カテゴリー「怖い話」の7件の記事

2010年3月22日 (月)

なんかわからんけど色々恐かった話

 先週の土曜、会社から帰ると、いきなりから母の友人が焼肉屋に連れて行ってやるというから、一緒に行こうと誘われた。しかし前日、食後にひどい動悸に襲われたことが気になったので、遠慮することにして、母と妹に行ってくるようにすすめた。

 

 その後、幸い再び動悸がすることは無かったが、食後眠くなったので仮眠をとることにした。

 

 しかし、仮眠のつもりが爆睡してしまい、目が覚めた時は深夜一時近くになっていた。ありゃ、寝すぎたと思い飛び起きたが、母も妹も帰って来た気配が無い。電話を確認したが、着信も無い。

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2009年11月 9日 (月)

気味の悪い夢を見た。

 島根の女子大生殺害事件のせいなのだろう。気持ちの悪い夢を見た。

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2006年8月27日 (日)

学校の怪異(残暑に怪談はいかが?その2)

 前話「社宅の怪異」に引き続き第2弾をお楽しみください。

 

 小・中と特に「学校の怪談」とやらのない学校にいたが、高校になると少し違った。

 

 それは、その学校にデザイン科があり、写真の授業があったため、本格的な暗室があったからかも知れない。ときたま、そこに出るらしい。もちろんユウレイが。

 

 私はそこで見たことはない。それどころか、鼻をつままれても犯人のわからないくらいの真の闇で、手探り作業しかできないフィルム現像室で、たった一人で作業してもたいして怖くない(もちろん、いらんことは考えないようにしていたが)くらいなにも感じなかった。
 ここで少し脱線するが、簡易フィルム現像器を買って家でもフィルム現像くらいはしていた。流石にプリントする設備にまで手は回らなかったが。で、その現像器は、フィルムを装填するまでは暗いところでしなければならないかった。それで、部屋の電気を消した上で、押入れに潜り込み、念のため布団をかぶっての作業だった。もちろん怖いことは頭から排除した。フィルムを現像器に巻き付けセットすれば、あとは明るいところで作業できる。今は写真屋に持って行けばカラー写真が現像・プリントまで30分くらいで出来る。いい時代になったもんである。因みに私がやっていたのはモノクロ写真である。

 

 私は高校の頃は写真部に入っていた。だから、簡易フィルム現像器を持っていたのだが、そこの部長が、一人で写真を焼きつけしている時、何回か部屋の隅に人が座っていたことがあるそうだ。写真室は、人が出入りしたらすぐにわかるのだが、そういう物音もせずに人が座っていていつの間にかいなくなる。特に悪さをする様子もなかったので、知らん顔をしていたということだ。豪傑である。

 

 その高校は偏差値はけっして高くないが、のびのびと出来て、生徒と先生も仲がよく良い学校だったので、母が惚れこみ、妹もそこに行くことになった。妹は私以上にのびのびとした3年間を過ごしたようだ。未だに一生で一番楽しかった場所だと言っている。
 で、妹が写真の授業をしていた時も一回、暗室にいた連中が血相を変えて飛び出してきたらしい。「○○さんが、誰かに足をつかまれた!」と青い顔をして言っている。暗室といっても印画紙焼付けのほうだから、赤い安全灯がついていて、誰かがいたずらしようとしたらすぐにわかる。ただでさえ暗くて怖い暗室なので、軽い集団ヒステリーかも知れないが、やっぱり誰か「住人」がいたのかも知れない。私だったらあんな現像液くさいところには住みたくないが。

 

 その高校で怖かったのは写真室よりもトイレだった。当時まだぼっとんトイレで(因みに中学は水洗だった。立地的に水洗に出来ない状況だったらしい)、かなり臭い。一階であろうが3階であろうがぼっとんトイレだった。また、ぼっとんトイレ特有の陰気臭さも漂っていた。その上、何を考えてそうしたのか、ドアが真っ黒だったのだ。それも光沢のある黒なので、はっきりではないがなんとなく自分の姿や背景が映るのだ。自分以外のモノが映りそうで、あまり見ないようにしていた。また、そのせいかトイレ自体が薄暗く、雰囲気からとても怖かった。
 とはいえ、特に怪談話があったわけではない。ただ、トイレに閉じ込められた女生徒はいるらしい。鍵もかかってないのに開かなくなり大騒ぎになったそうだ。しばらくしたらドアは自然に開き、生徒は無事に出れたそうだ。

