土田よしこ『ザ・ブー』
子供の頃読んだ話で、ほとんど覚えていないのに部分的にだけキョーレツに覚えていたりすることがある。この、土田よしこの「ザ・ブー」という漫画がそうだ。
この漫画は、ここを見るとわかるが、『りぼん』の1970年9月号から同年12月号までの4か月間に掲載されていた、短期連載漫画である。
まあ、もともと短期連載ではなく、打ち切りだった可能性もある。
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子供の頃読んだ話で、ほとんど覚えていないのに部分的にだけキョーレツに覚えていたりすることがある。この、土田よしこの「ザ・ブー」という漫画がそうだ。
この漫画は、ここを見るとわかるが、『りぼん』の1970年9月号から同年12月号までの4か月間に掲載されていた、短期連載漫画である。
まあ、もともと短期連載ではなく、打ち切りだった可能性もある。
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2ちゃんねるの昭和特撮板を見ていたら、こんなのがあった。
昭和特撮によくあるシーンを挙げるスレ
1 :どこの誰かは知らないけれど:2007/06/20(水) 17:55:32 ID:pmTVvWZW
南洋の孤島で原住民がダンス
防衛隊が車でパトロール中に、子供と戯れる(サボり?)
etc.....
※スレッドの続きを読みたい方はこっち↓
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/rsfx/1182329732/
大いにウケた。特にウケたのはこれ。
26 :どこの誰かは知らないけれど:2007/06/22(金) 15:01:05 ID:K45e/Voa
巨大ヒーローを大きく見せる為登場シーン等でローアングルが多用されるが、
78%の確率で股間がモッコリしている。
業界ではM78の法則と呼ばれている。
ぶははは、しかし、78%の確率って調べたのか?
しかし、特撮ともっこりは切っても切れない関係にある。元祖もっこりの「スーパージャイアンツ」を演じた宇津井健にとっても、これは黒歴史で、かつてそれについて質問したら烈火のごとく怒ったらしい。まあ、特撮に出ていたことが黒歴史な俳優女優は大勢いるみたいだが。しかし、最近はそれを足がかりにして有名になる役者も増え、時代も変わったものである。
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以前(2005年12月14日)、「懐かしのローカルバラエティ番組」というエントリーで、「ひよこのど素人天狗ショー」という番組をみんな知らなくて困るという内容のことを書いたが、やっと2ちゃんねるのあるスレッドで情報を確認した。やはり「牧伸の東芝ハレハレゴーゴーゴー」はその流れを汲む(後番組か?私にもそういう記憶がある)番組だったようだ。司会はこれもやはり記憶どおりトニー谷だったらしい。
以下に該当スレッドと該当箇所をコピペしておこう。
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小学校の頃、理科の授業で青虫を持っていくことになった。いわゆる鱗翅目※の幼虫である(毛虫が持っていく範疇にあったかどうかは覚えてない)。
私は蛾が嫌いだった。だったではない、今も苦手である。ただし、写真で見れるくらいは克服している。それでも、子どもの頃はモンシロチョウあたりならつかめるくらいの度量はあった。しかし、モンシロチョウ・キチョウ・アゲハチョウ以外、ヒカゲチョウあたりの眼模様が目立つようなシロモノは触覚が先太りであろうが、翅を閉じてとまろうが、全部私にとって「蛾」であった。
いまでこそ、蝶が蛾のなかの特殊なグループを指すこと、外国では蝶と蛾の区別がない国があること(例えばフランス語は蝶も蛾も「パピヨン」である)、蝶と蛾の明解な区切りはないこと、蝶と蛾の一般的な見分け方があるが(蝶と蛾の違い)、どれも例外があることを知っている。すなわち、胴の太い蝶もいれば触覚先細りの蝶もいる、派手な蛾もいれば地味~な蝶もいる、昼間飛ぶ蛾もいれば蝶が夜明かりにつられてやってくることもある。見かけが蝶そっくりだけど、触角が糸のような蛾だっている。
小学校に入り立ちの頃は、近所のお姉さんが二人迎えにきてくれていた。いつごろからか来なくなってしまったが。
ある日の朝、私が準備を終え出て来たら、お姉さんたちの前にモンシロチョウがひらひらと飛んで来た。お姉さん達がきゃあきゃあ言いながら捕まえたら、なんと2匹いる。これはお得だってんで、一人一匹ずつ分けようとしたら、なんとお尻から緑色の何かがびろ~んと出てきた。「キャッ!」と叫んでお姉さんたちは蝶を離した。すると、彼らはモツを出したままどこかへ飛んでいってしまった。
多分交尾しながらのランデブーだったんだろうが、それに夢中で小悪魔小学生がいるのに気がつかなかった蝶の不運であった。まあ、そういうときに周りが見えないのはヒトもチョウも同じかもしれないが、かわいそうだが彼らが子孫を残すことは不可能だっただろう。
さて、話を冒頭にもどそう。
小学何年だったか忘れたが、理科の授業に青虫を持って行くことになった。青虫は祖母が畑から取ってきてくれた。きれいな緑色の青虫が2匹いた。それで、フタ付きのガラス瓶にキャベツを入れて、意気揚々と持って行った。その日は朝から雨が降っていて肌寒かったと記憶している。梅雨時だったのかもしれない。
授業は無事に終わったが、一体どんな授業内容だったか皆目覚えていない。蝶の一生あたりを習ったのかも知れないし、観察だけが目的だったかもしれない。
学校が終わり、雨の中をとぼとぼと歩いて校門を出たところで、ふと青虫の様子が気になって、手さげ袋からビンを取り出した。元気にしてるかなあ・・・。
