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5.微光 (3)アップステージ

 ブルームが去った後、4人はややぼうっとして座っていた。ヘリの音と闖入者に怯えて隠れていた美月が、様子を伺いつつ出てきて所定の場所に座った。
「まるで旋風のようだったなあ」
 と、由利子が真っ先に口を開いた。ギルフォードはまだ不機嫌気味に言った。
「あのバカはもう、まったく何を考えているんでしょう。最近はツイッターとかですぐに情報がアップされてしまう世の中なのに、よりによってあんな目立つ登場の仕方をしなくても」
「多分、彼女には何か考えがあったのだと思いますわ」
「そうですよ、アレク。指揮官クラスの軍人さんが考えなしに動くとは思えないですよ」
 そう紗弥と葛西がフォローをしていたが、由利子は心の中でつぶやいた。
(あれ、単なる目立ちたがりだと思うなあ)
 そのうち、窓から外を見ていた如月たちが騒ぎ出した。
「あれ、さっきの将校さんやないですか? 下で学生たちに囲まれて記念写メ撮られてまっせ」
「あ、ほんとだ。なんか楽しそう! 将校さん嬉しそうにピースサインしてるし」
「しまった、あたしたちも一緒に撮っておけば良かったわねえ」
 それを聞いたギルフォードは恨めしそうに紗弥の方を見た。釣られて由利子と葛西も紗弥の方を見ると、彼女にしては珍しく頭を抱えていた。
「でもまあ、軍服を着ているわけじゃないし、きっと大丈夫ですよ」
 と、葛西が少し気の毒そうに言った。

 4人は気を取り直して、葛西の調査報告を聞くという本来の目的に戻ることにした。
「それでは、さっきはほとんど先に進まなかったので、改めて」
「で、どれだけ調査出来たんですか?」
 ギルフォードが少し体を乗り出して訊ねたので、葛西は急いで資料のページをめくり説明を始めた。
「えっとですね。先ず、森田健二の交友についてと一昨日亡くなった女子中学生、田所かんなの件ですが、C野署の中山・宮田両名の捜査により、やはり両者が接触した事実がわかりました。双方のケータイの方にはまったく記録が残っておらず、その時だけの関係だったようですが、宮田刑事らが地道に聞き込みをした結果、それが判明しました」
「ということは、紅美さんが言ってた健二が『お持ち帰り』した女性って・・・」
 と、由利子が半ば呆れたような表情で聞いた。
「はい、自殺した田所かんなだったということです」
「30代女性から女子中学生までとは、けっこう広いストライクゾーンですね」
「教授!」
「アレク!」
 つい口に出たオヤジギャグを女性二人からほぼ同時に怒られて、ギルフォードは首をすくめた。
「ドウモスミマセン」
 それを見た葛西は苦笑いをしながら言った。
「まだ14歳だったそうですから、まあ・・・」
「森田健二クンがご存命だったなら、発覚後の逮捕もあり得たということね」
 由利子が、葛西の濁した言葉の後を続けるように言った。
「まあ、そうなりますね。で、感染の方は幸いと言っていいかわかりませんが、彼女に関してはなかったようで、彼女からの新たな感染ルートはこれで消えました」
「彼女が感染を免れたのは、ケンジがまだ感染初期だったからでしょう」
 と、ギルフォードが推測した。紗弥がポーカーフェイスに若干の影を落として言った。
「それなのに、インフルエンザをサイキウイルス感染と早とちりしたということですの?」
「残念ですが、そういうことです。かわいそうに・・・」
「子供らしい短絡さなんでしょうケド」
 と、ギルフォードは科学者らしく感情をクールダウンさせていたが、葛西は少し憤って言った。
「しかも、先にインフルエンザに罹ったのは彼氏の方なんです。初期症状が同じ様なものとはいえ、ちょっと冷静に考えれば彼氏からインフルエンザに感染したってわかりそうなものですが」
「ひょっとして、サイキウイルスに関して間違った情報が飛び交っているんじゃない?」
 由利子の質問に、ギルフォードが答えた。