 

 それからこれは直接学校であった話ではなく、妹の修学旅行の宿泊先であった、妹の部屋グループの人たちが遭遇した怖い体験だ。妹はちゃっかり他の部屋に出張していて免れたのだが、自分の部屋あたりが騒がしいので見に行ったら、女子生徒が数人襖戸の出入り口に完全充填していた。完全充填とは、例えばペットボトルに入れた乾燥スパゲティを逆さにして出そうとすると、ぎしっと口に麺が詰まって出なくなる、あの状態である。どうやら集団で我先に逃げようとして詰まったらしい。担任がびっくりして駆けつけたが、その姿に唖然として言った。「おまえら、何しとうとや?」
 話を聞くと、みんなで雑談(ゲームだったかもしれない)していとき、窓の外に小さい光がふわふわと漂っていたらしい。ソレは時々窓ガラスにぶつかりながら飛んでいる。時は11月。ホタルの出る時期ではない。ソレを窓のほうを向いていた人たちが目撃した。「何あれ?」みんなでいっせいに窓のほうを見る。一人がぎゃあと叫んで部屋を飛び出そうとし、その様子に驚いた残りの生徒もいっせいに出口に駆け出した。で、例の惨状が出来上がったわけである。何とか落着かせて部屋に戻されたのだが、真っ先に逃げた生徒が言ったそうだ。

 

「声が聞こえたっちゃん。『入れて~、入れてよ~・・・」って。」

 

で、部屋を変えてもらってなんとかその場を凌いだが、妹は仲居さんの独り言を聞き逃さなかった。「あそこは、もう出ない筈なんですがねえ・・・。」

 

    出てたのかよ!

 

 大学では、これまた特に怖いウワサは聞かなかった。前も言ったように、私は二回生まで「怪奇現象研究会」なるサークルに所属していた。そこが特に学内を調査しなかったことでもわかる。ただ、学生寮であるT寮のトイレに鏡がないのは有名だった。死んだ学生の姿が映るからというのがもっぱらのウワサではあったが、ひょっとしたら、酔っ払った学生が割ってまわるせいかもしれない。

 

 最後に、卒業アルバムで心霊写真ではないかと話題になった写真をUPして終わろう。
 ボーリング部の卒業アルバム用集合写真である。場所は見ての通りボーリング場。
 これは、謎の女性のいる場所が不自然とはいえ、あまりにもはっきり写っている。実際そこに従業員の女性がいてたまたま写ってしまったのか、ポスターが貼ってあったのか、たまたま何かが女性の顔に見えるのか、それともホンモノなのかは、読者の皆さんの判断にお任せする。

 

    Sinreikamo002_2    

 

 写真はクリックで拡大、プライバシー保護のため顔にぼかしをいれています。 

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2006年8月23日 (水)

社宅の怪異(残暑に怪談はいかが?その1)

※注意:今回は怪談話なので、日頃科学的であろうと勤めているところを、若干タガを外しました。多少電波な表現があっても気にしないで下さい(笑)。

 

 これは、私が中学一年から大学2年くらいまで住んでいた社宅の話だ。

 

 その場所は今はもう当時の景観とはまったく変わってしまったが、某大手会社の社宅があった。上に4軒並び、それから土手の下に2軒向かい合わせに同じような平屋が並んでいた。最初越してきた時は小6で、上の道路側に住んでいたのだが、下の人が家を建てて引越しが決まり、子どもが多いということで、私たち家族がその後に住むこととなった。

 

