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1.侵蝕Ⅰ (5)親子刑事(デカ)

 室内で黒い血の染みを残して学生が失踪した事件を受け、数人のC野署員が聞き込みをはじめた。事件性を考え中山・宮田両刑事もそれにかり出されていた。
「それにしても、失踪した森田健二という学生ですが、友人達にもご近所にも評判悪いですね。通報者と数名の女性以外誰も心配していないし」
後輩の宮田が言うと、中山がすこし馬鹿にしたような口調で言った。
「まあ、よくいる甘やかされたクソガキやろ。金を払えば卒業できる大学で親の金で4年間遊び放題だ。それで卒業したらいっぱしの大学出の学士様だ、ヘッ。ヤツの部屋を見たろ。学生の分際で2DKのマンションに1人暮らしって、ふざけるな、だよ」
「うらやましいですね」
「おお、オレの学生時代なんか農家の納屋の2階を月1万で借りて、夏は暑いわ臭いわでカノジョも・・・、って、そんなことはどうでもいい」
「失礼しました」と、言いながら、宮田は(自分からノッたくせに)と思いつつ話の軌道を戻した。
「で、その彼ですが、女癖が悪くてしょっちゅう北山紅美とケンカしていたらしいですが、ひょっとして・・・」
「まさか。自分で殺しとって通報するとはあまり思えんがな。女の手で死体を隠すのも大変やろ。ま、絶対にありえないとは言い切れんが、彼女と話した限りでは、不審な点はなかったと思うぞ」
「まあ、そうですけど、なんか不自然な失踪だな、と思って。そもそも動けないほどの症状だった男が、家を出ることが出来たことが不思議です」
「それは、北山紅美が最初疑ったように狂言やった可能性もあるし、何者かに拉致されたって事もある。それにしても、何となく気持ち悪いシロモノやったなあ。あのベッドの染みは・・・!」
中山は、思い出して少し身震いしながら言った。
「な~んか、俺のカンが危険信号を発しているんだよなあ」
(また、中山さんの悪いクセが始まった・・・)
宮田は、内心ゲンナリしながら言った。
「とにかく、聞き込みを続けましょう。何か手がかりを見つけないことには・・・」
早く解決しないと、またしばらく家に帰れなくなってしまう・・・と、宮田は心の中で付け加えた。しかし、中山の野生のカンは少なくとも外れてはいなかった。

 田村勝太は、下校時、電車を降り、商店街をぶらぶらしていたところで若い女性に声をかけられた。
 勝太は雅之の事故死の後、3日ほど病院に入院していた。表向きは、目の前で友人が事故死するのを見てしまった心のケアだったが、もちろん感染を疑ってのことで、心のケアもされていたが、実のところ感染症対策センターで半隔離状態にあった。しかし、雅之が彼の間近で轢かれたわけではなく、朝ちょっと出会っただけで遺体にも触れていないということで、隔離自体を疑問視され、入院は3日に短縮された。もちろん勝太は強いショックを受けていた。病院では専門の医師のカウンセリングも受けていたが、勝太の心の傷は自分が想像している以上に深かったらしい。退院してから近所のクリニックに通うこととなったが、一向にやる気が出ない。以前のように友人達と騒ぐ気にもなれない。友人達も気を遣って彼に声をかけられない。祐一とまさに同じ状態に陥っていた。そんな時、勝太は知らない人に声をかけられ、無気力に振り向いた。そこには、20代の、妙に垢抜けた、綺麗な女性が立っていた。スタイルも良く、特に胸の大きさは圧巻であった。その上胸元が大きくV字に開いた黒いTシャツを着ている。流石に勝太は目のやり場に困り、どぎまぎしながら答えた。
「あの・・・、何ですか?」
「田村勝太君ね?」
「は、はい」
答えた後、勝太はしまったと思ったが遅かった。
「あのね、聞きたいことがあるの。そこの喫茶店でちょっとお話しない?」
「あの、おれ、まだ中学生ッスから、商品とか買えないッスから。宗教も間に合ってます」
勝太はそう答えると、女に背を向けその場からそそくさと去ろうとした。そこに女がまた声をかけた。
「聞きたいのは秋山雅之君のことよ」
勝太は、ぎょっとして振り向いた。
「雅之のこと?」
「そう。あなた、彼の死について、疑問とか持たなかった?」
勝太は、胡散臭そうな目で女を見ると、言った。
「わかりました。ちょっとの間ならお付き合いします。でも、おれは、よく知らないし、思い出したくないんですけど」
「ゴメンネ。驕るからさ」
女は、勝太の背に手を添えると、すぐそこにあった小ぢんまりとした喫茶店に向かった。
 その女は真樹村極美だった。例の公園での一件に遭遇した後、長沼間らに捕まり写真を消去されたが、その前にメールに添付して送っていた写真3枚のうち1枚を編集長に見せ、見事に取材許可をもらった。取材費もたっぷり振り込まれて、極美はやる気満々だった。そして、まず、彩夏の制服から祐一たちの学校を突き止め、祐一の友人である雅之の事故について知ったのである。それから公園で問題を起こした女性が雅之の母であるらしいこと、祖母も雅之の前日になくなっていること、それを発見した近所の人たちがとんでもないものを見たらしいということ等、祐一と雅之の家の近所の人たちに取材してすぐに得ることが出来た。どの人も秋山家に連続して起こった不幸に興味を持っていたからだ。もちろん、半分以上がウワサや憶測の類ではあったが。極美はとりあえず、珠江の遺体発見者たちに話を聞こうとしたが、口をそろえて「思い出したくない」と言って、誰一人そのことを語ろうとしなかった。そんな時、雅之の死に立ち会った友人がいることを、祐一の学校の生徒から聞き出し、関係者の中で一番弱そうな勝太をまずターゲットにしてみたのだ。
