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1.暴露 (5)シンボル

 放送はこれまでの経緯を説明するVTRが終わり、その後の経過、すなわち、今日1日の経緯の報告に移っていた。由利子はギルフォードが連れていってしまったので、紗弥とジュリアスが待合室に残っていた。
「なんとなく、とんびに油揚げをさらわれた気分でかんわ」
ジュリアスが少し不機嫌そうに言った。紗弥がテレビ画面を見ながら答えた。
「由利子さんの証言で、夕方の死者が、もしテロリスト側の人間だとわかったら、極めて重要なカギになりますわ。死人とはいえ、初めて表に現れた実行犯になりますから」
「だがね、テロと言うことがはっきりしたら、また対応が変わってくるだろ。無用の混乱を招かなければええけどよ」
「おそらく、もう少し決定的な証拠が挙がらなければ、そうはならないと思いますわ。死人からは、なにも聞き出すことが出来ませんもの」
「それはそれで、もどかしいことだて」
ジュリアスは、そういうと足を組みなおして、再びニュースを見るのに専念した。

「・・・放送後、身元不明遺体の知り合いと言う女性から連絡があり、遺体の身元は判明しました。連絡をされた女性は既に感染発症しており、現在感対センターで治療を受けております。遺体はD市在住の森田健二さんという大学生です。6月6日から6月12日までの間に彼と接触した覚えのある方は、最寄の保健所か、感染症対策センターまでご連絡ください。現在3名の濃厚接触者が判明しており、保護を急いでいます。それからもう一件。今朝のことですが、感染者らしい男性が、自動車事故で亡くなりました。男性の知人から、彼が森田さんと接触したことがわかっています。今朝9時前にF市H区G町の国道で起きた対人自動車事故に間近で遭遇された方は、最寄の保健所か感染対策センターまでご連絡ください。感染症対策センターの電話番号は・・・.」
森の内は、淡々と説明を続けた。

 一方由利子は、ギルフォードに連れられて解剖室の窓の前まで来ていた。そこには葛西と長沼間の他にもう一人見知らぬ男性が立っていた。年の頃50代半ば、身長170cmくらいで体型はやや中年太りのがっしり型である。彼はギルフォードを鋭い眼で一瞥した。ギルフォードは、なんとなく嫌な感じがして怪訝そうにつぶやいた。
”誰だ、ありゃあ? さっきまで居なかったヤツだが”
「アレク、いえ、ギルフォード先生、篠原さん」
ギルフォードたちが近づくと、葛西がにこっと笑って二人を呼んだ。ギルフォードと由利子は、見知らぬ男に向かって軽く会釈をし、ギルフォードが葛西に向かって言った。
「えっと、この方は?」
「警視庁から対策本部に出向して来た、九木(ここのぎ)警部補です」
葛西が紹介した。
「警視庁から? 警察庁じゃなく?」
ギルフォードが尚も怪訝そうに聞いた。それに対して、九木が答えた。
「万一首都圏にまでウイルスが侵入してきた場合に、しかるべく対処出来る様にと、私が派遣されました。警視庁刑事部、捜査共助課から派遣されました、九木章一です」
「アレクサンダー・ギルフォードです。Q大で教授をしていますが、今回バイオテロ対策本部全般の顧問を申し付かりました」
ギルフォードはにこやかな笑顔で自己紹介をした。
「はじめまして、教授。いろいろお世話になると思いますが、よろしく」
「こちらこそです、ココノギさん。お会いできて光栄です」
ギルフォードが笑顔でそう言いつつ、右手を差し出した。しかし、九木はその手を取らずに言った。
「失礼。握手の習慣がないもので」
ギルフォードは肩をすくめて手を引っ込めつつ、由利子を紹介した。
「それから彼女は、私の助手のシノハラ・ユリコです」
「ほお、あなたが」
九木は由利子を見ると感心したように頷いて言った。
「犯人の顔を見たという女性ですか」
