2.疾走 (3)ターゲット
ジュリアスはむくれていた。美波美咲の感染疑いが晴れたという情報を得、せっかく解放されると思ったのに、メガローチ捕獲作戦終了後3週間すなわち21日目までは隔離病室から出られないと言う。メガローチから感染した川崎三郎が発症まで10日かかったために、念のため倍以上の3週間まで隔離することに決まったのだと言う。
ふて寝しているジュリアスに、見舞いの人物がやってきた。
”よお、なにをむくれてるんだ?”
”!?”
ジュリアスは一瞬驚いて飛び起きたが、誰かを確認し知り合いだとわかるとまたごろんと横になり、腕枕をするとうざったげにブルームを見ながら不愛想に言った。
”なんだ、ヴァイかよ”
”なんだとはご挨拶だな”
ジュリアスから不機嫌な応対をされながら、ヴァイオレット・ブルームは怒ることなく飄々と言った。
”せっかくだから見舞いの花束くらい持ってきてやりたかったが、隔離病棟には持ち込めんのでね、あきらめたよ”
”いらねーよ、そんなもん。だいたい、シーバーフの隊長さんがこんなとこでなに油売ってるんだよ。さっさと仕事しろ”
”いやなに、ちょっとした野暮用でこっちに来たんでね。ついでに君の顔を見に来たんだ”
”言っとくけど、ぼくはパンダじゃないからな。ここの『窓』は日本の感対センターと違って四六時中丸見えなんで、居心地悪くてかなわないよ、まったく”
”まあ、動物園の動物の気持ちがわかっていいだろう”
”帰っていいぞ”
”まあ、そうぶんむくれるな。メガローチ捕獲オペレーション終了後21日ならあと1日か2日の話だろう”
”おまえな、一週間もこんなところに閉じ込められた方の気持ちになってみろ。そもそも、帰国後10日以上僕は野放しだったんだぞ。この隔離になにか意味があるのかよ”
”まあ、デス・ストーカー野郎の腹いせだろう。刺されたと思ってあきらめるんだな”
「たーけ! ほんなもんに刺されたら下手すりゃ死のーがッ!」
”出たな、名古屋弁”
”あんた、面白がってるだろ。しかし上官のことをそんな言い方して大丈夫なのかよ”
”位は確かに上だがヤツは今、私の上官ではない。命令系統は全く違うんでな。まあ、だからヤツも私が来ることにいい気持ちはしないだろう。もしなにかやましいことがあればなおさらだ”
”おい、あんたの本当の任務ってのはなんだ?”
”おっと、妙な勘繰りをするんじゃない。今日はさっき言ったようにお前の顔を見に来ただけだからな。それじゃ帰るとするかな”
”あ~、帰れ帰れ”
ジュリアスを鬱陶しそうに言うと、ごろんと仰向けになり足を組んだ。ブルームはクスッと笑ってジュリアスに背を向け数歩歩いたが、また振り返って言った。
”そうそう、ミスターカワベの件で日本に行って来た。ついでにアレグザンダーとも会って来たぞ。あいつめ、なんだか生き生きしとったんで安心した。もう大丈夫だな”
”たしかに腹が立つくらい生き生きしてたよ。悔しいが、僕には出来なかったことをあいつらがやってのけたんだ”
”まあ、何も知らなかったことが功を奏したんだろう。後は君が日本に帰って彼を支えてやれ。頼んだぞ。ここを出たら出来るだけ早く帰ってやれ。いいな”
ブルームは言うだけ言うと、さっさと帰って行った。ジュリアスは起き上がってベッドサイドに座ると、頭を掻きながらつぶやいた。
”結局からかいに来たのか、アレックスのことを頼みにきたのか、良くわからんし”
ジュリアスの部屋を後にしたブルームは心持ち微笑んでいたが、すぐに厳しい表情に戻り足早に去って行った。
20XX年7月10日(水)
こちらは朝のギルフォード研究室。
ギルフォードは来るとすぐにジュリアスの兄、クリス・キングに電話してジュリアスの解放を尋ねたが、念のため11日(日本では12日)まで隔離されるということを知らされた。電話を切り不貞腐れ気味のギルフォードを見て、由利子がこっそりと紗弥に言った。
「英語で良くわからなかったけど、あの様子じゃジュリーはまだ解放されてないようだね」
「ええ、金曜日まで隔離されるみたいですわ」
「なんで? ミナミサがシロってわかったんじゃん」
「それが、メガローチがどうのこうのと…」
紗弥が言いかけると、ギルフォードが割って入った。
「あのね。カワサキさんが発症まで10日以上かかったので、その倍を考えて3週間様子を見るんだそうですよ。バカバカしい。アツモノ(羹)に懲りてナマス(膾)を吹くとはこのことです」
「なんか、小難しい諺を言いながら怒ってるよ」 由利子が苦笑いして言った。「アツモノというのはこの場合エボラ熱を指すんかな?」
「多分そうでしょうね」
「ところでさ、時差あるじゃん。今、あっち(アトランタ)は何時?」
「こちらが朝9時過ぎですから、夜の7時過ぎくらいですわ」
「ふうん。あっちはまだ『昨日』なんだね」
すると、ギルフォードがまた話に割って入った。
「僕はちゃんと時差を考えてます。朝5時にかけたりしませんから」
「朝5時にかかってきたことがあるんだ」
「けっこう根に持つタイプですわね」
「聞こえてますよ」
と、ギルフォードは二人の方を見ないでパソコンのモニターに向かったまま言った。二人はお互いの顔を見て肩をすくめた。その時、何も知らない如月が鼻歌交じりで研究室にやってきて、教授室を覘いて「あ、皆さんおはようございます」と言ったが、なんとなく気まずい空気を感じて、首をかしげながら自分の定位置についた。由利子はそれに気づいて(彼も損な役割よね)と思ったが、その時ケータイにメールが届いた。見ると、元同僚の黒岩からである。
(あれ、黒岩さん、長野に引っ越すって言ってたけど、何かあったのかな?)
