手続きのためにこっちに戻ってきていて、夕方の新幹線で帰る予定で、お土産いっぱい買って、本当なら新幹線で、新幹線に乗って娘さんのところにっ…」
「ユリコ、もういい、もういいんです」
「黒岩さん、黒岩さん、ごめんなさいっ。私のせいだ、私のせいで、こんな、こんなっ」
「ちがいます、ユリコ。君のせいじゃありません。しっかりしてください」
「だめだ。パニックを起しとる。ギルフォード君、彼女はこの場から離れた方がいい」
「すみません、カツヤマ先生」
「無理もないことだよ」
「さあ、ユリコ、行きましょう。さあ、立って。君はここに居てはいけません。さあ!」
ギルフォードはなおも黒岩の名を呼び続ける由利子を立ち上がらせ、両肩を掴んで強く言った。
「ユリコ! いい加減にしなさい!」
由利子はびくっとしてギルフォードを見た。
「気持ちはわかります。痛いほど! でも、君がここで泣き叫んでもルイコさんは戻って来ません。それどころか、ハッキリ言って今の君は救護活動の邪魔でしかないのです」
ギルフォードはこんなことを言うのは酷だとは承知しながら敢えて言った。
「君は今、タスクフォースの一員でもあるのですよ。ここで降りて一般市民に戻りますか、それとも、ここで踏ん張ってルイコさんの仇を取りますか?」
「仇…取りたい。取りたい…!」
絞り出すような声で由利子が答えた。
「よろしい。ではとにかくここを出て落ち着きましょう」
ギルフォードは由利子を促すと、出口に向かって歩き出した。救護所近くに来た時、葛西が二人を見つけて駆けつけてきた。
「アレク、どうしたんですか。由利子さんがこんなになるなんて、一体何が?」
「ああ、ジュン、ちょうど良かったです。ユリコは犠牲者の中に友人が居たのでショックを受けているのです」
「なんですって、友だちが?」
「僕はユリコを連れて外に出ます。今、カツヤマ先生がいるところにユリコの友人が、その近くに犯人らしき遺体がありました」
「え? 自爆犯が見つかった?」
「はい。ガレキにほとんど埋もれていました。見つかったのはユリコが友人に気付いたおかげです」
「了解しました。至急そこに向かいます。後で事情聴取しますので、帰らないで!」
葛西はそういうと勝山のいる方向に駈け出した。ギルフォードはため息をつくと、由利子の背に手を置いて再び出口を目指した。
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