1.序章 (2)近況報告
ようやく会社についた由利子はエレベーターを待つことにした。
彼女の会社はビルの3階にあり、普通なら階段を使うのだが、さすがに今日はその気力がなかった。その間に黒岩が走って来た。
(ありゃー、黒岩さんと同じ時間になっちゃったな。完全に遅刻だわ)
由利子は思った。黒岩は遅刻常習犯だった。黒岩は息を切らしながら汗を拭き拭き言った。
「あ、篠原さん、おはよう。大丈夫? もういいと?」
「はい、もう大丈夫です。ちょっとキツイけど」
由利子は答えた。エレベーターが到着し、ふたりは乗り込んだ。小柄な黒岩は由利子を少し見上げながら言った。
「このインフルエンザ、変とは思わんやった?」
「特に・・・。普通に高熱が出て普通に関節が痛くて普通に治ったような気がしますけど・・・。かなりキツかったけど、インフルエンザってそんなもんだし」
そこまで言うとエレベーターは3階に到着した。
「あ、着いちゃった。続きはお昼休みにね」というと、黒岩は元気よく駆けだした。その後姿を見ながら、ため息をついて由利子も歩き出した。走るなんて、まだとてもそんな元気は無かった。
「あのさ、そもそも新型でもない普通のインフルエンザが、こんな5月も終わり頃に流行るってのが変と思うっちゃん」
昼休み、黒岩が待ち構えたように2課の部屋に入って来るや、由利子の隣に勝手に椅子を引っ張ってきて、座りながら言った。由利子はまだ弁当を食べていた。まだ気分が優れず食が進まなかったからだが、黒岩が話しかけてきたので食べるのを断念し、片付け始めた。
「あ、ごめん、食べよっていいとよ」
黒岩が申し訳なさそうに言った。
「いいんです。実のところ、今日はあまり欲しくなかったから」
と、由利子が答えたので、黒岩は安心して続けた。
「普通インフルエンザのウイルスは湿度と高温に弱いけん、冬に流行するやろ? あの新型豚フルならいざ知らず、何で季節型が今頃大流行したんと思う?それもM町近辺限定でさ」
「季節性インフルだって、必ずしも冬場しか流行しないとは限らないでしょ? それに、強毒性が心配されているトリインフルエンザの発生地、東南アジアの方は、暑いし湿度も高そうじゃないですか」
「まあ、そうだけど、時期はずれの上に何でM町に集中してるのかって。それに・・・」と少し間を置いて言った。
「ひょっとして、例の特効薬、効かなかったんじゃない?」
そういえば、一向に楽にならなかった。そのせいで一週間も休むハメになってしまったのだ。
しかし、インフルエンザの抗ウイルス薬に耐性を持つウイルスについて以前新聞で読んだことを思い出し、黒岩に言おうとしたが、黒岩は質問のターゲットを違う方向にロックオンしていた。
「そういえば辻村君、あんたのインフルエンザ何処で拾ってきたん?」
「え~、オレですか~?」
今まで机に突っ伏して寝ていた辻村は、いきなり話題をふられて顔を上げ、赤くなった顔で眠そうな目をこすりながら言った。
「息子の通っている幼稚園で急に集団感染したとです。で、すぐに園を閉鎖したけどすでに遅く息子も感染してしまって・・・。そして、次にカミさんがやられてその後にオレが感染ったとです。一家全滅ですよ」
「で、辻村君から篠原さんと古賀課長に感染したんやね」
「申し訳なかったです。オレがちゃんと休んでいたら・・・」
辻村はしょんぼりとして言った。
「やけど、もう流行はほぼ終息したっていうことですけん」
「う~~~ん、やっぱとーとつやねえ」と黒岩。
「で、黒岩さんはどう思ってるんですか?」
と由利子が言った。内心(この人は言うことが大袈裟だからなあ)と辟易していたのだが。
「笑うなよ。遺伝子操作の新型で、きっとどこかの研究室から漏れたんじゃないかって思っとるんやけど」
「黒岩さ~ん、変な小説の読みすぎですよ~~~」
辻村が笑いながら言った。
「だから笑うなゆーたやん」
黒岩は少し顔を赤くして言った。自分でも若干そう思っているのだろう。由利子は笑わなかったが疲れが倍増した気分だった。
「は~い、もう1時過ぎてるよ~~~、持ち場に就こうね」
いつの間にか古賀が部屋に帰ってきていた。
「は~~~い、すんませ~~~ん!」黒岩はあわてて出て行った。2課はいきなり静かになった。
由利子は5時になると、直ぐに会社を出た。ぐずぐずしているとまた黒岩に捕まりそうだったからだ。雨は昼過ぎには落ち着いて、夕方にはもう薄日が差していた。この日は何処にも寄らずにまっすぐ帰った。
「にゃ~子、はるタン、ただいま~」
部屋に入るとすぐに愛猫の『にゃにゃ子』と『はるさめ』を呼んだが出てこない。
探したらベッドの中で仲良く熟睡している。室内で大暴れした形跡があった。久々にケージから出され、ヒートアップしたらしい。
「くぉ~ら、おまいら~~~。」
いつもならひっくり返しておなかモフモフの刑に処すのだが、今日はそこまで元気がなかった。それで彼女らはそのままにしておいて、あり合わせの材料で適当に食事を済ませて、ゆっくり風呂に浸かった。
「んんん~~~」
湯船で腕をぐっと前に伸ばしながら背伸びをした。節々が生き返ったような気がした。
(あさってあたりからジムに復帰しなくっちゃ)
病気で休んでいる間に、身体は鈍りに鈍っていた。
風呂から上がると、テレビとパソコンをつけてカフェ・オ・レを飲みながらまったりとメールやサイトのチェックを始めた。由利子のブログを見ると、彼女の身体を心配するコメントが沢山ついていた。インフルエンザで休んでいる間、当然更新も滞っていたが、昨日やっと数行近況を書いてアップしていたのだ。しかし、一々返事を書くのもまだ疲れるので、今日のエントリーでお礼を書くことにした。
みんな、ありがとう。もう大丈夫だよぉ~。 (`・ω・´) シャキーン
とか言って、ホントはちょっとキツイけどさ~。 ( ;-∀-)ノ
などと、テレ隠しにガラにもなく顔文字を多用して書いてみた。一通り書き終わったあと、今日のことも少し書いてみることにした。
でね、私の会社にいるKさんって人が、「これは遺伝子操作されたインフルエンザじゃないか」なんてスゴイこと言うんだよ┐('~`;)┌
ない、ないって(爆)じゃ、また明日から平常運転に戻りま~す。今日はもう寝るね。
と書いて、書き込みボタンを押した。
「これでよ~し」
そう言うと、さすがに疲れたので、本当に寝ようと這うようにベッドまで行った。布団をめくると愛猫たちが、相変わらずど真ん中に眠っていた。飼い主の帰ったのも知らずに爆睡している。
(こん子たちはもぉ~)
あきれながらも彼女らを避けるように布団に入り、そのまま電気を消した。
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