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1.攪乱 (5)無症候性キャリア

 ギルフォード研究室に久しぶりに長沼間が現れた。
「この近くに寄ったんでね。これ、土産だ。温かいうちにみんなで食べてくれ」
 長沼間は紙包みを紗弥に渡した。
「まあ、ありがとうございます」
 紗弥はそういうと躊躇なくそれを受け取った。由利子がその包みを見て言った。
「わあ、蜂楽(ほうらく)饅頭だ。私、白餡ね・・・って、あ、美月」
 匂いにつられてか、美月が軽やかな足取りで近づいてきたので、由利子は彼女の頭をなでながら言った。
「ごめん、これ餡子だからあんた食べちゃダメなんだよ。後であんた用のおやつをあげるから」
 美月は言葉がわかったのか、また、タッタッタと所定の位置に戻った。
「じゃ、お茶を淹れて来ますわね」
 紗弥が言うと長沼間がそれを受けて言った。
「お構いなく。あ、でも、お茶よりコーヒーがいいな。鷹峰ちゃんの淹れてくれたコーヒーが飲みたい」
 紗弥はそれを聞いて一瞬立ち止まり「たかみねちゃん・・・?」とつぶやいたが、そのままさっさとお茶コーナーに向かった。
「相変わらず冷たいな」
 長沼間が言うと、ギルフォードがにこっと笑って答えた。
「ああ見えて、ずいぶんと温和になってるんですよ。まあ、かけてください。実は僕もさっき戻ったばかりなんです」
「そんな長い間SRIに居たのか?」
 と、長沼間が腰かけながら訊ねた。
「いえ、その後感対センターに行って、今朝の事件で唯一まだ息のある男性から事情を聴こうと思ったんですが・・・」
「聴けたのか?」
「いえ、既に人事不省の状態でした。おそらく今夜までもたないでしょう」
「そうか・・・」
「でも、センター長の話では、彼は最初の頃うわごとを言っていたらしいんです」
「うわごと? 内容はわかるのか?」
「ほとんど意味をなさないものだったそうですが、何度か繰り返された言葉に『笑顔のセールスマン』『悪魔』と言うのがあったそうです」
「笑顔のセールスマンに悪魔ねえ」
「ね、気になるでしょう?」
「というより、なんかマンガみたいだな・・・」
 長沼間は答えたが、何故かいつもと少し様子が違う。なんとなく落ち着きがないのだ。ギルフォードはそれに気づいたが、訊こうと思った時に紗弥と由利子がお茶とコーヒーを運んできた。少し遅いティータイムだったが、長沼間がコーヒーを頼みながらあまり口をつけず、時折時計を見て落ち着かない様子に不安の影を察して、ギルフォードは訊ねてみることにした。
「あの、ナガヌマさん」
「なんだ。黒餡より白餡の方が良かったか」
「どっちも好きです・・・、じゃなくて、ナガヌマさん、何か心配ゴトがあるんじゃないですか?」
「そんなもんねえよ。考えすぎだ」
「強がってないですか?」
「ないね」
「ホントに?」
「しつこいな。ねえよ」
そう押し問答をしていると、後ろで声がした。
「観念して白状なさいませ。珍しく顔に書いてありますわよ」
「う、うむっ」
 紗弥にまで言われて長沼間は一瞬絶句したが、観念したように言った。
「その・・・実はな、今、部下の松川が手術中でな」
「松川さんて言うと・・・」
 と、由利子が口を挟んだ。