ところが、ビンの中身を見て私は震え上がってしまった。
なんと、一匹がもう一匹の仲間をさかんに食べていたのだ。
すでに半分くらいは食われていた。多分食草が違ったのだろう。今も覚えているが、今考えたらあれはどうみてもモンシロチョウの幼虫ではなかったのだ。後ろ側に突起がついていたし、多分スズメガの一種だったんだろうと思う。考えたら酷いことだ。「食べ物」のない狭い瓶の中で、腹を空かせた彼等の弱いほうが食われてしまった。文字通りのデスマッチである。生物の遺伝子の中にある生き残って子孫を残すという指令。彼等はそれに従っただけなのだ。
いったい祖母はどこから彼らを取ってきたのだろう。取ってきたのならその虫がいた植物も一緒に採取するべきである。しかし、祖母の頭の中には青虫=モンシロチョウの幼虫=食草はキャベツという図式が成り立っていたに違いない。
それまで大事にしていた青虫が、急におぞましいものになってしまった。もう手さげの中に入れたくなかったし、かといってそんな悲惨なものを手に持って、雨の中30分の道のりを歩く勇気もなかった。要するに一刻も早くそれからおさらばしたかったのだ。仕方がないので私は、近くの草むらに瓶ごと放置して逃げた。彼が瓶から出れるように一応フタは外しておいたが、無事成虫になれただろうか。
今なら、生き残りに「佐川君」という名をつけて無事成長を見届けたかも・・・、いや、無理だ。ワクテカで観察していたら、出てきたのが特に苦手なスズメガだったら、卒倒モノである。
ここ2・3日、日中の暑さは尋常ではなかったが、もうすぐ梅雨がきて本格的な夏を迎える。夏は虫たちの季節だ。ここしばらくはなかったが、蛾が室内に紛れ込み、一人会場大パニックになることはよくある。今年も無事に夏をすごせますように。
※「りん・し・もく」と読む。蝶や蛾。最近はチョウ目と表記しているところも多い。しかしながら、蝶が蛾の特殊形態であるならガ目とすべきだと思うが、「がもく」では様にならないような気もする。とりあえず、このブログでは「鱗翅目」で統一しようとおもう。
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CM、テレビドラマに続いて、今日は昔のアニメ主題歌について書いてみよう。アニメなんてしゃれた呼び名ではなく、テレビマンガと呼ばれていた頃の話だ。
例によって歌詞は私の記憶から書いているので、覚え間違い等あると思う。完全ではないことを考慮しておいてください。また、訂正部分があればコメント欄でお知らせください。
ハッスルパンチ
ここは愉快な波止場の町だ
船の汽笛も聞こえるよ
お金ないけど泣くヤツぁないぜ
悪いやっちゃどんどんやっつけろ
あ、ハッスルハッスルハッスルパンチ
パンチ・タッチ・ブン
パンチ・タッチ・ブン
パンチ・タッチ・ブンGo!Go!Go!
これは、動物キャラアニメでパンチが小熊(?)でタッチがネズミ(?)ブンがイタチだった記憶がある。悪役のガリガリ博士はオオカミで、たしか二人の子分(助手?)を連れていたと思う。助手はなんの動物だったか忘れた。ストーリーはほとんど覚えてないくらい昔のアニメ。
ところで、大体悪役は二人子分を連れているのがセオリーになっている。ドロンジョにはトンズラとボヤッキー、スカイキッドブラック魔王にはヘッピリーとビックリー、ココロの親分(悪役か?w)にも二人の子分がいたし、いったい何からそういう暗黙の決まりが出来たんだろうね。
ファイトだ!ピュー太
ファイト!ファイト!
ファイトだ!ピュー太!
ファイトだ!ピュー太!
山を渡れば海があるイェイイェイェイ
海を渡れば陸があるイェイイェイェイ
何処まで行ってもイェイイェイ
途中で止めないイェイイェイ
カラスのおしゃべりドンドドン
火を噴く岩でもドンドドン
嵐の島でもドンドドン
だからファイトもファイト
イェイイェイェイイェイ
ファイトだ!ピュー太!
ファイトだ!ピュー太!イェイイェイ
主役は今野ピュー太。コンピュータだな(笑)。クライマックスはだいたいピンチになるが、ピュー太のじいちゃんが頭を強打するといきなり「ひらめいたひらめいたひらめいたぞ~~~!」と叫び、「ムッシュムラムラ、ムッシュムラムラ」と言いながら発明品を作って敵のワルサー博士をやっつける展開(「ムッシュムラムラ」は「宇宙忍者ゴームズ(ファンタスティック・フォー)」のガンロックよりこっちが先だったと思う。声優は同じ関敬六)。ダチョウ倶楽部の「ムッシュムラムラ」ネタは多分これがルーツ。
余談だが、その後、洋物でホンマモンのチンパンジーを実写で使った「チンパン探偵ムッシュバラバラ」ってのがあった。主題歌は「アアン・アアアアアア~ン チョイと出ましたチンパン探偵ボクちゃんサルちゃんチンパンちゃん その名も高きチンパン探偵 ムッシュバラバラバ~ラバラ 慌てん坊で早とちりドヒャヒャとずっこける メスもしらけるオスもしらける 悪悪じいちゃんチンパンじいちゃん 悪悪ばあちゃんチンパンばあちゃん まっかっかなおヒップ蹴っ飛ばせ~蹴っ飛ばせ(多分1番2番が混ざってる)」だった。子どもの頃これをお風呂で大声で歌ってたら、母からマジで怒られた。確かに女の子の歌う歌じゃないな。
冒険ガボテン島エンディング
いつもふたりはコンビ・ビ
いつもふたりはコンビ・ビ
ケロケロケロちゃん フフ~ン
トマトトマトトマトちゃん フフ~ン
ケロちゃんトマトちゃん
ふたりは仲良しだ ホ・ホ~ン
仲良くしようよ キュッキュッキュッ
握手をしようよ キュッキュッキュッ
押しくらまんじゅうをついでにしようよ
キュキュキュキュキュキュキュキュキュッキュッキュッ
いつもふたりはコンビ・ビ
いつもふたりはコンビ・ビ
ケロケロケロちゃん フフ~ン
トマトトマトトマトちゃん フフ~ン
ケロちゃんトマトちゃん
ふたりは仲良しだ ホ・ホ~ン
