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1.攪乱 (6)シロジズム

 夕方、ギルフォードが紗弥を連れだって感対センターに行くと、既に葛西と富田林が来ていた。富田林はギルフォードに気付くと、さっと敬礼をした。
「教授、御足労ありがとうございます」
「あ、アレク、あなたも来られたんですか」
 葛西はギルフォードに歩み寄りながら言った。ギルフォードはにっこりと笑って言った。
「はい、タカヤナギ先生に呼ばれました。君は?」
「杉村美優の高校に聞き込みに行こうとしたところでしたが、美波美咲の保護隔離でこっちに呼ばれました」
「今日は違ったコンビで来たんですね」
「斉藤孝治の事件で美波美咲と直接関わったのは僕と富田林ですから。そういえば、アレクは確か富田林とはお会いになってますよね」
「はい、一度アキヤマさんの自殺未遂の時にお会いしました。あの時はユリコもいましたけど」
「今日は由利ちゃんは?」
「用があるからと言って、帰りました。送っていくと言ったのですが、帰ってしまいました」
「え? 一人で帰ったんですか?」
「ええ、まだ明るいから大丈夫だといって、さっさと帰ってしまいました」
「え~。会いたかったのに」
 と、葛西があからさまに残念そうに言ったので、ギルフォードは少しお冠で言った。
「ユリコも、たまには羽を伸ばしたいのかもしれませんね。最近は特に問題がないので、いつも護衛付で窮屈だったのかもしれません」
「え~、何かあったらどうするんですか」
「そんなこと言ったって・・・」
「こら葛西! ぶつくさ言ってないでさっさと行くぞ!」
 富田林がしびれを切らしてさっさと歩き出した。葛西が慌てて後を追い、その後をギルフォードと紗弥が続いた。 
 その頃由利子は、T神の街を歩いていた。週末にみんなで飾り山を見に行くことにしたので、下見をしようと思ったからだ。久々に一人で街中を闊歩していることで、由利子は妙な解放感を味わっていた。
「なんか、ひさしぶりの自由って感じやね」
 由利子は街のあちこちに目をやりながらつぶやいた。
「さて、飾り山いくつか見たら、本屋に寄って、それから夏物の服とか買って」
 そこまで言うと、自然に「ふふふっ♪」と笑いがこぼれた。

 ギルフォードたちが美波が隔離されている病室の前に行くと、その前で高柳センター長が待っていたが一緒に見知らぬ若い男が二人立っていた。葛西が怪訝そうな表情で訊いた。
「高柳先生、この方たちは?」
「ああ、美波さんと同じ放送局の方たちですよ。報道部のクルーの方たちです」
 葛西はそれを聞いて、(ひょっとして僕たちをヘリで追いかけた連中か?)と二人の方を見たが、彼より先に富田林が驚いて言った。
「え? マスコミ関係者ということですか? そんな連中を入れて大丈夫なんですか」
「原則、身内など特に親密な関係の方以外、特にマスコミ関係の方はお断りしているのだがね。取材ではなく、美波さんの友人として何か重要な話があるということで、まあ、美波さんも発症はしていないということなので、許可したんだ。もちろん病院内の撮影や取材は一切お断りしているがね」
「そんなことを言って、マイクとかカメラとか隠し持っとったら・・・」
「そんなものは持ってきてません!」
 と、赤間が憤慨気味に言った。
「たしかに、デスクからは取材しろと言われはしました。しかし、僕らは美波さんが感染していないだろうと言うことを説明に来たんです」
「ほお~。じゃあ、さっさと説明してもらいたいもんだね」
 高圧的な声に驚いて振り向くと、長沼間が立っていた。ギルフォードがすぐに訊ねた。
「ナガヌマさん、部下さんの手術は?」
「バカ野郎、こんな時に部下の手術やらにかまけてられるか。ヤツはまだ手術中だ」
 長沼間はギルフォードに向かってそう言うと、次に高柳の方を見て言った。
「そういうことで、さっさと美波美咲と話をさせてくれ」
 長沼間の無礼な言い様にクルーの二人はムッとした表情を隠せなかったが、高柳は慣れたのか、彼の本来の人となりを理解したのか、かるく片眉を上げる程度で以前のような不快さを示すことなく言った。
「わかった。端的に要件に入るとしよう」
 高柳は長沼間に向かって言うと、マイクを手にして言った。
「美波さんの話を聞きたいと言う方々がこられているんだが、話は出来そうかね」
