2.疾走 【幕間】ある夏の夜のこと
降屋は極美のいるシェルターの地下にある病室にいた。病状がどんどん進み、耐えられなくなった降屋は、夕方になってからついに発症したかもしれないことを組織側に伝えたのだ。
降屋の知らせを受け、すぐに迎えの車が来た。降屋は後部座席に座った。タクシーを装ったその車は、後部座席が仕切られて運転者や助手席と隔絶されるようになっていた。
シェルターの地下に隔離されてすぐに、教主が駆けつけてきた。彼は発症しているかもしれない降屋を抱きしめ、涙ながらに許しを乞うた。
「降屋さん、本当に申し訳ありません。今から遥音先生に検査してもらいますが、もし、発症していた場合、教団の医療技術を尽くして全力であなたを治すつもりです。必ず助けます」
降屋は感動して言った。
「長兄さま、もったいのうございます。しかし、この体がお役に立てるなら、どうぞ、研究のためにお使いください」
すると、教主は驚いて降屋の手を取り言った。
「降屋さん、そんなことを仰らないで。私は同志であるあなたを実験動物のように扱うつもりはありません。いっしょにウイルスを克服しましょう」
「長兄さま…」
降屋は感動に身を震わせながら言った。
「身に余るお言葉を賜り、感謝の言葉もありません。それより、長兄さまの計画の足を引っ張ることになってしまい、ただただ、己のふがいなさを呪うばかりです」
「そんなことを仰ってはいけません。病気が治ればまたあなたのお力を貸していただくことになりましょう。今は、治すことに専念してください」
そう言うと、教主は降屋の手をしっかりと握った。
(長兄さまは、感染発症しているかもしれない俺を、危険を顧みずに躊躇なく抱きしめてくださった。なんと深い愛をお持ちなのだろう)
数時間前のことを思い出しながら、降屋はまた感動に胸を震わせていた。
(そうだ、長兄さまに報いるためにも、何としてでもウイルスを克服し、第一線に復帰しなくては)
降屋はさらに信仰心を深め、長兄への盲目的な追従を募らせていった。
由利子は祭り見学のあと、K署に用があるという葛西に送ってもらって、早めに帰宅できた。
おかげで夕食も早めに終わり、入浴もさっさと済ませてしまったので、時間にかなり余裕が出来た。それで、久しぶりに気合を入れてブログ更新をすることにした。
最近は更新も滞りがちで(なにせ、書けないオフレコ事項が多すぎる)書いても簡易更新が主だったが、今日は祭りを見に行ったのでネタも写真もバッチリだ。しかも、ギルフォードからも気に入った写真のデータを数枚もらったので、挿入画像のクオリティも数段アップしそうだ。
「アレクってば意外と写真の腕いいんだね。本人はカメラの性能だって謙遜してたけど」
由利子はそう感心した後、少しむすっとして言った。
「これ、絶対にカメラマンやれるよね。でもさー、なんか、何でもこなすオールマイティーってどうよ。まあ、いい奴だけど性格がちょっと複雑なのが玉に傷っちゃあ玉に傷か」
などとブツブツ言いながら、2時間ほどで更新を終えた。
「あー、動画の一つくらい撮っておくべきだったかな。けっこういい位置にいたのにな。さて、メールチェックしたら寝よっと」
そう言いながらウェブメールを開くと、ダイレクトメールやメルマガに混じって黒岩からメールが来ていた。開くと添付資料がついていた。
「篠原さん、こんばんは。なんか興が乗ったので、アレク様たちがモデルのキャラを描いてみたよ。タブレットで描いたんでデータ添付したから気が向いたら見てちょーだい。あとで明日の新幹線の時間確信してメールする。じゃ、また~」
「わ、早っ。気が向いた。ソッコー向いた」
由利子は傍から聴いたら意味不明なことをつぶやきながらワクワクして添付を開いた。
「わ、黒岩さん絵、上手かったんやね。なんか乙ゲー(乙女ゲーム)みたいな絵だけど、こういうのが受けるのかね」
由利子はそう言いながら添付画像をスクロールした。添付は鉛筆で描いたイラストに薄く着色したラフイラスト3枚。アレクサンダー皇子1枚、男装の女性騎士サヤ1枚。これらは1枚に同一人物を数パターン描いたもので、キャラ設定も試行錯誤したものが走り書きされていた。3枚目は数人の主要キャラが描いてあった。皇子の恋人にジュリアスがモデルらしき王女(実は男性らしいことが見え見えに描かれている)。葛西はここでも警察官的職業で警備隊の若き隊長という設定らしい。この二人は写真で見せただけなのに、よく特徴を掴んでいると由利子は感心した。如月はなにやら情報屋のような風情で参加している。
「え? ひょっとして、これ私? 『魔法使いキリノス』? て、どう見てもガチ男キャラだしイケメン杉だし、違うのかな。注釈があるやん。何々、『キリノスはギリシャ語で百合という意味』ィ? やっぱ私やん」
由利子はそのままひっくり返って一人でケラケラ笑ってしまったが、夜も9時をとっくに過ぎていることに気が付いて口を押えた。
祐一が、ほのぼの一家団欒を終え自室でネットを立ち上げ調べ物をしていると、携帯電話が鳴った。知らない番号だったので無視していると、留守録にメッセージが入った。
「西原君よね。私、美波です。電話に出て〜。出てくれなきゃまいっちんぐ」
「まいっちんぐってなんだよ。酔っ払ってんのかよ」
祐一が文句を言っているとすぐにまた着信が入った。同一電話番号なのでミナミサに間違いない。祐一は出るべきかどうか迷ったが、昼間サンズマガジンの記事に本気で怒っていた彼女を思い出し、信じてみようかと意を決して電話を受けた。
