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1.攪乱 (2)レッド・ダムネイション

 時計の音と、地の底から湧くようなうめき声だけが、暗い室内に響いていた。

 動けなくなってどれだけ経つだろう・・・。友朗は思った。
 あの男が来て彼がハーブと呼ぶ赤い結晶を置いて行った夜、『スゴイものが手に入った。秘密厳守』というメールで友人たちを部屋に呼んだ。男の態度に何となく不信感があり、興味はあったが自分等だけで試すのは不安だったからだ。しかし、男の言うように効き目は抜群だった。これは、ハーブなんかじゃない、もっとヤバイ代物だ、と友朗は確信した。『ヴァンピレラ・シード』の効き目は悪魔的で、彼らはそれに溺れた。それ故に自分等の体調悪化に気付かず、ようやく気付いたのは病が悪化して麻薬の鎮痛作用が薄れてからだった。
 まず、最初に体調悪化に気付いたのは、最初に発症していた友朗だった。翌日一寝入りして目が覚めた時は、高熱と体中の痛みでほとんど動けない状態だった。しかも、自分は一寝入りだと思っていたが、美優が言うには、10時間ほど眠ったまま起きなかったという。それでも友朗は風邪か最悪でもインフルエンザに罹ったのだと考えた。そして、美優もそれを信じ、甲斐甲斐しく看病していた。友人たちは、友朗が苦しんでいるのも意に介さず、ヴァンピレラ・シードに耽溺し続けた。
「みゅうちゃん、そんなやつほっといて、おれ等と一緒にやろーよー。気持ちいーよー」
「あんたたち、トモローがこんなに苦しそうなのに、友達甲斐なさすぎだろ。そっちの部屋から出てくんな、バカ野郎!」
 美優はそう言うと、バタンと乱暴にドアを閉めた。しかし、その時美優はすでに発症していた。友朗のベッドの横に座って時折額のタオルを替えたりスポーツ飲料を飲ませたりしているうちに、だんだん熱が上がって行くのがわかった。
(やっばい。アタシも風邪引いちゃったかも)
 美優は、ベッドに突っ伏して様子を見たが、病状は悪化するばかりに思えた。自分まで倒れたら友朗に迷惑がかかると思い、とにかく家に帰ろうと立ち上がろうとした。その時、突然に得も言われぬ息苦しさに襲われた。ウッという短い呻き声を上げ、美優はそのまま床に倒れてしばらく痙攣していたが、次第に動かなくなっていった。
 そんなことなど知らずに眠っていた友朗は、目を覚ましてから美優に言った。
「みゅう、夕日が・・・。カーテン閉めてくれよ」
 しかし、返事がない。
「みゅう・・・いないのか?」
 友朗は右手で美優のいた位置を探った。しかし、彼女の姿はない。
「くっそお、みゅうめ。あのクソアマ、俺を置いて帰りやがったのかよお・・・」
 友朗は美優を罵った。
「くっそお、喉が渇いた・・・、体中が痛い・・・。誰か救急車呼んでくれよお・・・、死んじまうよう・・・」
 友朗の情けないかすれ声が空しく部屋に響いた。しかし、友朗はしばらくて恐ろしい事実に気付いた。部屋のあちこちからうめき声がしている。どうやら瀕死の状態にあるのは自分だけではないようだ。その時初めてサイキウイルスのことが友朗の頭をよぎった。では、部屋の中が赤いのは・・・! それは、言いようのない恐怖だった。
 それから何時間たったか、うめき声は、もはや、自分のものなのか、人のものなのかわからなくなっていた。眼や鼻から血が流れ、更に鼻の血は喉の奥にも流れていった。しかし、のどの痛みが激しくてそれを飲み込むのも困難な状況にあり、もはやたまった血で呼吸困難に陥りそうだった。布団の中も血と汚物にまみれていた。このままだと俺たちは全滅する。友朗は意を決して部屋のどこかにある携帯電話を探して119番しようと必死で起き上がろうとした。ようようの思いで体を少し起こした友朗は、床に倒れている美優を見つけた。
「みゅう・・・」
 友朗は全てを察した。さらに追い打ちをかけるようにして、無理に起き上がった友朗の喉の更に向こうから、何かの塊が突き上げてきた。口と鼻から血を噴き出しながら、友朗はベッドに仰向けに倒れた。口から黒い血を溢れさせ、友朗はのたうった。

20XX年7月2日(火)
 

