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4.衝撃 (6)新たな誓い

 楓は、多美山の家に無事に帰り着いていた。
 娘の梢は夫が心配だからと、孫の桜子を楓に任せて、とんぼ返りで感対センターに引き返してしまった。それで、仕方なく孫と二人で多美山の家に居るのだが、いくら娘婿の実家であるとはいえ、所詮「他所の家」、どうも主不在の家にいてもくつろげない。
 一方孫の桜子のほうはといえば、長旅となれない病院で緊張したせいか、何とか家に帰りつくまで頑張っていたが、家に入って落ち着くと、着がえもそこそこに転寝をしてしまった。帰る途中、駅のうどん屋で少し遅い昼食を摂ったので、おなかいっぱいになったせいかもしれない。それで、楓は仕方なく押入れから適当に寝具を出して孫を横に寝かせ、自分はすることもないのでテレビをつけて、買ってきたペットボトルのお茶を飲みながら、なんとなくぼうっと二時間サスペンスドラマの再放送を見ていた。
 ドラマが中盤に差し掛かったころだろうか、横で気持ち良さそうに寝ていた桜子がいきなり起き上がって言った。
「おじいちゃん、かえってきた?」
桜子は、寝ぼけ眼できょろきょろと部屋を見回すと、またころんと布団に転がって寝てしまった。
「なんなの? この子ったら・・・」
楓はそう言ったものの、なんとなく嫌な予感がして時計を見た。時間は夕方4時を少し回ったくらいだった。楓は、桜子が踏み脱いだタオルケットを、再度掛けなおしてやると再びテレビドラマの続きを見始めた。しかし、すでに楓は真剣にドラマを見るどころではなくなっていた。
 彼女らがこの家にたどり着いた頃は小降りだった雨は、本格的に降りはじめていた。

 葛西はふらふらと歩いて窓に近づいてきた。
「葛西君・・・、やっと来た・・・」
由利子は葛西の方を見て、少しだけ微笑みながら言った。しかし、葛西はそれに気がつかないようだった。周囲は何も目に入らず、葛西はただ多美山のほうに向かっていた。葛西はドンとガラス窓にぶつかると、両手を窓につき、額を擦り付けるように病室内を見た。そこには血まみれの多美山の姿があった。スタッフの何人かの防護服にも血が飛び散った跡があった。園山看護士は、三原に命令され病室から退去していた。防護服の上からとは言え、大量の血液を浴びていたし、何より三原には、園山がすでに精神的に限界に至っていたのがわかっていた。多美山が発症してから、ろくに休まずに彼のそばについていたからだ。
 葛西は黙ったまま病室を見た。多美山の身体からはすでに機材が外され、看護士が顔の周囲を拭っていた。しかし、葛西はすぐに顔を病室からギルフォードの方に向けて、戸惑ったような表情で言った。
「アレク・・・、あの・・・」
「残念ですが、亡くなられました。ここで多美山さんとお別れですよ・・・」
「お別れ・・・?」
「ええ。病理解剖のあと、火葬されます。もう、会えないんですよ」
「うそ・・・」
葛西が小さい声でつぶやいた。
「うそじゃないですよ・・・。最後のお別れに間に合ってよかったですね」
「間に合った・・・?」
葛西はまた病室の方を向いてつぶやいた。
「いや、僕は間に合わなかった・・・」
葛西はそれからまたおし黙った。しかし、その背中はかすかに震えていた。しばらくして葛西がつぶやくように言った。
「多美さん・・・」
その後、いきなり窓にガンッ!と思い切り額をぶつけた。
「何するの! 割れたらどうするのよ!」
由利子が驚いて言った。しかし、葛西はそのままの姿勢で窓にへばりついていた。彼の背は、今やはっきりと震えていた。と、いきなり葛西が大声で多美山を呼びながら、窓を叩いた。
「多美さん! 多美さん! 目を覚ましてよ!! 死んだなんてうそでしょ・・・?」
半泣きで叫ぶ葛西を、幸雄が戸惑ったような表情で見た。ギルフォードはその様子を見ながら言った。
「まあ、この窓はあれくらいの衝撃ではビクともしませんが・・・、そばに息子さんがおられるのに、困りましたね」
「彼は多美山さんを父親のように思っとったんだろ? 無理にゃあて」
ジュリアスは同情的に言ったが、ギルフォードは厳しい顔で葛西に近づき彼の手を掴んで言った。
「もういいでしょう? そのくらいにしておきなさい」
