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1.暴露 (6)ふたつの薔薇

 北山紅美は、ベッドから半身を起こして、ポータブルテレビでニュースを見ていた。そのテレビは、葛西が多美山のために持って来たものだが、次に入る人のためにと、廃棄されずに遺されていた。
(昨日より騒ぎが大きくなっている・・・)
紅美は、不安にさいなまれていた。今日の昼頃、南九州のK県のY市から両親が駆けつけてきた。娘の病状の説明を受け、母はガラスにすがりつくようにして娘の名を呼び、号泣した。父は母の肩を抱き、終始無言でいた。途中仕事を残して来たからと言って、父は帰っていった。父は去るまで娘を直視することが出来なかった。母は途中で落ち着きを取り戻し、夕方まで娘の話し相手をしていたが、長旅の疲れもあり、病院の近くにホテルを取っているということで、とりあえず今日のところは帰って行った。
 テレビはサイドテーブルにおいてあったが、持ち主が亡くなっていると言うことで、最初、すこし気味が悪くて使う気がしなかった。しかし、母親が帰って急に寂しくなり、とうとうテレビに手をのばしたのだった。
(このまま、騒ぎが拡大して行ったら、感染者の娘を持つ両親にどれだけ迷惑をかけるだろうか・・・)
紅美は想像してゾッとした。
(どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・)
紅美は顔を両手で覆った。手の隙間からにじんだ涙がこぼれた。
 ニュースが終わり、次の番組が始まった頃ドアがノックされ、紅美は急いで涙を拭った。
「入りますよ」
と言いながら春野看護師が入ってきた。
「こんばんは。ご気分はどうですか? あら。 ・・・テレビ見とったと? 起きて大丈夫?」
「あ、春野さんこんばんは。お薬が効いたのか、だいぶ気分がいいです。視界の方も特に異常ないみたいです」
「そう! よかった・・・。でも、あまり無理したらいかんよ」
「はい。ありがとうございます」
「お食事は、ちゃんと食べれた?」
「ええ。少し残しちゃいましたけど、美味しかったです」
「美味しいと思えるなら上等やね。テレビ、ひょっとしてあのニュース見たと?」
「ええ・・・。だんだん大変なことになっているみたいで、私、どうしたら・・・」
「あなたのせいやなかろ? あなただって被害者なんやから。あなたが今することは、病気と闘うことでしょ。早く良くなってご両親を早く安心させてあげて」
「はい・・・」
紅美は頷いたが、表情は晴れない。それはそうだろう。治癒するかどうかすらわからない病気なのだから。そこで、春野は話題を変えることにした。
「そうそう、あなたにお見舞いだって預かってきたんやけど」
「私に?」
「ええ、ちょっと目をつぶって両手をだして」
「?」
紅美は一瞬戸惑ったような顔をしたが、素直に春野に従った。手の上に何かひんやりするものが乗ったことがわかった。
「はい、いいわよ。目を開けて」
春野に言われて紅美は目を開けて掌の上を見た。そこには四角い透明樹脂に封入された、一輪の紅バラが乗せられていた。
「すてき! アクリルキューブに入ったプリザーブドローズですね・・・。 いったいどなたからですか?」
春野は意味深に笑いながら言った。
「うふふ。言わないでくれって。でもそうはいかんよね。・・・ヒントは怖いおじさん」
「え? あの人が?」
「きっと、病人に怒鳴りつけたから良心に呵責を感じたんやろうね」
春野はそう言いながら笑うと、続けた。
「生花のお見舞いが贈られないからって、やるわね、あのオジサマ」
「きれい・・・」
そうつぶやくと紅美はじっとそれを見つめた。春野看護師がそれを見ながら済まなさそうに言った。
「それね、可愛いラッピングがされてたんやけど、消毒しないと持ち込めないから外させてもらたの。ごめんなさいね」
「可愛いラッピング?」
紅美は、昨日の長沼間の顔を思い出しながら、あの無骨な男がどういう顔でこれを買ってラッピングを頼んだか、想像してクスッと笑った。
「写メ撮っておいたから、こんどプリントアウトしたの持ってくるね」
「ありがとうございます。それから、その怖いおじさんに、綺麗なお花をありがとうって、お伝えくださいね。それから、きっと元気になってここを出ますって」
「ええ。必ず伝えるから。・・・じゃ、がんばって治さないとね。まずお熱を測りましょうか」
「はい」
紅美は春野の差し出した体温計を受け取ろうと手を伸ばした。袖がひじ近くまでめくれ、点滴跡から広がる内出血の染みがあらわになった。