「で、お話ってなんですか」
勝太は、目の前のケーキセットに手をつけず、緊張気味に言った。
「ま、先に食べてよ。せっかく頼んだんだからさあ」
極美はにっこり営業用スマイルを浮かべながら、先ず、彼にケーキを食べることを勧め、自分も食べ始めた。この前までギリギリの予算でやりくりしていたので、このように間食を取るなんて久しぶりだった。勝太は極美が美味しそうに食べ始めたので、つられてケーキに手を伸ばした。一口食べると、急におなかが空いてきて、あっという間に小さいケーキはなくなりカップのコーヒーも空になった。極美は目を丸くして言った。
「あらぁ、やっぱ若いわね。お代わりいる?」
聞かれて勝太はぶんぶんと首を横に振った。我に返って周りを見ると、勝太と極美の奇妙な組み合わせに皆から注目されている。こんなとこ、かあちゃんに見つかったらどやされてしまう・・・。勝太は早く用件を済ませたいと思って再び尋ねた。
「あの、で、お話は・・・」
「そうそう。お友だちの雅之君ね、彼について何か知ってること教えてよ。死ぬ間際、なんか変じゃあなかった?」
「確かに、あの日雅之は、急に何かに怯えだして・・・」
そこまで言うと、勝太は顔を歪めた。
「やっぱだめだ・・・」
「え?」
「ごめんなさい。そのことについては、今は、やっぱ辛いのでお話できません。わかってください。思い出すことすら苦しいんです。そのせいで、今、病院に通っているくらいなんです」
「そう、わかったわ・・・」
極美は、一瞬理解したようなそぶりを見せた。
「でも、私ね、あなたの学校の子から雅之君が人を殺したんじゃないか、そのせいで自殺したんじゃないかって話聞いちゃったの。で、祐一君だっけ? 彼、その場にいたんでしょ」
「おれ、あれ以来ずっと西原君とは会ってませんから、そこらへんは全く知らないんです。昨日からまた休んでるし。また何かあったんやろうか・・・」
(その現場をあたしは見ちゃったのよ)極美は心の中で言った。(だから、あたしはそれまでの過程を知りたいの)
極美はその時のことを回想してみた。と、その時、あることが引っかかっていたことに気がついた。何故、あそこに1人だけ外国人が居たの?
「わかったわ。とりあえず今回は諦める。でも、何か話したくなったら電話して」
そう言いながら、極美は名刺を渡した。念のため雑誌の営業用は避け、プライベートに作っている名刺にしておいた。極美は立ち上がると勝太に名刺を渡しながら、上半身をテーブル越しに勝太に近づけ、肩にそっと手を置いた。勝太の目の前に胸の谷間が迫ってきた。
(うわあ・・・)勝太は心の中で言い、真っ赤になりながら名刺を受け取った。極美はここぞとばかり、勝太の顔のすぐ傍で尋ねてみた。
「雅之君が亡くなった頃、大きい外国人の男が君に関わってこなかった?」
「が・外国人・・・?」
勝太は言葉につまりながら続けた。
「そういえば・・・、おれが病院に連れて行かれたとき、外国人の教授とか言う人から質問をされました。でも、おれ、その時全然ショックから立ち直っていなかったので、ろくに答えられなくて・・・。そしたら、彼は、また落ち着いてからお話を聞かせてください、とか言って、去って行きました」
(ビンゴ!)と極美は思いながら、椅子に座りなおすと聞いた。
「その病院はなんていうの?」
「F市内の、県立病院IMCとかいう名前でした。おれは3日間そこでケアを受けて退院しました」
「アイエムシー? カタカナ?」
「アルファベットでした」
「変な名前ね」
「ええ、なんか特別な病院のような気がしました」
「そう。ありがとう。参考になったわ」
「もう帰っていいですか?」
と、勝太は周りを気にしながら言った。極美はまた営業用スマイルを見せて言った。
「ええ、今日はどうもありがとう。約束どおりここは驕りだから、支払いは気にしなくていいわ」
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
勝太は立ち上がると、極美に一礼してそそくさとその場から去って行った。店から出ると、勝太はほうっとため息をつき、首を盛んにかしげながら歩き始めた。歩きながら勝太はふと不安になった。
(いらんことを話してないよな、おれ・・・)
しかし、過ぎてしまったことは仕方がない。勝太は手に持った名刺を一瞥し、そのまま無造作に財布にしまった。
 喫茶店に1人残された極美は、ついでにそこで夕食をとることにした。メニューをもらって注文すると、さっき、メモしたノートを見ながらつぶやいた。
「この外人の男。こいつがなんか怪しいわね」
極美は、『白人(教授)』『IMC』と走り書きした文字を赤ペンで丸く囲んだ。
(あの時の警官達の装備・・・、考えられるのは、毒ガスか細菌・・・。放射能漏れは多分ないわね。毒ガスならば、あの時あそこに防護服なしが数人いたし、それに嫌なにおいも刺激も無かったわ。では、毒ガスもなしよね。残るは、細菌・・・?)
極美は、ノートに赤ペンで細菌と書くと、二重丸で囲った。
(そうよ、伝染病なら、秋山雅之と彼の祖母、そして母が、続けて死んだことと辻褄が合う!! もし、そうなら、これはすごいスクープだわ)
極美は自分がわくわくしているのを感じた。その時、頼んだ定食が運ばれてきた。極美は、とりあえずノートをバッグにしまうと、定食に向かいペンを箸に持ち替えた。