5人の少年少女が無人島に流れ着いて、そこでサバイバルする冒険マンガ。「ガボテン」というのが口癖(鳴き声かも)の和尚という何故か日本語をしゃべるフクロウがいて、島のルールなどを教えていた。紅一点のトマトちゃん(かなり可愛い。今で言う萌えキャラ)はケロちゃんという九官鳥(多分)、ムードメーカーのガボちゃんはごりちゃんというゴリラと仲良くなった。OPはけっこう有名だと思うのでEDのほうを書いてみた。
戦え!オスパー
大きな声で呼んでごらん
オスパーの名前を呼んでごらん
闇夜に光る星よりも
地上を明るく照らすもの
その名は、ほら
オスパーオスパー
僕らの味方
オスパー おおおお
僕らの味方
なんと作詞が寺山修司で作曲が冨田勲、歌が山田太郎だ。♪僕のあだ名を知ってるかい 朝刊太郎と言うんだよ♪
内容はまったく覚えておりまへん。日曜の午前中放映されていたと思う。ちと遅い朝ごはん食べながら家族で見たなあ。
この手の宇宙少年モノは「遊星少年パピー」「宇宙少年ソラン」(今見ると、マスコットのチャッピーは全然可愛くない)あたりがあってけっこう量産されていた。その頃読んだ福島正美のSF入門とかいう本に「昨今どこからか来た宇宙少年が悪者退治をするような番組が増えているが、そういうのはSFではない」みたいなことが書いてあって、「SFじゃなかったんだ」と妙な落胆を感じたことがあります。同じ宇宙少年モノでも「宇宙エース」は設定がしっかりしていて、SFと認めてもいいんじゃないかと思う。
光速エスパー
バババババビューンと空を飛ぶ
バババババビューンと空を飛ぶ
光りより速いのさ
輝く強化服カッコイイぞ
ぼくらのぼくらの光速エスパー
ピピピピピピピーンと誰か呼ぶ
ピピピピピピピーンと誰か呼ぶ
今行くぞ 待っていろ
七つの能力カッコイイぞ
ぼくらのぼくらの光速エスパー
東芝提供の実写版。アニメじゃないけど何故か書いてしまいました。光速エスパーの電気鉛筆削り機はわりと最近まで使ってました。モーターもの、それも昔のものは長持ちするなあ。
ちょっと前、ケーブルテレビで1話だけ見たが、地球を調べに来た宇宙船が、個人の飛行機とぶつかり墜落して地球人一家を殺してしまう、良心の呵責を感じた宇宙人科学者夫婦は少年を蘇らせ、自分らは殺してしまった両親に成りすますというすごい展開でひっくり返ってしまった。
遊星仮面
「誰だ!?」
「人呼んで遊星仮面!」
戦争をやめろ!地球の危機がやってくる
その日その時現れた マスクとマントの正義の子
その名は人呼んで 遊星仮面
シュシュシュと行くシュシュシュと飛ぶ
ウルトラシューター
ギュンと行くギュンと飛ぶロケットライダー
その名は人呼んで遊星仮面
これも、設定がしっかりしていたように思う。主人公のピーターは地球人の父とピネロン星人を母に持つハーフである。地球とピネロン星は交戦状態で、ハーフのピーターは辛い思いをして暮らしている。彼が身を寄せている家の娘リンダとその父は大切にしてくれるのだが、他の人たちは何かあるとピーターを「ピネロンの混血め!」と下げずむのだ。しかし、ピーターにはある秘密があった。
そして最終回はとても子ども番組とは思えないほどの衝撃的な結末を迎えた。
とにかく遊星仮面はやたらかっこよくて憧れたなあ。
カミナリ坊やピッカリ・ビィ
ピッカリピッカリピッカリB
ピッカリピッカリピッカリB
ピッカリハットをチョイとかぶり(ララララン)
空に浮かんだ変なやつ
小さい雲からザッと雨降らせれば
わんぱくシックス あっぷっぷのぷ
ピンタラポンタラピンタラポンタラ
ピンタラ逃げるなゴエモン!
ピッカリ光線おヘソにおヘソに
花が咲く
(ゴエモン)「ぴんたらぽんたらぴたらぽんたら
う~ひゃうひゃうひゃ、参ったでござるよ~~~」
ゴエモンは正確には005右衛門で、声は初代マスオの近石真介。ピッカリハットという花が一輪咲いているシルクハットを取られると、力を失ってカミナリが出せなくなる。必殺技はピッカリ光線で、これを浴びせられるとおヘソに花が咲いてくすぐったくて笑いが止まらなくなる。いや、これ下手したら死にますぜ、マジで。ワンパクシックスのポン太の家に居候している。
これからは少女アニメを2つほど。
魔法使いサリーエンディング
ぼくたち腕白トリオだぞ
悪戯するのが大好きさ
女の子なんかいじめちゃえ
(よしこ)「おやつあげないわよ!」気は優しくておしとやか
その上美人で力持ち
勉強嫌いが玉に瑕
(三つ子)「いいぞ!ねえちゃん!」チビでも魔法の天才だい
頭も優秀身も軽い
怖いものなぞあるもんか
(サリー)「ホントかしら?」お茶目でオテンバあわてんぼ
時々センチになるけれど
可愛いサリーは人気者
(カブ)「ちぇ!しょってら!」
少女アニメ第一号の超有名なアニメですね。少女アニメ第一号が魔女っ子ものだったなんてのは、なんか象徴的です。月曜7時から少女アニメ7時半からアメコミアニメというのが何年間かデフォルトでしたね。サリーちゃんは魔法の国の王女様なのに着たきり雀で冬も半袖、なんて、子どもの頃は全然気にしなかったなあ(笑)。
ポロンちゃんが、魔女だったことを忘れてお母さんのもとに戻っていった話は、最終回より切なかったなあ。
あかねちゃん
ドカンポンカントンチンカン
ドカンポンカントンチンカン
グズグズした人いやいや
気取り屋さんも大嫌い
元気のいい子は寄っといで
木登り教えてあげようか
口笛吹き吹き歩こうか
わたしはお茶目な
あかねちゃん
いじめられても泣かないけれど
優しい心に弱いんだ
ドカンポンカントンチンカン
ドカンポンカントンチンカン
グズグズした人いやいや
気取り屋さんも大嫌い
元気のいい子は寄っといで
木登り教えてあげようか
口笛吹き吹き歩こうか
わたしはお茶目な
あかねちゃん
これは、なんとちばてつや原作の少女アニメだ。田舎で育てられた少女が、名門の学校に入っていろいろな難問を乗り越えていく話。綾小路秀麻呂という馬鹿ボンに好かれる。あかねちゃんの特技は叔父さんから習った催眠術。「アパラチャ・ポンポン!」で、どんな人でも催眠術にかかってしまう。やりすぎてピンチになってしまったこともある。
