2.胎動 (5)友情・・・
美葉は、まだ泣き続けていた。ハンカチを握りしめ、声を出さずに肩をふるわせて泣いている。取り合えず気が済むまで泣かせて落ち着くのを待とう、そう思っていたのだが、なかなか泣き止みそうになかった。周りの客達がチラチラと様子を伺っているのがわかる。
(私が泣かしたように見えるかもしれないな~)
そう由利子は思うとかなり憂鬱になった。しかし、よく考えたら自分が泣かせたような気もしてきた。損な役回りである。美葉のように儚げで保護欲をそそるような女性に生まれたかったな、と、いつも思っていた。なんでこんなに強そうな外見に生まれたんだろう。昔二股をかけられて結局フラれた時もそうだった。「お前は強いから一人で生きていける。アイツは俺がいないとダメなんだ」という、数多の三文小説やドラマやマンガで使い古されて発酵しつくした陳腐な言葉を残して彼は去って行った。怒りや悲しみよりも、その恥ずかしいセリフに呆然として彼を見送ったことをふと思い出し、さらに憂鬱になった。
話の進展のなさに業を煮やした由利子はひとまず居酒屋を出ることにした。それで、半分ほどグラスに残った冷酒をグイッと飲み干してから言った。
「美葉、とりあえずここから出よ。ね、そうしよ!」
美葉は小さく頷いて、さっきまで握りしめていたハンカチで涙を拭きながらぼそりと言った。
「トイレでお化粧直してくる・・・」
そう言われて美葉の顔をよく見ると、確かに化粧が部分的に取れてすごいことになっていた。いつも薄化粧の由利子には有り得ない顔だったので、不思議やらおかしいやらで、多少引きつりながら由利子はなんとか答えた。
「行っておいで。お会計払っとくから・・・出口の方で待ってるよ」
由利子は美葉と店を出て、駅に向かって歩いていた。出口でたっぷり15分待たされた由利子は、若干むすっとしており、美葉はその後を下を向いてとぼとぼと歩いていた。しばらくその状態で歩いていたが、だんだん美葉が可哀想になってきた由利子は、足を止めて振り返り美葉に手をさしのべた。
「美葉・・・」
由利子は再び優しく話しかけた。
「人ってさー、相談する時には大体自分ではどうするか決めてることが多いよね? だから、美葉も心の中では結果を出しているんじゃないかって思うんだけど・・・」
美葉は無言だった。由利子はさしのべた手で美葉の手を取り、並んで歩きながら続けて言った。
「美葉はさ、きっと誰かにこのことを聞いて欲しかったんだよね。ひょっとして、今までずっと誰にも言えなかったんじゃない?」
すると、由利子が握った美葉の手が小刻みに震え始めた。横を見ると、また大粒の涙を流しながら泣いている。
(げげ・・・しまった!)
と、由利子は思ったがすでに遅し、美葉は由利子にしがみついて号泣を始めた。
「そだよね。悲しいよね・・・よく我慢してたね、辛かったやろ・・・」
由利子は美葉の背中を軽く叩きながら、慰めた。こうなったら仕方がない。気の済むまで泣かせてやろう。由利子は腹を決めた。
(でもねえ、名前は由利子だけど、レズっ毛はないんだよね、私・・・)
行き交う人たちの視線を浴びつつ、由利子は困惑しながら美葉の肩を抱き、繁華街の片隅で立ったまま困っていた。
由利子達の悲喜劇を余所に、こちらでは深刻な展開が続いていた。
倒れた男とその周りに少年が3人、公園のオレンジ色の街灯に照らされていた。少し向こうのとおりから車の音が聞こえたが、公園内は異様に静かだった。しかしその静寂はすぐに破られた。
「人殺し! 人殺し! この人は助けを求めてただけやろ、何でこんな非道い事せんといかんと!?」
最初に我に返った良夫が泣きながらヒステリックに叫び始めたのだ。雅之はその場に座り込んだまま、無言だった。まだショックから立ち直っていないのだ。相変わらず呆然と男の顔を見つめている。
「やめろ、ヨシオ!」
祐一は良夫を制止した。
「だ、だって、こんなのひどい!!」
「雅之だって、まさかこんな事になるなんて思わなかったんだ。とにかくこれからどうするか考えんと・・・」
祐一の切り替えは早かった。この状態では自分がしっかりしないと・・・。祐一は自分の冷静さに驚きながら考えを巡らした。
(どうする?警察に連絡するか?)