(なんでこの人まで知っとぉと~。松樹さんのうそつき) 
由利子は心の中で叫びながらも
「え? ええ、まあ、そんな感じです。」
と、ややぎこちない笑顔で答え、初対面の挨拶をした。
「はじめまして。篠原です」
「警察としては、民間の方に危険な役目を負わせることは避けたいのですが、非常事態ということで、ご協力いただき感謝いたします」
九木が丁寧な口調で言ったので、由利子は恐縮して言った。
「いえ、これも何かの因果だと思うので」
「縁じゃなくて因果ですか」
九木はそういうと苦笑いをした。葛西がその合間に口を挟んだ。
「警部補は、たまたまF駅での事件に遭遇して、その場で指揮をしたんですよ。それで、そのままこちらに来たのだそうです」
「F駅に?」
ギルフォードが訝しげに言った。
「東京からは、いつ来られたんです?」
「今日です」
「なのに、何故わざわざF駅に居たんです?」
「今日は移動日だったんだが早めに着いたのでね、まず、現場を見ようと思って、発端になったK市の公園や河川敷を見てきたんですよ。それで、N鉄道を利用したんです。その帰り道、F駅に着いたら改札前が騒がしいので、何かがあったのだと思い急いで行ってみたんです」
「そしたら、そこで感染者が死に掛かっていたと?」
「そうです」
「なるほど」
ギルフォードは肩をすくめて言った。
「何か問題が?」
「いえいえ、的確な対応、感謝します」
ギルフォードは一際にっこりと笑いながら言った。そこで今まで黙っていた長沼間が、とうとうしびれを切らせて言った。
「おい、いい加減、篠原さんに遺体の確認をしてもらえんかな」
「あ、申し訳アリマセン」
「すまんね、長沼間警部補、葛西刑事。急いで面通しさせてくれ」
「じゃあ、篠原さん」
葛西はようやく話が落ち着いたので、ほっとして由利子を呼んだ。
「そのまま窓に近づいてください。男性が解剖台の上に寝かされてますね。彼の顔は見たことがありますか?」
由利子は言われるままに窓に近づいて、遺体を見た。血の気がなく青白い男の身体には、あちこち赤黒い、あるいは青黒い染みが出来ていた。由利子は無意識のうちに、両手で口のあたりを覆っていた。
 由利子は、ゆっくりと男の顔に目をやり顔を確認すると、「あっ」と小さい声を上げ、よろけて一歩後退った。
「由利・・いえ、篠原さん、どうしたんですか?」
葛西が驚いて駆け寄った。由利子は倒れる寸前で踏みとどまったが、真っ青な顔をして葛西を見た。目の奥に恐怖がありありと感じられた。
「葛西君、この人、あなたも知ってる人よ。私からバッグをひったくろうとした男だよ。ひどい。きっと失敗したから・・・」
「では、CD-Rの奪取に失敗したコトの制裁で、彼はウイルス爆弾にされて殺されたということですか?」
ギルフォードが念を押して聞いた。
「おそらくそうです。偶然にしては出来すぎています」
「こいつがあの時のチンピラ・・・?」
葛西は驚いて遺体の顔を見た。
「言われてみれば見たような顔ですが、ずいぶん痩せて人相も変わっています。よくこれでわかりましたね。僕も職業柄、顔は覚える方ですが、これじゃ無理ですよ」
葛西は感心して言った。
「でも、間違いないわ。この男よ、私は間近で見たもの」
「この遺体がテロ実行犯である可能性が高まりましたな」
横で話を聞いていた九木が言った。由利子は自分に関わった引ったくり犯人の酷い末路に少なからずショックを受けたらしく、ようやく立っている状態だった。
「ユリコ、とりあえずこれに座ってください。すごい顔色をしていますよ」
ギルフォードが、折りたたみ椅子を持ってきて由利子に勧めた。由利子は「ありがとう」と言うと、倒れこむように椅子に座った。しかし座るや否や、あっと叫んでまた立ち上がりながら言った。
「ひったくり犯は二人いました! ひょっとしたらもう一人もどこかで・・・!」