この歌とパーマン第1作の主題歌は子どもの頃、アニメとおんなじ声で歌うことが出来た。今ならモノマネ番組に出れたなあ(笑)。
おまけ。
レインボー戦隊ロビンエンディング
リリの歌
リリィ リリ おしゃれなリリ
リリィ リリ かわいいリリ
リリィ リリ 街を行けば
みんながささやくよ ステキなリリ
リリィ リリ おセンチリリ
リリィ リリ やさしいリリ
リリィ リリ 森を行けば
小鳥もさえずるよ ステキなリリ
ご存知レインボー戦隊の看護婦ロボット。今ならそれだけで萌えですな。リリが主役を張った回もありました。いささか悪ノリ気味でしたが。
こんなの見つけました。右サイドのお気に入りリンク集にも入れてます。他にも懐かしサイトがありますので、リンク集も見てくださいね。
昭和30年代生まれのためのテレビまんが大全集
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私はお好み焼きとかたこ焼きとかいう、水で溶いた小麦粉の生地を焼いてソースをつけた類のものが好きだ。しかし、それらにマヨネーズをかけて食べることは許せない。何でも同じような味にしてしまうその神経が判らない。だからといってマヨネーズが嫌いなわけではない。時折マヨネーズしょうゆで食べる温野菜とか大好きである。
余談だが、ストラングラーズのJJ・バーネルはマヨネーズべったりが好物らしい。
しかし、何故そんなにソースモノが好きになったのだろう。それは子供時代の記憶によるものだった。
お好み焼き・たこ焼きとくればイカ焼きであるが、私が子どもの頃、下関大丸は別の場所にあり屋上が小さい遊園地になっていた。たしか観覧車があったと思う。そこに喫茶軽食コーナーがあり、ソフトクリームやらなんやら売っていた。何やらと書いたのは手抜きではなく、ある一つの食べ物しか印象にないからだ。その食べ物が「イカ焼き」だった。イカ焼きと言っても縁日で売っているような、イカ本体を焼いてタレを付けたものではなく、大阪名物の方だ。ただし、検索先を見てみると、どうやらネギや卵が入っているみたいだし、以前福岡で2箇所ほどのお店で買ったものはその上キャベツなんぞも入っていたが、大丸の屋上で売っていたものは、そんなに具は入ってなかったように記憶している。まあ敗戦の後遺症が残り、まだ裕福とはいえなかったころの話なので、具も貧弱だったのかもしれない。小麦粉の生地を薄く丸く伸ばしてイカの切り身を入れ、焼いて特製ソースをかけたものを、油紙で包んで渡されるだけの単純な食べ物だったような気がする。イカ焼き機でプレスしていたような記憶もない。しかし、それがとても美味しかったのだった。このイカ焼きがお好み焼きのルーツなのか、お好み焼きから派生したのがイカ焼きなのか私にはわからないが。
家のすぐ近所も近所、歩いて数秒のところに「M」という駄菓子屋があった。近くのよしみでたまに当りくじを引かせてくれたりした。そこには狭いながらもカウンターがあり、夏になるとかき氷、季節を問わずうどんを食べることができた。そして、歩いて1・2分のところに「T」という駄菓子屋があった。そこにも小さい店ながら鉄板付のカウンターがあり、お好み焼きやら焼きうどんやらを食べることが出来た。
この故郷の駄菓子屋関連の話は次の機会にすることとして、今回のテーマである「T」のお好み焼きの話をしよう。
ここのお好み焼きと焼きうどんは大好きだった。焼きそばもあったような気がするが、焼きうどん派だった私にはその記憶がない。
下関のお好み焼きは、広島が近いせいか広島風お好み焼きに似ていた。
参考がてら「T」の作り方を書いてみよう。まず熱した鉄板に油を入れ、大根や人参のヘタ部分を再利用した油引きで伸ばす(これは「T」独特だったかも)。そして小麦粉を溶いた特製生地を流し丸く伸ばして、魚粉をパラパラとまぶす。その上にキャベツともやしを沢山載せ、しばらく焼くとその上にまた軽く生地をかけてから裏返す(卵を入れる時はこの時にいれる)。ヘラで押さえながら余分な水分を飛ばし、焼けた頃にまた裏返しソースを塗る。こぼれたソースが鉄板でジュッと焼けて、おいしそうな香りが攻撃してくる。そして半分に折ってからまたソースを塗り、その二つ折りのまま碁盤目にヘラで切れ目を入れてからお皿に載せて客に渡す。野菜だけのお好み焼きが、たしか25円だったと思う。肉なんて高級なものは入ってなかったが、これが実に美味かったのだ。それ以外に入れたい具があった場合は客が好きなものを持ってきてOKだった。ウチは時々だが卵を持参していた。卵はその店にもあったのだが、家から持っていったほうが安上がりだったからだ。それでも嫌な顔をされなかったのは時代がのどかだったからだろう。
一度、母からお好み焼きを2枚買って来てといわれ、50円玉を握りしめて行ったのだが、あの短い距離の間にいつの間にかお金を落としてしまった。気がついて探し回ったのだが、どこにもない。怒られる!と思ってなかなか家に帰れなかったのを覚えている。しかしよっぽど情けない顔をしていたのだろう、大笑いされて新たに50円もらって再度お使いに行った。たかだか50円と笑うなかれ。当時葉書用の切手が5円だった時代である。
それから数年後、「T」より少し手前に「F」という食堂が出来て、そこのメニューにもお好み焼きがあった。しかし。私はそこのはあまり好きではなかった。出来上がりがなんかじっとりとしていたからだ。店が違うとこんなに味が変わるのかとびっくりした。母は何故か「F」の方が好きだったようだが、後で何故特に「F」のお好み焼きが好きじゃない原因がわかった。具の野菜にしこたまネギが入っていたからだ。それも太ネギである。
作り方に関しては、下関の繁華街にあった、祖母の親戚のお好み焼き屋も同じようだったから、きっとあれは下関風お好み焼きだったんだろうと思う。
