1.暴露 (6)ふたつの薔薇
北山紅美は、ベッドから半身を起こして、ポータブルテレビでニュースを見ていた。そのテレビは、葛西が多美山のために持って来たものだが、次に入る人のためにと、廃棄されずに遺されていた。
(昨日より騒ぎが大きくなっている・・・)
紅美は、不安にさいなまれていた。今日の昼頃、南九州のK県のY市から両親が駆けつけてきた。娘の病状の説明を受け、母はガラスにすがりつくようにして娘の名を呼び、号泣した。父は母の肩を抱き、終始無言でいた。途中仕事を残して来たからと言って、父は帰っていった。父は去るまで娘を直視することが出来なかった。母は途中で落ち着きを取り戻し、夕方まで娘の話し相手をしていたが、長旅の疲れもあり、病院の近くにホテルを取っているということで、とりあえず今日のところは帰って行った。
テレビはサイドテーブルにおいてあったが、持ち主が亡くなっていると言うことで、最初、すこし気味が悪くて使う気がしなかった。しかし、母親が帰って急に寂しくなり、とうとうテレビに手をのばしたのだった。
(このまま、騒ぎが拡大して行ったら、感染者の娘を持つ両親にどれだけ迷惑をかけるだろうか・・・)
紅美は想像してゾッとした。
(どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・)
紅美は顔を両手で覆った。手の隙間からにじんだ涙がこぼれた。
ニュースが終わり、次の番組が始まった頃ドアがノックされ、紅美は急いで涙を拭った。
「入りますよ」
と言いながら春野看護師が入ってきた。
「こんばんは。ご気分はどうですか? あら。 ・・・テレビ見とったと? 起きて大丈夫?」
「あ、春野さんこんばんは。お薬が効いたのか、だいぶ気分がいいです。視界の方も特に異常ないみたいです」
「そう! よかった・・・。でも、あまり無理したらいかんよ」
「はい。ありがとうございます」
「お食事は、ちゃんと食べれた?」
「ええ。少し残しちゃいましたけど、美味しかったです」
「美味しいと思えるなら上等やね。テレビ、ひょっとしてあのニュース見たと?」
「ええ・・・。だんだん大変なことになっているみたいで、私、どうしたら・・・」
「あなたのせいやなかろ? あなただって被害者なんやから。あなたが今することは、病気と闘うことでしょ。早く良くなってご両親を早く安心させてあげて」
「はい・・・」
紅美は頷いたが、表情は晴れない。それはそうだろう。治癒するかどうかすらわからない病気なのだから。そこで、春野は話題を変えることにした。
「そうそう、あなたにお見舞いだって預かってきたんやけど」
「私に?」
「ええ、ちょっと目をつぶって両手をだして」
「?」
紅美は一瞬戸惑ったような顔をしたが、素直に春野に従った。手の上に何かひんやりするものが乗ったことがわかった。
「はい、いいわよ。目を開けて」
春野に言われて紅美は目を開けて掌の上を見た。そこには四角い透明樹脂に封入された、一輪の紅バラが乗せられていた。
「すてき! アクリルキューブに入ったプリザーブドローズですね・・・。 いったいどなたからですか?」
春野は意味深に笑いながら言った。
「うふふ。言わないでくれって。でもそうはいかんよね。・・・ヒントは怖いおじさん」
「え? あの人が?」
「きっと、病人に怒鳴りつけたから良心に呵責を感じたんやろうね」
春野はそう言いながら笑うと、続けた。
「生花のお見舞いが贈られないからって、やるわね、あのオジサマ」
「きれい・・・」
そうつぶやくと紅美はじっとそれを見つめた。春野看護師がそれを見ながら済まなさそうに言った。
「それね、可愛いラッピングがされてたんやけど、消毒しないと持ち込めないから外させてもらたの。ごめんなさいね」
「可愛いラッピング?」
紅美は、昨日の長沼間の顔を思い出しながら、あの無骨な男がどういう顔でこれを買ってラッピングを頼んだか、想像してクスッと笑った。
「写メ撮っておいたから、こんどプリントアウトしたの持ってくるね」
「ありがとうございます。それから、その怖いおじさんに、綺麗なお花をありがとうって、お伝えくださいね。それから、きっと元気になってここを出ますって」
