夏の災厄(篠田節子著)
(書き足したのでもう一度上げます。)
これは、以前ここに書いた日テレのドラマ「ウイルスパニック2006」の元となった小説である。
面白い!読んでいて引き込まれる。日テレのドラマなんて目じゃない。2ちゃんねるのカキコに「激安大バーゲン的糞つまらんドラマにされていた…orz 。ワクテカしながら読んだ小説が… 。」っていうのがあったが、納得した。まあ、昨今のテレビ2時間ドラマにしては、よいほうの出来だという評価には変わりはないが。
小説のほうは、きれいな看護婦も、可愛い少年も、カコイイDJも出てこない。主役は名前と看護婦という設定だけが同じでまったくの別人である。ヒーローの出てこないパニック小説といわれるだけあって、出てくるのは普通のおじちゃんおばちゃんである。子育てを終え看護婦に復帰した50過ぎの太ったおばちゃん・うだつの上がらない市役所の職員・アカの上にホモのレッテルを貼られたはぐれ医者・夜間診療所の事務員をやっているヒモ男。主に活躍するのはこの四人であるが、他にもそこらへんにいるようなおじちゃんおばちゃんが大量に登場する。ほとんど日テレドラマの役者のイメージは影響なく読めたが、小役人小西だけは、何故か終始ドラマの八嶋智人のイメージで読んでしまった。
作者の篠田さんは、役所勤めの経験がおありだそうで、役所の融通のなさや行政と住民の安全の間の板ばさみになる役人たちの苦労がよく表現されていた。読んでいて何度も歯がゆい思いをさせられてしまったが、現実に同じようなバイオハザードがおこっても同じような状態になるのだろう。否、小説だからこそスッキリしないまでも主人公たちの決死の調査や行動により、病原体の正体が割れそれなりの解決を見たが、現実はもっと悲惨な結果に終わるのではないかと思う。そんなに熱心な役人も医者もいないだろうと思うからだ。
それにしても、普通のおじちゃんおばちゃんがこれほどカッコイイ活躍をする小説も少ないだろう。
感染力も致死率も治癒後の重篤な障害率も高い謎の感染症が流行り、半ば隔離された町で、どのようなことがおこるかという内容もリアルで空恐ろしいものがあった。まず、差別だ。感染源の不法投棄場があったため、病気の流行った昭川市は孤立し、特に住民内でも特に感染者が多く風土病のように扱われた窪山地区の住民は徹底的に差別される。住民間の対立がおこる。住民たちはすさみ、呪い師や新興宗教が幅を利かせ、後遺症の脳障害を治すための祈祷が行われる。脳炎に感染しない、万一罹っても完治するという触れ込みの安いニセ薬が何万という価格で取引され、悪徳業者の温床となる。行政に見捨てられた後遺症患者を抱える家族の心中が相次ぐ。生き地獄である。
そして行政は脳炎の流行地が都心から離れているため、昭川市で病気を封じ込めようとする。そして自衛隊を出動させ、感染源のコジュケイの一掃作戦を展開する。そのおかげでいったん終息を見せた脳炎だが、真の感染源を知らずに放置したため、再発生させてしまう・・・。鵜川は富士病院の辰巳医師が731部隊の受け皿である国立予防衛生研究所出身だということを知って、辰巳の起こしたバイオテロを疑うが・・・。
あまり書くとネタバレになるので、普通のおじちゃんおばちゃん達の大活躍は本を読んで堪能してもらうとして、いくつか私なりに気になったりなるほどと思ったりしたことを書いていこう。
まず、脳炎の媒介動物が蚊であったことから、当時から推奨されてきた「多自然型川づくり」で施工された川がもとの三面張り護岸(私は、側溝川と呼んでいる)に改修され、草は刈られあるいは枯れさせられ、木々は伐採される。そんなことをしたら余計大変なことになろうもん、蚊は不法投棄のタイヤやポイ捨てのカン・ビン等のちょっとした水たまりでも増えるんだぞ。三面張り直線護岸にしたら、住む生物も限られて生物層が一変して、汚染に強い害虫だらけになるぞ・・・。
そこら辺の描写も、脳炎の後遺症患者を抱える家族の悲惨さとともにリアルに伝わった。恐ろしいかったのはそういった後遺症の残った患者まで「完治」とされ、行政から見捨てられたということである。大いにあり得る話で薄ら寒くなってしまった。
それから、予防注射やワクチンについて、現代の私たちがいかにその恩恵を受けて、今の清潔で健康な暮らしを得、また、その恩について忘れているかについて改めて思った。ワクチンがあったからこそ痘瘡ウイルスは殲滅され、世界中で天然痘の恐怖に怯えない生活が出来るのだ。
