« 2015年8月 | トップページ | 2015年11月 »

2.疾走 (7)夏祭り勇壮に

20XX年7月13日(土)

 こちらはまだ前日金曜日の夕方、米国東部メリーランド州フレデリック。ようやくフォート・デトリックでの隔離から解放されたジュリアスが、フレデリック空港に向かうべく歩いていた。
「は~あ、ようやっとお天道様が拝めたわ。やっぱ娑婆の空気はえーて」
 ジュリアスは傾いた太陽をの方を眩しげに見てつぶやいた。
「ったく、おかげさんで予定が狂いまくりだがね。本当なら今頃は日本におるはずなのによ。あー、ほんに祭り見たかったでよ」
 そこまでつぶやいたところで横に黒いムスタングが止まって窓が開いた。そこから覗いた顔を見てジュリアスは驚いた。デズモンド・ストーク、一番会いたくない男だった。ストークは意外にもにこやかに言った。
”退院おめでとう,Dr.キング”
 ジュリアスは露骨に嫌な顔をして言った。
”5時でご帰宅かい? 良い御身分だな”
”今夜は女房とディナーなんでね”
”そんじゃあもう僕に用はないだろ,ストークさん”
”そう邪険にするもんじゃない.君の隔離はこっちも上からの命令でね,すまなかったと思っている”
”どんなもんだか”
”空港までだろう,乗せてやってもいいが”
”遠慮しとくわ”
”そうか.まあそうだろうな.まあ,せいぜい日本で頑張ってくれ.ギルフォード君には私が会いたがってたと伝えるがいいよ.じゃ,寄り道せずに帰るんだぞ” 
 ストークはそれだけ言うと窓を閉め、さっさと車を発進させ去って行った。その後ろ姿にジュリアスはべーっと舌を出してから言った。
「けっ、余計なお世話だがね。たーけらしい((ばからしい)デスストーカー野郎が負け惜しみゆーとるわ。って、あーこんなことしとられんわ、タクシー拾うてから空港へ行って、ほんでこれからの予定を決めよーかね」
 ジュリアスは景気づけで駆け足で公道まで行き、道路に向かってしばらく左右を見ていたががっくりした様子でつぶやいた。
「こりゃータクシーは呼んだがえーかね~。さっきのムスタングに乗った方が良かったかねー。まーそりゃーにゃーけどよ」
 隔離生活で独り言がくせになったのか、ジュリアスはぶつぶつ言いながらタクシーを拾うために再び左右を確認した。 
 

 夜が明けるのももどかしく、極美は東の空に太陽が覗くのを待って降屋に電話をした。昨夜も電話を入れたのだが、電波の届かないところにいるのか、何度しても通じなかったのだ。しかし、朝早いためだろうか、電話はつながっているものの、出る気配はない。それで、仕方なく留守録を入れた。
(何度同じような要件の留守録をしたかしら…)
 極美はそう思いながらため息をついた。しかし、雑誌記事の件について、何としても聞かねばならない。
 しかし、果たして記事を編集部に送ったのは降屋だろうか? 極美はかなり不吉な不安が湧きあがってくるのを感じていた。それは、考えまいとするたびに大きくなっていった。なぜなら、教主の甘言に乗って、つい未完成のサイキウイルスレポートのデータを送ってしまったからだ。極美は降屋に第2弾の草稿を送ったがまだまだ未完成でしかも電子文書の形で送っていた。もし、データを送るとしたら降屋より教主の可能性が高いことは自明のことであった。しかし、今の極美は、昨夜の「カクテル」の後遺症か冷静で筋道の立った思考が出来なくなっていた。ベッドに横になって沈黙したままの携帯電話を枕元に置き、昨夜の寝不足も相まって、うとうととし始めた。

