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1.攪乱 (9)フライデー・ナイト・フィーバー

 長い間お休みしていて申し訳ありませんでした。更新を待ってくださった方々、応援コメントをくださった方々、感謝いたします。これからも教授以下愛すべきキャラクターたちの応援をよろしくおねがいします。

20XX年7月5日(金)

 由利子たちは、T神の街中にいた。
 今日は、ギルフォードや紗弥が楽しみにしていた、祭りの山車めぐりなのだ。由利子は目立つ二人を引き連れて、若干得意に思っているのかいつもにまして軽快に歩いている。対して、ギルフォードは若干物足りなさそうに言った。
「ジュンが来れないのは残念でした」
「まあ、平日だし、仕事が仕事なんだし、仕方ないよ。でも、夜の飲み会には来れるようだし」
「あれはジュンの昇進祝いですから、主賓が来なきゃ意味ないです」
「ブツブツ言わない。今日は近場で3カ所ほど見る予定だからね。ほら、1カ所目が見えてきたよ」
 由利子は商店街の広場を指差して言った。その方向を見ると、10mほどの「飾り山」と言われる大きな山車が姿を現した。
「オー、アレがそうですか」
 ギルフォードはそういうと駆け足で近寄った。紗弥も後に続く。
「Fantastic! 素晴らしいです!!」
「きらびやかで勇壮ですわ」
「昔はこれよりでかい10mを超える山を担いでいたそうなんだけど、明治以降、電線が普及したために、飾り山と舁き山に分化したんだって。ここの飾り山は唯一の動く飾り山で追い山の時奉納されるんだよ」
「そうですか。当時の雄姿を見たかったですね」
「神社(※)側を向いたこっちの面を『表』反対側を『見送り』といいます。表には武者物、見送りにはアニメや童話がテーマになることが多いです。Yドームの飾り山のように表に地元球団を持ってくることもあります」
「これは『本能寺の変』がテーマなんですね」
 と、ギルフォードが飾りを見上げながら言った。
「そうです。この裏の見送りの方は、今年話題のアニメ『素戔嗚(スサノオ)』です」
「オー、有名なヤマタノオロチ退治ですね。古事記の中でも僕も好きなお話です。・・・あの美しい若武者は、モリ・ランマルですよね」
「正解。さすが、良く知ってるなあ」
「下の方で勇ましく構えている長身の武者は黒人のようですが、この時代の日本に外国人の家来がいたんですの?」
「織田信長は新しもの好きで、外国のものを積極的に取り入れていたのよ。
 キリシタン弾圧が始まったのは秀吉以降からで、信長の代はむしろ重宝されていたみたいだよ。で、この黒人の家臣は、宣教師が連れていた奴隷で、彼を気に入った信長が宣教師から譲り受けたそうだよ。信長は彼を弥助と名付けて、たいそうお気に入りで行く行くは城を与えるつもりだったみたい」
「へえ、そうなんですの」
「本能寺の変の時も弥助は居合わせて、戦ったものの降伏して、明智光秀に南蛮寺に送られて、その後の記録はほとんど残ってないらしい。一説には故郷のモザンビークに帰ったというのがあるけど」
 由利子の解説に、ギルフォードが感心して言った。
「そうなんですか。意外な歴史ってのがあるんですね」
「弥助にはもっと屈強なイメージがあったけど、この弥助は細身の長身で、なんとなくジュリーに似ているよね」
「まあ、由利子さんもそう思います?」
「そういえば、ジュリーはあれから?」
「特に進展はアリマセン。腹が立つんで僕はそれに関しては考えたくないです。あっち見てきます」
 そういうと、ギルフォードは反対側に行ってしまった。
「ありゃ、地雷だったかな?」
「気にしなくてよろしいですわ。わたくしたちもあちらを見に行きましょう」