「まだ全容はつかめてませんが、カナリ誤情報が流布されていると見ていいでしょう。確かに罹り始めはインフルエンザなどのウイルス感染と区別はつきにくいですから」
「そのあたり、何か対策しなくていいの?」
「ハイ、近々、政府広報でCMを流す予定です。それから県のサイトの中にサイキウイルス専用情報掲示板を立ち上げて一般からの情報収集を行い、重要な、あるいは数の多い質問に対してはQ&Aでお答えするというコトです」
「Q&Aって、今もあるじゃない」
「発表当時から一週間以上経ちましたから、あのQ&Aでは対応できていないコトもあります。今もカナリの質問のメールや電話が入っているそうですし」
「確かに、自殺者が出てしまったし」
「それと、新たな対策マニュアルを作ってネット上で公開した上で、リーフレットを交付します。年配の方はネットを見ない人も多いし、紙媒体ならデータのように消えたりしないし、停電や電池切れとも無縁ですからね。あと、駅などにも同じものをを置くようにしています」
「そんなで効果はあるかなあ」
「一部の人たちにはないかもしれませんが、そういう啓蒙活動は必要です。多くの人たちは、ちゃんとした情報処理能力は持っていると思いますから」
「あの、続きを良いでしょうか」
 説明の途中で腰を折られた形となった葛西が、ようやく割って入った。
「あ、ごめん」
「スミマセン。続けてください」
「え~と、森田健二関連については以上です。
 次に、アレクが依頼された自殺未遂された秋山信之さんの件です。秋山さんが自殺行為をする前にかかってきたらしい電話について調べて欲しいと言うことでしたが、電話の着信履歴を調べた結果、14時45分頃ですが不審な電話が入っていました」
「どこからですか?」
「それが、海外の公衆電話からでした」
「公衆電話?  しかも、海外からですの?」
「はい」
「どこよ、それ。まさか、謎の国から来た挑戦・・・」
「残念ながら違います、由利子さん。なんと、イタリアのローマからでした。ナヴォーナ広場の近くにある公衆電話です」
 予想外の調査結果に、皆一様に驚いた。
「って、観光地もいいところじゃないですか。時差からして朝の8時くらいですね。いずれにしても、誰がかけたかわかる可能性はあまりナイですねえ」
「電話の内容とかも判らないのよね」
「はい。信之さんの意識がまだ戻っていませんので」
「でも、その電話が引き金になった可能性は高い、と思います。サトコさんの証言では、ノブユキさんの様子がおかしくなったのはその後だと言うことですから」
「僕も信之さんのお見舞いに行った時、ちょうど聡子さんにお会いしたので、その時のことをお聞きすることが出来ました。それにしても、皆さんすごい状況に遭遇したんですねえ」
「むしろタイミングが良すぎでした。ですからフシンに思ったのです」
「海外から電話は良く入るのかと言うこともお聞きしたんですが、あまり心当たりがないというお答えでした。でも、残念ながらそれだけで、その電話と信之さんの自殺未遂を結びつけるのは難しいでしょう。あ、そうそう」
 葛西は話の途中で思い出したように言い、バッグの中から和紙に包まれた物を出した。
「これ、聡子さんから預かって来ました。『秘書の方のお忘れ物』だと言っておられましたが」
「まあ」
 紗弥がそれを受け取って包んでいた和紙を広げた。
「頃合いを見計らってお引き取りに行こうと思っていましたの。律儀に持ち歩いておられたのですね」
「おや、あの時ノブユキさんの紐を切ったネックナイフですね」
「ええ、壁に刺さったまま忘れて帰った」
「何? ネックナイフって」
「ユリコはあの時救急車呼んでたりしたので、それを使った現場は見てないんでしたね」
「首にかけられる小型のナイフですわ。護身用ですの。まあ、ほとんどペーパーナイフ替わりにくらいしか使ってませんけど、あの時は咄嗟にこれで紐を切ったのです」
「それ、ちょっと見たかったかも」
 由利子が残念そうに言うと、葛西も相槌を打った。
