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4.拡散 (5)少年たちとギルフォード

 由利子は案内された部屋でひとりぼうっと椅子に座って待っていた。予定では少年の顔を確認してすぐに会社に行けば充分始業時間に間に合うはずだったが、すでに完全に遅刻である。昨日の今日なので遅刻はしたくなかったのだが、仕方がないので届け出をしようと会社に電話した。すると、電話に出た総務部長が電車事故で遅れていると勘違いをしてくれたので、説明がめんどくさくなった由利子は理由をそれで通すことにした。たしかに、いつもだったら巻き込まれている時間なのだから。
 K署内は騒然としていた。情報が入るにつれ、事故にあったのが秋山雅之である可能性が高まった。昨日、由利子が黒岩の娘からゲットした情報も「秋山」で、苗字も一致する。やはり、あの少年とホームレス殺害事件とは関連があったのか。未だ半信半疑で考えを巡らせていると、葛西が写真を持って入ってきた。
「学校から送ってもらった秋山雅之の写真です。念のため確認してください」
葛西は由利子の前に写真を置いて言った。修学旅行らしきスナップ写真で、楽しそうにピースをしている雅之が写っていた
「はい、この少年でした」
少し声が震えた。傍で犯行を目撃していた少年が証言したのなら、今更自分に首実検させなくてもと思ったが、おそらく葛西の言ったとおり念のためなのだろう。
「それで、電車に轢かれたというのはやはりこの子だったのですか?」
由利子は質問した。葛西は一瞬の沈黙の後に答えた。
「彼の母親が・・・確認したそうです」
母親が、のところで声が少し裏返った。由利子も母親の気持ちを思うと胸が痛んだ。
「それで・・・」
由利子が問うと、葛西は首を横に振った。秋山雅之は何故電車事故に遭ってしまったのか。事故なのか、ひょっとして罪の重さに耐えかねて自殺したのか。いずれにしても、馬鹿なことを・・・。由利子は雅之の写真を思い出しながら、持って行き場のない悲しさと怒りを覚えた。気がつくと左目から一筋の涙が流れている。しまったと思って急いで右手で涙をぬぐった。こんなことは滅多にない。気がつくと目の前にハンカチが差し伸べられていた。葛西である。
「あ、大丈夫です」
由利子は照れ笑いをしながら言ったが、よく見ると葛西の目も潤んでいる。
「僕、人が泣くとダメなんです」と、葛西も照れ笑いをしながら言った。「実は、刑事になったばかりでして。甘いって、よく怒られるんですよ」
そういうとまた笑った。人好きのする笑顔だった。良い意味で警官らしくない人だな、と由利子は思った。背が高いほかは、由利子の想像通りの人だった。
「すみません、調書を作らねばなりませんので、もう少し具体的に説明していただけないでしょうか」
と葛西はノートパソコンを開きながら言った。
(まだ帰れんとですかぁ?)由利子はげっそりとした。とはいえ、拒否する程のものではないので由利子は金曜日のいきさつを簡単に話した。
「あと、住所と電話番号をお願い出来ますか?」
「それは、日曜に電話した時に言いましたし、電話はお教えした携帯電話の番号を書いてください」由利子は少しばかり苛ついて言った。
「で、それは悪用されたりネットで漏洩したりしないんですよね」
「もちろんです」
「以前、どっかの県警だか府警だかが個人情報を漏らしてますけど、大丈夫ですよね!」
「はい・・・、大丈夫だと思います」
「思います、では困るんですが」
「あ、はい、大丈夫です」
由利子が問い詰めるので葛西はだんだん押され気味になった。これではどちらが刑事かわからない。ついでに由利子は気になっていたことを聞いてみた。
「あの、この事件はどうなるんですか?」
「おそらくですが、加害者が未成年の上に、亡くなってしまいましたから、書類送検後に起訴されても取り下げになるのではないかと思います。被害者に身内はいないようですので、民事で争うこともないと・・・」
「そうですか・・・」
由利子は彼の両親のことを考えると安堵のような、それでいて、殺されたホームレスに対しての憐憫のような、訳のわからない感情に襲われた。
「あ、篠原さん、念のため僕の名刺渡しておきますね」と、葛西は由利子に名刺を差し出した。由利子も会社の名刺を交換しようと定期入れから出したが、ふとリストラのことを思い出して一瞬ブルーになった。

 葛西は玄関先まで由利子を送ってくれた。迎える人がいるからついでだと言う。
「せっかくご協力いただいたのに、ショッキングなことになってしまって申し訳ありません。お気をつけてご出勤なさってください」
葛西は丁寧に言った。
「ありがとうございます。お仕事がんばってくださいね」
そう言うと、由利子は軽く会釈して葛西に背を向けた。2・3歩歩いた辺りでまた後ろから声がした。
「あの・・・、篠原さん」
振り返ると葛西がもじもじして立っている。
「すみません、何でもありません」
葛西がそう言ったので由利子は「??? そうですか? じゃ」と言ってまた背を向けようとするとまた声がする。
「あの、またお会いできたらいいですね」
冗談ではない。由利子は思った。こんなことは二度とごめんだわ。
「出来るだけ警察とは関わりたくないものですが」
「そ・そうですよね。あの、でも、もし今日の件とかで何か困ったことがあったら電話して下さい」
「ええ、そうでないことを願ってますが」
由利子がそう言うと、葛西は何故かしょんぼりしてしまった。その葛西の様子に由利子はとうとう吹き出してしまった。
「そうですね。ご縁がありましたら、また」
そういうと、今度は笑顔で会釈し、由利子は再び歩き出した。葛西は会釈に敬礼で返し、そのまま直立不動で見送っていた。
 由利子が門の近くまで歩いた時、激しい爆音と共に大型のバイクがK署内に入ってきた。由利子にはハーレー・ダヴィッドソンだというくらいしかわからないが、白バイ顔負けの大型バイクだ。排気音を轟かせながらバイクは駐車場に止まり、乗っている大柄な男性がフルフェイスのヘルメットを取ると、ワイルドな白人の顔が現れた。ギルフォードだった。大学にいる時とはイメージが全然違う。もちろん由利子はこのガイジンが、自分がアクセス拒否を食らわせた、あの変なブログ読者であることは知らないが、あまりにも場所にそぐわない男の出現に驚いてあっけに取られて見ていた。ギルフォードのほうも、その女性が自分のお気に入りブログの管理人とは知らないまま、彼女のそばを駆け抜けながら軽くウィンクをした。さすがにドキッとして、ついつい由利子はそのまま彼を目で追った。彼はものすごい速度で玄関まで走った。葛西が彼を迎えるため近づいた。彼は葛西に何か聞くといきなり抱きしめた。意外なことの連続に由利子の目も点になったが、遠くからでも大男の背越しにじたばたする手が確認出来、葛西がとんでもなくあせっていることを物語っていた。その後彼は葛西と二言三言話すと、そのまま葛西の肩に手を置き、嬉しそうに建物内に消えていった。
「変な外人ねえ」
由利子は肩をすくめてから歩き出し、K署を後にした。
 