 降屋は昨夜の強行軍がたたって、目覚めたのは朝8時をとっくに過ぎていた。
「しまった、朝の礼拝の時間が過ぎてしまった」
 降屋は慌てて飛び起きた。その時、目の奥に激痛が走った。降屋はうっと声を上げると両目を押え、ベッドサイドにうずくまった。
(な、何だ、これは!?)
 降屋の脳裏に恐ろしい考えが浮かんだ。まさか…? その考えを降屋は声を出して打ち消した。
「いや、俺はちゃんとワクチンを接種していただいたんだ。ありえない!!」
 しかし、降屋は遥音医師の不吉な言葉を思い出していた。それはワクチンを接種する前に降屋が彼女にワクチンを打てば感染しても発症しないか確認した時の答えだった。
『はい、もちろんです。すでに発症していない限りは』
(まさか…) 
 降屋は背筋に冷たいものが走るのを覚えた。

 祭事会場の警察官詰所では朝礼が行われ、知事が警護の警官たちを前にして語っていた。タスクフォースチームとして警備に参加している葛西は、最前列でそれを聞いていた。富田林たちもいたが、警備部との合同チームであるため、怪我からすっかり回復した武邑もその中にいた。
「みなさん、連日の警備ご苦労様です。おかげで今のところ何事もなく各行事を終えることができております。今日は午後から知名士たちが台上がりする集団山見せがあります。すなわち、今日は最終日、いやそれ以上にテロの起きる可能性が高まります。あと3日、いや、最終日は早朝なのであと丸2日間、大変でしょうが、一瞬の気も緩ませず、警備を続けてください。よろしくおねがいします!」
 森の内はそう言うと、深く頭を下げた。

「おい、葛西よお」
 持ち場に向かいながら富田林が言った。
「ここ数日、やったら忙かったけど、懸念されている件に関してはまったく動きがなさそうだし、ホントにこの祭りが狙われたりするんかな」
「敵の目的がわからない以上、油断できませんし、特にこういった祭りなどの大規模な行事はテロの標的になりますから」
「うむ、そういえばボストンマラソン爆弾事件とかあったな」
「厳重な警備が行われていても、こういう時は必ずどこか手薄な箇所が出来てしまうものです」
「ボストンマラソン爆弾事件といえば、知っとったか、葛西。ヤラセだったって与太話があるらしいな」
「自作自演っていう、よくある陰謀論ですね。好きですよね、陰謀論者」
「今回の事件も陰謀とか言われてんのかねえ?」
「すでにあったじゃないですか。サンズマガジンのやつ」
「あ~~~あ!」
 富田林はそういうと手をポンと叩いて言った。
「あの、アメリカの陰謀とかギルフォード先生が怪しいとか書いとったやつか!」
「名指しはやめてください。教授が聞いたら怒りますよ。ああいう憶測だけの記事が一番厄介なんですよね」
 と、葛西はため息をついて言った。

 ギルフォードが教授室でサイキウイルス対策用で民間に配る新しいチラシとパンフレットの仮刷りをチェックしていると電話が鳴った。
「教授。知事からです」
 電話を取った紗弥が言った。
「おや、何の用でしょうかねえ」
 と言いながら、ギルフォードは受話器を取った。それを見ながら由利子が小声で紗弥に言った。
「今日は嫌な顔も文句もなしで電話とったね。何かいいことでもあったの?」
「ええ、ジュリーがようやく解放されたそうなんです。それで、もう数日かかりそうですが、帰ってこれそうだとか」
「ええ? 良かったじゃない。あ、でも、お祭りの期間には帰れなさそうだね」
「本人も残念がってたそうですわ」 
 と紗弥が答えたところで、ギルフォードの電話が終わった。
「ふたりとも、なんかうれしそうですね」
 ギルフォードが受話器を置きながら言った。由利子は笑顔のまま答えた。
「内緒。で、知事は何て?」
「15日のフィナーレまで開催出来そうだって、嬉しそうでしたよ」
「わあ、よかったね」
「本当によかったですわ」
「今日の集団山見せにも乗るから、中継があったら見てねだって」
「じゃあ、いっそ見に行こうよ。遠くからでもいいじゃん」
 と、由利子が提案すると、紗弥も相槌を打った。
「そうですわね。私たちと一緒なら由利子さんも外出OKでしょう?」
「そうですねえ…」とギルフォードは少し考え聞いた。「時間は?」
「夕方3時過ぎだったと思うけど」
「その時間なら行けそうですね。じゃあ、3人でいきましょうか。ジュンの働きぶりも見てみたいし」
「やった!」
 と、由利子がサムアップして言うと、紗弥が笑顔で応えた。
「じゃあ、このリーフレット(チラシ)とパンフレットのチェックをさっさと終わらせましょう。問題の根本はまだ未解決なのですから」
 ギルフォードは自らを戒めるように言った。

