5.微光 (8)小さな幸せ
20XX年6月28日(金)
河部巽(たつみ)は現実を目の当たりにして呆然としていた。
ようやく隔離病室から出ることが出来、説明もそこそこに妻、千夏の病室の前に駆けつけたのだが、そこで見たのは病状が悪化し、苦しそうにあえぐ変わり果てた姿の妻と、必死に治療をしている医者と看護師の姿だった。
「河部さん」
後を追いかけてきた高柳に呼ばれて巽は振り返った。
「センター長、妻は・・・」
「詳しくご説明をしようとしていたのですが、あなたがあまりにもすごい勢いで飛び出して行かれたので、機を逸してしまいました」
「すみません。隔離中もずっと気になっていて、妻の病状を思うと夜も寝られなくて・・・」
「無理からんことです」
「ですが、急いで来たものの、あの、想像以上で、私はどうしたらいいのか・・・」
「河部さん、まず、奥さんの今までの経過についてご説明させてください」
高柳はそういうと、巽に説明を始めた。
「では、あの発疹は妻にだけ現れた症状だと・・・」
「はい、あのように広範囲に現れたのは、奥さんだけです。ただ、他にも特異な症状の出られた方がおられますので、奥さんだけが特殊な感染というわけではありません。赤視の症状があっても自傷や他傷行為がなかった方や、際立って呼吸器の症状が重かった方もおられました」
「過去形と言うことは、その方たちは・・・」
「そうです。すでに亡くなられています」
と、高柳は静かに答えたが、その表情は厳しかった。
「では、妻も、もう・・・」
「まだあきらめるのは早いですよ、河部さん。奥さんにはまだ赤視の症状は現れていません。希望は捨てないでください。それにまだ数名闘病中の方がおられるんです。私たちは最後まであきらめません」
「僕だってあきらめたくありません。妻を励ましたいのですが、中に入ることはやはり出来ませんか?」
「はい。以前ご説明しました通り、あなたは感染を免れたようですので、病室には入れません。申し訳ありませんが、その窓越しでお願いします」
「はい・・・」
巽は、そう答えると意を決したように病室の方を向いた。
高柳が去った後、巽は一人窓越しに妻、千夏の姿を見守っていた。看護師たちは、かいがいしく千夏の看護をしていたが、巽は彼らの間に妙な空気が流れていることに気付いた。どうも、一人の女性看護師にそっけないような気がしたのだ。
治療の功あってか、千夏の状態がだいぶ落ち着いてきた。彼女は窓の方を見、そこに最愛の人がいることに気が付いた。
「たっちゃん・・・」
「千夏、大丈夫か?」
「ごめんなさい、赤ちゃん・・・」
「いいんだ。君が生きていただけで、僕は・・・。それに、謝るのは僕の方だ。僕のせいで君が・・・」
「ううん」
千夏は首を振った。
「たっちゃんのせいじゃないわ。だって、たっちゃんは、たまたまそこを通りがかっただけだもの」
「千夏ぅ・・・」
病に倒れてもなお夫を思いやる妻を見て、巽は男泣きに泣いた。
巽が病室で感じた違和感は間違いなかった。
園山のまいた種は、看護師たちの間に急激に根を張り、疑心暗鬼を植え付けていった。特に甲斐にたいしてそれは強く、園山が思慕を持っていたと思われる山口医師にさえ、憶測が飛んだ。都築 翔悟こと、長兄、白王清護(すめらぎしょうご)の思惑通り、園山の投げかけた波紋はスタッフの間に着実に広がっていた。
知事に呼ばれて知事室に向かうギルフォードは、知事室方向からやってくる60代から4・50代の男3人とすれ違った。3人は若干胡散臭そうな目でギルフォードの方を見たが、彼が笑顔で会釈をすると軽く会釈を返して去って行った。
知事室に入ると、森の内は立ちあがってギルフォードを迎えた。
「ギルフォード教授、お待ちしていましたよ。首がフタバスズキリュウになるくらいに」
「首を長くしてということですか」
「エラスモサウルスとまではいきませんでしたが」
「あの、クビナガリュウの知識自慢で僕を呼んだのですか?」
ギルフォードは、早々とゲンナリして言った。