 ギルフォードは、夕方から多美山の病室に様子を見に現れた。多美山はすでに夕食を終え、サイドデスクで本を読んでいた。今日はテレビはつけておらず、代わりに病室備え付けのラジオをかけていた。見た目は元気そうだった。しかし、まだ事件から3日と経っていない。予断は許されない状態である。容態を聞くと、身体の方は健康そのもので検査の結果も今のところさして問題もないと告げられているようだった。
「ばってん、指のキズがなかなか塞がらんとですよ。まあ、もともと最近は傷の治りが遅くなっとりましたけどね。歳のせいでしょうな」
「そうですね。そう言えば僕も、昔に比べて傷跡がなかなか消えなくなってしまいましたよ」
ギルフォードはにっこり笑いながらそう相槌を打ったが、内心不安を感じていた。傷の治りの速さ自体は個人差や年齢の違いで当然違ってくる。しかし、ギルフォードが多美山の検査結果に目を通したところ、昨日は怪我のせいで増えていた白血球の値が、若干減っていたのだ。もちろん充分規定値内だったが、白血球の減少はウイルス感染に多く見られる。それを考えると傷の治りの遅さが気になった。それでギルフォードが少し考え込んでいると、多美山が声をかけた。
「そういえば、先生、ジュンペイの調書を読まれたそうですが・・・」
「はい」
「どうでしたか? お役に立てそうですか?」
「はい、とてもわかりやすく要点をまとめてありました。僕の学生でしたら優をあげてもいいくらいです」
「ははは、褒めすぎですよ、先生。調子に乗ったらイカンので、ジュンペイ本人に向かってはあまり褒めんでください」
口ではそう言いながら、多美山は嬉しそうだった。ギルフォードは昨日の多美山のお願いについて、疑問があったので聞いてみることにした。
「明日、ジュン・・・カサイさんをお誘いする件ですが、タミヤマさん、他になにか頼みたいんじゃないですか?」
「ああ、お見通しですな。実は、鈴木からジュンペイを、今度県警本部に設置されるテロの対策本部に移動させるという話を聞きまして・・・。私の気持ちはそんな危険なところへは行かせたくなかとですが、先生が顧問になられるということで、少し安心したとです」
「え? カサイさんがタスクフォース・・・対策本部に来られるのですか?」
ギルフォードは、内心嬉しいと思ったが、もちろん顔には出さない。
「多分そうなると思います。上の決定には逆らえんですから。」
「そうですか。実を言うと、最初僕は顧問の件を断るつもりでした。外国人の僕が出しゃばるのは良くないと思ったからです。でも、カサイさんのレポートを読んで気が変わりました。まだ正式な返事はしていませんが」
「顧問を引き受けてくださるとですね」
「はい。でも、タミヤマさんのご心配はわかりますよ」
「あいつはああ見えて時々無茶をやりよります。今回も、私が矢面に立たねば、あいつが美千代の前に飛び出しとったでしょう。先生、あいつにバイオテロや病原体のことを徹底的に教えて、無茶をせんごと釘を刺しとってください。あいつには、私のような目にあって欲しくないとです」
多美山はギルフォードに向かって真剣に言った。
「わかりました」ギルフォードは答えた。「明日、頃合を見てそこらへんをカサイさんにレクチャーしてみましょう。ユリコも来ますから、課外授業みたいでいいですね」
「よろしくお願いします」
多美山は頭を下げながら言った。その後、二人は他愛ない世間話をしていたが、しばらくするとノックの音がして葛西が現れた。
「多美さん、こんばんは~。お見舞いのお花を持って来れないのは困りますね・・・。あれえ、アレクも来てたんですか」
葛西はギルフォードの姿に気がついて言った。ギルフォードは葛西を見てニコッと笑いなから言った。もっとも、その笑顔は肝心な部分がマスクに半分隠れてしまっていたが。
「ジュン、こんばんは。なかなかその格好が板についてきましたね」
「そうですかぁ? 僕には怪しい人にしか見えないんですけど」
「ジュンペイ、これからそう言う格好をすることが増えるんやから、早う慣れんとイカンぞ」
多美山は葛西に言った。口調は厳しいが表情は心なしか心配げだ。
「了解。でも嫌だなあ、これから暑くなると思うと・・・。今でも充分に暑いのに」
「まあ、ある程度慣れますから。それよりも呼吸の方が大変かもしれませんよ」
「もう、頼むから脅かさないで下さいよお・・・」
あなりにも情けない声で葛西が言うので、多美山とギルフォードが吹き出した。
「笑わないで下さい。僕にとっては深刻な問題なんです」
「失礼しました。ところでジュン、明日休みなんですってね。じゃ、僕たちと少しおつきあいして下さいませんか?」
「え?」
それを聞いて葛西が固まった。そしてしどろもどろに答えた。
「おつきあいって・・・その・・・、それに、僕たちって・・・」
その様子にギルフォードはまた吹き出して言った。
「僕と僕の研究室の人ですよ。まあ、他にも増えるかもしれませんが」
「でも、明日は多美さんと一緒に過ごそうと思ってたんですが・・・」
葛西は多美山の方を見ながら助け船を求めた。しかし、言い出しっぺは多美山である。
「ジュンペイ、俺は大丈夫やけん、行って来んね。ついでにK神社のお守りを買うてきてくれ」
と、行かせる気満々である。葛西は、しかし、お守りという言葉に反応した。
「お守りって、多美さん、本当は不安なんじゃないですか?」
「そりゃあ、不安さ。なんせ、感染者が目の前で死んだとやからな」多美山は躊躇無く言った。「でもな、おまえからお守りをもらったら、元気になりそうな気がしてな」
「そうですかあ?」
「そうたい。ばってん、学業祈願や恋愛成就のお守りは要らんぞ」
「あはは、わかりました、多美さん。じゃ、明日はギルフォード教授にお付き合いいたしましょう」
葛西は仕方なく言ったが、相変わらず乗り気ではなさそうだ。
「ありがとう、ジュン」
ギルフォードはそう言うと、葛西の手を取って握手しながら言った。
「ではタネ明かしです。僕の研究室の人ってユリコのことですよ」
「あ、そうなんですか」葛西の顔が少し明るくなった。「良かった。知らない人と一緒は嫌だなあって思ってたんです」
「意外と人見知りなんですねえ」
「それはともかく、そろそろ手を離してくれませんか?」
「あ、失礼しました。手袋越しなので握手してる気がしなくって」
「そんなもんですか?」
「そんなもんです」
ギルフォードは、またにっこり笑って答えたが、やはりいまいち笑顔が発揮出来ない。それを見て多美山が言った。
「先生、その装備じゃ、コミュニケーションをとるのが大変そうですなあ」
「はい、困ったものです」
ギルフォードはあっさりと答えた。ギルフォードの握手から解放された葛西は、多美山にようやく一番気になる質問をした。
「ところで多美さん、具合はどうですか?」
「おお、全く異常なかけん、自分でも驚いとるったい」
「そうですか、良かった~」
「やけん、明日は安心して行って来んね」
「わかりました、行ってきます」
葛西はそう答えると、ぼそりと口の中で言った。
「なんか、うまく丸め込まれたような気がするなあ・・・」
 その後、3人はしばらく雑談をしていたが、先に葛西が仕事が残っているからと、K署に帰って行った。帰り際に明日の集合場所を決めた。葛西は朝、先に多美山の見舞いをしたいというので、10時に感対センターの駐車場に集合ということになった。
「いい子ですねえ」
葛西が部屋を出て行ったあと、ギルフォードは言った。「本当にタミヤマさんが大好きで心配してるんですね、カサイさんは。まるで親子みたいですよ」
「あいつの父親も刑事で、あいつが小さい頃殉職しとるとですよ。私に父親のイメージを被らせとるのかもしれんです。良いことなのか悪いことなのか・・・」
「良いことに決まってますよ。パートナーを組む場合、信頼関係にあることが一番ですから」
「そうですな・・・」
と多美山は満足そうに言ったが、その後急に立ち上がるとギルフォードに対して頭を下げながら言った。
「ギルフォード先生、申し訳ありませんが、実は最初、あなたのことを誤解しとりました」
「胡散臭いガイジンだと思ってました?」
「ははは、正直、先生が署に出入りされるのが不満でした。何となく、その・・・、態度がでかいというか、上目線でしたし・・・」
「僕は本質的に警察が嫌いなんで・・・、まあ、過去にいろいろあったので・・・そのせいで態度が悪かったのかもしれませんね」
「あの時、救急車の中に先生が入って来られた時、内心驚いてました。状況からして、来てくれるとは思ってもいませんでしたから」
「ヨシオ君からの電話を受けて、じっとしていられなくて・・・」
ギルフォードは照れ笑いをしながら言った。
「今は、あなたが信頼をおける方だということがわかります。先生、実のところ、私はどうなるかわかりませんし、純平は私から離れて危険な任務につきます。私の代わりにジュンペイ、いえ、葛西刑事をよろしくお願いいたします」
そういうと、多美山はまた頭を下げた。ギルフォードは、焦って言った。
「タミヤマさん、そんな、気の弱いことを言わないでください。それに、カサイさんは見かけよりずっとしっかりしていますよ。心配なさらずとも大丈夫です。もちろん、僕もいろいろフォローはしますから」
「ありがとうございます。・・・それにしても、こんな状況におかれると、やっぱり気が弱くなりますなあ」
多美山は笑って言った。