 西原祐一をはじめとするタミヤマリーグの4人が校門から出ると、濃いめのサングラスをかけた小柄な女性から声をかけられた。
「わあっ、ミナミサ!」
 サングラスの下の顔を見て男3人が驚いて口々にi言うと、美波は人差し指で口を封じるそぶりをした。彩夏は不機嫌そうにつぶやいた。
「なによ、この女、こんなとこまで出しゃばって来たの?」
 しかし、美波は気にせず笑顔で手を振った。
「こんにちは。ちょっと時間、いい? ランチ奢るわよ」
「知らない人に付いて行っちゃダメだって、先生とお母さんから言われてまーす」
 と、良夫が言い、さっさと彼女の横を通って歩き出した。彩夏もそれに続いて「じゃ、そういうことで~♡」と手を振ってから良夫の後に続いた。残りの2人祐一と勝太もその後を追うように美波の横を通り過ぎて行った。
「ちょっと待って、4人とも! 話を聞いてよ。今日はクルーを置いて一人で来たの。私、あなたたちの力になりたいのよ!」
 美波は彼らの背中に向けて大きめの声で訴えた。すると、祐一が振り向いて静かに言った。
「美波さん、僕らはマスコミと言われる人たちが信じられないんです。この前、どこかの週刊誌がこの事件について根も葉もないことを書きたて、被害者やそれにかかわる人たちについて憶測を並べ立てました。名前は伏せられてましたが、僕らのことについても書かれていて、学校でその記事を見せられた妹はひどく傷つきました。僕はともかく、妹には何の落ち度もなかったのに…。それだけじゃない、僕らの恩人であるギルフォード教授をロクな証拠もなくまるで犯罪者のように扱っていました。どんなにきれいごとを言ったって結局あなた方はスクープが欲しいだけじゃあないですか」
「ちょっと、あんな与太記事と一緒にしないでよ!」
 思わす美波が怒鳴った。本気で怒っているようだった。
「少なくとも私たちは得た情報をなんの検証もなく記事や番組にしたりしない! 報道としての誇りがあるからね!」
 美波が憤って大声を出したので、他の下校する生徒たちが彼女に気付き始めた。
「あれ、ミナミサ違う?」
「ミナミサ?」
「どこどこ?」
 周囲からちらほらと声がして、美波は自分に注目が集まり、スマートフォンやカメラを向けられ始めたので、焦って言った。
「また電話する! 取材の件、考えていてね。私は敵じゃない。ただ、真実を知りたいだけ」
 美波はそれだけ言うと、そそくさと立ち去って行った。
「なによ、逆切れしてんじゃないわよ」
 と、美波の迫力に気圧されながらも不服そうに彩夏が言ったが、祐一は去って行く美波の後ろ姿を真面目な表情で見ていた。そんな中、勝太がおずおずと言った。
「ミナミサ、真面目に考えているみたいじゃない? 取材に応じてあげてもいいんじゃ…」
「なに甘いこと言ってんのよ!」
「なん甘いこと言いよーと!」
 彩夏と良夫にほぼ同時に言われ、勝太は首をすくめて祐一を見た。