「なるほど由利子、おみゃあさんの言うことが正しかったわけだな」
由利子を送る道すがら、運転をしながら彼女から解剖室前での出来事の説明を聞いていたジュリアスが言った。
「連中の第一目的は、日本にウイルスを広げることか。死の神を騙る連中は、一体何の目的で、そんな『死ね死ね団』みたいなことを・・・」
「何で『死ね死ね団』を知ってるのよ」
由利子が驚いて言った。
「そりゃおみゃあ、日本に住んどったならトーゼンだろー?」
「ヒーローよりも有名ですものね」
紗弥までがそう答えたので、由利子は腕組みをしてう~むと唸りながら言った。
「有名? そうか? 有名なのか?」
「もちろんだて。それに、おれは子どもの頃日本にいる時、再放送で見たんだわ。ええかね」と、ジュリアスは内容の説明を始めた。「ヒーローのヤマトタケシはインドの山奥で財布を落とし、仕方がにゃーてデーヴァ・ダッダにお金を借りて家にコレクトコールで電話をかけた(※)のが、確か話の発端だがね」
「それじゃあ、ドビンボーマンだよ。因みにデーヴァ・ダッダじゃなくてダイバダッタね」
「まあ、細きゃあところはどーでもええて。ほんだら閑話休題」
「もう、アレクと言いコイツといい、何で妙に日本に詳しいのよ」
「まったくですわ。話を戻すのに閑話休題なんて、日本人でもあまり使いませんわよね」
紗弥が軽く頷いて言ったが、ジュリアスは彼女らを無視して続けた。
「ウイルスを広めるのが目的だったから、今まで特に声明や要求の動きがなかったんだな」
「じゃあ、ここに来て動いたのは、やはり昨日知事が揺さぶりをかけたからってこと?」
「多分そうだな。しかも、そういうふざけたやり方だで、わざと挑発に乗って来たという感じがするぞ」
「長沼間さんもそう言って去って行ったけど」
「長沼間かあ。渋くてイイ男だなも」
「え?」
由利子と紗弥が驚いて同時に言ったので、ジュリアスはにっと笑いながら言った。
「今のはアレックスには内緒だがや。ところで由利子、ウイルスに名前がついたって話は聞いとるかね?」
「ウイルスの名前?」
由利子は聞き返した。
「やっぱり知らにゃーか。今日の全国会見で発表があったんだ」
「アレクは何も言わなかったよ」
「ありゃー、あいつも知らされていないのかね」
「まさか。で、何て名がついたの?」
「サイキウイルスだと」
「そっか、公園の名前からとったんだ。じゃ、感染症自体の呼び名は?」
「たぶんサイキウイルス感染症、或いはサイキ出血熱あたりだな」
「まんまやねえ。だけど、う~ん、世の中の斉木さんにはいい迷惑だなあ」
「名前をつける限りは仕方あーせん。なんもかんもに『誰も知らない』とか『名無し』とかつけるわけにもいかにゃーだろ」
「あっという間に名前インフレになりますわね」
「ところでな、紗弥。今更言うのもなんだけどな、なんでおみゃーさんがついてきとるんだよ」
「もちろん教授に頼まれたからですわ。キス魔と一緒だとまずいだろうって」
「ちぇっ、信用にゃーなあ」
「自業自得ですわよ」
紗弥は澄ました顔をして言った。

 佐々木良夫の母親は、ちょっと浮ついていた。良夫に女の子から電話がかかってきたからだ。
「おとうさん、良夫に女の子から電話よ。可愛い声だったし、きっと実物も可愛いよね。ああ良かった~。もう、西原君にしか興味がないのかと心配しとったっちゃんね」
「おいおい、自分の息子に妙な疑惑を持つなよ」
父親はテレビから目を離すと、あきれ気味に言った。
「それより、さっきのニュースの心配をせんか。良夫も関わっているんだぞ」
「大丈夫だって。ウチの長男はちょっとひ弱な分用心深いから、感染るようなヘマはしませんって」
「その自信はどこから来るんだか・・・」
父親はさらにあきれて言った。二人は、あの時良夫が身を呈して祐一を庇おうとしたことは知らない。
 良夫は自室から急いで玄関の固定電話に向かい、焦って受話器を取って小声で言った。
「なんで家の電話にかけてくるんだよ!」
案の定、電話の向こうから、彩夏のつんとした声が聞こえた。
「だって、佐々木ってばケータイに出ないんだもん」
(くそ、1対1だとロコツに呼び捨てかよ)
良夫は忌々しく思いながら言った。
「たりめーだよ。誰からかわからんとに。わかってたって、だれが君みたいなヤな女の電話に出るもんか。・・・って、誰からボクのケータイ番号聞いたんだよ」
「田村クンからに決まっとろーもん」
「下手な九州弁使うなよ。ムカつくなあ。勝太もいらんことしやがって」
ぶつぶつ言う良夫をムシして、彩夏は話を切り出した。
「明日、西原君退院の予定でしょ」
「だから何なの? 退院おめでとうパーティーでも開こうってのかい」
「あら、それもいいわね」
「・・・。だから用件を早く言えよ。あんただってケータイの電話代かかったら、あとで怒られるやろ」
「こっちだって固定電話からかけてるでしょ。番号見てわからない」
「ほんっとに嫌な女だな、アンタは」
「どうも、ありがとう。でね、佐々木。昨日とさっきのニュース見たでしょ。西原君、復帰してから嫌な思いをするかもしれないわ。でも、田村君はクラスが違うし、私は女だから、彼のフォローは完全に出来ないから・・・。だから、不本意だけどあんたにお願いしたいの」
「へ?」
意外なお願いに良夫は驚いて気の抜けた声をだした。
「君が僕にお願い? 明日は雪やなかろうか」
「下から雨が降るかもね。あんたにお願いするなんて自分でも驚いてるわよ。でも、あんたも性格悪いし嫌なヤツだけど、信頼だけは出来ると思うの。西原君、来るのはあさってからでしょうけど、さっきのニュースを見たら、不安でいても立ってもいられなくて」
 良夫には彩夏の不安が手に取るようにわかった。良夫もさっきまでそれを見ていて、言いようのない不安を感じたからだ。昨日の会見時より明らかに状況が悪化している。急いで部屋に帰ったのは、インターネットでの反響を見ようと思ったからだった。ネットはそのまま社会を映している訳ではないが、かなり参考になるのは確かだからだ。良夫は彩夏に言った。
「わかるよ。ボクも、ほんというと不安に押し潰されそうなんだ」
「それから言っとくけど、これはクラス委員としてのお願いだから、勘違いしないでよね」
「わかっとお。でも、君に言われなくてもそうするつもりでいたから。これはボクの意思でやることだから、君も勘違いせんでね」
「そっ、わかったわ。これで商談成立ね。佐々木、しばらくは休戦よ。私たちリーグ(同盟)は、西原君を加えて、私たちなりにこのウイルス事件と向き合わなきゃね」
「うん。わかった。大変なのはこれからだからね。がんばろう」
「ありがと、佐々木」
「へ?」
良夫は前にも増して気の抜けた声で言った。調子がガタ狂いである。しかし、彩夏は良夫の戸惑いを他所に「じゃ、また明日ね」と言って電話を切ってしまった。彩夏本人も照れくさかったのかもしれない。
「何だ、あいつ・・・」
良夫は電話を切りながら、首をかしげて言った。 