 紗弥もそういうとさっさと歩き始めた。由利子は小走りで紗弥の横に並ぶと歩きながら訊いた。
「紗弥さんは、心配じゃないの?」
 すると、紗弥は足を止め、声を落として言った
「ジュリーのことですか?」
「うん」
「詳しくは話せませんが…」
 紗弥は前置きして言った。
「実は、ジュリーの隔離には教授の天敵が関わっているので、もちろん心配はあります」
「天敵?」
「ですから」紗弥はさらに小声で言った。「その説明は勘弁してください」
「う~ん、わかった。ごめん」
「でも、ジュリーが感染している可能性は少ないですし、サイキウイルスについては彼も私たちが知っている以上の情報は知らないでしょう。むしろ、今はCDCなどのサイキウイルス解析チームのほうが詳しいかもしれません。ジュリーの隔離は嫌がらせの範疇でしかないでしょうから、彼自身に危害が及ぶとは考えられません。まあ、監禁先でやきもきしているとは思いますけどね」
「うわあ、紗弥さんアレクみたいな解説」
「ええ、教授もこの程度の判断は当然しているのでしょうが・・・」
「さすがにパートナーのことになると、ってことね」
「そういうことですわね。では、参りましょう」
 そういうと、紗弥は再び「見送り」の方に向かって歩き始めた。

 降屋裕己は教主に呼ばれて控室に向かっていた。
 教主は都内で行われる講演のため2日ほど教団の総本山に戻っていたが、今日はF市内での講演のためF市入りをしたのだった。
 控室を数メートル前にした時。二人の「ナイト」と呼ばれる教団警備員に支えられるようにして、若い男が部屋から出てきた。すれ違いざまに見た男の顔は、焦点が定まっておらず、なにやらブツブツと言っている。
(長兄さまに珠映しをされたんだな。何をやらかしたんだ、あのアンちゃんは?)
 そう思いながらドアをノックすると、ドアがすっと開き白いスーツ姿の女性が彼を招き入れた。部屋では教主が鏡を背にして座り、くつろいでいた。
「長兄さまにはご機嫌麗しく…」
「御足労様です。さあ、こちらに」
 教主は例の人をひきつけずにはおれないような微笑みを浮かべて降屋を招いた。しかし心なしかいつもより楽しそうな様子だったので、降屋はいぶかりながら、教主の前にくると跪いた。
「降屋さん、堅苦しい挨拶は良いですよ。お立ち下さい」
 降屋は促されて立ち上がるなり、訊いた。
「あの、ぶしつけとは思いますが、今連れて行かれた男は何者です?」
「ああ、彼は、撮影禁止としている私の姿をスマートフォンで撮影しようとしたところを、ナイトたちに退去させられたのですが、私は彼からその訳を知りたくてお呼びしたのです」
「携帯電話やスマートフォンの普及により、無断撮影が横行するのは困ったことです。それで、彼の目的は?」
「彼の病気の母親が、私に会いたがっているのに病院から出られないということで、せめて写真ででもいいから会わせたいと…」
「泣き落としですね」
「私はもしそうであれば、お母様に会いに行くこともいとわないと提案したのですが、いろいろ言い訳をして会わせられないと言いますので…」
「どうも怪しいですね」
「はい。それで彼女が問い詰めたところ、」と、教主は隣に立つ白スーツの女性を一瞥して言った。「話題の教主の写真を掲載してSNSのアクセス数を伸ばしたかったという本音を言ってくれました」
「そうですか。警察の犬でなくてよかったですね」
 降屋はそう言ったものの、内心、男の本音を聞き出したのは教主の力だという確信はゆるぎなかった。教主に会った後呆けたようになった者たちを見たことが少なからずあったからだった。この事にはあまりふれない方がよさそうだと思った降屋は、話題を変えた。