 中で甲斐看護師が答えた。
「はい。美波さんは今のところ健康状態は良好ですし、ご本人も落ち着いておられますから、大丈夫だと思います」
「窓を『開ける』よ」
 美波に確認をとったのか、若干の沈黙後に返事があった。
「はい。どうぞ」
 それと同時に窓の曇りが消えた。
「お~」
 クルーの二人が同時に小さい歓声を上げ、すぐに窓にへばりつくようにして言った。
「ミナちゃん!」
「ミナちゃ~~~ん」
「二人とも、情けない声出さない! 大の男がみっともないよ」
「ああ、ミナちゃん、お変わりなく」
「心配したんだよ~」 
 その様子を見ながら葛西が妙なデジャヴを感じていると、富田林が葛西の横腹をつついて小声で言った。
「おい、あの強面のオッサンは誰だよ」
「公安の長沼間って人なんですが・・・」
と、葛西も小声で答える。
「げっ、公安かよ。道理で」
「ま、第一印象は最悪だけど、意外とそうでもないみたいですよ」
 葛西は長沼間をフォローしている自分に気づき、一瞬あれ?という表情をしたが、美波の事情聴取が始るということで、急いで窓の方を向いた。

「それではあなたは、その時助けてくれた人が怪しいというんですね」
 大方の話を聞いて葛西が言った。一番女性が安心しそうだということで、葛西が聞き手を一任されたのだ。美波はベッドサイドの椅子に腰かけ、窓越しに取り調べを受けていた。見た目は健康そのもので、隔離病室の中にいることがかなり不自然に見えた。
「はい。恩知らずと思われるかもしれませんが、それしか考えられません」
 と、美波はきっぱりと言った。
「あくまであなたは感染していないと主張されるわけですね」
「そりゃあ100%ないとは言い切れないけど、多分『ない』です」
「あなたが嶽下友朗に襲われた時のことは大体わかりました。調書とも整合しています。僕が解せないのは、何故あなたが恩人の男性を、嶽下に感染させた犯人だと思ったかです」
「実は・・・」
 美波は、感対センターに河部がヘリで搬送されて来た時にその様子を撮影していて、真樹村極美という女が同じように撮影をしていたこと、その女が逃げる時、仲間がいて彼女を車で連れ去った事を話した。葛西は以前似たようなことがあったのを思い出した。ギルフォード達もそれに気づいたのか一斉に葛西の方を見た。葛西は微かに頷いたが、まず美波の話の先を聞くことにした。
「そして今日、感染者搬送のニュースを伝えるために現場となったマンションを取材に行ったのですが、その時にその恩人の男性の姿を見かけたんです。それでお礼をしようと思って彼の方に行こうとしたら、その連れにその極美と言う女がいて、やっぱり撮影してたみたいなんです」
「それで、その男は?」
 葛西は、質問する自分の声が若干上ずっているのを感じた。
「私に気付いたせいかわかりませんが、すぐに極美を連れてその場から去っていきました。後を追ったのですが、 見失ってしまいました」
「それで君は、真樹村極美とその男が仲間なのではないかと思ったわけですね」
「はい。おそらくヘリ搬送の時、極美が乗った車を運転していたのも彼ではないかと」
「その極美といっしょだった男と君を助けてくれた男と同一人物なのは間違いないのですね」
「職業柄、会った人の顔はわすれません。しかも、恩人ですよ。間違えるはずがありません!」
「なるほど。でも、それだけで何故その男がウイルスを嶽下君に感染させたと思ったの? 君が襲われた時、偶然その男が居合わせたってだけってこともあり得るでしょ? 今の君の見解は三段論法にすぎないでしょ。それとも、君は危機を救ってくれた人を真の感染源だと言えるほどの理由はあるの? もし違ったとしたら一人の人間の一生を狂わせるかもしれないんですよ」
「そ、それは・・・」
 美波は口ごもった。確かに、あの男が感染源だと言う証拠は一つもない。あるのはあの時彼が嶽下と関わったと言う自分の証言だけだ。対して自分は、警官たちに庇われたとはいえ、ウイルスを含んだ飛沫に無防備に体を晒したという状況証拠がバッチリ残っている。赤間はここぞとばかり口を出した。
「確かに証拠はないですが、同じ男が3つの事象に絡んでいてそれがすべてサイキウイルス関係なら、調査だけでもするべきではないですか? ひょっとしたらウイルス発生に関わる重要人物かもしれないでしょう」
「おい。君たちは、どれだけこのウイルス事件について知っとるんだ」