私も無駄な予防注射はしないことにしているが、それはこの国に住んでいるからそういう選択も出来るのだ。発展途上国では、ありふれた感染症で簡単に子供が死んでいるのだ。しかし、もし、この異常な清潔志向のこの国に、未知の病原体によるパンデミックが起こったら、どのようなことになるか。日本国中が、この小説の昭川市のようなことになるのは想像に難くない。
冒頭部分で辰巳医師が、インフルエンザの予防接種を阻止しようとする母親たちに怒りをぶちまけるシーンがある。
「みなワクチンのありがたさを忘れている。ほんの少し前まではインフルエンザで老人や子供がばたばたと死んでいた。豊かさと平和ボケで疫病の恐ろしさを忘れている。ワクチンは命がけで医師たちが作り出したものだ。その恩恵を享受しておきながら、少しの副作用でワクチンを悪者扱いする。
真の疫病はエイズなんて(病気の進行において)問題にならない。弱いものからどんどん死んでいく。老人。子供。そしていずれは働き盛りの人間まで。病院は一杯になり収容不能になる。毎日そこかしこの家から棺桶が出される。感染した年寄りは家を追い出され路上で死ぬ。ウイルスにはほとんど特効薬はない。とくに新興ウイルスの場合は。あるのは対症療法とワクチンであらかじめ免疫をつけることのみ。
たまたまこの70年間ほど大規模な疫病が発生してないだけだ・・・。」
そう、この小説から約10年後致死率10%のサーズという感染症がアジアで猛威をふるい、今世界は新型の鳥インフルエンザの発生に恐々としている。
ところで、ドラマの感想で「何故ネットを利用しなかったのだろう」と書いたが、この話は1994年の話で、今のように猫も杓子もネットをする時代ではなかった。それでもインターネットは普及し始めており、鵜川医師はこの病気の情報は主にネットで収集していた。そういうことでドラマにはそういうアイディアが出なかったのだろう。
もうひとつ、ドラマで疑問に思ったオカモノアラガイ(カタツムリと同じ陸貝)とコジュケイの関係である。これもやはり小説では詳しく書かれていた。小説のほうでは登場人物はなかなか気付かなかったが、読むほうはだいたいわかるので、ネタバレにならないと思うのですこし書いてみよう。
ドラマではオカモノアラガイが燐光を放っていたが、小説ではそのほかにもうひとつ特徴をあげていた。「触角」が「肥大」して「別の生き物のように」せわしく「動いていた」という点だ。この特徴からこの寄生虫が思い出された。「レウコクロリディウム」というオカモノアラガイを中間宿主とする寄生虫だが、これが恐ろしいことに、オカモノアラガイに寄生すると目(触覚)を芋虫状に肥大化させ、カラフルでオサレなシマシマにしてしまう。そして、オカモノアラガイを操縦し、木などの目立つところに移動させ、カラフル目をせわしく動かさせて最終宿主である鳥の気を引き、自らを食わせようと操るのだ(参考:写真はクリックすると拡大。動画あり。閲覧注意)。この新型脳炎ウイルスは、この寄生虫と同じような操作をオカモノアラガイにするらしい。おまけに夜行性の鳥の気も引くように身体を発光させる。
しかし、コジュケイが最終宿主ならば、死んでしまっては意味がない。あなただってせっかく越してきた家が、1週間かそこらで潰れたら困るだろう。ウイルスが外来産なので、感染しても死なない鳥がウイルスの故郷であるインドネシアのどこかにいるのだろう。ひょっとしたら、熱帯雨林のなかにひっそりと暮らしていた未知の鳥が、森林伐採のため絶滅し、宿主を失ったウイルスが人里まで迷い出して来たのかもしれない・・・。
最後に、堂本看護婦のこの言葉で締めようと思う。民間療法や新興宗教に飛びつく主婦のことを小西が「一般市民ていうか、主婦ってやっぱり馬鹿なんですか。」と言ったことに対しての答えだ。
「こんなことがなければ、みんなちゃんとした常識を持っていて、正しい判断が出来るのよ。考えてごらんなさい。なんだかわからないまま、得体の知れない病気で、家族や知人が倒れていくのよ。そんなものを目のあたりにしていたら、今まで身につけたいろいろな常識が、みんな疑わしいものになってしまう。合理的な考え方が出来なくなると思わない?」
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