「ところで長兄さま、今日は心なしか楽しげなご様子ですが、何か良い知らせでもあったのでしょうか?」
「楽しいことも困ったこともありますよ。楽しみなのは、以前仕掛けたことが動き出しそうだということです」
「それは、どのような…?」
 降屋が訊くと、教主は笑顔で答えた。
「降屋さんは知らなくて良いことです」
「申し訳ありません」
 教主の笑顔とは裏腹な険のある物言いに、降屋は嫌な予感を覚えそのまま黙って教主の言葉を待った。
「さて、降屋さん。要件に入りましょう。これを見てください」
 そういうと、教主はA4用紙に印刷した絵を見せた。
「え? 何ですか、これは? 信者の子供が描いた落書きでしょうか?」
「いえ、よくごらんなさい。誰かに良く似ていませんか?」
「だれって、え?」
 降屋は控室の鏡に映った自分の顔を見て驚いた。
「私?」
「これは、ある筋から得た現在警察内で配られている重要参考人の手配書の似顔絵です。これを描いた者は天才ですね。見る者を失笑させた後、否が応でもその顔を印象付けます」
「こんなもの、否定くらいいくらでも出来ます!」
「しかし、これが公開され、気付いた誰かに写真を撮られてそれが美波美咲に確認されたらどうなります?」
「それは…」
「困ったことになりましたね」
「申し訳ありません」
「いえ、あなたが良かれと思ってやったことです。そして、実際に効果がありました。しかし、美波美咲に2度顔を見られたのは失敗でした。2度目の状況から彼女に疑いをもたせてしまった。彼女が報道関係の人間でなければ何の問題もなかったんですが、このままではせっかくうまくかみ合っていた歯車が狂ってしまうかもしれません。あなたから我が教団に疑いがかかることは必至でしょうから」
「私はどうすれば…」
「しばらくは行動を自粛してください」
「そ、それは…」
「いいですね? その間、嶽下の件はなんとかいたしましょう」
「はい…」
 一見穏やかな教主の顔の下にある、ただならぬ威圧感を悟った降屋は、成す術もなく了承するかなかった。

 葛西は予定時刻より20分ほど遅れて宴席にやってきた。
「すみません、遅くなりました!」と、葛西は入り口で靴を脱ぎながら言った。「わざわざ個室とってくれたんですね」
「葛西君、おっそ~い。主賓が遅れちゃダメじゃん」
「すみません。会議が長引いちゃって」
 葛西は謝りながら席につき、すぐさま注文を聞きに来た店員に生ビールを注文した。
「会議でもめたんですか?」
 と、ギルフォードが訊ねた。葛西はお手拭の袋を開けながら、抑えめの声で答えた。
「ええ。例のミナミサを嶽下から救ったと言う男の似顔絵が完成したのですが、ミナミサの証言の信憑性について疑う者も少なからずいて、捜査に人員を割くべきか否かで意見が分かれまして…」
「たしかに、信じがたい話ではあるけど、さ」
 と、由利子が言った。
「もし、それが本当なら、結城のほかにもウイルスを持ち歩いているヤツがいるってことでしょ?」
「そうなんです。だから、僕たちは捜査すべきだということを主張したんですが、なかなか・・・」
「それで、どうなったんですか?」
「結局、富田林さんのチームが捜査に当たることになりました。ところで、ミナミサの証言から男の似顔絵を作っているのですが、顔探知機の由利子さんにも覚えていてほしいのですが、いいですか?」
「そりゃ、私で良ければ構わないけど、いいの?」
「はい。これなんですが・・・」
 というと、葛西はスマートフォンを出し画像を由利子に見せた。
「あ、葛西君スマホにしたん?」
「支給品ですが」
「私もいい加減ガラケーから…」
 そう言いながら似顔絵を見た由利子が噴き出した。
「葛西君、こ、これ……」
