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2.胎動 (3)少年A

「おい、マジかよ!」
 西原祐一は友人の秋山雅之に言い、その後仲間達の顔を見回して言った。
「お前ら止めねぇのか?」
 仲間達は顔を見合わせて言った。
「でもよ~・・・」
「お前らが行かんのやったら、俺だけで行く!」
 雅之は息巻いた。
「俺ら、やっぱ帰るわ。雅之キレたらタチ悪ぃし」
「なんかあって捕まりとうなかけん」
「じゃ、な! 雅之のお迎えに来たついでに後を頼むわ、西原」
 仲間たちはそそくさと去って行った。
「きさん(貴様)らぁ~、明日覚えとけよ!!」
 雅之は荒々しく怒鳴った。コンコースに繋がるバスセンターに、雅之の声が響き渡たり、そこのベンチにたむろしていたホームレスたちが、驚いて彼らを見た。雅之は彼らを威嚇した。
「何見とるんや! こんクズ共がぁ~!!」
「待てや、こんなとこで暴れたら一発で補導されろーが」
 と、祐一がなだめる。
「そんなこた判っとぉ! むこうの祭木公園に行く。あっちにも住み着いとぉ奴等が居ろうもん」
 雅之はさっさと歩き出した。祐一はあせって後を追った。
「おい、待てよ! 最近部活サボって何してるかと思ったら・・・帰ろうぜ。オレが上手く言い訳してやっから」「オレらもう3年やろ、オレらの学校は中等部から高等部に上がるにしても、審査が厳しいんだぜ。こんなことやっとったら・・・」
 祐一はなんとか雅之を止めようとなだめすかしてみたが、雅之は一向に耳を傾ける様子がなかった。祐一は日頃から雅之の素行を心配しており、今日、偶然K駅のコンコース内に仲間とたむろしていた雅之を見つけて、思い切って声をかけてみたのである。・・・しかし、雅之は無言で彼の干渉を拒否し、どんどん歩いていく。仕方なく祐一は後を追った。
 その後を祐一と一緒にいた少年、佐々木良夫がついていく。それに気づいて祐一が言った。
「ヨシオ・・・何や、おまえもついて来よっとか、」
「うん。ボク、秋山君より西原君が心配やけんね。大丈夫、ボクんちがこの近所なの知っとうやろ」

 雅之は先ほど由利子の前を、傍若無人に通っていった少年達の1人であった。彼が由利子の注意を引いたタツゾー似の少年で、他の仲間は帰ってしまったらしい。後を追う祐一も、やや細身だが背が高く目立つ少年だ。祐一の連れである良夫は小柄でメガネをかけており、祐一とは対照的に目立たないおとなしそうな少年だった。祐一も良夫も服装は乱れておらず、真面目そうで、去って行った少年達のだらしない格好とは対照的だった。雅之も少しズボンを下げ詰襟のボタンを外しているくらいで、多分学校や家ではちゃんとしていると思われた。
 祐一と良夫は雅之の後を黙ってついて行った。雅之はイライラを隠せないようで、ポケットに手を入れたままどんどん歩いていく。このような状態の雅之を止められないことは、祐一は良く知っていた。(こいつはどうしてこげんなったんやろ・・・)祐一は雅之の背中を見ながら思った。彼も手をポケットに突っ込み、万一の時に備えて携帯電話を握り締めた。祐一たちの学校は私立で遠くから通う生徒が多いので、学校の許可を得れば、携帯電話を持つことが出来たのである。もちろん授業中や不正なことに使えば、その場で没収となる。

 祐一と雅之は家が近所にあり幼馴染なのだが小学校では同じクラスになることはなかった。しかし、同じ私立中学に入学し、2年の時晴れてクラスメートになれたのだった。だが、一緒のクラスになって祐一は驚いた。幼い頃素直でやさしかった雅之が、粗野でキレやすい少年になっていたからだ。それも頭のよい分性質(たち)が悪かった。祐一は雅之が心配で、出来るだけ注意して彼を見守ることに決めた。良夫は、中一から祐一と同じクラスになったのだが、何故か祐一と気が合った。だから良夫は祐一が雅之に構うのが不満だった。いつかトラブルに巻き込まれるのではないかと心配だった。それで、今回も祐一について来たのだ。
「雅之、もうやめようや」
 公園についた時、祐一はもう一度言ってみた。
「おまえ、身体がでかいわけでもないのに、一人でやったって逆にボコられるだけやぞ。」
 雅之は何も答えない。祐一はさらにやさしく言ってみた。
「な、マック寄ってなんか食って帰ろうや。腹へってきたやろ?」
 しかし、雅之はそれを無視して無言で公園を見回した。だが、幸いにも人のいる気配はない。いつも物陰で寝ている筈のホームレスの影がまったくなかった。祐一はほっとした。これで雅之もあきらめるだろう。コーヒーでも飲みながら、雅之に何故こんなに自暴自棄になっているのか思い切って聞いてみよう・・・。