 一方感対センターを一人後にした長沼間は、部下の入院している病院の廊下を歩いていた。時刻は夜8時過ぎ。まだ消灯時間までけっこう間がありそうだった。長沼間は、武邑の病室のドアをノックした。
「長沼間だ。ムラ、まだ起きているか」
「長沼間さん、来てくださったんですか! どうぞ、お入りください」
中から比較的元気な声がしたので、長沼間は安心したのか少し笑みを浮かべたようにみえた。
「昨日までICUにいたわりには、ずいぶんと元気そうだな」
長沼間は、そういいながら武邑の病室に入っていった。武邑は身体を起こして本を読んでいたが、すぐに本を閉じて笑顔で長沼間を迎えた
「おかげさまでだいぶ調子が良いです。近いうちに大部屋に移れそうです」
「そうか、良かったな。ほれ、見舞い定番だ。これでも食べて、体力をつけろ」
長沼間はそう言いながら、フルーツバスケットをサイドテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」
「リンゴでも剥いてやろうか?」
「いいえっ、めっそうもない・・・」
武邑は焦って断った。
「遠慮するな」
「いえ、就寝前なんで」
「そうか。残念だな」
と、長沼間は本気で残念そうに言った。
「長沼間さん、あの、ありがとうございます」
「なんだ、改まって」
「あの時長沼間さんたちがすぐに来てくれなかったら、松川も僕もこの世にいなかったかもしれません。何て感謝していいか・・・」
「仕事なんだから当たり前だ。それより、さっさと治してさっさと復帰しろ。二人も欠員して俺の仕事が増える一方だ」
「すみません。ところで、松川の方へは行かれました?」
「ああ。だが、まだ意識不明の重体だ。一緒に運ばれた民間の男性は、一時心肺停止状態だったがなんとか意識は取り戻しているらしいが」
「そうですか・・・。くそ、僕が持ち場を離れさえしなければ・・・!」
武邑はまた悔しそうに言った。長沼間が武邑の肩に手を置いて言った。
「買出しに行ってたんだろう。もう、気に病むな。おまえの今の任務は、早く怪我を治して復帰することだ」
「はい。・・・すみません」
「しかし、ああ見えて松川も一応訓練された男だ。ターゲットに容易に後ろから殴られたってのは腑に落ちんな。仲間でもいたんだろうか・・・」
「僕が見た時は、結城一人でした。ただ、ヤツは成人女性を片手で軽々と僕に投げつけられるくらい強力でした」
「うむ、何かやばいクスリでもやっていそうだな」
「そんな感じでした。見た目が痩せていてインテリ風なんで、油断したのかも・・・」
「松川が意識を取り戻せたら、詳しいことがわかるんだろうが・・・」
「そうですね。意識を取り戻さんことには・・・」
武邑が、ため息をついて言った。
「大丈夫。あいつはまだ若いし体力もある。必ず元気になって帰ってくるさ」
長沼間に励まされて、武邑は少し元気付いたように言った。
「ええ、そうですよね。大丈夫ですよね」
「俺が保証するよ。医者もそう言ってたしな。・・・じゃあ、ムラ。あまり長居をするのも何だから、そろそろ帰るからな」
長沼間は、武邑の元気な顔を見て安心したらしい。来た時より若干表情が柔らかくなっていた。彼は、武邑に背を向けると、ドアに向かって行った。その背中に武邑が声をかけた。
「長沼間さん、ありがとう。本当は優しいんですね」
「茶化すんじゃねえ! 復帰したらこき使ってやるからな。今のうちにゆっくり休んでおけよ」
長沼間は振り返って乱暴にそういうと、さっさと病室から出て行った。武邑は、しばらく長沼間の足音が遠ざかっていくのを聞いていたが、読書を再開しようと読みかけの本を手に取り開きながらつぶやいた。
「松川・・・、目覚める・・・か・・・」
武邑はそう言った後、うっという声を漏らし口をゆがめて両手で顔を覆った。本がばさりと音を立てて床に落ちたが、武邑はそれを意に介さず顔を覆ったまま肩を震わせていた。