 ギルフォードたちが、集団山見せという御披露目の催しを見るため、市役所前公園に到着すると、葛西が彼らを迎えた。
「みなさんの護衛を言付かってまいりました」
「オー嬉しいです、ジュン。ところで凄い人ですねえ」
「今年はウイルス騒ぎのせいで少ない方ですよ」
 周囲を見回して驚くギルフォードに葛西が説明した。その後、葛西は3人を市役所から少し離れた沿道に案内した。
「このあたりで見ましょう。山が来るまでもう少し時間がありますし日差しもまだ強いですから、そこらへんで待ちましょうか」
 4人は沿道の人ごみから離れて植樹帯の木陰に立った。ギルフォードがここぞとばかりに嬉しそうに葛西に警備状況を質問しているので、由利子と紗弥がそれを見てくすっと笑った。
「もう、浮気してる?」
「安心したのかもしれませんね」
「それにしても、良い天気で良かったけど、蒸し暑いねえ。また夕立でも降るかな?」
「まあ、それは困りますわね」
 そんな他愛もない会話をしていると、沿道からわあっという歓声が上がった。
「来たみたいです。前の方に行きましょう。由利子さんは僕と紗弥さんの間から離れないで」
 3人は葛西の指示に従っての人垣に加わった。
「ユリコ、見えますか?」
「うん大丈夫。アレクは楽勝だね」
「なんなら、おんぶして差し上げますが」
「ううん、遠慮しとく。私より紗弥さんの方が小さいから…」
「わたくしも遠慮しますわ」
 と、紗弥が間髪入れずに言った。
 最初に締め込み姿の小さい子たちが集団で走ってきた。
「まあ、可愛い!」
「可愛いね~」
 紗弥と由利子が口々に言った。ギルフォードがあることに気付いて言った。
「おや、女の子もいますね。女性は参加できないんじゃなかったですか?」
「えっと、初潮前の子供だったら大丈夫みたいよ。小学校以下の子が多いみたいだけどね」
「因みに」と葛西が付け加えた。「子供山笠の写真は許可なく撮影出来ません。けしからん目的の撮影を禁じるためですが。それでも撮影して検挙される人が出ますね」
「日本の暗部よねえ」
 と、由利子がつくづくと言うと、ギルフォードが言った。
「まあ、アメリカで子供に街中でこんな恰好させたら親が逮捕されそうですから、それだけまだ日本は平和なんですよ」
「そうなのかなあ」
 由利子は答えながら複雑な気分になった。
 しばらく子供や年寄りといった集団が続いた後、山が見えてきた。勢い水が乱舞し、山を担ぐ男たちに襲いかかる。
「来ました。一番山です。これに知事が台上がりしています」
「オー! すごいです」
「頑張って見なきゃ。これは撮影して大丈夫よね」
「大丈夫です。おっさんは問題ないです」
「おっさんて」
 由利子が苦笑しながら言った。
 おっしょい、おっしょいという、独特な掛け声と共に山が近づいてくる。リハーサル的なならしの時と違って、これはいかにも祭りと言った按配で、勇壮ながらどこか泰然とした様子を思わせた。山はだんだん由利子たちに近づき由利子は小型デジタルカメラを構えた。
「おや、ケータイのカメラじゃないんですね」
「せっかくだから、しっかりと撮らないとね」
 そう言いながら由利子がギルフォードを見ると、一眼レフを構えている。
「って、本格的じゃん」
「どうもこのファインダーから見ないと写真を撮った気がしないんですよね」
 と、ギルフォードが言った。
「って、来ましたよ」
「わあっ」
 由利子は急いでカメラを構えなおすと、目の前を掛け声と共に山が通過していった。ギルフォードはカメラのファインダーを通して、森の内が嬉しそうに赤い指揮棒を振っているのを見、数回シャッターを切った。
(”ほんとに嬉しそうだな.このまま何事もなく終わってくれればいいが”)
 ギルフォードは一抹の不安を感じながら思った。護衛で由利子の隣に立つ葛西も同じように祭りの無事終了を祈っていた。
(早く15日の朝が滞りなく終わって欲しい)
 その後、各流れが随時勇壮に通過して行った。四つ目の流れが通った後にギルフォードが言った。
「台上がりの方はむさいじーさまやオッサンばかりですねえ」
「仕方ないよ。だって、今日の台上がりは地元の名士とかいう人たちだし、そもそもベテランしか上がれないからそれなりのオッサンしか上がれないし。しかも女性は参加出来ないし」
「そういうところは僕としては賛同しがたい風習です」
「黒岩さんも似たようなこと言ってたな。私の解釈は、本来荒っぽい祭りで危険だから女性を寄せ付けないようにしたんだと思う。不浄の者って考えは許せないけどね」
「そうですか。そういう解釈もありますね。担いでいる若い衆には時折いい男を見かけます。あ、ほら、あの右端の舁き手…っていうんですか、彼、素敵ですね」
「うん、私もさっきから気になってた」
 そう答えてから、由利子はギルフォードと男の趣味が合致したことに少々複雑な気分になった。
「ところでユリコ、今日はあの大きな飾り山は出ないんですか?」
「今日のはエキシビジョンみたいなものなんだけど、飾り山は出ないよ。でも、最終日にはトリで走ったと思う。重いから競争には参加しないけどね」
「そうですか。楽しみですね。あれは迫力があります」
 ギルフォードが「楽しみ」と言ったので、由利子は嬉しくなった。5つ目の山が近づいてきたので、由利子は少し後ろに下がってギルフォードの後から写真を構え、彼の後ろ姿と通過する山を一緒に撮ろうとカメラを構えた。その前を勇壮な掛け声と共に、山が駆け抜けて行った。