そう思って少し不安げにメールを確認したが、内容は、いろいろ手続きをするために明日こっちに帰って来て2・3日いるので会って夕食でもしないかという内容だった。由利子はすぐに返信をして、金曜の夜に黒岩と会う約束をした。
夕方、真樹村極美は地下街の一角で降屋を待っていた。昨夜ようやく彼の方から連絡をしてきたので、極美は熱心に彼を説得して会うまでにこぎつけたのだ。降屋の方もあてのない逃亡に疲れたのだろう、極美が想定していたよりもあっさりと説得に応じたのだった。極美は時計を見ると、不安そうに周囲を見回した。集合時間を既に10分ほど過ぎていたからだ。
(ひょっとして、場所を間違ったかしら?)
ホームタウンではない慣れない場所での待ち合わせに極美が不安を覚え始めた頃、後ろの方で小さく彼女を呼ぶ声がした。
「え? 裕己さん?」
極美はそうつぶやくとゆっくりと声の方を見た。そこにはグレーのパーカーを着、薄い色のサングラスをかけ目立たないよう、ダークグレーのキャップを目深にかぶった降屋が立っていた。
「裕己さん! どうしてたの? 心配してたのよ」
「しっ。小声でお願い」
「ごめんなさい。でも見違えたわ。一瞬誰かわからなかったもの。いつもお洒落なスーツ姿だったし」
「こんな無精ひげの地味なオッサンになってるとは思わなかったかい?」
降屋は笑顔で言ったが、どことなく精彩にかけていた。しかし、極美は首を横に振って言った。
「ううん。それはそれで渋いと思うわ。それよりとにかく訳を説明してよ。私、取材の続きが出来なくて困ってたのよ」
「しばらくの間取材は無理だ。それよりしばらくここを離れたいんだ。当面東京の君ん家にかくまってほしいんだけど、だめかな」
「ううん、せまいマンションでいいなら私は構わないけど、でも、まず訳を説明して」
「それは出来ないんだ。ただ、ちょっと事情があっておおっぴらに出歩けなくなったんだ」
「それって、長兄さまを怒らせたから?」
「何故それを?」
降屋の表情が固まった。
「長兄さまが私のところにいらっしゃったのよ」
「長兄さまが君の部屋に?」
降屋は呆けたように鸚鵡返しをすると、一歩後ろに下がった。極美はその過剰な反応に驚いた。
「長兄さまは、あなたが誤解しているとおっしゃっていたわ。あなたのことをそれは心配なさっておられたのよ」
「誤解? 僕が?」
降屋は戸惑って言ったが、すぐにギョッとして振り返った。そこにはいつの間にか月辺とその部下が立っていて、あたかも待ち合わせをしていたように手を挙げて挨拶し「やあ、降屋君。久しぶりだね」と言いながら近寄ってきた。
「月辺主教さま…。極美さん、君…」
降屋が極美を非難する様な目で言った。しかし、当の極美も何が何だかわからず混乱していた。
「違うわ。確かに私、長兄さまからあなたから連絡があったら知らせるように言われてたけど、あなたがあまりにも必死で知らせないでくれっていうから黙ってたのに…。そもそもこの人たち誰?」
極美の疑問に月辺が恭しく礼をして言った。
「わたくしは長兄さまの片腕として仕える月辺と申す者です。降屋が必ずあなたと連絡を取るだろうと見越して、申し訳ありませんがあなたを見張らせていただきました」
「ひどいわ。せめて私の了解を取るべきじゃないですか!」
「こうでもしなければ、降屋に気付かれてしまい、保護することは出来なかったでしょう。極美さん、これは降屋君のためでもあったのです。不愉快な思いをさせて申し訳ない」
月辺は極美に対して深く礼をすると、降屋の方を向いて言った。
「さて降屋君」
降屋はすでに観念した様子で、楽しげに談笑する男3人に囲まれていた。傍目には、友人か会社の同僚が待ち合わせて合流したと言った風情に見えた。月辺に呼ばれた降屋は、少し不安そうに彼を見た。月辺はそんな降屋を安心させるかのように笑顔で言った。