 ギルフォードも去り、室内がまた寂しくなった。
「ふふ、女房が死んでから、ひとりは慣れとったつもりやったばってん、やっぱり寂しかな・・・」
多美山は、つぶやきながらラジオを切って、葛西が持ってきてくれたテレビの電源を入れた。点けた瞬間、画面がいきなりキラキラと眩しく輝いたので、多美山は眉間にしわを寄せ、目を閉じた。それを見た瞬間眼の奥が疼くのを感じたからだ。しかし、それは一瞬だった。画面を再度見ると、何処かの美術館で今行われている、某国の秘宝展を、情報バラエティ番組が特集しているらしいことがわかった。綺麗、欲しいと言いながら、かまびすしくはしゃぐレポーターの女性芸人の声が、病室に響いた。多美山は、一瞬のことだったし、急に明るい画面を見たせいだろうと考え、よくあることと、彼はその傷みを特に気に留めることはなかった。今映っている番組がお気に召さなかったのか、多美山はチャンネルをNNKに変えた。ちょうど7時のニュースの時間だった。
「浮世は相変わらずか・・・」
多美山は、次々に伝えられるニュースを見ながらつぶやいた。

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2.侵食Ⅰ 【幕間2】帰り道

 小波瑞絵(みずえ)は2人の友人と、薄暗くなった住宅街の中の道をとぼとぼと歩いていた。3人とも黒を基調とした服を着ていた。彼女らは、友人の通夜から帰るところだった。
「ねえ、明日のお葬式、どうしよう。やっぱ、行かんといかんかなあ」
友人の永久保香津美(かつみ)が残りの二人に向かって言った。瑞絵は、少し驚いて友人の顔を見ながら言った。
「何言うとぉと。そりゃあ、行かんと・・・」
「うん、そうだけど、なんか・・・う~~~ん、・・・ほんとに杏奈が死んじゃったってのを実感したくないっていうか・・・」
「うん、わかるよ。だけど、友だちだもん。ちゃんと送ってやろうよ」
と、谷川真緒が諭す様に言った。
「うん、そうだよね。・・・なんでやろう。まだ17歳なのに連れて行っちゃうなんて、神様はひどいよ」
そう言いながら香津美はまた泣き始めた。後の二人の涙腺もつられて緩んだ。3人は歩きながらポロポロ涙をこぼした。3人はクラスメートの沢村杏奈の急死に、一様にショックを受けていた。彼女らは4人で今度の土日を利用して、好きなバンドのライブのために東京に行く予定だった。
「ライブどうしよう。こんな気持ちで行っても楽しめないよね」
香津美が泣きながら言うと、瑞絵はキッと正面を向き、涙を拭きながら言った。
「私は行くよっ。だって、杏奈は楽しみにしてたんだもん。杏奈と一緒に行くよ。杏奈の写真持って会場に入るんだ!」
「そ、そうだよね」
二人は同意した。
「でも、何でやろう。杏奈、全然元気やったのに、急に高熱で倒れて、5日間も苦しんで死んじゃったなんて・・・」
瑞絵は、時折流れる涙を拭いてはいたが、仲間内ではしっかりとした口調で言った。
「検査しても原因がわからんで、薬もほとんど効かんかったって・・・。最後には血を吐いて死んだって・・・」
真緒がそれを聞いて驚いて言った。
「検査しても原因がわからないって、そんな病気ってあるの?」
「知らんけど、そりゃあ、いろんな病気があるやろ」
「えっ、そうなの? 病院に行ったらなんでも治るかと思ってた」
と、真緒は、信じられないというような顔をして言った。
「世の中には、お医者さんでも治せない病気のほうが多いんだって。風邪だってそのひとつで、病院に行ったから治るっちゃなくて、ホントは自力で自然に治っとるって」
と、瑞絵は知ったような顔をして言ったが、これは、医大に通う兄の受け売りである。
「じゃあ、お医者さん要らなくない?」
「バカやね。治る病気もあるんやし、じゃなくても熱をさましたり、点滴したりがないと困るやろ。他にも、怪我した時とか、それから、手術をしたりさあ」
「それもそうだね」真緒は納得した。「じゃあ、きっと杏奈は風邪が治らなかったから死んだんだね。怖いね・・・」
真緒が言うと、二人は黙ってしまった。これ以上説明するのが面倒くさくなってしまったからだ。だが、真緒の言ったことの半分は正解だった。一瞬の沈黙を瑞絵が破って言った。
「それにしても・・・、お棺の中のご遺体に会わせてもらえないなんて、一体、どんな状態やったっちゃろ・・・」
そういえばそうだ・・・と、少女達は顔を見合わせた。そしてまた沈黙。だが今度の沈黙は少し長かった。彼らは無言で歩いた。
「そういえば、杏奈さ」
香津美が思い出したように言った。
「先週ちょっと落ち込んどったやろ? 火曜あたりやったっけ」
「ああ、なんか、遅刻して来た時やね。中学生男子が電車に轢かれたのを間近で見たとか言って」
瑞絵も、それを思い出して言うと、香津美もそれからさらに記憶が甦った。
「そうそう、それで気分が悪くてお昼も食べれんで、結局午後から早退したっちゃんね」
「そういえば、その子の血が近くに飛んできたとか言ってたよ~。思い出した~。気持ち悪いよぉ」
真緒も記憶を呼び覚ましたらしく、両手を組んで寒そうに自分の二の腕をさすりながらさらに言った。
「やだ、その子のタタリじゃないの?」
「やめてよ、そんな非科学的なこと言うとは!!」瑞絵は真緒に本気で怒りながら言った。
「タタリなんてありえんやろ! 第一、亡くなった子に悪いやろ? 杏奈は病気で死んだの。原因は不明で病院で調査中。今わかっとるのはそれだけ」
「ごめんなさい・・・」
瑞絵の剣幕に、真緒はしょぼんとして言った。瑞絵は言いすぎたと思って、急いで真緒に言った。
「こっちこそ、怒ってごめんね」
「まあ、この話はもうやめようよ。杏奈もきっと楽しい思い出話とか聞きたいって思っとぉよ」
微妙なこの空気をなんとかしようと、香津美が話題を変えることを提案した。
「そうやね」
二人は同意し、思い出を話始めた。しかし、最初は笑っていても、その思い出が楽しいほどその杏奈がもういないと思うと、悲しさがこみ上げてくる。瑞絵が言った。
「いい子やったよねえ。ちょっとドジやったけど、優しくて友達思いで・・・」
「すっごい不器用なのに、いっしょうけんめいで、絶対にあきらめなかったもんね。でも、やっと出来たら料理もマフラーも、とんでもないことになってて」
香津美がクスクス笑いながら言った。しかし、その顔は半泣きである。真緒が続けて言った。
「そうそう、何で、マフラーがこんなことにって感じ? それで、バレンタインにあげるって編んでたのに、4本編んでお揃いだってあたし達にくれたんだよね。絶対にあれ、本命にあげるつもりで編んだ失敗作だよ。本命には結局買ったマフラーあげてたもん」
「どうするよ、これ、って思ったけど、捨てるに捨てられなくて、箪笥にしまったままやったけど、形見になっちゃったね、あれ・・・」
と瑞絵。
「杏奈のバカぁ・・・何で死んじゃったのよぉ・・・」
真緒が、我慢出来ずにうわあんと泣き出した。一人が泣くと、もう、残りの二人も耐えられなくなった。三人は住宅街の真ん中で、抱き合って友の名を呼びながら、わあわあ泣き始めた。

(「第2部 第1章 侵蝕Ⅰ」 終わり)   

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2.侵蝕Ⅱ (1)インターバル

20XX年6月13日(木)

 由利子は、今日もいつもどおりの時間に目が覚めた。「休暇中」とはいえ、身体のリズムを狂わせないように心がけていた。
 窓を開けると、久しぶりに爽やかな晴天であった。いつもどおりジョギングをしてから、さっとシャワーを浴び、自分と猫達の朝食を作る。しかし、今日はもうひとつやることがあった。久々のお出かけということで、弁当を作ることにしたのだ。もちろん弁当は日ごろから作って会社に持っていっていたが、今日のは数年ぶりに作る行楽弁当だ。昨日の夜、ギルフォードから明日の連絡が入り、10時半ごろマンションの下まで迎えに来るということを伝えられた。その時につい、お弁当を作って行きますね、と、調子よく言ってしまったからだ。するとギルフォードが、じゃあ、僕もスペシャルサンドウィッチを作ってきますね、と言ったので、じゃ、みんなで持ち寄って食べましょう、と言うことになったのである。とはいえ、何となくアレクには負けたくなかったので、久しぶりに張り切って弁当を作った。なんか、子どもの頃の遠足の当日のようなワクワク感があった。それに、もう一人って誰だろう? 紗弥さんかしら? 猫たちは、いつものカリカリの他に、鶏のから揚げの味のついてない部分をほぐしたのを少しもらって、大喜びだ。 