 

続きを読む "2.疾走 (7)夏祭り勇壮に"

|

2.疾走 【幕間】ある夏の夜のこと

 降屋は極美のいるシェルターの地下にある病室にいた。病状がどんどん進み、耐えられなくなった降屋は、夕方になってからついに発症したかもしれないことを組織側に伝えたのだ。
 降屋の知らせを受け、すぐに迎えの車が来た。降屋は後部座席に座った。タクシーを装ったその車は、後部座席が仕切られて運転者や助手席と隔絶されるようになっていた。
 シェルターの地下に隔離されてすぐに、教主が駆けつけてきた。彼は発症しているかもしれない降屋を抱きしめ、涙ながらに許しを乞うた。
「降屋さん、本当に申し訳ありません。今から遥音先生に検査してもらいますが、もし、発症していた場合、教団の医療技術を尽くして全力であなたを治すつもりです。必ず助けます」
 降屋は感動して言った。
「長兄さま、もったいのうございます。しかし、この体がお役に立てるなら、どうぞ、研究のためにお使いください」
 すると、教主は驚いて降屋の手を取り言った。
「降屋さん、そんなことを仰らないで。私は同志であるあなたを実験動物のように扱うつもりはありません。いっしょにウイルスを克服しましょう」
「長兄さま…」
 降屋は感動に身を震わせながら言った。
「身に余るお言葉を賜り、感謝の言葉もありません。それより、長兄さまの計画の足を引っ張ることになってしまい、ただただ、己のふがいなさを呪うばかりです」
「そんなことを仰ってはいけません。病気が治ればまたあなたのお力を貸していただくことになりましょう。今は、治すことに専念してください」
 そう言うと、教主は降屋の手をしっかりと握った。

(長兄さまは、感染発症しているかもしれない俺を、危険を顧みずに躊躇なく抱きしめてくださった。なんと深い愛をお持ちなのだろう)
 数時間前のことを思い出しながら、降屋はまた感動に胸を震わせていた。
(そうだ、長兄さまに報いるためにも、何としてでもウイルスを克服し、第一線に復帰しなくては)
 降屋はさらに信仰心を深め、長兄への盲目的な追従を募らせていった。
 

 由利子は祭り見学のあと、K署に用があるという葛西に送ってもらって、早めに帰宅できた。
 おかげで夕食も早めに終わり、入浴もさっさと済ませてしまったので、時間にかなり余裕が出来た。それで、久しぶりに気合を入れてブログ更新をすることにした。
 最近は更新も滞りがちで(なにせ、書けないオフレコ事項が多すぎる)書いても簡易更新が主だったが、今日は祭りを見に行ったのでネタも写真もバッチリだ。しかも、ギルフォードからも気に入った写真のデータを数枚もらったので、挿入画像のクオリティも数段アップしそうだ。
「アレクってば意外と写真の腕いいんだね。本人はカメラの性能だって謙遜してたけど」
 由利子はそう感心した後、少しむすっとして言った。
「これ、絶対にカメラマンやれるよね。でもさー、なんか、何でもこなすオールマイティーってどうよ。まあ、いい奴だけど性格がちょっと複雑なのが玉に傷っちゃあ玉に傷か」
 などとブツブツ言いながら、2時間ほどで更新を終えた。
「あー、動画の一つくらい撮っておくべきだったかな。けっこういい位置にいたのにな。さて、メールチェックしたら寝よっと」
 そう言いながらウェブメールを開くと、ダイレクトメールやメルマガに混じって黒岩からメールが来ていた。開くと添付資料がついていた。