しかし、小6の時に父の仕事の関係で福岡に転勤になり、春休みと盆正月あたりしか帰郷しなくなってしまった。おまけに中学生になってから、そういう駄菓子屋とは疎遠となってしまった。そんなこんなで時が経ち、「M」も「T」もいつの間にか無くなってしまった。「F」もしばらくやっていたようだが今は影も形も無くなっている。下関自体がだんだんと景気から遠のき、故郷の町もこんなに小さかったのかというくらいこぢんまりしてしまった。かつて1000人の児童を抱えていた小学校は、今は新入生が10人に満たないという。その割りに宅地が増え、こぎれいな家が並んでいたりする。多分定年退職した人が他所から戻ってきて、余生を故郷で送ろうとしているのだろう。
そして、今下関にあるお好み焼き屋は、ほとんどが関西風になってしまった。関西風なら客が自分で焼きやすいからというのもあるだろう。あの下関独特のお好み焼きは絶滅してしまったのだろうか。
いつか機会があれば、下関でお好み焼きの看板を出している店をはしごして、昔風の作り方を守っているところを探してみたいと思っている。
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私が山口出身で、郷里が関門海峡のすぐ近くだということは以前書いたと思う。今は多分全面遊泳禁止ではないかと思うが、私の子供の頃は年によって泳ぐことが出来た。どういう基準で遊泳禁止が解除されていたのかは知らないが、よくあんなところで許可がおりたと思う。
海流は早いし、一部を除いては岩だらけだし、石油タンクが近くにあるので何となく石油臭かった。取れた魚もかすかに石油臭かった(妹の魚嫌いは多分そのせいだと思う)。だから、私にとっての磯のニオイの記憶は少し石油臭が混ざっている。
余談だが第2次世界大戦時に米軍によって莫大な量の機雷が撒かれ、未だに全部回収されていないそうだ。昔、祖母が爆弾は風で全部海に落ちてここら辺は無事だったんよ、と話していたが、どうやらそれは機雷だったようだ。それはそうと、下関自体はかなり空襲を受けたらしい。
実家の近くには二つの浜があった。正式名称ではないと思うが、近い方の海岸を鉄道浜、かなり歩かなければいけないほうを海軍浜と呼んでいた。
鉄道浜のほうは小さくてほとんど岩だらけだったが磯遊びには最適だった。潮が引くとあちこちに潮溜まりが出来て、小さい生き物たちの宝庫となった。時間を忘れてびちゃびちゃになるまで遊んだ。
海軍浜のほうは、子どもの足にはけっこう距離があった。果たして今行ったらどれくらいかかるだろうか。もう数十年そこまで足を運んでない。海軍浜に行く途中は狭い山道があって(山というほどではなかったが)途中に防空壕の名残があった。時々犬の死骸やら気味の悪いものがあって、絶対そこには近寄らなかった。ソコニハイッタラコワイモノガイルンダ・・・。戦後20年余り。まだまだ戦争の痕が残っていた時代だった。
海軍浜のほうは、鉄道浜とちがって小さいながら砂浜があった。それで、時々海岸の掃除が徹底した年だけ遊泳が許された(逆かもしれないが)。
カナヅチの私と違って陸で走るより泳ぎの方が得意な父は、遊泳禁止の時でも泳いでいた。本当かウソかしらないが、若いころは対岸の門司まで泳いでいったことがあるそうである。まあ、距離的には日本の大きい川の下流に毛が生えたくらいの海峡幅なのでありえない話ではないと思うが、海流や船舶の通航量からして危険度は相当高いと思う。で、禁止なのに泳いで大丈夫なのかと不安で訊くと、泳いどるんやない、潜っとるんやという答えが返ってきた。さすがに子供の私もそれが詭弁だとわかったが、笑いながら、そっか~もぐっとるんやね、と答えておいた。
実際父はもぐってウニやらサザエやら海女さん顔負けで採ってきて、ウニはその場でカチ割って海水で洗って食べさせてくれた。いつぞやと違っておなかを壊したことはなかったので、それなりに海水はきれいだったんだろう。父は海に潜らない時はたいてい釣りをしていた。
ある日祖母にいわれて夕方父を呼びに行ったときだった。もうすぐしたら帰るからといわれ待っていると、父のうわぁという声が聞こえた。びっくりして見ると、なんと父がバカでかい魚を釣り上げていた。種類はわからないが、大物のブリくらいのサイズはあったと思われる。父の陰でよく見えなかったが青魚っぽかった。やはりブリだったのかもしれない。しかし、釣竿がその獲物のサイズと見合わなかったのと、あまりの重さにあと少しのところで父は釣り上げ逃した。網を持ってたら釣り上げに成功したかも知れない。帰って祖母にそのことを伝えたら、逃した魚は大きいから、といわれた。まったく信じてなかったようだ。
海岸で遊ぶ時や、泳いでいる時に気をつけねばならないことがあった。それは大型の船が通った後発生する「大波」だ。多分津波と発生が似ているようなので、プチ津波だと思っていいのかもしれない。
大型船が通った後の軌跡で出来た波が、一本の線状の白波を伴いながら海岸めがけて走ってくるのだ。ひどいときには2便3便と波が襲ってきた。泳いでいた時に一度この波に巻き込まれて、浮き輪をしていたにも関わらず海中に引きずり込まれ、溺れ死ぬかと思った。クロールのように手で波をかいて逃れようとしたが、右手でかいてもゴボゴボゴボ、左手でかいてもゴボゴボゴボとなって一向に海面に顔が出ないのだ。お花畑が見える寸前、なんとか立ち上がることができた。
海岸で夢中で遊んでいる時は、それに気がつかないことも多々あった。父が「おい、大波が来るぞ!」と教えてくれたことも少なからずあった。それにも関わらず、頭っから波をかぶることもあった。私たちが面白がって波をかぶるかどうか微妙なところに立っていたからだ。これはなかなかスリルがあった。しかし、今思えば、よく波にさらわれなかったものである。