 約束の時間が近づいてきたので、由利子は出かけることにした。例の如く玄関までお見送りに来た猫たちの頭を撫でると、「お留守番を頼むね」と声をかけ、部屋を出た。
 エントランスの前に立って、キョロキョロしていたら、短いクラクションが鳴った。音のした方向を見ると、黒いワゴン車の窓から、今は見慣れた顔が笑いながら手を振っている。由利子は走って車の方に向かった。
「おはようございます、アレク。いい天気で良かったですね」
「おはよう、ユリコ。そうですね。でも、これでは、日中は暑すぎるかも知れませんね。帽子を被ってきて正解ですよ。その帽子、よく似合ってます」
流石に欧米人だけあって、褒めるのに隙がない。由利子はお気に入りの綺麗な水色の帽子を褒められて、気をよくした。すると、運転席の男が声をかけてきた。
「おはようございます、由利子さん」
「葛西君!」
「どうも、早速『葛西君』と呼んでいただきまして・・・」
葛西は照れくさそうに後頭部を掻きながら言った。
「もう一人って、葛西君だったのか。な~んだ」
由利子が少しがっかりして言うと、葛西はしゅんとして言った。
「僕じゃ、物足りないですか?」
「あ、いやいや、そうじゃないけど。・・・あっ、そ、そういえば、葛西君メガネにしたのね。一瞬誰かわからなかった」
由利子は急いで話題を変えた。葛西は右手で眼鏡を押さえつつ言った。
「はい。コンタクトを失くしちゃって・・・。変ですか?」
「ううん、似合ってるわよ。生徒会長みたい」
「生徒会長・・・。生徒ですか・・・」
「ごめん、訂正する。知的な刑事さんって感じね」
葛西が何となく意気消沈してきたので、由利子が急いで訂正した。
「知的な刑事? そう言えば多美さんにもそう言われました」
少し嬉しそうに言う葛西を見て、由利子は「単純なヤツ」と思った。単純だけど、可愛いかも・・・。そう思ったあと、ふと思い出した。そういえば、アレクも大学で眼鏡をかけてたな。それで、ちょっと聞いてみることにした。
「アレク、あなたも大学では眼鏡をかけてますが、伊達めがねなんですか?」
「いえ、まあ、それもありますが」ギルフォードはそう言いながらちょっと笑った。「実は、もともと遠視なので、近くの小さい字が見え難いことがあるんです。特に学術関連の本は文字が小さいですから。でも、普通は全然問題ないので・・・」
「老眼?」
と、由利子が意地悪っぽく言うと、「違います!」と速攻で否定した。
「じゃ、どの辺まで見えるんです?」
と由利子が聞くと、ギルフォードは「そうですねえ」と言いながら周りを見渡すと言った。
「君の住んでいるマンションの、屋上の塔屋に小鳥が止まってますね。あの子の種類がハクセキレイっていうのがわかる程度には見えますね」
「あれ、小鳥だったんですか? ほとんど点じゃないですか」
由利子は驚いて言った。すると葛西もギルフォードに驚きの目を向けながら
「すごい! ボビー・オラゴンみたいですね」
と言った。
「それはともかく」ギルフォードはなかなか車内に入ろうとしない由利子に言った。「ユリコ、そろそろ乗ってください。後部座席でいいですか」
「あ、すみません」
由利子はそう言いながらふとナンバープレートを見たら、黄色だった。
(なんだ、軽じゃん)
そう思って、後部座席のドアを開けると、ギルフォードの乗っている助手席の座席がかなり後ろに下がっていて、狭くなっていた。それで、由利子は運転席の後ろに座り、横に荷物を置いた。バッグと弁当である。
「すみません、僕のせいで後ろ、狭いでしょ。適当にシートを後ろに下げて下さいね」
ギルフォードは、後ろを振り向いて言った。
「あ、大丈夫です。細いから」由利子は笑いながら言った。「それにこの車、軽にしてはずいぶん大きいんですね。葛西君の?」
「いえ、残念ながら僕のです。でも、今日はジュンに運転をおまかせすることになりました」
「え? アレクの車? って、意外!」
由利子が驚いて言うと、ギルフォードが説明をはじめた。
「はい。実はバイクにお金がかかったので、車は節約しました。ついでに言うと中古で買いました。色々物を運ぶことも多いから、車はどうしても必要なんです。バイクにリヤカーつけて運ぶ訳にはいきませんからね。
「リヤカー・・・。久しぶりに聞いたなあ」
「大八車よりマシでしょ?」
由利子のツッコミに対し、ギルフォードはさらに珍しい名詞を口にしたので、由利子は半ばあきれ気味に答えた。
「どんだけ、日本文化に詳しいんですか・・・って、葛西君、なんで泣いてるの?」
気がつくと、運転席の葛西の肩が震えている。
「泣いてません! でも、想像しちゃったんです。ア、アレクがバイクでリヤカーを引いているのを・・・!!」
葛西はやっとそこまで言うと、ハンドルに突っ伏してくっくっくと笑い始めた。つられて由利子が吹き出した。
「ぷはっ、やめてよぉ~。私まで想像しちゃったじゃないの!!」
「想像力旺盛なのはいいんですけれど。・・・そんなに可笑しいですか?」
アレクはちょっと不思議そうな顔をしていたが、1分ほど間を置いて、自分も笑い始めた。
「確かに可笑しいです。それに、僕の想像では、何故か僕がバイクで引くリヤカーには、藁が満載されていて、その上にユリコとジュンがちょこんと乗ってました」
「変、それ変です」
「しかも、藁の中にはサヤさんが潜んでました」
「って、リヤカーでかすぎだし、アイダホ風味だし」
「っていうか、アレクってば、紗弥さんのことをどういう風に思って・・・」
「何で朝からこんな大笑いを・・・」
車内はしばらくの間笑いに満たされた。平日の休みのせいか妙に頭のタガが外れてしまったらしい。買い物帰りらしい女性が、不審そうに車の中をチラ見していった。
「やば、これじゃ私たち変な人ですよ。とりあえず出発しましょう」
由利子が我に返って言った。
「そうですね。最初は何処に行きたいですか、アレク?」
葛西もなんとか笑いを納めて言った。
「僕ですか?うーんと、そうですねえ・・・」
ギルフォードはちょっとの間考えると言った。
「もう10時半をだいぶ過ぎましたから、まず景色の良いところに行って、お昼を食べましょう。ジュンのリクエストは?」
「僕は、多美さんにお守りを買う約束をしましたから・・・」
「じゃ、神社仏閣めぐりね。アレクは宗教的には大丈夫ですか?」
「そんなこと言ってたら、欧米人は京都に行けませんよ。それに、僕は洗礼は受けましたが基本的に無神論者ですから問題ないです。そもそもイギリス国教自体の出自がねえ」
ギルフォードは、少しシニカルな笑みを浮かべて言った。
「ヘンリー8世が、ヌカミソ(※下記訂正あり)の妻と別れて愛妾と結婚したいがために・・・」
「糠みその妻って・・・イギリス王妃が糠みそを漬けるとは思えませんけど・・・って、もう、アレク、日本語知りすぎ! 微妙に使い方間違ってるけど」
由利子がさらにあきれて言いながら運転席を見ると、葛西がまた肩を震わせていた。何かまた想像したらしい。
「そこ! 笑ってないで。そのアン・ブーリンも1000日後には処刑されちゃったんだから」
今度は笑いが伝染しないように、由利子が釘を刺した。
「ああ、そうでしたね。キャサリン王妃が糠床をかき回してる図なんて想像しちゃダメですよね」
由利子はやっぱりと思いつつ、自分は想像しないようになんとか話を軌道に戻して言った。
「で、葛西君ってば、あなた自身はどこに行きたいの?」
「僕ですかあ?」
葛西は笑うのをやめてしばらく考えて言った。
「海が見たいなあ・・・。出来ればきれいな海がいいです」
「じゃ、ちょっと遠出になるわね。じゃ、お昼はちょいと近場で・・・植物園なんてどうでしょう?」
由利子が提案すると、葛西が言った。
「いいですね。そういえば、僕、植物園なんて、小学生以来ですよ」
「じゃ、植物園行って、神社仏閣巡りをして、最後に海に行くってカンジですね」
と、ギルフォード。
「で、海はどこがいいかしら」
「ちょっと遠いのですが、S島はどうですか? 僕、たまにバイクで行きますが、海も綺麗だし晴れていればステキな夕日が見れますよ」
と、由利子の問いにギルフォードが答えた。
「夕日? いいですね。最近個人的にだけど、夕焼けや朝焼けに悪いイメージが出来てたんで、ホンモノの夕焼けを満喫したいと思ってたんです。それに、僕はS島には行ったことないから、ちょうどいいかな」
と、葛西がかなり乗り気になったので、最終目的地はそこに決まった。ギルフォードはにっこり笑って言った。
「決まりですね。では、早速出発しましょう」
「了解! レッツゴー♪」
葛西はパイロットのように言うと、ギルフォード自慢のバンを発進させた。
(お天気も良いし、楽しい一日になりそうだ!)
由利子は、後部座席に小ぢんまりと座りながら、なんとなくワクワクしてくるのを感じた。

