カテゴリー「No More Heroes」の32件の記事

2009年8月13日 (木)

折鶴の願い

 今年も、広島と長崎の原爆記念日が終わった。

 広島の上空で、人に対する攻撃で初めて核爆弾が使用されて64年。昭和より長い年月が流れた。その間、兵器として使用されたのは3日後の長崎に於いてのみで、それから64年間、人に対して武器として使用することはなかった。人類が幸運だったのか、ヒトという種がそこまで愚かではなかったからか。おそらく、その双方だろう。事実、キューバ危機をはじめ、あわやということが何度かあったのである。

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2009年4月27日 (月)

コナミ、イラク市街戦をゲーム化、米で批判受け断念 

 私はこのことを知らなかったが、今日、神浦さんのサイトを見て知り、あきれてものが言えなかった。

イラク市街戦をゲーム化、米で批判受け断念 コナミ
http://www.asahi.com/national/update/0427/TKY200904260151.html

コナミが、イラク・ファルージャの戦闘をゲーム化
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=1185

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2008年8月 9日 (土)

第63回原爆忌に思う

 今年の広島の原爆忌、平日だったので、私は去年と同じように会社に行く途中のバス停で、8時15分のサイレンが鳴るのを合図に黙祷しようと思っていた。しかし、ちょうどその時他の路線のバスが2台も目の前で停車、エンジン音が五月蝿くて、うわあ、聞こえね~と思っていたら、16分を過ぎていた。焦って黙祷。まあ、実際の炸裂時間は8時16分ごろらしいので、大目に見てくださいねと思いつつ、暑い中、わざわざ日傘を閉じて約一分間犠牲者の冥福を祈った。あの日、突然現れた人工の太陽に焼かれ、苦しんで亡くなった方の熱さを万分の一でも感じられるように。
 結局、今年の久留米はサイレンが鳴らなかったのだろうか。いや、去年鳴らして今年は無いとは思えないので、きっとバスのエンジン音と相殺されて聞こえなかったんだろう。

 長崎の原爆忌は、ちょうど土曜だったので、家で投下時間を迎えた。さすが太宰府、平和授業に力を入れているだけあって、きっちり11時2分には1分間盛大にサイレンが鳴った。私が転勤前に通っていた下関の小学校でもたしか、平和授業があったと思うが、登校日はどちらの原爆記念日でもなく、たしか毎年10日頃だったような記憶がある。
 太宰府は、ずっと8月6日と9日と15日には必ずサイレンを鳴らす。これにはいつも感動する。8月15日に鳴らす自治体はほとんどだと思うけど、原爆忌に鳴らす自治体はどれくらいあるのだろう。しかし、いつまでこれが続けられるのだろうと思ったら、少し不安になった。うるさいからやめろとか、興味のない人が何で11時2分なんて中途半端な時間に鳴らすんだ、とか文句を言い出して、そういう意見が増えたら中止になる可能性はありえないことではない。70回忌100回忌と、いつまで続くだろうか。しかし、これが続くということは、日本が平和であることの証明でもある。

 残念なことに、長崎原爆忌の前日、8月8日にロシアとグルジアが開戦した。すでにグルジアでは民間を含む千人単位の死者が出ているらしい。ロシアとの武力の差が歴然としているのだろう。

 日本は現在平和である。年金問題とか格差の拡大とか色々あるが、やっぱり世界の中では恵まれた国であることに変わりは無い。好きなものを着られる。言いたいことを言っても、ネットでどんな発言をしても、犯罪に関わらない限り、当局が来てどこかに連れて行かれるようなことは滅多に、無い。

 だが、平和ゆえに、人はそれを当然と受け止め、ぬるい平和にどっぷり浸かっているうちに、感覚が鈍り生きることに対する意欲が減っているように思われる。そのひずみから、一部の人間は、簡単に自殺に向かい、或いは大量殺戮に走る。最近よく効く言葉。「誰でも良かった。」そう、殺すのは自分でも他人でも良いのだ。日本人は、生きることに対しての執着が弱くなっている。

 それでも、そんな今の日本でも、紛争地域や厳しい環境におかれた人たちにとっては夢の国だろう。たとえ、それが多くの血の上に立つ、腐りかけた平和であっても。

 日本人は、今の平和な状態にもっと感謝し、この国が世界では特別に平和な国であることをもっと認識せねばならないと思う。そして、その土台には、あの戦争で亡くなった数多の方々が居られることを忘れてはならない。