 いつ頃からそういう現象が起こり始めたのかはわからない。最初からだったのに気がつかなかったからかも知れないし、途中から何らかの理由で何か歪みが出来たのかもしれない。とにかく最初は普通に暮らしていたし、こわいなんて思わなかった。
 しかし、いつの頃からか時折妙な気配がするようになった。
 下の社宅に降りてから迷い犬を飼うようになった。彼は犬小屋ではなく外の納屋で飼っていた。しかし特にその子が怯えたり訳も無く吼えたりすることはなかったのは不思議ではある。

 

 その怪異とは、どこからか箒で掃くような音が聞こえたり、母が転寝(うたたね)をしていると、枕元で他人のいびきが聞こえたり、要するに他に誰かいるような感じだった。私たちは「座敷わらし」と呼んでいたが、ある日決定的な怪異がおこる。

 

 その日は妹と留守番をしていた。天気は曇天だったような記憶がある。夕方になっても母は帰らず、待ちくたびれていたら、玄関の開く音がして、入り口の玉暖簾がカチャカチャ鳴って、買物をした袋を置く音がした。私たちは「帰ってきた!」とすぐに迎えに出たのだが、玄関に行くと誰もいない。ただ、玉暖簾がかすかに揺れていた。私は妹と顔を見合わせると、そのままそっともといた部屋に戻った。
「確かに帰ってきたよね。」
「暖簾の音がしたよね。」
それを確認すると、私たちはそれ以上追及をやめた。結論が恐ろしいものになりそうだったからだ。件の母は日が暮れて帰ってきた。私たちは母に知らせたが、母がどう受け取ったかは覚えていない。ただ、その話をしても、記憶がないようなので子どもの勘違いだろうと思ったのだろう。
 しかし、一人で聞いたのなら勘違いや錯覚だが、妹も同じ音を聞いていて、同時に「帰ってきた!」と出迎えに行ったので、錯覚と一蹴する訳にはいかない。

 

 私たちの家は土手の下にあり、上の家に比べて湿気が多い。それに丁度向かいの家(同社宅)の廊下とうちの廊下は直列に並んでいる。だから、ひょっとしたら土手下の2軒の家は霊道に建っていたのかもしれない。

 

 妹が見たのは老婆だった。夜寝苦しさに目を覚ますと、白い老婆がベッドの手摺りにすがりつくような形で周りを伝い、しばらくベッドの足元に佇んでいたそうだ。特に何かをされたわけではないが、とても気味が悪かったそうだ。

 

 さて、私の体験だが、多分大学2年くらいの時だった。炬燵を出していたから冬だったと思う。
 その頃はよく炬燵で寝起きしていた。いちいち炬燵を片付けて布団を敷くのが面倒大変だったからだ。その時も炬燵で眠っていたのだが、なかなか寝付けない。時間は深夜1時をとおに過ぎているのに一向に眠くならないのだ。それで寝返りを何度もうっていたら、急に玄関の開く音が聞こえた。そのころ母は7-11にパートに勤めていて、都合で深夜になることもあったが、その日はとっくに帰っており既に白川夜船の状態だった。
 侵入者はそのまま家に上がりこむと、どすどすと歩いてまっすぐ私の部屋までやって来て、躊躇することなく襖をガラッと開けて部屋に入ってきたのだ。声がかなり低音だったので、多分男だと思う。そしていきなり私の襟首をつかむと、すごい罵声を浴びせながら、私の頭を炬燵の足に何度もぶつけたのだ。私はというと、既に金縛っており、その「誰か」の成すがままであった。
 しかし、そいつが怒鳴りながら何度も人の頭をばふばふするので、「何で私がアンタにそんなことされなイカンの?」と急に怒りがこみ上げてきた。その瞬間にカッとなってキレた私は、動かない身体の力を振絞って金縛りを解こうとした。すると、なんとなく左手が動いたので、そのまま右肩越しに、そいつの手をつかんで引き寄せた。正体を見ようと思ったからだが、まさか本当に手がつかめるとは思ってなかった。しかし、相手の手とセーターを着ているらしき袖口が見えた。袖口の白っぽいラインまで確認できた。その勢いで、すかさず立ち上がって電気をつけた。

 