「あれ? 教授は?」
朝から研究室にやってきた如月は、教授室に紗弥しかいないのに気がついて言った。
「今日はお休みを取っておられますのよ」
紗弥は、パソコンから目を離さずに言った。
「え~~~? 珍しいですねー。一体なんの大事件が起こったんやろか」
如月が大仰に驚いて言うと、紗弥はチラと彼を見てから言った。
「いえ、葛西刑事と由利子さんとでドライブに行かれるそうですわ」
「ええっ! 紗弥さんをほっぽいてでっか?」
「まあ、私もたまには教授のお守りから解放されたいですから」
あまりにも紗弥が画面から目を離さないので、如月は彼女のパソコン画面を見た。彼女はネット対戦型ゲームに相変わらずのポーカーフェイスで挑んでいた。如月は仕方がないので終わるまで傍に立って見ていたが、勝負は意外とあっけなくついた。紗弥の圧勝であった。紗弥は、少しつまらなさそうにしながら、ゲーム画面を閉じた。
「ホンマ、羽伸ばしてまんなあ」
「まあ、如月君、まだいたの」
「まだいたの、って、ひどいやないですか。で、緊急の場合はどうやって連絡したらええんでっか? あの人、プライベートやったら絶対に電話に出られへんでしょ?」
「緊急時ですか? 大丈夫ですわ。いろいろありまして、私、教授の居場所なら常に把握しておりますの」
そういうと、携帯電話を開いて画面を見ながらふふっと笑った。
(まったくもう、何者なんでっか、この人は?)
如月は、紗弥を見ながら改めて思った。
「教授に聞きたいことがあったんやけど、仕方ありまへんな。明日にしますわ」
と言うと、如月は教授室を出た。そして仕方がないので、自分の席に戻り作業を続けることにした。

 由利子たちは、市営の植物園に無事到着し、お昼の時間まで園内を見て歩くことにした。由利子の持っていた弁当の入ったバスケットは、さりげなくギルフォードが持ってくれた。平日だけあって人は多くなかったが、遠足か社会科見学の小中学生の団体と、数度すれ違った。彼らは一様にギルフォードの方を物珍しそうに見て行く。ギルフォードもギルフォードで、その度にニコニコ笑いながら手を振っている。
(ホントに変な外人!)
由利子は改めて思った。
 3人は、薔薇園に入ってみた。咲き頃とはいえピークは過ぎていたが、それでも充分に綺麗だ。
「イギリス人は薔薇が大好きです。もちろん僕も好きです。派手なハイブリッド・ティー・ローズ系もいいですが、オールドローズやイングリッシュローズ系も、落ち着いていて良いです。僕の実家のローズガーデンも、今頃はいろんな花が咲き乱れているでしょう。グラン・マがとても大切にしていて・・・」
ギルフォードは遠い故郷に思いを馳せたのだろう。一瞬遠い目をしたが、直ぐにいつもの表情に戻った。しかし、由利子はそれを見逃さなかった。こんなに遠い異国にいるんだもの、いくら日本語が堪能でもやっぱり故郷は恋しいよね・・・。それで、なんとなく聞いてみた。
「アレクって、おばあちゃん子だったの?」
「はい。父は厳格で怖い存在でしたし、母は病弱で早くに亡くなりましたので、僕は祖母に懐いていました」
「お母様、亡くなられてたんですか・・・」
由利子はちょっと申し訳ないような気持ちになった。
「ええ、だから、母は僕には美しくて儚いイメージしかありません。気分の良い時は、よく、僕に本を読んでくださいました」
ギルフォードの眼に、また一瞬憧憬の色が見えた。しかし、由利子は冷静に思った。
(根っこはマザコンかあ。まあ、そういう状況なら仕方ないか。でもなんか、昔の少女マンガに出てくる美少年みたいな生い立ちねえ。なんだか『ええとこボン』っぽいし)
その時、今までデジカメで写真を撮るのに夢中だった葛西が言った。
「僕は父の方が早く亡くなりました。父も警官で、勤務中の事故だったそうです。だから、僕が警官になるって決めた時、母から猛反対をくらったんですよ」
「そうだったんだ。うちは両親共に健在だけどねえ、ずっと別居中だわ。お互いカレカノがいるから、私の居場所ねーし。みんないろいろあるのねえ」
なんとなく、お互いの身の上を語りつつ、彼らは温室に入って、色とりどりの南国の花々や熱帯の水辺を見て回った。
「けっこう充実してますね。実は、あまり期待していなかったのですが」
温室を出ると、ギルフォードが言った。由利子は背伸びをしながら言った。
「ん~~~、そうですね。だけど、温室と言っても今は外もあまり気温が変わらないですね。これから暑くなるぞ~」
「でも、今日は湿気が少なくて、暑いけど爽やかですね。絶好のピクニック日和だなあ」
葛西がそう言い終わるや否や、彼のおなかがキュウと鳴った。
「あ、すみません」
葛西が顔を紅くしながら言うと、ギルフォードが笑いながら言った。
「そろそろお昼にしましょうか」
「賛成」
由利子が即答した。植物園にはいくつか四阿(あずまや)があったが、せっかくの天気なので、彼らは手頃な木陰を探すことにした。
「あ、あの木の下がいいですよ! あそこにしましょう」
葛西は、ちょうど良い木陰を見つけて走って行った。その後姿を見ながら、ギルフォードは由利子の右腕を軽くつつき、小声で言った。
「彼、可愛いですよね」
「ええ、本当に」
由利子もそれにはまったく異存はなかった。
「彼ね、ユリコを気に入ってるみたいで、僕はキューピッド役を例のタミヤマさんに頼まれたんです」
「え?何でそんなことを・・・」
「聞くところによると、警察ってところは警官に早く身を固めさせたがるらしいです」
「そんな、私にはただの刑事さんです! 第一、8歳も歳が違うんですよ。しかも、年下!」
「そうですか? 僕もお似合いだと思いますけどねえ。でもね、僕は自分に正直だから、はっきり言いますが、僕も彼をすごく気に入っています」
「え? いえ、だから別に私は自分を偽っているわけでは・・・」
由利子はなんとなく頭がクラクラするのを感じながら言った。
「だから、その点では僕たちはライバルですね!」
「へ?」
由利子が驚いてギルフォードを見ると、彼もニッと笑って由利子を見た。
(なんてこったい!!)
由利子は引き続きクラクラしながら思った。葛西が自分を気に入るのは自由だし、もちろん悪い気もしないが、そのせいで勝手にライバル視されてはかなわない。それで由利子は負けじとにっこり笑い返しながら言った。
「ご自由に。それよりアレク、あなたがノーマルな葛西君をどう落とすか、お手並みを拝見させていただくわ」
「お! 言いますねえ・・・」
二人の間に一瞬かるく火花が散ったように思えた。が、次の瞬間同時にぷっと吹き出した。当の葛西が実に平和な顔をして二人に手を振っていたからだ。
「ねえ、早く来てくださいよ、二人とも~」
なかなか来ない二人に痺れを切らして、葛西がこんどは大きく手を振りながら呼んだ。
「早くお昼にしましょうよ~」
「はい、すぐ行きますよ」
と言いながら、ギルフォードは葛西のいる木陰まで大股で歩いて行った。由利子も小走りでその後を追った。
 ギルフォードは、背中に背負っていたリュックから、シートを出して地面に敷いた。シートの上には、由利子の持ってきた手作り豪華弁当やギルフォードの持ってきたスペシャルサンドウィッチなどと共に、アレクのリュックに入っていた、取り皿やカップも並べられた。完全にピクニックである。由利子は感心しながら言った。
「アレクってば、すごい気が利くのねえ。ステキなランチタイムだわ」
「ありがとう。英国人は、ピクニックが大好きですからね」
と、ギルフォードが笑いながら言った。
「皆さんが、お弁当を作ってこられるって言うんで、僕は飲み物を用意してきたんです。暖かいお茶とつめたいコーヒーでしょ、あ、アレクのためにミルクティーも作ってきました」
葛西がニコニコしてバッグを開けると、レジャー用ポットが3本頭を出した。
(こいつ、妙にでかい袋を提げていると思ったら、こんなのを持ってきてたのか~)
由利子は、嬉しそうにポットを取り出す葛西の様子を見て、クスリと笑った。
「オー、ありがとう、ジュン! 嬉しいです」
ギルフォードは、そういいながらさりげなく葛西の傍に座った。由利子は二人の前にちょうど二等辺三角形の頂点になるように座った。妥当な位置だと思った。
「では、食事の前に僕たち三人が出会ったことと、これからの友情に対して乾杯しましょう」
ギルフォードの提案で、三人は緑茶と紅茶で乾杯した。これが奇妙なトリオの新たな出発となった。