「美葉が誘拐される前に結城に襲撃されて重体になってた人?」
「ああ、そうだ」
 長沼間が答えた。
「あの時はすまなかったな。監視していたのにみすみす美葉さんの誘拐を赦してしまった」
「私の方こそ、長沼間さんの部下がそんな目に遭ってるとは知らないでひどいことを言っちゃった」
「いや、あれは間違いなく俺の部下たちの失態だ。だが、そんなふがいない奴らでも俺の部下でな・・・」
「あれから重体のままだったの?」
「いや、二人とも意識は戻ったんだが、松川の方に ひどい記憶障害が残ってな。鈍器で頭部をモロに殴られたんだから、死ななかったのが奇跡なんだが、その原因である脳内に出来た血腫を取り除く手術をしているんだ。どうも面倒くさい場所にあるようでな。医者はそれなりに自信はあるようだったが、万が一の場合を考えていてくれと言われてな」
「そっかあ」
「それは心配デスネ」
 と、ギルフォードは納得して言ったが、紗弥がしごくまっとうな質問をした。
「そんなにご心配なら、病院でお待ちになればよろしいのに」
「俺はそこまで暇じゃねぇぞ。それに松川はな、図体はでかいだけのぬーぼーとして頼りなさそうな奴で実際そうなんだが、ああ見えて婚約者がいてな、病院にはその彼女と松川の両親が来ているんだ。そんな中に俺が出しゃばるのも野暮ってもんだろ」
「で、挨拶だけして帰ったんですか」
「なんでわかんだよ、アレクサンダー」
「まあ、なんとなく」
「ま、俺が居たって、不安がらせるだけだからな」
「ね、ナガヌマさんって意外とイイヒトでしょ」
「俺を買いかぶるんじゃねえ。今朝の事件のことでやることがあったんだよ」
 ギルフォードが由利子と紗弥の方を見て嬉しそうに言ったので、長沼間が間髪入れず言った。
「あいつが心配なんじゃねえよ。あいつの記憶が戻ったら、襲われた時の状況がわかって少しは捜査も進展するだろうと期待しているだけだ」
「ツンデレだねえ」
「そうですわね」
 由利子と紗弥は小声で言うと、くすくす笑った。
(へえ、笑っているじゃねえか。確かに最初会った頃より柔和になっているようだ)
 長沼間は紗弥の様子を見て思った。
「そうだ、鷹峰ちゃん」
「なんでしょう?」
 2度にわたって長沼間に「ちゃん」付けで呼ばれた紗弥は、少しひきつり気味に言った。
「君が救命した男性も、無事に意識を取り戻したそうだ。そのあと順調に回復して、右半身に若干麻痺が残ったようだが、リハビリでほぼ元通りに回復出来るということだ」
「え? すごいじゃん。良かったねえ、紗弥さん」
「いえ、その場にいて出来るだけのことをしただけですから」
「あの時、おまえさんが一か八かで救命処置を取らなかったら、確実に彼は死んでいたんだ。病院で蘇生できたとしても、重い障害が残ったと思うよ」
「そうですよ、サヤさん。ユウキに出くわしたことは災難だったけど、君がいたことはその方にとって幸運でした」
「でも、わたくしは当然のことをしただけですから」
 紗弥はそういうと、研究室から出て行ってしまった。
「相当照れてマスね」
「照れてるのか、あれ。怒ったのかと思ったぞ」
「あなたと同じで感情表現が苦手なだけですヨ」
 当惑気味の長沼間にギルフォードは、少し微笑ましそうに言った。