 しかし・・・、部屋には私以外誰もいなかったのだった。

 

「夢よ。夢やったんよ。そうよ、そうよね。」私は無理やり自分を納得させ、そのまま無理やり眠ることにした。

 

 山岸涼子の「ゆうれい談」で読んだのだが、モーさま(萩尾望都)は寝ていて妙なものを見たときは無理やり眠るらしく、それにあやかろうとしてみたのだ。金縛りを解くのに体力を使ったからか、眠れなかったことがさっきの現象がおこる予兆だったのか、今度はちゃんと眠れた。

 

 そいつの罵声の内容は今やまったく覚えてないが、相当なことを言われたと思う。思わずキレちゃいまいしたから。

 

 実際、その社宅に何かがあったのか、それとも住んでた私たちの思い込みかはわからない。箒で掃くような音は、隣の家の音が反響て聞こえたのかもしれないし、玉暖簾の音は気のせいで、いびきの音も妹が見た老婆も私の体験も、夢だったといえばそれで説明がつく。私の場合眠れない状態からレム睡眠に入り、夢うつつで強烈な夢を見たのだと説明できる。

 

 以上の話が、勘違い・錯覚の類なのか、本当にその社宅に何かがあったのか、その判断は読者のあなたに任せることにしよう。

 

 「残暑に怪談はいかが?」シリーズその2、「学校の怪異」も読んでね。

 

 

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2006年6月22日 (木)

ほんとうにあった怖い話。たぶん。

 と、いうことで(「あべつぼ」のコメント欄参照)、人生のエスプリのために怪談を楽しもうと思う。猫だぬきさん、フィルターを用意してお読み下さい。

 

 前の怪談のエントリが、ほぼコピペの手抜きだったので、今回はちゃんと書こう。とはいえ、タイトルからしていわゆる他人の褌(ふんどし)であるが。これはいわゆるフォフ(FOF:友達の友達)話ではないので、体験者のカン違い・思いこみ・夢でない限り実話である。

 

■昔勤めていた会社の事務、Tさんの話

 

1. おばあちゃんが危篤と聞いて、一家で急いで車で病院に行こうとしたら、車の中になにか人影がある。もしや、車上荒らしかと思い、急いで車まで行くが誰もいない。不吉な予感がして病院に駆けつけたらすでにおばあちゃんは亡くなっていた。
 あの人影はおばあちゃんだったんだろう、と話し合ったという。

 

2.Tさんの夫は、JRの職員だった。その職員の泊まる宿舎の、とある部屋は必ず金縛りに遭うと有名だった。Tさんの夫はそんなことは全く信じない人で、それなら俺がそこで寝てやろうと部屋を替わってやったが、その夜、やはりひどい金縛りに遭い、結局ろくに寝付けなかったそうだ。

 

■母の同僚Aさんの話

 

 ある日、Aさんが交通事故を偶然目撃した。その時、道路にハイヒールが片方転がっているのを見て、まだ若い女性だろうに、可哀想だなあと、色々思いをはせ同情してしまった。
 その日はずっと背中がぞくぞくとしていたので、早めに床についたがなかなか眠れない。何度も寝返りをうっていたが、数度目に寝返りをうった時目の前に女性の顔が・・・。それはすぐに消えたが、Aさんは恐ろしくてもう寝るどころではなかったという。

 

 事故現場などでは、人・動物に関わらず「可哀想」と同情してはいけないとよく言われる。その心を頼ってついてくることがあるからだ。しかし、人であるからにはつい同情心を持ってしまうのは仕方がないことだけれども。

 

■妹の友人宅の怪異

 

 D市は盆地にある街なので、時に水害に見舞われる。数年前も98ミリという記録的な時間雨量を記録したくらい雨が降って、数人の犠牲がでた。昭和47年7月豪雨の時も太宰府でも被害者が出るくらいの大雨だった。しばらく水道の水から泥水が出ていたのを覚えている。

 

 妹の友人Nさん宅も水害で死者が多く出たあたりに建っているが、いつの頃か壁に人型様の染みが出来たそうだ。Nさんの所はそういうのを全く気にしない一家だそうだが、染みがみっともないので「上半身」部分にエアコンを取り付けた。すると・・・。