ギルフォードに手を掴まれ、反射的に振り返った葛西が言った。
「アレク、僕、多美さんのそばに行きます。行かせてください!」
「それはダメです。我慢してください」
「いやだ! 多美さん!多美さん!!」
葛西はギルフォードの手を振り切って駆け出そうとした。ギルフォードは、ジュリアスと二人がかりで葛西を止めながら言った。
「ダメです! どこに行くつもりですか!」
「僕は多美さんにありがとうも何も言っていない! だから、多美さんのそばに行かなきゃ! 離してよ、アレク! 離せってば!」
「落ち着きなさい、ジュン!」
静かだが鋭い声と共に、ぱん!という乾いた音がした。ギルフォードが葛西の頬を打った音だった。ギルフォードは、葛西の耳元で言った。
「見なさい! これが、テロリストのしでかしたことです」
ギルフォードは葛西の襟首を掴むと、無理やり病室の方に彼の顔を向けた。
「目に焼き付けておきなさい、タミヤマさんの姿を・・・! 僕たちの・・・、君の戦う敵は、人に対してこんな残酷な仕打ちをするウイルスを、平気でばら撒くことが出来る連中なんです。彼らはウイルスを操作し培養出来る能力と、それを躊躇せず使用出来る冷酷さを持っているんです」
ギルフォードに現実を突きつけられ、葛西は否応なく目の前のことを受け入れざるを得なかった。彼は、へなへなと座り込んで、がっくりとうなだれた。由利子は葛西の様子をずっと無言で見ていたが、とうとう切れて怒鳴った。
「いい加減にしなさい! 多美山さんね、あんたが一人で頑張って捜査しているって聞いて、こん睡状態の中で笑っておられたんだよ。それだけ嬉しかったんだよ。なのに、そのテイタラクは何よ!」
ギルフォードとジュリアスが驚いて由利子の方を見た。由利子は涙をポロポロこぼしながらも腰に手を当て、続けて怒鳴った。
「しっかりしろ、葛西刑事!! 立ちなさい! ちゃんと立って、多美山巡査部長に最後の捜査報告をしなさい!!」
由利子に一喝されて、葛西は一瞬ぽかんとしたが、すぐに弾かれたように立ち上がり、姿勢を正した。
「多美さん、取り乱してすみませんでした! 報告します!」
葛西は敬礼をした後、直立不動の体勢で報告を開始した。
「今日は、早朝から公園周辺をまわり、いくつかの証言や情報を得ました。それからC川周辺で聞き込みをして、学生から少し変わった情報をもらいました。その後、商店街で美千代の事件で公園にいた女性を発見、追跡しましたが、何者かの妨害にあって取り逃がしてしまいました。詳しいことは調書に書き込みます。以上報告を終わります!」
葛西は報告をし終わると、また敬礼をして、今度はそのまましばらく立ち尽くしていた。顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「なにも、口に出して報告しなくてもいいのに・・・」
由利子が困ったような顔をしてつぶやいた。
「まあ、彼なりに配慮していたのか、詳細まで言っていませんから大丈夫でしょう。それより、今話に出た例のキワミという女のことがますます気になりますね。少なくとも仲間が居るようです。・・・あ、ちょっと待ってください。サヤさんが来ていますので」
ギルフォードは入り口に紗弥が立っているのに気付き、彼女の方に向かいながら付け足した。
「ユリコ、涙はちゃんと拭いてね」
由利子は焦ってジーパンのポケットからハンカチを出すと、涙を拭いながら言った。
「流石に冷静やね、アレクは」
「そう見えるかね?」
ジュリアスが言った。
「今日はほとんど、いつものアルカイックスマイルを浮かべとらんだろ? 今も笑っとらんかった。あいつに全く余裕がにゃあってことだ。由利子が切れなかったら、あいつが切れとったかもしれにゃあて」
「ふうん。そうなんだ」
由利子とジュリアスは、戸口で紗弥と話すギルフォードの方を同時に見た。由利子にはいつもとあまり変わらない様に思えたが、確かにその顔はいつもと違って妙にこわばっている。それに・・・、由利子は思った。そういえば、今日は何となく妙に元気を装っていたような気もする・・・。由利子は何となく納得した。もっとも、空元気を出していたのは由利子も同じだったが、彼女はそれに気付いていなかった。
 葛西は幸雄の横に立ち、二人は静かに病室を見ていた。その横で、今まで黙って病室の様子を見守っていた高柳が幸雄に言った。