 山下公尚は、週明け早々0時近くまで残業したというのに、またも隣人に安眠の妨害をされていた。
 日曜の夜から明け方にかけては、時折獣じみた奇声を発しながら励む声や喘ぎ声、そして時に哄笑という、さながら魔宴(サバト)の如くだったが、昨日の夜からそれがうめき声のようなものに変わっていった。山下は、それをドラッグでもキメながらやっているからだろうと、嫌悪感を持ちながらも関わり合いになることを怖れ、無関心を通そうと考えた。しかし、今日はそのうめき声が地の底から湧きあがってくるように聞こえていた。
(くそっ、なんだってオレがこんな思いをしなけりゃならんのだ!)
 山下は、心の中で毒付きながらベッドの中で寝返りを繰り返していたが、いつの間にか眠りに落ちていった。
 しかし、数時間後、異様な空気を感じて目を覚ました。テレビはタイマーが働いていつの間にか消え、イヤフォンは寝返りを繰り返すうちに外れてしまったようだった。当然エアコンのタイマーも切れ、部屋は蒸し暑さを取り戻しつつあった。目を覚ましてから真っ先に聞こえたのは、例のうめき声だった。しかも、それは山下の部屋の前で聞こえるような気がした。
「くっそお! どこが防音壁だよ! いっちょん役にたっとらんやないか!!」
 と、山下は今度は声を出して毒付き体を起こした。しかし、今まで通路の方からは、よほど大声でない限り騒音に悩まされた記憶がないことに気付いた。しかし、夜でも夜明けの方が近い時間だ。静寂故に、日頃聞こえない音が聞こえるのかもしれない、と、山下は自分を納得させようとした。しかし、声と共に這いずるような音や衣擦れの音が聞こえてきた。そして・・・。
 山下は背中がぞわぞわするような恐怖心を覚えた。サーッと両手から肌に粟なしていくのがわかる。ソレは明らかに自分の部屋の前に居る。山下の耳に聞こえたのはドン・・・ドン・・・とドアを力なく叩く音。そしてか細い消え入りそうな声がした。
「助けて…たすけて・・・ください・・・」
 山下は、ベッドの上に座ったまま毛布を頭からかぶって震えていた。しかし、何者かが自分を頼って必死で戸を叩いているんだと、勇気を振り絞って立ち上がった。リモコンで部屋の明かりをつけ、そっとドアに近づくと、声の出処が判った。玄関ドアの郵便受けから何者かが必死に呼びかけている。山下は外にいる何者かに尋ねた。
「誰? なにがあったの? 救急車呼ぼうか」
 山下はドア越しに尋ねたが、返事がない。ドアスコープから外を見ても人影は見当たらないが、うめき声は相変わらず聞こえている。これは、やはり床に倒れているのだろうと思い、山下は意を決して恐る恐るドアを開け、足元を見た。すると、血だらけの男が床にうつぶせに転がっているのがわかった。彼の這いずった後には血の軌跡が隣のドアから続いている。男はドアが開いたのを察して顔を上げた。
 その顔を見て、山下は腰を抜かさんばかりに驚いた。それは内出血の染みだらけで、腫れあがった両目は真っ赤になった眼球から血の涙を流している。信じられないが、それは現実にそこに居る。幽霊の方がはるかにマシだった。山下は、目の前で何が起こっているのか理解出来ずに突っ立っていた。男は山下にすがるかのように手を伸ばし、息も絶え絶えに言った。
「あ、あかい・・・た・・・す・・・けて・・・きゅうきゅ・・・s・・・」
 男は言い終える前に、ごぼっと黒い血の塊を吐いた。その光景と、えも言われぬ悪臭で、山下はようやく我に返った。
 