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2008年4月12日 (土)

チベット問題関連

チベット事件のまとめガイドライン
http://www8.atwiki.jp/zali/pages/1.html

参考にどうぞ。

追加

わが聖地・チベットの苦しみ:野口健(アルピニスト)
http://news.goo.ne.jp/article/php/world/php-20080410-01.html

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2007年11月 4日 (日)

エノラ・ゲイの機長、92歳で死去

 ポール・ティベッツさん、長生きでしたね。92歳も生きることが出来てよかったですね。

 死ぬ時怖くなかったですか? あなたが殺してしまった何万もの人々が待つ場所へ行くことに。

 私は、多くの人が思っているように、あれはあなたの責任とは思ってません。あなたはご自分の任務を遂行されただけです。軍人であれば命令は絶対だし、また、あなた自身もあれほどの威力と思っていなかったでしょう。あの雲の下で、本来なら守られるべき多くの女性や子どもやお年寄りが、想像を絶する生き地獄を味わうなんて思っていなかったでしょう。もし、そんなことを想像できたのなら、あなたがあの機体に母親の名前をつけるとは思えないから(でも、あなたのお母さんは喜んだでしょうか)。それに、あなたが行かなくても、他の人が実行したことでしょう。

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2007年10月18日 (木)

IT WAS YOU!

 HEY! イラン! 核武装なら「第3次大戦」かもだにょ。 by ジョージ・ブッシュ

    お茶噴いた。

 

 現在のカオス的状況を招いたのは誰のせい?

 これは誰が始めた「テロとの戦い」の結果?

 アフガンのついでに911とは関係ないイラクを攻撃したのは誰?

 イラクをアルカイダの巣にしたのは誰のせい?

 イランをこんなに追いつめているのは誰のせい?

  おまえのせいだよ!!!

 因みに世界でダントツに核兵器を所有しているのはどこの国?

  アンタの国だよ!!!!   

 

    いい加減にして欲しい・・・。orz

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2007年9月15日 (土)

「死にきれない者」~マスメディアとつきあう為の、12の方法序説」より転載

 今回の安倍総理退陣劇について書かれた、すばらしい文を紹介する。なお、この記事の転載については、元ブログ「マスメディアとつきあう為の、12の方法序説」の竹山さんの許可を頂いております。(下のタイトルをクリックすると元記事に飛びます)

死にきれない者
       2007.09.15 Saturday

 かつて国民の人気を一身に集めた者が、最後の念頭にうかべていたのは、国民の姿、国民の願いなどではなかったこと。

 国民の「英雄」にまつりあげられ、彼自身も、その人気を国民の幸福のために活用しているのだと信じこんでいた政治家が、最後の瞬間に、戦没者やその遺族たちの、うずまいて沈められている心理とは、はるかにかけはなれた「心理」にたてこもっていたこと。

 彼一身の「残念」が、ほかの無数の知られざる「残念」を、忘れさせてしまっていること。

           武田泰淳『政治家の文章』p87、岩波新書
                      1960年6月17日第1刷

▼武田泰淳は『政治家の文章』(1960年)で、「政治家の死」について書いている。【】は原文傍点。

 いかなる「志」の綱も「名言」の網も、ついに捉ええない虚空の如き「政治」は、いつか、【呑みこもうとした人間】に復讐するのである。
 こっちが呑みこんだはずの「政治」の咽喉もとから、逆にあっけなく吐き出されること。それが、政治家の死である。
 それでも死なない人は、はじめから政治家として生きていなかったのである。「死にきれない者」のみが政治家でありつづけることを、果して一九六〇年代は許すであろうか。   ~p112

▼安倍首相は9月9日、シドニーで、海上自衛隊のインド洋上の給油活動を継続させるために「職を賭して」取り組むと言い、10日、招集された第168臨時国会の衆院本会議で、所信表明演説を行い、11日、官邸の連絡会議で、海自の活動を継続させる新法案を成立させるため「政府、与党は一致団結して難局に立ち向かってほしい」と言い、

12日午後2時

 緊急の記者会見で、「本日、総理の職を辞するべきと決意を致しました」と言った。そして13日、慶応病院に入院した。

 安倍首相の辞意表明は“政治的な死”だろうか。まさしくそうだろう。それとも彼は、「はじめから政治家として生きていなかった」のだろうか。
 翻って、慌ただしい自民党総裁選の段取りのなかで、「死にきれない者」の顔をしている政治家が、垣間見えるだろうか。

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2007年9月13日 (木)

I HATE YOU.

