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2.疾走 (6)フェアウェル

 西原祐一が家に帰ると、母親が玄関まで迎えにきて言った。
「おかえり、祐一。勉強会楽しかった?」
「まあね。そのせいで、ちょっと帰りが遅くなっちゃったけど」
「連絡してくれれば多少遅くなるのは構わないけど、危ないことにだけは首を突っ込まんでね」
「うん、大丈夫だよ。あの時で懲りとおし、仲間たちにも迷惑をかけたくないし」
 祐一は答えながら靴を脱いで家に上ると、2階の自室に向かった。
「もうすぐご飯食べれるから、はやく着替えて降りてきてちょうだい」
 と、母の真理子は階段を上ろうとする祐一の背に向かって言うと、キッチンに向かった。しかし、数歩歩いてハタと足を止めると部屋に入ろうとしていた祐一に向かって言った。
「そうそう、夕方めんたい放送の美波美咲さんからあんた宛に電話があったよ」
 それを聞いて祐一は驚いて振り返った。
「ミナミサから? 何て?」
「なんか、あんたと話をしたいって言うからさ、まだ帰ってないけど何の件かって訊いたら、サイキウイルスについて訊きたいって言われたとよ。で、どこで聞いたかしらないけど、もう関わりたくないからって、断っとったけん。良かろ?」
「うん。ありがとう、助かったよ」
 祐一は笑顔で母親に礼を言うと、部屋に入った。着替えてからSNSを見ると、リーグの3人からそれぞれ同じ内容の書き込みが入っていた。一様に興奮した文面でミナミサからコンタクトがあったことを伝えていた。
「マスコミ、恐るべしだな」
 祐一はため息をつきながら言ったが、書き込みを読んでいるうちに苦笑してしまった。良夫と彩夏がSNS上でまで仲良く言い合いをしていたからだ。
「こいつら、つきあっちゃえばいいのに」
 祐一はぼそりと言った。