「笑わないでください。モンタージュ写真なんかより、こういう絵の方が意外と逮捕につながったりするんです」
「僕にも見せてください」
 というと、ギルフォードが葛西の手を掴んでスマートフォンの画面を自分に向けたが、すぐに口を押えて「ぷぷぷ」と笑った。その横でチラ見した紗弥が下を向いた。葛西は困った顔をして言った。
「もう、勝手に見ないでください」
「ジ、ジュンが描いたのですか?」
「断じて違います!!」
 葛西は全力で否定した。

 そうこうしているうちに、葛西のビールが来た。
「お~、来た来た」
早速由利子が受け取って葛西に渡した。葛西は受け取りながら聞いた。
「そういえば、皆さんは何をお飲みで?」
「紗弥さんは生(ビール)で、アレクは濃いめの水割りに見えるけどウーロン茶ね」
「ユリコは突端から冷酒頼んでマシタ。1杯目一気飲みして今2杯目です」
「さっすが、酒豪~!」
「うるさいわね。あんた遅れてきたから続けて3杯飲まそうかい?」
「オー! かけつけ3杯!」
「アレクってば、ほんと、なんでそんな言葉ばっかり知ってるの?」
 由利子が呆れていると、葛西がすまなさそうに言った
「僕は仕事が残っているんで、職場に戻らないとならないので、お酒はビール1杯で勘弁してください」
「え~? 葛西君のお祝いなのに飲めないのォ~?」
「だって、祭りのせいでいろいろ大変なんですよお」
「まあまあ、ユリコ、仕事なら仕方ないじゃないですか」
「そうですわ。葛西さん、飲めない分沢山食べてくださいね」
「はい、それはもう」
 しかし由利子はひとり不満そうに言った。 
「え~、つまんなーい、つまんなーい」
「あ、珍しいシチュエーション。酔っぱらってるんですか、由利子さん?」
「私がこれくらいで酔うかい」
 と、由利子が若干仏頂面で言った。
「そもそも僕は、レストランでやろうと思ってたんですが、ユリコが堅苦しいのが嫌だ言うんで居酒屋にしたんですよ」
 ギルフォードが店の選択理由をこっそり葛西に説明すると、葛西は頷きながら言った。
「きっと、レストランじゃ冷酒とか呑めないからですよ」
「なるほど、納得です」
「あんたたち、聞こえてるよ」
 由利子は二人を横目で見ながら言った。なんとなくごちゃごちゃしてきたので紗弥が収拾に回って言った。
「そろそろ、乾杯しましょう。ボウフラが湧いてしまいますわよ」
「ボウフラは湧きませんよ。成虫が卵を産まないと・・・」
「たんなる日本語の言い回しですわ。それよりさっさと乾杯の音頭をとってくださいまし」
「え? 僕が?」
 ギルフォードが自分の鼻先を指しながら驚いて訊くと、紗弥が涼しい顔で答えた。
「はい。勿論ですわ」
「こうことは年長者がやるもんでしょ」
 由利子からも言われ、ギルフォードは肩をすくめると姿勢を正して言った。
「コホン、それでは…。不肖アレクサンダー・ギルフォードめが、乾杯の音頭をとらせていただきます。カサイジュンペイ君の昇進とこれからのご活躍に、Cheers! カンパイ!」
「かんぱーい!」
「みなさん、ありがとうございます。経緯を考えるとあまり素直には喜べないけど、多美さんの分もがんばります!」
 葛西の言葉に、3人は惜しみない拍手を贈った。葛西は、皆からのエールに戸惑いと嬉しさの入り混じった笑顔で恐縮していた。
「それにしても、ナガヌマさんが来れなくなったのは残念でした」
「仕方ないです。部下の人があんなことになってしまったんですから、宴会の気分じゃないでしょう」
 そういうと葛西が表情を曇らせた。由利子が聞いた。
「松川さんね。手術は成功したのに、病院内の事故でまた昏睡状態に戻ったっていう」
「今回は植物状態と言うことで、回復の見込みは絶望的だと…」
「いったい何があったの?」
