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4.衝撃 (2)交錯する想い

 せっかくの土曜だが朝から薄曇で、時折日差しは射しているが天気予報では午後からは雨だった。窪田はレンタカーの助手席に部下の歌恋を乗せて、高速道路を走っていた。道は若干混んでいるが、渋滞はしていない。この分では予定通りにY温泉に着くだろう。そう思った時、隣の歌恋が言った。
「課長、何でこんな天気なのにサングラスをかけているんですかぁ?」
「ああ、これ?」
窪田は言った。
「え~~っと、これは・・・。そうそう、変装!」
「やぁだ、課長ったら、目的地は県外だしこれは私が借りたレンタカーですよ。そんなに気を使うことないのにぃ」
歌恋は少し笑って言った。
 実は窪田は昨夜から微熱があり、軽い頭痛もしていた。頭痛薬でそれはなんとか収まったがそのせいか、ちょっとした光がまぶしくて時折眼の奥に痛みすら覚えるほどだった。それで、濃い目のサングラスをかけてみたら、なんとかそれが解消されしかも、意外と渋くてダンディに見えた。窪田は鏡の前でニッと笑うと、サングラスを旅行アイテムのひとつに決めた。その様子を横目で見ながら、妻は聞こえよがしに独り言を言った。
「接待ゴルフなのにそんなにお粧し(おめかし)して、キャディさんに美人でも居るのかしら?」
窪田は聞こえないふりをしながらひたすら準備にいそしんだ。
 朝のことを思い出しながら、窪田はちょっと苦々しい気分になったが、それより歌恋になんとなく元気がないことが気になった。
「そんなことよりもねえ、笹川君、なんかいつもの元気がないけど、具合でも悪いんじゃないの?」
「え? あ・・・、ううん、全然! そんなことないですから。きっとお天気のせいですよ。晴れなくて残念でしたね」
「もうすぐ梅雨だからねえ。まあ、雨の温泉街もひなびた感じがしていいと思うよ。でも、こんな天気ならK温泉のほうが風情があったかな?」
「Y温泉の方がお洒落でいいですよぉ」
歌恋が言った。
「課長はやっぱりK温泉の方が良かったですか?」
「僕はどっちでも良かったから。両方とも行った事あるしね。それより、今日は『課長』はやめてくれないかなあ?」
「あ、そうでしたね、栄太郎さん。じゃあ、私も笹川君じゃなくて『歌恋』って呼んでほしいな」
「ああ、そうだったね」
二人はお互いをチラと見て笑った。二人を乗せた車は、高速道路を順調に進んだ。楽しい旅行になる筈だった。
 

 ギルフォードが研究室に戻ると、如月が待っていた。
「キサラギ君、おはようございます。昨日は午後からスミマセンでしたね」
「あ、先生、おはようございます。あのですね、実は昨日、友人から・・・正確には友人の友人なんやけど、彼から聞いたんですがちょっと気になることがあったんでお伝えしておこうと思うて・・・」
「おや、昨日は聞きたいことで、今日は伝えたいことですか」
「聞きたいことの方はおかげさまで解決しました。今日の話は、先生が関わっておられる事件に関わりがありそうやと思うたんです。で、その友人の友人の妹の友だちが・・・」
「なんか都市伝説の始まりみたいですね」
「はあ、実際そんな風にも取れるんですが・・・、急死したそうなんですが、それが・・・」
「急死? なんか嫌な感じがしますね。ちょっとこっちに来て詳しい話を聞かせてください」
ギルフォードは如月を教授室に招いた。教授室では紗弥が今日の講義のための資料をせっせと作っていたが、ギルフォードに気がつくと言った。
「おはようございます。・・・あら、ジュリアスは?」
「センターに残りたいというので置いて来ました。まあ、何かの役には立つでしょうからね。スミマセンが如月君からお話を聞きたいので、ちょっと待ってくださいね」