「おっと、失敬。とりあえずかけてください」
森の内はそういうと、ギルフォードをソファに座らせ、その後自分も座ると言った」
「ぶっちゃけ、用件から言います。政府から要請があったとですよ。はぁあ~、困った」
「何のです?」
「7月に入ったら、すぐに恒例のお祭りがあるでしょ?」
「ああ、あのY祭りですね」
「その全国的にも有名な祭りをですね、今年は控えてほしいと・・・」
「控える・・・。中止しろってことですか?」
「ええ、そういうことです」
「オー、それは・・・。男衆の、あの締め込み姿が見られないとはモッタイナイです」
「はぁ?」
「あ、いや、失礼シマシタ。続けてクダサイ」
「期間中3百万人の人出を誇る祭りです。相当な経済効果もある祭りなんで、中止となると・・・」
「それだけ人が集まるとなると、当然感染リスクが高まります。ましてや、県外からも相当の観光客が来るでしょうから、ウイルスが拡散するリスクもかなり上がるはずです。国が中止を求めるのも、決して理不尽な要求ではないと思いますが」
「しかしですね、話はそんな単純なことじゃないとです。中止しろと言われて、はい、わかりましたと答えられるものじゃありません。祭りというものは元来神事ですからね。特に700年の歴史がありますし当然、反発も出てくる。さっきも祭りの振興会の方々が来られて、中止はまかりならんと言う強い要請をして帰られたばかりなんです」
「ああ、さっきすれ違った人たちですね」
「おや、会われましたか」
「見たと言うのが近いですが。で、上手く説明していただけました?」
「リスクについてはちゃんとご説明しました。こんな状況だから、集客も望めないと言うことも告げました。でも、祭りは金儲けや集客のためにやるのではないと、お叱りを受けました。そもそも、この祭りの起源は疫病払いなんです。なので、こういう時だからこそ、やらなければならないとおっしゃって」
「疫病退散祈願の祭りが疫病を広めることになったら、シャレになりませんケド」
「しかし、今の感染状況は、死者は徐々に増えていますが、それは今のところ交通事故の死者数に比べても少ない数です。ガンや心臓疾患での死亡者数と比べると、もう桁が違う程少ない。しかも、病原体は未だ見つかっていない状態です。中止を納得させるには不十分でした」
「知事権限で中止させることも出来るでしょう? それに、M県の口蹄疫禍の時は、かなりの夏祭りが中止されたと聞きますし」
「あの時は、病原体もわかっていましたし、かなり深刻な状況でした。しかし、今のF市を見てください。平和そのものじゃないですか。この祭りは戦争末期に市内が大空襲にやられ、2年ほど中止されたのを例外に、何百年も続けられてきたんです。僕としても、中止するに忍びないとです。僕も今年こそは山を舁(か)きたかったとです。市民と一緒に『おっしょいおっしょい』と掛け声をあげたかとですッ」
森の内のテンションがだんだん上がってきた。それとともにギルフォードにだんだん嫌な予感がつのってきた。
「あの、僕、依頼されたサイキウイルス対策マニュアルを完成間近なのを置いてきたんで、もう帰らなきゃ」
ギルフォードはそう言いながら立ち上がり、そそくさと帰ろうとした。しかし、森の内はほぼ同時に立ち上がり、がばとばかりにギルフォードにしがみついた。
「教授~、お願いしますよお~。なんとかウイルス拡散を防いで祭りが出来るよう、お知恵を御貸しくださいよ~」
「離してクダサイ。僕は学者として祭の安全を確約することは出来ません。中止は妥当なセンだと思います。公衆衛生の面からも推奨出来ません。無理です、無理、ムリ」
「教授だって、締め込み姿が見れないのが残念とかさっき言ってたじゃありませんか~。一緒に締め込み姿で山を舁きましょうッ」
「嫌です。それに、僕自身は締め込み姿になりたくはないし、知事のも見たくないです」
「そんなこと言わないでくださいよお~。お願いです。お願いしますっ。一生のお願いですッ」