「ユリコは聞かない方がイイと思います」
「そうですよ。僕もぞっとしましたから」
 二人に言われて由利子の好奇心はますます煽られた。
「そんなこと聞いたら余計に訊きたいじゃないのさ」
「じゃ、後悔しないで下さいよ」
 ギルフォードが妙に真面目な表情で言った。由利子が少し息を呑んで答えた。
「うん」
「病室にね、大形の蛾が入り込んでたんです。というより、何者かが置いていったらしいのです」
「大形の蛾? ヤママユガみたいな?」
 すると、葛西がすまなさそうに言った。
「由利子さんがトラウマになったシンジュサンだったようです」
「うわ」
「麻酔の切れた蛾は照明の光で目を覚まして、最初病室を飛び回ったようですが、悲鳴を聞いた長沼間さんが病室に駆け込んだ時、松川さんの顔に止まっていたそうです」
「げっ。私ならそれだけで発狂しそうだわ」
 やっぱり聞かなきゃ良かった。由利子は思ったが、聞いてしまったものは仕方がない。
「松川さんも苦手だったそうで、そいつから逃れようとして暴れたために、生命維持装置が体から外れて、それが致命的なダメージになったようです。心臓マッサージでなんとか息は吹き返したみたいですが」
「よりによってなんで顔に…」
「どうも、雌のフェロモンらしき物質が額から検出されたみたいです」
「うひゃあ、勘弁してほしいわ」
 由利子は肌が粟立つのを感じ、身震いした。その横で紗弥が訊ねた。
「それで、犯人は?」
「わからないんです。ちょうどトンネル事故の負傷者が担ぎ込まれた時で、病院内が騒然としていた時らしくて、しかも、病室付近には防犯カメラの設置はなかったということで、蛾を置いた犯人も、フェロモンを付けた犯人も、それが同一人物だったかどうかすらわからないそうです」
「なんで監視カメラつけてなかったのさ。テレビドラマだったら絶対にツッコミいれるとこだよ」
「長沼間さんもそれを悔やんでましたが、病院の意向で仕方なかったらしいです。患者さんやご家族から苦情が出るらしいのです」
「それにしても」と、由利子が訝しげに言った。「どうして松川さんが狙われたのかな」
「それは、自明のことですわ。よほど松川さんの記憶が戻って欲しくなかった方がいらっしゃるのでしょう」
 紗弥の言葉に、他の3人が顔を見合わせた。

 ささやかな祝賀会が終わると、葛西は県警の方に戻って行った。彼は名残惜しそうに3度ほど振り返って手を振っていた。
「ホントにイイヒトですよね、ジュンって」
 と、ギルフォードがしみじみと言った。
「さて、ミナサン、これからどうしましょう? 2次会に行きますか、帰りましょうか?」
 気持ちよく酔っぱらった由利子が陽気に言った。
「そりゃあ、2次会だよ~。 さ~、カラオケ行こかぁ?」
「ユリコはカラオケ好きですね」
「そりゃあ、フラストレーション発散にはもってこいじゃん。結城のせいで、ここんとこもやもやしちゃってるからさー」
「そうでしたわね。では、参りましょう。でも、金曜の夜のこの時間は、どこも満室かもしれませんわね」
「ま~、適当に当たってみようよ。どっか空いてるって。西通りの方に出たらけっこうカラオケ屋があるからそっち行こ!」
 由利子はそういうと歩き出した。あとの二人もそれに続いた。歩きながら由利子は、周囲の浮かれた様子を見てつくづくと言った。
「しかし、平和だねえ。祭りの最中とあって、みんな、いつもより余計に浮かれてるし。ウイルス騒ぎなんて、他所の話みたい」
「そうですね」
「あ~、浴衣着てるコけっこういるな。私も着て来ればよかったなあ。紗弥さんの浴衣姿も見たいよ」
「あらまあ、由利子さんが一番浮かれていましてよ」