 葛西は、由利子を見送りながら、来客を待っていた。すると、署内に大型バイクが入ってきて爆音をと轟かせながら署内の駐車場に止まった。バイクの男はヘルメットを取って小脇に抱えた。肩より少し長い金髪がバサリと広がった。男は由利子の傍を走り抜けると署の玄関に猛スピードで走ってくる。
(ひょっとして、あのヘヴィメタが来客かなあ? 確かに外国人とは聞いていたけど・・・)
葛西は少し首を傾げたが、とりあえず彼を迎えに出ていった。男は葛西を見るなり親しげに笑いかけながら言った。
「Hi! Mr. Junpei Kasai?」
「Yes, I am. Welco...」
葛西が言いかけると、いきなり大男は日本語でしゃべり始めた。
「アレクサンダー・ギルフォードです。お会いできてウレシイです、カサイさん」
そういうと、いきなり葛西を抱きしめた。「うわぁっ!」っと、訳がわからずじたばたする葛西。
「何するんですか!?」
葛西はギルフォードの腕からようようすり抜けて言った。すると、ギルフォードはにっこり笑って答えた。
「ロシア式挨拶ですが」
「イギリスの方とお伺いしていますが・・・」
葛西は引きつりながらも笑顔で言った。
「まあ、細かいことは置いといて・・・」というと、ギルフォードは急に真顔になって言った。「早速ですが、例の男の死に際に近くにいたと言う少年達に会わせてクダサイ。その時の状況を聞きたいのです」
そういうと、葛西の肩をがしっとつかみ、せかすように署内に入っていった。
「カツヤマ先生のところに行く途中に連絡が入ったんです。近くまで来てましたから、ドクターの代わりに僕が寄ることになりました。警察は嫌いなんですケド」
ギルフォードは聞いてもないのに説明を始めた。
「でも来て良かったです。カサイさんとは仲良くなれそうな気がします」と、ポンポンと葛西の肩を叩いて言った。
「そうですか、それはよかったです」
あまりの馴れ馴れしさに葛西は引きつりながら言った。イギリス人ってこんなに人懐こかったっけ?と葛西が疑問に思ったところで、祐一が待機している取調室の前に着いた。ギルフォードを出迎えに出て来た鈴木係長を見ると、ギルフォードは急に険しい顔をして言った。
「どうして、あの男と接触をしていた少年がいるコトを言ってくれなかったのですか?」
鈴木はヤクザの脅しにもひるむことなく飄々と対応出来る程肝の据わった男なのだが、今回はガタイの大きいギルフォードの迫力に若干押され気味で答えた。
「昨日の段階では、まだ、はっきりとしたことがわかっていなかったのです。今朝、もうひとりの少年が電話をしてきて、始めて秋山雅之の存在がわかったのです」
「それでも、ひとりは出頭して来てたのでしょう? 少なくともインデックス・ケースかも知れない男と出会った少年の情報はあったハズです。あなた方はそれを教える義務がありました」
「インデックス・ケース?」
鈴木は首をかしげて葛西を見た。葛西は小声で鈴木に言った。
「指針症例。感染症に罹った最初の患者のことですが、この事件と何かの感染症が関連しているのですか?」
ギルフォードは葛西の方を見て「ほう!」と感心した様子だった。
「後で詳しいことを話そう」鈴木はそう葛西に言うと、ギルフォードに向かって言った。
「あの時は私の判断で、そのことを伏せたのです。出頭してきたのはまだ14歳の中学生でした。しかも、誰かを庇っているのではないかという様子が伺われ、慎重に対応していました。未成年者の扱いは慎重にせねばならないし、学校に未確定情報を知らせてパニックを招くことは避けねばなりません」
「だけどその結果、容疑者が・・・?」
「・・・事故で亡くなりました」鈴木が苦い顔をして答える。
「それも、電車事故でです!」ギルフォードはその後小さく「Shit!」と言って続けた。「もし、彼が感染していて、事故の際、彼の血液がエアロゾル化して撒き散らされていたら、どうなると思います!?」
鈴木は心の中で、何故政府からテロ対策の顧問として直々呼ばれたはずの彼が、地方に飛ばされている訳がなんとなくわかったような気がするな、と思った。しかし、今ここで問答をしても時間の無駄だ。
「それについては後でゆっくりと。それより我々は出来るだけ早く西原祐一を解放してやりたいと思っています。尋ねることがあるのなら、早くお願いします」
そういうと、鈴木はギルフォードを部屋に通した。その際小声で彼に念を押した。
「彼らは友人の死にショックを受けています。今はだいぶ落ち着いていますが、あまり無理をさせないでください。お願いします」
ギルフォードは「そう努めます」と一言だけ言うと中に入っていった。その後に葛西が続く。彼らが部屋に入ったところで、鈴木の傍に黙って立っていた多美山が言った。
「係長! よかとですか? あげなとに勝手にさせとって」
「彼は司法解剖をお願いしている勝山先生の代理だ。特にこの事件は彼らの方が専門かもしれないんだ。餅は餅屋に任せよう。それに・・・」
と言いかけて、鈴木は言葉を濁した。
「それに、何ですか?」
多美山はすかさず尋ねた。鈴木は多美山より地位は上だが、年齢は多美山の方がかなり上である。警官としての経験は多美山の方がベテランで、鈴木も一目置いていた。
「上の方から彼に協力しろという達しが来ているんだ」
「ということは・・・」
「公安の方も動き出しているらしい」
「どうも胡散臭かですね」多美山は言った。