「だから、フンドシは恥ずかしいからしたくありません」
「褌とか言わんでください。締め込みと、いや、そのことじゃなくて、祭りをですね、祭りをッ・・・」
森の内の声が上ずってきたので、彼の方をちゃんと見ると、目と鼻の先に彼の顔があった。
「うわぁ、近い近いッ! 近いです、知事!!」
ギルフォードは知事の両肩に手を当てて、彼を遠くに押し戻すと言った。
「わかりましたから知事、落ち着いて」
ギルフォードはどうどうとばかりに森の内をなだめると、ソファに座りなおした。森の内も安心したように座った。ギルフォードはもう一度深いため息をつきながら言った。
「祭り自体は中止しなくてもいいでしょう。飾り山を飾って、出店なんかも大丈夫でしょう。 他の行事も、怪我をしたり必要以上に人が群れたりするようなものじゃない限り大丈夫でしょう」
「と、いうと・・・?」
「残念ながら、12日以降の行事、特にフィナーレを飾る追い山は中止された方が良いかなと・・・」
「教授ぅ~、そりゃあなかつですよ。追い山ばやらんで何がY祭りですかぁ。追い山が終わらんと鎮め能もできまっしぇん」
「沿道を見物人が埋め尽くして、周囲のビルにも人が鈴なりになるんですよ。そんな中、もしテロリストにウイルスを撒かれたらどうするんです? 誰も何も気づかないまま数日後には日本中で発症者が大発生するかもしれないんですよ。そうじゃなくても舁き手や見物人の中に感染者がいたとしたら・・・」
「それやけんギルフォードしぇんしぇえにお願いしとおとです。頼みますけん知恵ば貸してやらんでしょうか」
お国言葉全開である。困ったギルフォードは腕組みをして黙り込んでしまった。この祭りが土地の者にとってどんなに大切かよくわかっているからだ。すると、森の内はいきなり応接セットから飛び出すと、床に頭をこすりつけるように土下座して言った。
「お願いしますけん、どうかうったち(私たち)に力ば貸してください」
「知事、そんなことなさらないで・・・」
ギルフォードは困り果てて言った。
「それで、引き受けてきたんですの?」
紗弥は、ギルフォードにミルクティーをサーブするとため息をつきながら言った。ギルフォードは若干仏頂面気味に言った。
「土下座までされて、僕にどうやって断れというんですか? しかも、もうちょっとで市長まで出てきて土下座大会になるところだったんですよ」
「私なら、断固としてお断りしますわ。拡散のリスクが高すぎますもの」
「そうねえ、紗弥さんならきっぱりと断れそうだけど、私はモリッチーにそんな風に泣きつかれたら気持ちがゆらぐなあ」
と、由利子がマニュアルの校正をする手を止めて言った。
「そうでしょそうでしょ。あれを断ることが出来るのは鬼と紗弥さんくらいですよ」
「まあ、私は鬼と同次元ですのね」
「あ、いや今のは言葉のアヤです。スミマセン、サヤさんは天女のように優しいデ~ス」
「今更遅いですわよ」
と言うと、紗弥はギルフォードの頭を持っていたお盆で軽くはたいた。
「それに、私は大事な羽衣を盗られて結婚を迫られるような間抜けじゃありませんわ」
紗弥はそう言い捨てると、お盆を返しに行った。
「しまった、羽衣伝説で返されるとは、不覚でした」
と、ギルフォードは叩かれた頭をさすりながら、若干悔しそうな表情で言ったが、すぐに笑顔で言った。
「それにしても、サヤさんは変わりましたね。いいコトです」
「そうなの?」
「はい。ちょっと前なら、さっきみたいな冗談を言ってもガン無視でしたよ。最近、よくサヤさんは僕をはたいてくれます。嬉しいです」
「そこだけ聞いたら、変態発言だな」
と、由利子は苦笑い気味で言った。
「教授、要らないことは言わないでくださいませ」
紗弥は相変わらずのポーカーフェイスだったが、少しだけ照れくさそうに見えた。
「それよりお祭りのこと、安請け合いしてどうされるおつもりですの?」