 話に割って入ったのは、富田林だった。赤間は内心しめたと思い言った。
「国家警察が捜査本部を設置する程度の事件と言う認識はしていますよ」
「富田林さん、余計なことは言わないでください」
 葛西は富田林をたしなめ、赤間たちに向かって言った。
「判りました。その男の線は、僕たちの方で洗ってみます。正直、僕たちも美波さんの感染については疑問を持っていたのです。情報ありがとうございました」
 それを聞いて、赤間と小倉が「おー」と言って喜んだ。しかし、葛西が続けて言った。
「ところで、あなた方はC川でメガローチ調査をしていた二人組を空撮した方たちですよね」
 葛西の質問に、赤間と小倉は顔を見合わせその後美波の方を見た。美波は軽く頷いてから答えた。
「はい、そうですけど」
「僕がそのうちの一人です。その節はお世話になりました」
 それを聞いて3人一緒に「ええっ」と声を上げた。
「それはともかくとして、あなた方は危険ですので、その男の調査は僕らに任せて手を引いてください。いいですね」
「そんなの、納得できない!」
 美波が憤慨気味に言った。
「報道の自由への侵害だわ!!」
「そうですよ。何より僕ら、いや、美波さん独自のスクープですよ」
「そうだそうだ、体を張って得たネタですからね」
「小倉! 人聞きの悪いこと言わない!!」
 美波が焦って言った。葛西はそれを制止しながら言った。
「僕らは、危険区域に近寄らない限りはサイキウイルスについての取材自体は禁じてません。でも、その男については危険だと判断したんです」
「そんなこと言って、あんたあの時のことを根に持って邪魔してんでしょ!」
「ちがいます。さっきも言ったように、僕はあなたの隔離に・・・」
「お為ごかしを言ったってだめよ」
「ミ、ミナちゃん、だめだ」
「言い過ぎだよ、それえ」
 いわれなき隔離に怒りが再燃しヒートアップする美波に赤間と小倉は窓の前でオロオロしたが、美波は勢いづいて彼らに言った。
「赤間君、小倉君、聞いてたでしょ。取材妨害されたってこと、しっかり報道してよ」
「ちがいます。本当に危険なんです、そいつは・・・」
「ジュン! ミナミさんも落ち着いて」
「うるせえ!!」
 ギルフォードが見兼ねて助言しようとしたところに、長沼間が割って入った。
「ごたごた抜かさすに言うことを聞け! 俺たちは民間に危険なことをやらせるわけにはいかねぇんだ! そこの坊やが言いかかったように、そいつは危険人物の可能性が高いんだ。ウイルスの核心に迫ろうとした彼女が今ここにいるのがいい証拠だろうが。おまえらもこのウイルス事件についてうすうす何かを感づいてるんなら、その危険さも予想できるんじゃないのか?」
「あの、ナガヌマさん、そんなことまで言っていいんですか?」
 と、ギルフォードが長沼間を突っつきながら言った。
「かまわん」
 長沼間はギルフォードを一瞥すると、再び3人に向かって言った。
「いいか、おまえたちの本分は事件の解明ではないだろう。もっと他に取材することがあるんじゃないのか? 口蹄疫や原発事故のような大規模災害で、被災者がどのような思いをしたかを考えたら、このウイルス禍でも辛い思いをする人が大勢出てくるはずだ。いや、既にいるだろう。確かにそういう取材は派手ではないし、辛いだろうがな、そういう人たちの声を届けることも必要じゃないのか」
 一見暴力団風にも見える長沼間に、もっともなことを言われて3人は返す言葉もなく黙り込んでしまった。美波に至っては、完全に毒気を抜かれていた。その様子を見ながら富田林は「ほう」と感心したように言った。

 事情聴取を終えたギルフォードたちは、センター長室に集まっていた。高柳が言った。
「いや、長沼間さんがあんなに熱血とは驚いたね」
「熱血ですよ、彼はね。聞くだけ聞いて言いたいことだけ言ったら帰ってしまいましたが」
 と、ギルフォードが言った。なんとなく嬉しそうだった。
「ところでジュン、ミナミさんの話に出てきた彼ですが、以前君が言ってた男ですね」
「間違いないと思います」
 と、葛西がきっぱりと答えた。
「多美さんが亡くなる日、僕が一人で聞き込みをしていた時に、偶然極美を見つけて追いかけた時に妨害した男です」
 すると富田林が腕組みをしながら尋ねた。
「そいつの顔は見たのか?」