 ギルフォードと葛西が部屋に入ると、西原祐一と佐々木良夫が静かに座っていた。良夫は下を向いて泣いていた。先ほど署に着いて雅之の死を知らされたばかりだった。横には女性警官が座って慰めている。彼女は二人が入ってくると、席を立って迎えた。背はあまり高くなく、眼鏡をかけたすこしぽっちゃり型の若い婦警で髪型はボブというよりオカッパという感じだ。お人形のような可愛い顔をしている。
「少年課の堤みどりです。Mr.ギルフォード、お会いできて光栄です」
そういうと彼女は右手を差し出した。
「こちらこそ、お会いできてウレシイです、ミドリさん」
ギルフォードはそういうと、にっこり笑って彼女の右手をとり握手をした。
(あれ、堤さんにはロシア式挨拶はないのか)
葛西は少し不思議に思ったが、まあ署内だからだな、と勝手に納得した。
「ところでギルフォードさん、あの子たちにご質問なさりたいということですが、彼らはかなり精神的にダメージを受けています。慎重にお願いします。もし、彼らに負担がかかっていると判断した場合、即刻中止させてもらいます」
堤は可愛い顔とは裏腹に厳しい口調で強面の大男に釘を刺した。ギルフォードは少し口を尖らせて「わかっていますよ」と言ったが、少年達の方を向くと表情を和らげた。
 部屋に入って来たギルフォードを見て、少年たちは一瞬固まってしまった。こんなところで予想も出来ないヘヴィメタロッカーのような外国人の大男が近づいてきたからだ。
「こんにちは。僕はアレクサンダー・ギルフォード。K大のカツヤマ先生の代理で来ました。君たちに少し質問したいのだケド、いいですか?」
少年達は、目の前のガイジンの完璧な日本語に一瞬あっけにとられていたが、すぐにうなづいた。「ありがとう」と言いながら、ギルフォードは彼らの前に座った。葛西もその隣に座る。
「えっと君たち、名前は・・・」
ギルフォードが言いかけると、祐一はいきなり立ち上がった。
「失礼しました。僕は西原祐一といいます。始めまして。それから彼は、友人の佐々木良夫です」
良夫は祐一に紹介されるとぴょこんと立ち上がって礼をした。
「ユウイチ君にヨシオ君ですね。僕のことはエンリョなくアレクと呼んでください。早速ですが、嫌なことをお聞きしなければなりません。あの時のことを思い出すのはまだ生々しくて辛いと思いますが、ご協力お願い出来ますか?」
ギルフォードの問いに数秒間沈黙が流れたが、すぐに祐一が口を開いた。
「わかりました、ギルフォードさん。僕がお話します」
ギルフォードは彼が『アレク』と呼んでくれなかったことに若干落胆したらしく、軽くため息をついて言った。
「お聞きしたいのは、彼の死に際の様子ですが・・・」
それを聞いて祐一と良夫は顔を見合わせた。二人とも顔色が青ざめている。それを見て堤が何か言おうとしたが、葛西が静止した。
「嫌なシーンなのはわかります。しかし、君たちの友人の死にも繋がる大事なことなのです」
祐一はそれを聞いて言った。
「実は僕もそれがずっと引っかかってました。あの人の様子は確かにすごく変でした。お話しますから、ヨシオを別室に連れて行ってください。思い出させたくないので」
「大丈夫だよ、西原君。ギルフォードさん、僕はここにいます。もう逃げません」
良夫の言葉にギルフォードはにっこり笑って言った。
「ヨシオ君、いい決心です。エライと思います。では、ユウイチ君、話してください」
ギルフォードに促され祐一は話はじめた。公園で男が助けを求めてきたこと、それを雅之が蹴り上げたこと、それを止めようとした自分は一瞬の油断から雅之に振り切られ、倒れたところをヨシオがしがみついてきたため彼らに近づけなかったこと。男の言葉が急に劣化してきたこと。その後彼がいきなり雅之に襲い掛かったこと。男が黒い吐物を吐いたこと。男はその後に倒れ痙攣して死んでしまったこと・・・。時に辛そうに、時に声を詰まらせながらも、彼なりに一所懸命に説明した。ギルフォードは真剣にそれを聞いていた。聞きながら時折メモをしていたが、話を聞くにつれ、表情は深刻になっていった。
「あ、そういえば、思い出しました。彼はさかんに『赤い』と言ってました。雅之は街灯のせいだと言いましたし僕もそう思ってましたが・・・」
「あかい? Red?」
「そうです、色の赤です。でも、街灯の光はオレンジ色だったし、彼等はいつもそこに住んでいるはずだから、敢えてそんなこと言うはずがないんです。だから、後で考えたら彼には何かが赤く見えたのだろうと・・・」
その時良夫が言った。
「僕、あの人が言ったの覚えています。『赤い、みんな赤い、ちくしょう、おれまで』。この声が僕には忘れられません・・・」
ギルフォードは腕組みをしながら言った。
「『おれまで』ということは、他の犠牲者も同じ状態だったということですか」
ギルフォードは続けた。
「そして『みんな赤い』ということは、何かではなく全てが赤く見えたということでしょうか」
彼はそう言った後、腕組みをしたまましばらく考えた。
("彼の脳はかなりダメージを受けていた.視神経の方になにか障害が現れていたのか?")
少年たちは不安そうにその様子を見ている。ギルフォードはそれに気がついて言った。
「ああ、黙り込んでしまってゴメンナサイ。それで、男に一番近くにいたのがマサユキ君で、君たちは少し離れて見ていたのですね」
「はい、そうです。正直言って恐ろしくて身動きも出来なかったです」
祐一は答えたがその時の恐怖を思い出してしまったらしい。緊張した顔がさらに青白くなっていた。良夫も泣きそうな顔で下を向き、膝のあたりで両手の指をぎゅっと組んでいた。ギルフォードはさらに質問を続けた。
「最後の質問です。ガンバッて。これが一番大事なコトです。男が黒い吐物を吐いたとき、マサユキ君はそれに触れたりしましたか?」
祐一はドキッとした。これは自分が一番引っかかっていたことだったからだ。
