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2.焔心 (6)虚構の創造

 由利子たちが自分の過去話をしているとは思いもよらず、ギルフォードはセンター長室で高柳らと共に週刊誌の記事に頭を抱えていた。

 問題の雑誌は、『週間サンズマガジン』。悪名高いタブロイド系の雑誌である。もともと『太陽黒点』という硬派の右系社会派週刊誌だったが、昨今の活字離れで購買層が減り、さらにネットの普及が追い討ちをかけての凋落の一途をたどったが、やり手の編集長が思い切って方向転換を図り誌名を変え、いつの間にかソースの怪しいゴシップや怪現象などが大部分を占めるようになった。そのために発行部数はかなり増えたものの、結果、自他共に認めるタブロイド誌にまで成り下がってしまったのだ。
 雑誌の表紙には、布地占有率のかなり低そうな衣装の若い女性が胸の谷間もくっきりと、にこやかに笑った写真がバストアップで載っていた。超売れっ子ではないが、そこそこに有名なグラビアアイドルだ。
 その横に芸能や政界ゴシップの見出しが踊っていた。その中で、一際目立つように大き目の赤い文字でそれは書いてあった。

【殺人ウイルス】 F県で謎の出血熱。致死率100%?!

さらに『致死率100%』の文字は、ご丁寧に黒いギザギザの吹出しに赤文字で書かれていた。 

 表紙をめくると見返しに怪しげな精力剤やダイエット商品広告が掲載されており、次にグラビアページと目次、そしてトップ記事から堂々とカラーで例の記事が始まっていた。扉にはウイルスパニック映画のワンシーンやエボラや新型インフルエンザH1N1ウイルスなどの電子顕微鏡写真、エボラ出血熱で瀕死の状態にあるアフリカ人の姿、現地での宇宙服(防護服)の者たちの反転させた写真と共に、ニュース映像から拝借したらしい森の内や高柳の会見やF駅で防護服の警官や救急隊員が出動しているシーンが効果的にコラージュされている。
 そのど真ん中に、不気味な古印体という字体を使った血の色のような赤字でタイトルが書かれていた。 

Midashi_2

 ページをめくると数枚の写真と共に、いくつかのサブタイトルで文章を区切られた記事が始まった。

【記者は見た】 
 6月10日月曜日、本誌記者のMは、S公園にいた。
 彼女はF県K市で暴力団抗争の取材をしていたのだが、ある事件のことを知ったために、その検証をしようとやってきたのだ。
 この公園では、十数日前にホームレスの複数遺体が発見されていた。事件と抗争の関連の可能性を考えた記者は、調査しようとその公園に足を運んだ。
 その公園は死人が出たためだろう、昼間でありながらまったくの無人だった。ところがそこに人影が現れたので、M記者はとっさに公衆トイレの影に隠れて様子を伺った。
 人影は中学生くらいの少年だった。彼は、少し遅れて来た30代くらいの女性と、彼女の連れている小学生の少女に近づき、何か話し始めた。それからまた数分後、彼を心配して来た友人らしい少年と少女が植込みの陰から姿を現した。女性が、隠れて様子を見ていた彼らに気付き、呼び出したようだった。彼らが女性と話していると、刑事らしい男二人と婦警の三人が駆けつけてきて、年配の刑事が女性を説得し始めた。M記者からは、会話の内容は聞き取れなかったが、状況から女性が少年の妹を盾に、何か要求を迫っていると判断した。
 老刑事の交渉術が成功し、ついに女性は少女を解放した。少女は婦警と少年の友人の少女と共に、現場から離れていった。
 その後の交渉も上手くいっているようだった。しかし、突然女性の様子がおかしくなり、いきなり自分の首を刺して自殺を図った。老刑事がそれを止めようとしたが間に合わず、女性から吹き出す血を身体を張って防いだ。一方で若い方の刑事が少年達を庇った。M記者は驚いてそれを見ていたが、真に驚くべきことはその後に起こった。
 事件を受けて駆けつけた警官たちは、皆ものものしい防護服に身を包んでいた。彼らの装備から考えられること、それは、自殺した女性から危険な物質が漏れている可能性だった。次にM記者が可能性を考えたのが、彼女が危険な病原体を保有していることだった。M記者は急いでその光景を撮った。最初はシャッターチャンスを逃さないために、手にしていた携帯電話のカメラ機能を利用して撮った。それから、急いでデジタルカメラを出して撮り続けた。
 だが、その後M記者は公安調査官を名乗る男に拘束され、写真データを全て消去された。幸い携帯電話で撮った写真データは、すぐにメールで記者個人のデータ保管庫に送っていたので消去を免れ、ここに掲載することが出来た。
 その時現場にいたのは、警察や公安調査官だけではなかった。防護服を着用しているために容貌は良くわからなかったが、明らかに白人男性と思われる人物の存在があった。その男の秘書らしき東洋人の女性は、華奢な見かけながら記者の腕をねじり上げ拘束出来るほどで、只者でない危険な雰囲気を感じた。
 M記者はその後すぐに解放されたが、不思議なことに、その事件そのものについての報道は一切なされなかった。
 それに疑問を持ったM記者は、一人この事件を追うことを決意した・・・・