「幸雄さん。あとでお父さんの今後についてお話がありますから、ここでしばらくお待ちください」
「はい。色々とありがとうございます」
幸雄は頭を下げて言った。それから少しして、梢が姿を現した。
「あなた・・・」
梢は異様な雰囲気に戸惑いながら夫に声をかけた。
「梢・・・」
幸雄は哀しい笑みを浮かべて言った。
「父さん・・・、逝ってしまったよ・・・」
「ええ・・・」
「がんばったけど、ウイルスに勝てなかった・・・。あんなに強靭だった父さんが・・・、最後の方は苦しんで、苦しんで・・・、なのに、最後の最後は本当にあっけなく・・・」
「お義父さん、よく頑張られたわ。それに、最後まで刑事の誇りを捨てなかったと思うわ」
「うん・・・、そうだよ。でも、意識を失う間際に一人の父親に戻ってくれた・・・」
「そう・・・そうだったの・・・」
梢はそういうと、幸雄の横にそっと座った。由利子とジュリアス・葛西を加え、5人は静かに多美山の旅立ちを見守っていた。もはや、みんなが押し黙っていた。それは、嵐が去った後の無力感に似ていた。

 多美山の身体は、見映え良く清拭された。まだ血を流している身体は毛布でしっかり覆われ、感染防止用の透明な袋を装備したストレッチャーに乗せられた。今週の月曜まで強靭に駆け回っていたその身体は一回りも二回りも小さくなって、ぐったりとし、持ち上げられるがままになっていた。目は二度と開かれることなく、彼の実直で無骨な博多弁も二度と聞くことは出来ない。内線をオープンにして、三原が皆に伝えた。
「今から多美山さんを安置室にお送りします。医療スタッフ以外の方はこれが最後のお別れです。みなさん、お見送りをお願いします」
それを聞いて、ギルフォードと紗弥が駆けつけ、ジュリアスの横に並んだ。手の空いたスタッフたちも窓の前に並んだ。幸雄と梢が椅子から立ち上がった。梢の左手は幸雄の右手をしっかりと掴んでいた。
 皆の見守る中、袋の口が閉じられようとしていた。葛西が敬礼の姿勢をとった。ギルフォード、次いで紗弥が彼に続いて敬礼した。周囲も彼らに従い、多美山はいつしか敬礼する沢山の人たちに見守られていた。病室内のスタッフ達に守られ、多美山を乗せたストレッチャーはゆっくりと動き出した。その時、スタッフステーションのドアが開いて、多美山危篤の知らせを受けた森の内知事がようやく駆けつけて来た。彼は状況を把握すると、窓に近づいて姿勢を正してサッと敬礼をした。お付の警護の者たちもそれに倣った。
 ストレッチャーはゆっくりと病室を移動し、病室を出て行った。ドアが閉まり、多美山はとうとう葛西たちの前から姿を消した。病室にはまだ血だらけのベッドや機材等の戦いの跡が残り、スタッフが片付けを再開しはじめると共に窓が曇り、中の様子が見えなくなった。

 周囲の人たちも仕事に戻り、多美山の息子夫妻は高柳から説明を聞くために、病室の前から去って行った。紗弥も、仕事をやりかけてきたからと、大学に戻っていった。しかし、葛西は未だ病室の前に立ちつくしていた。ギルフォードたちは、そんな彼を静かに見守っていた。
「葛西君、もういいやろ? とにかくここから出よう、ね、ね?」
由利子がたまりかねて声をかけた。葛西が気の抜けたような声で言った。
「多美さん、行っちゃった・・・」
「うん。悲しいね・・・」
由利子はそう言いつつ葛西の肩にそっと手を置いた。葛西は病室の方を向いたまま、肩を震わせ低い声で言った。
「僕・・・僕は・・・このウイルスを撒いた連中が憎い・・・! 絶対に許せない・・・!! 必ず犯人を挙げて多美さんの仇を打ってやります!!」
「ここにいるみんなが同じ気持ちだよ。でも、ここに立っていたって何も動かないやろ。多美山さんも、今、きっとこう言っておられるはずだよ。『ジュンペイ、なんばしとっとか。事件はおまえば待ってはくれんとぞ。いつまっでも落ち込んどらんと、さっさと捜査に戻らんか』ってね」
「・・・そうですね。そうですよね・・・」
「さ、行こ。これからは弔い合戦だね」
由利子は葛西の手を掴んで、他所に連れて行こうと彼の腕を引いた。それを引き金に、葛西が今まで何とか押さえていた感情が堰を切ったようにあふれた。彼は由利子にしがみつくと、外聞もなく号泣した。
