5.告知 (4)告知前
ギルフォードは聡子が落ち着くまで待つと、彼女の横に座ったまま改めて説明をした。聡子は最初、話の内容の把握がよく出来なかったが、それは、信之から詳しい話を聞いていなかったからだと言うことがわかった。
聡子からの話はこうだった。
聡子と多佳子が、母と甥の訃報を知らされ実家に駆けつけたのが、雅之が事故死した日もすでに暮れかかった頃だった。だが、実家も信之宅も封鎖されていて入ることが出来ない。彼女らは、信之が感染症対策センターにいることを知らされすぐにそこに向かった。
しかし、なんとか信之には会えたものの病室のガラス越しで、あまりにも異常な事態に対応できず憔悴しきった信之からは、詳しい事情を聞けるような状態ではなかった。彼女らは、信之を励ますだけでそこを去るしかなかった。
その後、彼女らはセンター長の高柳から秋山夫妻の隔離入院についての説明をされた。しかし、その内容も彼女らにとってはあまりにも突飛で、すぐには信じられなかった。さらに、母や甥の遺体に対面したいと申し出たが、それも許可されなかった。彼女らは泣いて頼んだが、規則だと言うことで頑として聞き入れられなかった。彼女らはそれ以上どうすることも出来ず、連絡待ちということで、泣く泣く帰路につくしかなかった。
信之が病院から帰ってきてからも、とても聞ける状態ではなく、腫れ物を扱うようにしていたという。それで、彼女らは警察から報せがあった時と感対センターで聞いた情報しか得る術がなかったのだ。
「母と甥、しかも実の母が死んだと言うのに遺体にも会えず、その上、人が亡くなった時にするべきことが全く出来ないなんて、信じられませんでした」
聡子は静かではあるが、底の方にはいまだ消えない憤りを秘めた口調で言った。
「しかも、未知の感染症だなんて誰がすぐに信じられますか? 私たちは訳がわからず、ただ抱き合って泣いていました」
「スミマセンでした」
ギルフォードが頭を下げながら言った。
「あの時は現場もセンターも相当混乱していましたので、ご遺族のお気持ちの方まで対処出来なかったんだと思います。でも、そんな時だからこそ、細やかな配慮をしなければならないのです。本当に申し訳ありません」
そういうと、ギルフォードはもう一度頭を下げた。聡子は驚いて言った。
「そんな、先生、頭をお上げになって。先生に恨みを言ったわけじゃありませんわ」
「遺体との対面が出来ないのは、もちろん感染防止のためですが、お二人のご遺体はかなり損傷していましたから、僕はあなた方が見なくて良かったと思ってます。遺影でお母様のお優しい笑顔を拝見して、そう思いました。ご遺族の方にとってはどちらが良いのか僕には断言できませんが・・・」
「ああ、先生はご覧になられたのですね・・・」
聡子が言った。
「母の遺体はそんなに・・・」
「で、あの日はですね」
ギルフォードは急いで話題を変えた。これ以上聡子にショックを与えてはまずいと思ったからだ。
「僕も、マサユキ君の友人たちから話を聞いたり、法医学の先生に報告したりと大忙しで、午後からの講義が終わった後、センターの方にも寄りましたが夕方には帰りましたので、あなた方とはすれ違いだったみたいですね」
「そうでしたか。・・・ところで、あの・・・、雅之ですが、ホームレス襲撃なんて本当にそんな大それたことをしたんでしょうか?」
「申し上げ難いですが、YESです。彼の制服の上着からは犠牲になったホームレスのヤスダさんの血液が検出されましたし、右手にマサユキ君の友人たちが証言した傷跡もありました。その傷跡とヤスダさんの爪も整合しています。僕は、マサユキ君はその傷からヤスダさんの罹っていた病気に感染したと確信しています」
「ああ・・・」
聡子はそういうとまた顔を覆った。
「弟嫁の美千代といい、一体どうしてあんなことを・・・」
「二人とも亡くなられてしまった今、それはもう誰にもわからないでしょう」
ギルフォードは気の毒そうに聡子を見ながら続けた。