 紗弥が珍しくクスッと笑って言った。祭りで紗弥の気持ちも少し高揚しているのかもしれない。しかし、3人が少し人通りの少ない路地に差し掛かった時、紗弥の表情がいきなり変わった。美しい眼にナイフのきらめきが宿り、身構えた。その直後、3人は人相の悪いいかにもな男たち数人に囲まれてしまった。
「しまった。不覚でしたわ」
 と、紗弥がポーカーフェイスのまま言った。ギルフォードも相槌を打って言った。
「そうですねえ。やっぱりサヤさんも浮かれてましたね」
「そのようですわ」
 この状況にそぐわない二人の会話に、由利子が呆れて言った。
「何二人とも落ち着いてるのよ。何よこのヒトたち?」
「ほんなこつ、きさんら、何ば落ち着いとぉとか」
「何よ、あんたたち」
「しのはらゆりこって奴ぁ誰だ?」
「僕は違いますよ」
「だぁほっ! 見たらわかるわ」
「私ですけど、何の用ですか?」と、由利子が自ら名乗った。「キャッチや 宗教の勧誘ならお断りしてますけど」
「あんたのせいで、ウチのお嬢がえらい目にあったんや。ちょっと落とし前をつけてもらおうか」
「お嬢って蘭子さんのことかしら? オトシマエって、そもそも逃げようとした、その『お嬢』が悪いんじゃないですか」
「つべこべ言わずにちょっと顔を貸してもらおか?」
「いやです!」
 由利子が言うとともに、紗弥とギルフォードがガードするように彼女の前後に立った。
「これは本当にお嬢さんが命令したことですか? 彼女がこんな短絡なことをするとは思えないのですが」
 ギルフォードが問うと、兄貴分らしき男が答えた。
「ウチのオヤジがかなりご立腹らしくてね」
「親父?」
 と、ギルフォードが訝しげに言ったので、由利子が説明した。
「組長のことよ。ヤクザのボスよ」
「オー、God Father」
「そんなこたぁどうでもいいんだよ! お前たちは大人しくその女を差し出しゃあいいんだ!!」
 男たちの一人が、無理やり由利子を連れて行こうと手を出してきたが、そのまま紗弥に取り押さえられて「ぎゃっ」悲鳴を上げて倒れた。
「ひぃ~~っ、手が手がぁあ~」
 半べそをかいて転げまわる大男を冷ややかな目で見ながら、紗弥が言った。
「まあ、親指一本へし折ったくらいで情けない。それじゃエンコも飛ばせませんわね」
「紗弥さん、そんな言葉どこで」
 由利子が驚いて聞くと、ギルフォードがそれに答えた。
「そういえば、学生が持って来た『白竜』読んでマシタ、って、今それを突っ込みますか」
 
「きっ、貴様らぁ~」 
 一見お嬢様風で華奢そうな紗弥に面子をつぶされたと思ったのか、兄貴分らしき男が拳銃を出し構えた。舎弟の一人が驚いて言った。
「兄貴、チャカはヤバイっす」
 既に遠巻きに野次馬が増え始めていたが、拳銃に気付いた女性が悲鳴を上げた。ギルフォードがうんざりして言った。
「あ~あ、そんなモノこんなところでぶっ放したら、却ってオヤジさんに迷惑がかかると思いますよ」
 彼は言いながら一歩踏み出し、長い脚で蹴り上げた。拳銃は放物線を描いて跳び、紗弥がすかさず受け取った。
「危ないことはなさらないでくださいまし!」
 紗弥はさすがに鼻白んで言いながらもそれを構えた。
「動かないでくださいな。私の銃の腕を知ることになりますわよ。さっ、教授、由利子さんを!」
「サヤさん、スミマセン」
 ギルフォードは由利子を抱え肩に背負うと、スタコラとその場を後にした。
「あ、こらてめ」
 と、男が追おうとしたが、すかさず紗弥が、彼に照準を当てて言った。
「動くなと申し上げましたわよ」
 一方、ギルフォードに担がれた由利子はジタバタしながら言った。
「ちょ、待っ、アレク、紗弥さんがっ」
「そこで暴れないでクダサイ。彼女なら大丈夫です。あんなド素人軍団は、彼女の相手じゃありませんから」 