「え~・・・っと・・・、葛西君? ・・・あのぉ、アレク、これ、どうしましょう?」
由利子は戸惑って、しがみついている葛西の背を指差して言った。ギルフォードは肩をすくめて答えた。
「仕方ないですねえ・・・。ユリコ、今日は君に塩を送りますよ。僕らはこれから色々話し合わなければなりませんから、しばらくその馬鹿ちんのお守りをしていてください」
ギルフォードはそう答えると、さっさと会議室の方に歩いて行った。
「塩を送るって、アレックス、どういうことだがや」
ジュリアスがブツブツ言いながらその後を追う。
「いや、そんな塩いらねーし・・・。 って、こら、アレク、この状態で置いて行くな! 戻ってこーい!!」
由利子は大声で言ったが、ギルフォードが振り返ることはなかった。
「ったく、もう・・・」
由利子は彼らの背を一瞥し、自分にしがみついて泣くでっかい子どものせいで、張り付く周囲の視線を気にしながら、そういえば、最近美葉ともこんなことがあったなあと思い出しつつ、やっぱり困っていた。

 ギルフォードがジュリアスと共に会議室に向かっていると、高柳と一緒に森の内知事が現れた。
「ギルフォード先生」
「知事、いらしてたんですか」
「はい。なんとか、多美山さんとのお別れに間に合いました。でも、私はもう帰らねばならないので、ちょっといいですか?」
「はい、何でしょう?」
「この新型ウイルスの公表についてのことです。出来たら今夜にしたかったのですが、議会で一部から猛反発がありまして、もう一度資料をそろえて明日の朝、もう一度審議を行います。多美山さんが亡くなられたこともありますから、必ずみんなを説得します。それで、新型ウイルスについての解説を、高柳先生にお願いしたのですが、この事件の対策室顧問として是非ギルフォード先生にもお話をお願いしたいと・・・」
森の内のオファーに、ギルフォードが少し悲しい顔をして言った。
「せっかくですが、辞退させてください。僕のような胡散臭いガイジンが話しても逆効果かも知れないし、解説ならタカヤナギ先生お一人で充分だと思いますし」
「そんなことをおっしゃらずに・・・」
「いえ、それに、今度は大丈夫だと思うんです。現役の警官が亡くなったこととその経緯、そして感染者の増加、以上のことを踏まえると、いくら石頭でも公表せねばならないことは理解できる筈です」
「そうですか、やっぱりダメかあ・・・」
「すみません」
「仕方ないですね。ま、そういうわけで、公表はおそらく明日の夕方辺りになると思います」
「翌日は月曜ですね。妙なパニックを招かねばいいのですが・・・」
「それより、どれだけの人が信じてくれるかの方が心配だな」
今まで黙っていた高柳が言った。
「じっさい、今のところ事件に関わった人の数はわずかだし、感染者や死者の数はもっと微々たるものだからね」
「でも、アキヤマ・ミチヨからの感染ルートが解明しやすくなります。今までろくに情報を集められなかったですからね。それに、感染容疑者の保護と監視もしやすくなります」
ギルフォードは続けた。
「でも、本当はもっと早くから公表すべきだったんです。遅くとも、ミチヨの事件の時には公表すべきでした。はたして、この遅れがどう影響するかが問題ですね」
「僕の力が足りないばかりに申し訳ない・・・」
森の内がうなだれて言った。高柳がすぐにフォローした。
「いえ、知事一人の責任ではないでしょう。それに、ひとつの都市の、いや、下手をすれば国自体の経済を左右する決断ですからな。法はどうあれ、公表に踏み切るには相当の勇気がいるでしょう」
ギルフォードも非礼を詫びた。
「責めるようなことを言ってすみませんでした。そんなつもりはなかったんですケド・・・」
「いえ、事実は事実ですから、真摯に受け止めます。・・・ところで、さっきから気になっていたんですが、ギルフォード先生の横におられる方は?」
森の内は、ジュリアスの方を見ながら尋ねた。
「あ、彼は僕の友人で、アメリカのH大の講師をしている、ジュリアス・キング君です。お兄さんは、CDCの研究者で、今、この新型ウイルスについて調べて下さっているハズです」
「おお、よろしくお願いいたします。F県知事の森の内 誠と申します」
「ジュリアス・キングです。お目にかかれて光栄です。森の内知事。僕が子どものときに見た『今夜も騒がナイトショウ』の司会の方とお会い出来るなんて思ってもいませんでした」