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 めんたい放送報道部藤森に受付から内線が入った。
「その声は、ななえちゃん、いつもかわいいね。・・・ん? どうした?」
「あの、受付にっ」
「なに?」
 藤森は受付嬢の緊迫した声に、嫌な予感を覚えた。もちろん心当たりがあったからだ。
「保健所の方が来られて、美波さんを隔離すると・・・」
 藤森が嫌な予感が当たったと確信した。
(想像以上に早かったな。美波を取材に出しといたが、さて、鬼が出るか蛇が出るか・・・)
「ななえちゃん、美波は取材中だ。俺が変わろう」
 藤森はめずらしく真面目な顔をして言った。

 

「九木さん、めんたい放送の記者、美波美咲の隔離が決定したそうです」
 葛西が、本部からの連絡を受けて言った。九木はやや首をかしげながら言った。
「ずいぶんと早かったな。私たちが報告してからあまり時間を置いてないが、なにか決定的事由が見つかったのかな」
「はい。私たちが報告をした頃とほぼ同時に富田林さんたちが、美波美咲を嶽下友朗が襲おうとしたという記録を入手したという報告があったそうです。ほとんど未遂だったそうですけど」
「驚いたな。ネタじゃなかったのか。あの男、真正の大うつけだったんだな」
「でも嶽下友朗の感染源が美波美咲だったとして、今更彼女を隔離する意味があるんでしょうか」
「さて、ね。今更感はあるが、彼女が感染源であれば、やはり隔離して調べる必要はあるのではないかね」
「そうですね。ギルフォード教授に知らせます」
 葛西はそういうとすぐに携帯電話を耳にあてた。しかし、なかなか出ない。
「出ません。既に感対センターの方から連絡が入っているのかもしれません」
 葛西の言った通り、ギルフォードはまさに今、高柳から連絡を受けていた。
「なんですって? ミナミ・ミサキの隔離が決まった?」
「そうだ。彼女が斉藤孝治立て籠もり事件の時、現場に入り込んでいたことは聞いているだろう?」
「はい。ジュンとゆるキャラみたいな刑事が庇ったおかげで感染を免れたとかいう記者さんですね。たしか、C川でヘリからジュンたちを追いかけたのも彼女だったとか」
「その彼女が、当日の夜に、今日感染死した嶽下と言う男と接触していたんだ。今のところ、嶽下の感染源は他にないんだ」
「接触って、いったいどうして?」
「嶽下が電車内で彼女を襲おうとしたらしい。ほとんど未遂だったらしいが、その時彼女は頬に軽い切り傷を負ったそうだ」
「襲うって、電車内で?」
「乗客の少ない車両は密室に近い状態になりやすくてね、意外と性犯罪の起きやすい場所なんだよ。まあ、逆に満員でもそうだがね」
「しかし、それにしても、彼女がウイルスに暴露された数時間後っていうのは早すぎませんか? 除染は万全だったのでしょう?」
「もちろんだ。身に着けていたものは下着から靴まで全て廃棄の上、本人も全身消毒した。あまりにも消毒に時間がかかって、最初神妙にしていた彼女もだんだんイライラしてきたほどだ。もっとも、母親が血相変えて着替えを持って来た時に目の前で泣かれて反省していたようだがね」
「それだけ慎重に除染したのなら、彼女にウイルスが付着していた可能性はほとんどないはずです。それに、万一彼女が感染していたとしても、人に感染させるには時間が短すぎます。それに、隔離するにも彼女がウイルスに曝露されてから既に10日以上経っています」
「しかし、現在嶽下友朗の感染ルートが美波美咲しか浮上していない限りは、彼女が感染源である可能性はないと言い切れないだろう。しかも、彼女が無症候性キャリアではないかという意見もでている」
「HIVのような潜伏期間の長いウイルスならともかく、サイキウイルスのような進行の早いものでそれは・・・」
「しかし、ノロウイルスの例もあるし有り得ないと言い切れないのも現実だ」
「ミナミ・ミサキの隔離は止むを得ないとしても、他の感染ルートも探るべきです。僕には彼女が感染源だとはとても思えません」
「私も同意見だ。上が決めたことは我々も従わなければならないが、別の感染ルートを探るべきだという意見は通すつもりだ。そういう訳で、夕方には君にもこちらに来てほしいのだが」