「ええ、ごゆっくり」
紗弥はそういうと、作業を続けた。
 
「え? 血を吐いて死んだ?」
ギルフォードは、如月の話を聞いて驚いて聞き返した。
「そうらしいです。高熱を我慢してたらしくて、倒れて病院に搬送されたときには、すでに多臓器不全をおこしていて、手がつけられない状態だったそうです」
「多臓器不全・・・、ですか。この事件の犠牲者の多くと同じ症状ですね。で、解剖結果は?」
「それが、両親が宗教上の理由とかで解剖を拒んで、遺体を強引につれて帰って・・・、結局死因不明ということらしいんです」
「なんですって?」
「しかも、病院でも殆どの治療や検査を拒んで、ろくに娘の身体を触らせようともしなかったらしいんです」
「なんて馬鹿なことを!! その後、その家族からは死者は?」
「ええ、なんでもおじいさんが倒れて、やはり同じような症状で・・・。ただ、これも・・・」
「宗教上の理由ですか・・・」
「はい。よくある心霊治療系の宗教らしくて、おじいさんの場合は病院にも行かず自宅で治療を行っていたそうです。友人の友人の妹の友だち・・・ややこしいですね、そうそう、確か杏奈て言うたと思いますが、彼女が病気を我慢していたのも、それが嫌で両親に言えなかったらしくて、幸か不幸か路上で倒れたので救急車で病院に搬送出来たということですワ」
「ひどい話です」
「ただ、今のところおじいさんで連鎖は止まっているようですが。ところがですよ、今朝また彼から電話があって、もっと気になることを言ってきたんです」
「気になること?」
「ええ、その杏奈ちゃん、先週列車事故の現場に遭遇していたらしいんですよ」
「ひょっとして、マサユキ君の?」
「多分そうです」
「なんですって!?」
ギルフォードは立ち上がって言った。
「恐れていたことが起こってしまったようです。キサラギ君、貴重な情報をありがとう。でも、例によってまだ口外しないでくださいね」
「もちろんですワ。色々理由があるんはわかっとるつもりやし」
「本当は隠すべきではないのですけど・・・。とにかく、急いでタカヤナギ先生に連絡して対処をお願いしますから・・・」
「高柳先生に?」
「はい。彼から各方面に連絡が行きますから。その家の住所とかわかりますか?」
「急いで電話して聞いてみますさかい、ちょっと待っとってください」
如月は、すぐに友人に電話をかけ始めた。それを見ながら、ギルフォードの心に不安が広がって行った。
(”この分じゃ、表立っていない犠牲者がもっと居るかもしれないぞ”)
もはやこれは隠している段階ではない。ギルフォードは、今までゆっくりと動いてた時計の針が、徐々にスピードを上げて進み始めたように感じていた。

 由利子は部屋の片付けを途中で諦め、パソコンのリカバリに取り掛かった。どうもパソコンが使えないと不便を感じて仕方がないからだ。10年ほど前なら無くても一向に困らなかったのになあ、と、由利子は時代の流れを痛感していた。
 それでも、それなりに部屋は片付いていた。壊されたものは全部廃棄するため分別してゴミ袋に入れ、倒された家具を定位置に戻した。散乱した小物を集め、汚れを落としてとりあえず一まとめにした。粗方だが掃除機もかけた。後はまとめている小物を分類して定位置或いは新たな置き場に配置し、仕上げの掃除機をかけるのみだ。ついでに少し模様替えもしたかった。験直しの意味も含めて気分転換にもなるだろう。
 玄関の鍵は、朝一番に修理屋を呼んで厳重なものをつけてもらった。それでもドアごと壊された場合意味を成さないだろうが。後は防犯グッズをそろえるくらいしかないだろう。
「念のため、しばらくの間この辺りは私達が巡回しますから。でも、くれぐれも気をつけて、人気のないところには近づかないようにしてください」