 

「え~~~!?」
 由利子は驚いて素っ頓狂な声を出した。美葉があせって身を乗り出し由利子の手を押さえ、「しーッ!」というしぐさをした。由利子は少し赤くなって声のトーンを落として小さく続けた。
「今付き合ってる人に奥さんがいた?」
 うん、と美葉は首を縦にふった。
「で、子どもは? 居たの?」
「恐ろしくて聞けんかった・・・」
「はあ・・・」由利子は椅子からややずり落ち背もたれに寄りかかった。「何でそんなことに・・・」
 そう言いながら、由利子は美葉の様子を見た。彼女はバツが悪そうに下を向いていた。
「あの・・・さあ、なんでそんなこと今頃私に相談すると?」
 由利子は尋ねてみた。こいつ、何で今まで私と疎遠になっていたのか忘れてる?
「由利ちゃん・・・強いから、こういうときどうしたらいいかわかるかなあって・・・」
「強い? 私が?」
「だって、10年前由利ちゃんの彼氏が浮気して、結局その浮気相手と結婚してしまった時、由利ちゃんすっぱりと相手に譲ったじゃない。あれ、すごくカッコ良かったもん。だから私・・・」
「ちょっと待って」
 由利子は遮って言った。
「あのね、私があの時どれだけ悲しくて辛くて、そして悩んだと思っとぉと? 部屋の家具を半分くらい破壊したし、あいつに関するものは全部捨てたし、いろんな意味で高くついたよ。おかげで私は未だに男性不信なんだから」
 由利子は一気にまくし立てた。美葉は黙っている。
「それにね、あんた・・・。その彼と付き合うために、散々私を利用したやろ・・・? ―――ま、いいか、で、美葉はどうしたいの?」
 由利子は嫌味のひとつでも言ってやりたかったが、あまりに美葉が意気消沈しているのでそれ以上言うのをやめた。美葉は下を向いて何も言わなかった。それで出来るだけやさしい声で聞いてみた。
「美葉? どうしたの? いいから言いたいこと言ってごらん」
「由利ちゃんごめんなさい、ありがとう・・・」
 美葉はうつむいたまま言った。後半声が裏返って両目の辺りから光るものがぽろぽろ落ちてきた。
(あちゃ~、困ったな~。こんなところで泣かないでよ~)
 由利子は焦ってきょろきょろ周りを見回した。しかし、由利子の焦りを余所に、美葉は肩をふるわせて本格的に泣き始めてしまった。

 

 祐一が雅之をなんとかなだめすかして、やっと帰ろうと公園の出口に向かった時、ガサガサと音がした。ぎょっとして振り向くと、つつじの植え込みから男が這うようにして出てきた。この公園に住むホームレスのひとりらしい。そのただならない様子に祐一と良夫は一歩下がって警戒した。
「君達、お願いだ、誰か助けを・・・いや、救急車を呼んでくれ! 頼む!!」