 
「サイキ病?! うわっ! く、来るなぁ!!」
 山下はかすれた声で言うと男の手が触れる直前にドアを閉め、ひぃ~っという悲鳴を上げながら部屋に駆け込み枕元の携帯電話を手にすると、震える手で119を押した。しかし、感染者の凄まじい姿を見て恐怖におののく山下は、119という簡単な番号をなかなか押せなかった。それでも何とか消防につなぐとすぐにオペレーターが出たが、先方が一言言うか言わずかのうちに、山下は恐怖にガタガタ震えながらも必死で言った。
「サ、サ、ササササ・・・」
「落ち着いてください。火事ですか事故ですか、傷病ですか?」
「あかっ、あかいっ、赤いって・・・」
「火事ですか?」
「ち、ちがっ・・・ササササイキウイルスッ、かかかかかんっ、かんっ、感染ッ」
「落ち着いて! サイキウイルスというのは確かですね?」
 オペレーターの声は慎重だった。サイキウイルス公表の放送以来、1日に数件、多い時では何十件もサイキウイルス関連の通報があるからだ。
「まっ、まっ、間違いありません」
「あなたが感染しているのですか?」
「ち、違いますっ。今戸口に感染した男が倒れているんです!」
「あなたではないのですね」
「違います。ノックの音がしたのでドアを開けたら、サイキ病の男が倒れていて、助けてくれと言ったんです」
 もともと冷静な性格の山下は、オペレーターと話しながら徐々に本来の落ち着きを取り戻しながら言った。
「感染者が助けを求めてあなたの部屋のドアをノックした、ということですか?」
 オペレーターは慎重に聞き返した。山下はオペレーターの声から彼が胡散臭そうな表情をしている様子が頭に浮かんだ。無理もない、と山下は思った。自分だって信じられないのだから。
「自分でも今見たことが信じられませんが、寝ぼけているんじゃありません。そいつの顔を見たんです。黒い染みだらけで眼が、眼が腫れて・・・眼球が真っ赤になってて眼から血が流れて・・・、ああ、思い出したくない、アレが生きた人の顔だなんて・・・・」
「わかりました、今、専門の装備をした隊を送る指示をしています。住所をお願いします」
「K市**n丁目**-** シャトル・グラストゥール13階13**号です。隣は13**号」
「あなたはその男に触れましたか?
「いえ、咄嗟にドアを閉めましたから・・・」
「わかりました。あなたは部屋から出ないようにしてください。玄関のドアにも近づかないで。くれぐれも感染者にはさわらないで。警察へはこちらから連絡します。感染者はあなたの部屋のドアの前で倒れているのですね?」
「はい。多分、隣の部屋から出てきたんだと思います。早く来てやってください。それからその部屋には複数のカップルがいると思います。おそらく・・・」
 山下はそこで一旦言葉を切ってから息を呑んで言った。
「全員感染してます」

 知らせを受け、数台の救急車両と消防車両が問題のタワーマンションに乗り付けてきた。それらの車両から防護服に身を包んだ救急隊員たちが駆け出し、現場である13階に向かった。エレベーターを降りて、指示を受けた部屋の方を見ると、廊下になにか黒いものが横たわっていた。傍に駆け寄ると、血だらけの若い男が息も絶え絶えに倒れている。隊員の内二人が彼の救護にあたり、他は問題の部屋の方に向かった。血だらけの男の這ってきた血の跡がその部屋から続いており、ドアは少し隙間が空いている。何かがあったのは一目瞭然だった。隊員たちは迷わず部屋に入っていった。しかし、中の惨状を見た隊員たちは凍りついた。
 それは、今まで数多の悲惨な現場を見てきた屈強な男たちをも戦慄させるに十分な光景だった。
 先ず、入ってすぐのリビングに全裸の男女二人が折り重なるようにして倒れていた。二人とも息はなく、既に硬直が始まっていた。
「まだ生存者がいるかもしれない」
 と言うと、隊長は大声で呼びかけた。
「救急隊です! 救護に来ました!」
 すると、それに答えるかのように、バスルームから半裸の女性がよろよろと出てきて床に倒れた。
「た・・・すけて」
 彼女はそれだけ言うと、意識を失った。開いたままのドアから血だらけの床と便器が見え、隊員たちは顔をしかめた。
「町田と金村はそのままこの女性を搬送、他は、残りの感染者を探せ」
 隊長が言うと、彼女を介抱している二人の男を残し、隊員たちは室内の捜索にあたった。奥のベッドルームのドアを開けると、二人の人物が確認された。
「隊長、ここに居ました!」
 隊長たちが駆けつけたが、その様子を見て愕然とした。
 ベッドに男が苦悶の表情のまま事切れていた。絶命の瞬間に吐いたであろう血が、周囲に飛び散っていた。ベッドの横には、看病していたであろう女性がうつぶせに倒れていた。既に硬直しており少なくとも死後半日以上は経過しているようだった。うつぶせに倒れていた彼女は背面に男の血液が大量に付着しているものの、前面は特に異常はなく、出血している様子はないようだった。男より先に、心臓発作か何かで死亡したものと思われた。
 隊長は、彼らを感対センターに送る指示をした後、他に感染者はいないかと室内を確認して回った。しかし、もう誰の姿もなかった。6人に間違いなさそうだ。
「4人死亡、2人重体か・・・。しかし、こいつらいったい何をやってたんだか。見る限り学生のようだが、こんないいところに住んどって・・・」
 と、隊長は何かを踏んだことに気が付いて、床にしゃがんだ。見ると、ジッパー付のビニールの小袋に赤い結晶が入ったものが落ちており、周囲に漏れこぼれたらしいものが赤く散らばっていた。
「なんだ、これは」
 隊長は立ち上がると、青年たちが倒れていたあたりを確認した。やはり、彼らの周囲にも赤い結晶が散らばっていた。さらに、注射器とそれを溶いたらしい容器も見つかった。
「麻薬か? こいつで感染が広がったのか? 馬鹿なことを・・・」
 