 食後、時間があまり無いので、庭木園や水生植物園を通過がてら鑑賞しながら植物園を後にした。
「また来たいですね。次は隣の動物園にも行きましょうね」
ギルフォードは、正門を見上げると少し名残惜しそうに言った。
「さて、次は神社仏閣巡りですね。時間がなくなって来たので急ぎましょう」
3人は駐車場に急いだ。時間に余裕がなくなってきたので、寺社巡りはF市三大祭のうち二つに縁の深いK神社と、由利子がお勧めのT寺に行くことにした。

 彼らが先ず出かけたのは、T寺だった。ここには平成に入って完成した、F大仏がある。寺の正門を入ったところで由利子が説明をした。
「ここは、1000年以上の歴史を持つお寺で、弘法大師が建立した真言宗のお寺では最古のものだそうです」
その後、すこしもったいぶって質問をした。
「さてお二人さん。お化け屋敷は大丈夫?」
葛西は、由利子がいきなり変なことを聞き始めたので不審そうな顔をして尋ねた。
「あの、お化けとお寺はなんとなくセットのような気がしますが、お化け屋敷ってのはどうかと思いますが・・・」
「いきなり何をバチアタリなこと聞いてくるんですか、」
ギルフォードも、肩をすくめながら言った。由利子は、意味深な笑いを浮かべて答えた。
「まあ、いずれわかります。さ、行きましょうか」
三人は庭を横切り階段を上って大仏殿まで行くと、若干薄暗い中に、金色に輝く大仏が座っていた。
「平成に入って完成したので、まだ新しいけど、木造の坐像では日本一の大きさだそうよ」
由利子が説明すると、二人は
「へえ、すごいですね」
と言いながら、大仏像を見上げた。しかし、見上げながらもギルフォードは首をかしげながら言った。
「でも、新しいせいか、いまいち、重厚さを感じませんねえ。顔もなんとなく橋■壽賀子に似ているし」
「あ、いいのかな、そんなこと言って。罰が当たっても知らないぞっと」
由利子が言うと、葛西がフォローした。
「もっと時がたつと、上手い具合にくすんでもっと重厚さが出てきますよ。とりあえず、お参りしましょう」
3人は並んでお賽銭を入れ、手を合わせた。
「じゃ、行きましょうか」
由利子はそういうとすたすたと歩いて大仏の左側に向かった。
「なんですか?」
「アレク、行ってみましょう」
「えっと、『地獄極楽巡り』って書いてありますけど、なんかのアトラクションですか?」
ギルフォードが言うと、前から由利子の答えが返ってきた。
「そんな豪勢なものじゃないわよ。二人とも、暗闇恐怖症じゃないですよね」
「ええ、僕はわりと平気なほうですけど」
葛西が言うと、ギルフォードも答えた。
「僕も、夜目が効きますから」
「そんな、甘いものじゃないのです」
由利子はふふふと笑いながら言った。ギルフォードと葛西は、顔を見合わせながら由利子について中に入って行った。
 中に入るとすぐに、地獄絵図が3枚並んで飾ってあった。とはいえ、擦れた現代人のこと、そんなものを見ても特に恐怖は感じない。現代は、インターネットという媒体を使うと、その気になれば現実の地獄絵図がいくらでも見られるのだ。案の定、ギルフォードは半分小馬鹿にしたような顔で絵を見ながら
「ふうん、洋の東西を問わず、地獄ってのは似たようなイメージなんですねえ」
などと、澄まして言っている。しかし、葛西はこういうのが苦手らしい。ギルフォードの後ろに隠れるようにして、絵を見ていた。
(こいつ、ホントに刑事かよ)
由利子は、心の中で突っ込みを入れながら、
「じゃ、先に進みましょう」と二人を促した。「ここから先はお戒壇巡りと言って、本当に真っ暗な真の闇だから気をつけて。手摺があるからそれを持つといいわよ」
「真の闇って・・・。うわ!」
ギルフォードは入るなり驚いて言った。
「ホントだ。全く光が入ってこない作りですか。これじゃ、夜目が効いても意味がないですね」
「うわあ、アレク、ゆりちゃん、置いていかないでくださいよ~」
「誰が『ゆりちゃん』だ!」
由利子は速攻で返した。
「ああ、すみません、すみません。訂正します。由利子さ~ん」
葛西が情けない声を出して言ったので、由利子は葛西の後ろに回り、ギルフォード・葛西・由利子の順番で暗闇を手探りで歩いて行った。
「鼻を摘まれてもわからない暗闇って、こういうのを言うんですね。いや、これは怖い。道は妙に曲がっているし、うっかり出来ないですね、これは」
ギルフォードは、感心しながら言った。
「何もないだけに、余計に怖いです。きっと20分以上居たら幻覚を見始めます」
葛西も、闇に慣れたのか落ち着きを取り戻して言った。由利子は、いまいち反応がつまらないので、ちょっといたずらっ気をだして言った。
「やん、ゴキブリ!」
「えっ、うそっ!!」こんどはギルフォードが急に落ち着きを失った。「ド、ドコ行きマシタ?」
「アレクの方!」
「No~!」
その一言で、ギルフォードは完全にパニックに陥ってしまったらしい。そのまま一歩も動けなくなってしまった。暗闇の中それに気付かずに、そのまま歩いていた葛西は、ギルフォードにどしんとぶつかった。
「いてっ。・・・あれ、ここでアレクが固まっていますよ」
このままじゃ先に進めないなと思った由利子は、種明かしをすることにした。
「うっそぴょ~ん。この暗闇で見えるわけないでしょ」
「もう、脅かさないでくださいよ。ジュンにまで弱点がバレてしまったじゃないですかあ」
ギルフォードは、ほっとしたような、怒ったような声で言うと、葛西も続けて言った。
「さっさとこんなところは出ちゃいましょう。実際、こんなに真っ暗だと、マジで何が潜んでいてもわからないですよ」
「さりげなくイヤなこと言いますね、ジュン」
彼らはとにかく手探りでなんとか出口までたどり着いた。出口にはありがたい仏様のレリーフが飾ってあった。由利子はバスガイドよろしく、手に旗を持ったジェスチャーをしながら言った。
「はい、極楽に到着で~す。皆様、お疲れ様でした~」
「なるほど、これで死後の世界を疑似体験したというわけですか」
とギルフォード。
「でも、目の見えない人って、ずっとああいう状態なんですよね。大変だなあ」
と、葛西は全く違うベクトルで感心していた。横の売店でお土産を物色していると、中学生の団体がやってきた。彼らはどやどやと入ってきたが、ギルフォードの姿を見ると、一瞬たじろいだ。それに気づいたギルフォードは、軽く手を上げるとにっこりと笑いかけた。彼らはおずおずと手をふり返し大仏の方に歩いて行った。その後、順番に『地獄極楽巡り』の入り口に消えていった。数秒後、中からわあとかきゃあとか言う声が聞こえてきた。ギルフォードは彼らに向けて言った。
「Good luck!」
三人は、それから大仏を後にして、他の展示されている仏像を一通り見た後、T寺を後にした。