「サトコさん、これから僕が言うことをしっかりと聞いてください。あなたたち姉弟にとって重要なことですが、ノブユキさんがああなってしまった今、僕はあなたたち姉妹に託すしかありません。あなたには辛い内容を含みますが、どうかお聞きください。まず、これまでの流れをもう一度簡単に説明します。ご存じのこともあると思いますが、おさらいと思って聞いてください」
と、ギルフォードは雅之の事件から現在までの流れを、わかりやすくかいつまんで話した。聡子がまたも辛そうな表情で言った。
「何て事でしょう・・・。西原さん一家には本当に申し訳ないことをしたんですねえ・・・」
「西原さんは、ミチヨさんも亡くなられてますし、その他の状況も理解されて訴訟はしないとおっしゃっておられるそうです」
「訴訟・・・」
聡子は膝の上で、さっき涙を拭いたハンカチを握りしめながら、硬い表情で言った。
「そうですよね、美千代は訴えられるべきことをしてしまったんですよね・・・。西原さんの寛大なお計らいに感謝します。ほんとうに申し訳ないですし、感謝の言葉も見つかりません」
「西原さん一家については、あなた方が落ち着かれてからお詫びとお礼に伺ってください」
「ええ、もちろん、もちろんです」
「それよりも、これからお話しすることはもっと問題なんです。よくお聞きください」
ギルフォードは、これから行われる森の内知事の告知について説明した。
「今回の告知は、F県及び周辺に住む人々に新型感染症に関する注意を促がすことが目的ですが、公表することによって、感染者の追跡をしやすくするという目的もあります。いくつか追跡すべきルートがありますが、そのうちの二つにマサユキ君とミチヨさんからのルートがあります。マサユキ君のほうは、事故現場に遭遇した人の中から感染者がいるかどうかです。今現在では少なくとも、一人の感染が確認されています。ミチヨさんについては、失踪時に彼女がどういう行動をしたかも誰と会ったかも全くわかっていません。僕たちはマサユキ君よりも、ミチヨさんのルートのほうがより深刻だと考えています」
「あの、美千代は失踪時にいったい何をしていたのでしょう・・・?」
聡子が不安そうに尋ねた。ギルフォードはその質問に自分の推測で答えるのは避けて言った。
「ミチヨさんの、感対センターを抜け出してから公園に現れる間の空白部分の行動については、ほとんどわかっていません。ただ・・・」
「ただ?」
「彼女がセンターを抜け出したのは、外部からの手引きがあったらしいということと、彼女が公園で言ったことから、彼女が何者かから操られていた可能性が高いということです」
「いったい誰に!」
「わかりません。それを調査するためのルート解明でもあるんです」
ギルフォードは、ウイルスが人為的なばら撒きの可能性が高いということを言うのをはばかった。今回の告知ではまだ発表を伏せられているからだ。
「なんてこと・・・!」
聡子は再度ハンカチを握り締めながら言った。
「もちろん、あなた方を含め、これに関わった人たちの個人情報が流れることはありません。しかし、すでに色々なウワサが流れています。それが、どんな風にあなた方に降りかかるかわかりません。それは、西原さんたちすら巻き込むことになるかもしれません。状況を見て、警察のほうで対処するようにしているようですが、ことによると、ノブユキさんをどこかに保護することになるかもしれないということを、頭にいれておいて下さい」
「可愛そうな信之!」
聡子が言った。
「家族を全て失ったというのに、この上いったいどれだけ苦しい思いをすればいいのでしょう・・・!!」
聡子はそう嘆くとハンカチで目頭を押さえた。由利子と紗弥は、口を挟む余地もその必要もなかったので、二人の会話を黙って聞いていたが、悲しさと憤りを抑えつつ涙する聡子を見ながらチラリとお互いを見、ついでギルフォードの方を見た。彼はいつものようにフェミニストぶりを発揮していた。由利子は、罪を犯した者の家族もまた被害者なのかもしれない、と思った。