 隊長は苦々しい様子で言った。
「俺がこいつらの親だったら、死体でもひっぱたいてやる!」
 その時、防護服の警官たちが室内に入って来た。先頭を歩いていた若い男が言った。
「サイキウイルス対策部の葛西です。遅くなりました」
「ご苦労様です。感染者は6人、うち4人心肺停止、2人重体です。重体の方はすでに感対センターに搬送中で、今からのこりの4人を搬送しますが・・・」
 隊長はそう言いながら手に持った小袋を葛西に渡して説明した。
「こんなものが落ちていました。麻薬の類だと思われ、室内のあちこちに落ちています」
「? なんだかきれいな結晶ですね。鑑識に調べてもらいましょう。で、感染者の倒れていた場所や状況をお聴きしたいのですが」
「こちらです。まず通路に・・・」
 隊長は説明するために友朗の部屋の外に向かった。
 
 
 

 めんたい放送のミナミサこと美波美咲は、サイキウイルス集団感染死発生の一報をうけて、現場のマンションに来ていた。当然他局の連中も押しかけてきている。
 マンションの入り口にはすでに黄色のテープが張り巡らされ、周囲を警察車両と消防車両が取り囲み、報道陣も一般人も近づけないようになっていた。県警本部から駆け付けてきた早瀬の大声が聞こえる。
「報道陣を入れるなぁッ! この前のようなことになったら許さん!!」
「あのオバサン、また怒鳴ってるし」
 美波は不満そうに口を尖らせて言った。『この前のようなこと』とは、もちろん美波が現場に入り込んでいて、あわや感染の事態になりかけたことである。小倉と赤間が呆れたように言った。
「おまえな、当の本人が何言ってんだよ。あの後ウチ(我社)に警察から厳重注意があったんだぞ」
「そーだよ。それにオバサンって、あの人、この前防護服なしやったけど、確かにちょっとばかし歳は食っとおけど、萬田久子みたいでカッコよかったやん」
「何よ、赤間ちゃん、今流行りの熟女好き?」
「何言ってんだよ、おまえなあ」
「待て待て、オマエら、仕事だ」
 小倉が言った。
「出て来たぞ、救急車! 行くぞっ」
 それを聴いた美波は、急いでマイクを構えた。
「出てきました。2度目の搬送です。先ほどは重体患者の搬送と言うことでしたが、まだ感染者がいると言う情報が入ってまして、既に心肺停止と言うことでしたが、これはその搬送ではないかと思われます」
 救急車は警官や消防の特殊車両に守られてゆっくりと出てきた。その周囲を各社のクルーが追いかける。美波もそれを追っていたが、他社と同じ横並びの画しか録れなかった。
「あ~あ、つまんねーの」
 美波はつぶやいて周囲を見回した。他社の様子を確認したのだが、その時ふと野次馬に混じって見知った顔があることに気が付いた。
「あっ、あの時助けてくれた人だ!」
 美波はその男の方に駆け寄ろうとしたが、男はそれに気づいたのかたまたま偶然か、横にいる女性を連れて野次馬の中に姿を消した。その女性の顔を見て、美波は驚いた。いきなり美波が駆けだしたので、小倉・赤間をはじめとするクルーたちは、訳も分からずに後を追った。
「ミナちゃん、何かあったの」
「もおっ、彼、逃げちゃったじゃない。あんたたちがついてきてたせいよ。せっかくお礼を言おうと思ったのに・・・」
 美波はため息をついて言った。野次馬の方から「あ、ミナミサじゃん」という声があちこちからして、ケータイを構えたので、美波は慌てて持ち場に戻った。
「ねえねえ、何があったのよ」
 赤間が興味津々で訊ねた。
「この前、電車で男に襲われたじゃない? その時に助けてくれた人が居たのよ」
「えー? 見間違いじゃないの?」
 と、これは小倉。
「あのね、私は職業柄もあって、人を覚えるのは得意な方なの。しかも、恩人だし、忘れるわけない・・・けど・・・」
 と、美波はそこで言葉を濁した。何か腑に落ちない表情だ。
「けど?」
 と、小倉と赤間がほぼ同時に尋ねた。
「彼と一緒に居た女性、どう見ても・・・」
「彼女だろ。 そりゃあしゃーないわー」
 赤間が言うと、美波はそれを打ち消した。
「違うっ! 極美よ、あの感対センターに自衛隊ヘリが河部さんを搬送してきた時、鉢合わせたじゃない」
「え? どういうこと」
「私が訊きたいわよっ!」
 美波は混乱して言った。 

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