「篠原さん、こんばんは。なんか興が乗ったので、アレク様たちがモデルのキャラを描いてみたよ。タブレットで描いたんでデータ添付したから気が向いたら見てちょーだい。あとで明日の新幹線の時間確信してメールする。じゃ、また~」

「わ、早っ。気が向いた。ソッコー向いた」
 由利子は傍から聴いたら意味不明なことをつぶやきながらワクワクして添付を開いた。
「わ、黒岩さん絵、上手かったんやね。なんか乙ゲー(乙女ゲーム)みたいな絵だけど、こういうのが受けるのかね」
 由利子はそう言いながら添付画像をスクロールした。添付は鉛筆で描いたイラストに薄く着色したラフイラスト3枚。アレクサンダー皇子1枚、男装の女性騎士サヤ1枚。これらは1枚に同一人物を数パターン描いたもので、キャラ設定も試行錯誤したものが走り書きされていた。3枚目は数人の主要キャラが描いてあった。皇子の恋人にジュリアスがモデルらしき王女(実は男性らしいことが見え見えに描かれている)。葛西はここでも警察官的職業で警備隊の若き隊長という設定らしい。この二人は写真で見せただけなのに、よく特徴を掴んでいると由利子は感心した。如月はなにやら情報屋のような風情で参加している。
「え? ひょっとして、これ私? 『魔法使いキリノス』? て、どう見てもガチ男キャラだしイケメン杉だし、違うのかな。注釈があるやん。何々、『キリノスはギリシャ語で百合という意味』ィ? やっぱ私やん」
 由利子はそのままひっくり返って一人でケラケラ笑ってしまったが、夜も9時をとっくに過ぎていることに気が付いて口を押えた。