「僕も見たかったです。でですね、電話つながりでもう一つ。斉藤孝治の立てこもり事件の時、正確には事件を起こす前、彼のケータイに電話が入っていたことがわかりました」
「今度も『その前』ですか」
「そうです。もちろん、それが孝治の犯行の原因とすることは出来ませんが、通話時間も10分近くで結構長く話していたのが気になります」
「それで、発信場所は?」
「まさか、また海外?」
 ギルフォードと由利子が矢継ぎ早に聞いた。
「いえ、今度は国内・・・、しかもT神のど真ん中、地下街の電話ボックス内からでした」
「また公衆電話からですのね」
「はい。しかも、監視カメラが付いていないため、手掛かりは全くなしです」
「どういうこと?」
 と、由利子が眉をひそめて言った。
「同一人物ではナイと言う可能性が高いですね」と、ギルフォードが答えた。「それと、ユウキも除外していいと思います。昼間から街中に出るとは思えないし、海外ならなおさらです」
「ってことは、かなり大きい組織って考えていいってことね」
「国際的な組織・・・と結論付けるのは乱暴ですが、海外にも仲間がいるという可能性はあります」
「いずれにしても、電話と秋山さんあるいは斉藤孝治の行為について関わりがあるとしての話ですわね」
「秋山さんは意識不明で斉藤孝治は自殺してしまいましたから、内容に関してもまったく不明ということになります。えっと、以上ですが・・・」
「ということは・・・」
 と、由利子が言った。
「森田健二について以外は、結局ほとんど進展していないということね」
「どうもすみません」
 と、葛西が条件反射的に謝った。そこで、ギルフォードは
「そんなことはありませんよ。心配されたルートが一つ消えたことで、そちらにかかっていた手を他に回せます。それに、二つの事件の直前に何者かが電話をかけていたことがわかり、その一つが海外からだったということから、海外にもテロ組織の勢力が及んでいる可能性も見えてきました」
「進展したというより、消えた問題の代わりに他の問題が浮き上がっただけって感じがするのだけど・・・。しかも、あくまで可能性だし」
 ギルフォードのフォローにも関わらず由利子がつぶやき、葛西がまた少し肩を落とした。それを見たギルフォードと紗弥が、若干非難気味に由利子の方を見た。
「あ、ごめん」
 今度は由利子が謝った。

 松川の病室に、男が姿を現せた。ダークグレーのスーツで背は高い方ではなく、さらりとした髪をラフなショートカットにしている。その髪型のせいで年齢よりかなり若く見えた。
「やあ、松川、だいぶ良いみたいだね」
「その童顔は、武邑さん」
 松川が言った。
「もう歩き回って大丈夫なんですか?」
「ああ。って、先輩に向かって童顔はないだろ」
 そういうと、武邑はベッド脇に椅子を持ってきて座った。
「あ、すみません」
「まあ、冗談を言えるくらいなら大丈夫だね。僕はもう4人部屋に移っているんだ」
「へえ、話し相手が出来ていいなあ」
「いや、相部屋も善し悪しだよ。僕も個室の時は人恋しかったけどさ。向かいの兄ちゃんは見舞いのカノジョといちゃついているか喧嘩しているかだし、その隣はボケ老人で、何度も看護師を呼びつけるわ、男の看護師だったら機嫌悪いわだし、隣の中年男性は紳士かと思ったら、夜中に歯ぎしりするわ、口の悪い寝言を言うわで、なかなか落ち着かなくてさ」
「それは大変ですね」
「でもまあ、来週あたり退院出来そうなんで、それももう少しの我慢さ」
「私も早く退院してリベンジしたいです」
「まあ、焦るな。特に君はまだ脳に損傷が残っているんだろ。ちゃんと治さなきゃあ」
「はい。でも・・」
「まだ歩けないんだろ? 酸素マスクは取れたようだけど、依然チューブだらけじゃないか」
「はい。まだ手術が必要だそうで・・・」
「その状態じゃ、変な物は持って来れないと思って、見舞い品なしで来たよ」
「見舞いって、武邑さんだって、まだ入院患者じゃありませんか」
「それがさ、あの長沼間さんが、多忙の合間に何度か見舞いに来てくれてさ、そのたびにお見舞い品持ってくるんで、病室が果物やらなんたらフラワーのアレンジメントやら雑誌やら増える一方でさ~。それで、その中の一つでも持って来てあげたかったんだけど」