海軍浜の思い出で、ひとつだけ悲しかったことがある。どういう経緯だったか忘れたが、ある日曜従姉弟一家とピクニックへ行くことになった。母がお弁当を持たせてくれた。当時はもちろんコンビニなんてなかったので、お弁当といえば手製である。
お昼になっていざ食べようとしたら、手が滑ってお弁当を砂の上にひっくり返し台無しにしてしまった。呆然としている私に叔母が、ウチもいっぱい作ってきたけぇ、食べりぃね、と言ってくれた。まあ、その状態で私だけ飢えさせる訳にもいかなかっただろうが、もともと遠慮のない私はありがたくいただいた。
ところが、家に帰って母に正直にそのことを言ったら、お母さんの弁当が食べたくないけんひっくりかえしたんやろ、と、ひがまれてしまった。そんなことをする筈ないやろ、と言いたかったが、こっちにも一所懸命作ってくれたものを台無しにした手前、何も言えなくなってしまった。もともと思ったことを言える性格ではなかった。書くほうなら大概のことはかけるのに、不思議なものだ。
もうひとつ、特筆すべき話がある。妹と鉄道浜のほうへ散歩に行ったときのことだ。岸壁近くに立って二人で海を眺めていたところ、いきなり海中から船が出現した。潜水艦だった。海底が浅く危険だったので浮上してきたのだろう。唖然としている2人を尻目に、それはすぐにいなくなってしまったが、あれは一体なんだったのだろう。まさかどっかの国の工作船じゃああるまいな。二人とも見ているし、覚えているので夢だったとは考えにくい。
これは悩むより生むが易しということで、ググってみたら思い切り該当ブログがあった。写真まで載っている。すごい!(このブログのTOP)
ただ、私らが見たのは昔だったので、これよりもかなりボロかったと思う。しかし、あんな浅い海でも潜水艦って通るんですねえ。
こういう風に思い出を綴っていたら、海軍浜にまた行ってみたくなった。鉄道浜は最近も行ったことはあるが、それでもかなり面変わりをしている。海岸にたくさんあった石油タンクもすべて撤去されたらしく、あっちの方は相当変わっている筈だ。あの怖い防空壕もなくなっているだろう。突き当たりにある酒屋はコンビニになっているかもしれない。近いうちに行ってみたいと思う。早めに祖母のお見舞いに行ってからね。
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「電撃戦隊チェンジマン」が、東映特撮アニメアーカイブスから配信されるぞ。嬉しいな(ニフティ会員はココからどぞ!)。
これはスーパー戦隊シリーズでも大好きな作品で、唯一私がほぼ全話見たという作品だ。チェンジドラゴン疾風翔役のスーパー戦隊中イケメンNo.1河合宏君がカコイイ・・・から見ていたわけではなく、設定が子供向け特撮にしてはかなり出来が良かったのだ。多分スタッフの趣味全開で製作されたんだろう。ヒーローたちはそう変わらないと思うが、悪役組織:宇宙帝国「大星団ゴズマ」がすごい。名前もすごいが。まず戦闘兵のヒドラー兵の造形がイイ。まあ、あんなのが集団で襲ってきても気持ち悪くてウザイだけで、大して役に立ってなさそうではあったが。また星王バズーの部下たちだが、すべてバズーに侵略されてしまった星の人たちで、家族を人質にとられてやむなくとか、操られているとかいった完全悪ではないことがだんだん判ってきて、単に勧善懲悪ドラマではない内容になっている。因みに副官シーマという女性は、操られている間は男の声になっている。最初はオカマちゃんかと思った(なんせ同時期に放映されていた宇宙刑事シャイダーの悪役神官ポーは、男性俳優が女性役をやっていたもので)。最終話近くで副官ブーバとチェンジドラゴンが夕日を背景に一騎打ちをするところなんかもうカッコよすぎて・・・。さすが東映!(因みにブーバの造形はプレデターのクリーチャーのモデルになったといわれている)それから、ギルーク司令官に代わって後半から登場したネコミミ司令官、女王アハメス様はなんと黒田福美だ(実はキツネミミ)。その他お笑い担当ナビ星のゲーター(彼の妻子の名前がまた・・・)や、再生・巨大化させる専門でそれ以外は存在感しかないギョダーイとか。
ただ、正義方のチェンジロボの造形はいただけない(「宇宙刑事シャイダー」のバビロンよりマシだが)。ダサいなんてもんじゃない。私はチェンジ福禄寿と呼んでいたくらいだ。
なおこの作品の前作にあたる「超電子バイオマン」あたりから戦隊メンバー5人のうち2人が女性となってなんか雰囲気がよくなっている(これは後のシリーズで1人にもどったりまた2人になったりしているようだ)。
おかげでチェンジペガサス、大空遊馬君がおミソになってしまったが(男女ペアになってしまったわけでなく、飛竜と翔・さやかと麻衣が親友状態になった)。
興味をもたれた方は是非無料サンプルを見て、まずカッコイイ主題歌にシビれて下さい。
話題は変わって近況報告です。
会社の方は進展なし。このままゴリ押しされる可能性大です。なんかヤだな。
それから、ここ数日、急にトラックバックスパムが増えている。見つけ次第即時削除しているが、どういうことでっしゃろうなぁ。確か、以前スパム対策強化のためのメンテをやってたと思うのですが、その後却って増えるなんてねえ。スパム業者もあんなもんで引っかかるヤツがいると思ってるんだろうか・・・いるんだろうねえ、やっぱ・・・。女性がタダでンなもん公開するわっきゃないだろう。ましてやお金なんかくれるわけないじゃん。共謀罪よりあーゆーのを完全に取り締まってくれる法を作って欲しい。堅気に迷惑だっつーの。
なんかねぇ、左上腹部の鈍痛が治まらないのだ。IBS(過敏性腸症候群)のせいだと思ってたけど、違うような気がして来た。あまり治らなかったら病院に行ったほうがいいかな。でも膝の関節も痛いし、目もかすんできてるし、もちろん前述したみたいに歯科も行かねばならない。う~ん、だんだんこうしてあっちこっち悪くなっていくんだろうなあ。運動不足も著しい。プールが近所にあったらいいんだけどな~。いきいき情報センターに出来たらいいのにって、ムリムリ。