 祐一が、ほのぼの一家団欒を終え自室でネットを立ち上げ調べ物をしていると、携帯電話が鳴った。知らない番号だったので無視していると、留守録にメッセージが入った。
「西原君よね。私、美波です。電話に出て〜。出てくれなきゃまいっちんぐ」
「まいっちんぐってなんだよ。酔っ払ってんのかよ」
 祐一が文句を言っているとすぐにまた着信が入った。同一電話番号なのでミナミサに間違いない。祐一は出るべきかどうか迷ったが、昼間サンズマガジンの記事に本気で怒っていた彼女を思い出し、信じてみようかと意を決して電話を受けた。
「…はい」
「祐一君?」
「そうです」
「やったー!」
「いったいどこでオレの電話番号を仕入れたんですか?」
 祐一は(やったーじゃねえよ)と思いながら怪訝そうな声で訊くと、美波は悪びれた様子もなく言った。
「仕入れたって人聞きの悪い。まあ、そりゃあ、蛇の道は蛇といってだな…」
「何自分から言ってるんですか。ひょっとして酔っ払ってませんか?」
「失礼ね。このアタシがジンロックの一杯や二杯で…」
(やっぱり飲んでたんだな。しかも強いやつだ)  祐一は呆れてしまった。さっきまでの葛藤が馬鹿みたいに思えてきた。(くそ、出なきゃよかったぜ)
 祐一は後悔した。そうしたらだんだん腹が立ってきた。
「酔っ払っていようがいまいが、酒飲んでほぼ初対面の中学生に電話する大人ってどうですか。立派ですか?」
「あー、いちいち小言くさいね、この小息子は」
「小息子って、なんですか」
「小娘の男版よ」
「あるんですか、そんな言葉?」
「知らんわよ。でも小娘があって小息子がないって不公平じゃん」
「でも男には青二才っていう言葉があるでしょう」
「あー、ああ言えばこう言う。どこかの宗教の元フロントマンみたいなこと言うなぁ」
「よりによってその人例に出しますか」
  と、祐一はムッとしながら言った。
「アタシはね、この地位になるまで散々小娘がって言われてきたんだよね。そんで、そう呼ばれなくなったら今度は女だてらに出しゃ張るなっていわれてさ〜。今日もあの後、社に帰ったらいきなりデスクに呼ばれて、危険だから手を引けですよ。つい数日前には発破かけてたのにさ。嫌って言ったらこんどは今日は帰って頭を冷やせって言われて、もうワケワカメだっちゅーの」
 頼んでもいないのに会社の愚痴を聞かされた祐一は、こんどは困惑してしまった。
「あの」
 祐一は先が長そうだったので話に割って入った。
「そろそろ本題にはいりませんか? それとも愚痴を言いに電話したんですか?」
 一瞬の沈黙の後、美波が言った。
「はーっ、あんったってば、ほんっとに可愛くない子ね!」
「愚痴は後でゆっくり聞いてあげます」
「え? あ…、ああ、そう?」
 今度は美波が困惑して言った。
「えっとぉ、話っていうのは、他でもない、君とあのウイルス事件との関わりについてだけど…」
「ミナミサ…ん、あなたは今流行っているサイキウイルスに事件性があると?」
「とぼけないでよ」
「とぼけてません。きいているんです。なぜあなたがそういう風に考えたのか」
「企業秘密。でも、あなたの出方次第では教えてあげられるかもよ」
「それはこっちも同じですよ」
「…(ー ー;)」
 数秒間2人は沈黙したが、先に美波が言った。
「もう、もうもうもう、アンタホントに中学生? 何げに大人と交渉してんじゃないよ!」
「もし、あなたが本気でサンズマガジンの記事に対抗する気持ちがあるなら、あることをお願いしたいと思っています」
 と祐一は冷静な口調のまま言った。これには美波は本気で驚いた。
「へ?」
「お願いしたいのは、ギルフォード先生のことです」
「は? それってQ大のあの? そう言えば昼間、ギルフォード先生がどうとか言ってたっけ」
「そうです。先生はあのタブロイド紙に犯人のように書かれていました」
「あ、あの目線入りのガイジン!」
「それです。今はたかがヨタ記事ということで相手にされていませんが、この先どうなるかわかりません。だからせめて公平の立場に立って報道出来る信頼出来る人にお願いしたいのです。これは他の仲間たちも同じです」
「じゃあじゃあ、私の報道能力を認めてくれてるってこと?」
「能力はわかりませんが、正義感と報道マンのプライドはあると」
 美波は祐一の言った前半部分に若干の不満を感じたものの、自然と表情が緩んでいた。毒気はとっくに抜かれてしまっていた。
「わかった! あなたの依頼受けてあげる」
  酔った勢いもあって、美波は胸をドンと打つ勢いで言った。
「私も隔離された時、教授には会ったから。その時、あれに書いてあった様な人には見えなかったもん。だから君に言われるまで気づかなかったんだ」
「って、美波さん隔離とかされてたんですか?」
  美波はつい口が滑ってしまい、祐一に余計な疑問をもたれ、しまったと思ったが仕方がない。
「まあ、色々あったのよ。いずれ話してあげてもいいけど、今は勘弁して。思い出したくもないのよ。わかって」
「わかります」
 祐一の返事は美波の予想外のことだった。
「あの事件はオレにもトラウマを残しましたから」
「そっか。そういう意味では私達、仲間ね。明日、会える?」
「大丈夫です。午後からどうでしょう」
「場所は任せて。あなたのお友達もみんな来れるかな?」
「オレが交渉してみます。一人はともかく、残りの二人は難物ですが、なんとかやってみます」
「わかった。集合場所はO線のF駅がいいわ。時間を決めたらこの番号にメールしてくれる?」
「わかりました。善処します」
 そう言うと祐一は電話を切った。
「善処って何よ。ホントに中学生なの、この子?!」
 美波は半ばあきれながらつぶやいてスマートフォンを切った。
 ここに、美波とタミヤマリーグとの奇妙な連携が始まったのである。

(「第4部 第2章 疾走」終わり)

続きを読む "2.疾走 【幕間】ある夏の夜のこと"

|

« 2015年8月 | トップページ | 2015年11月 »