鍵の修理が終わり、玄関警備をしていた警官はそういうと敬礼をして去っていった。由利子はお礼を言いながら、美葉の件を考えていまいち不安に思ったが、部屋に閉じこもってばかりもいられない。多美山にも今日行くと言ってある。
「でも、行けるかなあ・・・」
由利子はつぶやいた。OSの再インストール自体はそう時間のかかるものではなく、実際すでに終わらせていた。しかし、設定をしなおしたりソフトを入れ直したりと、元に近い状態に戻すまでが大仕事なのだ。特に由利子のパソコンは型も古く、従ってOSもそれなりに古いのでメール設定も若干面倒くさい。
「やっぱ新品に買い替えたほうがいいっちゃろか?」
しかし、これから先どうなるかわからないし、ギルフォードのバイトだって大した時給はないだろうから、無駄遣いはしたくないというのが本音だった。
 メール設定が終わったところで、電話が入った。ギルフォードからだった。

 葛西は、今朝から聞き込んだ情報をまとめるためと遅い朝食をとるために、駅の近くにある喫茶店に入っていた。
 朝早く寮を出たため、空腹感は限界に来ていた。なんとかモーニングのオーダー時間に間に合った葛西は、まず運ばれてきたコーヒーを飲みながら、ノートを開いた。
 メモを整理しながら彼は妙なことに気がついた。公園周辺の住民数人からの証言に、事実誤認と思われるものがあったのだ。それはあのホームレス集団死事件の翌朝、公園で大勢の防護服の警官を見たというものだった。話を聞いている時は不思議に思わなかったが、考えてみたらあの時はまだ、それが未知のウイルスによるものだとはわかっていなかったはずだ。それで、警官も救急救命士も平常の装備で対応したのだ。そのため、救命を焦った古賀隊員が安田さんにマスク無しで地かに人口呼吸を施して、感染、死亡したと考えられているのだ。だからこそ、彼らの感染追跡調査が今も行われているのである。
(どういうことだ?)
葛西は思った。
(美千代の事件の時と話が混ざって噂になっているんだろうか。まさか、誰かが意図的に流した噂じゃないだろうな・・・)
しかし、そんな噂を吹聴したところで何のメリットがあるのか、ということを考えると特に無いように思われた。やはり、これは記憶違いの可能性が高いな、と葛西は結論した。
 だが、他にも噂や憶測、あるいは完全なデマと思われる証言がけっこうあった。
 その最たるものが、現場の調査に当たった警官がばたばた死んでいるが、警察はその事実を隠している、と言うものだった。しかもそれは、大勢の警官が死んだこと以外は完全に否定できないことだった。ギルフォードは当初から発表すべきと主張していたが、当局の方がどう対処すべきか頭を悩ませた結果のことで、悪意は全く無いのだが、多くの事実を伝えていないことは間違いないのだから。
 あとは、頭のおかしい科学者(証言者はもっと直接的な言い方をしていたが)が人体実験のためにやったとか、公園の池から有毒ガスが流れたとか、日本軍の細菌兵器が見つかったからだとか、医療廃棄物である放射性物質が公園内に捨てられていたとか、流石に宇宙人犯行説には失笑を禁じるのが大変だったが、そういう類の噂まで流れていた。いずれにしても、「複数の遺体―防護服の警官」という連想から成り立っているような内容である。
 だが、ホームレス集団死事件からは、まだたったの2週間しか経っていないのだ。それでこれだけの様々な噂や憶測が広範囲に飛び交っているのだ。昨日の河川敷の事件からも、また噂が広まっていくのは時間の問題だった。それは真偽を取り混ぜ、最終的には皆が納得するような形で『真実』として定着するかもしれない。そんな時、もし一気に感染が拡大したら・・・。葛西はゾッとした。現場の警官として、葛西は告知のリミットが目の前に迫っているのと感じ取っていた。