最近商店街のあちこちにに「SAMURAI BLUE 2006」って書いた青い旗が大量に下がっているが、何かと思ったらコレだったのね。サッカーに疎いので判らなかったわ。でもなんで五条商店街が?地元出身の選手でも出るのかな。そういえば築陽学園出身のサッカー選手がいたな。
晴れたり雨だったり暑かったり急にまた寒くなったり、もーいい加減どっちかにしろよぉ、ってな天気が続いている。「女心と秋の空」っていうけれど、やはり春の天気の方が数倍気まぐれですねぇ。
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懐かしいCMソングとともに、ドラマの主題歌もけっこう覚えている。ドラマの内容も役者もほとんど覚えてないのに不思議なものだ。とりあえず思いつくままに思い出して書いてみよう。ただし、記憶の中のものだから、歌詞を間違っている可能性も高いので、ご了承ください。
■おやじ太鼓
誰がつけたか 大太鼓
雷おやじの 忘れ物
ドンドンドドンコドンドドンドドン
ドンドンドドンコドンドドンドドン
ご機嫌如何か 大太鼓
そんなにわめくと疲れます
虫が起きるぞ 大太鼓
みんなぶるぶる おお寒い
(間奏)ご機嫌如何か 大太鼓
そんなにわめくと疲れます
それそれ言わぬことじゃない
破れてしまった それごらん
最近、こういういわゆる雷オヤジってあまり見かけませんね。すでに絶滅危惧種になってるのかもしれない。むやみに感情的に怒るのはよくないが、やはり、怒るべきところはビシッとやってくれる人が必要だと思う。
■泣いてたまるか
空が泣いたら雨が降る山が泣いたら水が出る
空が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ水が出る
オレが泣いても何にも出ない
意地が涙を
泣いて 泣いてたまるかよと
通せんぼ
(drac-obさんより指摘がありましたので訂正しました。drac-obさん、どうもありがとうございます。)
テレビ版「男はつらいよ」。毎回設定が変わっていた。けっこう鬱展開、バッドエンドが多かったような気がする。子供の頃これを聞いて、「泣いたら涙が出るよね」と歌の後半部分を思い切り無視したことを言って(理解できなかったんだと思う)、祖母と両親から大笑いされた記憶がある。
■地獄の辰捕物控
何故におまえは俺を欲しがる
一文の値打ちもなく笑うことさえも
知らないこんな俺なのに
昨日は空しく 明日は幻
今日は只過ぎていく
こんな生き方しかないのに
いつになったら俺を手放す気か
おまえの名は 地獄
って、子供がなんてぇ歌を覚えてたんだ。おそろしい(笑)。「こんな生き方しかないのに」のところがカッコイイんですよ。
でね、今でも人気の高い、近衛十四郎の素浪人シリーズ。私も大好きだったんだけど、主題歌は「素浪人 月影兵庫」のほう(だと思う)しか覚えてない。
■素浪人月影兵庫
要らぬお世話だ どっちへ行こうと
天下御免の浪人ひとり
でっかい青空背中に背負って
曲り道でも待ったはかけぬ
まかり通るぞ まかり通るぞ
もうすぐに
なんか良いよね、このころの時代劇って。「風」とか「俺は用心棒」とか子供心に栗塚旭がカッコよかった記憶があります。「俺か・・・ 俺は・・・用心棒...」って同じ語尾に「・・・」がついてても、誰かさんと違って超カッコイイOPのところを何となく覚えている。でも記憶はそれだけ。さすがに幼すぎたかな。だから主題歌とかおぼろげにしか覚えていない。「三匹の侍」も好きだった。たしか中のひとりが育児や料理が得意だったんだよね。私はこれで「匹」という漢字を覚えました。
私 「あれ?この字『四』に棒が一本ないやん。」
祖母「それは『ひき』って読むんよ。いっぴきにひきの『匹』。」
時代は一気に下るが、昔の有名なバラエティに「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」というのがあった。私はあまり真剣に見てなかったので敢えて説明するのも気が引けるが、「電線音頭」「しらけ鳥音頭」で一世を風靡した番組だ。ベンジャミン・伊東こと伊東四朗の他に「東大さん」とか、おかみさんがご用聞き(東大さんにひそかに憧れているというすごい設定。ピーターだったような)にいつも1円分の品物を注文して周りがズッコケたら「1円を笑うものは1円に泣くのです。」という決め台詞を言ったり、木内みどり(名前が似ているが逐電したのは木之内みどり)が出て「ウ・パ・ペ・デ・トゥ~ディロン」と宇宙人を呼んだり、なんか凄い番組だったような気がする。
■しらけ鳥音頭
ちゃんちゃらちゃららら
しらけ鳥飛んでいく東の空へ
(みじめ、みじめ)
しらけないでしらけないでしらけたけれど
(みじめみじめ~)■電線音頭
ちゅちゅんがちゅん×2
電線に スズメが三羽止まってた
それを漁師が鉄砲で撃ってさ
似てさ、焼いてさ、食ってさ
ヨイヨイヨイヨイオットットット×2
なんか書いていてアホらしくなってきた(笑)。
で、この電線音頭だけど、私には思い出深いものがある。舞台の上で踊らされたんだよ!高校の時の修学旅行の罰ゲームで!それも、踊りを知らなかったから、下で友達が教えてくれたけど変な踊りで。今でもその時の状況が目に浮かぶ。おまけにココによくコメントをくれるしなさんが、卒業アルバムの実行委員だったので、しっかりその写真が卒業アルバムに載ってしまったんだ!あははは。
気をとりなおして、少女漫画原作ドラマの主題歌を数点。
■奥様は18歳
青い空が笑ってる ララララララ~ララ
白い雲も笑ってる ララララララララ~
お日様もバルコニーも 笑っている
ル~ル~ル~レ~レ~
ル~ル~ル~レ~レ~
悪戯なエンゼルが歌っている
だけど秘密 ヒ・ミツ
誰にもナイショ
奥様は奥様は 18歳■美人はいかが
私 きっと 美しくなる
薔薇の ような 美人はいかが?
