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2.疾走 (4)ヤヌス

 美波美咲は途方に暮れていた。
 「退院」してからの初取材で意気揚々としていたものの、現実は高い壁に阻まれていることに気が付いたからだ。最初はこのウイルス事件の真相を掴んでやるつもりだった。美波は本能的にこのウイルス過になにか人為的なものを感じていたからだ。
 しかし、長沼間に言われ、その後河部千夏と話して感染者の辛さを目の当たりにした彼女は、被害者の実態を調べてみようという気持ちになった。真相にはそのうち運が良ければ近づくことが出来るかもしれない。美波は軽い気持ちで取材に向かった。だが、実際ふたを開けてみると、取材拒否の連続だった。ひどい時には身分を告げただけで目の前で荒々しく戸を閉められた。
「やっぱ、厳しいなあ…」
 美波は自分の机に突っ伏してつぶやいた。
 今日行ったのは、感染の広がる元となった秋山家の遺族、ホームレスの安田を助けようとして感染した救急救命士の古賀正志の遺族、森田健二を車で轢いたことから感染した窪田栄太郎の親族、栄太郎から感染した笹川歌恋の遺族、秋山珠江から感染した川崎三郎・五十鈴夫妻の遺子たち(といっても成人でそれぞれ独立しているが)、秋山美千代から感染した森田健二の両親、健二から感染した北山紅美の遺族。
 秋山家では、唯一生き残った父親の信之は自殺未遂で未だ入院中、意識は戻ったものの後遺症が残り、その上精神的なショックが大きく身内以外は面会謝絶状態だった。信之の姉妹からはそっとしておいてほしいと静かに断られた。美波には二人ともどことなく怯えているように感じた。他の遺族たちも言い方の強弱はあれ、どれも似たような感じだった。特に川崎夫妻の子供たちは鼻先だドアを閉め、内側から「知らん、帰れッ!」「帰ってくれ!」と怒鳴られた。もっとひどいのは笹川歌恋の遺族たちだった。インターフォン越しに、「あんな恥さらしはもう縁を切った」と冷ややかに言い、あとは頑として応じなかった。
「縁切ったって、もう死んでるんじゃないよ」美波は思い出してブツブツ言った。「歌恋さん、可哀相だ」
 美波は長沼間の言った言葉が改めて心に刺さった。
「どーするかなあ。こうなったらあの子らに当たってみようかなあ…」
「あの子らってミナちゃん、ひょっとして…例の中学生たち?」
 赤間が言うと、隣で小倉がさらに付け加えた。
「なんだって、死んだ秋山雅之の友人たちに? そりゃまずいよ、未成年だし抱えているトラウマもきっと相当なものだよ」
「多分、周りのガードも硬いって、きっと」
「でもね」
 と、美波が言った。
「彼らが一番真実を知っているような気がするのよ。それに、彼らの取材をすることによって、むしろ彼らの真実を世間に知らせて正当化することも出来るわ。私たちの取材が彼らを守ることが出来るかもしれないじゃない?」
 そう言うと、美波はすっくと立ち上がった。
「さーて、明日からまた頑張るわよ!!」
「めげない人」
 赤間と小倉は一緒に言うとため息をついた。二人とも今日の取材で既におなか一杯なのであった。