そんな中、紗弥がいきなり立ち上がって窓の方に駆け寄ると、窓を開け外に飛び出した。と、同時に家の前から車が発進し、猛スピードで逃げ去った。
「チッ!」
紗弥が珍しく舌打ちをして、逃げる車を見送った。残りの三人が心配そうに窓のそばに寄ってきた。
「何者かがここの様子を伺ってましたわ」
紗弥は彼らの方を振り返ると言った。
「おお、危ない危ない。やはり気付かれたか。遠くから望遠で狙って正解だったな」
車を運転しながら、降屋がつぶやいた。その後、普通の声で横の女性に言った。
「どうだい? いい写真が撮れただろ?」
助手席で、極美がデジカメのモニターで映像を確認しながら言った。
「ええ、思ったよりずいぶんとはっきり写っているわね。でっかい望遠レンズをつけたカメラを見た時は、女湯でも盗撮するのかと思ったわ」
「盗撮はひどいな。そのつもりがあったら、君に隠しカメラ付きのポーチを渡して女湯においてもらうさ」
「そんなのには協力しないわよ」
「冗談さ」
「あたりまえじゃないの。犯罪じゃない。本気だったら引くわ」
「あはは、案外真面目なんだね、君」
「あんな仕事をしていたから、いい加減だと思ってた?」
極美は少し不機嫌そうに言った。
「そんなことはないよ。不真面目な子だったら、協力しないから」
「そうなの?」
「そうさ」
「わかった、信じるわ。で、この情報は、またあなたの公安警察の友人経由?」
「まあ、そういうことにしといてよ。色々あってあまり詳しいことは言えないんだ。とにかく、今日午後から例のガイジンの教授が秋山家に来るという情報を得たんで、君に教えたまでさ。君、彼の顔を見たがってたろ?」
「ええ・・・。思ったより若いわね。それにかなりいい男だわ」
「僕とどっちが?」
「バカね」
極美は降屋のボケを一蹴し、続けて尋ねた。
「でも、なんであんな遠くから撮る必要があったの?」
「今のでわからなかったかい? 近くに寄ると気付かれるおそれがあったんだ。あの女は教授秘書だけど、元はCIAのエージェントだったんだぜ」
「やっぱり冗談が下手ね、あなた。さすがにCIAはないわよ」
極美が苦笑いして言った。
「じゃあ、KGB」
「却下」
「SASとかは?」
「もう、マンガの見過ぎだわよ。確かにだだの秘書じゃなさそうだけど。教授の愛人とかそのレベル?」
「あいつ、ゲイらしいぜ」
「ええ~っ、うっそお!!」
「マジ、マジだってば。けっこうそれって有名らしいよ」
「公言しているの? だとしたら勇者だわね。でも、もったいないわねえ。いい男なのに」
極美は写真をスクロールしながら言った。
「あ、これこれ、救急車が来た時門扉のところに立ってるこれ、いいわね。特に黒いスーツに血まみれの白いシャツが危険っぽくていいわ。使うならこれね。顔には目線かボカシをいれるとして・・・。う~ん、目線の方がかっこよさが垣間見えていいわね」
「どんな記事にするか決めているの?」
「ええ、だいたいね。あとは掲載するタイミングだわ」
「今日の知事からのお話が良い発端になるといいね」
「なに、それ?」
と、極美はきょとんとして降屋を見た。
「ああ、知らなかったのかい? 今日夕方6時のニュースの時間帯を利用して、知事から重要な話があるらしいのよ。多分、テロ関係のことだと思うよ」
「じゃあ、見なきゃあ。急いで帰りましょ」
「おっけ~。じゃあ、すっ飛ばすぞ」
そういうと降屋は景気良くアクセルを踏んだ。極美は焦って言った。
「ちょっと、急がなくても6時前には悠々と着くわよ。交通規則は守って。って、そっちは私のホテルへの方向じゃないわ!」
驚く極美をチラリと見て、降屋はにっこりと笑いながら言った。
「僕の部屋じゃご不満かい?」
「え、ええっ? そんな、行っていいの? ご家族は?」