 由利子たちはその後、ファミレスに寄って夕食をすませ、由利子が家に帰り着いたのは9時を過ぎていた。家では猫たちがご飯を待ちわびていたらしい。由利子が玄関に入るや否や、2匹が駆け寄ってきてにゃあにゃあ鳴いた。
「ごめんごめん。すぐに作ってあげるから」
由利子はそういうと、まず猫の食事からはじめた。その後着替えてインスタントコーヒーを入れて部屋でくつろぐ頃には10時近くなっていた。テレビを点けると、月九ドラマのエンディングテーマが流れていた。最も由利子はそれを見ていなかったので、特に悔しがる様子は無かった。それより、報道番組の方が気になったので、すぐさまチャンネルを変えた。最近この手の番組は、50分台から始まることがデフォルトになっている。きっちりした節目でないと何となく居心地良くない性分の由利子には、いまいち釈然としない時間である。案の定、番組はオープニングを終え、今日の出来事のダイジェストを経て、メーンキャスターの挨拶になった。挨拶後に彼女は鹿爪らしい表情で言った。
「F県でとんでもないことが起きているようです。後ほど、森の内知事から詳しいお話をお聞きする予定です」
彼女が言い終わると、キャッチの音楽が流れ、CMが始まった。
「あ~、やっぱり想像したとおりになったなあ」
由利子はそう言いながら、ゴロンとベッドの上に横になった。

 その頃極美は、小洒落たバーのカウンターで降屋(ふるや)と過ごしていた。そこでいきなり極美の携帯電話が鳴った。
「きゃあ、マナーモードにしていなかった! ちょっと出ていいかしら?」
「いいよ。でも、手短にね」
「ええ、もちろんよ・・・。・・・あら? デスクからだわ。こんな時間に一体何の用かしら」
そう言いながら、極美は電話に出た。
「もしもし、真樹村・・・」
「でかしたぞ、キワミ!」
極美が言い終わらないうちに、電話の向こうでデスクの高揚した声が聞こえた。
「グッドタイミングだっ! あさって発売の今週号はおまえが取材した記事がトップだ」
「え? 本当ですか?」
「こんなこと、わざわざ冗談で言わんよ。この事件は、多分ウチしかまだ扱っていないはずだからな。大スクープだ。楽しみにしておけ」
デスクは言いたいことだけ言うと、電話を切った。極美はほうっとため息をついて電話をバッグに戻した。降屋が心配して聞いてきた。
「なにかあったの? 極美さん」
「私の記事がトップだって・・・。信じらんない」
「ええっ! すごいじゃない、極美さん!! やったね!!!!」
「あなたのおかげだわ。ありがとう」
「いやいや、君の努力の成果さ。・・・しかし、極美さん、その割りに落ち着いているね」
「抑えてるのよ。ホントはそこら辺を大声で駆け回りたい気分よ」
「そっか。じゃ、お祝いしよう。貧乏だからドン・ペリとは行かないけど・・・、マスター、なんか手頃なシャンパンがあったら一本出してくんない?」
「タルランのロゼでよろしいでしょうか?」
「あ、それいいね」
「ちょっと、裕己さん、そんな高そうなワインいいわよ」
「大丈夫だよ。さっき言ったように手頃な値段だからね。気持ちはドン・ペリなんだけどこれでカンベンして。いい子だから、お祝いさせてよ」
「もう、裕己さんってば、強引ね」
極美は、口調とは裏腹に嬉しそうな笑顔で言った。
「ところで、いつ発売なの?」
「水曜だから、あさって発売だわ」
「じゃ、こっちは金曜の発売だな」
「ええっ? そんな遅れるの?」
「なんでも流通の関係らしいよ」
それを聞いて極美は仏頂面をして言った。
「ひどい、すぐに読めないじゃない。やっぱり辺境だわ」
「まあまあ、ほら、シャンパン来たよ。機嫌直して飲も。ほら、マスターが注いでくれたから」
降屋は極美にシャンパンの入ったグラスを差し出した。極美はそれを受け取った。ライトにすかした薔薇色が美しい。極美は思わず言った。
「綺麗ね」
「じゃ、極美さんの記事トップ記載を祝って。乾杯!」
二人はシャンパングラスを合わせた。
「おめでとう、極美さん」
「ありがとう。ほんと、夢みたい」
極美はふっとため息をつき、笑みを浮かべて言った。