 今までの調査でわかったことは、大まかに分けると3っつに分類された。ひとつ目は、犠牲者の一人である安田さんと言い争っていた男がいたということ。二つ目は、この事件を調査しているらしい若い女性がいること。しかもかなりの美人らしい。三つ目は、この事件は予想以上に市民が関心を持っており、すでに様々な憶測や噂が飛び交っているということ。
 葛西は、モーニングのトーストを齧りながら、調書のまとめをざっと読んでみた。やはり、これは昨日の件が今どう広がりつつあるか調査してみるべきだと思った。葛西は食事後、昨日の河川敷の辺りで情報収集を行ってみることを決めた。証言の整理がほぼ終わったところで葛西はサラダを突っつき、最後に、取っておいたゆで卵に手を伸ばした。
 その時、葛西の携帯電話に着信が入った。鈴木係長からだった。葛西は電話を掴むと、急いで客の少なそうな手洗いの方に急いだ。 

 ギルフォードから由利子へ、また、鈴木から葛西へとそれぞれかかった電話の内容は、同じく多美山の急変を伝えるものだった。

 ギルフォードは、高柳に沢村杏奈の変死について連絡したあと、急いで講義の資料の整理をしていた。幸い紗弥が手際よくまとめてくれていたので、なんとか時間には間に合いそうだった。ギルフォードはニコニコ笑いながら紗弥に言った。
「サヤさんは本当に頼りになりますねえ」
「褒めても何も出しませんわよ」
紗弥はいつものポーカーフェイスで言った。
「ジュリーのこと、ありがとう。彼とはずっと連絡を取っていてくれたんですね」
「ずっと、ではありませんわ。半年前くらいからかしら? 言ってしまえば彼の執念が教授の居場所を突き止めた、と言うことです」
「ジュリーが?」
「ええ。でも、教授と直接連絡を取るのが怖いといって、私の方にコンタクトを取って来たのですわ」 
「そうだったんですか・・・」
「教授、科学者が思い込みで人を遠ざけるなんて変ですわ。新一さんの事とジュリアスの事故の事は偶然です。頭ではわかっておられるのでしょう?」
「偶然も、三度続けば臆病になってしまうんですよ。特に最あ・・・」
ギルフォードが言いかけた時、彼の携帯電話に着信が入った。
「噂をすれば、ジュリーからですよ」
そう言いながら電話に出たギルフォードの耳に飛び込んできたのは、ジュリアスの緊迫した声だった。
”アレックス,大変だ.多美山さんの容態が急変した! 今度はかなりヤバイらしい”
”なんだって!?”
ギルフォードは思わず椅子から立ち上がった。
”まだなんとか意識があるけど,すぐ来たほうがいい.来れそうか?”
”ダメだ.今から講義があるんだ.学生達が待っている.すっぽかすわけには行かない.終わったらすぐに行くから,俺の代わりにそこで出来ることをやっていてくれないか”
”って,いいのかよ,アレックス? おい・・・”
ジュリアスは何か言いかけたが、ギルフォードは無視してそのまま電話を切った。
「タミヤマさんが急変されたそうです」
「まあ、急いで行かなくてよろしいのですか?」
「タミヤマさんは、仕事に厳しい方です。講義をすっぽかして行ったりしたら、それこそ怒られてしまいます。さあ、そろそろ講義室に行きましょうか。その前に僕は、ユリコに電話して伝えておきますから、サヤさんは先に行っておいて下さい」
「承知しました」
紗弥は、資料を持って研究室を出た。ギルフォードはそれを確認すると、力が抜けたように椅子に座り机に寄りかかった。その後、組んだ両手を額にあて、一瞬何かに祈るようなしぐさをしたが、すぐに由利子に電話をかけるべく、電話を取り出した。

「多美山さんが? うそっ!!」
電話からは由利子の予想通りの声が返ってきた。
「僕もウソと思いたいのですが・・・。さっきジュリーから電話があったのです」
「ジュリーさんから?」