「独身だもの、僕だけだよ。K市の大学に通っていた頃から同じ賃貸マンションにずっと住んでいるんだ。大家がめんどくさがって家賃を上げないし、住み慣れたらなんとなく居心地がよくってさ。で、来るだろ? 僕んちならプリンタがあるから、撮った写真をプリントアウト出来るだろ?」
「そっ、そうね。じゃあ、遠慮なくお伺いするわ」
極美は何となく勘違いをしたと思い、少し顔を赤らめながら言った。
ギルフォードたちは、居間のソファに戻った。しかし、話は先ほどの出来事に移行していた。
「何者だと思う?」
由利子が聞いた。
「急いで確認しようと思ったのですが、植木が邪魔で車に乗っていた人物もナンバープレートも確認が出来ませんでした。残念ですわ」
紗弥が答えた。相変わらずのポーカーフェイスだが、膝の上に組んだ手の関節が白く見えた。ギルフォードが肩をすくめて言った。
「告知前からこれでは、先が思いやられますねえ・・・」
「やめてください。これからのことが余計に恐ろしくなりますわ」
聡子が恐ろしげに両腕を掴んで言った。
「おっと」
ギルフォードが時計を見ながら言った。
「5時をだいぶ回ってしまいましたね。そろそろおいとましなければ。今からだと、僕の研究室なら6時前には着くと思いますから、放送には間に合うと思います。みんな、帰りましょうか」
「あの、お待ちになってください」
聡子が懇願するような目をして言った。
「私、一人でその放送を見るのが怖いんです。みなさん、ここで一緒に見てくださいませんか?」
思わぬ依頼に三人は顔を見合わせた。
「潮見、ちょっと車を止めて」
パトカーでパトロール中の熊田が運転している部下に言った。
ここは、F県もS県境に近い街の国道沿い。潮見は車を止め不審そうな表情で言った。
「急にどうされたとですか、巡査部長」
「あの女性、似とおと思わん?」
熊田は、現在パトカーが正面に止まった形となったコンビニの方を指差した。そこにはたった今車から降りて店内に入ろうと入り口に向かう女性がいた。両サイドがレースアップ仕様のレザータンクトップに同じくレザーのマイクロミニで、生足に黒いハイヒールと、ずいぶんと過激な格好をしている。
「似てるって、誰にですか?」
「指名手配中の結城って男に誘拐されたって、ナントカっていう・・・」
「ちょっと待ってください。えっと、これですね」
潮見は手配書を出して見ながら言った。
「多田美葉、37歳・・・。う~ん、今は後ろを向いてるんでよくわかりませんが、ちょっと若すぎるっちゃないですか? せいぜい20代後半くらいにしか見えませんよ」
「単に若作りってのかもしれんやろ。特に女性の歳は同性の私だってわからんもんなあ。まあ、手配書の写真は運転免許証の写真っぽいから、ちょっと難アリやけど」
「難有りって・・・」
彼らがそう言いながら様子を見ていると、女がそれに気がついたのか振り返った。
「あ、気付かれたか。コンビニのガラス窓にパトカーが映っとおからやね」
「背格好はあってますけど、やっぱ若かですよ、彼女。しかし、すごい短いスカートやなあ。・・・って、小柄なのに胸でかっ」
「こらこら、どこば見よっとね、あんたは。やっぱ男やねえ」
熊田は苦笑いをして言ったが、すぐに真顔になった。
「ん? 何かこっちに来そうな雰囲気やけど・・・」
しかし、彼女は車から連れの男が下りて来ると、ぴたりと動きを止めた。
「仮に彼女が多田美葉とすると、男の方は結城の可能性があるとやけど・・・」
「結城 俊、46歳・・・。身長、179センチ。これも背格好は合ってますが、こっちは歳をとりすぎてますね。どう見ても60近いですよ、彼」
男は何かを言いながら、急いで彼女に長いコートを着せた。
「あんまり短いスカートをはいているから、彼氏も気が気じゃぁなかごたるねえ」
「彼氏というよりも、お父さんって感じですね」
男の方もパトカーに気がつき、人好きのする笑顔を浮かべて会釈すると、女と肩を並べてコンビニに入っていった。