「了解しました」
「では、よろしく」
 高柳はそこまで言うと電話を切った。
「相変わらず忙しい人だ」
 ギルフォードはため息をついて電話を切った。由利子がその会話にいち早く興味を持って訊いた。
「ミナミサを隔離って、何があったの?」
「説明しますが、オフレコでお願いしますよ」
 ギルフォードは神妙な顔で言うと、高柳からの電話の内容を簡単に説明した。
「うわあ、嶽下ってヤツ、ほんっとにどうしようもない男だったんだ」
「自業自得ですわね」
 由利子と紗弥が、まず、友朗に食いついた。
「まあ、彼についてはそう思えなくもないですが、まだミナミさんの感染が決まったわけではないですので」
「さっき長沼間さんが急用が出来たと言ってすっ飛んで帰ったのは、この事だったんだ」
「多分、そうでしょうね」
「で、『ムショウコウキャリア』って何?」
「無症候性キャリアですよ。感染はしたものの症状がほとんど現れず、感染力だけ持つ患者のことです。有名な人物にメアリー・マローンと言う女性がいます。彼女は”Typoid Mary(タイフォイド・メアリー)"、『チフスのメアリー』という通称で呼ばれています」
「うわあ、嫌な二つ名だなあ」
「彼女はタイフォイド・・・腸チフスに感染したものの発症はせず、胆嚢に腸チフス菌の病巣を持ったまま料理人として働いていました。もちろん彼女にその自覚はありませんでした。しかし、胆嚢に巣食った腸チフス菌は胆汁と共に腸管に侵入し、生涯排泄物と共に排出され続けました。それが手に付着した時に自覚の欠如で手洗いを怠れば、他者に感染させてしまうことになります。料理人であればなおのことです。
 そういう訳で彼女の周囲で腸チフス患者が多く発生したことから、彼女が腸チフス菌の健康保菌者であることが判り、一旦は隔離されましたが、それまでに22人の感染者と一人の死者を出したことが判っています。その後、彼女の人権も考慮されて料理人はしないという条件で自由を得ました。しかし、彼女は最初はそれを守ったものの、姿をくらまし、再び腸チフスの感染源として見つかった時は、あろうことかニューヨークの産婦人科で料理人をしていました。そこでは25人の感染者と2人の死者を出しました。
 彼女は自分が腸チフスに感染しているということを信じていませんでした。むしろ、自分が不当な差別を受けていると考えていたようです。自分自身は全くの健康体なのですから、それは仕方ないことかもしれません。また、彼女が禁止されたにも関わらず、偽名を使ってまで料理人を続けたのは、他の使用人よりも料理人が優遇されていたという背景もあります。また、彼女は無症候性キャリアと言うこと以外は、頑固ではありましたが善良な女性で悪意は全くありませんでした。しかしその結果、彼女は累計47名の感染者と3名の死者を出すに至りました」
「悪意がないだけに、タチが悪いなあ」
「そうかもしれません。彼女が自分が保菌者であることを認め、食品関係の職に就くことなく、手洗いを怠らずにいれば、感染者を出すこともなく普通の生活が出来たのです。彼女をHIVの無症候性キャリアと置き換えて考えてみるとわかりやすいかもしれません。しかし、彼女が無症候性キャリアになってしまったことは、彼女の責任ではなく、彼女にとっても不幸なことだったのです。彼女は2度目の隔離から解放されることはありませんでした」
「そっか、時代と言うこともあるし、気の毒な女性でもあるんだ。でも、やっぱり彼女に感染(うつ)された人にとっては、たまったものではないと思うけどな」
「それで、美波美咲さんが発症していないのに嶽下友朗にサイキウイルスを感染させたということで、無症候性キャリアだと考えられたということですのね」
「そういうことだと思いますが、そうとしたところでウイルスが感染力を持つには早すぎますし、除染もしっかりなされていたので、ミナミさんに付着したウイルスに感染したとも考えにくいです。他にトモローに感染させた何かがあるはずなんです」
 ギルフォードはそういうと、イスに深くかけ直し腕を組んだ。