 次の総理大臣候補に大わらわ。マンガ大好き麻生さん、妙に嬉しそうだったね。

 だけど、これだけは・・・

 

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2007年8月 9日 (木)

第62回 長崎原爆忌

 1945年8月9日午前11時2分。

 人間に対して2度目の核攻撃がなされた、あの日から62年がたちました。

 広島に使用したのはウラニウム爆弾、長崎に使用したのはプルトニウム爆弾です。3日を置かず、異なる種類の原子爆弾を二つの都市に落としました。加害者であるアメリカは被爆者のデータだけ取って治療はしませんでした。日本の医者が、治療法を模索しながら必死で治療にあたったカルテや、今後のために保存していた色々なものを全て没収し、自分たちの核戦略データに加えました。報道規制を敷き、広島長崎の惨禍をを記録したものも全て没収し、被爆者達が体験を語るのを規制しました。

 それでも、原爆は戦争を終わらせるために必要だったと彼等は言います。しかし、以上のことから、明らかに原爆が都市と人間に与える破壊の効果を知るための実験だったと断言します。

******

 今日は、11時に会社の外に出ていった。空は青く晴れていて、「長崎の鐘」の歌詞そのままでした。敷地境界の低い塀に座って静かに目をつぶりました。遠くで小学校か中学校のアナウンスの声がしました。きっと平和授業で登校しているのでしょう。
 11時2分ごろ、いきなりつむった目の前がパアッと明るくなりました。多分一時的に薄雲に隠れていた太陽が顔をだしたのでしょう。しかし、一瞬自分が光に浮き出したような不思議な気持ちになりました。あの時見た光はこの何倍もの閃光だったんだろうなあ。熱かっただろうなあ・・・。耳を澄ますと、遠くでサイレンが鳴っているような気がしました。
 6日は追悼のサイレンがなりました。それで、ここら辺ではどうだろうと思っていましたが、多分6日と同じところがならすサイレンが風に流れて聞こえてきたのでしょう。でも、ひょっとしたら空耳だったかもしれない、そんなかすかな音でした。

 たった一人での黙祷が終わったので、私は立ち上がって仕事に戻りました。青い空と浮かんだ雲があまりにも明るくて、悲しいほど明るくて・・・。

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2007年8月 6日 (月)

第62回 広島原爆忌

 1945年8月6日午前8時16分。

 人間に対して初めて核攻撃がなされた、あの日から62年がたちました。

 今朝は、朝っぱらからずっと、何故か飛行機の音がしていて、肌がざわざわする感じで気持ち悪かったです。まあ、いつもそうなのにナーヴァスになっているからそう聞こえたのかもしれません。

 で、今日は平日で8時15分は通勤中なので、13分だけど絶対に遅れて15分過ぎに来るだろうバスに乗ることにしました。いつもは間に合えば8分予定のバスに乗ります。ルートが違うので、どっちに乗っても到着時間はあまりかわらないのですが、暑いのでどちらか来たバスに乗るようにしてるのです。今日は駅でパンを買わなかったので8分のほうにも間に合ったのですが、それを右から左に受け流して(笑)、次を待ちました。
 しかし、8時15分はどうやって知ろうかな、時計持ってないしと思っていたら、なんと、サイレンが鳴り始めました。こっちに通勤をはじめて8年になりますが、久留米でも8時15分にサイレンが鳴るなんて知りませんでした。車の騒音で良く聞こえなかったのですが、間違いなく追悼のサイレンの音でした。

 日本中で、どれくらいの自治体が8月6日8時15分に追悼のサイレンを鳴らすのでしょう?ウチも鳴るよって、良かったらコメント下さいね。

 ヒロシマ・ナガサキの原爆犠牲者方々ののご冥福をお祈りいたします。過ちは繰り返させません。

■去年の記事「第61回原爆忌に思う」 
  いろいろな原爆関係のリンクがあります。

 

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