「…はい」
「祐一君?」
「そうです」
「やったー!」
「いったいどこでオレの電話番号を仕入れたんですか?」
祐一は(やったーじゃねえよ)と思いながら怪訝そうな声で訊くと、美波は悪びれた様子もなく言った。
「仕入れたって人聞きの悪い。まあ、そりゃあ、蛇の道は蛇といってだな…」
「何自分から言ってるんですか。ひょっとして酔っ払ってませんか?」
「失礼ね。このアタシがジンロックの一杯や二杯で…」
(やっぱり飲んでたんだな。しかも強いやつだ) 祐一は呆れてしまった。さっきまでの葛藤が馬鹿みたいに思えてきた。(くそ、出なきゃよかったぜ)
祐一は後悔した。そうしたらだんだん腹が立ってきた。
「酔っ払っていようがいまいが、酒飲んでほぼ初対面の中学生に電話する大人ってどうですか。立派ですか?」
「あー、いちいち小言くさいね、この小息子は」
「小息子って、なんですか」
「小娘の男版よ」
「あるんですか、そんな言葉?」
「知らんわよ。でも小娘があって小息子がないって不公平じゃん」
「でも男には青二才っていう言葉があるでしょう」
「あー、ああ言えばこう言う。どこかの宗教の元フロントマンみたいなこと言うなぁ」
「よりによってその人例に出しますか」
と、祐一はムッとしながら言った。
「アタシはね、この地位になるまで散々小娘がって言われてきたんだよね。そんで、そう呼ばれなくなったら今度は女だてらに出しゃ張るなっていわれてさ〜。今日もあの後、社に帰ったらいきなりデスクに呼ばれて、危険だから手を引けですよ。つい数日前には発破かけてたのにさ。嫌って言ったらこんどは今日は帰って頭を冷やせって言われて、もうワケワカメだっちゅーの」
頼んでもいないのに会社の愚痴を聞かされた祐一は、こんどは困惑してしまった。
「あの」
祐一は先が長そうだったので話に割って入った。
「そろそろ本題にはいりませんか? それとも愚痴を言いに電話したんですか?」
一瞬の沈黙の後、美波が言った。
「はーっ、あんったってば、ほんっとに可愛くない子ね!」
「愚痴は後でゆっくり聞いてあげます」
「え? あ…、ああ、そう?」
今度は美波が困惑して言った。
「えっとぉ、話っていうのは、他でもない、君とあのウイルス事件との関わりについてだけど…」
「ミナミサ…ん、あなたは今流行っているサイキウイルスに事件性があると?」
「とぼけないでよ」
「とぼけてません。きいているんです。なぜあなたがそういう風に考えたのか」
「企業秘密。でも、あなたの出方次第では教えてあげられるかもよ」
「それはこっちも同じですよ」
「…(ー ー;)」
数秒間2人は沈黙したが、先に美波が言った。
「もう、もうもうもう、アンタホントに中学生? 何げに大人と交渉してんじゃないよ!」
「もし、あなたが本気でサンズマガジンの記事に対抗する気持ちがあるなら、あることをお願いしたいと思っています」
と祐一は冷静な口調のまま言った。これには美波は本気で驚いた。
「へ?」
「お願いしたいのは、ギルフォード先生のことです」
「は? それってQ大のあの? そう言えば昼間、ギルフォード先生がどうとか言ってたっけ」
「そうです。先生はあのタブロイド紙に犯人のように書かれていました」
「あ、あの目線入りのガイジン!」
「それです。今はたかがヨタ記事ということで相手にされていませんが、この先どうなるかわかりません。だからせめて公平の立場に立って報道出来る信頼出来る人にお願いしたいのです。これは他の仲間たちも同じです」
「じゃあじゃあ、私の報道能力を認めてくれてるってこと?」
「能力はわかりませんが、正義感と報道マンのプライドはあると」
美波は祐一の言った前半部分に若干の不満を感じたものの、自然と表情が緩んでいた。毒気はとっくに抜かれてしまっていた。
「わかった! あなたの依頼受けてあげる」
酔った勢いもあって、美波は胸をドンと打つ勢いで言った。
「私も隔離された時、教授には会ったから。その時、あれに書いてあった様な人には見えなかったもん。だから君に言われるまで気づかなかったんだ」
「って、美波さん隔離とかされてたんですか?」
美波はつい口が滑ってしまい、祐一に余計な疑問をもたれ、しまったと思ったが仕方がない。
「まあ、色々あったのよ。いずれ話してあげてもいいけど、今は勘弁して。思い出したくもないのよ。わかって」
「わかります」
祐一の返事は美波の予想外のことだった。
「あの事件はオレにもトラウマを残しましたから」
「そっか。そういう意味では私達、仲間ね。明日、会える?」
「大丈夫です。午後からどうでしょう」
「場所は任せて。あなたのお友達もみんな来れるかな?」
「オレが交渉してみます。一人はともかく、残りの二人は難物ですが、なんとかやってみます」
「わかった。集合場所はO線のF駅がいいわ。時間を決めたらこの番号にメールしてくれる?」
「わかりました。善処します」
そう言うと祐一は電話を切った。
「善処って何よ。ホントに中学生なの、この子?!」
美波は半ばあきれながらつぶやいてスマートフォンを切った。
ここに、美波とタミヤマリーグとの奇妙な連携が始まったのである。
(「第4部 第2章 疾走」終わり)
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