祐一はポケットの中の携帯電話を握りしめた。しかし、直ぐに考えなおした。
(いや、ダメだ。それじゃ無関係の良夫にまで迷惑がかかる。あいつはオレが心配でついてきただけだ。巻き込む訳にはいかん。ここは逃げるしか・・・)
そこまで考えた時、「ひ・・・ひいっ・・・!」っという雅之のかすれた悲鳴が聞こえた。
見ると雅之は腰を抜かした状態のまま、這うようにそこから逃げようとしていた。ようやく我に返り、事の次第が理解できたらしい。
「待て、雅之! 落ち着け!」
祐一は叫んだが、雅之は何度か転びかけながら立ち上がり、かすれた悲鳴を上げながら逃げ出した。
「おい、そんな血まみれで何処に行くとや!」
祐一は雅之を追って走り出した。
「そんな・・・・! 西原君! あのおじさんはどうすると!?」
「あとで考えよう! 今は雅之を追うほうが先やろ!」
祐一は雅之の後を追って走り出した。
「おじさん、ごめんね! 後で誰か呼んでくるけんね・・・」
良夫はそう言いながら男の遺体に向かって手を合わせると、祐一の後に続いた。
雅之はすぐに見つかった。公園を出たところの電柱に咳き込みながらもたれかかっていたのだ。祐一は雅之に近づくと言った。
「バカやな。そんな血まみれのシャツなんか着たままで人前に出たりしたら、一発であやしまれるやろ。」
言いながら祐一は自分のシャツもあちこちに染みが付いているのに気がついた。手も血まみれになっている。雅之のせいで鼻血を出したことをすっかり忘れていた。冷静に見えても相当動揺しているようだ。無理もないことだが。祐一はこの分じゃ顔も相当汚れてるだろうと思いポケットに手を入れ、ハンカチを出そうとしたら、良夫が貸してくれたハンカチの血まみれになったのが出てきた。もう一度それをポケットにしまい、カバンから自分のハンカチをだして顔を拭いた。その後祐一は自分の制服のボタンを掛けながら雅之に言った。
「とりあえずおまえも上着のボタンを止めとけよ」
雅之は機械的に祐一の言うことを聞いて上着の前を合わせ始めた。
「西原君、顔、よく見たらまだ汚れとぉよ」と、良夫が指摘した。
「うん、どこかで顔を洗わんと帰れそうにないね。雅之のほうもなんとかせんと・・・」
祐一はため息をついた。
由利子と美葉は、再び駅に向かって歩いていた。美葉は泣くだけ泣いてだいぶ気が晴れたようだ。美葉は、由利子に寄りかかるようにして歩いていた。
「思い出したよ」
由利子が言った。
「10年前、あの馬鹿男にフラれた時、美葉が旅行やら映画やらに誘ってくれたんだよね。あれでだいぶ気が紛れたっけ」
「ほんとはね・・・」
美葉は言った。
「あの時、由利ちゃんが帰って来たみたいで嬉しかった。だからいっぱい誘ったの。・・・今日は由利ちゃんに会えてよかった。私、自分がホントは何をするべきかは判っとぉとやけど、ふんぎりがつかんやった。でも、やっとアイツに三行半突きつけてやる勇気が出た・・・」
「そっか、がんばれ美葉! そうだ、これからウチの近所にあるカラオケ屋に行かない?今日は朝まで歌いまくろう!」
由利子は提案した。
「うん、いいよ! 明日は休みだし」と、美葉。数年ぶりの友情復活であった。
二人は程なくして駅にたどり着いた。美葉は、
「由利ちゃんごめん、またお化粧なおしてきていいかな?」
と聞いてきた。実はさっきの惨状を見た由利子が、そうなる前に見栄え良く涙をぬぐってやったので、さっきよりずいぶんマシなのだが、それでもやはり気になるらしい。
「いいよ、行っておいで。私はここのベンチで待ってるから」由利子は快く答えた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
美葉は駅のトイレに走って行った。
(ああいうところがいつまでも女の子なのよね)
由利子は美葉の後ろ姿を見ていたが、すぐにベンチに座ると、さっき居酒屋で美葉を待っている間に読んでいた本の続きを読み始めた。
(さて、何分かかることやら。買っててよかったよ、これ)
美葉がトイレのそばまで行くと、隣の男子トイレに向かう中学か高校くらいの少年3人に遭遇した。
(こんな時間にここらをうろうろしてるなんて。。。塾の帰りかしら? 中学生も大変よね)
美葉はそう思いながら彼らの顔をそれとなくうかがった。そのうちの一人は見たことがあるような顔だった。しかし、美葉はあまりジロジロ見るのもマズイと思ってそそくさと女子トイレに入った。
(次へ)
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