「へえ、あの長沼間さんが?」
「君の所へは?」
「ええ、何度か来られましたが、看護師長さんから長居を止められているらしくて、私の様子だけ見てすぐに帰られるそうで」
「そうでって、君は知らないのかい?」
「いえ、その時は覚えているのですが・・・」
「え?」
「あの時以来、最近の記憶が曖昧になるんです。だから、この頃必ずメモを取ることにしているんです」
 そういうと、松川は枕元のメモ帳を手に取って言った。
「脳内にたまった血のせいらしいのですが」
「じゃあ、手術で治るんだね」
「まあ、どの程度かわかりませんが」
「きっと大丈夫さ。じゃあ、長沼間さんは来ても長居出来ないんだ」
「はい。忙しいこともあると思いますが」
「そうか。それなら安心・・・」
「え?」
「いや、僕の所に来た時も顔を見たらすぐに帰るからさ~」
「やだなあ、武邑さん」
「ところで、君、あの時のこと、何か少しは思い出したかい」
「それが、長沼間さんにも何度も聞かれているらしいのですが、記憶が断片的で、しかもぼやけているんで何が何やら。これも手術してたまった血を除去すれば、治る可能性が高いそうですが」
「そうか。しかし、大変だなあ、君も」
「ただ、ひとつ、何か違和感があるんです。私の襲われた前後があやふやなせいだと思うのですが・・・」
「まあ、焦らないことだな」
「でも、何か引っかかる・・・。あの、武邑さん、あなたもひょっとして何か気になることが?」
「あ? ・・・ああ、いや、そっそんなことはないよ。だって僕は長沼間さんを信頼しているからね」
「長沼間さんが何か?」
「あ、いや、その・・・。ごめん。忘れてくれ。じゃ、長居したな。また来るよ」
 武邑はそういうと、そそくさと病室を出ていった。
「?」
 松川は少し不審そうな表情をすると、メモを書き始めた。
「6月26日たけむら・・・あれ、漢字どうだっけ。変わった字だったよね。・・・まあいいや。タケムラ先ぱい来る、と。おっと、時間は・・・」
 と言いながら、時計を見た。その時、何かが頭をよぎった。
(長沼間さん? あの時確か結城が現れる前に電話があって、先輩がいないのをすごく怒ってて・・・。でも、長沼間さんはほんとにその時事務所に・・・? まさか結城と・・・)
「うわっ、いた、いたたたた、うう~~~っ」
 松川は激しい頭痛に襲われて考えることを断念した。その直後、看護師が彼のうめき声を心配して飛び込んできた。 

「以上で、事件関連の報告は終わりですが、もう一つ、ご報告があります」
 葛西はそういうとため息をついた。表情も若干憂鬱そうなので、皆の表情が緊張気味になった。
「実は僕、1階級特進しまして」
 と言いながら、もう一度ためいきをついた。
「え? スゴイじゃないですか。朗報じゃん。何で暗いんです?」
「まあ、おめでとうございます」
「で、何になったの?」
「巡査部長です。とは言っても下から2番目なんですけど」
 それを聞いて、由利子が少し驚いて言った。
「部長なのに?」
「そういう階級名なんです。それで、僕は警官になるのが遅かったので・・・」
「・・・けど、何で急に? 多美山さんの代わり?」
 由利子から言われて、葛西が情けない表情で言った。
「代わりでなれるもんじゃないんですけど・・・。本来は試験に合格しないとなれないものなんです」
「じゃあ、なんで?」
「美千代の事件の時、少年二人を身を挺して守ったのと、美千代からの拡散を防いだからということなのですが、その実、警察内の士気を上げるのが目的のようです。多美さんの殉職は警察内でもかなり衝撃だったようで、一部ですが、怖がる者も出てきているのが現状なんです。今はまだ顕在化してませんが、何れ表だって来るだろうと。それから、この前のように現場で指揮するのにヒラの警官ではまずいということもあるようです。まあ、あれが試験みたいなものだったようですけど」
「ってか、どうして葛西君が?」