「ああ、そうでした。それがそもそもの問題なのでした。でもまあ、当事者の方々を含め、みなさんの協力をいただいて無事にお祭りを終えられるよう努力するしかないでしょう。お祭りに乗じて、テロリストたちがなにか仕掛けて来るかもしれません。ジュンたちもがんばってもらわないと」
ギルフォードは足を組みなおし両手で右ひざを抱えながら、半ば居直ったように言った。しかし、
「じゃあ、アレクの締め込み姿、楽しみにしているね」
と、由利子が楽しそうに言ったので、すっかりそのことを頭から切り離していたギルフォードは、再び憂鬱そうにして首をゆっくりと左右に振ってから言った。
「締め込みは謹んで辞退します!」
初音は動物保護センターのケージの中で、少し戸惑っていた。
今日は朝から職員の態度が少し違っていた。いつもより朝ごはんが豪華で、職員たちが何か言いながら、かわるがわる頭を撫でてくれた。涙ぐんでいる者もいた。
初音は、いつもと違った空気を感じながら、ケージの中で寝そべっていた。
昼過ぎに、初音はケージから出された。いつものお散歩とは違う時間に出されて、初音は喜んで職員に飛びついた。
「初音ちゃん、ここに来た時は唸ってばかりでどうしようかと思ってたけど、こんな良い子になってくれて嬉しいよ。でも、これでお別れなんだよ」
彼女はそういうと、初音の頭を撫でた。笑顔だが少し涙ぐんでいた。
「さあ、行こうね」
彼女は初音を連れて待合室の方に向かった。途中、春風動物病院の獣医師の妻、小石川舞衣がかけつけた。初音が嬉しそうに尻尾を振ってワンと吠えた。
「初音ちゃん」
舞衣は初音に駆け寄ると、ぐっと抱きしめた。
「舞衣さんは、毎日来てくれて初音ちゃんのケアをしてくれてたんですもん。お別れは辛いでしょう?」
「ええ。でも、これは仕方のないことだから・・・。さ、ここでうだうだしていても仕方ないわ。初音ちゃん、途中まで一緒に行こうね」
初音は舞衣と職員の間で、双方に軽くじゃれながら歩いた。少しはしゃいでいるようで、いつもとは違うことを察しているように思えた。
待合室のドアを開けると、ソファに座っていた女性がさっと立ち上がり、一礼して言った。
「こんにちは、窪田と申します。今日は初音ちゃんの里親になるため参りました」
それから初音を見て優しそうな笑顔で言った。
「初音ちゃん! あなたが初音ちゃんね!」
彼女は初音に駆け寄ると、しゃがんで彼女の頭を優しくなでた。初音はお行儀よくお座りをしていたが、満面の笑みで目を細めながら撫でられている。舞衣が少し驚いて言った。
「あら、初音ちゃん。全然怖がらなかったわね」
「元飼い主の五十鈴さんの臭いが、かすかに残っているのかもしれませんね」
と、華恵が言うと、職員の女性が納得して言った。
「ああ、それで・・・。そうかもしれませんね。窪田さん、ギルフォード先生と感対センターの方からの紹介でしたね」
「はい」
華恵は立ち上がりながら言った。
「そこで、この子の飼い主さんとたまたま同室になりまして・・・」
「飼い主の方はお気の毒でしたね」
「はい。私も未だに信じられません。でも、事実なんですよね・・・。私は幸い感染してなかったようで、水曜には病院から解放されたんですが、あの家にはもう住みたくないので、亡くなった主人の身内に家を任せて、しばらくは実家に身を寄せて家業を手伝おうかと・・・」
「それで、初音ちゃんを引き取るご決心を?」
「はい。何かの縁だと思いまして。主人が動物をあまり好きではなかったので、ずっと生き物を飼うことはなかったんですが、いつか犬か猫を飼いたいなと思っていたんです」
「動物の飼育の御経験は?」
「子供のころからずっと犬を飼っていましたし、結婚前には猫もいました。私の実家はみんな動物好きなので・・・」
「この子を飼う環境はどうですか?」
「はい。実家がH村でペンションを営んでいますので、自然もいっぱいで、広い柵のある庭もあって、きっと、初音ちゃんものびのび出来ると思います。実家で飼っていた犬が1年ほど前に老衰で亡くなっているので、両親も心待ちにしているようで・・・」