「やっぱり別人か。男の人相が違いすぎるもんねえ。警察を目の前にしても、全く不審な態度をせんし」
「じゃ、行きましょうか」
そう言うと、潮見は車を発進させた。
「もう少ししたら、例の放送が始まりますよ」
「おっと、そうやったね。ラジオでもやってるんだったな」
「はい。放送後、何か騒ぎになるでしょうか?」
「どうやろうねえ。それよりどれくらいの人が信じるかのほうが問題かもしれんよ」
と言いながら、熊田は微妙な表情をして笑った。
件の男女は熊田が最初疑ったとおり、美葉と結城だった。彼らはコンビニで日用品を買い込むと、すぐに車に乗り早々にそこを立ち去って行った。美葉はもともと歳よりかなり若く見られがちで、30過ぎて補導されたという笑い話もあるくらいなので、髪型や着る物で10歳くらい若く見せることは造作もないことだった。しかし、結城の変貌は異常だった。やや伸ばした髪には白いものがかなり目立ち、遠目には殆どグレーにしか見えなかった。体重もかなり減っており、それによって顔も骨格が際立ち皺も目立ってきた。実際に彼が年齢を60だと偽っても、誰も疑わないだろう。彼の常用する薬の副作用なのだろうか、その面持ちには死相すら感じられた。しかし、当の本人は見た目の変貌とは違い、むしろエネルギッシュに活動しているようだった。
結城は人目を避けるように、山道に車を走らせていた。一瞬とはいえ、さっき警官にに目をつけられたのでかなり用心深くなっている。二人はコンビニから出てから一言もしゃべっていない。車内には緊張した空気が張り詰めていたが、民放FM局の名物パーソナリティ、『ビーちゃん』こと蜂谷ケンタのおどけた声が、場違いに響いていた。彼は、時折イラッとする類のオヤジギャグを交えながらも、軽快に番組を進めていく。と、急に蜂谷の声が真面目なアナウンサーの声に戻った。
「さて、CMに入る前にもう一度お知らせします。今朝から各番組でお伝えしていましたとおり、6時から番組を約5分間変更して、森の内知事からの重要なお知らせを放送します。なお、これはAM・FM・テレビ放送を通じて・・・」
「うるさい!」
結城がイラついた様子で、乱暴にラジオのスイッチ切った。それできっかけが出来たのか、結城はミラー越しに助手席の美葉を一瞥しながら言った。
「美葉、おまえさっきパトカーに走って行くつもりだっただろう?」
美葉は無言で窓の外を見ていた。
「しばらく大人しかったので安心していたら、早速こうだ。そんなことをしたら、どうなるか充分言い含めていたつもりだったけどね、まだわかってないようだね」
「捕まりたくなかったら、明るいうちに出歩かないことね」
美葉は右手で支えた左手で頬杖を着き、そっぽを向いたまま言った。
「それに、私にこんな趣味の悪い露出過多な服を着せたりしたら、余計目立つでしょう。それをあんたに警告したまでよ。第一この車、盗難車じゃないの。ナンバーを調べられたら一発でアウトだよ」
「邪の道は蛇ってね、そう簡単にばれないようなルートの車だってあるんだ。これはそのルートから手に入れたから、その点は大丈夫だ。生憎だな」
「そっ、蛇ね。あんたらしいよ」
美葉はそっぽを向いたままはき捨てるように言った。結城は少し困ったような表情をして言った。
「まだ許してくれないのか、美葉。あれから僕たちは、ずっと・・・」
「身体を支配したくらいで、私を征服した気にならないでよ!」
美葉は結城の方に向きなおすと、キッと厳しい表情で彼をにらんで激しく言ったが、すぐに言葉を和らげて続けた。
「私の心はすでにあなたにはないの。本当に私を愛しているなら、私を解放して。・・・いえ、それじゃだめだ。聞いて。あなたが本当に救われるには、罪を償うしかないの。私と一緒に警察に行きましょう。ね、お願い。このままでは私たちが向かうのは破滅しかないわ」
「破滅か・・・。おまえと一緒ならそれもいいかもしれないな」
結城はそうつぶやくと、路肩に車を止め、美葉の方を向いて言った。