 その記事の横に、例の写真が2枚掲載されていた。
 1枚目は、遠目でもわかるほど血まみれになった多美山が、美千代を抱きかかえている横で、葛西が少年たちを庇いながら多美山の方を向いてなにか叫んでいるもの。もう1枚は多美山と美千代に駆け寄る防護服の救急隊員と、その周囲に立って捜査する同じく防護服の警官たちの姿が写っているもの。 
 いずれも顔の見える部分は全てボカシを入れてあるが、その場の緊迫した状況が伝わる写真だった。そして記事は次のブロックに進む。

【ウイルスの謎】
 M記者は調査を続けたが、なかなか確信に迫る事象にぶつからなかった。何人も関係者を探し出して質問をしたが、誰も思い出したくないと言って答えてはくれない。M記者はますます事件に対する根の深さや重大さを痛感した。
 最初の時点でなんとか取材出来たことは、まず、最初に起きたS公園で複数死んでいたホームレスが危険な病原体に冒されていたこと。彼らから男子中学生A少年が感染し、A少年から祖母と母親に感染したらしいということ。祖母は自宅で、その翌日にはA少年が、電車に飛び込んで死んでしまったこと。その少年の母親こそが、S公園で自殺した女性であること。その病原体は新種のウイルスで発症した場合死亡率が高く治療法も無いらしいこと。そして、この事件には外国人の『教授』と呼ばれる男がからんでいること。この感染症に罹った者は死者であれ生者であれ、県立病院IMCという医療施設に運び込まれており、前記の教授はそこに関わっているらしいということ。
 そこまではなんとか取材した記者だが、それ以上の確信に触れることが出来なかった。そもそも、当のウイルス自体、どんなものか実態がつかめない。
 ドン詰まったM記者の前に協力者が現れた。Bさんという会社員で、知り合いに公安の警官がいるということだった。
 Bさんは、情報提供者の素性を漏らさないという条件で、いくつかの情報を提供してくれた。
 BさんはS公園の近くに住んでおり、やはり公園の事件が気になって調べていた。その彼を心配して情報を提供してくれたのが公安に勤める友人だった。
 その友人が言うには、公園でホームレスが死んだ事件は、テロリストがウイルスの効果を調べるためにやった生体実験だったという。都心からはるかに離れた場所を選び、身寄りの無いホームレスを使って実験を行ったのである。しかし、想定外に公園に現れたA少年がそれに感染してしまい、水面下でウイルスが拡散してしまった。テロリストは急いで事態を収集しようとしたが、いったん広まったウイルスの回収などできるはずが無い。
 そこでテロリスト側は、ある男を警察内部にもぐりこませた。それは、ウイルス開発に携わっていた、元米軍関係のウイルス学者だった・・・