「可能性はありますね」ギルフォードが腕組みをしながら言った。「かといって、どう対処したものか・・・」
「パトロールや検問、職質を強化するしかないだろうね」
九木が横から言った。葛西はうなりながら答えた。
「ん~、そうですね。まさか戒厳令を布(し)く訳には行きませんし・・・」
「とにかくユリコ座ってください。・・・ところで、ジュン」
ギルフォードがもうひとつの気がかりについて尋ねた。
遺体の衣類のポケットから出てきた例の紙は、どうなってます?」
「今、調べてる最中ですが」
「ちょっと持って来てもらうわけにはいきませんか?」
「聞いてみましょう」
葛西は、インターフォンで隣室に呼びかけた。
「あの、さっきの紙、ちょっと見せてもらえませんか?」
「了解。少々お待ちください」
数分後、隣室から若い警官が赤い紙をもって出てきた。外部の人間によく見えるように、ガラス窓にギリギリ近づけて見せた。5人は、良く見ようと張り付くようにガラス窓に向かった。一瞥してギルフォードが言った。
「だいぶ文が読めるようになりましたね」
「汚れと文字や図形が同じ系統の色なので、苦労しました。まだ読みにくい箇所もありますけど」
「これだけ読めれば上等ですよ。さすが日本の鑑識は優秀ですね」
ギルフォードはしっかりと褒めるのを忘れなかった。青年は照れくさそうにして笑った。そこでギルフォードは、さらに質問をした。
「これはこの遺体の人が書いたものに間違いないですか?」
「指紋は彼のもの以外検出されませんでした。自分の意思で書いたものか、書かされたものかはわかりませんが、かなり高い確率で彼の書いたものと思われます」
「なるほど、そうですか。ありがとう。参考になりました」
ギルフォードは、もう一度最強の笑顔でお礼を言った。

Seimei_s  5人は、血に染まった紙を囲んで一様に悩んでいた。
「これは、すごいことになっていますな。出血の凄まじさがよくわかりますよ」
と、九木が言った。流石に若干眉をひそめている。
「しかし、ひどい絵ですね」ギルフォードが言った。「子どもでももう少しマシな絵を描きますよ」
「病状が進んでいたせいかもしれませんが、字も汚いですね」
葛西が言うと、次に由利子が絵について指摘した。 
「長い十字架が何かオブジェに刺さっているような・・・。それにしても、妙に足の長い十字架よね。これ、わざとかな?」
「十字架にも見えますが、剣にも見えませんか?」
「なるほど、ジュン、良い指摘です。意味深ですね」
「アレク、何かわかったの?」
ギルフォードは、自身も意味深な笑みを浮かべて言った。
「まあ、とりあえず急いで文章の方を判読しましょう」
紙の汚染がひどく、数箇所字の判読が不可能或いは困難になっていた。
「僕が読んでみます。と言っても、最初の文字がほとんど見えてないなあ。『・・・ハ夜ノ子二三テ・・・』、あれ? 変だな」
「馬鹿ね。『にじゅうさんて』って何よ」
「四十八手なら知ってますケド」
「うるさい」
「どうもスミマセン」
よせばいいのについ口を挟んで由利子に一喝され、ギルフォードはすごすごと引っ込んだ。由利子は葛西に向かって言った。
「そこは『夜の子にして』でしょ?」
「あ、そっか。え~と、何とかハ夜ノ子ニシテ、・・・ああ、また漢字のところが読めないっ」
「構わずちゃっちゃと読む」
「はいっ。・・・っと、・・・リノ兄弟。リノ?」
「『夜の子にしてリノ兄弟』って、新人演歌デュオじゃないんだから」
「演歌デュオ・・・」
葛西は繰り返すと、何かがツボにはまったらしい。くくっと笑ってしまい、慌てて口を押さえた。
「ユリコ、あまりジュンをからかわないでクダサイ」
「冗談言ったつもりはないわよっ。ああっ、もうっ! ホントにうるさいっ」
由利子が頭を抱えて言った。

 さて、こちらは紗弥とジュリアスのいる待合室。