「僕がSV対策室に配属されたのは、K署でいち早くウイルス事件に関わっていたこともありますが、大学で微生物学専攻だったことも大きいのです。普通の警官よりウイルスに詳しいだろうと」
「へえ」
「でも、微生物と言っても僕の専攻は発酵なんです。酒とか味噌とか醤油とかですよ。そりゃあ、基礎的なことは習ってますが」
「実は肉眼で微生物が見える特技があるとか?」
「由利子さんってば、それじゃマンガですよ」
「でも、ある程度微生物にお詳しいのでしょう? そういう方を抜擢することは間違ってないと思いますわよ」 
「ジュン、上の思惑はともかく、あまり考えすぎないことです。大丈夫、君ならやれますよ。キョウも君には期待しているようですし」
「だから嫌なんです。僕にはそんな器ないですよ」
「しっかりしろって。確かに私も少し不安だと思うよ。でも、多美山さんのリヴェンジするんでしょ」
「はい」
「じゃあ、願ったりじゃない」
「はい。それは感謝しています。でも・・・」
「でも?」
 由利子の眉間に皺が寄り始めたので、葛西は慌てて言った。
「いえ、がんばります」
「それでは、カサイ巡査部長の誕生を祝って、こんど祝賀会をやりましょう」
「賛成!」
「私、場所探してみますわ。葛西さん、あとで良い日を教えてくださいな」
「はい。ありがとうございます」
「やった、飲み会だ!」
「最近気の滅入ることばかりでしたものね。由利子さん、十分憂さを晴らして下さいな」
「節度は守ってくださいよ」
 周囲が盛り上がる中、当の葛西は一人で盛り下がっていた。
「あのぉ、盛り上がっている時に申し訳ないですが・・・」
「何よ、アンタがその元ネタやろーもん」
「すみません、あの、由利子さんに警察からの依頼があるんです」
「え? 私に? ・・・ひょっとして、また首実検?」
「そうです。美千代や園山の残した言葉から、いくつかの宗教団体等を絞り込みつつありますので、明日あたり、鑑定してほしいと言うことです。アレク、いいでしょうか?」
「もちろんOKです。明日朝、直接向かわせましょう。ユリコ、いいですね?」
「はい。わかりました。死体じゃなくて良かった」
「申し訳ないです。僕、迎えに行きますから」
「いいよお、朝は公共機関で大丈夫だって」
「いえ、危険をはらむようなことを民間の方に依頼しているのですから、送迎くらい当然です」
「ユリコ、お言葉に甘えたらいいですよ。僕もその方が安心するし」
「わかった。お願いする」
 と、由利子が渋々了承した。
「じゃあ、用件も終わりましたし、僕、そろそろ帰らないといけません」
 と言うと、葛西は立ち上がった。
「おや、残念ですねえ」
「じゃ、私、トイレに行くついでに送ってあげるわ」
 そういうと、由利子も立ち上がった。
「ついでですか」
 葛西はそれでも少し嬉しそうに言った。

 二人が出て行った後、ギルフォードがすこしつまらなそうに言った。
「なんだかんだ言ってもジュンはユリコと一緒だと嬉しそうですね」
「彼はストレートですもの。それに、お似合いだと思いますわ」
「そうでしょうかねえ」
 その時、どこからか聞きなれた声が聞こえた。
「浮気はあかんでかんよ」
「うわ」
 突然聞こえたパートナーの声に、ギルフォードは驚いて椅子からずり落ちかかった。
「ま、殿方って、みなさん似たような反応をなさいますのね」
 と、紗弥がヴォイスレコーダーを片手にして、呆れて言った。
「ジュリーが浮気防止にって預けて行きましたの」
「脅かさないで下さいよ、もう」
 ギルフォードは椅子に座りなおしながら、口をとがらせて言った。

 由利子と並んで歩きながら、葛西が言った。
「美月ちゃん、僕に全然寄ってこなかったですね」
「ごめんね。あの子、もともと臆病だったのが、事件以来さらに臆病になってしまって・・・」
「そうですか。美月ちゃん、美葉さんを守ろうとして、すごく頑張って結城に立ち向かったんですね。彼女こそ、本当のヒーローです」
「そうね。表彰ものだよね」
 由利子が相槌を打った。すると、葛西がまたため息をついた。