「ひどいデタラメです!」
 ギルフォードが我慢できずに言った。
 検証のため、代表して記事を読み上げていた葛西が、驚いて読むのを中断した。高柳がギルフォードをなだめるように言った。
「内容の出鱈目さはみんな承知のことだよ。タブロイド誌だもの。どうしたんだね、君らしくないな」
「あなたもこういう書かれ方をしてみればわかりますよ」
 ギルフォードは肩をすくめて言った。
「しかし、僕が憤ったのはそれだけではありません。途中まで彼女は良く取材出来ていました。これならいずれ核心に近づくだろうと、むしろ感心できるほどでした。しかし、協力者のBという人が出てきてから、せっかく向かっていた事実からどんどん離れていってます。残念なことに、彼女は自分で調べて自分で考えて真実に近づくことを放棄してしまいました」
「彼女を核心に近づけたくなかったのだろう」と、九木(ここのぎ)が口を挟んだ。「おそらくそれで、ミスリードするために、Bという男を近づかせたんだ。これについてはご同情申し上げるよ、ギルフォード先生。さて、葛西君。君が極美という女性に職質しようとした時妨害した男と、協力者Bが同一人物だと思うかい?」
 葛西はその時のことを思い出したのか、少し眉間に皺を寄せて答えた。
「はい。おそらくそうだと思います。しかも彼は、その時多美山さんの容態も知っていたようです」
「あまり考えたくないが・・・」
 高柳が言った。
「やはりこの病院には、まだ内通者が居る可能性があるな」
「だったら、そいつを特定するべきです」
 と、葛西。
「いや、今の状態で無駄に疑心暗鬼を産むのは良くない。チームワークの乱れがどんな結果をもたらすかわからん。それに、これはあくまでも『可能性』だからね。多美山さんの容態を知っている者は警察や行政側にだっていたわけだし。記事にあるように、Bへの情報提供者が本当に公安に居る可能性もある」
 それを聞いて、松樹が苦笑いをしながら言った。
「確かにここが漏洩元とは限らないが、可能性は高いだろう。ま、炙り出さなくても放っとけばいずれ尻尾を出すだろうがね。しかし、重要事項については、公表されるまで漏れないように対策は立てるべきだな。さて、そろそろ続きをはじめていいかな」
「すみません。僕のせいで中断させてしまいました。ジュン、続けてください」
「あ、はい」
 葛西は雑誌を手に取ると、続きを読み始めた。