「ええ、僕が大学に戻らねばならないので、僕の代わりに感対センターに居てもらいました。ユリコ、君も昨日のことがあって、外出はどうかと思ったのですが、やはり報せないわけには行きませんので・・・」
「いえ、教えてくれてありがとう、アレク。知らなかったらきっとものすごぉく後悔しました」
「ですが・・・」
「今から行きます」
「え?」
「絶対に行きますから!」
「大丈夫なのですか?」
ギルフォードの心配を他所に、由利子はきっぱりと言った。
「まさか、昼間から私を襲うようなことはないと思うし、鍵は頑丈なものに変えました。それにこのマンション付近は警察の方たちが巡回して警備してくださっています。だから、部屋の方も昨日のようなことにはならないと思いますから、大丈夫です」
「わかりました。くれぐれも気をつけて行ってください。僕は今から講義がありますから、多分急いでも12時半前後になるでしょうけど、必ず行きますから」
「わかりました。私もいまやっているインストールが終わり次第、出かけます」
「では、センターでお会いしましょう」
ギルフォードはそう言うと、すぐに電話を切り、紗弥が残していった資料を片手で抱えると、急いで研究室を出て行った。
 電話が切れた後も、由利子は携帯電話を持ったまま数秒間呆然としていた。昨日会った時、多美山は熱が若干あるとはいえまだまだ元気そうだった。会話も弾み、むしろ楽しいひと時が過ごせたくらいだった。ところが、由利子の見ている前でどんどん病状が悪化して行き、一時は危篤状態にまで陥ってしまった。幸い治療が効いたのか、何とか多美山は危機を脱し、駆けつけてきた息子とゆっくりとなら会話出来るくらいに持ち直していた。ひょっとしたら、ひょっとしたら・・・と、わずかな希望を持ち、由利子は奇跡を祈っていた。しかし、まさか、こんな早くに運命の時が訪れようとは・・・。由利子は多美山の顔を思い浮かべた。自然と口から言葉が漏れる。
「いや、もう一度奇跡を信じよう。まだ亡くなられた訳じゃない!!」
由利子は、立ち上がると急いで出かける準備を始めた。

 葛西はお手洗いのドアの前まで走ると、人影が少ないことを確認して電話を取った。
「すみません、出るのが遅くなりました。葛西です」
「今どこだ? 改めて公園周辺を調査するとかいうメールを早朝から送って来て、一人で出かけるものだから、心配したぞ。電話くらいかけたまえ」
「すみませんでした。朝早かったもので。それで、理由はそれに書いてあるように・・・」
「ああ、わかっている。実は私も多美山主任もそれが気になっていたんだ。美千代の事件が無ければ、多美山主任は君と、今週半ばにでもそれについての調査をするつもりだったんだ」
「そうだったんですか・・・」
「その多美山主任の件だが・・・」
鈴木は改まって言った。その口調に葛西は嫌な予感を覚えた。
「容態が急に悪化したとの知らせが、たった今入ったんだ。葛西君、とりあえず今日のところはそれを切り上げて、急いで多美山さんのところに行っていいから」
「いえ、行きません」
葛西はキッパリと答えた。
「葛西君?」
「これが多美さんと僕の仕事ならば尚更です。僕は、引き続き聞き込みを続けます。多美さんの分も僕が・・・」
そういうと、葛西は自分から電話を切った。その後、電源も落としてしまった。携帯電話をポケットにしまうと、メガネを少し上げて、袖口で目の辺りを軽く拭き、葛西は自分が座っていた席に戻った。しかし、彼はもう席には着かず、テーブルに散らばしたものを片付けると、すぐに伝票を持ってレジに向かった。

 由利子は12時前になんとか感対センターに着いた。昨日許可証をもらっていたので、今日はすんなりとセンター内に入ることが出来た。