「ええ。必ず伝えるから。・・・じゃ、がんばって治さないとね。まずお熱を測りましょうか」
「はい」
紅美は春野の差し出した体温計を受け取ろうと手を伸ばした。袖がひじ近くまでめくれ、点滴跡から広がる内出血の染みがあらわになった。
「なるほど由利子、おみゃあさんの言うことが正しかったわけだな」
由利子を送る道すがら、運転をしながら彼女から解剖室前での出来事の説明を聞いていたジュリアスが言った。
「連中の第一目的は、日本にウイルスを広げることか。死の神を騙る連中は、一体何の目的で、そんな『死ね死ね団』みたいなことを・・・」
「何で『死ね死ね団』を知ってるのよ」
由利子が驚いて言った。
「そりゃおみゃあ、日本に住んどったならトーゼンだろー?」
「ヒーローよりも有名ですものね」
紗弥までがそう答えたので、由利子は腕組みをしてう~むと唸りながら言った。
「有名? そうか? 有名なのか?」
「もちろんだて。それに、おれは子どもの頃日本にいる時、再放送で見たんだわ。ええかね」と、ジュリアスは内容の説明を始めた。「ヒーローのヤマトタケシはインドの山奥で財布を落とし、仕方がにゃーてデーヴァ・ダッダにお金を借りて家にコレクトコールで電話をかけた(※)のが、確か話の発端だがね」
「それじゃあ、ドビンボーマンだよ。因みにデーヴァ・ダッダじゃなくてダイバダッタね」
「まあ、細きゃあところはどーでもええて。ほんだら閑話休題」
「もう、アレクと言いコイツといい、何で妙に日本に詳しいのよ」
「まったくですわ。話を戻すのに閑話休題なんて、日本人でもあまり使いませんわよね」
紗弥が軽く頷いて言ったが、ジュリアスは彼女らを無視して続けた。
「ウイルスを広めるのが目的だったから、今まで特に声明や要求の動きがなかったんだな」
「じゃあ、ここに来て動いたのは、やはり昨日知事が揺さぶりをかけたからってこと?」
「多分そうだな。しかも、そういうふざけたやり方だで、わざと挑発に乗って来たという感じがするぞ」
「長沼間さんもそう言って去って行ったけど」
「長沼間かあ。渋くてイイ男だなも」
「え?」
由利子と紗弥が驚いて同時に言ったので、ジュリアスはにっと笑いながら言った。
「今のはアレックスには内緒だがや。ところで由利子、ウイルスに名前がついたって話は聞いとるかね?」
「ウイルスの名前?」
由利子は聞き返した。
「やっぱり知らにゃーか。今日の全国会見で発表があったんだ」
「アレクは何も言わなかったよ」
「ありゃー、あいつも知らされていないのかね」
「まさか。で、何て名がついたの?」
「サイキウイルスだと」
「そっか、公園の名前からとったんだ。じゃ、感染症自体の呼び名は?」
「たぶんサイキウイルス感染症、或いはサイキ出血熱あたりだな」
「まんまやねえ。だけど、う~ん、世の中の斉木さんにはいい迷惑だなあ」
「名前をつける限りは仕方あーせん。なんもかんもに『誰も知らない』とか『名無し』とかつけるわけにもいかにゃーだろ」
「あっという間に名前インフレになりますわね」
「ところでな、紗弥。今更言うのもなんだけどな、なんでおみゃーさんがついてきとるんだよ」
「もちろん教授に頼まれたからですわ。キス魔と一緒だとまずいだろうって」
「ちぇっ、信用にゃーなあ」
「自業自得ですわよ」
紗弥は澄ました顔をして言った。
佐々木良夫の母親は、ちょっと浮ついていた。良夫に女の子から電話がかかってきたからだ。
「おとうさん、良夫に女の子から電話よ。可愛い声だったし、きっと実物も可愛いよね。ああ良かった~。もう、西原君にしか興味がないのかと心配しとったっちゃんね」
「おいおい、自分の息子に妙な疑惑を持つなよ」
父親はテレビから目を離すと、あきれ気味に言った。
「それより、さっきのニュースの心配をせんか。良夫も関わっているんだぞ」
「大丈夫だって。ウチの長男はちょっとひ弱な分用心深いから、感染るようなヘマはしませんって」
「その自信はどこから来るんだか・・・」
父親はさらにあきれて言った。二人は、あの時良夫が身を呈して祐一を庇おうとしたことは知らない。