 その頃、由利子はジュリアスからギルフォードのもうひとつの過去話を聞いていた。
「アレックスの初カレの名前は、海棠新一(カイドウ・シンイチ)。写真を見た事があるけど、名前の通り海棠の花みてゃーにきれいな凛々しい青年だったよ」
「海棠の花を知っているジュリーもすごいけどね、そんなに美青年だったんだ」
「アレックスが一目惚れをしたのもわかるて」
「へえ、一目惚れだったんだー」
 と、由利子が興味津津で言った。
「ま、あいつは惚れっぽいからなー」
「へー。またまた意外な面が・・・っていうか、思いっきり面食いやん。あ、それで葛西君に・・・、なるほど」
「そりゃー、聞き捨てならにゃーぞ。まー、確かにちょこっと似てはおるけど。新一もメガネをかけとったしなー」
「アレクも似てるみたいなこと言ってたけど、やっぱ似てるんだ。」
「新一には、もっと頼りがいがありそうだったがね」
 それを聞いて由利子はクスッと笑いながら言った。
「まあ、葛西君っていまいち頼りなさ気ではあるけど・・・。で、馴れ初めは?」
「そんなことまで詳しくは知らにゃーわ。アレックスが行ったアメリカのでゃーがく(大学)の研究室で助教(助手)をしていたヤツだということだが」
「ふうん。ま、いいわ。先、続けて」
「ことの発端は、新一の研究室の教授がWHOからアフリカの疫病についての調査を依頼され、それに新一が抜擢されて行ったことなんだわ。その時、当時研究生だったアレックスを誘ったんだ。アレックスはそういう仕事を希望していたから、勉強になるだろうってね。この疫病は、当時エボラ出血熱の再来かと騒がれた。しかし、どこより先駆けて入った米軍の研究者が、ラッサ熱の変異体だと正式に発表したために、世間の興味は急速に失せてまった。新一たちが行った村だて、悲惨な状況にあったというのにだ」
「え? どうして? だってラッサ熱だってⅠ類感染症に入っているくらい恐い感染症なんでしょ?」
「もちろんそうだて。だがね、もともとはアフリカの風土病で、『ラッサ熱』と名前がつくずっと以前から、中央アフリカの各地で村や集落単位の小せゃー流行を繰り返しとった可能性があるんだわ。だが、世間からは注目されなかった。ところが1969年、ナイジェリアのラッサにあるキリスト教病院の白人のシスターが感染した。それで、ようやく『新種』のウイルスだってことがわかったんだ。それは、ウイルスが発見された地名からラッサ・ウイルスと名づけられた。名づけた医者は、ナイジェリア政府から相当恨まれたらしいけどね。
 それにラッサウイルスはエボラウイルスとちがって、宿主もわかっとるからな」
「へえ。で、それは何?」
「マストミスっていう、可愛いノネズミだよ。主にそいつの尿やフンから感染するんだわ。ヒト-ヒト感染もするけど、それを繰り帰す内に感染力が弱まっていくらしいて。
 そういう訳で、当時はラッサよりエボラに注目が集まったのは仕方のないことだったんだ。
 エボラ出血熱は1976年にスーダンとザイール、今のコンゴ民主共和国だが、そこでほとんど同時に発生し、大流行になった。不思議なことに、発見されたウイルスの遺伝子を調べたら、二つはまったく違う系統のエボラウイルスだったんだわ。致死率もエボラ・スーダンが50%、エボラ・ザイールが90%と違っとるんだ。つまり、ウイルスがスーダンからザイールに広がったんじゃのーて、偶然、隣同士の国でほぼ同時期に同じように流行したらしいて。
 エボラは人が未開地を切り開いたために出現したといわれとるけどね。しかも、エボラの感染爆発はほとんど人災でもあった。病院での注射針の使いまわしが感染を広げたんだ。貧困と無知が根底にあるけど、せめて針を煮沸消毒していれば、あの感染爆発は無かっただろうね。
 人災といえば、エイズも元々中央アフリカの風土病だったんだわ」
「え? エイズが?」
「あれこそ、人口集中が感染を広げた見本みたいなもんだて。あれは、もともとサルのウイルスが人間に感染出来るよう変異したものなんだわ。生物兵器とか言ってるヤツもおるけどね」
「それで、どうしてアフリカでの人口の集中がエイズの世界的流行に?」
「インフラも衛生設備もろくに整備されてにゃー名ばっかの都市に、何十万も人が集まったんだ。衛生状態も健康状態も最悪な人口密集地に感染者が一人でも出りゃー、あっという間に感染爆発が起こってもおかしくはにゃーだろ?」
「うん」
「だが、ラッサやエボラのように、比較的すぐに、しかも重篤な症状が出る場合はまんだましなんだわ。対策も封じ込めもしやすい。問題は、エイズのように潜伏期間が10年以上ある感染症の場合だわ。長くなるし、話題がそれるんで簡単にしか説明しにゃーがよ、都市に集まる連中には、一攫千金を夢見て、何の宛てもなく都市にやって来た者も多い。そういう連中は拾い仕事でなんとか食いつなぐか、悪いことに手を染めるかして何とか生計を立てとっただろう。だが、女性の場合は違った。プライドさえ捨てれば、需要があって手っ取り早く出来て稼げる商売がある」
「そっか、それで・・・」