 教主に呼ばれて、教主室に入った降屋は一瞬たじろいだ。横に幹部ツートップが並び、少し離れて遥音医師が立っていた。ツートップの一人、月辺が静かに言った。
「降屋君、何をしている。早く長兄さまの御前に参られよ」
「はっ。」
 降屋はそれにはじかれたように前に進んだ。教主は立ち上がるとにこやかに降屋を迎えて言った。
「降屋さん、よく帰ってきてくれましたね」
 しかし、その後席から離れて降屋のほうに向かうと申し訳なさそうに彼の両肩に手を置いて言った。
「あなたに勘違いをさせてしまって辛い思いをさせて申し訳ないと思っています。あなたは大切な私の兄弟です。私はあなたが必要です。戻ってくれて本当にありがとう」
 そう言いながら、教主は降屋を抱きしめた。
「長兄さま…」降屋は驚いて目を見張った。(長兄さまが僕を抱きしめて兄弟と言ってくださった。そして僕を必要としてくださる…!)
 感動した降屋はすでに目を潤ませていた。教主は降屋から離れ席に戻ると言った。
「降屋さん、実は困ったことがおきました。あなたが使用したウイルスの容器に欠陥があることがわかったのです」
「欠陥? それはどういうことですか?」
 と、降屋が訊いた。嫌な予感がした。
「ほんの微量ですがウイルスがもれていたようなのです。感染するには至らない量ですが、使用した場合、稀に感染するかもしれないという結果が出ました」
「そ、そんな…」
「本当に稀なことだというし、20日経過したあなたが感染している様子もありませんから大丈夫でしょう。しかし、このタイプは潜伏期間が長い。ですから念のためにワクチンを摂取してさしあげましょう。あなたもご存知のようにそのウイルスは進化型ですので従来のタナトスいや、もう公式にはサイキウイルスでしたね、それ用ワクチンでは効果が薄いですから」
「そのワクチンを打つと発症しないのでしょうか?」
 と、降屋は不安そうに言った。教主は遥音医師に向かって尋ねた。
「先生、大丈夫ですね」
「はい、もちろんです。すでに発症していない限りは」
 降屋は遥音の言葉の後半部分に不安を覚えながらも安心したようだった。
「それでは、善は急げです。早速ワクチンを打ってもらいましょう。降屋さん、どうぞ、医務室まで行ってください。先生、お願いします」
「はい。それでは降屋さん、こちらへ」
 降屋は遥音に促され、歩き出した。教主室を出る時、降屋は深々と頭を下げた。