 ベッドに一旦寝転がった由利子だが、すぐに身体を起こしてベッドサイドに腰掛けた。知事室が中継され、森の内がキャスターの質問攻めに合っていた。時に核心に迫った質問をする名物キャスターだが、流石にテロと結びつけるに至らなかった。
「う~ん、鋭いようで詰めが甘いよ、新谷ちゃん」
由利子が画面のキャスターに茶々を入れていたら、携帯電話が鳴った。
「あれ、アレクかな?」
そうつぶやいて、電話を手に取り着信を見ると、前の会社での同僚である黒岩からだった。
「黒岩さん? いきなりどうしたんだろ。・・・もしもし、篠原です」
「ご無沙汰してます。黒岩です」
電話の向こうから、聞きなれた声がした。しかし、声のトーンが妙に低い。
「黒岩さん、どうしたんです? 何かあったんですか?」
「あのね、これ、会社辞めたあなたに言うべきかどうか迷ったんやけど・・・」
「何です?」
黒岩は、数秒の沈黙の後に言った。
「古賀課長がね、亡くなられたと」
「えっ、うそっ、なんで!?」
想像もしていなかった答えに、由利子は驚いて言った。

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1.暴露 (7)報道番組 NS10

「なんで? 確かに私が会社を辞める日に具合が悪そうやったけど、それって二日酔いやったけんでしょ?」
「そう思っとったんやけど、翌日も熱が上がったからって休んで、金曜日に急に容態が変わって亡くなった・・・って連絡が入って・・・」
黒岩の声は途中から涙声になっていた。
「そんな・・・、どうして・・・」
「わからんけど、風邪で肺炎をこじらせたんやろうって」
「葬儀は?」
「うん、今日やったっちゃんね」
「水臭いなあ。辞めたとはいえ有給消化で書類上はまだ社員やから、行けるかどうかはともかく連絡くらいしてくれても」
「うん。でも、なんとなく連絡しづらかったんやろうね。」
「ありがとう。教えてくれて。でも、やっぱり信じらんなあ・・・」
「そりゃあ、葬儀に出席した私だって未だ信じられんのやけんね・・・。それでね、気になることがあって・・・」
「何?」
「ひょっとしたら、課長、例の病気に罹ってたっちゃないかって」
「何で?」
「根拠はなかばってん、何となくね。いきなりやったし・・・」
「病状とかは?」
「詳しく聞いてないけんわからんけど、お別れでご遺体を見せてもらった時、なんか、あちこち痣みたいなのが見えたっちゃんね」
「アザ?」
「うん、内出血の。死斑やなかって、あれ・・・」
黒岩は少し間を置いて続けた。
「私さ、ちょっとばかりそういうのに詳しいやろ。だから、昨日の放送を見てひょっとしたらと思ってさ」
「じゃ、誰から感染ったのかしら」
「それもねえ、課長の交友関係なんてよう知らんし、でも、例の女性と関係するようなナンパな人でもなかけんねえ」
「そうやね・・・。あのお堅い古賀課長が・・・って、古賀? あ・・・」
「どうしたん?」
「あのね、公園で亡くなったホームレスの救命処置をして感染した救急救命士の名前が古賀やった。K市では売るほどある名字だから考えもせんかったけど、その人と関わりがあるとしたら・・・」
「そうか! 感染経路が繋がるね」
「さっそく、連絡してみるから」
「連絡?」
「うん。私が今度行くとこの教授が専門家やけんね」
「えー、そうやったと? すごいやん」
「あ、人には言わんでね。黒岩さんが情報をくれたけん教えただけやから」 
「わかった。どうもありがとうね」
「こちらこそ、連絡くれてありがとう、黒岩さん」
「いやいや、じゃ、新しいお仕事、がんばってね」
「ん、ありがとう。また何かあったら電話ください」
「わかった。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
由利子は電話を終えると、すぐにギルフォードに電話を入れた。しかし、電話は繋がらず留守録になってしまった。
(ああ、やっぱり今日は色々ごたごたしてて、まだセンターにいるんだ)
由利子はふっと軽くため息をつくと、黒岩からの情報を留守録に残し、電話を切った。
 電話を切ると、由利子はこんどは深くため息をつき、独り言を言った。
「信じられない・・・。ホントに古賀課長が・・・?」
由利子は最後に古賀に会った時のことを思い出した。それは、由利子が会社を辞める日のことだ。気分が悪くて早退する古賀は、最後に由利子言った。
『最後なのに見送ってやれんですまんね。がんばれよ。これは、終わりやなか、新しか門出なんやからな!』
まさかあれが本当に最後になろうとは。
「古賀課長・・・」
視界がぼやけた。しかし、その視界に飛び込んできたテレビ画面の光景に驚いて涙を拭った。
「なにこれ・・・!?」
由利子は目を見張ってつぶやいた。