「そんな女性の何人かが、客からエイズウイルスに感染した。そして感染した売春婦から不特定多数の客へ、その客からまた別の売春婦へ、その売春婦から・・・と、悪循環だて。そして、都市で稼いで家族の下に帰った男から妻へ、そして生まれてくる子へ・・・」
「最悪!」
「そう、最悪だがね。
 しかも、エイズは潜伏期間が長い。そうして、いつのまにかエイズは、中央アフリカとそれを縦断するハイウエイ、つっても、かなりぼこぼこの道だったらしいが、別名エイズロードに沿ってアフリカに広まっていったんだわ。そうして、エイズウイルスは誰も気付かにゃーうちにアフリカから世界に飛び火しておった。そして、1981年にアメリカでようやく患者の確認がされ、1983年にフランスのパスツール研究所がウイルスを発見した。だけど、エイズウイルスが真の恐ろしさを示すのはそれからだったんだわ。その辺りはおみゃーさんも良く知っとるだろ?」
「ええまあ。薬害エイズとか有名だし。今も感染者数が増え続けていると聞くわ。しかも男女間の性行為によって」
「最初、ゲイの業病とか言われとったからな。当時のアメリカの政権が、天罰とか言ってろくに対策をとらなかったのが不味かったな」
「何でアメリカとかでは最初、ゲイの間で広まったの?」
「ゲイはバスハウスなんかで、不特定多数を相手にすることが多かったからだて」
「へえ、そうなの?」
「言っとくけど、おれたちは違うからな。
 エイズ患者が発見されてから5ヵ月後には、それがゲイの男性だけじゃなく普通の男女や子供にも感染することがわかっていたんだ。それがしっかりと認識されていたら、その後の対応も違ったかもしれんて。あまりにもゲイの病気だってイメージが広がりすぎた。まあ、『不道徳者への天罰』にしたほうが、一部の人間にとって都合が良かったのかも知れにゃーがね。
 あと、麻薬を打つ時に使う針の使い回しとかも感染を広げる原因だ。ロシアでは男女間の性行為についで、それで感染が広がったらしいて」
「なるほど、人の暗部を上手く利用して上手い具合に勢力を広げているんだ」
「そうだね。案外人間よりウワテかもしれんて。さて閑話休題。米軍の研究者が、ラッサ・ウイルスのリバビリン耐性種だと発表したために・・・」
「りばびりん耐性・・・?」
「リバビリンは抗ウイルス薬のひとつなんだわ。ラッサ熱感染初期に唯一有効な薬だよ。さて、件の疫病が、エボラでもなく新種のウイルスでもないラッサ熱だと発表されたために、世界の目はその国の悲劇から遠ざかってまった。しかも、新一たちが行った疫病発生の地は、独立して間もないまだ地図にも載っていないような、小さな国の小さな村だったんだ。イスラム教の根強い地で、ようやくキリスト教の信者が得た国家だった。疫病発生で米軍がしゃしゃり出てきたのは、そのせいもあったかも知れにゃあ。
 で、疫病の猛威がピークを過ぎたため、米軍は医療チームと共に去って行った。だが、思いがけない形で疫病の猛威が再燃してしまった。
 アレックスも含めて新一のWHOチームは、ほぼ米国チームと入れ替わりでやってきた。その時、先に現地で村人の治療を行っていたのが、この前おみゃーさんも会った、山田先生だった。先生は、米軍の介入する前から現地入りしていたんだ。
 そんな時、隣村から・・・と言っても、数キロ離れとったらしいが、患者を何人か車に積んだ東洋人男性がやって来た。なんと、疫病は周囲の村にも広がっていたんだ。その男は、伝聞でここなら救ってくれると聞いて来たと言った。日本でナントカいう団体の代表者で・・・」
「ナントカって、どこよ?」
「アレックスは聞いてにゃーんだ。当時は日本語がほとんどわからなかったらしいからね。彼はアフリカ等で貧困に苦しむ人々の助けになりたいとか、甘っちろいことをゆーとったようだが、確かに言動一致の立派な男で、山田先生を助けて、分け隔てなく感染者の看護をしとったらしい。だが、それがたたってそいつも感染してまったんだ。同じくらいに、あまりの過酷な医療活動が続いたために疲弊しきっとった新一が、針刺し事故で感染した。結局、男の息子という10代の少年とアレックスも感染、4人は村人と共に枕を並べて寝る羽目になった」
「ああ、それが、あの時話していた・・・」
「ラッサ熱といわれたものの、リバビリンは効かにゃあ。となれば、エボラなどと同じで対症治療しか出来にゃーってことだ。ラッサ熱の致死率は25%だが、そのラッサ熱はもっと致死率が高かった。アレックスが言うには、髪の毛が全部抜け落ちて、体中の表皮が剥がれ落ちたそうだ。後からサラサラの髪とすべっすべの皮膚が生えたって冗談をゆーとったが」
「うわあ、凄まじいとしか言いようがないなあ・・・」
「聴覚と視覚にもしばらく障害が残ったそうだよ。あいつの遠視はその時の名残らしいて」
「そっか、だから、多美山さんから感染しそうになった時、尋常でないほど恐れたわけだ」
「その時の恐怖が甦ったんだな。おれもその話を聞いたとき心底ゾッとしたなも」
「で、どうなったの?」