 

 なんとその人型の染みはエアコンを避けた格好になったそうだ。

 

 これは妹が実際に見て確認している。考えようによっては、クーラーを設置したせいで、湿気がクーラーに沿った形になり、結果人型がクーラーを避けたように見えたという解釈もできようが、これは読んだ方の判断にお任せする。

 

■弟が体験したドッペルゲンガー、他

 

1. ある夜のこと、弟は夜中に目が覚め小用を足しに行った。その後また寝るために部屋に帰ったら、布団にはちゃんと自分が寝ていたらしい。

 

 夢だろう~!というツッコミを入れないこと。

 

2. まだ広島に住んでいたころの話。
 ある日、部屋でふと窓を見たら、ガラス窓に点のようなものが見え、どんどん大きくなっていき、それが目であることに気がついた。目はガラス窓いっぱいに大きくなって消えたらしい。まあ、広島だからねえ。

 

■母の叔父(伯父?)の話

 

 母の家系は警官が多く、叔父も警官だった。ある豪雨の朝、彼は何故か出勤したくないという気分に襲われた。しかし豪雨の後である。職務柄出勤しないわけにはいかない。で、家人に「行きたくないなあ」と連発しながらも家を出た。途中川があり橋を渡らねばならなかった。川は増水して轟々といっている。嫌な感じがしたがかまわず渡ると、途中から身体が動かなくなった。這うようにして橋を渡ると身体は自由になった。
 後で、その橋に女性の遺体が引っかかっていたと言うことを聞き、ぞっとしたそうである。

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2006年6月14日 (水)

手(けっして夜中には読まないで下さい)

 友人が開設していたブログを閉じて記事も破棄するという。もったいないのでとっときのこわい話をコピペでここに掲載させてもらうことにした。

 ===========

 これは、友人が同僚から聞いた話です。もう10年以上前の話だそうです。
 当時、彼女-仮に「美幸」と呼ぶことにしましょう-美幸さんは大学を出たばかりの会社員でした。
 彼女はいつも少し早い時間の電車に乗っていました。
 その後の電車に乗れば丁度よい時間に会社に着くのでしたが、それは超満員で、おまけに彼女は入社したての頃痴漢に遭うという嫌な思いをしたので、今の電車を利用するようになったのでした。
 その電車は何故かラッシュ時にしては不思議と満員ではありませんでした。
 もちろん、ラッシュ時ですからそこそこには混んでいます。だけど、前後の電車は身体が動かせないほどぎゅうぎゅうに混んでいるのです。まあ、そういう時間帯なのだろうと美幸さんは納得していました。
 その日は朝から大雨でした。6月も終わろうとしていましたが、その年はいわゆる空梅雨で、久しぶりの大雨でした。まるで今まで溜め込んだ水を吐き出すかのような・・・。
(雨の日の電車は独特の雰囲気があるな)
 電車に揺られる通勤者の群れの中に埋もれながら、彼女は思いました。
(それに窓も曇って水滴がたれてくるし、床もべちゃべちゃで、皮膚もなんかべたべたして嫌だなあ。なんかひといきれまでうっとおしいし。それに半端に満員って安定悪いよね。)
 それでも20分の我慢だ、と美幸さんは気を取り直しました。その時急ブレーキがかかり、よろけそうになった彼女はとっさに手を伸ばしてバーにつかまって、何とか倒れそうになる身体を支えました。
 電車の中が急にざわつきはじめました。人々のざわめきの中から、何人かの「また?」という声を彼女は聞き漏らしませんでした。
(また・・・?)彼女は奇妙に思いました。

「ただいま、線路に人影を確認しましたので、安全の為急停車いたしました」

 車内にアナウンスが響きました。
 その時です。彼女の脚に何かが触りました。足元に何かがいる気配がしました。(誰かの手だわ!)彼女は咄嗟に思いました。
(こんな時に痴漢しようだなんて、なんてヤツ!!)
かっとした美幸さんはその不届きものを見届けてやろうとそっと振り向き足元を見ました。すると―