 放送は、保健所と病院からの注意事項を終えて、終盤に向かっていた。ことさら感染の恐怖を煽らないためにも、感染リスクについては特に説明が重視された。空気感染はせず、患者の体液に触れない限り感染しないこと。特に咳やくしゃみなどの飛沫からの感染はほとんどゼロだということが繰り返し説明された。当然、いまだ証拠らしい証拠の出てこないテロ関係については、公表を伏せられていた。
 ジュリアスが腕組みをしたまま脚を組み替えながら言った。
「う~~~ん。あまりくどく言うと、逆に怪しいと疑われてしまうがね」
「政府が常に嘘をつくと思っている人もいますものね」
「特にネットの世界ではな。まあ、今までもそういう怪しいことが全くなかったかというと、そうでもにゃーことが余計話をややこしくするんだわ.。・・・しかし、何をしとるのかね、由利子は」
「ええ、遅いですわね。何かもめているのでしょうか」
「もうすぐ、放送が終わってしまうぞ」
ジュリアスは、腕時計を見ながら言った。
「あ、ジュリー、見て。ウイルスの名称が決まったみたいですわよ」
「何だって? そんなことは聞いていにゃあがね」
二人は再度テレビに向かった。そこでは県の保健衛生課の職員が説明を始めていた。
「・・・名称についてですが、ウイルスがまだ発見されていないこともあって、今までは新型感染症と呼称しておりましたが、インフルエンザと混乱する可能性を考慮して、当面仮称で呼ぶこととなりました。一般的に、ウイルス名は発生地に因んで命名されますが、その地区に後々悪いイメージを残すことを考慮し、それは回避しました。それで、最初に患者が発見されたK市の祭木公園に因んで、『サイキ・ウイルス』と仮称することに決定いたしました」
「へえ、サイキ・ウイルスねぇ」
ジュリアスが言った。
「psyche・・・とでも書くのかね。なかなかスピリチュアルな名称だなも」
「いっそサイコ(psycho)・ウイルスにすればよろしかったのですわ」
紗弥が、そこはかとなく不機嫌に言った。

 頭を寄せて、あーだこうだと言う3人に判読を任せて、九木と長沼間は、途中から少し離れて彼らを見ていた。九木が小声で言った。
「彼ら、傍から見ていると実に面白いですな」
「下手なお笑いより面白いのは確かですよ」
長沼間が同意した。
「まあ、ボケが二人だとツッコミも大変でしょうがね」
「しかし、あのギルフォードという男、とぼけたように見えて、なかなか食わせ者のようですな」
九木の評価に内心驚きながら、長沼間はそれをおくびにも出さずに言った。
「確かに一筋縄ではいかないところもありますがね」
「長沼間さんは、彼とはかなり親しいのですか」
「どういう意味で親しいと?」
「ごく普通の意味ですよ」
「ごく普通には親しいですがね。九木さん、あんた彼のことは、どれくらいご存知で?」
「調書くらいは読みましたよ。少々変わった趣味をお持ちのようですが」
「それは、彼の実績には関係ないことだ。そうでしょう?」
「ま、そうですがね」
そう言いながら、九木は3人の方を見た。

「普通考えたら、この『リ』の字は漢字の送りがなでしょーが」
由利子がもどかしげに言った。
「・・・あ、そうですよね」
ギルフォードも付け加えて言った。
「ついでに言うと、声明文であるならば、最初の文字は一人称の『私』ですよ」
「少し違うな」我慢できなかったのか、九木が参戦した。「おそらく字形からして『我(われ)』だろう。意味は同じだが」
「なるほど、そうですね」
ギルフォードが納得して言った。
「ではジュン、続けて読んでください」
「はい。読みます。『我は夜の子にして、・・・りの兄弟』」
「予想通りですね。ジュン、『り』の前に来る漢字は睡眠の眠ですよ。『眠り』です」
「へえ、よくわかったわね」
「ギリシャ神話をかじっていれば、常識とも言えることなんですが」
「よくわからないけど、通して読んでみます。『我ハ夜ノ子ニシテ、眠リノ兄弟』」
九木が感心したように言った。