「この神社もかなり古くて1000年以上の歴史があるの」
由利子はK神社に着くと言った。彼らは鳥居をくぐって神社に入ると、まず参拝。手水場(ちょうずば)で手と口を清め、社殿に向かった。
「ここで洗った手、拭かないで自然乾燥させるんですよね!」
と、ギルフォードが言った。
「よく知ってますねえ。そういえば、ちゃんと口もすすいでいたし、最後にひしゃくも立てて水を流してましたね」
「二礼二拍手一礼ってのも知ってますよ」
「アレク、あなたそこらへんの日本人より立派な日本人ですよ」
由利子は、またもあきれて言った。
「実は、調べてきたのです。その土地の神様には敬意を表しないといけません。一神教はそういうことをないがしろにするからいけないんですよ。もっとも、新興宗教が勢力を広げるためには、信仰対象をひとつに絞る方が便利なんでしょうケド」
「そういえば、この神社だけでも色々な神様がおわしますからねえ。一神教の神様も、日本では八百万(やおろず)分の一の神様かあ」
由利子は、改めて感心したように言った。その会話を聞いていた葛西がおずおずと尋ねた。
「あのぉ、ぼく、手を拭いちゃいましたけど・・・」
「ほとんどの人が拭いているから大丈夫じゃない?」由利子は、言った。「それに、今の時期はいいけど、真冬にそれはキツイし」
「そうですよ。汚れたハンカチでなければいいと思いますよ」
と、ギルフォードもフォローした。葛西はほっとした顔で言った。
「よかった。新しいハンカチだったので」
葛西は、多美山のお守りを買うというので、少し慎重になっているようだった。彼らは参堂の端を歩いて御社の前に行った。さすがに平日の昼間だけあって、そこまで混雑していない。彼らは悠々と参拝を終えた。葛西は早速お守りを買いに走った。由利子とギルフォードは特に買うものもないが、暇なので、売店の品物を何となく見て回っていた。
「アレク、あなた幾つになるんですか」
由利子はいきなりギルフォードに質問した。
「はい、8月の8日(ようか)で41歳ですが、何か?」
「あらら、本厄だわ」由利子は言った。「しかも、大厄だし」
由利子は厄除け御守の横に書いてある、厄年早見表を見ながら言った。
「大丈夫です。僕は一応クリスチャンですから、日本の宗教的行事は関係ないでしょう」
「行事って・・・。ま、関係ないっちゃ関係ないか」
由利子は、あっさりと言った。そこに、買い物を終えた葛西が帰ってきた。
「お待たせしました」
「どんなのを買ってきましたか?」
「色々悩んだのですが、これを買いました」
と、葛西は買ってきたお守りを見せた。木の札に「身代御守」と書いてある、いたってシンプルなものだった。
「ミダイオマモリ・・・あ、ちがうな。あ、・・・ミガワリオマモリですね」
「なんか効きそうでしょ」
葛西はニコニコとして言った。ギルフォードは微笑みながら
「そうですね」
と言ったが、由利子にはなんとなく彼が無理をしているように思えた。それで、由利子は話題を変えることにした。
「アレク、飾り山って知ってますよね」
「はい、7月のお祭りに使われる山車の飾り専用のでかいやつですよね」
「正解。普通はお祭りが終わったら、解体されるんですが、ここのだけは一年中飾ってあるんですよ。じゃ、その飾り山を見て、それから海に向かいましょう」
由利子は明るく言うと、飾り山の設置してある境内の奥に二人を誘導した。

 海に向かう運転は、道に慣れたギルフォードが行った。運転席に座ったギルフォードは、
「はい、ユリコ、シートを下げますから、ちょっと避けてくださいね」
と言うと、座席をグッと下げた。葛西がそれを見て言った。
「行きにですね、僕が運転席に座ったでしょ、その時、足が届かなくて、シートをグッと前に持ってきたんですよ。もう、嫌になっちゃいます。座高はあまり変わらないのに」
そういいながら、助手席に座り代えた葛西は、椅子を今度は前に引いた。従って、由利子は助手席の後ろの方に移動した。
 道路は若干混んでいたが、なんとか3時過ぎには着くことが出来た。島に入る途中、砂洲の中を通り島と本土を結ぶ橋を渡る。両側に海が見えるという、なかなかステキな橋だ。ギルフォードは、砂浜の海岸につくと、葛西と由利子に車を降りるように言うと、自分はバンの最後部席をフラットにした荷物置き場から、何かを下ろしながら言った。
「ここら辺は、前の大地震でだいぶ被害があったようですが、しっかり復興していますね」
「そういえば、当時、道路が地割れだらけになってました」
と由利子が言った。葛西も海の方を見ながら言った。
「こうしていると、何事も無かったように平穏ですね」
「まあ、あんな地震が来るとは誰も・・・専門家すら思ってなかったですから・・・。じゃ、車を置いてきます。ちょっと待っててくださいね」
そういうと、ギルフォードは葛西と由利子を置いて、駐車場に向かった。
「だいぶ涼しくなったよねえ。お昼間は暑かったね」
と、由利子が海をみつめている葛西の背に向かって言った。
「そうですね・・・」
葛西は由利子の方を振り向いていうと、また、海の方を見た。
「綺麗ですねえ。波の音もしみじみしていいですね・・・。」
「そうね」
由利子はそう答えると、葛西の隣に立って一緒に海を見た。潮騒の音が響く中、しばしの間、二人は無言で立っていた。特に話すこともないが、まったくそれが苦にならない。不思議だな・・・、と由利子は思った。葛西はその状況に照れくさくなったのか、急に歌い始めた。
「♪うーみーはー広いーな、おおき~いなー、つーきーが上るーし、日がしーずーむー♪」
「な~に、それ」
由利子はくすりと笑いながら言った。その時、後ろからその続きを歌う声が聞こえた。
「♪う~み~は、おおな~み、青い~波~、ゆ~れ~て、何処ま~で、続く~や~ら~」
歌声の主はギルフォードだった。いつの間にか車を置いて戻ってきていたのだ。意外にもうっとりするようなテノールで歌詞も完璧だった。彼は、歌い終わると言った。
「いい歌ですね。曲も綺麗だし・・・、それに、ワルツです」
「あ、そういえばそうだ。今までそんなこと思っても無かった!」
由利子が感心して言った。ギルフォードは、その後、置いてきた荷物から、キャンプ用のベンチとテーブルセットを出して組み立てはじめた。葛西が急いで手伝いに行った。作業をしながらギルフォードは言った。
「日本の海の歌って、ワルツが多いんですよ。『港』もそうでしょ?」
「そうでした。小学校の時、ワルツの三角形を描きながら歌わされましたね」
由利子は右手で三角形を描きながら言った。
「他にないかなあ」
葛西が、ギルフォードを手伝いながら考えている。しばらくして、あ、と言った後、嬉しそうに口を開いた。
「あった、あった。ほら、まつばーらーとおく、きいゆーるところ♪って、ね、ワルツでしょ? アレク、知ってます、これ?」
「ええ、もちろん。僕はワルツが大好きなんです。日本の唱歌は、綺麗なものが多くていいですね」
ギルフォードはそう答えると、最後の仕上げにパラソルをテーブルに立てた。
「さて、だいぶ遅くなったけど、3時のお茶にしましょう。スコーンを焼いてきたんです。ま、焼き立てとはいきませんけどね」
「すごい! 準備万端じゃん!」
由利子が目を丸くして言った。ギルフォードは、執事よろしくテーブルの前に立って、うやうやしく礼をしながら言った。
「さあ、お客様方、お掛けくださいませ」
 3人は、ギルフォードのスコーンと葛西の持ってきた紅茶とコーヒーで、ティータイムを過ごした。ギルフォードの祖母直伝のスコーンは絶品だった。美味しいものを食べている時の人の顔は、一番幸せそうだという。しかし、潮騒の中まったりとした時間を過ごす彼らのすぐ傍に、思いも寄らない危険が近づきつつあった。

「あ、思い出した、『浜辺の歌』。これもワルツだ」
皆が忘れかけた頃に、由利子がぼそりと言った。

(※)3人盛り上がってますが正しくは「糟糠(ソウコウ)の妻」です。

 

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