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2.胎動 (4)公園の男

「みんな死にかかっとるんや! はよう・・・早ゥせんと死んでしまう!」
 オレンジ色の街灯の照らす公園で、男は必死の形相で言った。
「最初、杉やんが熱を出して倒れて・・・それから熱に浮かされて暴れ・・・て・・・みんなで止めた・・・んやけど・・・・・杉やんは熱に浮かされたまま・・・どっかに行って・・・た。―――何日かして、その時止めた奴らが次々倒れて・・・な・・・とか動けるの・俺だけ・・・杉やん、変な病気にかかっと・・・や。一人もうは生きとrか・・・わk・・・早う医者に診tもらわんと・・・あいつら、イマは俺のカゾク・・・今度こそ助けナイと・・・。―――あんたら、ケイタイもっt・・・る・・・やろ?」
 男は一気にしゃべろうとしていたが、息が切れてろれつもよく回らない状態だった。相手を楽勝と見てヤル気満々の雅之を抑えながらそれを聞いていた祐一は、気味悪く思いながら言った。
「あの、おじさん、救急車なら公衆電話でタダで呼べますよ」
「ここらは・・・え…駅まで行かんと・・・で・でんわ・・・ない・・・」
 携帯電話の普及でめっきり公衆電話の数が減っていた。
「早く・・・はやクして・・・みんナ・シンで・・・シマ・・・」
 最初、ある程度の知的レベルを感じさせていた男の言葉が、急速に劣化していった。祐一は何か不吉なものを感じ取っていた。
「何、ワケのわからないコト言ってんだよ!」
 雅之は怒鳴った。祐一は驚いた。こいつはこの異常な状況に何も危機感を感じていない。こんな病人を威嚇してどうするんだ? と、その時の一瞬の気の緩みから祐一は雅之から突き飛ばされてしまった。そのまま体勢を崩し地面に激しくしりもちをついた。突き飛ばされた時に雅之の手が顔に激しく当たり、鼻血がふきだした。
「西原くん!」
 良夫が驚いて駆け寄り、すぐに祐一の鼻にハンカチを宛がった。
「やめろ、雅之! そんな病人をいたぶってなんが楽しいとか!?」
 祐一は怒鳴ったが、すでにその時雅之は地べたにへたり込んでゼイゼイ言っている男を、容赦なく蹴り上げていた。男はもんどりうって倒れ、そのまま動かなくなった。(まさか、死んだのか?)祐一はぎょっとして男を良く見ると、ピクピク痙攣しているように見えた。生きてはいるようだが、かなり危険な状態みたいだ。救急車を呼ぶか?しかし、この状態をどう説明する・・・?
「なん寝とうとか!」
 雅之は男の襟首をつかみ上げた。男は鼻と口から血を流していたがそれも気にならない様子で、襟首を捕まれたまま周囲を見回すと震えながら言った。
「あ・・・赤い!アカイ!ミンナアカイ・・・! チクショウ、オレまで・・・!」
「何わからん事言うとるんか!そりゃ、街灯の色が赤っぽいけんやろうが!」
 もう一度殴ろうとする雅之を、今度は男が病人とは思えない力で突き飛ばした。雅之はなんとかバランスを取り倒れるのを免れた。
「ヤメロ!オレに近づくな!!」
 男は怒鳴った。それが雅之を刺激してしまい、男は再度蹴り上げられた。男は再びもんどりうって倒れたが、今度はすぐに起き上がった。その後の行動に祐一と良夫は凍りついた。男が「があッ!」と叫び、すごい勢いで雅之に襲い掛かったのだ。
「うわ!」
 雅之は叫び、そのまましばらく男ともみ合いになった。祐一はとっさに雅之を助けに行こうとしたが、良夫が全身でしがみついている。
「西原くん、危ないからやめて! 秋山君は自業自得だもん、少しは痛い目にあったほうがいいんだ!」
 確かに良夫の言うことは一理あるが、これはいわゆる「窮鼠猫を噛む」とは違うような気がした。その間に雅之はなんとか男から逃れていた。というより、男の方が雅之を放しそのまま力なく地面に座り込んだのだった。
「こいつ噛み付きやがった! それに手も!」
 雅之の右手の甲には引っかかれたらしい二本の傷跡があり、かすかに血が流れている。
「どこを噛まれたんか?」
 相変わらず良夫にしがみつかれた状態で祐一は聞いた。
「腕やけど、制服の上やったけんたいしたことない」
 雅之はつっけんどんに言ったが、楽勝と思った相手に反撃され、驚きと怒りでかすかに震えていた。
「こんクズがぁ!!」
 雅之は怒鳴ると、地面にへたり込んでいる男につかみかかった。
「おまえみたいなんは・・・。」
 と、言いかけて雅之は言葉を飲んだ。男が「ゴボォッ!」と嫌な音を立ててどす黒い液体を吐いたからだ。それは普通の吐物とは違ったすさまじい悪臭がした。それは、ある臭いを嗅いだことのある人には思い当たる臭いだった。男の内臓は生きながら腐り始めていたのである。
「うわぁ~っ!」
 雅之は驚いて飛びのいたが、すでに遅く制服のシャツにそれが飛び散った。
「な・なんやこれは!? 気色悪ッ!!」 
 それは雅之の手にもかかってしまったらしい。盛んに右手を腰の辺りで振っていた。男はそのまま倒れ、ゴボゴボと大量の黒い吐物を吐きながら激しく痙攣した。祐一は呆然としながらそれから目を離せなかった。気がつくと、彼にしがみついている良夫はすでにガタガタ震えており、恐怖でひきつける寸前のようだった。
「見たらイカン!」
 祐一は良夫を引き寄せると彼の目を覆い、自分もぎゅっと目を閉じる。大人でも正視に耐えない光景である。中学生の彼らに耐えられる筈がなかった。
 さすがの雅之もその場にヘタヘタと座り込んでしまった。いったい目の前で何が起きているかさっぱりわからなかった。男は痙攣しながら、両手で空をつかみ口をパクパクさせていた。それは何か言っているように・・・いや、誰かの名を呼んでいるように見えた。その後激しく弓なりにひきつけると、急に力が抜け手がぱたりと下に降りた。みるみる男の目から生きた光が失われていき、男はピクリとも動かなくなった。
 祐一はおそるおそる目を開けて男の方を見た。彼は今静かに横たわり、うつろになった目に街灯のオレンジ色の光が反射している。

 ――――死んだ・・・?

祐一は愕然とした。男のすぐ傍で、雅之が地面に座り込んで呆然と男の方を見つめていた。

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