 その頃、ギルフォードのいる感対センターはごったがえしていた。大量の感染リスク者が運ばれて、高柳はその振り分けに頭を痛めていた。そんな時、緊急連絡が入った。
「はい、高柳です・・・。なんだって? 森田君との濃厚接触者三人のうち二人が見つかった? で?・・・・はあ? なんだって、居酒屋で合コン中?」
混乱で若干苛立っていた高柳は、後半声を荒げた。それを聞いたギルフォードとスタッフたちは、はっと高柳の方を見て、その後お互い顔を見合わせた。
「で、二人の状態は? 二人とも微熱があって一人は頭痛を訴えている? そうか、わかった。至急こちらに連れて来て・・・。合コンしていた他の連中? 全員こちらに連れてきたまえ。二人とは別にして、ただし念のため、全員と防護服で接するように。居酒屋の方の対策も充分にな」
高柳はそういうと電話を切った。
「タカヤナギ先生」
ギルフォードがすかさず声をかけた。
「ああ、聞いての通りだ。森田健二との接触者二人の所在がわかったが、案の定発症したらしい。・・・まったく、合コンなんて冗談じゃないよ。熱があるんなら家で大人しくしておればいいものを・・・」
高柳は、珍しく忌々しげに言った。そこに山口医師が尋ねた。
「出先で発熱したのかもしれませんが、あの放送は見てないんでしょうか?」
「どうだかね。見てりゃあ自分らが高感染予備群だってことくらいわかりそうなものだが」
高柳は不機嫌に言った。彼は滅多に怒らないので仏の高柳と言われているが、まさに仏頂面である。
「とにかく」
高柳が続けた。
「さっさとこっちの整理を進めよう。また新たに10人ほど来るからね」
「10人!」
「また増えるんですか?」
スタッフが誰とも無く言った。ギルフォードは両手で自分の頬を叩いて気合を入れながら言った。
「さぁ、がんばりましょう。今音を上げていたらこれから先保(も)ちませんよ」
「ま、そういうことだ」
高柳がいつもの調子に戻って言った。
 

20XX年 6月18日(火)

 ギルフォードがマンションに帰り着いたのは、すでに二時を回っていた。途中、由利子からの留守録に気がついてそれを聞き、高柳へ伝えた。しかし、由利子からもうひとつ留守録が入っているのを聞いて、首をかしげた。
「アレク、『ニューズスペシャル10(テン)』見た?」
『ニューズスペシャル10』通称『NS10(エヌエスイチマル』。それは、人気女性キャスター新谷統子(とうこ)がメーンキャスターを務めるガイアTVの人気報道番組だ。
("どういうことだ? また問題報道でもあったんだろうか・・・”)
ギルフォードは帰路を急ぎ、アクセルを踏んだ。

 ギルフォードが部屋に入ると、ギルフォードの帰りを待ち疲れたジュリアスが、リビングのソファに横になって眠っていた。彼は由利子を送った後一旦感対センターに戻ったが、ギルフォードに先に帰っておくように言われ、一人タクシーに乗って帰ったのだった。ギルフォードは、ジュリーの姿を見るなりつぶやいた。
”ジュリー,疲れていただろうに待ってたのか・・・”
ギルフォードはジュリアスに近づくと、彼の背を軽く叩きながら優しく言った。
”ジュリー,起きろ.ベッドで寝ないと風邪を引くぞ.”
ギルフォードに起こされ、ジュリアスは眠そうに目を開けて言った。
”お帰り、アレックス”
ついであくびをしながら体を起こして言った。
”ごめん、僕、起きていたかったけど、眠くて・・・.だめ・・・眠くて目が開かないよ・・・.寝かせて,ちゃんと風呂には入ったから・・・”
そう言い終えるとジュリアスは、そのままソファの背に寄りかかってくーっと眠ってしまった。
”仕方ねえな”ギルフォードはそういいながら、細身だが長身のジュリアスを軽々と抱きあげ、横抱きにして寝室に向かった。
 寝室に入ると、灯りをつけベッドにジュリアスを寝かせようとした。その時、ジュリアスが目を開けて言った。
”テレビ・・・ニュース録画・・・見て・・・。でも、気をつけ・・・て”
”ニュースを録画しているから見ろってことか? 気をつけてってどういうことだ?”
ギルフォードが尋ねたが、すでにジュリアスは寝息をたてて寝てしまった。
”ユリコの留守録との関連だろうか”
ギルフォードは少し考えると、ジュリアスに毛布を被せ、唇に軽くキスをすると寝室を後にした。