「おお、あれをご存知でしたか。それに日本語も堪能で・・・」
「子どもの頃、名古屋に住んでいましたから」
「じゃあ名古屋弁がお分かりになる?」
「むしろ、そっちの方がしゃべりやすいです」
「じゃ、名古屋弁でよかですよ」
森の内がざっくばらんに言ったので、ギルフォードがあわてて言った。
「無礼にならない程度にお願いしますよ、ジュリー。うっかりすると、フレンドリーになりすぎますからね、あれは」
「わかっとるがね」
ジュリーはニッと笑って答えた。

 由利子たちは、桜子と会った、あの待合室でギルフォードたちの帰りを待っていた。葛西はだいぶ落ち着いており、バツの悪そうな表情で座席に腰掛けていた。二人とも、何となく照れくさくてあれからずっと黙っていた。
「よ~、やっぱ、そこにおったかね」
と、そこにジュリアスがようやく姿を現した。葛西は戸惑った顔をして、名古屋弁を話しながら親しげに手を上げて近づいてきたイケメンの黒人を見ていた。ジュリアスはニコニコしながら二人の前に立った。
「あ、葛西君、彼が昨日のジュリアスさんよ。ジュリー、もう知ってると思うけど、彼があなたの会いたがっていた葛西刑事よ」
「葛西さん、お会いしたかったがね。ジュリアス・キングだなも。ジュリーって呼んでちょおよ」
ジュリアスは親しげに笑って葛西に右手を差し伸べた。葛西はその右手を掴みながら言った。
「あなたがジュリーさんでしたか。さっきはみっともない姿をお見せしてすみませんでした。葛西純平です。呼び名はジュンで良いです。アレクが僕をそう呼んでますんで」
二人はしっかりと握手をした。由利子はギルフォードの姿がないことに気がついて聞いた。
「ところで、アレクは?」
「ああ、アレックスなら西原ゆういち君だったかね、彼のところに行ったわ。多美山さんのことを伝えるためとゆーことだわ」
「報せて大丈夫なの?」
「いずれ知ることになるだろうからね、隠すよりもちゃんと報せるべきだということになったんだわ。それで、アレックスが適任ってゆーことになってよ」
「そっか。損な役回りよね、アレクも」
「そうですね」
葛西が同意した。
「それにしても・・・」由利子が外を見ながら言った。「中に居たから気がつかなかったけど、ずいぶんと大降りになったものね」
「僕が紗弥さんにバイクで送ってもらった時、すでに大降りになりつつありましたから・・・」
「なんだか、涙雨みたい」
由利子がしみじみと言った。

 祐一はギルフォードから多美山の死を知らされたが、意外と淡々として言った。
「そうですか、あの時の刑事さんが・・・。なんとなくスタッフの方たちが慌しかったので、そんな予感はしていました・・・。でも・・・」
「おにいちゃん、どうしたと?」
本を読んでいた妹の香菜が、戸口で密かに何者かと話す兄に、訝しげに聞いた。
「たいしたことじゃないよ。いいからそこで大人しくしておいで」
「は~い」
香菜は、口を尖らせながら、兄の言うことを素直に聞いて、また本の方に目を向けた。祐一は香菜を制すると、すぐにギルフォードの方に向きなおして言った。
「そんなにお悪かったんですか・・・」
「はい。木曜の夕方から症状が出始めてから、あっという間でした」
「そう・・・ですか・・・・」
「大丈夫ですか? ユウイチ君。顔色がよくないですよ」
「はい。でも、実はオレ、正直あまりピンときていないんです。あれからすぐにここに入れられましたし、その刑事さんともお会いしていないので・・・。でも、ひょっとしたらそれは・・・オレや香菜、最悪、ヨシオや錦織さんの運命だったのかも知れないんですよね・・・」 
「自分を責めちゃだめですよ。タミヤマさんも、それを心配されていました」
「はい。でも、やっぱり・・・」
祐一は、眼を伏せながら言った。
「・・・せめて、もう一度お会いして、一言お礼を言いたかった・・・」
祐一の目から涙がこぼれた。
「あれ? 変だな? 全然実感が湧いていないのに、涙が・・・。あれ? 止まらないや・・・、何でだろ・・・?」
祐一は、意思に反して流れ続ける涙に戸惑っていた。
「ギルフォードさん、オレ、何で・・・・」
「ユウイチ君、泣いていいんですよ。こういうときは泣いていいんです」