「ほお、なるほどね。ニュクスの子か」
「サスガですココノギさん、即答でした」
「まあ、あとは君の種明かしまで黙っておきましょう。葛西刑事、続きをどうぞ」
「はい、続けます。母ナル大地ニ代ワリ、人類をEXする・・・? ??? なんでしょう、EXって」
「これは、Sの字を書きわすれた・・・」
「オヤジギャグはいいから、話を進めろ」
由利子が怖い顔をしてギルフォードに言った。さっきから黙って紙を持ったまま立っている警官も言った。
「私からもお願いします。いい加減持ち場に戻らないと、上官から怒られます」
「ハイ、スミマセン・・・」
ギルフォードは素直に謝ると、説明を続けた。
「このEXは、おそらく extermination あるいは extinction の略字で絶滅と言う意味です。例えばレッドデータブックでは、絶滅動物にEXと記されています」
「絶滅たぁ、こりゃまた穏やかじゃないな」
長沼間が若干皮肉っぽい口調で言った。ギルフォードが頷いて答えた。
「ええ、敵の意図がわかってきました」
「判読をし終えたようなので、続けて読んでみます」
葛西はそう言うと、軽く咳払いをして続けた。
「『我は夜の子にして眠りの兄弟 母なる大地に代わり人類を絶滅する』」
「ジュン、良く出来ました。この文面からして、敵の目的は、病原体を撒くことで脅して要求を通すことではなくて、病原体をばら撒くことそのもののようですね」
「ああ、そのようだが」長沼間は眉間に深い皺を寄せつつ言った。「俺はこのタイミングでこれが出てきたことが気に食わねえ」
「そうですね。まるで昨日の知事の挑発にわざと乗ってきたみたいで・・・」
「面白がっているということか」
「そういうことですよ、ココノギさん」
そこで由利子が思い出して言った。
「そういえば、最初アレクに送って来た挑戦状、あれも縦読みのトリックが使われていましたよね」
「ええ。タチがワルイです」
「私は国家への挑戦と受け取りました。心してかからねばなりませんな」
と、九木が厳しい表情で言った。
「それでアレク、そろそろ説明してくれてもいいんじゃない?」
「OK、ユリコ。実は、ユリコが預かったCD-Rの中に仕込まれていたシステム・クラッシャーのフォルダ名から、ある程度予想していたのですが・・・」
ギルフォードが滅多に拝めない真剣な表情で説明を始めた。
「覚えていますか、ユリコ」
「はい。忘れもしません。”thanatos(タナトス)”です」
「さて、タナトスですが、ギリシャ神話では死の神であり、夜の女神ニュクスの子で眠りの神ヒュプノスの兄弟です」
「あ、この声明文と同じ!」
由利子と葛西が声をそろえて言い、二人は一瞬照れくさそうな顔をした。ギルフォードは、それを見てクスリと笑うと続けた。
「そうです。それから後半の『母なる大地』ですが、タナトスの母は今言ったようにニュクスです。しかし、大地の神ガイアは神々の多くと、それから人間もその血を引いていると考えられました。いわゆる地母神です。
 僕は、このタナトスと言う名前が、システム・クラッシャーに付けられた単なる名称なのか、テロ組織の名称に関わるものなのか判断がつきませんでした。多分警察の方でもそうだと思います。しかし、これで、少なくともテロ組織にタナトスという名称が関わっていることがわかりました」
「あなた、葛西君があの絵を剣みたいと言った時、意味深って言ったけど、それはどうして?」
「タナトスの象徴は、剣と砂時計なんですよ」
「じゃあ、このへんちくりんな三角形の図形は、砂時計ってこと?」
「おそらくそうでしょうね。こういう形をした砂時計もありますし。まあ、ジュンが剣に見えると言わなければ、わかりませんでしたけどね」
「けっ、やっぱり気に食わねえ!」
長沼間が言った。
「実行している連中はともかく、これの首謀者は、ゲーム感覚でやっているようにしか思えん!」