今は硬い小さなつぼみ
誰が 先に 見つけるかしら~
生きている毎日が何もかもステキ
まだ見えぬ明日の日が待ち遠しいの
私 きっと 美しくなる
薔薇の ように 咲きたい私
これは2作とも外国が舞台だったが、日本に置換えていた。因みに「美人はいかが」のヒロインの名は「十文字 丸(じゅうもんじまろい)」だった。字面だけ見たら漁船のような名前である。
「奥様は18歳」の歌詞でエンジェルがエンゼルになっているが、昔はエンゼルという言い方が主流だった。ウイルスを昔はビールスと言っていたのに似ている(ちとちがうかも)。
■赤い稲妻
真っ赤に燃えた太陽を
この手で強く抱きしめたいのよ
苦しくたって悲しくたって
若い命を燃やしていきたいの
「だけど悲しくなっちゃう」
そんな時には空を見て
流れる雲に叫んじゃう
「お父さ~ん」
幸せの星を求めて
赤い赤い赤い稲妻真っ赤に咲いた赤い薔薇
この手で強く抱きしめたいのよ
苦しくたって泣きたくたって
若い命を燃やしていきたいの
「だけど泣きたくなっちゃう」
そんな時には海を見て
白い波に叫んじゃう
「お父さ~ん」
幸せの星を求めて
赤い赤い赤い稲妻
途中でセリフが入るのはこの頃のデフォでしょうか。文字にすると尚更こっぱずかしいなあ。これは丘けい子の仇討ち空手マンガが原作。沖縄復帰前の作品で、主人公は父の敵を求めて沖縄から密航して東京にやってくる。密入国である。悲しい時代だった。内容はやはりドラマのほうが劣化していて、敵役の腹心「九鬼」が原作では実は兄で影ながら主人公の妹を助けるというなかなか深い展開だったが、ドラマの方は単なる強敵で終わってしまってがっかりした覚えがある。
ついでにこれはアニメだが、「アパッチ野球軍」にいってみよう。これはなんと「細腕繁盛記」や「どてらい男(ヤツ)」の花登筺原作で、作詞までしている、異色のスポ根野球アニメである。
■アパッチ野球軍
俺たちゃ裸がユニフォーム
たまにゃハチにも追われるけれど
ファイト!ファイト!
ファイトひとつが財産さ
しかし強いぜ負けないぜ
俺たちゃアパッチ野球軍
俺たちゃ強いが売り物さ
たまにゃ大荒れカッともするが
根性!根性!
根性ひとつが売り物さ
しかし強いぜ負けないぜ
俺たちゃアパッチ野球軍
けっこう歌うと元気が出るぞ。余談だが、私は最近まで「たまにゃハチにも追われるけれど」の歌詞を「たまにゃサツにも追われるけれど」だと思い込んでいた。
唐突に思い出したけど、チャコちゃんシリーズとかケンちゃんシリーズとかあったなあ。最初チャコちゃんだけで、次に弟ケンちゃんが出来て、その後チャコちゃんがいなくなって妹のトコちゃんが出来た。
■チャコちゃん(シリーズのどれか)
パパが帰ってきたときは
大きな声で「おかえんなさい!」
パパに呼ばれたときは
元気な声で「は~い!」
健やかに過ごしておくれ パパに夢見ておくれ
時には大粒の涙の雨を降らせても
すぐにケロリと笑っておくれ
空のように 「空のように~」
それがパパの願い
最後に「どっこい大作」で締めようと思う。主役の大作は「仮面の忍者赤影」の青影役や「河童の三平」の三平役をやった金子吉延だ。って、私は大作が蒸気機関車と一緒に「どっこい!どっこい!」とやってるオープニングしか覚えてませんがな。
■どっこい大作
空に誓った 誠の峰を
やるぞ 必ず登ってみせる
一度限りの 一度限りの人生を
俺の力で 俺の力で 切り開く
ついでに河童の三平の歌もどうぞ。
■河童の三平
ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら
ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら
ここはどこの細道じゃ
地獄川原と申します
くりからくりから骨紬
呪う悪魔の影揺れる
行きはよいよい 帰りは怖い
河童の三平 どこへ行く?ここはどこの細道じゃ
悪魔ヶ丘と申します
ギコギコギコギコ刃砥ぎ
歌うサタンの影揺れる
行きはよいよい 帰りは怖い
河童の三平 どこへ行く?ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら
ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら・・・
ずいぶんと長くなったので、そろそろ終わろうと思う。また何か思いついたら加筆いたします。
この記事に最後まで付き合ってくれた方、どうもありがとうございます。
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