「いえ、僕が極美に追いついて彼女の腕を掴んだときに背後から声をかけて来たんです。それですぐに振り返ることが出来なかったのですが、ものすごい殺気を感じました。極美には隙をついて逃げられ、咄嗟に彼女を追おうとしたら、そいつが言ったんです。そんなことをする暇があるのか、今大事な人が大変なんじゃないか、って」
「多美山さんが危篤なのを知っていたということか」
「はい。その時に急いで背後を見ましたが、既に人ごみに紛れていなくなっていました」
「なんだ、忍者みたいなやつだな」
「ただ、声のほかにもう一つ手掛かりがあります。調書にも書いてますが、極美は男のことを『ヒロキ』と呼んでいました」
「だが、偽名の可能性もあるのではないかね」
 と、高柳が問うた。葛西が頷くと答えた。
「はい。十分に考えられます。ただ、偽名と言えど、そいつが名乗っている限り、そいつへの手掛かりになることには変わりありません」
「それに、美波美咲が彼の顔を見て覚えていますわ」
「彼女の記憶をもとに似顔絵を作成するよう手配します」
「ちょっと待ってくれ」
 と、富田林。
「そいつは極美とかいう女とつるんどるんだろ? その女を見張っとったらそいつが現れるんじゃないとか?」
「それが、泊まっていたホテルを出てからの彼女の足跡が途切れたんです。サンズマガジン編集部にも帰っていないということで、失踪したかと思われていました。ミナミサ・・・美波さんの証言で生存は確認されましたが」
「極美さんの保護も考えないといけませんわ。今までの例から、用済みになった時に消される可能性があります」 
 と、紗弥が言った。そこまで予想していなかった葛西は、紗弥をまじまじと見て訊いた。
「それは、駅で死んだ男のようにですか?」
「いえ、むしろ、それこそ失踪という形を取るのではないかしら。私ならそうしますわ」
 紗弥に続いてギルフォードが言った。
「もし、ヒロキという男がタケシタにウイルスを感染させたとしたら、彼がウイルスを所持している恐れがあります。ナガヌマさんの言うように、もし、ミナミさんに感染容疑をかけるつもりでタケシタに感染させたとしたら、かなりタチが悪いです。ユウキ以上の危険人物かもしれません」 
 それを聞いて、いままでうずうずしていた富田林が立ち上がった。
「うかうかしておられん。葛西、行くぞ!」
「はい!」
 富田林が言うなりセンター長室を飛び出したので、葛西は急いで後を追った。しかし彼は律儀に「失礼しますッ」と、ドアの前で一礼して駈け出した。

 赤間と小倉は、ガラス窓を隔てて美波と話し合っていた。
「たしかに、あのおっさんの言う通りなんだけどなあ、だからって、糸口はどうすんだよ」
「私はあきらめないからね」
「ミナちゃんってば」
「ほんとにもう、さっきあれだけいわれたじゃん」
「ちがうよ。あの男のことはあきらめる。ホントに感染させられちゃ敵わないもん。でも、サイキウイルス事件自体を追うことは禁じられなかったじゃない。私は私の疑問を追いかけたいの」
「あ~あ、やっぱりな」
 小倉が言い、赤間がため息をついて美波を見た。
「でも、何にしろ、ここから出られなきゃ、どうしよーもないわ」
 美波はそういうと、どさっとベッドに寝転んだ。
「だけど、あの刑事さんと再会出来てよかった」
「あの、立てこもり現場で守ってくれたとかいう?」
 赤間が怪訝そうな表情で言うと、小倉が少し不愉快そうに訊いた。
「あの、質問していたメガネの優男?」
「ちがうよ。その横にいたでしょ。ちょっとコロッとした感じの可愛い刑事さん。たしか、富田林とか言ったわね」
「ええっ、うそやろ」
 赤間と小倉が本気でこけそうになりながら驚いた。その頃、富田林は大きなくしゃみを3連発していた。

 由利子は、飾り山を数か所見学したあと、予定通りいくつか店をまわって帰路についていた。両手には戦利品を下げている。彼女は駅に向かうため地下街を歩いていた。
「あ~、遅くなっちゃった。アレクに知れたら大目玉くらっちゃいそうだよ」
 由利子は時計を見ながらつぶやいた。本屋で長居をしすぎたのだ。
「店内にいると、外の暗さがわからないからなあ。ましてや地下街だし。駅からタクシー使った方がいいかな」
 と言いながら由利子は立ち止まって時計を見た。今なら急行電車に間に合いそうだ。由利子は足早に歩こうとした。その時、背中になにか金属のような硬いものが当たるのを感じた。
(銃?)