「いいか、美葉。何度も言うように、おまえが妙な気を起こせば大勢の人が死ぬことになるんだ。二度とさっきのようなマネはやめろ」
「わかったわよ!!」
美葉はヒステリックに叫んだ。
「でもね、言っとくけど、私はあなたのテディ・ベアじゃないからね!!」
「美葉、どうしてわかってくれないんだ?」
結城はシートベルトを外すと、美葉の上に覆いかぶさり、シートを倒した。
「やめて!! 嫌ッ! まだ明るいじゃないの、いい加減にして! それに車の中は嫌いだって・・・」
「おまえが言うことを聞かないからだ」
「まだそんなことを言っているの? バカよ、あんた。私は諦めない。きっとこの状況から脱してやるから!」
「強がるんじゃない!! おまえは僕から逃げられないんだ。籠の鳥なんだよ」
結城は美葉の上に乗ったまま、彼女の両手を掴んでシートに押し付け抵抗できなくすると、そのまま彼女と唇を合わせた。彼はしばらく美葉の口をむさぼると、そのまま彼女の首筋に唇を這わせ、空いた左手でタンクトップをめくりあげようとした。
「嫌ッ! 嫌だってば、もうやめて!! 嫌ったら嫌ぁっ!!」
美葉はなんとか抵抗しようと足をばたつかせた。その時、ふと時計が目に留まった。時刻は6時になろうとしていた。
(そういえばさっき・・・)
美葉は常に結城に見張られ、自分で色々な情報を得ることが出来ない状況に置かれているが、さっきのアナウンスの内容から、結城のおこしたテロ関連についての放送だろうと考えた。美葉は結城に抵抗しながらも、なんとかしてカーステレオのスイッチを入れようと足を伸ばした。何度も失敗したが、何とかスイッチを入れることが出来た。ついでにヴォリュームも上げてやる。スピーカーから男の声が車内に響きわたった。
「・・・県内に水面下で流行しつつある、この新型感染症ですが・・・」
美葉の思惑通りに結城の動きがピタリと止まり、弾かれたように起き上がるとラジオの声に耳を傾けた。美葉は、乱れた髪と衣服を直しながら起き上がった。その顔には冷ややかな笑みが浮かんでいた。
「公表・・・しやがった・・・」
と、結城は半ば呆然としてつぶやいた。よもや今の段階で公表するとは思ってもいなかったのだ。そう、現在の病気の広がりや死者数からして、今公表すると言うことは経済的リスクが大きすぎる、それ故に行政側が市民に対しての警告をためらい、その間に広がったウイルスがある時期爆発的に感染者を増やすということが、彼らの展開予測であったからだ。
「くくっ、くっくっ・・・、あはっ、あははは・・・」
結城の狼狽振りを見て、いきなり美葉が哄笑した。
「黙れ! 何が可笑しい!!」
結城は美葉をにらみつけて怒鳴った。美葉は高笑いを止めると今度はクスクス笑いながら答えた。
「ああ可笑しい。あんた、しばらくは公表できないって高を括っていたよね。相手を甘く見すぎてたようね。あっちにはアレクが・・・バイオテロ対策の専門家がついてるんだ。テロのことは触れていないけど、明らかにこれは、あんた達に対する宣戦布告だよ」
そう言うと、美葉はまた笑い出した。
「くっくっくっ、大笑いだわ。あーっはっはっは。あははは・・・」
「笑うのをやめろ!」
結城がまた怒鳴る。
「ははは、だって、だって可笑しい・・・ははははは」
「やめろ―――――」
狂ったように笑い続ける美葉に耐えかねたのか、結城はとっさに美葉の首を両手で掴み、絞めた。美葉の笑いが途切れた。結城の両手を掴み両目が大きく見開かれて、苦しそうに口をぱくぱくとさせた。結城の手の甲に美葉の爪が突き刺さったが、不意にその手の力が抜けて、ぱたっとシートに落ちた。
「美葉?」
結城は驚いて両手を離した。
「ああ、僕は何てことを・・・!!」
結城は美葉を抱きしめながら言った。力の抜けた美葉の両手はもう抗うことなく、強く抱きしめるにつれ彼女の首が反り返った。
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