 スタッフ・ステーションの中に入ると、スタッフの数が昨日よりずいぶん増えており、雰囲気もかなり慌しいものになっていた。昨日から隔離患者が増えたことと、多美山の病状悪化が重なったためだろう。現場の雰囲気から自分の場違いさを感じ、気後れする。とりあえず由利子は入り口で挨拶をし、尋ねた。
「こんにちは。あの、ギルフォード先生から連絡を受けて来たのですけれど・・・」
「あ、篠原さん、こんにちは」
春野看護士が由利子に気がついてくれた。彼女は由利子に近づくと言った。
「昨日は大変だったそうですね。大丈夫でした?」
「ええ、私自体はぜんぜん大丈夫です。それより多美山さんが・・・」
「そうなんです。今日は早朝にまた新しい患者さんが担ぎこまれて・・・。でも多美山さんはその頃はまだ落ち着いていらしたんです。でも、8時過ぎた頃からまた熱が上がり始めて・・・。とにかく行ってあげてください。まだ意識はしっかりとしてありますから」
春野はそう言い残すと、仕事に戻って行った。
「ありがとうございます」
由利子は春野の背に向けてお礼を言うと、多美山の病室の窓に向かった。窓は昨夜からはもう「開いた」ままになっていた。窓の前には先客が居た。もちろん由利子はそれに気がついていたが、声をかけるのにちょっと躊躇した。
(ひょっとして、この人がジュリーさん?)
紗弥さんの彼氏と聞いていたが、ギルフォードのイメージがあったのでてっきり白人と思っていたが、ひょっとして・・・。
 由利子の気配を感じて、男が振り返った。長身で痩せ気味だが筋肉質の彼は、黒い肌をしていた。男は由利子を見ると、白い歯を見せて笑った。黒い肌に白い歯と綺麗な目が際立っていた。
「由利子さんですね」
彼は流暢な日本語で言った。
「はじめまして、ジュリアス・キングです」
「あ・・・、こちらこそはじめまして。篠原由利子です」
「お噂は聞いています。どうぞ、こちらに来て多美山さんに会ってあげてください」
「はい、すみませんっ」
由利子は恐縮しながら窓に近寄った。病室を見た由利子は息を呑んだ。言葉が出なかった。装備された機材こそ昨日とあまり変化がなかったものの、そこには別人のように憔悴しきった多美山が、ベッドに埋まるように寝ていた。酸素マスクが昨日より大きくなったように感じられた。
 横にはいつもの三原医師と園山看護士に加えて、息子の幸雄が防護服に身を包んで多美山の横に座っていた。彼自身が望んだということだった。三人は由利子を見ると軽く会釈をした。由利子も会釈を返す。多美山は、その気配で由利子に気がついて目を開き彼女を見た。その目を見て由利子はぎょっとした。赤かった。充血と言うにはあまりにも赤い目をしていた。
「篠原さん・・・、でしょう? ・・・来て・・・くれたと ですか・・・?」
「ええ。昨日約束したでしょ?」
由利子は微笑んで言った。
「ありがとう・・・」
多美山は力ない笑みを浮かべて言うと、また目を閉じた。相当きついのだろう。ジュリアスが由利子に言った。
「多美山さんは、人工呼吸器の装着を拒まれました。お孫さんに会った時、お話が出来ない、と言って・・・」
「そうですか。そういえば・・・、延命治療も拒まれておられましたから・・・」
「辛いですね」
「――ええ・・・」
二人はそのまま黙って病室内を見つめていた。内心由利子は何を話していいかと困っていた。この状態で、ジュリアスのことを根掘り葉掘り聞くのも不謹慎に思われた。そんな中、ジュリアスの方が先に口と開いた。
「僕は・・・、あの、すみません、話し難いので名古屋弁でいいですか?」
「え? はい、どうぞ」
「アレックスの古くからの友人だなも。由利子さんには本当にお会いしたかったんだわー」
「え? そうなんですか? 光栄です」
由利子は、何となく可笑しくなって笑顔で答えた。
「あ、ちゃんと笑ってくれてまったね。黒人の名古屋弁って変かね?」