「雅之はおじさんから反撃を受けた時、手に引っかき傷を負いました。そこに吐いたものがかかったといって、それを落とそうと盛んに手を振っていました。制服のシャツも汚れていました」
傷口に直接吐物が触れた?! ギルフォードは背筋が寒くなるのを感じた。
「君たちはその手に触りましたか?」
「いいえ、気持ち悪くてとても・・・。ただ、雅之が怪我をした手にハンカチを巻いた時、端を結んでやりました」
と、祐一は素直に答えた。
「君たちの体調は悪くないですか?」
「僕は全然なんともないです」祐一は答えた。良夫も続けて言った。
「僕は寝込みました・・・。あの、体調が悪いとなにか?」
「39度から40度の高熱が出たりしましたか?」ギルフォードは質問に答えず、続けて聞いた。良夫は仕方なく答えた。
「僕はちょっとしたことですぐに熱をだすから・・・。でもそんなに高熱ではなかったし、熱はすぐ引きました。それよりただ怖くて、学校に行きたくなかったんです」
「そういえば佐々木君、秋山雅之君も寝込んでいたって言ってなかったかい」
葛西が横から言った。ギルフォードはいきなり立ち上がった。
「寝込んでいた! 本当ですか!?」
「あ、はい。僕も休んでいたからよくわからないのですが、僕にプリントとか持ってきてくれた友人がそう言ってました。僕と違って秋山君が休むのは珍しいって」
「雅之が朝送ってきたメールにも寝込んでいたと書いてありました」と、祐一も告げる。
「熱は? 高熱は出ていたのでしょうか?」
「そこまでは書いてませんでしたが、あいつが学校を休むくらいだから熱も高かったんじゃ・・・。今考えると、土曜日に一緒に帰った時も気分が良くなさそうでした。食欲もなかったし・・・。でも、前の夜の事件があったせいだと思っていました」
秋山雅之はすでに発症していた!? ギルフォードは立ったまましばし呆然としていた。気がつくと心配そうな顔でみんなが見ている。ギルフォードは座り直した。
「あの、もう一つあの人が言ったことを思い出したんですけど・・・」
良夫が言った。
「思い出したことは何でも言ってください。彼の死に目に会った人間はあなたたちだけなのですから」
「最初に、あの人の仲間のひとりが熱を出して、熱に浮かされて暴れたのでみんなで止めたそうです。でも、その人は行ってしまい、そのまま行方不明になった。その後にみんなが高熱でバタバタと倒れた・・・。言葉がはっきりしてなかったんですが、たしかそんなことを言ってました」
ギルフォードは再び勢いよく立ち上がった。
("最初死んだホームレスと今の話の男が同一人物なら、秋山雅之までが一本の線で繋がる!!")
糸口を見つけたギルフォードは、そのまま少年たちに近寄り、二人の肩に優しく手を置いて言った。
「ありがとう、二人とも。よくがんばって話してくれましたね。おかげで重要なことがわかりました」
少年達は、再び戸惑った顔をしたが、ギルフォードは二人の手を取ると彼らと同じ目の高さになるようにかがんでから言った。
「君たちのとった行動は、正しくなかったかもしれない。でも、結果的に現実から逃げないで真っ向から向き合いました。君たちは強い子です。これからいろいろあるでしょうけど、何があっても君たちなら乗越えていけるでしょう」
ギルフォードの言葉に少年達はうなずいた。
「それから、ユウイチ君」ギルフォードは祐一の方を見て言った。「ひょっとしたら、ヨシオ君がしがみついて止めていてくれたおかげで、危険から逃れたのかもしれません」
祐一はギルフォードの方を見、その後、良夫の方を見て言った。
「はい」
彼らにはもうギルフォードが何を心配し調べているかがわかっていた。それは、あの日以来、自分らが否定しながらも何度も沸きあがってくる不安と同じだった。
「それから、杞憂だとは思いますが、もしこれから2週間・・・いえ、ひと月以内に高熱が出た場合、すぐに保健所に連絡してください。直接病院には行かないようにして。約束してくださいね。出来たら私にも連絡してください。あと、君たちが見た男と同じ症状の人を見た場合にも、私に知らせてください。名刺を渡しておきます」
「はい、わかりました」
と、少年たちは、おのおの名刺を手にとってうなづきながら言った。二人とも、多分名刺をもらうのは生まれて初めてだろう。その上外国人からの名刺である。彼らは珍しそうに見入っていた。堤がやっと口を開いた。
「終わりましたか?」
「はい。最後まで中止をしないで下さってありがとう。貴重な情報が得られました。これから急いでカツヤマ先生のところに報告に行きます」
堤はお別れの握手をしようと立ち上がって言った。
「質問は想像以上にストレートでしたが、それ以上に真摯な応対でしたので、口を挟む余地はありませんでした。後のケアは私たちに任せてください」
「よろしくお願いします、ミドリさん、いろいろありがとう」
そういうとギルフォードは握手の後堤の両頬に軽くキスをすると、堤の後で握手をしようと立ち上がった葛西に向かい、
「カサイさん、またお会いしましょう」
というと、いきなりまたぎゅっと抱きしめた。葛西はまた驚いて「うわぁっ!」と言った。
「それでは、みなさんありがとうございました。僕はこれにて失礼いたします」
ギルフォードはそう言いながら西洋式のおじぎをして、取調室を去って行った。
「何で僕だけいつもロシア式の挨拶なんだ!?」
葛西は、訳がわからずぶつぶつ言っている。少年たちはとんでもないものを見て、またまたあっけに取られていたが、堤は机に突っ伏して「くくく」と笑っている。
「何、笑ってんですか、堤さん」
葛西が仏頂面をして言った。
「お・おかしい。笑っちゃいかんと思うけど可笑しい。葛西君の顔ったらもう。鳩が豆鉄砲食らったような顔ってこのことをいうんやね。それに死に目とか杞憂とか、くっくっくっ、これにて失礼いたしますとか、くふふふ、ホントは日本人っちゃないと?金髪のヅラかぶった阿部ちゃんとか」
「全っ然、似てねえよ!」
葛西は堤があまりにも笑うので、むっとしながら言ったが、気を取り直すと少年達と話すために椅子に座った。