良夫は自室から急いで玄関の固定電話に向かい、焦って受話器を取って小声で言った。
「なんで家の電話にかけてくるんだよ!」
案の定、電話の向こうから、彩夏のつんとした声が聞こえた。
「だって、佐々木ってばケータイに出ないんだもん」
(くそ、1対1だとロコツに呼び捨てかよ)
良夫は忌々しく思いながら言った。
「たりめーだよ。誰からかわからんとに。わかってたって、だれが君みたいなヤな女の電話に出るもんか。・・・って、誰からボクのケータイ番号聞いたんだよ」
「田村クンからに決まっとろーもん」
「下手な九州弁使うなよ。ムカつくなあ。勝太もいらんことしやがって」
ぶつぶつ言う良夫をムシして、彩夏は話を切り出した。
「明日、西原君退院の予定でしょ」
「だから何なの? 退院おめでとうパーティーでも開こうってのかい」
「あら、それもいいわね」
「・・・。だから用件を早く言えよ。あんただってケータイの電話代かかったら、あとで怒られるやろ」
「こっちだって固定電話からかけてるでしょ。番号見てわからない」
「ほんっとに嫌な女だな、アンタは」
「どうも、ありがとう。でね、佐々木。昨日とさっきのニュース見たでしょ。西原君、復帰してから嫌な思いをするかもしれないわ。でも、田村君はクラスが違うし、私は女だから、彼のフォローは完全に出来ないから・・・。だから、不本意だけどあんたにお願いしたいの」
「へ?」
意外なお願いに良夫は驚いて気の抜けた声をだした。
「君が僕にお願い? 明日は雪やなかろうか」
「下から雨が降るかもね。あんたにお願いするなんて自分でも驚いてるわよ。でも、あんたも性格悪いし嫌なヤツだけど、信頼だけは出来ると思うの。西原君、来るのはあさってからでしょうけど、さっきのニュースを見たら、不安でいても立ってもいられなくて」
良夫には彩夏の不安が手に取るようにわかった。良夫もさっきまでそれを見ていて、言いようのない不安を感じたからだ。昨日の会見時より明らかに状況が悪化している。急いで部屋に帰ったのは、インターネットでの反響を見ようと思ったからだった。ネットはそのまま社会を映している訳ではないが、かなり参考になるのは確かだからだ。良夫は彩夏に言った。
「わかるよ。ボクも、ほんというと不安に押し潰されそうなんだ」
「それから言っとくけど、これはクラス委員としてのお願いだから、勘違いしないでよね」
「わかっとお。でも、君に言われなくてもそうするつもりでいたから。これはボクの意思でやることだから、君も勘違いせんでね」
「そっ、わかったわ。これで商談成立ね。佐々木、しばらくは休戦よ。私たちリーグ(同盟)は、西原君を加えて、私たちなりにこのウイルス事件と向き合わなきゃね」
「うん。わかった。大変なのはこれからだからね。がんばろう」
「ありがと、佐々木」
「へ?」
良夫は前にも増して気の抜けた声で言った。調子がガタ狂いである。しかし、彩夏は良夫の戸惑いを他所に「じゃ、また明日ね」と言って電話を切ってしまった。彩夏本人も照れくさかったのかもしれない。
「何だ、あいつ・・・」
良夫は電話を切りながら、首をかしげて言った。
一方感対センターを一人後にした長沼間は、部下の入院している病院の廊下を歩いていた。時刻は夜8時過ぎ。まだ消灯時間までけっこう間がありそうだった。長沼間は、武邑の病室のドアをノックした。
「長沼間だ。ムラ、まだ起きているか」
「長沼間さん、来てくださったんですか! どうぞ、お入りください」
中から比較的元気な声がしたので、長沼間は安心したのか少し笑みを浮かべたようにみえた。
「昨日までICUにいたわりには、ずいぶんと元気そうだな」
長沼間は、そういいながら武邑の病室に入っていった。武邑は身体を起こして本を読んでいたが、すぐに本を閉じて笑顔で長沼間を迎えた
「おかげさまでだいぶ調子が良いです。近いうちに大部屋に移れそうです」
「そうか、良かったな。ほれ、見舞い定番だ。これでも食べて、体力をつけろ」
長沼間はそう言いながら、フルーツバスケットをサイドテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」