「ちょっと変かも・・・。って、ごめんなさい、偏見ですね。でも、ほんわかねっとりな感じでいいです。私、好きですよ、キングさんの名古屋弁」
「ほんわかねっとり・・・。面白い表現だて。僕のことはジュリーって呼んでちょーね」
「じゃあ、私は由利子って呼び捨てでいいですよ」
「了解だて」
二人の会話は自然になり始めたが、ひとりの女性がステーション内に入って来たのに気がついて、二人とも驚いて振り向いた。女性はツカツカと窓の近くまで来ると言った。
「お義父さん・・・!」
「おまえ! やっと来たか」
幸雄が言った。
「梢(こずえ)さん・・・」多美山が言った。「よく来てくれて・・・。ありがとう」
「お義父さん・・・、何てことになって・・・」
それ以上言葉が続かない。梢は両手で顔を半分覆い、黙り込んだ。幸雄は娘の姿が無いのに気がついて言った。
「桜子は?」
「あなた? そんなところに居たのね。桜は連れて来たけど外で母に見てもらっているわ。ごめんなさい、お義父さん。ここには病気が怖くて連れてなんかこれないもの」
多美山はそれを聞いて、目を瞑った。明らかに落胆している。
「梢、病室にまで連れて来いって言うわけじゃない。そこで会って話すだけだよ。そこは安全なんだ。みんな、軽装で居るだろ?」
「万が一ってことがあるじゃない。だめよ。だから、お義父さん、孫が可愛いなら悪く思わないで」
「梢っ!!」
梢はそう言ってのけると、幸雄の呼ぶ声も無視して病室に背を向け、さっさとステーションから出て行ってしまった。
「私、後を追って説得してきます!」
由利子はそういい残すと、その場から駆け出した。
「おれも行きます」
ジュリアスもすぐにその後を追った。
「由利子! おれも行くがね」
二人は並んで早足で歩き、梢の後を追った。
「ひっどいよね。あれじゃ多美山さんがかわいそうだ」
「感染症に対する一般の認識なんて、あんなもんだて」
ジュリアスはしかつめらしい顔で言った。
「まあ、おれだって、怖い時は相当怖いと思うくらいだからよー」
梢の後を追って、二人は感染症センターの見舞い客用待合室に着いた。あまり広くは無いが、清潔で明るい雰囲気の待合室にはまだ殆ど利用者はおらず、窓際のソファに初老の上品そうな女性が、6歳くらいの女の子をつれて座っていた。なぜかその前に大柄な男が、女の子と話しやすい高さになるくらいに跪いて、親しげに話している。梢は男を見て一瞬首を傾げたが、迷わずそちらの方に歩いて行った。すかさず、由利子は梢に声をかけた。
「あの、多美山梢さん・・・でしたね」
梢は振り向くと、不機嫌そうに言った。
「何か用?」
「あの、多美山さんに・・・」
「娘を会わせるのなら、お断りよ!」
梢は鋭い声で言った。
「そんな、頭っから・・・。ここはそういう感染症用に作られた病院です。絶対に感染ったりしないから・・・」
「そうだなも。最後になるかも知れんのだて、なんとか会わせてやってくれんかねー」
「勝手なことを言わないでよ! ・・・そりゃあ、私だって会わせてあげたいですよ。だけど、危険な病気なんでしょ? 感染ったら、あんな風になって死んじゃうんでしょ? それに、あんな状態のおじいちゃんを見せたら、桜のトラウマになっちゃうかもしれないじゃない!!」
「何をもめているんですか?」
窓際のソファの辺りから、聞き覚えのある男の声がした。男は、女の子を肩車しながら近づいてきた。後ろから初老の女性が心配そうについてくる。
「アレックス!」
「アレク、どうしてこんなトコに?」
「ああ、バイクで来たんですが、こっちから入った方が早かったもんで・・・」
ギルフォードは、例によってにっこりと笑いながら言った。

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