 ギルフォードはミルクティーを淹れると、居間のソファに座りテレビのスイッチを入れた。録画内容を見ると、やはり「NS10」というのがあった。すぐにそれを再生する。
 帰ってから急いで録画したのだろう、番組の途中からの録画となっていた。
 内容は、新谷キャスターと森の内の質疑応答だったが、特に目新しい展開は無い。はじめて知る視聴者にはちょうど良い内容ではあったが。
”いったい、あいつらは何を見ろと言ってるんだ?”
ギルフォードはつぶやきながら、紅茶を口に運んだ。
 紅茶を飲み終えた頃、新谷が虎の子を出してきた。
「そうだ、森の内知事、ウチの系列のクルーが面白い映像を撮って来たんですよ。今VTRを流しますから、見てください」
と、すぐに画面が切り替わった。ヘリコプターに乗った女性が、ローターの音に負けないように大声で言った。
「FMB、めんたい放送の美波です。今、新型感染症の発生現場のひとつである、C川のとある河川敷に向かっています。あ、C川が迫ってきました」
上空からカメラが写す風景に、蛇行する大型の河川が見えてきた。中流らしく広い河川敷が確認できる。
「え~っと、この辺りだと思うんですけど・・・」
取材ヘリは、川がやや直線状に流れているあたりの上空に差し掛かった。
「あ、河川敷の消毒をされている方が数人おられますね。みなさん重装備です。やっぱり危険な病原体なんでしょうか・・・。堤防に沿って、ずっと立ち入り禁止のテープが貼ってあり、数箇所に警官の姿も見えますが、彼らは普通の制服ですね・・・。あ、また雨足が強くなってきたようです。まだ小雨とはいえけっこう降ってます・・・。あ、赤間君、あれ撮って! あそこ、あそこの二人組み、いるでしょ? 吉塚さん、もっと高度下げられるかしら?」
ヘリに気がついたからか、雨が強くなってきたせいか、二人は急に駆け出した。橋梁の下に向かうようだ。
「吉塚さん、彼らを追って! 赤間君、出来るだけズームでお願い」
美波は操縦士とカメラマンにそう指示すると、また大声で言った。
「ご覧になれますか? 感染防止用の防護服を着た人が二人、ひとりが荷物、もうひとりが捕虫網らしきものを持って走ってます。ウイルスを媒介する昆虫を捕獲しているのでしょうか」
ギルフォードはその映像を見て驚いてソファから腰を浮かせ半立ちになった。
”あれはひょっとしてジュリーとジュンじゃないか?! 何だって報道のヘリに追われてるんだ?”
ギルフォードの驚きを他所に、美波の中継が続いた。上空からの映像で、防護服の二人は橋梁の近くまで走っていたが、一人が何かを蹴飛ばしてしまい、立ち止まった。もうひとりも一緒に立ち止まる。蹴られたものはヘリの上からはよく確認出来なかったが、なんとなく動いているように思われた。捕虫網を持った方が網を構えそれを捕獲しようとしていた。しかし、それは一瞬浮き上がりすぐに地面に落ちたように見えた。
「遠目でわかりませんが、動いているような感じです!! いったい、あれは何なんでしょう? あ、網を振り上げようとして、止まりました。ここからではよくわかりません。吉塚さん、もう高度下げれない?」
「ダメだ、ミナちゃん。あまり下げると危険だし彼らの邪魔になる!」
「くそっ、残念! あ、失敗したのでしょうか、網を放り投げてしまいました。・・・、あ、二人ともしゃがみこみましたね。何か確認しているようです。・・・ん~、しばらく動きませんね」
ヘリは旋回しながら彼らを撮り続けた。
「あ、立ち上がったようです。 どうも、こちらが気になるようですねえ。何故でしょう・・・」
”てめーらが頭上をブンブン飛び回ってるんだ、気にして当然だろうが!”
ギルフォードが画面に突っこんだ。
 映像は、二人が立ち上がってヘリを見上げるところで終わった。