 その頃由利子はギルフォード達と黒岩の送別会で馴染みの居酒屋にいた。黒岩は、噂の教授と会えて大はしゃぎしている。帰りがけに一緒に写メ撮って娘に送るんだと喜色満面だ。しかし、黒岩もギルフォード同様下戸だったので、せいぜいノンアルコールビールが精一杯だった。由利子はそれでよくあのテンションを保てるなと感心していた。今日は葛西たちが来れなかったかわりに何故か研究生の如月がいた。ギルフォード曰く、女子ばかり連れていると周囲の男性からひがまれるらしい。真偽のほどはともかく、如月もまんざらではないようで張り切って幹事宜しく注文を仕切っている。
「あのキサラギって大阪弁の研究生、ひょうきんで面白いねえ。役に立つし、いい舎弟になりそうやね」
「こらこら、堅気の大学生になんてこというの」
「あはは、悪い悪い」
「で、こっちに帰った用件は終わったの?」
「うん、だいたいね。夫の骨もあちらのお墓に移すことになったんで、こっちで建てとったお墓も取り壊すことにしたんよ」
「え? じゃあ、お骨はどうやって運ぶの?」
「それがね」
 と、黒岩がにやりと笑って言った、
「お骨ってゆうパックで送れるのよ~」
「ええっ? ゆうパックって、マジ? なんてお手軽!」
「私も聞いて驚いたけど、ちゃんとホームページにも書いてあったよ。水分があった場合も水気が漏れないようにしっかり防水すれば大丈夫だって。で、送り状に『遺骨』って明記して大丈夫なんて」
「ひゃあー、なんて合理的。で、チルドゆうパック?」
「いや、普通の。そう腐るもんじゃないし」
「あ、骨だもんね」
「そういうこと。先に夫の実家に送っておいて、帰ってからみんなでお墓に納めに行くんだ。」
「そっか、旦那さんも久しぶりにご両親と会えるんだね。それにしても、よく決心したね。以前、旦那さんのご両親とはウマが合わないって言ってたでしょ?」
「そうなんやけど、夫の両親から真剣に説得されて実際暮らしてみたら、思ったよりうまくいきそうでさ、娘のことも可愛がってくれるし。まあ、夫が一人息子だったんで、老後が不安ってのもあったんだろうけどさ」
「ジンカン到るところにセイザンあり、ですよ」
 と、ギルフォードが話に割って入った。
「わあ、教授、聞いていらしたんですか」
「そりゃあ聞こえますよ。ルイコウさん」
「るい子です。黒岩涙香では作家になってしまいますよ」
「ははは、そうでした。ルイコさん、どこへ行ってもなんとかなるものですよ。僕なんか異国でもなんとかやってます」
「アレクは馴染みすぎでしょ」
 と由利子が言うと、ギルフォードは少し不満げに言った。
「こう見えてもけっこう戸惑うことあるんですケド。たとえばこの、勝手に出されてお金を取られるつき出しとか」
「なんかせこい」
「いや、そういうレベルじゃなくて、たとえば、スペインのバルではワインを飲むときタパスというつき出しみたいなものが出されますが、基本無料ですし」
「日本じゃメニューに載ってるし、有料だけど」
「ケチとかじゃなくて、勝手に料理を押し付けられてお金を取られるのが納得できないんです」
「そっかあ。そんなの考えたこともなかったなあ。私はこんなあん肝とか出てきたら嬉しいけどな」
「まあアンキモは美味しいですケド」
「あら、お骨から肝臓の話になっちゃいましたわね」
 紗弥に突っ込まれて由利子と黒岩が笑いながら言った。
「そういやぁ、そうだわ」
「たしかに」
「ところで、いつあっちに帰るの?」
「日曜の夕方かな」
「祭りのフィナーレまで見て帰ればいいのに」
「私はお祭りのある地元の人間じゃないし、そもそも女性が不浄とか言われるようなお祭りには興味ないし」
「たしかに、そういうところはあるよね。もともとは危険だから女性を寄せ付けないようにしようということだったのかも知れないけど」
「好意的に考えればね。それでも女性が邪魔だってことには変わりないよ」
「まっ、そんなこと文句言っても伝統化してしまったからには仕方ないしね。観光客でも潤う訳だし、いいんじゃない?」
「まあね。でも、今年はあまり客足の期待は出来そうもないみたいじゃない」
「うん、特に外国からの観光客が激減しているらしいね。在F外国人の県外脱出も増えているらしいし」
「それ、長野のニュースでもやってたよ」
「げっ、てことは、全国版でもやってたのか」
「まあ、祭りのニュースに関連してちょっとだけだったけどね。でも、これからは日本人にもそう言うのが出て来るかもね。福島の時みたいに。まあ、あたしゃ人のことは言えんけどさ」
「黒岩さんはそれで引っ越したんじゃないから、気にしなくてもいいでしょ?」
「でも、やっぱりちょっと心苦しいよ」
 そう言うと、黒岩はウーロン茶をぐいと飲み干し、タン!とテーブルに置いた。それを見て由利子が感心したように言った。
「酒呑みが濃い水割り飲み干したようにしか見えないねえ」
「え~? 単なる下戸の肴荒らしなんですけどォ」
「ユリコは質実共に大酒のみですよね!」
 と、ギルフォードがまた話に割って入った。何故か如月がうんうんと頷いていた。
「うるさいわね。どうせ一升飲んでも平気だよ」
「マジ?」
 と、黒岩が驚いて言った。
「篠原さん、飲めてもそれは飲みすぎ。肝臓壊すよ」
「ああ、大丈夫。呑みっ比(べ)する時しかそんなに飲まないから」
「おいおい、呑み比べって」
 黒岩が信じられないと言う表情で言うと、ギルフォードが右手の人差し指を立てウインクをしながら言った。
「じゃあ、こんど、紗弥さんと対決させてみましょう」
「お断りします!」
「お断りしますわ!」
 ギルフォードの冗談に、二人が同時に言った。