 遥音医師は降屋へのワクチン接種を終え教主室に報告に入った。
「入ってください」
 と、インターフォンから許可する教主の声がしたが、それは妙に弱弱しかった。遥音はハッとして室内に急いで入った。ツートップは既に退室し、広い部屋には教主一人がぽつねんと机に座っていた。遥音医師の姿を見て教主は怯えた目で弱弱しげに言った。
「涼子さん…」 
「翔悟さん、戻ったのですね?」
「私はどれくらい眠ってました?」
「この前の講演の間は翔悟さんだったと思いますので、その後40時間くらいかと」
「降屋さんにはアレを打ったのですね」
「はい。長兄さまの仰せの通りに」
「ああ、なんということだろう。私を慕ってくれる降屋さんに、私はなんという仕打ちをしてしまったんだろう」
 そう言うと教主は頭を抱えて机に突っ伏した。遥音医師は驚いて教主に駆け寄ると、優しく肩に手を置いて言った。
「翔悟さんのせいではありません」
「いえ!」と、教主は顔をあげて言った。「やはり、私がやってるのです」
 そう言うと今度は顔を覆うようにして頭を抱え、話を続けた。
「私は幼いころから教祖の子として崇められていた反面、孤独でした。周りはへつらう大人ばかりで、母は教祖の威を借りて尊大に振る舞い、親として私を顧みてくれませんでした。唯一私を心から愛してくれた父は忙しくてなかなか私の元には帰って来ませんでした。幼い私は本当に孤独でした。先妻とその息子である兄と出会うまでは。
 ある時、私は偶然母が父に話していることを聞き、信じられない事実を知りました。私には双子の兄がいたのですが、死産だったと聞いていました。しかし、それは違ってました。跡目争いになることを怖れて、発育の悪かった方の兄は、こっそり殺害されていたのです。自分の分身が殺されていたことを知り、私は怒り、悲しみました。そして、同時に母への恐怖も植え付けられました。その夜私は、ガラスに映った自分の姿に語りかけていました。すると、兄が生き返ったように思いました。それ以来、私は鏡やガラスに映った自分と話すようになり、いつか、自分の姿を映さなくても、『兄』と会話出来るようになりました。その『兄』が私の意識と入れ替わったものが長兄なんです。長兄は私がウイルス感染して死の床にいた時、苦しみや恐怖、そして父が死んだことの悲しみから逃れるために私が作り出したもう一人の私です。私があなたに命じたも同然です」
「いえ、私は違う薬を、たとえば抗ウイルス薬や本物のワクチンを降屋さんに接種することも出来たのです。それをやらなかったのは私の意思です。私は長兄さまの人口のコントロールが必要というお考えにも同意しています。私は長兄さまにも翔悟さんにも…」
 しかし、遥音の言葉を遮って教主が言った。
「涼子さん、自分を偽らないでください。あなたのお姉さんであるハルネさんの治療に教団の財力と医学力が必要なのはわかります。でも、私はあなたがこれ以上罪を重ねて行くのは耐えられません。このままではあなたは人類史上最も多くの人を殺した科学者となってしまいます。原子爆弾で広島や長崎の人々を殺した科学者たち以上に。自分のためならもうやめてほしい、きっと、植物状態のハルネさんも同じ気持ちだと思います。早くここから逃げてください。長兄の計画はあなた無しでは継続出来ません」
「いえ、この教団を失くすわけには行きません。今、信者であるかどうかに関わらずこの教団を頼っておられる方が何千人といます。夫のDVや生活弱者などこの教団の福祉施設に身を寄せたり新たな生活を手に入れようとしている人たちです。ここが無くなれば彼らがまた元の辛い生活に戻ってしまいます」
「でも、涼子さん、このまま計画が進むと彼らだってただでは済まないでしょう。私は、このまま長兄が暴走を続けたらと思うと…、恐い。僕はたまらなく怖い…」
 教主は再び頭を抱え込み、椅子からずり落ちるとうずくまり震えながら言った。
「私は恐い、ただ、ただ恐いんです」
「翔悟さん」
 遥音医師、いや、涼子は教主を上から包み込むように抱きしめると言った。
「大丈夫です、私が、私がなんとか長兄さまの…」
「僕の何をどうしようっていうの?」
 うずくまった教主から震えが消え、からかうような声が湧きあがった。涼子の背に冷たいものが走り、とっさに教主から離れた。
「長兄さま? まさか…」
 驚いて目を見開く涼子の前で、くっくっと笑いながら教主がゆっくりと立ち上がった。
「君が僕を止めようと画策していることは知っていたさ。だけど、君はどうしても僕の手の内から逃れることは出来ないんだよ。それに、僕は翔悟と自由に入れ替われるけど、今の翔悟にはほとんどそれが出来なくなっているんだ」
「そんな…」
「そう、翔悟より僕の方が強いんだよ。翔悟はもはや、篠原由利子に僕の正体を見破られないためだけに存在しているんだ。僕が翔悟でいる限りは、彼女は僕があのデータの人物とは気付けないだろう。彼女の能力はそういう種類のものなのさ」
 そう言う教主には先ほどまでの弱弱しさは微塵もなかった。彼は机に片手をつくと、呆然と立ち尽くす涼子に向かって言った。
「さて、遥音先生。降屋に打ったウイルスの性質は?」
「は…はいっ」
 涼子ははっと我に返って答えた。
「通常のタナトス・ウイルスほど感染力は強くありませんが、熱には比較的強くなっております」
「火災や爆発等に対する耐性は?」
「それには細菌でも炭疽菌のように芽胞を作るような一部のものしか不可能ではないかと。ですからウイルスを爆弾に仕込むのは無意味かと。ただ…」
「ただ?」
「耐熱性の容器に入れてクラスター弾のようにばら撒けるようにすればあるいは…」
「なるほど。それは人の肉体でも良いわけだ」
「え?」
「独り言だよ。気にしないで」
 教主はそう言ったが、涼子には彼が何を考えているかがわかり、恐怖と非難の入り混じった眼で彼を見た。

***** 作者より *****

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