「長兄さまが君にお話があるそうです。極美さんの言うとおり、長兄さまは心から君の身を案じておられるのですよ」
「私の身を? 長兄さまが…?」
「そうですよ。慈愛に満ちたあの方を疑うとは、罪深いにも程があります」
「長兄さまが、私を…」
「さあ降屋君、行きましょう。さ、皆さん、降屋君を車まで案内してください。では、極美さん、心配させてすみませんでしたね。降屋はもう大丈夫です。あなたはシェルターに戻って待機していてください。よろしいですね」
月辺は極美に言うと、降屋たちの後に続いて去って行った。極美は納得出来なかったが、月辺の丁寧で穏やかな口調に何故か強い圧力を感じて、それ以上抗議することが出来なかった。
教団のF支部に戻った降屋は、教主室の隣の控えの間でおとなしく座っていた。その姿は、今までの自信に満ちた華やさが微塵もなく、必要以上におどおどして見えた。控えの間には、教団屈指の美しい女たちが4人ドアを背に並んでいた。しかし、彼女らはヴァルキリーと呼ばれる教主の私設SSの小隊であり、その強さも教団屈指であり、降屋がもしここで抵抗したとしても、敵う相手ではなかった。降屋はそれを知っており、彼の落ち着かない様子は彼女らもその一因だった。
(この女たちがこちらに来ているということは、作戦が本格的に動き出したのだろうか。オレには新たな仕事が科せられるのだろうか。それともまさか…)
降屋が最悪のケースを思いついてぞっとした時に、教主室のドアが開いて黒スーツの男が出て来た。降屋は男を見て立ち上がったが、すぐに女たちに座らされた。
「”ロキ”…!」
「おや、”グングニル”」
と、男が笑顔で言った。「いったいどうしたんだい、君ともあろう者が」
「長兄さまからお呼びを受けただけだ。君こそなんでここに来ている? こことの繋がりが知れるとまずいんじゃないのか?」
「俺は公安警察として聞き込みの一環で来ているだけだよ。F県内にある新興宗教団体の調査が俺の任務だ」
「で、君が来た本当の目的は?」
「長兄さまからお預かりしたシンジュサンが殺されてしまったのでお詫びに来た」
「お怒りにならなかったか?」
「最初涙を流されたが、我が碧珠の御為に命を失ったのだから、これで輪廻の順序が一足飛びに上がって、次の転生は人となれるだろうと、むしろ喜んでおられた」
「虫にすらそのような愛情を注がれるとは…」
「まったくだ、長兄さまの御心のなんと豊かであることか」
「我々など足元にも及ばない」
「それに、新たな御指示もいただいた」
それを聞いた降屋はため息をついて言った。
「そうか、うらやましいな」
「気に病むな。計画は順調だそうだ。君にも新たな御指示があるんじゃないか?」
「そうだと良いが…」
「すべては我が碧珠の御意志だとおっしゃっていた。君のスタンドプレーに御咎めはないさ」
「で、君の新たな任務とは?」
「長兄さまは以前から俺の上司をいたく気に入っておられてな、仲間に取り込みたいとおっしゃっている。今、部下が植物状態になっているが、その前の北山紅美の死もかなり堪えているだろうから、さすがのあの男も隙が出来るだろう、そうおっしゃって…」
”ロキ”がそこまで言った時、降屋が呼ばれた。
「降屋様、長兄さまの御前に参られませ」
「は、はいっ」
降屋は慌てて立ち上がると、もう”ロキ”には目もくれずに教主の部屋に向かった。
「やれやれ、あいつの長兄さま好きは尋常じゃないからな」
”ロキ”は呆れたように言うと、ヴァルキリーたちに会釈をして控えの間を去った。
同僚に二度に渡って重体の大怪我を負わせた挙句植物状態に追いやった、教主が”ロキ”と呼んでいた男の正体は、あろうことか長沼間の部下であった。
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