「リンゴでも剥いてやろうか?」
「いいえっ、めっそうもない・・・」
武邑は焦って断った。
「遠慮するな」
「いえ、就寝前なんで」
「そうか。残念だな」
と、長沼間は本気で残念そうに言った。
「長沼間さん、あの、ありがとうございます」
「なんだ、改まって」
「あの時長沼間さんたちがすぐに来てくれなかったら、松川も僕もこの世にいなかったかもしれません。何て感謝していいか・・・」
「仕事なんだから当たり前だ。それより、さっさと治してさっさと復帰しろ。二人も欠員して俺の仕事が増える一方だ」
「すみません。ところで、松川の方へは行かれました?」
「ああ。だが、まだ意識不明の重体だ。一緒に運ばれた民間の男性は、一時心肺停止状態だったがなんとか意識は取り戻しているらしいが」
「そうですか・・・。くそ、僕が持ち場を離れさえしなければ・・・!」
武邑はまた悔しそうに言った。長沼間が武邑の肩に手を置いて言った。
「買出しに行ってたんだろう。もう、気に病むな。おまえの今の任務は、早く怪我を治して復帰することだ」
「はい。・・・すみません」
「しかし、ああ見えて松川も一応訓練された男だ。ターゲットに容易に後ろから殴られたってのは腑に落ちんな。仲間でもいたんだろうか・・・」
「僕が見た時は、結城一人でした。ただ、ヤツは成人女性を片手で軽々と僕に投げつけられるくらい強力でした」
「うむ、何かやばいクスリでもやっていそうだな」
「そんな感じでした。見た目が痩せていてインテリ風なんで、油断したのかも・・・」
「松川が意識を取り戻せたら、詳しいことがわかるんだろうが・・・」
「そうですね。意識を取り戻さんことには・・・」
武邑が、ため息をついて言った。
「大丈夫。あいつはまだ若いし体力もある。必ず元気になって帰ってくるさ」
長沼間に励まされて、武邑は少し元気付いたように言った。
「ええ、そうですよね。大丈夫ですよね」
「俺が保証するよ。医者もそう言ってたしな。・・・じゃあ、ムラ。あまり長居をするのも何だから、そろそろ帰るからな」
長沼間は、武邑の元気な顔を見て安心したらしい。来た時より若干表情が柔らかくなっていた。彼は、武邑に背を向けると、ドアに向かって行った。その背中に武邑が声をかけた。
「長沼間さん、ありがとう。本当は優しいんですね」
「茶化すんじゃねえ! 復帰したらこき使ってやるからな。今のうちにゆっくり休んでおけよ」
長沼間は振り返って乱暴にそういうと、さっさと病室から出て行った。武邑は、しばらく長沼間の足音が遠ざかっていくのを聞いていたが、読書を再開しようと読みかけの本を手に取り開きながらつぶやいた。
「松川・・・、目覚める・・・か・・・」
武邑はそう言った後、うっという声を漏らし口をゆがめて両手で顔を覆った。本がばさりと音を立てて床に落ちたが、武邑はそれを意に介さず顔を覆ったまま肩を震わせていた。
由利子たちはその後、ファミレスに寄って夕食をすませ、由利子が家に帰り着いたのは9時を過ぎていた。家では猫たちがご飯を待ちわびていたらしい。由利子が玄関に入るや否や、2匹が駆け寄ってきてにゃあにゃあ鳴いた。
「ごめんごめん。すぐに作ってあげるから」
由利子はそういうと、まず猫の食事からはじめた。その後着替えてインスタントコーヒーを入れて部屋でくつろぐ頃には10時近くなっていた。テレビを点けると、月九ドラマのエンディングテーマが流れていた。最も由利子はそれを見ていなかったので、特に悔しがる様子は無かった。それより、報道番組の方が気になったので、すぐさまチャンネルを変えた。最近この手の番組は、50分台から始まることがデフォルトになっている。きっちりした節目でないと何となく居心地良くない性分の由利子には、いまいち釈然としない時間である。案の定、番組はオープニングを終え、今日の出来事のダイジェストを経て、メーンキャスターの挨拶になった。挨拶後に彼女は鹿爪らしい表情で言った。
「F県でとんでもないことが起きているようです。後ほど、森の内知事から詳しいお話をお聞きする予定です」