 確かに足元には手が、まるで何かを探すようにうごめいていました。
 でも手首から上のほうがどうしても見えないのです。手だけが床をはいずっているのです。
 恐ろしくて彼女は声も出ませんでした。
 手は、すうっと人の足の林の中に消えていきました。いえ、本当に消えたように思えたそうです。

「急停車いたしましたが、異常はありませんでしたので発車いたします。お急ぎのところまことに申し訳ありませんでした」車内アナウンスが終わると電車はゆっくりと走り始めました。
 彼女は今見たことが信じられずに呆然としていました。他の乗客は「それ」に気がついた様子はないようでした。

 会社に着いた美幸さんは、一日中気分が悪く脚にはあの手の感触が残って怖くて仕方がありませんでしたが、実のところ自分が見たのが現実だったのか錯覚だったのか、よくわからなくなっていました。
 それで夕方、湯沸し室で片付けをしているときに思い切って一緒にいた先輩に聞いてみました。先輩は、ちょっと黙っていましたが、「これは聞いた話なんだけど。」と前置きしてゆっくりと話始めました。
 なんでも、数年前の大雨の日に男の人が電車にはねられて亡くなったこと。その時もやはり梅雨の時期だったこと。自殺だったこと。遺体は電車に轢かれた割には状態もよく、遺体回収は比較的楽だったようだが、右手首から先だけは、何故か見つからなかったこと。その後その時間帯の雨の日に線路内に人影を見て急ブレーキをかけることがあったり、手だけが電車の床を這っていたのを見た乗客が何人か出て、ちょっとした怪談騒ぎになり、今でもその時間の電車を避ける人が多いのだということ。

 美幸さんは、電車の中で見たモノを思い出して悲鳴を上げて倒れてしまい、それから一週間くらいどこにも行けず、会社も休んだそうです。家の人が心配してとうとうお払いまでしてもらい、ようやく出社できるようになったらしいのですが、しばらくお母さんに送迎をしてもらうことになり、とんだ散財だったんだよ、やっと話せるようになったんだけど、今でも時々手の感触を思い出してぞっとするし、雨の日の電車も怖いんだよ、と美幸さんは笑いながら言っていたそうです。

 

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2005年9月 8日 (木)

友人の通夜から帰りのちょっと不思議な話

一昨年の9月に友人Kが亡くなった。急性白血病だった。
電話を受けても信じられなかった。
手術は成功したと聞いていた。
・・・
信じられなかった。しかし、涙はあふれて止まらなかった。

 

翌日の夜、仲良かった2人の友人と共にお通夜にいった。
友人の1人Tは、鹿児島から駆けつけてきた。
私達4人は高校からの親友だった。

 

その日の通夜は仮通夜だったがKの家で行われていた。
遺体と対面した。綺麗な眠っているような顔だったが、やはり生者とは違っている。

 

・・・それでもやはり信じられなかった。

 

Kの夫(やはり高校の同級生だったが)と、ひとしきりKの思い出話に耽った。
高校を出てからお互い進む道が異なり、あまり会えなくなった。多分会った日はトータルしても1ヶ月も満たないだろう。
それでもこの地球上に存在していることは確実だったし、何よりも同じ県内、会おうと思えばいつでも会えると―――。
しかし、まさかこんな形で別れが来ようとは・・・。

 

Kの家を出てから、3人でそぞろ歩きながら、大通りに向かった。
遅くなったからそこでタクシーを拾おう。
道すがらも私達のKの思い出話は尽きなかった。

 

通りに出るとすぐにタクシーがつかまった。
「すみませ~ん、○○駅までおねがいしま~す。」
私達3人はどよどよとタクシーに乗り込んだ。
運転手「あれ?3人ですか?」
「ええ、3人ですよ?」

 

私達は気がつかなかったが、タクシードライバーにはもう1人見えていたのかも知れない。
あとで私達は、きっとKが通りまで見送ってくれたんだろうねと話し合った。

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