 黒岩のささやかな送別会は、和気あいあいとして終わった。黒岩とギルフォードは感染症話で大いに盛り上がっていた。
 居酒屋前で恒例の集合写真と、黒岩たっての願いだったギルフォードとのツーショット写真を撮った。カメラマンは黒岩のカメラを預かった如月だ。二人ともノリノリで写真に納まっていた。
「下戸の宴会テンションって案外すごいな」
 由利子が半分呆れながら感心していると、ギルフォードと黒岩が突撃してきた。由利子は二人にサンドウィッチされ、両方から頬にキスされてしまい、「きゃ~」と驚いて悲鳴を上げたところを、如月にバッチリと撮影された。ギルフォードと黒岩はハイタッチをしたあと両手で握手をして言った。
「いい記念になりマスね!」
「うんうん。教授、ありがとう。今日の写真、お宝にしま~す」
「もう、勝手にして!」
 由利子が両手を軽く上げた降参のポーズで言った。

「今日は面白かったよ。今までの飲み会で一番楽しかった。帰郷したらまた宴会してね~」
 ホテル前まで送ってもらった黒岩はそう言いながら、それぞれみんなと握手して去って行った。その後ろ姿に向かって由利子が言った。
「日曜日、見送りに行くよ! 出発時間教えて!」
「うん、ありがと」
 黒岩はそう言って振り返ると笑って手を振った。途中何度も振り返って手を振った。黒岩の姿が無事ホテルに入ったのを見届けると由利子がつぶやいた。
「ああ見えて、いろいろ不安なんだろうなあ」
「大丈夫ですよ。あっちでもお嬢さんと一緒なのですから。親子で暮らせるのが一番の幸せです」
 ギルフォードが少しさみしそうに言ったので、由利子は思い出した。
(ああ、アレクって小さい時にお母様亡くなられたのよね)
「アレクは私たちがいるから寂しくない?」
「ええ。君たちは僕のファミリーです。とても大事なファミリーです」
「そっか、家族か。嬉しいねえ」
「ユリコ、大好きです」
 ギルフォードはそう言いながら由利子を抱きしめ再びキスしようとした。
「調子にのんな!」
 雑踏の中にパーンという乾いた音が響いた。

 由利子を家まで送り届け、ギルフォードと紗弥が帰路についていた。
「サヤさん、楽しかったですか?」
「ええ。それにお料理もお酒も美味しゅうございましたわ。どうして?」
「はい、さっきからなんだか浮かない表情をしてますので」
 紗弥はギルフォードに言われて少し躊躇したが答えた。
「言うべきかどうか迷ったのですが…、実は、居酒屋を出てすぐに、すごい視線を感じたのです。殺気に近いような…」
「え?」
「それで、すぐに周囲を確認したのですが、それらしき姿も気配もわからなくて、ちょっと不安だったのです」
「殺気はすぐに消えたんですね」
「ええ。すぐに」
「妙ですねえ。サヤさんがカン違いするわけないし」
「ええ。でも、それ以来まったくそんな気配はなかったので、大丈夫かと思いますが」
「念のため、後で長沼間さんにお知らせしておきましょう。ユリコの周囲の警備を強化した方がいいかもです」 
 ギルフォードは先ほどとはうって変わった厳しい表情をして言った。

 由利子は部屋に帰って一息つくと、パソコンを開いた。メールチェックをすると、黒岩からメールと先ほどの写真が送られてきていた。

今日は本当にありがとう。すごく楽しかった! ジュンペーきゅんに会えなかったのは残念だけど、アレク様とお会い出来てサイコー! 紗弥さんも噂通り綺麗で凛々しくてステキだったねー。如月君もお世話係ありがとう。
ふふふ、あのね、アレク様をモデルにしたキャラ考えちゃった。