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4.拡散 (6)蠢く~うごめく~

 ギルフォードは、そのまま受付に向かい刑事課の鈴木を呼んでもらうように言った。しばらくすると鈴木が現れた。
「ギルフォードさん、収穫はありましたか?」
「ええ。ところでスズキさん、さっきの話は水掛け論になりますからやめることにします」
「ははは、水掛論ですか。確かに立場の違いがありますし、そこらへんはお互い考えておかねばなりませんね」
 鈴木は内心ほっとして言った。
「でも、モンダイは思ったよりも深いみたいです」
 と、ギルフォードはそれを見透かしたように言った。鈴木はそのことをこの場所で話すのは不適切だと判断し、応接用の部屋にギルフォードを通した。
「あまりユックリはしてられないのですが・・・」
 ギルフォードはブツブツいいながら部屋に入った。

「いったいどういうことです?」
 と、ソファに座るや否や、鈴木が訊いた。ギルフォードは珍しく真剣な表情をして言った。
「少年達から色々聞いたことから考えて、アキヤマ・マサユキが感染し、しかも発症していた可能性が高まりました」
「なんですって?」
 鈴木はにわかに信じられないという顔をしていった。
「そんなことが・・・」
「いいですかスズキさん、ある男に接触した人たちが、皆同じような症状で死んだのです。
 確かに病原体は見つかっていませんし、症例もまだ出血熱の可能性を証明するには少なすぎます。しかし、僕はあの司法解剖でその中の1人の内臓の状態を見ました。そして、さっき彼の吐物がマサユキのキズついた手に直接触れたということを少年たちから聞きました。ですから、僕はマサユキが感染していた可能性が高いと考えます」
「事故現場にいた人たちの何人かが感染する可能性がある、と、あなたはおっしゃっているのか」
「もちろん可能性です。マサユキが感染してなければ何のモンダイはない。もし感染していても伝染力が弱ければ何も無いかもしれない。しかし、運が悪ければ・・・」
 ギルフォードはいったん言葉を切ると、眉間に皺を寄せて言った。
「アバドンがイナゴの群れを放ったかのようになるかもしれません」
「黙示録ですか」
 鈴木は言った。
「あいにく私はキリスト教徒ではないのでピンときませんが・・・」
「単なる例えです。私も信じているわけではありません。ところで、集団死したホームレスたちと接触した警官や救急隊員たちの追跡調査は出来てますか?」
 鈴木はなんとなく尊大なギルフォードの態度に少しむっとしながら答えた。
「もちろんです。今のところ異常の報告はありません」
「そうですか。しかし潜伏期間は、例えばですが、イェロー・フィーヴァー(黄熱)で3日から一週間、ラッサ熱で6日から18日、・・・そしてエボラで2日から3週間です。しかし、念のためひと月は様子を見たほうがいいでしょう」
「わかりました。引き続き調査は続けさせます」
「お願いします」
 ギルフォードはそういうと立ち上がった。
「僕はこれから急いでカツヤマ先生のところに行って、相談をせねばなりません」
 それを受けて鈴木も立ち上がる。
「それでは失礼します」
 ギルフォードは一礼すると、鈴木に背を向けドアに向かった。鈴木は複雑な顔をしてギルフォードの後姿をを見ていた。ドアノブに手をかけようとして、ギルフォードは思いついたように振り返って言った。
「スズキさん、あなたには僕がイサミアシをしているように思えるかもしれません。しかし、僕はサイアクの可能性を考えます。あなたが言うように怖いのはパニックです。しかし、ホントウに怖いのは現実に病気が広がってからのパニックです。2001年にアメリカでおこった炭疽菌テロ、覚えてますね?」
「議員を狙って手紙に入れられた炭疽菌が漏れて、郵便局員らが犠牲になった・・・」
「先にターゲットになったのはテレビ局です。あの時感染したのは結果的に22人、そのうち死者は5人でした。決して多い数ではありません。むしろ、炭疽菌を使った生物テロとしてはササヤカでした。しかし、その恐怖がアメリカ国内に与えた影響は深刻で、対策が後手後手になった政府やCDCの信用は、がた落ちになりました。治療可能の炭疽菌でさえこうです。僕が何をあせっているかわかってくださいますか?」
「ええ、わかっているつもりです」
 鈴木は言った。ギルフォードはにこっと笑うと「では、ヨロシクお願いします」と言ってドアを開けた。その時
「ギルフォード先生」と鈴木がギルフォードの背に声をかけた。「ひょっとしてあなたは、これがテロである可能性も考えているのですか?」
 その問いにギルフォードは、振り向いて言った。
「もし、これが本当にウイルス性の出血熱ならば、あまりにも、突発的すぎるんです。出血熱なんて、そうそう出るものではありません。たしか、K市にはO教団の流れをくむ宗教団体の支部がありますね」
「連中はもう何もできませんよ。それこそ杞憂です」
「だから、日本人は甘いと言われるんです」
 ギルフォードは、シニカルな笑みを浮かべて言い残すと部屋を出て行った。ギルフォードの足音が遠ざかると、鈴木はそのままソファに座り、腕組みをしながら上を向いて天井を見据え、しばらく何かを考えていたが、「さあ行くか」
 と言いながら大儀そうに立ち上がりぼそりと言った。
「たかが所轄の係長には荷が重すぎるだろ・・・」

