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2.胎動 (6)平穏の終わり

 美葉が出会ったのはもちろん祐一・雅之・良夫の3人だった。彼らは美葉を見て一瞬躊躇したが、ぞろぞろとトイレに入っていった。
「雅之、やっぱそのシャツ脱いだ方がいいぞ」
 祐一は言った。雅之は言われるままにシャツを脱いだが、そのままトイレのゴミ箱に捨てようとした。祐一は焦った。
「バカ! こんなとこに捨てとったらヤバイやろ! 捨てるなら持って帰って捨てろ、な?」
 すると雅之はシャツをくるくると丸めてカバンに突っ込んだ。祐一は自分の手と顔を洗い、とりあえずさっぱりとした。
「ヨシオ、ハンカチありがとう。洗って返すから、貸しとって」 
と、祐一が良夫に言うと、良夫はなにか釈然としない顔つきで言った。
「あのおじさん、あのままでいいの?」
「仕方がないやろ。それに、多分あの人はオレたちが行かなくても死んでいたと思うし」
「だからって・・・!」
 良夫が言いかけたその時、トイレに酔っ払った50代の男性が入ってきた。
「よぉ、兄ちゃんたちこんなところでストリップな?」
 彼はご機嫌で鼻歌交じりで用を足しながら言った。
「子供がこんな時間に便所でたむろしとっちゃイカンばい。早う帰らんと母ちゃんが心配しとろうもん」
 男は用を足し終わったが話は続いた。
「塾ね? 部活ね? がんばっとるやないね」
 この男のせいで、雅之がまたイライラし始めて言った。
「さっきオレ、浮浪者のオッサンを〆て来たんですよ」
 祐一はぎょっとして、焦って否定した。
「バ・・・、バカ! すみません、こいつタチの悪い冗談ばっか言うんです」
「うわぁ、怖かねぇ、ほんなこつ。おじさんも絞められないうちに帰るけん、君らも早う帰らんね」
 男はそばにいた良夫の頭をぽんぽんと叩くと、ふらふらしながら手も洗わずに出て行った。良夫が露骨に嫌な顔をした。
「ボク、外で待っとぉけん。公衆トイレの中って気持ち悪いし・・・」
 良夫は不愉快そうに言うと出て行った。祐一は後を追ってトイレから出て、良夫の肩をつかんでこっそり言った。
「雅之は俺がなんとか説得して自首させるから・・・。おまえは心配せんでいいからな」
 良夫は首を横に振りながら、トイレの入り口の壁にもたれ座り込んだ。胃がぎゅっとして本当は吐きそうだった。しかし、中で雅之と居ると余計に気分が悪くなりそうで嫌だったのだ。

 祐一がトイレに戻ると、雅之が必死で手を洗っていた。
「どうした?」
「引っ掻かれたところが何か痛くなってきた・・・」
 雅之は言った。傷口に水を大量にかけている。
「うわ、腫れたなあ。あのままにしてたから・・・。すぐに洗えば良かったかなあ。・・・あ、右手やないか、それ。大丈夫か?」
「オレは左利きやけん、一時的なら多少右手が使えんでもいいけど・・・」
 と、雅之は言葉を濁した。祐一は雅之の言わんとしていることが判った。しかし、敢えて口に出さなかった。そんなことがあるはずがないじゃないか・・・。
 雅之は手を洗い終わると、傷口を覆うようにハンカチを巻きつけた。祐一はその端を結んでやった。そのあと雅之は上着を着て、ボタンをかけた。
「ギリギリ冬服でよかったなあ。アンダーシャツで帰るのは変だもんな」
 祐一はそういいながら自分も上着のボタンを確認した。お互い身だしなみを確認しあってから、二人はようやくトイレから脱出した。外に出ると、外にしゃがみこんでいた良夫が少しギクッとした感じで振り返り立ち上がった。顔色は青ざめたままで、まだショックから立ち直っていなかった。多分俺も同じような顔をしているんやろうな、と祐一は思った。祐一は大丈夫だと言い張る良夫を無理やりタクシーに押し込むと、「すみません、こいつ、気分が悪いみたいなんで、近いけどよろしくお願いします」と運転手に頼んで家に帰らせた。その後、残った二人は駅のホームに向かった。