「え?」
 由利子は読みながら思わず驚いて声を上げた。
「黒岩さん、ひょっとして同人やってたのか。あ、だから毎年夏コミ前くらいにはいつも眠そうにしてたんだー」

ファンタジー物でね、国を追われた皇子の冒険もので、よくあるシチュなんだけど、ボディガードの女騎士は紗弥さんがモデルね。

「確かに内容はマンネリかもしれないけど、読みたい気もする」

大筋が決まったらまた教えるね。今からでもがんばったら夏コミイケるかもしれん。ラフ出来たら送るね。

「うわ、それめっちゃ見たい」

話それた。
今日は本当に面白かったよ。またやろうね! 次回は教授のパートナーのジュリーきゅんにも会いたいなあ。

「うん、うん。またやろうね」
 由利子は頷きながらつぶやいた。添付写真を見ると、みんなの楽しそうなひと時が写っていた。
「やだ、こんな写真まで送ってくれたんだ」
 それは、ギルフォードと黒岩と自分とのあの3ショット写真だった。
「ま、いっか。記念は記念だし。でも、残念だけど、これはブログにはアップ出来そうもないな。教授もあのタブロイド記事以来、写真のネット掲載は嫌がっているみたいだし」 
 それで、由利子はそれをプリントアウトしてみんなに配ることにした。

 真樹村極美は、シェルターに戻ってからもしばらく何もする気が起こらず、ベッドに寝転がったままぼうっとしていた。降屋のところからここに帰って来た記憶がほとんどないのだ。頭の中はまだ降屋の部屋にいるような感じで、完全に混乱していた。しかも、頭の芯にあのカクテルの影響が残っているのか、なんとなく体が熱っぽい。極美は時折ふっと頭の中をよぎる降屋との情事の記憶に自己嫌悪に陥っていた。
(まるで獣じゃないの)
 極美は「ビジネス」でもプライベートでも、こんなに獣じみた行為をしたことは未だかつてなかったのだ。見かけに寄らす、そっちの方では淡白なんだなとよく言われた。いったいあの飲み物は何だったのだろう。裕己さんは一体どこからあんなものを手に入れたのだろう? 
「まさか、ヤバい系の麻薬?」
 そうつぶやいた極美は、恐怖で心拍数が異常に上がるのを感じた。極美はこの期に及んで初めて降屋裕己という男について疑問を持った。その時、いきなり極美のケータイが鳴った。驚いて飛び起き電話に出ると、デスクだった。極美はベッドサイドに立ち焦って応えた。
「はい、真樹村です」
「どうした? 息が荒いぞ?」
「すっ、すみません、トイレに行ってたんで電話に出ようと急に走ったので…」
 極美はそう言って誤魔化したが、デスクは少し鼻で笑ったようにして言った。
「まあ、何でもいいやね。ところで、原稿受け取ったよ。メールじゃなくて郵送でプリントとCDRのデータを送ってきたんで驚いたよ」
「え? 届いた? 何が?」
「何がって、サイキウイルス特集第2弾だよ」
「え? 届いた!?」
 極美には何のことかさっぱりわからず混乱して鸚鵡のように同じ返事をした。何と答えていいかわからなくなったのだ。しかし、デスクは気にすることなく上機嫌で話を続けた。
「読んで検討するのに時間がかかったんで連絡が今の時間になったんだ。すまんね。いやあ、今回もいい出来だねえ。君にこんな才能があったとはねえ」
「いえ、その…」
「第1弾の時は売り上げが2倍になったし、今回も期待できそうだよ。今度臨時ボーナスを出そうかと思っているからな。そっちも期待しといてよ」
「は、はあ、はい…」
「どうしたの。気のない返事だね。嬉しくないの?」
「いえ、何か、現実かどうか信じられなくて…」
「ははは、そうか、そうか。これは来週の水曜日の号にねじ込むからね。じゃ、そういうことで」
 デスクはほぼ一方的に話すと電話を切った。
「サイキウイルス特集第2弾? なんで? そんなもの、まだ送った覚えないのに」
 極美はケータイを握りしめたまま、へたへたとベッドに腰を下ろした。極美は何が何だかさっぱりわからず、ただただ混乱するばかりであった。

 
***** 作者より *****

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