 ギルフォードはK署の駐車場でバイクにまたがり空を見た。朝はいい天気だったのに、もう雲行きが怪しくなっていた。
("嫌な雲の色だ")
 彼はそう思うと、あたかも景気をつけるように勢いよくバイクのエンジン音を響かせた。

 

「珠江ちゃん、珠江ちゃん!」
「珠ちゃん、大変よ! あんたのお孫さんが・・・!」
 秋山珠江の家の玄関先で、年配の集団が集まってなにやら騒いでいる。
「どうしたっちゃろか?」
「出かけとっちゃないやろか。昨日から姿を見かけんし夜も電気がついとらんかったし・・・」
「珠江ちゃんは1人暮らしやけん、出かくるときには必ずウチんとこへ一言ゆうてくるっちゃけん、それはなかよ」
 珠江の隣家に住む下山道子が言った。
「中で倒れとっちゃないやろうね」
「まさか強盗に入られて・・・・」
「ちょっと、誰か男衆呼んで来んね?」
「さっき、川崎さんのダンナが庭木の剪定ばしよったけど」
「三郎さんが?」
「ちょうどよか、早う呼んでき!」
 言われて1人がとたとたと走っていった。残った女性達は心配そうに、窓から家の中の様子を見ていたが、1人が玄関のドアノブを回してみた。
「あ、鍵のかかっとらん!」
「ええ?」
「ばってん、チェーンのかかっとぉばい」
 その時、開いたドアの隙間から、何か黒いものが数匹飛び出してきた。
「ぎゃあ!」
「なんね? ネズミ? ゴキブリ?」
「ゴキブリちがう?」
「ゴキブリにしちゃあえらい大きかけん、ネズミやろ?」
「いやぁ、私、どっちも苦手!」
「そういや、昨日から妙にゴキブリが増えたごたるけど」
 と道子。
「もう夏なんやねえ」
「あら、家ではあまり見かけんけど?」
「なんね、家が汚いとでも言いたかとね」
「あんたたちゃあ、そんなこと言うとるだんじゃなかろうが」
「あ、ノリちゃんが三郎さん呼んできた!」
「三郎さん、こっち、こっち」
 川崎三郎は、作業着姿で走ってきた。年齢は60代後半くらいか。その後ろを典子がとたとたと走っている。
「どげんしたとな?」
 三郎はタオルで汗を拭き拭き言った。
「珠江ちゃんのお孫さんが事故にあったらしいけん知らせに来たっちゃけど、呼んでも出てこんとよ」
「珠江さんの? そりゃあ大変ばい」
「玄関のカギは開いとっちゃけど、チェーンがかかっとるけん入れんと」
「無理矢理ドアを引っ張ったら外れると思うけん、三郎さんやってみちゃらん?」
「よっしゃ、まかしときない」
 おばさまたちに囲まれて、まんざらでもない三郎は、二つ返事で了解した。が、その後心配そうに言った。
「ばってん何でもなかった時、ちゃんと経緯を証明してくれるんやろうね?」
「わかっとうけん、早ようせんね」
 せかされて、三郎はドアノブを両手で持ち、全体重をかけて引っ張った。チェーンはあっけなく外れドアがばんと音を立てて開いた。三郎はその勢いでしりもちをつき、そのまま玄関にひっくりかえった。
「あいたたた」
 しかし、おばさん達はそれを後目に戸口から珠江を呼んだ。
「珠江~?」
「珠江ちゃん? いないの?」
「珠江さ~ん」
 三郎もいつの間にか腰をさすりながら呼んでいる。
「返事のなかね」
「上がってみようか」
「よかとね? 不法侵入と違う?」
「チェーン壊した段階で不法侵入やろうもん」
「非常事態やけん、しょんなかばい」
「三郎さん、男やけん先に行ってよ」
 おばさんたちは三郎を有無を言わせず前に押しやった。三郎は仕方なく靴を脱ぎながら声をかけた。
「珠江さん、お邪魔しますよ」
 三郎を先頭に、ムカデ競争のような状態で総勢5人はおずおずと家のなかに入っていった。
「珠江ちゃ~ん、おらんのぉ?」
「珠ちゃ~ん」
「ねえ、なんか臭わん?」
 女性陣の1人が言った。
「うん、実はドアが開いた時から気がついとった」
「・・・」
 5人は顔を見合わせた。みな同じようなことを考えたようだが口には出さなかった。
「あれ、台所あたりから何か音がしよらん?」
「そう言えば・・・」
「行ってみよう」
 彼らはバタバタとキッチンへ向かった。
「何か昼間なのに暗かねえ」
「天気予報じゃ午後から雨になるって」
「なんでこういう時に限って当たるんかね」
 三郎がキッチンのドアを開け、のれんをくぐって中に入った。道子があとに続いた。残りの3人はのれん越しにおそるおそる覗いていた。キッチンの中に入るとさらに臭いがきつくなった。みなそれぞれ顔を見合わせる。三郎は無意識にタオルで鼻と口を押さえながら、用心深く声をかけた。
「珠江さん?」
 天気が良ければかなり明るい構造のキッチンだが、曇り空のせいで陰気な雰囲気になっている。その薄暗いキッチンのテーブルの影に何か大きな黒い塊が見えた。
「なん、あれ???」
「暗くてようわからんばってが」
「ねえ・・・、何かあれ、動いとぉごたる」
「ノリちゃん、そこに電気のスイッチがあるけん、つけちゃらん?」
 典子が横を見ると言われたようにすぐそこにスイッチが目に入った。彼女は言われるままにスイッチをいれた。急に明るくなり、5人は目をしばしばとさせた。しかし、明かりに驚いたのは彼らだけではなかった。明かりがついた途端、テーブルの影にある黒いモノがいっせいに動き出した。 