「その時は、既にその国に入出国出来なくなっとったんで、助っ人を呼ぶのも難しくなってまった。そんな、孤立無援に近いあんばいの中、山田先生は最後の手段に出た。血清療法だわ。これは、発症して完治した人の免疫を得るために、その人の血清を輸液する方法だがね。医療設備が貧弱だと、安全な血清を得ることが難しいのと、効果も得られるかどうかわからにゃー賭けだったんだて。結果、アレックスと日本少年と村人の二人が持ち直して新一と少年の父親と村人一人はあかんかった。その後、アレックスと少年は、米軍にアメリカまで搬送され、アレックスは一命を取り留めた。だが、少年の方はどうなったかわからんということだ」
「わからない?」
「少年とは病床で励ましあったそうだが、いかんせん当時のアレックスは日本語がしゃべれんかったし、少年は簡単な英語しかしゃべれんかったらしいからね。アレックスは少年の素性を知らないままだった。アメリカに搬送されてからも二人とも容態が数回悪化して、結局二人は違う病院に搬送されてしまったんで、それっきりになってまったらしいんだわ」
「そうか。生きてたらいいね、その子」
「アレックスが、今は元気すぎるくらいぴんぴんしとるんだ。きっとその子だって生きとるよ」
「だといいね・・・。・・・え? ちょっと待って、じゃあ、新一さんの遺体は・・・?」
「そのまま、アフリカの大地に眠っている筈だわ。持ち物は、アフリカに持ってきていたものは汚染されとるんでむりだったみてゃ~だが、自国に残してあったものは遺品として彼の実家に届けられたらしいね」
「じゃあ、アレクには・・・」
「ま、付き合っとったんだから、何か記念になるものくらいは持っとるだろ?」
ジュリアスは少しぶっきらぼうに言った。
「ジュリーってば、新一さんにヤキモチを焼いてるんだー。あはは、可愛い」
「煩いにゃあ」
「ほんとにアレクのことが好きなんだねえ」
「あたりみゃあだろー」
「はいはい、ごちそうさま。ところで、その村はどうなったの?」
「疫病が去って、その国は活気を取り戻したけど、数年後、疫病発生の村を中心とする一帯が壊滅した。今は国自体が隣国に吸収されて無くなってまったよ」
「ひどい、そんなのアリ?」
 あまりのことに、由利子は声高に言ってしまった。周囲の学生が振り返って由利子たちを見た。由利子はバツの悪そうに言った。
「ごめん。つい・・・」
「まあ、当然の反応だて」
「壊滅って、まさか、燃料気化爆弾で・・・」
「それじゃー映画の『アウトブレイク』じゃにゃーか。おみゃーさん、物騒な兵器を知っとるねー。たまげたわー。生憎、壊滅の原因は、まっと現実的で深刻なものだった。
 その村は国境に近い位置にあったんだ。疫病発生時に封じ込めのため、国境沿いに軍隊が出動をした。その時その国の軍隊がまんだ脆弱だったために、米軍の協力を余儀なくされたんだが、それが不味かった。隣国の不興を買ってまったんだわ。でもその時はそれで治まった。流石に米軍を相手にするのはマズイだろうからね。だが悪いことに、その隣国に増え始めとったイスラム原理主義者が眼の仇にし始めた。で、ちょこっとした小競り合いが原因で、隣国から武装集団がなだれこんできたんだわ。それで、ほとんどの村民が殺されてまった。これは、さすがに当時ニュースになったはずだよ」
「う~ん、覚えてないなあ。申し訳ない・・・」
「まあ、ここからは遠い国のことだで、しかたにゃーことだわ」
「でもそれを知った時、アレクがどんな気持ちやったか考えたら辛いね・・・。新一さんのお墓もあったんだもんね」
「あいつな、そのせいでサバイバーズ・ギルト(Survivor's Guilt)ってやつになっちまって」
「なにそれ?」
「生き残った者が、それに負い目を持ってしまうってやつだがね。未だに知り合いの事故や死を自分のせいだって思いこむことがあってなー、厄介なんだわー」
「そんな風には見えないけどね」
「ま、この国に来たせいもあるかもしれにゃーな。あんなに生き生きとしとるあいつは初めて見たよ」
「そんな風に言ってくれると嬉しいね、やっぱ。でも、アレクってばあんな死にそうになったのに、結局新一さんや山田先生と同じ仕事についたんだよね。すごいよ」
「新一と約束したそうだから」
 ジュリアスはまたつんとした表情で言ったが、すぐにそれを和らげて続けた。
「おれもアレックスの助けになりたくてこの仕事についたんだわ」
「そっか、愛の連鎖だね」
「おみゃーもけっこうクサイことを言うんだなも。ま、こんなところだが、そろそろ図書館に着くんでこの辺にしとくけど、えーかね?」
「うん。話し辛いことを色々と話してくれてありがとう」
「いや、おれが話てゃーてゆーたことだでな」
 そう言うと、ジュリアスは立ち止まり、由利子のほうをまっすぐに見て言った。
「これからもアレックスのことをよろしく頼むわ」
 それを受けて、由利子は自分の胸をドンと叩いて言った。
「わかった。この大胸筋にまかせなさい」
「しっかり根に持っとるよなあ」
ジュリアスがくすくすと笑いながら言った。
 

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