「間違いなくそうでしょうね。何故なのかはわかりませんけど」
「俺はそんな連中の気持ちなんかわかりたくもねえよ!」
長沼間は吐き捨てるように言った。
「だいたいの情報は得たし、これ以上あの胸糞悪い死体の近くに居たくないのでね、俺は帰らせてもらうぜ。じゃあな」
長沼間はそういうと、すぐにきびすを返し、一度も振り返らずにさっさと帰って行った。九木がそれを見て言った。
「冷めているように見えて、けっこう熱血なんだな」
「そこが彼の良い所ですよ」
ギルフォードはそこでニッと笑うと続けた。
「それに、何故か小さくてお洒落な黒いペーパーバッグを持ってましたね。中身は何でしょうねぇ」
「あのぉ・・・」と、鑑識の青年が言いにくそうに言った。「この紙はもういいですよね。私も持ち場に戻っていいでしょうか」
ギルフォードは、にっこりと笑いながら言った。
「ありがとうございます。オツカレサマでした」
「私も判読する手間が省けました。感謝します」
「あなたの処置が良かったからですよ」
「ありがとうございます!! では、失礼いたします!」
ギルフォードに褒められて、警官は嬉しそうに敬礼をして持ち場に戻って行った。

「サイキ・ウイルスか」
翔悟がクスクス笑って言った。
「なかなかセンスの良い命名だね、兄さん」
「今日はずいぶんと機嫌が良いが、何かあったのか?」
「いや、そんなことはないけどさ。僕のメッセージが僕の愛する人たちにちゃんと届いただろうなって思ったら、楽しくてさ」
「おまえ、デパ地下の有名中華料理店からのテイクアウトを持って来て、夕食を一緒に食べようとか言って、またひょっこり来たくせに、食事よりテレビの方に夢中なのは、どういうことだ? 行儀の悪い」
「ああ、ごめんごめん。久しぶりに兄さんとの交流が戻ったからさ、一緒に食事したいじゃない? でもさ、このニュースも見たかったんだよ」
「しかし、妙だな」
都築は自分もテレビ画面をみながら言った。テレビは三原医師がウイルスの説明をしているところを映していた。
「昨日の特別放送が引き金になったように、というか、それが堰を切ったというか、いきなり大変なことになったもんだ」
「そうだね。まあ、きっとそういう時期だったんだよ」
「おまえ・・・」
「何?」
「本当におまえはこれに関わっていないんだな?」
「やだなあ、兄さん。たった一人の弟の言うことが信じられないの? それにどうやったら僕にこんな大それたことが出来るというんだい? 僕は政党も持ってない、マイナーな宗教団体の教主だよ」
「それはそうだな。悪いな、なんとなく疑ってしまった。以前あった地下鉄テロのことを、ふと思い出してな」
「あんな似非宗教と一緒にしないでよ、兄さん」
翔悟は笑いながら言った。
「さ、食べてよ。このフカヒレの姿煮、大きいだろ。僕の大好物なんだ。それから、この海鮮炒めもお勧めだよ。中華に合うワインも持って来たからさ、今夜は大いに飲もうよ」
「そんなこと言っておまえ、車の運転は大丈夫なのか?」
「大丈夫さ。ちゃんと運転手を待機させているよ」
「流石、教主さまだな」
「やだな、からかわないでよ。じゃ、乾杯しよう」
「よし、コルク抜きとワイングラスを持って来よう。ちょっと待っていなさい」
都築はそういうと席を立って厨房に入っていった。翔悟が画面を見ながら微笑を浮かべて言った。
「疫病の発生は公表されたしウイルスにも名前がついた。さて、テロ組織に関する情報の断片を得た彼はどう出てくるかな。きっと君は僕を楽しませてくれるよね、アレックス」
翔悟はクスクス笑いながら、ベランダの方を見た。外は既に日が落ちて真っ暗になっており、ベランダを隔てる大窓は、鏡のように翔悟の姿を映していた。翔悟は魅せられたように自分の姿に見入っていた。

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