 由利子はギクッとしてふり返ろうとしたが、間髪入れずに背後で声がした。
「おっと、動くんじゃない。そのまま前を向いてゆっくり歩いて」
「だ、誰?」
「聞こえた? 歩いてよ」
 由利子は仕方なく歩きはじめた。
「いいかい、こっちを見るなよ」
 男はそういうと、由利子の横に並んだ。横とはいえ、正面を向いたままの由利子には見えない絶妙な位置で、傍からは由利子をエスコートしているようにも見えた。
「歩いたから質問に答えて。誰?」
「おまえの親友を奪った男さ」
「ゆう・・・き? まさか」
「こんなところに居るはずがないってか? ちょっとこっちの方に用があってね」
「美葉は?」
「とあるところで留守番してるよ。念のため逃げないように素っ裸でベッドに縛り付けといたけどね」
「ひどい・・・」
「くっくっ、縛り方もちょっと工夫させてもらったよ」
「美葉は、美葉は無事なの?」
「あ~あ、無事だ。毎晩僕に抱かれてよがっているよ」
 それを聞いた由利子は頭に血が上り体が震えるのがわかった。
「きっ、きさま・・・!」
「おっと」
 結城はそういうと、由利子の背中に当てた金属の得物をさらにぐいと押し付けた。
「女性がそんな言葉づかいをしてはいけないなあ」
「指名手配犯が何の用よ」
「いやね、君の姿を見つけたんで、美葉が僕のモノになったって教えてあげようと思ってね。でもまあ、指名手配さてれるんなら長居は無用か。これで失礼するけどね、警察なんかに知らせちゃだめだよ。僕がウイルスを持っているってことぐらい知ってるだろ? もし、こんな地下街でそんなものを撒いたらどうなるか、予想できるよね。それに、僕が帰らなかったら、美葉が死んじゃうよ。だって動くたびに縄がさ、食い込んでいくんだから」
「この卑怯者! 腐れ外道・・・!!」
「また下品な言葉づかいをしたね。お仕置きだ。立ち止まったり声を出したりしたら・・・わかってるね」
 と言うと、結城は由利子のわき腹から肋骨の隙間に獲物を押し付けてひねった。由利子は声を出すまいとしたが、激痛につい声が漏れた。
「・・・ッ・・・ぁく・・・」 
「くくっ、いいねえ。じゃ、ご褒美だよ。1時間だ。1時間経ったら通報していいよ。フライングして僕が捕まるようなことになったらその場でウイルス撒くからね。じゃ、僕が去ってもしばらくは振り向くんじゃないよ」
 結城が言い終わると由利子の背中に突き付けられた金属の感触と人の気配が消えた。由利子は悔しさと恐ろしさとわき腹の痛みで全身が小刻みに震え、額から脂汗が流れているのがわかった。彼女は気力だけで立っていたが、結城の気配が消えるとともに、そのまますとんと膝から崩れ落ちた。
「ちくしょぉお~~~ッ!!」
 由利子は人前もはばからず叫んだが、その声はかすれていた。由利子はそのまま目の前が真っ暗になって気を失った。通行人たちが驚き、数人が由利子の方に駆け寄った。

 

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