「森の内知事、この映像をどう思われます?」
新谷が森の内に対して挑戦的に言った。しかし森の内は動じずに飄々としてこたえた。 
「どう思うも何も、VTRの中でレポーターの方がおっしゃってたとおりです。媒介動物の採取ですよ」
「採取をなさっている方たちは?」
「地元の警官と、アメリカから来ている専門家の方です」
「日本にもそういう専門家の方が多くおられると思いますが、何故国外の方と?」
「彼はアフリカで同様の仕事を多くこなした経験があります。採取に関しては緊急を要しましたし、ちょうど来Fされていた彼が手を上げて下さったので依頼しました」
「専門家にしては、あっさり逃げられてましたが」
「メガローチ・・・あの昆虫のすばやさと頭の良さには信じられないものがありますし、そもそもこういうものの捕獲は、主に罠を使って採取するものです。それに、変異体ゆえに生態や能力がほとんど未知数です。ですから、今回の失敗だけで、彼の能力を疑うのは失礼ではありませんか?」
「確かにそうですね。で、彼・・・えっと、その方のお名前は?」
「米国H大のジュリアス・キング先生です」
「キング先生たちが追っているメガローチについてもう一度確認しますが、それは先ほど説明されたようにゴキブリの変異体と言うことですね」
「そうです」
「サイキウイルス感染症で亡くなられた方の遺体を食べるそうですが、本当に・・・」
「事実です。しかし食べるのは通常のゴキブリもです。食べた個体から変異体のメガローチが生まれると考えられています」
「にわかには信じられませんが・・・」
「私もです。しかし、それを証明する証拠はいくつも残されています。ですから、捕獲が必要なんです」
森の内は力説した。新谷は少し間をおいてから微笑みながら言った。
「実はですね、撮ってきたあの映像の一部をデジタル処理したものがあるんですが」
「デジタル処理?」
「はい。彼らがVTRの後半で捕獲しようとしたものを拡大してぼやけた輪郭をシャープに処理したものです。今からまたVTRを流しますのでご覧になってください。その前に、これ
新谷がにっこり笑って右手を差し出した。画面が変わり反転した放送予定の映像が番組テーマ曲と共に流れ、CMに突入した。
”なるほどね”
ギルフォードはふっと笑って言った。
”取材ヘリについては、ジュリーがへそを曲げてたから報告が無かったんだな。まあ、そのあとのゴタゴタでジュリーの不機嫌は治ったみたいだが”
 CMが終わり、再び放送が始まった。テーマ曲と共にスタジオが映り、番組レギュラーたちとゲストがにこやかに笑っている。ついで新谷がバストアップで映り、にっこり笑って言った。
「引き続き、F県内で発生している新型感染症・・・サイキウイルス感染症・・・でよろしいでしょうか?」
新谷が中継先の森の内にふったので、森の内はすぐに答えた。
「はい。いいと思います」
「サイキウイルス感染症についての情報をお送りします。C川で媒介生物の採取をしているところを、偶然ガイアTVの系列会社、FMBめんたい放送のスタッフが撮影しました」
”偶然なんだかどうだか”
ギルフォードはまたつぶやいた。
「その媒介生物の映像をデジタル処理したものを、放映します。・・・え? なんですか、知事?」
「あのぉ、視聴されている方には虫が苦手な方もおられると思いますので・・・」
「あ、わかりました。虫の苦手な方は、注意してご覧下さい。では、VTRをお願いします」
新谷のゴーサインで、映像が流れはじめた。
 最初、川の上空から撮影された風景をタイトルバックに、赤で『殺人ウイルス媒介か? 謎の巨大昆虫!!』と煽りが書かれたものが映り、すぐに採取組の二人の足下にズームアップした。画面は少し荒くなったが、状況を把握するには充分な画像だ。二人の先数メートルのところに何か箱のようなものがあり、小刻みに震えている。
「あ、ここでちょっと映像止めてください」
新谷は映像を止めさせて聞いた。
「知事、これは・・・?」
「はい、メガローチ専用の罠です。まあ、ローチホイホイのでっかいヤツですよ」
「なるほど。・・・って、そんなに大きいんですか?」
「おそらく小型のハムスターよりは」
「え?」
「・・・あの、新谷さん、まだご覧になってないのですか?」
「ええ、さっき処理を終えたばかりで、なんとか番組に間に合ったものですから」
「ああ、そうですか」
そう言うと、森の内は意味深に笑った。それに気がついた新谷は、一瞬むっとした表情をしたが、すぐに営業用スマイルを取り戻して言った。
「知事はご覧になりましたか?」
「ええ。写真ですけどね。メガローチのアップと人との大きさ比較の2種類ですが。今回は放映しませんでしたが、昨日のローカルでは比較写真の映像を流しましたよ。そりゃあもう、すごい反響でして。一部薬局ではゴキブリ駆除製品が棚からなくなったくらいでして」
「そう、そんなに・・・」
新谷の表情に少し蔭りが出てきた。
「では、次の映像です」
新谷が続けて言った。しかし、それは何となく空元気を出しているように思えた。画面はふたたびメガローチホイホイを映していたが、それから翅の様なものが飛び出した。それが激しく震えると、ふわりと浮いた。しかし、それは一瞬のこと、すぐに地面に落ちた。しかし、その衝撃で粘着剤から自由になったらしい。一気に黒いモノが罠から飛び出し、速攻で翅を広げてカメラに向けて飛び上がったように見えた。実際は何十メートルも離れているのだが、それを見て新谷がキャアっと悲鳴を上げた。同時にギルフォードも声にならない悲鳴を上げてソファに張り付いた。その途端画面がぷっつりと途切れ、次に映ったのはCMだった。ジュリアスがまずいと思って反射的に録画をオフにしたのだ。それでも、ギルフォードは一瞬のうちに冷や汗でびっしょりになった気がした。その後、吐き気に襲われ、口を押さえてよろけながら洗面台に向かった。ギルフォードはそこで、さっき飲んだばかりのミルクティーを全部戻してしまった。
 ギルフォードが再び居間に戻りソファに力なく腰を下ろすと、画面は新谷と番組アシスタントやゲストが森の内と中継で話しているシーンになっていた。
「新谷さん、ひょっとして虫、嫌い?」
森の内が意外だな、という表情で聞いた。新谷は一瞬黙ったが、すぐに笑顔に戻って言った。
「ええ、まあ・・・。全部じゃないですけれど・・・」
新谷は、自他共にクールと認めている自分が、そこら辺の女こどものような悲鳴を上げてしまったことについて、少し恥ずかしがっている様子だった。しかし、インターネット某所のガイアTV実況スレッドでは、メガローチキモイの書き込みと共に、トウコちゃん可愛い、新谷萌え~等の書き込みが埋まった。しかし、それは心ならずも多くの人に、新谷とメガローチがセットでインプットされてしまうこととなった。
”くそっ、大丈夫と思って油断した”
ギルフォードはソファにくたっともたれかかると言った。
”まさかあの小さい映像からあれだけの画像を抽出することが出来るとは・・・”
まだ、必要以上に騒ぎ立てる必要は無い。ギルフォードはそう思っていたが、話がだんだん一人歩きをしているように思われた。だがそれは、公表する時に予想されたことでもあった。
”しかし、いったいこれからどうなっていくのか、俺にもさっぱり予想がつかねえ・・・”
ギルフォードは複雑な思いで画面を眺めた。 

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