 二人の姿はそのまま人ごみに消えた。野次馬たちは、逃げた二人より紗弥と暴力団との攻防に夢中で息を呑んで見守っていたが、中には110番する者もいた。例によって撮影しようとする質(たち)の悪い連中もいたが、さすがの紗弥も銃を構えてはどうすることも出来なかった。
「さあ、どうなさいます? このまま引き下がってくだされば、見逃して差し上げますわよ」
「こ、このアマ、可愛い顔してとんでもねえ」
「こんなところでぶっ放して困るのはお前もだろうッ」
「あら、そうですわね。では、素手でお相手しますわ」
 紗弥はそういうと、拳銃をジーンズの背に差し込んで構えた。
「このアマ~~~、舐めやがって!」
 コケにされまくった男たちが逆上して紗弥に襲いかかろうとした時、野次馬の中から男が飛び込んできた。男は紗弥と背中合わせになると言った。
「おいおい、あんたさ、もうちょっと穏便に済ませられないのかよ」
「まあ、長沼間さん!?」
 思いもよらない男の出現に驚く紗弥に、長沼間が苦笑して言った。
「もし、今ので銃撃戦になってみろ。たちまち全国区のニュースだぜ」
 男たちは新手の出現に一瞬たじろいだが、
「邪魔すんなよ、おっさん。怪我するぜッ!」
 と、叫びながら殴りかかった一番若そうな男を片手で殴り倒して、長沼間が手帳を見せて言った。
「警察だ! おまえら銃刀法違反と誘拐未遂で全員逮捕だ」
「うるせぇッ!! おまえみたいな青ビョウタンにパクられっかよ」
 半ばやけになった男たちが、飛びかかってきたが、すぐに長沼間と紗弥に制圧され、通報を受け駆けつけた警官たちに連行されていった。

 警官たちが人払いする中、紗弥と長沼間が立ち話をしていた。長沼間が吐き捨てるように言った。
「バカどもが、踊らされたとも知らないで」
「踊らされた?」
「ああ、あの組内で不穏な動きがあるとかいうタレコミがあって、気になってここら辺を流してたんだ。通報を受けたんで、駆けつけたらあんたが暴れてた」
「いやですわ、暴れてただなんて…」
 と、紗弥が少し赤くなりながら言った。
「変だろ?」
「変? わたくしが?」
「なわけねーだろ、リークさ。わざとらしすぎる」
「そう言われれば…」
「まあ、それはともかくだな、さて、鷹峰ちゃん。あんたも事情聴取に付き合ってもらわんとならんのだが、その拳銃…まずいんだが」
「まあ、すっかり忘れていましたわ」
 紗弥はそういうと、拳銃を抜き出し長沼間に渡した。
「はい、証拠物件」
「経緯はわかるが、あんた公衆の面前でそれを構えていただろ。しかも馬鹿野郎共がスマホで撮ろうとしていた。まあ、そいつらは俺がドサマギで蹴り倒してやったがね」
「あら、ありがとうございます」
「こんなもの、持っただけでも下手すりゃ逮捕だぞ」
「大丈夫、わたくし、所持の許可を持っていますのよ」
「アンタ、本当は何者だ?」
 長沼間が驚いて尋ねると紗弥は意味深に微笑んで言った。
「あくまで秘書ですから」
「をいッ!」
「うふふ」
「笑って誤魔化したな。ま、いっか。 ところで、アレクサンダーたちは大丈夫なのかね」
「そうでしたわ」
 紗弥はそういうと、自分のスマートフォンを取出し何やら操作していたが、すこし目を丸くして「あらら」と言った後、長沼間に向かって笑顔で言った。
「逃げおおせたようですわ。ま、あそこなら安全だし…、あの二人なら大丈夫ですわね」
「なんだよそれ」
「じゃ、事情聴取にいきましょうか」
 紗弥はそういうと、スタスタと歩き出した。
「これじゃ、どっちか警官かわからんな」
 長沼間は、紗弥の後を追いながら呟いたが、何となく嬉しそうに見えた。

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