「どうしたん?」
「僕・・・、さっき言えなかったことがあるんです」
 葛西は由利子と並んで歩きながら、ぼそりと言った。
「僕はいいんです。だって、僕は多美さんに誓ったから。何があってもこの事件の犯人を捕らえてテロの進行を阻止するって。だけど、もし、巧を焦ったり血気に逸ったりして命を落とす警官が出てきたりしたら・・・」
「葛西君?」
「現場にいる者からすれば、士気を上げればいいってものじゃないんです。下手すれば犬死することになりかねないんですよ。今はまだ、世の中は穏やかですが、これからどういうことになるかわからないのに」
 すると由利子は葛西の前についと出て立ち止まり、彼の顔をじっと見て言った。
「葛西君はあの時、功名心から子供たちを守ったの?」
「いいえ。あの時はただ、祐一君たちを危険から守りたくて・・・。警官ってのはそういう職業なんです」
「他の警官だってそうでしょ。そんなこと、葛西君が気に病むことじゃないって思うよ。それより、葛西君自身が気を付けてほしいの。あんた、見かけによらず無茶するんだから」
 由利子はそういうと、心配そうに葛西の顔を見た。それで、葛西は嬉しそうに言った。
「由利ちゃん、心配してくれてるんだ。嬉しいなあ」
「誰が由利ちゃんだっ」
「どうもすみません」
「もう、油断できないんだから・・・」
 そういう由利子の目は少し笑っていた。
「あ、もう棟の出入り口まで来ちゃったね。じゃ、お見送りはここまでだ」
「はい。では、後日お会いしましょう」
「遅くても、お祝い会には会えるよね」
「はい」
 そう返事をしながらも今いち覇気のない葛西に、由利子は業を煮やして言った。
「ほらあ、しっかりしなさい。警視総監目指すつもりで頑張って」
「僕はノンキャリですから、それは無理だと思います」
「じゃ、警部目指して頑張って」
 由利子は励ますつもりだったのだが、葛西は少し引き気味に言った。
「あの、不吉なこと言わないでくださいよ」
「え?」
 階級に詳しくない由利子は葛西の言った意味が分からずに一瞬きょとんとした。それを見て、葛西が少し笑って言った。
「それに、目標が下がりすぎです。目指すなら警視長ですよ」
「そうなんだ。マンガなんかで出てくるエライ警官がたいがい警部なんで、つい」
「そうですよね。銭型警部とか剣持警部とか田鷲警部とか」
「タワシ警部? って、(鉄腕)アトムの? あんたいくつよ」
「あはは、古すぎましたね。F県警の半■健人とお呼びください」
 葛西は笑いながら言ったが、すぐに真面目な表情に戻りビシッと敬礼をした。
「では葛西巡査改め、葛西巡査部長、これから持ち場に戻ります」
「うむ、がんばりたまえ」
 と、由利子が両手を腰に当てて威張ったポーズで答えた。
「じゃっ。実は予定時間より若干オーバーしてるんです」
 葛西はそういうと、もう一度敬礼して踵を返し、駈け出した。途中、道幅いっぱいに並んだ学生の一団にぶつかりそうになり、「ごめん」と頭を下げてまた駈け出した。どんど小さくなる葛西の姿を見て、由利子は言いようのない不安を覚えた。
(やっぱ、警官の家族って半端なく覚悟が要るよなあ・・・)
 由利子はすでに葛西の姿の見えなくなった道を見つめながら、つくづくと思った。

 その頃、感対センターの高柳らは戸惑っていた。河部千夏の症状が、今までと少し違うように思えるのだ。三原が高柳に戸惑いのまなざしを向けて言った。
「どうしたんでしょう。全身に発疹だなんて初めてです。今まで部分的にポックス様疱疹が出ていたことはありますが・・・」
「いや、実は、駅で死んだ男や冷蔵庫で見つかった男の遺体にも、その形跡があった。あくまでも仮定だが、ひょっとしたら、これはさらに進化したウイルスの可能性があるぞ」
「ええ? そんな・・・。今までのウイルスに対してすら対抗で来ていないのに、進化系だなんて」
 三原はそう言いながら不安そうに千夏の方を見た。
 

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