 ザワザワと音を立て黒いモノが四方に散った。その後、危険を感知したのか、それらは出口を求めて主に5人のいるキッチンのドアの方に向かってきた。黒い波が彼らの足をすり抜けていった。
「ぎゃあっ!」
「ひゃあああ~!」
「キャーーーッ!!」
「あいたた、噛まれた!」
「ひぃ~~~~!」
 5人は各々悲鳴を上げた。何が起こったか見当がつかなかったが、その黒いモノたちが何かは見当がついた。黒光りする小さい生き物。信じられない数の良く肥えた・・・。思いがけないモノの襲来に驚いた彼らは、転がるようにして外に出て行った。真っ先に逃げたのは三郎だった。彼らは靴を履くのもそこそこに、ほうほうの体で外に出て庭に座り込んだ。
「なに、アレ? び、びっくりした」
「何ね、三郎さん! 真っ先に逃げ出してから!!」
「俺、アレだけはダメやけん」
「もう、珠江ちゃんっちゃあ、あげんゴミばためとるけん、ゴキブリの増えっとたい!」
 その時、家の中で悲鳴がした。
「あ、ノリちゃん置いてきた!」
4人は慌てて家の中へ引き返すと、典子が這いずりながら玄関まで出て来て、ガタガタ震えてキッチンを指差し口をパクパクさせている。顔は真っ青でその上涙でぐしゃぐしゃだ。
「どうしたん?」
「た・・・・、た、珠江さんが・・・」
「珠ちゃんがどげんしたと?!」
「い、いた・・・」
「え? どこにおったと?」
 典子は震えが止まらないまま両手で顔を覆い頭を左右に振りながら言った。
「いた・・・の、あそこに・・・珠江さ・・・いやぁあああああ・・・!」
「こりゃいかん、ノリちゃんをとりあえず外に出しちゃって。俺、もう一度様子を見てくるけん」
 三郎は異常を察知して、決死の覚悟でキッチンに向かった。典子を残りの二人に任せてその後を道子が続いた。再びキッチンに入った二人は勇気を出してテーブルの影にあるモノを確認した。そして彼らは瞬時にそれがゴミではないことを理解した。
「う、うぷ」
 それを見るなり道子は口を押さえて家から飛び出し思い切り庭に吐いた。道子が泣きながらげえげえ言っていると、三郎が青というよりむしろ白い顔をしてフラフラと出てきた。状況が掴めない残りの二人は、訳を知ろうと家の中に入ろうとしたが、三郎が止めた。
「やめときない」
「? なんで・・・?」
 三郎はそのまま庭にへなへなと座り込んで言った。
「それより、急いで警察ば呼んでくれんね」
「珠代ちゃんになんかあったんやね?」
「まさか・・・?」
 三郎は、下を向いたまま答えた。
「台所に倒れたまま・・・死んどった」
「う、うそっ!」
「こげな嘘誰がつくか・・・!」
「やったら遺体を何とかしちゃらんと」
「いかん! もう、あそこには行くんやない」
「なっし? ほっといたら珠江ちゃんが可哀想やなかね!」
「現場は保存しとかんといかん。それに・・・」
「それに?」
「それに・・・な、もう・・・・誰かわからんごとなってしもうとる・・・」

 

 ギルフォードが嵐のように去って行ったあと、葛西は堤と一緒に少年達と向き合い、改めて二人から話を聞いていた。ただし、男の死んだ件(くだり)は、さっきギルフォードが聞いたのでほとんど触れないようにした。調書を取り終わって葛西が彼らに言った。
「嫌なことをまた思い出させてすまなかったね。ところで、被害に遭った男性についてどう思ってる?」
「・・・」
「調べたら彼の母親から10年ほど前に捜索願が出ていたことがわかったんだ。その母親は唯一の身内だったらしいけど、5年前に亡くなっている」
「どんな人だったんですか?」
 良夫が訊いた。
「ボクは、ボクらが最後を看取ったことになったおじさんのことが知りたいです」
「僕もそう思います」
 祐一も同意した。葛西はうなづいて続けた。
「名前は安田圭介。W大を出た後大手のゲーム会社に就職、その後独立して会社を設立した。このころは順風満帆前途洋々だったんだろうね。だけど、90年代の不景気の煽りで事業に失敗して負債をかかえてしまった。それでも生真面目な彼は自己破産もせずに、単身ほとんど出稼ぎ状態で働いて借金を返していたらしい。でも、夫不在と借金の取立てなどの生活の変化やその不安からノイローゼになった奥さんが、娘を道連れに自殺してしまったんだ。二人の葬儀後、そのショックで妻と子は家出をしたのだと思い込み、探すからと家を出たきり行方不明になってしまったそうだ。母親の死後も彼の親友がずっと探していて、彼の郷里がK市だったのでもしやと思って問い合わせてくれたんでわかったんだよ」
「そうか、それで・・・、おじさん、今の仲間は家族だからって・・・、今度は助けたいって言ってた・・・。おじさん必死だったんだ」
 良夫はそう言いながら下を向いた。両目から大粒の涙がこぼれた。葛西はまたポケットからハンカチを出して良夫に渡した。横で堤が葛西の横腹を小突き、小さい声で言った。
「葛西君、あんたも」
 気がつくと視界がぼやけている。慌てて手の甲で両目をぬぐう。堤は苦笑いをした。
「僕らに何か出来たでしょうか」
 と、祐一が質問した。
「たらればを言っても仕方がないけど、今の話を聞く限りではおそらく彼を救うことは出来なかったと思うよ。ギルフォードさんの口ぶりから、彼は何かの病気だったみたいだし。って、こんなことを言っても君らへの慰めにはならないね」
 葛西は情けない笑いを浮かべて言った。
「だけど、どんな人にも歴史はあるんだよね」葛西は続けた。「死んでいい人間なんていないと僕は思ってる」
「僕たち、きっとあのおじさんのことは忘れません。というか、忘れてはいけないと思うんです」
 祐一は言った。良夫も下を向いたままうなづいていた。葛西は言った。
「そうだね。きっと安田さんも喜ぶと思うよ。でも、あまり思い込まないようにするんだよ」
「はい」
 二人は同時に言った。ギルフォードが言ったように、彼らはこれからが大変だろう。事件に関わった限りこれからも取調べが行われるだろうし、彼らがシロという決定的証拠も無い。心にも大きな傷を負ってしまった。でも、彼らならきっと乗り越えていくだろうと葛西も確信した。