「判りました。特に問題ないようですね。では、誓約書とか、いろいろ手続きがありますので、こちらにどうぞ」
華恵は待合室のカウンターに案内された。舞衣はソファに座って初音をあやしながら、華恵の手続き終了を待った。
初音は、華恵と舞衣と共にしばらく周辺を散歩した後、華恵の乗用車に乗せられた。車にはきちんと旅行用ドッグバッグが備え付けられていた。華恵は丁寧にお礼を言うと、車に乗りゆっくりと発進させた。
初音の乗った車の車影が見えなくなると、舞衣はその場に座り込んだ。
「初音ちゃん、良かったよお・・・。幸せになるんだよ」
舞衣は座り込んだまま、わ~んと子供のように泣きだした。
「ハツネちゃんが、無事、クボタ・ハナエさんに引き取られていったそうです」
舞衣から報せを受けたギルフォードが皆に伝えた。
「ああ良かったぁ。保護した甲斐があったねえ。でも、里親になってくれた窪田華恵さんって、あの亡くなられた窪田さんの奥さんよね。ずいぶんとキツそうな方ってイメージがあったけど、意外だねえ」
「僕はちょっとだけお会いしましたが、そんなキツそうな方には見えませんでしたよ。そもそも、動物好きに悪い人はいません」
ギルフォードはきっぱりと言った。紗弥がそれに真顔で答えた。
「そうとは限りませんけど。動物が好きで人をないがしろにする人は沢山いましてよ」
「まあ、そんな人もいるのは事実ですが、僕は人も動物と思ってますから、人を大事に出来ない人は動物好きを名乗る資格はないと思いますよ」
「教授らしい考え方ですわね」
「ましてや、特定の動物を人のものさしで神聖視するに至っては、何をかいわんやですよ。神聖視された方も迷惑千万だと思います」
「まあ、極端な話は置いといて・・・」
由利子は話が過激な方向に向かいそうになったので、急いで話題を逸らした。
「初音ちゃん、どこへ? 窪田さんが住んでいた場所には住みにくいと思うけど・・・」
由利子は川崎家の惨状を思い出しながら言った。窪田家もそうなる可能性があるように思えたからだ。
「はい、ハナエさんの実家がH村でペンションをしているので・・・」
と、ギルフォードは舞衣から聞いた通りのことを伝えた。
「そっか。いいところにもらわれたんだ。この事件が片付いたら、みんなでそこに泊まりに行こうか」
由利子の提案に、ギルフォードはノリノリで答えた。
「そうですね。ジュリーやジュンも一緒に、もちろん、ミハもね」
「美葉・・・」
由利子は未だ行方不明の親友のことを思い、また心が重くなった。
「今、どうしているのかなあ・・・。ひどい目に遭ってなければいいけど・・・」
「ユリコ、大丈夫です。ミハはユウキにとっても切り札です。誘拐事件から立ち直れた彼女は強い精神力を持った人です。きっと無事で戻ってきます」
「私もそう思いますわ。一度だけしかお会いしていませんが、見かけと違って根性のありそうな方だと思いましたもの。きっと困難を切り抜けて戻って来られますわ」
「ありがとう、二人とも」
二人に力づけられて、由利子は何とか笑顔で答えた。しかし、親友のために何もできない自分に対してのわだかまりは、美葉誘拐以来、消えることはなかった。何かのはずみでふっと思い出し、いたたまれなくなる。
(人の顔が覚えられたって、結局何の役にも立ってないじゃないか)
由利子はそう思って窓の外を見た。空には梅雨特有の憂鬱そうな鉛色の空が広がっていた。そんな由利子の気持ちを察してか、あるいは美葉の名前に反応したのか、寝そべっていた美月が起き上がって「ワン!」と鳴いた。ギルフォードは笑いながら美月の頭を撫でて言った。
「もちろんミツキも一緒ですよ。きっと君はハツネちゃんと仲良しになれると思います」
それを聞いて安心したのか、美月は満足そうに横になって毛づくろいを始めた。その一連の動作が妙に人間臭かったので、由利子はつい笑ってしまった。笑ったら少しだけ気持ちが楽になったような気がした。
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