彼女が言い終わると、キャッチの音楽が流れ、CMが始まった。
「あ~、やっぱり想像したとおりになったなあ」
由利子はそう言いながら、ゴロンとベッドの上に横になった。
その頃極美は、小洒落たバーのカウンターで降屋(ふるや)と過ごしていた。そこでいきなり極美の携帯電話が鳴った。
「きゃあ、マナーモードにしていなかった! ちょっと出ていいかしら?」
「いいよ。でも、手短にね」
「ええ、もちろんよ・・・。・・・あら? デスクからだわ。こんな時間に一体何の用かしら」
そう言いながら、極美は電話に出た。
「もしもし、真樹村・・・」
「でかしたぞ、キワミ!」
極美が言い終わらないうちに、電話の向こうでデスクの高揚した声が聞こえた。
「グッドタイミングだっ! あさって発売の今週号はおまえが取材した記事がトップだ」
「え? 本当ですか?」
「こんなこと、わざわざ冗談で言わんよ。この事件は、多分ウチしかまだ扱っていないはずだからな。大スクープだ。楽しみにしておけ」
デスクは言いたいことだけ言うと、電話を切った。極美はほうっとため息をついて電話をバッグに戻した。降屋が心配して聞いてきた。
「なにかあったの? 極美さん」
「私の記事がトップだって・・・。信じらんない」
「ええっ! すごいじゃない、極美さん!! やったね!!!!」
「あなたのおかげだわ。ありがとう」
「いやいや、君の努力の成果さ。・・・しかし、極美さん、その割りに落ち着いているね」
「抑えてるのよ。ホントはそこら辺を大声で駆け回りたい気分よ」
「そっか。じゃ、お祝いしよう。貧乏だからドン・ペリとは行かないけど・・・、マスター、なんか手頃なシャンパンがあったら一本出してくんない?」
「タルランのロゼでよろしいでしょうか?」
「あ、それいいね」
「ちょっと、裕己さん、そんな高そうなワインいいわよ」
「大丈夫だよ。さっき言ったように手頃な値段だからね。気持ちはドン・ペリなんだけどこれでカンベンして。いい子だから、お祝いさせてよ」
「もう、裕己さんってば、強引ね」
極美は、口調とは裏腹に嬉しそうな笑顔で言った。
「ところで、いつ発売なの?」
「水曜だから、あさって発売だわ」
「じゃ、こっちは金曜の発売だな」
「ええっ? そんな遅れるの?」
「なんでも流通の関係らしいよ」
それを聞いて極美は仏頂面をして言った。
「ひどい、すぐに読めないじゃない。やっぱり辺境だわ」
「まあまあ、ほら、シャンパン来たよ。機嫌直して飲も。ほら、マスターが注いでくれたから」
降屋は極美にシャンパンの入ったグラスを差し出した。極美はそれを受け取った。ライトにすかした薔薇色が美しい。極美は思わず言った。
「綺麗ね」
「じゃ、極美さんの記事トップ記載を祝って。乾杯!」
二人はシャンパングラスを合わせた。
「おめでとう、極美さん」
「ありがとう。ほんと、夢みたい」
極美はふっとため息をつき、笑みを浮かべて言った。
ベッドに一旦寝転がった由利子だが、すぐに身体を起こしてベッドサイドに腰掛けた。知事室が中継され、森の内がキャスターの質問攻めに合っていた。時に核心に迫った質問をする名物キャスターだが、流石にテロと結びつけるに至らなかった。
「う~ん、鋭いようで詰めが甘いよ、新谷ちゃん」
由利子が画面のキャスターに茶々を入れていたら、携帯電話が鳴った。
「あれ、アレクかな?」
そうつぶやいて、電話を手に取り着信を見ると、前の会社での同僚である黒岩からだった。
「黒岩さん? いきなりどうしたんだろ。・・・もしもし、篠原です」
「ご無沙汰してます。黒岩です」
電話の向こうから、聞きなれた声がした。しかし、声のトーンが妙に低い。
「黒岩さん、どうしたんです? 何かあったんですか?」
「あのね、これ、会社辞めたあなたに言うべきかどうか迷ったんやけど・・・」
「何です?」
黒岩は、数秒の沈黙の後に言った。
「古賀課長がね、亡くなられたと」
「えっ、うそっ、なんで!?」
想像もしていなかった答えに、由利子は驚いて言った。
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