 昼食時、葛西が多美山と署の食堂でごぼう天うどんをすすっていると、堤がやってきて隣にすわった。堤は二人のうどんとかしわ飯(鶏の炊き込みご飯)のおにぎりを見ながら「おいしそう。私もそれにすればよかったな」といいながら、ドンと定食を置いて食べ始めた。食べながら、ついつい例の事件の話になる。
「まさか、容疑者が本当に未成年でおまけに中学生で、そん上に自殺すっとはな」
 と多美山が言った。
「まだ、自殺と断定したわけではありませんよ、多美さん。彼は自首するってメールを祐一君に送ってるんですから」
 葛西は、祐一たちの話を聞いていて、雅之が自殺するとは思えなかった。しかし、多美山は言った。
「そんつもりはあってん、いざとなっと怖くなったとたい。そって発作的に電車に飛び込んだっちゃろう」
 確かにその可能性も考えられる。葛西はそれ以上否定出来なかった。
「でも」堤が言った。「祐一君、とりあえず無事に家に帰れて良かったですね」
 葛西は母親に連れられて署から出る祐一の姿を思い出していた。良夫はあの後学校に向かったが、祐一は家に帰ったほうがいいだろうということになったからだ。葛西は玄関まで二人を送っていった。二人は最後に葛西に向かって同時に深い礼をした。その後祐一は言った。
「葛西さん、いろいろお世話になりました。あなたのおかげで心強かったです」
「何かあったら遠慮なく電話していいからね」
 葛西は言った。祐一はもう一度軽く頭を下げると母子で並んで署を出て行った。正門のところで父親と妹らしき人たちが待っていた。祐一の姿を見つけ、妹は子犬のように駆け寄ると抱きついて泣き出した。
「お兄ちゃん、もうこんなことはせんでね。香菜、心配で眠れんかったとよ」
「こん子がどうしても迎えに行くいうてなあ。しょんなかけん学校ば休まして連れてきたったい」
 父親が言った。そういう父親も会社を休んで来ている。いい家族だと葛西は思った。きっと彼らは祐一の力になってくれるだろう。
「帰ったら、たんとお説教が待っとおけんね」
 母親が真面目な顔をして祐一に言った。祐一は「はい」と小さな声で答えた。それを見た香菜がそっと祐一の手を掴む。二人は仲良く手をつないで帰って行った。 

「ジュンペイ、どげんかしたとや?」
 多美山の声に葛西は我に返った。
「葛西君は時々ぼうってしてるもんね」
 と、堤が言った。
「でも、今日のあの子たちへの接し方は良かったですよ。少年課に来ればいいのに」
「いや、僕はダメだ、堤さん。僕、本当は子供って苦手で。どう接していいかわからないし」
「へえ、葛西君ってそうなんだ。そんな風に思えんかったけどね。話上手かったし。『どんな人にも歴史はあるんだよね』とか『死んでいい人間なんていないと僕は思ってる』とか、ちょっと前流行ったスピリチュアル系みたいで・・・」
 そう言いながら、堤はまた笑い出した。
「おいおい、変な宗教に入らんどってくれよ」
 と、多美山。
「宗教といえば・・・」
 堤が笑うのを止めて言った。
「今、話題になってる新興宗教があるみたい」
「カルトや?」
「う~~~ん、よくわからないんです。ただ、ここ十数年の間に急激に力をつけてきた宗教みたいで、ここK市にも支部があるみたいですよ。教祖は二代目ですがまだ若い男で、世間に顔は一切出してないらしいのですが、かなりイケメンみたいですよ。それ目当てで最近は女性信者が増えているとか」
「堤さん、イケメンってのが気になるんだろ?」
 葛西はからかった。堤はとんでもないと言う顔をして言った。
「何言いよっとね。いくらいい男でも、カルトはご免ばいね」
「そん宗教団体は何ち名前や?」
「う~~~ん、実はよく覚えていないんですが、えっと、宇宙のなんたら・・・全然違う、大地の・・・? いや、地球のへき何とか・・・って、意味わかんないし。え~と、何だっけ? とにかく、大地を守ろうって趣旨の宗教団体だったような・・・」
 はっきりしない堤に葛西が呆れて言った。
「そんなの、ニューエイジ系に掃いて捨てるほどあるだろ。イケメンにばかり気を取られているからだよ」
「情けなかなあ。一度得た情報はしっかり覚えとかにゃ。どんな情報がいつ役に立つかわからんとぞ」
「すみません」
 多美山に言われて堤は少し意気消沈してしまった。多美山はそれを見て笑いながら言った。
「まあ、おまえさんは少年課やし、人それぞれのやり方があるっちゃけん、それに従えばよか」
「そう、そうですよね!」堤はそういうと、湯飲みを手にしてお茶をぐいと飲んだ。
「ばってん、なんか気持ちの悪かなあ、そん宗教団体は」
 多美山は腕を組んで言った。葛西は宗教団体にもイケメンにも全く興味が無かったので、さほど気にすることも無く、一皿に3個のかしわ飯おにぎりの最後の一個を旨そうにぱくついていた。

 葛西がおにぎりを食べている頃、ギルフォードは、勝山の研究室から自分の研究室へバイクを飛ばして向かっていた。由利子はというと、無事に会社にたどり着き昼食を食べ終え、会社のパソコンでお気に入りのサイトを見ながらまったりした昼休みを過ごしていた。彼ら3人は、まだそれぞれの日常の中にいた。しかし、見えない敵はもう、すぐそこまで来ていた。

(「第四章 拡散」 終わり)

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