ギルフォードは、祐一の肩にそっと手を置いて言った。祐一は、そのままギルフォードに寄りかかるようにして、泣いた。ギルフォードは、祐一の肩を抱きながら言った。
「ユウイチ君、ひとつだけ約束してください。タミヤマさんが自らの命を懸けて守ってくれた命です。絶対に、絶対に粗末にしないでください。ヨシオ君やあの利発なお嬢さんにもお伝えください。お願いしますね」
「はい」
祐一は、涙の中でしっかりと頷いた。

「由利子、えーことを教えてやるわ」
葛西がトイレにたった間にジュリアスが言った。
「さっきな、ジュンが泣いとった時、アレックスのヤツ、さっさと行ってしもうただろ? あの時、実は貰い泣きしとったらしいがね」
「え? なんで?」
「あの後な、おれの方もまったく見ずに、トイレに駆け込んだんだわ」
「それが?」
「そりゃーおみゃあ、男がトイレに駆け込む理由は3つしかないわ。行きたい時と行きそうな時と泣きそうな時だがね」
「行きたい時と行きそうな時の区別は聞かないでおくとして・・・」
由利子は苦笑しながら言った。
「泣きそうな時ってのは納得できるわね。女性だってそうだもん」
「あいつ、あー見えてけっこう泣き虫なんだわ」
ジュリアスは急に真面目な顔をして言った。
「由利子、あーゆーややこしいヤツだもんで、よろしく頼むわ」
「何よ、いきなり」
由利子が笑いながら言うと、ジュリアスはさらに真剣な顔をして続けた。
「由利子、おみゃあにはあいつについて話しておきたいことがよ~けあるんだがね、どこまで話してえーのかよーとわからんのだわ。おれは来週国に帰るけどな、正式に許可をもらってまたここに戻ってこようと思っとるんだが、正直どうなるかわからんて。ほんだで、由利子、その間おみゃあにあいつをフォローしてほしいのだわ」
「フォローなら、紗弥さんがおろーもん?」
「おっと、由利子、釣られて方言が出ただろ?」
ジュリアスは、ニッと笑って言った。
「まあ、おもりとフォローは違うて」
「お守りって、エライ言い方されてるなあ、アレクも」
ここまで話している間に、葛西がトイレから戻ってきた。
「ま、そういうことで、今度な」
ジュリアスは軽くウインクをしながら由利子に言った。
「すみません、お待たせしました」
葛西は頭を掻きながら言った。由利子は、彼の前髪が濡れ、また目が赤くなっているのに気がついた。
(こいつもトイレに駆け込んだクチやね。で、顔も洗ったんだ)
由利子はさっきジュリアスが言ったことを思い出して、少し可笑しくなった。

 すっかり片付いて、今や多美山が居た形跡の全くなくなった病室に、防護服をつけた大男が独り入ってきた。彼はゆっくりと、今や台だけになったベッドに近づき、それを眺めながらしばらくじっと立っていた。男は、ギルフォードだった。彼は祐一に多美山の死を告げに行き、その帰りに寄り道をしたらしい。
 祐一のところで、また香菜に懐かれだいぶ気が紛れた。一週間の隔離生活は、たとえ大好きな兄と一緒とはいえ幼い香菜にとってかなりの苦行である。実際、夜中に母を恋しがって何度も泣いたらしい。それで、彼女はたまにギルフォードが寄るのを楽しみにしているようなのだ。ひょっとしたら、これからもこんな子どもを隔離せねばならないことが多々あるかもしれない、それに、これからは隔離期間はもっと延びる可能性がある・・・。そう思うとギルフォードは気持ちが重くなるのを覚えた。
 子ども達から離れてここに来ると、重たい現実がさらにギルフォードにのしかかってきた。彼は小さい声で何やらつぶやくと、唇を噛んで何かに耐えるように腕を下ろしたまま両拳を握り締めた。身体が小刻みに震え、唇に血が滲んだ。彼はもう一度喉から搾り出すような声で言った。
”ちくしょぉ・・・.”
その後、少し間を置いてつぶやいた。
”すまない,多美山さん・・・."
しゃべると口の中に錆びた鉄の味が広がった。それが、かつて彼が無理やり記憶の底に沈めた忌まわしい記憶を、彼の脳裏に呼び覚ます。ギルフォードは一瞬顔をゆがめた。彼はその後、しばらく立ち尽くしていたが、やがて、魂が抜けたような顔でベッドサイドに腰掛け、両手で顔を覆うと、しばらくじっと座っていた。

 
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