 

 美波はデスクから重要な要件があるという電話を受け、急いで取材を終わらせてから局に戻った。報道部に駆け込むと、藤森デスクが席を立ち、笑顔で言った。
「お疲れさん。何かつかめたかね」
「いえ、今のところ特に進展は・・・。感染者の出たマンション周辺住民のインタビューと、杉村美優さんの友人と言う女子高生から話を聞けたくらいです。そんな状態で呼び戻されたので、非常に不本意なんですけど、何があったんですか?」
「あのな、美波。すまんがしばらくの間休養してくれんか?」
「え?」
 美波は藤森の真意を測りかねて不審に思い、一歩後退った。そこに待ち構えていた白い医療用防護服の男二人に両腕を掴まれた。
「な、何すんのよ!!」
「美波美咲さん、サイキウイルス感染の疑いにより、隔離勧告が出ています」
 と、右側の男が言った。続けて左側の男が言った。
「速やかに私たちとご同行ください。もし、従わねば、強制的に収容することになります」
「ちょ、ちょっとまってよ。私感染なんてしてないわよ。全然元気だよ」
 美波は男たちに言うと、次に藤森を見て言った。
「デスク、ひどいわ。だましたのね」
「すまん。美波。何とか俺たちでおまえの無実の証拠を集めるから、ここは大人しく捕まってくれ」
「無実とか捕まるとか容疑者みたいに言うなぁ~!!」
「さ、美波さん。観念して行きましょう」
 頑として動きそうもない美波に右側の男が事務的に言った。
「そう簡単に観念できるわけないでしょっ! デスクのうそつき! 守ってくれるって言ったじゃん」
 既に美波は半べそをかいていた。藤森は頭を下げて言った。
「すまん、ほんとうにすまん。こらえてくれ。急いでお前を引き渡さねば、危険人物として指名手配も辞さないと言われてな。そんなことになったら、お互い面倒になるだろ」
「指名手配って、そんな、犯罪者じゃあるまいし。むしろ私は被害者ですよ!」
「そんなこたぁ判っとる」
「だったら・・・!」
「仕方ないだろ。おまえさんだって、局に迷惑かけたくないだろ? そもそも、これはお前さんの勇み足が原因だし」
「う・・・」
 美波は返答に詰まった。
「たのむ。ここはこらえてすっぱりと覚悟を決めてくれ」
「わかりましたよ! 行きますよ、行けばいいんでしょッ!」
 美波はやけっぱちで言った。
「黄色い車でも緑の車でも乗ってやるわよ! さあ、とっとと連れて行きなさいよ!!」
「こっ、こちらです。裏口に車を待たせていますから」
 男たちは、美波の剣幕に若干気圧され気味になった。美波が大股で先頭を歩き、保健所の職員が若干低姿勢で後をついていくという、主従が逆転した形で報道部を出て行った。
「美波、力不足ですまん」
 と、藤森は美波を見送りながら悔しそうに呟いた。
 そこに、赤間と小倉の凸凹コンビが機材を置いて戻ってきた。二人は美波が男二人を従えて出ていく後姿を見て驚いて言った。
「あ、ミナちゃん!!」
「デスク! 何があったとですか!?」
「まさか、出入りでも?」
「んなワケなかろーもん。声を合わせてあほなことを言うんじゃないよ。あれ見たら大体想像はつくだろう」
「って、あんた、ミナちゃんは守るって・・・」
「言うだけ番長か、あんたわっ」
 赤間と小倉が食って掛かりそうになったので、藤森がため息をついて言った。
「二人とも、ちょっと来い」
 藤森は二人を自分の席に呼んだ。彼は自分の席につくと、二人を前に立たせて言った。
「見ての通り、美波は当分感対センターに隔離だ。俺だって最初は頑として拒否したよ。感染していないということも理路整然と説明してな。で、最初は追っ払ったんだ。ところがその後厚生労働省の速馬とかいう男から電話がかかってな、あの野郎、こともあろうに美波を指名手配させるとまで言い出しやがった。人権侵害だ官憲の横暴だとどやしつけたが、あんちくしょう相当の鉄面皮だな、カエルの面にしょんべん以上に堪えやしねえ。とうとうこっちが折れたって寸法だ」
「デスクが言い負けたとですか!」
 と、赤間が言った。小倉は既に意気消沈してうなだれている。
「仕方ないだろう。ああ見えて美波はローカルアイドルだ。指名手配されなくても感染の疑いがあるのに逃げ回っているなんて公表されてみろ。ウチだってダダじゃ済まないよ。報道部が報道対象になるなんざシャレにもならねえからな。だがな」
 と言うと、藤森が椅子から立ち上がった。
「俺たちだって泣き寝入りは出来ねえ。報道部の総力を挙げて、嶽下のクソガキにウイルスを感染させた真犯人を探し出すぜ!!」
「デスク!!」
 二人が感激して言った。
「かっこいい」
「ああ、デスクが今までで一番頼りに見える・・・」
「と、いうことで」
 言うだけ言うと、藤森はすとんと椅子に座った。
「後は任せた」
「え?」
「今、総力を挙げてって・・・」
 藤森は、怒ったり感動したりがっかりしたりする二人に言った。
「そういう心意気だってことだ。考えてみろ。実際にそれに総力をあげたら他の取材がおろそかになるじゃないか」
「そんなことだろうと思った」
 と、がっかりする小倉に赤間が言った。
「まあ、確かにデスクの言うとおりだ。とにかく、俺たちだけで出来る限りやってみよう」
「さすが赤間君だな。話が判る。じゃ、手始めに感対センター取材してくれ。さっかくウチの記者が隔離されてるんだ。同僚が見舞いに行ってもおかしくはないだろう」
「身内以外入れないのでは?」
「そこはそこで何とか工夫しろ」
「はい」
 二人がそろって返事をした。
「よし。じゃ、今日の取材分、急いで編集に回さんと夕方のニュースに間に合わんぞ」
「うわ、忘れてた」
「やばっ」
 二人は口々に叫ぶと、飛ぶようにして藤森の前からいなくなった。

 

【参考文献】
  金森修「病魔と言う悪の物語~チフスのメアリー」
   (ちくまプリマー新書)

***** 作者より *****

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