 その頃由利子たちは、早くホームに上がりすぎて時間を持て余し、ベンチに座って自動販売機のコーヒーを飲みながら雑談していた。その由利子の目に、階段を上ってきた雅之の姿が映った。
「美葉美葉、見てあの子よ、階段上ってくるあの子。 『V-lynX(ファイヴ・リンクス)』のタツゾー似!」
「あら? あの子? 私トイレの前で出会っちゃった」
 と、美葉。
「ね、ね、タツゾー君によく似てるでしょ?」
「そう言えば似てる! だけどさっき見た時全然気がつかなかったよ。なんていうか、うつむいてて暗い印象で・・・」
「そう言えば、あの時よりも元気が全然ないなあ。何かあったのかしら・・・。あれ、もうひとり・・・お友だち? さっきの仲間の中にはいなかったけど」
「由利ちゃんがそう言うんだから間違いないと思うけど、私が会ったときにはもう居たよ。あともうひとり小柄なメガネ君と3人やったかな・・・」
「小柄なメガネ君もいなかったな、あの時は。それにしてもあのコ、背が高くてカッコイイわね。真面目そうだし、意外な組み合わせやね」
「一発で覚えた?」
「うん一発で」
 二人は声を上げて笑った。お酒が入っているので妙にハイ・テンションだ。
「あれ?あっちにいっちゃうよ?」
「残念! なんか見てるの気づかれたみたいね」
 二人はしかたなく両少年の後姿を見送った。
「あの子たち、ずいぶん長くトイレに籠ってたよ。私が出た時まだ中にいたみたい」
「そりゃあ長いわ!」
「ひど!・・・そうそう、何か中でひそひそ話してたわね。途中オッサンの声もしてたけど」
Image021_3「オッサンすか?・・・あ、電車、来た来た」
 電車がガーッと音をたててホームにすべり込んだ。
「あ~、1メートルオーバーラン!」
 彼女らが待っていた位置より扉が通り過ぎたのを見て美葉が言った。ここの電車がオーバーランするのは珍しい。ドアが開いて乗り込もうとした時に、由利子が気がついて言った。
「あ、救急車! なんかあったんかな?」
「由利ちゃんってば、乗らないと電車出ちゃうよ。救急車なんて珍しくないやろ?」
 美葉にせかされて由利子は急いで乗車した。

 由利子たちに観察されているのに気づいた祐一は、ホームの前の方に移動することにした。
「何であのオバサンたち、オレたちを見てたんやろ」
 と、雅之が怪訝そうに言った。
「そりゃ、オレたちがイケメンやからやろ」
 祐一が少しおどけて言ったが、雅之は笑わなかった。
「一人はさっきトイレの前で会った人に似とった」
 雅之がいうと、祐一の顔つきが少し厳しくなった。
 程なくして電車が到着し、乗り込んだ。座席に座ってほっと一息入れると、駅の下の道路を救急車やパトカーが通っていくけたたましい音が聞こえた。二人はこわばらせたままの顔を見合わせたが、すぐに扉が閉まって電車が動き出し、そのために外の音が遮断されてしまった。
「オッサンが見つかったんかな・・・」
 と、雅之がボソリと言った。
「そうかもな・・・」
 ヨシオが電話したのかも・・・。と、祐一は良夫が振り返ったときの顔を思い出し、ふと思った。
「オレ・・・」
 雅之が言った。
「最近すげぇイライラしてて、時々自分に歯止めが利かんようになって・・・。オレ、あんなことするつもりなかったっちゃん。祐ちゃん、警察に連絡せんでくれてありがとう。オレ、取り返しのつかんことをやったんやなあ・・・」
 妙にしおらしい雅之の言葉に、祐一は何と言っていいかわからなかった。しばらくして雅之が口を開いた。
「あのな、祐ちゃん、・・・オレのオヤジと母さんな・・・」
「ご両親がどうかしたと?」
 祐一は、出来るだけ優しくたずねてみた。しかし雅之は
「いや・・・、ごめん。なんでもない」
 と答えたきり、またなにもしゃべらなくなってしまった。電車を降りてから、祐一は心配だから家まで送ると言ったが、雅之はひとりで帰れる、大丈夫だ、と言ってきかなかった。それでも家の近所までついて行った。そして、雅之が家の中に入るのを確認し、自分も家路についた。夜も10時を過ぎて帰宅した祐一は、両親からこっぴどく怒られた。

 雅之が家に帰ると、母親が心配して飛んできた。
「まーちゃん、どうしたの? 何処に行ってたの? あんまり遅いから、心配してたのよ。警察に電話しようかと思ってたのよ」
 雅之は、靴を脱ぎながら母親をうるさそうに一瞥すると、無言で2階の自室に向かった。
「まーちゃんってば・・・。夕飯はどうしたの? 食べて来たの?」
「ごめん、気分が悪いけん・・・風呂入って寝る」
 振り向きざま母親にこう告げると、雅之は自室に入ってしまった。母親はしばらく下でオロオロしていたが、ため息をついて居間に戻っていった。

 3人は各々諸般の用を済ませ床に就いたが、公園でのことを思うとなかなか寝付けなかった。
 特に雅之は、男の断末魔の顔が目に焼きついていた。後悔と贖罪の念が渦巻いていた。何度か起き出してトイレに行き吐いた。夕方友だちとドーナッツ屋に入ってセットを食べただけなので、吐いてもろくなものが出てこない。ようやく眠れたと思ったら、悪夢にうなされて何度も飛び起きる。最悪な夜だった。

 3人が眠れない夜を過ごしている頃、由利子はカラオケ屋で美葉と一緒に、ジッタリンジンの「プレゼント」をシャウトしていた。

(「第2章 胎動」 終わり)(次へ

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